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2024年3月25日月曜日

【第138話の続き2】福島県はなぜ裁判途中なのに避難者を追い出す強制執行に出れたのか(24.3.24)

 以下は、今回の福島県の強制執行を正当化する理由について検討し、その正当化の理由とされる福島地裁判決の「生活保護=セーフティネット」論の欺瞞を明らかにしたものです。

1、最初の問い
今回、福島県は、避難者追出し裁判が最高裁に係属中であるにもかかわらず、
強制執行を申し立てて避難者を追い出す行為に出た。なぜそのような強引な振舞いができたのか。

この点、民の声新聞が福島県に電話取材をして「なぜそこまでするのか」と尋ねている(>記事)。応対した福島県生活拠点課橋本耕一主幹曰く
われわれとしては裁判所に認められた範囲内で手続きをさせていただいている」まで、と。つまり、裁判所が判決で仮の強制執行をしてもいいと認めてくれたから、福島県はそれに従ったまでだ、と。

しかし、元はと言えば、福島県自身が進んで、訴状で、この仮の強制執行を認めるように求めたのがそもそもの出発点。ここからして福島県の振舞いは残忍酷薄極まりない。

それに応じて、福島県の残忍酷薄な請求をそのまま認めた福島地裁の判決も劣らず残忍酷薄。この点を民の声新聞が取材した元裁判官の井戸謙一弁護士はこう言う
金銭支払いを命じる判決では、判決が確定するまでに財産を隠されるなどの事態を避けるために仮執行宣言をつけることが多い。しかし、住宅の明け渡しの場合は通常、仮執行宣言をつけない。強制執行などしてしまったら取り返しがつかないから。仮執行宣言をつけた裁判官の避難者に対する悪意が感じられる 

さらに、一発結審を強行して避難者の控訴を棄却し、福島地裁判決をよしとした仙台高裁も同様に残忍酷薄。司法が行政の行き過ぎをチェックするのではなくて、行政と司法ががっちりタッグを組んで、この残忍な強制執行が実現した。私たちはこういう独裁国家のもとに生きている。

2、2つ目の問い
では、
福島地裁は、この仮の強制執行を認めることをどのように考えていたのか。この点、福島地裁判決は退去を命じても生存権の侵害にならないとこう書いた。

被告らの主張が、本件各建物から退去することにより、 被告らの生存権等が侵害されるとの趣旨を含むものであるとしても、それらは生活保護その他の社会保障制度によっても補完しうるものであり、 本件各建物への居住の継続が認められないことをもって被告らの生存権が侵害されたとはいえない。29頁3~7行目。>判決の全文PDF

 すなわち、生活保護その他の社会保障制度は明渡しを余儀なくされた避難者の最後のセーフティネットであるから、追い出されても生存権の侵害の問題などおきないと。

では、避難者にとって生活保護がはたして現実に「彼等の生存権を維持する最後のセーフティネット」足りうるものか。まず、この点について、福島地裁はどのように吟味検討をしたのか。答えは何一つ全くしていない。なぜなら、そもそも原告の福島県がこんな主張をしたことがなかったからである。その結果、福島地裁は審理の中で、この点について主張も立証も何一つ全く検討しなかった。判決で、いきなり不意打ちのように「生活保護があるから明渡しになっても心配ない」と認定を下したのである。審理なき判決を下す勇気は、あっ晴れ!

 次に、もしこの点について誠実に審理をしたらどのような結果になったか。この点、二審において避難者の主張は次の通りである(控訴理由書26~28頁)。

ア、日本の生活保護制度は、資産や能力等すべてを活用してもなお生活に困窮する人に対し、困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障し、その自立を助長する制度であり、「国民の権利」である。

イ、一方、日本の生活保護の捕捉率は、2018年の厚生労働省発表資料によれば所得が生活保護基準を下回っている世帯のうち22.9%しか生活保護を利用しておらず、先進諸国と比較して極めて低く、生活保護を受給する資格があったとしても約8割の人が受給できていない状況にある。
その理由として、第1に、生活保護の利用についての「死んでも福祉の世話にはなりたくない」「生活保護は恥」などの「スティグマ」(負の烙印、偏見)が強く、制度に対する強い忌避感を示す人が多いことが挙げられる。第2に、開始時の資産要件が厳格であること(現行最低生活費1か月分以下でなければ申請できない)、自動車保有や保険契約の保有要件が厳格であること、原則として扶養照会がなされるため親族に自己の困窮状況が知られることなどから経済的にも心理的にも利用のハードルが高いことが挙げられる。第3に、生活保護の申請窓口である多くの福祉事務所では恒常的に「水際作戦[1]」が展開されていることも挙げられる。

ウ、加えて、福島原発事故に特有の事情として次のことがあげられる。県外避難者の多くは避難生活を続けることで、「いつまでも放射能を気にしている神経質な人」などと周囲や親族などから揶揄されるなど家族との軋轢を生んだ。生活保護を申請すれば福島の親族に連絡されるかもしれないという恐怖と新たな軋轢。生活保護水準ではないが新たな住まいに必要な敷金、礼金などの入居費用の貯蓄余裕がない。生活保護を受けるためには子どもの保険解約や車両売却を求められるなど、これらの事情により避難者が生活保護利用を躊躇するのは当然である。

エ、さらに、唯一の給付制度である「住居確保給付金」にしても、避難者にとってこれは普遍的な住宅手当(家賃補助)となっていない。離職・廃業から2年以内または休業等により収入が減少し、住居を失うおそれがある人に限定されていることから多くの避難者にとって適用外であるからである。しかも、住居確保給付金は、一定金額以下の家賃が最大でも9ヶ月間給付されるだけであり、転居のための初期費用(敷金・仲介手数料等)は給付の対象外である。

オ、従って、原判決のように、原発事故被害者である避難者に居住継続が認められず立退きなったとしても生活保護制度があるからこれを活用すれば問題ないという態度は、以上の日本の生活保護の実態に全く無知の唐人の寝言の類であり、とうてい是認できない。

原判決は《その他の社会保障制度によっても補完しうるもの》と判示するが、ではいったい他にどのような社会保障制度があるのか具体的に説明する責任があるのにそれを果たしていないのは無責任極まりない。

カ、同様に、原判決は《本件各建物を明け渡すことにより、被告らは、福島県に帰還する以外にも、社会通念上選択可能な複数の方策が存在するといえるから、福島県への帰還を強制しようとする目的によるものとは認められない。》(24頁10~12行目。下線は控訴人代理人)と判示するが、ではいったいいかなる「社会通念上選択可能な複数の方策」が現実に存在するのかその中味を具体的に説明する責任があるのに、ここでもそれを何も果たしていないのは無責任極まりない。


[1] 生活保護利用を抑制するために生活保護の申請をさせないことをいう。

 3、退去の強制執行が生んだ日本の悲劇ーー千葉県銚子市・県営住宅追い出し母子心中事件ーー

以下、控訴理由書28~29頁より。
実際にも公営住宅から明け渡しを求められながら、生活保護を利用できなかったために痛ましい事件が発生している。

 それは、母子二人世帯が家賃滞納を理由に千葉県営住宅から明け渡しを求められた際に、「家を失ったら生きていけない」と考えた母親が娘を殺して自分も死のうと考えて、明け渡しの強制執行の当日に娘を殺してしまったが自分は死にきれなかったという、2014年9月24日に発生した事件である。

 この母親も生活保護の窓口に行ったが、福祉事務所では生活保護制度について十分な聞き取りもされず、申請意思の確認も申請についての援助や助言も受けられなかった。母親との面接記録では、「扶養義務者の状況」や「収入状況」、「勤労収入」など、生活保護の受給に必要な要件についての記入がなく、福祉事務所は具体的な聞き取りをしていないことが判明している。

 十分な聞き取りをしていなかったにもかかわらず、面接記録には「申請意思は無し」などと記載されていた。生活に困っているからこそ相談に来たにもかかわらず、福祉事務所はその意図をまったく汲み取らず、制度の説明をしただけで母親との面談を終了してしまったのである。

 生活保護の相談においては「相談者の状況を把握したうえで、他法他施策の活用等についての助言を適切に行うとともに生活保護制度の仕組みについて十分な説明を行い、保護申請の意思を確認すること」とされている(厚生労働省社会・援護局長通知第9・1)。しかし、実際の現場では保護審申請意思の確認や申請についての援助や助言をされていないことがほとんどである。

 裁判でも、保護実施機関には「生活保護制度を利用できるかについて相談する者に対し、その状況を把握した上で、利用できる制度の仕組について十分な説明をし、適切な助言を行う助言・教示義務、必要に応じて保護申請の意思の確認の措置を取る申請意思確認義務、申請を援助指導する申請援助義務(助言、確認、援助義務)が存する」とし、生活保護申請を援助する義務があるのにこれを怠ったこと(不作為)について、国家賠償請求法上の違法を認めている(福岡地裁小倉支部平成23年3月29日判決)

 制度としては生活保護があるとしても、生活保護の制度は一般には理解しがたいものであり(インターネット上には生活保護制度についての虚偽の情報があふれていることは周知の事実である)、実際には福祉事務所からの適切な援助や助言がなければ生活保護を申請すること自体が困難なのが実態であり、千葉県県営住宅での悲劇のような事件も生じているのである。

 生活保護があるから、明け渡しても構わないという福島地裁判決の発想はあまりにも現実を無視したものと言わざるを得ない。

4、結論

 以上の通り、福島地裁判決は、日本の生活保護の現実から遊離し、ひとり裁判官の頭の中でのみ存在しうる観念上の想定の中で考えて判断を下したものにほかならず、かつて薬局距離制限違憲判決(最大昭和50年4月30日)が《単なる観念上の想定にすぎず、確実な根拠に基づく合理的な判断とは認めがたい》と批判した独断的判断の典型である。日本の生活保護の現実を知る者にとって、この福島地裁判決は到底容認できない暴論であり、これだけでもこの判決は破棄されて然るべきものです。

判決に対する以上のような深刻重大な批判があることを重々承知の上で、福島県は、この暴論判決を錦の御旗にして、今回の強制執行に及んだものです。それは、毒を喰らわば皿までと言わんばかりのふてぶてしい振舞いです。福島県の責任は途方もなく重い。

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