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2026年11月1日日曜日

【第191-2話】つぶやき:今日、市民のつどい「2026団結まつり」でのスピーチに対する聴衆のリアクション(26.11.1)

これは私のつぶやき。
今日、亀戸中央公園でやった市民のつどい「2026団結まつり」で、
原発事故避難者の住宅追出し裁判の最近の2つの判決について喋って欲しいと言われ、喋った。

会場に行ってみて、311から15年経過して、311直後とは勿論のこと、2010年代の雰囲気とも違う、一瞬、別世界に入ったような錯覚に襲われた。これだけ異次元の世界で果して自分の話が通じるのか、正直、さっぱり自信が持てなくなった。

ただし、その1週間前、郡山市で小出裕章さんをお招きして、チェルノブイリ法日本版の対話集会をやったので、その体験からずっと「対話」についてあれこれ考えていた。この時は、以下のことを意識した。
この間、
避難者住宅追出し裁判と取り組んできて、ずっと「裁判官との対話」に励んできた。しかし、この日のスピーチを考えていて、この間の「裁判官との対話」に比べ、「市民との対話」については殆ど何もやってこないにひとしい無為無策だったことを思い知らされた。それで、自省の末、まず、この間励んできた「裁判官との対話」の意味を、市民にも分かるように語ろうと思った。しかし、そのためには、ただ、「裁判官との対話」を噛み砕いても通じないだろう。そのために不可欠なことは、市民の間で流布している俗流の偏見を打破(否定・批判)することが不可欠で、この偏見の打破(否定・批判=否定弁証法)をくぐり抜けて初めて「市民との対話」が成り立つことを実行するしかないと。

そのような意識で、今日の2回目のスピーチ(ただし、持ち時間は4分)で、原発事故避難者の住宅追出し裁判で2つの正反対の判決(本年1.9最高裁判決三浦意見、10.26東京地裁判決) が出たことの意味を次のように語ろうとした。

ーー
原発事故避難者の住宅追出しをめぐって、追出しを決定した内堀福島県知事決定を遺法と判断した本年1.9最高裁判決三浦意見と、正反対に、内堀決定を適法と判断した1週間前の10.26東京地裁判決が対立・並存する一種の二重権力状態が発生したとき、そのような状態の行方を決めるのにどうしたらいいか。それは簡単です。市民が決めればよい。そのようなとき、行方を決めるのは本来私たち市民だからです。最高裁もそう言っています。いかなる形態の結婚が認められるべきか、それを決めるのは裁判所でも国会でもない、国民の声・意識だと。なぜなら主権者は私たち国民だからです。

すると、それまで静かに聴いていた聴衆から拍手が起きた。それは思いがけなかったリアクションだった。主権者である市民に、あなたたちこそ国政の重要問題を決定する最高の国家機関なのだという当たり前の国民主権の原理を、このように具体的な形で自信をもって人々の前に示したとき、それまでボンヤリとしていた聴衆の人々から熱い拍手が起こった。このリアクションを経験し、人々は主権者として振舞いたがっている、行動したがっている、一見、人々が静かでおとなしいのは、主権者としてどう振舞ってよいのか、そのアクションの仕方が分からないからなんだと思った。すると、私たちの努力は、市民が主権者としてどうアクションしたらよいか、そのアクションの仕方を具体的に分かりやすく示すことにかかっている。それをしないで、ただボヤいていても始まらない。そう思い直した。 

口では「対話」「対話」と言って来たが、これまで必死にやってきたのは「裁判官との対話」しかしてこなかった。今日、初めて本気になって「市民との対話」の呼びかけに挑戦してみて、これに対する市民からのリアクションを体験させて貰い、本当にささやかだけれど、とても大切な自信を授かった。私はこの貴重な体験を手放すまい、何度でも反芻しようと思った。

【第191話】原発事故避難者の住宅追出し裁判の2つの判決(本年1.9最高裁判決三浦意見、10.26東京地裁判決)について(26.11.1)

 今日、亀戸中央公園でやった市民のつどい「2026団結まつり」で、原発事故避難者の住宅追出し裁判の2つの判決(本年1.9最高裁判決三浦意見、10.26東京地裁判決)について話をして欲しいと言われ、しました。
まず、すぐ下は備忘録。次の、
***の下が用意した原稿。
今まで「裁判官との対話」に励んできた。今ここで必要なのは、対話を「市民との対話」に拡大すること。
そこで、この間励んできた「裁判官との対話」の意味を、市民にも分かるように語ること。
そのために肝心なことは、市民の間で流布している俗流の偏見を打破(否定・批判)することが不可欠。この打破(否定・批判=否定弁証法)をくぐり抜けて初めて「市民との対話」が成り立つ。

  *****************

1、自己紹介
私はもともと著作権を専門にやってきた「保守本流の法律家」であって、いわゆる左翼とかリベラルの法律家ではありません。

 他方、そもそも国会や政府の議員や行政マン以外になぜ法律家がいるのか。それは彼らがきちんと法律を守って仕事をしているか、それをチェックするためです。「法治国家」「法による統治」がきちんとやられているか、これを監視する仕事。これをするのが「保守本流の法律家」の仕事です。
そして、その「法」の中で最も重要なのが正義で、それを具体的に示したのが人権です。つまり、
法律家の使命は議員や行政マンが人権を守って仕事をしているか、それをチェックすることで、そして人権の中でもいのち、とりわけ子どものいのちを最優先に考えるのが「保守本流の法律家」です。

 2年前の正月、私はこの本(泉徳治元最高裁判事「一歩前に出る司法」)を読み、58年間を振り返り、自分が法律家として失格だと気がつき、それで保守本流の法律家になろうと決意し、それで書いたのが避難者追い出し裁判の最高裁に対する上告受理申立理由書でした(>その報告)。
つまり、司法とは国会や政府の政治・政策がいいか悪いかを判断するところではないのです。司法がやるのは国会や政府の仕事が人権侵害をしていないかをチェックすることです、だから、ひらすらこの人権の観点から、2017年3月をもって避難者に対する応急仮設住宅の提供を打ち切った内堀福島県知事の決定は人権侵害をもたらすものかどうかを審査して欲しいと訴えました。その際に、内堀知事の決定が遺法かどうかは、原発推進、反対などの政治政策問題とは全く関係のないあくまでも人権問題であることを強調しました。

 そしたら、その呼びかけに正面から応答して内堀知事の決定は遺法だと判断した最高裁判事が出ました。今年1月9日の最高裁判決の裁判長をやった三浦守さんです(>その速報)。

2、最高裁三浦判事との対話の成立

 三浦守さんもまたいわゆる左翼でもリベラルでもない、保守本流の法律家です。第一、彼は現在、最も悪名高い職業と言われる検事出身です。
 もし彼に向かって、日本の原発政策はおかしいと政治政策問題とからめて、内堀知事の決定は遺法であると訴えたら、おそらく彼は応答しなかったつまり我々の訴えは却下されたと思います。しかし、人権問題とりわけ避難者の命、健康、暮らしという人権の保守本流に絞って訴えたので、保守本流の法律家である三浦判事は自分の信念に照らし応答しないではおれなかったんだと思う。

 判決というのは法律で組み立てられている文章ですから、法律特有のもって回った難しい言い方をしていますが、しかし、その本音は至って単純なもので、この紛争・事件をどのような観点から解決するのか、そこで勝負は決まります。私は三浦判事の保守本流の法律家としての信念に焦点を当てて、そこにボールを投げることに集中した。つまり、原発事故というのはそれまでの自然災害とは桁違いの過酷事故で、放射能に私たち人間は勝てない、だから避難することが命、健康を守るための最大の防御で、その結果、かつて経験した事のないような避難生活の中で生活再建することはひとりひとりの生活の実情を踏まえた大変な事業であり、従って、避難者の住む応急仮設住宅の提供の打切りについても、ひとりひとりの避難者の実情をつぶさにヒアリングして調査した上で判断しなくてはいけない、それが避難者の人権保障の基本だろう。だから、個々の避難者からのヒアリングもせずに一律に打ち切りを決めた内堀知事の決定は人権に対する重大な侵害であり、遺法と言わざるを得ない、そう主張した、そしたら、その通りだと証明(応答)してくれたのが最高裁三浦判事の意見でした。

3、これに対する批判
 しかし、世の中には必ずこう言う人がいます――三浦意見がたとえどんな素晴らしい意見であっても所詮、少数意見。負けたことには変わりないと。
その通りです。だが、人権運動はいつも少数者の声から始まりまする。多数意見から始まることはありません。公民権運動もアラバマ州のひとりの女性(ローザ・パークス)のノーという行動から始まりました。
国政選挙のたびの提訴されるお馴染みの議員定数是正訴訟、この裁判は最初、橋にも棒にもかからない、全員一致で門前払いされたカスみたいな裁判でした。だが、その迫害にめげずに「真実のつぶやきはやむことがない」を実行する中から、やがて、ひとり、ふたりと少数意見が出現するようになり、やがてそれが次第に多数意見を形成するようになって、ついにかつての門前払いの多数意見は消滅してしまった。つまり、司法における人権実現とは関が原の決戦のように一発勝負で決まるものではなく、もともと倦まずたゆまず、一歩ずつ前進していくほかない「終わりのない漸進」運動なのです。

311のあと、福島原発事故について日本政府の人権侵害を指摘する国はいなかった。そして、私たちは2012年10月のUPR(普遍的定期的審査)の前にサイドイベントで日本政府の人権侵害を訴えた。そしたら、たった一カ国だったけれどオーストリアから「福島の住民を放射能の危険から守るためのすべての方策をとる」よう求める勧告が出された。そしたら、その後UPRが開催されるたびに、福島原発事故について日本政府に人権侵害のないように求める勧告の数がジワジワと、次は4カ国、その次は16カ国と増えていった。最初の一歩はいつも少数者の声で始まる。その最初の一歩のオーストリアの勧告を引き出した2012年のサイドイベントの試みは意味があったのです。

4、10月26日の住まいの権利裁判の判決

三浦意見は311以後に初めて出現した画期的な判決です。つまり、原発事故は百年続く人災です。その「百年の悲劇」と決別して真の復興に向かうため、今まで書かれたことのなかった原発事故の救済のあり方を最高裁判決に書き込んだもので、これは福島原発事故を小さく見せ、なかったことにしようとしてきた政府・原子力ムラに衝撃を与えました。つまり、彼らは、このあと、二度とこんな判決が出ないように徹底した反撃に出る決意をした。それが10月26日の住まいの権利裁判の判決。もしこれが何らかの「保守本流の法律家」の信念に出たものなら、こんなスカスカな判決は書けない。ここには己の信念のカケラもない、こういう結論で書けと押し付けられて、それで嫌々ながら書いているのが明々白々の判決です。なぜなら、肝心の判決理由は重要争点(国際法の間接適用)をスルーして、重要な理由付け(法の欠缺、国際法の直接適用)もスルー、重要な理由付け(裁量権の逸脱濫用の有無)もおおざっぱ極まりない。
つまり、裁判官は権力者だから、自分の思うとおりの結論は書ける。しかし、その理由付けは私たちが主張した理由にはひとつも答えられなかった、その意味で実質の中身は敗北した。
つまり、この判決は裁判所の腰砕け判決、張りぼて判決。
そこで問題は、これにどう対処したらいいか。

5、今、私たち市民ができること

裁判所が信念を喪失している時、どうしたらいいか、それは簡単です。私たち市民が信念を示すだけです。それしかありません。現に最高裁がそう言っています。いかなる形態の結婚が認められるべきか、それを決めるのは裁判所でも国会でもない、国民の声・意識だと。なぜなら主権者は国民だからです。
だから、今、原発事故の救済はどうあるべきか、という311以後初めて日本社会に登場したこの最重要問題の解決策を示す最後の切り札は私たち市民の手にあります。
判決で大事なことは、誰が判決を書いたかではなく、何が判決に書き込まれているかです。そのような意識をもって、三浦意見がどのように正義にかなった普遍的な判断を示しているかどうか、それを考えながら読み込んで欲しい。そして、三浦意見の中で賛同できるところは、これを市民の宝物として共有して行きたいし、行くべきだと思います。
このようにして
三浦意見に表明された考えが広く市民に支持されて初めて、その本来の価値を発揮するようになります。その意味で、三浦意見を生かすも殺すも、それは私たち市民の手に掛かっています。今日、そのことを訴えたいと思います。

 

2026年10月27日火曜日

【第190-2話】法律問題の解に絶対という正解はない。重要なのはその「証明」とそれを支持する市民の声(26.10.27)

以下、昨日言渡しがあった原発事故避難者の住まいの権利裁判の判決の報告について、感想を寄せてくれたOさんとの対話。

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Oさん、早速にコメント、ありがとうございました。
チェルノブイリ法日本版の皆さんにお知らせするのがあとになってしまいましたが、昨日、東京地裁で、避難者住まいの権利裁判の判決言渡しがありました。以下がその判決全文と私のコメントです。

本日言渡しの住まいの権利裁判一審判決は賛同であれ批判であれ三浦意見に何一つ言及せず、徹底した争点整理案で原告が示した理由付きの論点に対し論点をスルー(国際法の間接適用)、反対理由をスルー(法の欠缺の有無、国際法の直接適用)して結論を引き出した「ゴミ屋敷判決」(26.10.26)

これが日本版とどう関係するの?と思われる方がおられるかもしれませんが、この判決は日本版のような立法は必要ないし、認めないと宣言したにひとしい判決です。運動としてみればアンチ日本版の運動です。

昨日、判決のコメントを書いていて、もう少し議論の精度をあげたいと思い、以下に補足します。
私が言いたかったことは、
「法律問題の解に絶対という正解はない。重要なのはその「証明」とそれを支持する市民の声」
昨日、判決を通読して思ったことは、その中身以上に、その形式、構成のズサンさでした。というのは、もともと法律問題の解に絶対という正解はないからです。「人を殺すな」という法律問題ですら絶対の正解はありません、その例外が認められています。もし相手が自分を殺そうとしたとき、それを防ぐためにやむなくその相手を殺してしまった場合の正当防衛のときです。
だったら、何が重要なのか。それは法律問題で採用した解(結論)に至る理由=証明です。もし証明が我々の理解、共感を得られるだけの説得力を持ちえるのあれば、そのような結論(正当防衛による殺人)も是認できる(或いは、是認せざるを得ない)。

Oさんは理系の人だから、数学の例で言えば、普通だったら「2本の平行線は交わらない」と考えて幾何学(
ユークリッド幾何学)が作られていますが、これに対し「2本の平行線は交わる」という反対の立場でも立派に幾何学が成立します。ただし、その非ユークリッド幾何学もしっかり論証(証明)がされています。普通だったら1+1=2ですが、それは唯一絶対ではない。1+1=1もまた成立します、無限集合の世界においては。それもまた、論証(証明)されています。
法律問題も同様です。証明されてナンボの世界です。そして、国家機関の中で、なんで、わざわざ立法や行政のほかに司法が設けられたか。それは司法では単に結論を出せばいいで済まなくて(それだけだったら行政や立法だけで足りる)、その理由を示すことつまり証明することが求められるからです。その証明によって権力の暴走を防止し、人権を守ろうとしたのです。だから、もし司法が証明を放棄したら、そのとき、司法は暴走し、人権侵害を是認する権力のイヌに成り下がります。
それが昨日の判決の正体だったのです。それを証明するのが私の昨日のコメントでした。
というのは、2019年3月に福島県が避難者の追い出し裁判を福島地裁に提訴して以来(昨日の裁判に先行した「避難者追出し裁判」)、
避難者追出しをめぐる法律問題を何度も吟味検討する時間を与えられ、その中で、避難者追出しを決定した内堀県知事決定が遺法であることを証明する論証方法を積み上げて、ほぼ反論の余地のない形にまで仕上げてきました。つまり、私たちが提出した主張のロジックに対し、裁判所がこれに反対を主張するロジックを封じ込めるまで詰めたと考えて準備しました。
そしたら、昨日の判決で裁判所が採用したロジックは、その最たるものは
私たちが提出した法律問題(国際人権法の間接適用)そのものを無視・スルーしました。言ってみれば、殺人事件で弁護人が「正当防衛」の主張をしているのに、その主張自体を無視・スルーするようなものです。これができるんなら、どんな結論でも可能です、裁判所が自分に不利だと思う法律問題を握り潰すのですから。
その上、
私たちが提出した「証明」(法の欠缺、国際人権法の直接適用)は無視・スルーしました。無視して何をしたかというと、福島県の主張した「結論」だけをそのまま採用しました。裁判所が気に入っている結論だけを示して、それで一丁あがりで済むんだったら、司法は要らない。理由を示して、その結論が導かれる過程を「証明」して初めて「司法」の存在理由があるからです。Oさんの理系の世界で「仮説」を立てて、その「証明」を何もしなかったら、出直してこいと呆れ返られると思いますが、それと同じことを昨日の判決はやったのです。
その上で、かろうじて
私たちが提出した「証明」に反論している部分(内堀県知事の決定の裁量権の逸脱・濫用)にしても、その反論のロジックたるや、雑、雑。こんな雑駁なロジックでこちらの提出したロジックを否定できると果たして本気で考えているのか、単に、一応、反論したからね、だけの格好をつけているだけじゃないかというレベルです(やや専門的になりますが)。

ともあれ、昨日の判決を読んで、あの温厚な井戸さんすら「呆れ果てる」と言いました。しかし、法律家がそう思ったところで、裁判所は屁でもないのです。司法が最も恐れるのは
市民です、市民だけです。それも、市民が判決の結論に怒る、呆れるだけでなく、判決の理由付けがバカバカしくて、ペテン、インチキだということが市民に見抜かれてしまうことを最も恐れています。司法が内部で自己崩壊していることを見抜かれてしまい、司法への信頼が失われてしまうからです。
だからこそ、昨日の判決がペテン、インチキのゴミ屋敷判決だということをひとりでも多くの市民が合点し、これは本当にまずい、「人権の最後の砦」の司法が「ペテン、インチキ、ゴミ屋敷の最後の砦」になってしまうのはヤバイぞ!」と市民が認識するように、皆さんから周りの市民に訴えて頂きたいと強く願います。

Subject: Re: [De-exposure:6957] 本日言渡しの原発事故避難者住まいの権利裁判一審判決
Date: Tue, 27 Oct 2026 07:36:04 +0900
From: O




柳原さん
みなさん
        O・Y

 この判決を知って思うことは、
事故を起こした被告が生活の場を奪われてつらい生活を強いられている原告に家賃の支払いを命ずる判決は納得がいきませんし、
次に起こるであろう原発事故にもこの判決が影響しますので、これを何とかしなくてはなりません。
 こうした判決になるのは、権利や資本を持つ者ほど有利な立場に立てる資本主義社会の欠点が表面化しているのだと思っています。
これで思い出すのが、原宿に職場を持つ友人に「不動産物件が高騰しているので原宿で賃貸の不動産を持つ人は何も働かなくても裕福な生活ができて良いですね」と言いましたら「そうなのですよ、裕福な生活をしています」と言い、
続けて「ただ、子供が育たないのですよ!」と資本主義の欠点の片鱗を補足してくれた事です。

人が生物として生まれてきたのは、次の世代に命をつなぐことが最大のミッションであり、それ以外は「他人に迷惑をかけない限り何をしても良い」と思っています。
もちろんクリエイティブであればあるほど良いのですが、たとえ原発事故で転居を強いられて開始した生活や仕事であっても、その中で自分が望む事ができる余裕があれば、楽しみもあり希望も持てる生活ができるはずです。
そうした希望が持てる生活環境が存在すれば、このような辛く面倒な裁判は起こさずに、強制的な転居に伴う損害賠償請求だけはして、さっさと転居できるはずです。
この生活環境が柳原さんの言う「各地に設ける協同組合」ではないかと思い、その必要性を感じます。

【第190話】(続報)本日言渡しの住まいの権利裁判一審判決は賛同であれ批判であれ三浦意見に何一つ言及せず、徹底した争点整理案で原告が示した理由付きの論点に対し論点をスルー(国際法の間接適用)、反対理由をスルー(法の欠缺の有無、国際法の直接適用)して結論を引き出した「ゴミ屋敷判決」(26.10.26)

◆判決後の報告集会の動画>こちら
 冒頭に、判決が応急仮設住宅の明渡しについて仮執行宣言をつけたこと(直ちに強制執行できること)の残忍酷薄さについて井戸さんから解説しています。
◆判決に対する弁護団声明>こちら

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本日(2026年10月26日)、東京地裁住まいの権利裁判の一審判決の言渡し日。
本年6月10日の弁論終結から4ヶ月16日間の長い時間をかけての判決だった。
しかし、いざフタを開けてみると、1分未満の主文の朗読だけで、らかじめ原告から裁判所に「判決理由の要旨の朗読」を要請していたにもかかわらず、それもなし。怒号の中をさっさと消えていった。そのあともらった判決文、そこで中身の話以前に、判決が備えるべき最低の形式の不備・破綻という点で支離滅裂、声を失う。
今日の判決文で8つの争点に対して判断の理由を示した部分は17頁。各争点について平均2頁しか割いていない。最大の内堀決定の違法性についてさえ4頁未満。
その上、原告主張の集大成である最終準備書面(1)で散々強調した本年1月9日言渡しの避難者追い出し裁判最高裁判決の三浦意見(>その報告)に対して、好意的であれ批判的であれ、とにかく何かしらの言及があるかと思いきや、一言もなし。
そもそも紛争の構造の全的な解剖に成功したとき、それはその紛争が終焉に近づいたこと、つまり紛争の真の解決の証(あかし)を示せたことを意味する。そのような観点から、本件紛争の構造の全的な解剖をめざして、前任の裁判長のもとで原告主導で進められてきた、内堀決定の違法性についての全面的な争点整理案(>24年7月15日版)。その中で原告が徹底的に強調した「法の欠缺」と「国際法の直接適用」「国際法の間接適用」の論点についてだ。これに対し、この日の判決は、
第1に「国際法の間接適用」の論点は取り上げない(無視。なぜなら、国際法の間接適用は被告福島県も争わず、そこでもしこの論点を取り上げたら原告主張を退けることが不可能になる。じゃあどうする、だったら無視すりゃあいいと)。
第2に、「法の欠缺」と「国際法の直接適用」については原告の示した理由に対する応答(これを採用できない理由の開示)をしないで、単に結論を述べるだけ(「法の欠缺状態にあったとはいえない」36頁8~9行目)、もしくは、単に被告福島県の主張をコピペするだけ(国際法の直接適用について36頁9~21行目。判決の理由はどこに行った?責任者はどこだ?)。
第3に、原告は仮に「法の欠缺」が認められない場合に備えて、その場合でも原告の居住権が認められることを以下の通り主張したが、判決はこれにも応答しなかった(これが「国際法の間接適用」の主張の1つ)。
《仮に百歩譲って「法の欠缺」を認めることができないとしても、本来、災害救助法等の適用に当たっては上記規範(憲法、国際人権法など)に適合するように解釈する必要があるから(序列論)、災害救助法施行令第3条第2項の「救助の適切な実施が困難な場合」の解釈[1]にあたっても上位規範である社会権規約11条1項の「適切な住居」に適合するよう解釈される必要がある。この上位規範適合解釈の結果、同条項の解釈において原告らに「国内避難民に保障された居住権」が保障されていることが認められる》(25年11月10日付準備書面(26)2頁。訴状第1、6、(1)、ア〔6~8頁〕、同第3、4〔40~41頁〕)

こんなスカスカの判決だったら1週間もあれば書ける。残りの4ヶ月以上、いったい何をしていたのか。
もともと司法の存在理由は「証明」すること、つまり理由を明らかにすることにある。理由を示してナンボの世界が「司法」(>その理由)。それが理由を示さない、示せないなら、そんな判決を書いた裁判官は罷免するまでもなく自ら失格。それが今日の判決。つまり今日の判決に意義があるとしたら、それは裁判官失格を自ら証明したこと。一言で、311後のゴミ屋敷と化した日本社会を映し出した鏡、つまり「ゴミ屋敷判決」。

前置きが長くなったが、以下がその判決全文(ただし、当事者目録等の個人情報は除く)と本来なら判決が応答すべき原告の最終準備書面(1)と内堀決定の違法性についての争点整理案。
判決全文>PDF

◆原告の最終準備書面(1)>PDF

 その報告>こちら

◆内堀決定の違法性についての争点整理案

その報告>24年7月15日版
24年10月22日版。
「法の欠缺」が認められない場合の予備的主張を追記した25年11月10日版



2026年10月7日水曜日

【第189話】三浦少数意見の真価(進化)を再認識したジュネーブの弁慶との14年ぶりの再会(26.10.7)

1、2012年10月30日、スイス・ジュネーブ
夜明けのジュネーブ。透明に近いブルーの街中を宿泊先のホテルまで荷物を取りに戻る。今日、ジュネーブの国連人権委員会の建物で、翌31日開催の、日本政府の人権侵害状況を審査するUPR(普遍的定期的審査)に先立って実施される市民団体主催のサイドイベントで、「福島の現実を訴える」というテーマで以下のスケジュールでスピーチするためだ(>当時のブログ記事1。ブログ記事2)
  井戸川・双葉町町長(逐次通訳)>動画 
  フェルネックス博士(英語) 
  ビデオレター           
  福島の女子中学生の作文   
  柳原弁護士(英語)>動画

 ジュネーブ市長レミー・パガーニさん(>彼が寄せてくれたメッセージ)と


   写真をクリックすると動画が再生

フェルネックスさん>紹介記事

事前に日本語のスピーチ原稿と英訳を準備していた。ところが、前日に現地入りしたら、ボランティアの2人の通訳者(ひとりはチューリッヒ、もうひとりはロンドンからやってきた。私は彼らを「弁慶と牛若丸」と勝手に命名した)から「これでは全く通じない」と直言。そのため、前夜に一から英訳し直す羽目に。折角、寝心地よさそうなホテルを予約したのに、我々3人はホテルのラウンジで缶詰となり、英訳が完成した頃には夜が白み始めていた。
早朝、英訳が完成すると、2人はサイドイベントの司会兼福島の少女の手紙の代読のため会場に移動。私は、双葉町町長の井戸川さんとその日午前、ジュネーブ市長の表敬訪問の予定だが、表敬訪問している余裕はなかった。イベントの最後に登壇する私は、錆び付いた頭で英訳したばかりのホカホカの英文の発声練習を
直前までくり返した。
しかし、その奮闘努力の甲斐があったのか、(あとから動画を観て)本来なら徹夜でよれよれのはずの通訳の2人は素晴らしい司会と手紙の代読を行なった。私も2人のおかげで外国人に何とか意味が通じる英文でスピーチできた。
それまで国連ジュネーブ行きに半信半疑だった双葉町町長の井戸川さん(この話は私たちから彼に持ちかけて始まった)もこの日の取組みにすっかり満足し、その夜の慰労会では「私におごらせてほしい」と一同をねぎらい、大いに盛り上がった(イベントの詳細な文字起し>井戸川さんの分 それ以外の分)。
これは私にとって、世界に訴えに出た最初の体験だった。そして数日前、ジュネーブの恩人の通訳Sさんと、14年ぶりに都内の集会で再会した。

2、2012年8月24日、日本・東京財務省坂上
2012年10月のジュネーブから2ヶ月余り前、2012年8月24日の恒例の金曜アクション。私たち疎開裁判の関係者はいつもの通り、文科省前アクション、官邸前アクション、そして仕上げの財務省坂下アクションの3つをハシゴでやった(>この日の報告記事と動画)。その財務省坂下アクションをやっているところに外国人の一群がやってきた。

その外国人たちに向かって一生懸命通訳している人がいた。ところが、途中からこの人自身が、私たちの話に心を奪われたように熱心に耳をそばだて始めた。それがジュネーブの通訳Sさんとの出会いだった。この瞬間から、Sさんは疎開裁判の最も熱心な支援者となった。彼がスイスに帰国したあとも、ひんぱんにメールで情報交換した。
他方、この年の夏の官邸前アクションで声を掛けて来た、ロンドンから帰国中の若者がいた。「子どもたちを放射能から守る世界ネットワーク」の設立者のひとりで、情報誌「たんがら」の編集をしていた大学院生のHさん(彼の報告>こちら)。彼は小学生のとき、イジメに遭い不登校となり国外へ避難、オーストラリア、イギリスと渡り歩いてきた若者だった。万年不登校児の私は彼と話が合い、チューリッヒのSさん、ロンドンのHさんと3人でスカイプで情報交換を続け、2人が10月末の国連ジュネーブのサイドイベントにボランティアとして全面的に協力することを約束してくれた。
ジュネーブで彼らと過ごした数日間、ホテルのラウンジで3人で朝まで英訳作業の突貫工事をやった経験も、ジュネーブの公園の水道の蛇口をひねってうまそうにグイグイ飲み干すHさんの弁慶みたいな野生児の姿も、コピー用紙を求めて、ジュネーブ国連建物内でカギのかかっていない部屋を片っ端から開けてはくまなく探し回ったHさんの三無主義(無謀、無茶、無鉄砲)の姿も、私の脳裏に強烈に焼きついている。

2-2、2012年5月、東京(追記)
ジュネーブのサイドイベントにはもうひとりの主役がいる。ミッシェル・フェルネックスさん。スイスのバーゼル大学医学部名誉教授。彼は2012年5月、自費で来日。福島原発事故の健康被害の深刻さがいまだ理解されていないことを憂い、それを訴えに来た。疎開裁判の弁護団だった私にも会いたいと連絡があり、見も知らない彼と会った。どちらも母国語でない英語のやり取りで、正直、チンプンカンプンだった。けれど、彼が必死になって訴えていることだけは伝わり、彼の訴えを疎開裁判の新たな証拠として提出させてもらった(>その報告)。半年後、ジュネーブのUPRのサイドイベントに福島の現実を訴えに行くから、協力して欲しいと依頼のメールを送ったら、二つ返事で参加。彼の仲間も応援に駆けつけてくれた。
彼は自分から自慢話の類を一切しない人なので、のちになってから知るのだが、彼は暗殺未遂からフランスに逃亡したネステレンコさんの世話や獄中のパンダジェフスキーさんの出獄に尽力した人で、UPRの翌日に訪問したWHO前の「沈黙の見張番」の市民の人たちからも敬愛されていることが明瞭だったような仁徳者だった。私は生涯でも最も高潔な仁徳者の彼と出会うことが出来、ジュネーブのサイドイベントのスピーチの際、隣でじっと耳を澄ませて聞いてくれたフェルネックスさんに今なお支えられている。

      2001年6月、キエフのWHO後援の国際会議「チェルノブイリの惨事の医学的影響に関する国際会議」で、中嶋宏元WHO事務局長と(>その動画) 

3、2026年10月4日、東京

2026年10月4日、東京で住まいの権利裁判の判決前集会を開いた。そこにSさんはやってきた。14年ぶりの再会。彼の姿を見るなり、いきなり14年前の10月30日のジュネーブにワープした。彼はその時と殆ど変わらない姿だった。
この集会で、私は2026年1月9日に出た避難者追出し裁判の最高裁判決の三浦意見の画期的な意義について語った。そこで次のようなことも(手短に)語った。

世の中にはこう言う人がいるーー三浦意見がたとえどんな素晴らしい意見であろうとも所詮、少数意見。負けたことには変わりないと。
その通りである。だが、人権運動はいつも少数者の声から始まる。多数意見から始まることはない。公民権運動もアラバマ州のひとりの女性(ローザ・パークス)の行動から始まった。その少数の声が迫害にめげずに「真実のつぶやきはやむことがない」を実行する中から、やがて、さらにもうひとり、ふたりと声が出現するようになり、やがてそれが次第に多くの声を形成するようになっていく、それがジグザグで進む人権運動の歴史の実相だ。その意味で、最初の一歩はいつも少数者の声で始まる。問題はその声を私たちがどう受け止め、その声をどう広げていくかにかかっている。三浦意見を生かすも殺すもそれは彼からプレゼントされた私たち市民自身の手にかかっていると
(>その詳細)。

そのあと、私の脇に座ったSさんはこう言った。
311のあと、福島原発事故について日本政府の人権侵害を指摘する国はいなかった。そして、私たちが2012年10月のUPR(普遍的定期的審査)の前にサイドイベントで日本政府の人権侵害を訴えた。そしたら、たった一カ国だったけれどオーストリアから「福島の住民を放射能の危険から守るためのすべての方策をとる」よう求める勧告が出された(当時の首相は私たち疎開裁判の会に応援メッセージまで寄せてくれた>こちら)。そしたら、その後UPRが開催されるたびに、福島原発事故について日本政府に人権侵害のないように求める勧告の数がジワジワと、次は4カ国、その次は16カ国と増えていった。最初の一歩はいつも少数者の声で始まる。その最初の一歩のオーストリアの勧告を引き出した私たちのサイドイベントの試みは意味があった。

その言葉を聞き、再び、14年前、2012年10月のUPRのあと、地下鉄の電車の中でSさんと話したことが思い出された。この人はジグザグの歴史の歯車を動かすすべを知っている貴重な人だと思った。

         左向こうが弁慶、その手前が牛若丸。

UPRの翌日、フェルネックスさんたちと、WHOの前で「ヒポクラテスの見張番」を続ける市民団体「WHOの独立のために」の人たちを訪問。

    【世界の声】日本からの訪問者、ジュネーブの人権理事会で放射線障害を証言(「WHOの独立のために」サイト >原文)より。

2026年10月3日土曜日

【第188話】福岡伸一 その可能性の中心が「先端科学技術の悲劇」の認識にあることを再発見(2026.10.3←加筆)

         
           「中央公論」2009年2月号「時評2009」

福岡伸一さんは救世主として私の前に突如現れた恩人であり、その後の師匠である。もし彼がいなかったら、私は、自分のライフワークの「バイオテクノロジー批判」の実践の最初の一歩で大きな挫折を味わったことだろうし、その後のライフワークの取り組みも継続・前進できなかっただろう。

福岡さんを私に紹介したのは坂本龍一さん。2005年5月の連休直前に新潟県上越市で降ってわいたような出来事、それはギリギリまで非公開にして抵抗の時間切れを狙った、上越市で日本で最初の遺伝子組み換えイネの野外での実験を実施するという発表。これに猛反発、猛反対した地元農民・市民とその声を一方的に無視し続ける主催者の農研機構。かくなる上は、もはや裁判しか対抗手段はないと、この野外実験の差止を求める裁判が日程にのぼる。だが、これまで誰ひとりも経験したことのない遺伝子組み換え作物の裁判の弁護団の席に座れそうな者は日本中どこにもいなかった。その弁護団に無謀にも手をあげた私が、提訴まで2週間(もっと短かった?)しかない中で困窮の極みに立たされていたのを見るに見かねた坂本さんがこう言ってきた。

よかったら知り合いの分子生物学者の方を紹介します。

溺れる者はわらをもつかむ思いで、紹介されたのが福岡さんだった。
すぐさま大学まで会いに行き、そこから対話が始まった。彼のアドバイスは分子生物学の素人でも分かる平易なことばで、なおかつ正確性を失わないもので、専門家でこれまでに出会ったことのないような比類のないすぐれたものだった(その一例は末尾)。私は、彼のコメントに地獄で仏に出会ったような歓喜すら覚えて、彼との対話に無我夢中になり、そのまま一気呵成に提訴の書面を完成させ、〆切りまでに新潟地裁高田支部に提出することが出来た(>イネ裁判のHP)。

2006年12月5日ロハスクラブ トークセッション「最後の美味しい牛肉を考える-最後の晩餐」。普段着(?)の坂本龍一さんと福岡伸一さん。

彼は、そのあと、「生物と無生物のあいだ」という本で一躍注目されるようになり、そのユニークな語り口とキャラで茶の間でも話題の人となったのは周知のとおり。その多忙な日々の合間でも、遺伝子組み換えイネ裁判について私からの質問に対し、いつも丁寧なコメントを回答してくれた。或る時、彼は、遺伝子組み換えイネの開発情報を常に隠蔽し続ける国や国の関連組織(独立行政法人)の研究機関に対する対抗手段として、素晴らしいアイデアを授けてくれた。

実験ノートの情報公開にチャレンジしたらどうですか。
実験をやる以上実験ノートは
必ず作成します。
実験ノートは実験の際の生データだから、それを記録する際に、あれこれ深謀熟慮して改変するのも余裕もないから、そのまま記録するしかない。
その上、一度、記録したデータをあとから書き換えることもできない(それは完璧に研究不正になる)
だから、実験ノートさえ見れば真実を見ることができます。

それは天啓だった。遺伝子組み換えイネ裁判がややこう着状態に入ったとき、新たなアクションに挑戦した。それが2007年12月、法廷メモ訴訟で日本市民の人権保障に大きく貢献したローレンス・レペタさんを原告にした実験ノートの情報開示請求と不開示決定に対する情報公開裁判だった(3回の挑戦)。これも福岡さんのアイデアによるものだった。

その後、リスク評価の共同研究をやりませんかという福岡さんの誘いで、遺伝子組み換えイネ裁判を通じてレントゲン診断された日本の遺伝子組み換え技術の危うさ(その一端>イネ裁判で被告農研機構が全国のバイオ研究者からかき集めた要望書一覧〔証拠説明書乙34~〕と〔各要望書乙34~106〕)を一緒に研究し、本にまとめた。それが「安全と危険のメカニズム」(新曜社)。その座談会も首尾よくやり(>その一部)、出版間際まで漕ぎ着けたところで311が起き、全てが変わってしまった。
放射能災害は日本の市民運動が頑張っているから大丈夫だろうという根拠のない妄想に陥っていた私は自分の無知を思い知らされ、ライフワークを棚上げして、放射能災害に向かった。

そのあと、だんだん福岡さんとは連絡が途絶えた。のみならず、311後に生成された日本社会を根底から全面的に「否定」したいと思った私からみて、彼は「静的平衡」の人に思えてきて、一言でいって「否定する力」が伝わってこない彼の静かな語り口に次第、違和感を感じるようになり、私の中で距離感が広がった。 

だが、311から13年、2024年正月に、私の中で異変が起きた。それは裁判と市民運動に対する自分自身の認識の誤り(そしてその結果としてと実践の誤り)に気づいた瞬間だった(「58年間の振り返り:法律家としてはともかく、人権法律家として完全失格」)。その年の夏、養老孟司の「脳化社会」に震撼させられ、彼と福岡さんとの対談「見えるもの、見えないもの」(季刊誌『考える人』)で目からウロコだった。ここでは詳細は書かないが、それらの体験を通じ、改めて「認識」を共有できることが何よりも大切であり、最初の一歩であると気づかされた。その中で、再び、福岡さんが私の前に身近な人として現れてきた。それはおそらく、彼もまた「先端科学技術の悲劇」を身をもって認識していることにあった。だから、彼がもし行動的ではなく、静的な人間だとしたら、それは彼が「バイオ事故をはじめとする先端科学技術事故のカナリア」だからだ。

 カナリアのカゴを持つ炭鉱夫の朝の出勤風景
(いずれも「エデンの東」(2008年MBC)第1話より)

  炭鉱の中で手編みのカゴのカナリア

かつて、炭鉱で、カナリアは危険をいち早く察知し、人々が大惨事に巻き込まれるのを予防し、人々の命を守った。カナリアは炭鉱で働く人たちの危険探知器だった。福岡さんは、現代社会のもう1つのカナリアである。それは彼にピッタリ来るように思える。

だから、彼もまた、その悲劇は「起きるかどうか」の問題ではなく、「いつどのようにして起きるか」という問題であることを認識している。だから、次に起きる先端科学技術の暴走を認識し、これに備える必要があることも認識している。私にとって、その最低限の備えがチェルノブイリ法日本版だ。

ただし、私にとって、この「認識」とは単に頭で知的に理解することではない。それだけでは不完全極まりない。ここではその「認識」に裏付けられた「実践」「行動」とがセットで初めて、この「認識」が保持できる。柄谷行人は昔、「認識」とは「構え」であると言ったが、それはこの意味だと思う。吉田松陰の「認識」もこのようなものである。

私にとって、このような認識を共有できる人は今もなお貴重だ。福岡さんは今もなお、私の恩人である。彼から長い間、借りてきた彼の貴重本「七つの科学実験ファイル――科学論争の顛末」(原著:H・コリンズ、T・ピンチ。翻訳福岡伸一。化学同人)を返しに行きながら、再び、彼と「先端科学技術の悲劇」について対話してみたい。

            2005年6月28日 被告書面に対する批評


2026年9月25日金曜日

【第187話】新老年前夜:1999年「群像」4月号掲載の柄谷行人「トランスクリティーク」最終章が始まりだった(26.9.25)

1999年3月、「群像」4月号に柄谷行人の「トランスクリティーク」最終章が掲載された。そこには、労働者はいつも資本に隷属する運命にあるのではなく、労働者が唯一、主体としてあらわれる場がある、それが、労働者が「貨幣」が持つ能動性を発揮するとき、つまり「消費」の場に立つときであることが書かれていた。それを読み、私は自分の道が示されたと思い、柄谷さんに会いに行った。そして、それまでのブル弁から足を洗うことに決め、NAMに参加した(以下、その2年後にNYで柄谷さんと)。

6年後の2005年5月の連休直前に、突然振って沸いたように、日本で最初の(どんな危険があるか分からない)遺伝子組換えイネを新潟県上越市で農研機構(旧北陸農業試験場)が野外で実験するというニュースが発表され、地元農家、市民の猛反対に聞く耳を持たない農研機構に対し、もはや実験中止の裁判(イネ裁判)しかないとなり、それまで誰もやったことがないイネ裁判に、バイオ災害にライフワークを見出していた私は無謀にも代理人に手を上げ、参加。これがブル弁から社会的裁判に関与するノリ弁(?)に転向する第一歩だった。その時、知りあった弁護士が(丸山真男みたいに)実家が長野県の江戸っ子光前幸一さん(以下、イネ裁判の提訴当日の私たち)。


   神山美智子さんと光前幸一さん

その光前さんの事務所に、今月(2026年9月)、30年ぶりに事務所を移転した。彼はどう思っているか分からないが、私はついの棲家を得たような気分である。

そのイネ裁判を6年やって、最後の仕上げとして人民の人民による人民のための市民法廷を実施する寸前に、 突然振って沸いたようにカタストロフィーが襲った。311大震災と原発事故。それで私はライフワークを延期し、目の前のカタストロフィーに飛び込むことになった。

以上が、311で『つつしんで老年に告ぐ「老年よ、大志を抱け」』という新老年になる前夜の簡単な振り返りである。その後は「老年よ、大志を抱け」に述べた通りである。

そして、昨日、311後のゴミ屋敷と化した日本社会のレントゲン診断を示す新たな裁判(311ノリ弁裁判)に参加。
その夜、つれあいから、もう1つの「311後のゴミ屋敷と化した日本社会のレントゲン診断を示す」動画があることを教えてもらった。それが、コロナ禍のエセ「ワクチン」を告発する福島雅典京大名誉教授の会見動画(>元の動画28分から)だった。そこには、遺伝子操作をめぐり、20年前の遺伝子組換えイネ裁判と全く同じペテン劇がコロナ禍のエセ「ワクチン」(そのため、避難者追出し〔住まいの権利〕裁判の原告の一人も命を落とし、私の親戚の若者も障害者となった)でも飽きもせずにヌケヌケと再現されていることを痛烈に証言していた。その動画を観て、「権力犯罪という猛烈な執念」をつくづく思い知らされた。だとしたら、我々に残されていることは、福島雅典氏がやったように、カミュが言ったように「犯罪という猛烈な執念に対抗する術として、証言することへの執念のほか、この世に何があるだろうか」(カミュ「正義と犯罪」)。
私にとってそれが昨日提訴した311ノリ弁訴訟である。
以下は、新老年として一歩前に出た、2回目の新老年の挨拶である。

『つつしんで老年に告ぐ「老年よ、再び大志を抱け、そして一歩前に出よ」』

【第191-2話】つぶやき:今日、市民のつどい「2026団結まつり」でのスピーチに対する聴衆のリアクション(26.11.1)

これは私のつぶやき。 今日、亀戸中央公園でやった市民のつどい「 2026団結まつり 」で、 原発事故避難者の住宅追出し裁判の最近の2つの判決について喋って欲しいと言われ、喋った。 会場に行ってみて、311から15年経過して、311直後とは勿論のこと、2010年代の雰囲気とも違う、...