1、これまでの経緯
2011年に福島県の強制避難区域外から東京東雲の国家公務員宿舎に避難した自主避難者ーーその人たちは国際法上「国内避難民」と呼ばれるーーに対して、2020年3月、福島県は彼らに提供した宿舎から出て行けと明渡しを求める裁判を起こした。通称、避難者追出し訴訟。
それは「民破れて官栄えり」「弱きをくじき、強きを助ける」を求める訴訟であり、訴えられた被告2名は、原発事故により発生した国内避難民の居住権問題について、世界の常識(国際人権法)でもって日本の非常識(避難者追出し)を裁く、世界で最初の人権裁判であることを、21世紀の「人間裁判」であることを第1回期日から一貫して主張してきた(その詳細は以下)。
5.14世界の常識(国際人権法)でもって日本の非常識(避難者追出し)を裁く「避難者追出し訴訟」第1回口頭弁論の報告(2021.5.18)
しかし、裁判所は一審も二審も、被告らの切実な声に真摯に耳を傾ける姿勢が皆無だった、まるで原告福島県の代理人ではないかと見まがうほどの偏った訴訟指揮だった(そのひどさを報告した以下を参照)。
◆ 一審(審理打切り)
緊急裁判速報:追出し裁判の福島地裁、次回期日(7月26日)で審理打切りを通告。避難先住宅ばかりか裁判所からも追出される避難者。これは居住権と裁判を受ける権利の二重の人権侵害である(2022.7.20)。
追出し裁判で、まともな審理を何一つしないまま審理終結を強行し、10月27日判決言渡しを通告してきた福島地裁に弁論再開を申立て、再考を求めたが本日まで何の対応もなかったので、やむなく担当裁判官に対する忌避の申立に及んだ(2022.10.25)
◆ 二審(一発結審)
抗議アクション(その1)7月10日第1回弁論だけで審理終結した、避難者追出し裁判の仙台高裁第3民事部に、弁論再開の申立書を提出(23.7.26)
7月10日第1回弁論だけで審理終結した、避難者追出し裁判の仙台高裁第3民事部の1月15日判決に対する弁護団の声明(2024.1.17)
訴えた原告の福島県ばかりか裁判を担当した裁判所からも迫害された被告避難者らは、「人権の最後の砦」とされる最高裁に上告。本年4月、上告理由書等を最高裁に提出(その報告は以下)。
一昨日、避難者追出し裁判の総決算の書面(上告理由書等)を最高裁判所宛に提出(24.4.20)
2、最高裁への要請行動
一昨日の12月19日、上告人らは最高裁を訪れ、私たちの思いを真摯に受け止めて審理して欲しいという要請行動を実施。
以下は、その際、最高裁で読み上げ、提出した弁護団柳原敏夫作成の「最高裁に望むこと」を翌日12月20日、官邸前で再度読み上げた動画。その下が、文書の全文(PDFは>こちら)。
令和6年(オ)第808号 令和6年(受)第1046号
最高裁に望むこと
上告人ら代理人 弁護士 柳原敏夫
誰がために司法はあるのか
今から7年前、福島から自主避難したひとりの母親が自死しました(別紙資料参照)。この方は先月30日、第二小法廷で決定が出た「子ども脱被ばく裁判」の元原告でした。
彼女の訃報に接したとき、もし原発事故から命、健康、暮らしを守る救済法があったなら、彼女は死なずに済んだと思いました。彼女もまた、本裁判の被告(上告人)らと同様、福島原発事故のあと政府が勝手に線引きした強制避難区域の網から漏れ、谷間に落ちた人です。本人には何の責任もないのに、たまたま谷間に落ちてしまった人です。その結果、救済されない中、「命をかけて子どもを守る」と決断して自主避難を選択し努力してきましたが、とうとう力尽きてしまったのです。
司法とは、旧優生保護法を違憲とした今年7月3日の最高裁判決がみずから模範を示したように、立法的な解決が図られず人権侵害が放置されたとき、そこで「さ迷い苦しみの中にいるこの母親のような市民」を救うためにあるのではないでしょうか。311以来、さ迷い苦しんできた点では本裁判の被告(上告人)らも全く同様なのです。
法律がないことは救済しない言い訳にはならない
もし今、半世紀前の公害国会で制定された公害対策基本法などに相当する原発事故の救済法があったなら、本裁判の被告(上告人)らは被告席に座らされることはありませんでした。
けれども、たとえ、そのような立法的解決がなくても、なお救われる道はあるのだということを今回、知りました。それが、性同一性障害特例法を違憲とした昨年10月25日最高裁決定です。
この最高裁決定が遠慮深く示したエッセンスをズカッと言えば、それは法律の上位規範である国際人権法に照らし、これと適合するように日本の法律は解釈もしくは補充されなければならないということでした。つまり、福島原発事故のように既存の法体系が予想していなかった紛争(事態)が発生し、その救済のために必要な立法が用意されていない場合でも、司法は、この「法の欠缺」状態に対し、法律の上位規範である国際人権法に使って、「欠缺の補充」をすることが出来るし、しなければならない。つまり、原発事故の自主避難者を救済する法律が制定されていないことが司法が彼らを救済しない言い訳にはならない。
これが昨年10月25日最高裁決定によって示されたのです。
今こそ法律の原点に戻るとき
私たちの社会が既存の法体系の想定していなかった未曾有の困難に直面したとき、法律は何をなすべきか。それは法律の原点に戻ることです。公害問題が未曾有の困難な状態にあった33年前の1981年12月16日、大阪国際空港公害訴訟最高裁判決で団藤重光裁判官が次の少数意見を述べました。
「本件のような大規模の公害訴訟には、在来の実体法ないし訴訟法の解釈運用によっては解決することの困難な多くの新しい問題が含まれている。新しい酒は新しい革袋に盛られなければならない。本来ならば、それは新しい立法的措置に待つべきものが多々あるであろう。」
しかし、諸事情によりその立法的措置が果たされない場合には、その時こそ裁判所の出番であると次の通り締めくくりました。
「法は生き物であり、社会の発展に応じて、展開して行くべき性質のものである。法が社会的適応性を失つたときは、死物と化する。法につねに活力を与えて行くのは、裁判所の使命でなければならない。」(33~34頁)
すなわち、社会的変動やカタストロフィーによって「法の欠缺」状態が発生したにもかかわらず、立法的解決が図られず、放置されている場合には、その時こそ司法が積極的に問題解決に乗り出す番である、と。そして、その積極的に問題解決を図るキーワードが、近年、最高裁がみずから模範を垂れた数々の違憲判決で示した国際人権法というキーワードです。本裁判もまた、最高裁がみずから示した国際人権法というキーワードを模範にして忠実に判断されるべきなのです。
ただし、世界に、原発事故から被災者の命、健康、暮らしを守る救済法の全貌をトータルに制定した国際人権法はありません。法律もまだ1つしかありません。1986年のチェルノブイリ原発事故の経験から生まれたいわゆるチェルノブイリ法だけです。
国際人権法だけでは原発事故の救済をリアルに具体的に考えることは困難です。日本社会が311で初めて直面し、それまで考えたこともなかった問題「原発事故の救済はどうあるべきかを原発事故の全貌に即してトータルに考察すること」、その問題を解くためにはチェルノブイリ法を参照することが不可欠なのです。
この意味で、チェルノブイリ法が原発事故から被災者の命、健康、暮らしを守る救済法を考えるための原点です。つまりチェルノブイリ法を参照することによって、原発事故の救済はどうあるべきかという救済法の全貌が初めて明確になるのです。そのビジョンを分かりやすく示したのがブックレット「わたしたちは見ている」です。これを、本裁判の上告人らは本来、どのような救済を受けるべきかを考えるための重要な資料として添付します。
本裁判の真の当事者は子どもである
最後に、本裁判の本当の当事者は子どもたちです。たまたま彼らは子どもであるために本裁判の被告に指名されなかっただけで、福島原発事故後、子どもたちこそ被告と生死を分かち合ってきた、被告が一番守りたいと思った家族その人たちです。
最高裁は、本裁判の真の当事者である子どもたちが見ていることを決して忘れないで欲しい。これから最高裁が下す判断が、未来しかないこの子どもたちにとって、どのような意味が持つのかとくと考えて欲しい。
子どもたちがこれから生きていく上で、彼らに一生の希望を授けるのか、それとも一生のトラウマを与えるのかを自覚し、子どもたちに恥じない判断を下して欲しい。
そう切に願うものであります。
以 上
裁判所が本裁判に対し積極的な審理と判断に出るべきであることを説いた補充書と前日の要請行動で読み上げた上告人らのメッセージとチェルノブイリ法を解説したブックレット「わたしたちは見ている」を別冊資料として最高裁に提出した。
◆補充書(全文は>こちら)
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