以下、昨日言渡しがあった原発事故避難者の住まいの権利裁判の判決の報告について、感想を寄せてくれたOさんとの対話。
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Oさん、早速にコメント、ありがとうございました。
チェルノブイリ法日本版の皆さんにお知らせするのがあとになってしまいましたが、昨日、東京地裁で、避難者住まいの権利裁判の判決言渡しがありました。以下がその判決全文と私のコメントです。
本日言渡しの住まいの権利裁判一審判決は賛同であれ批判であれ三浦意見に何一つ言及せず、徹底した争点整理案で原告が示した理由付きの論点に対し論点をスルー(国際法の間接適用)、反対理由をスルー(法の欠缺の有無、国際法の直接適用)して結論を引き出した「ゴミ屋敷判決」(26.10.26)
昨日、判決のコメントを書いていて、もう少し議論の精度をあげたいと思い、以下に補足します。
私が言いたかったことは、
「法律問題の解に絶対という正解はない。重要なのはその「証明」とそれを支持する市民の声」
昨日、判決を通読して思ったことは、その中身以上に、その形式、構成のズサンさでした。というのは、もともと法律問題の解に絶対という正解はないからです。「人を殺すな」という法律問題ですら絶対の正解はありません、その例外が認められています。もし相手が自分を殺そうとしたとき、それを防ぐためにやむなくその相手を殺してしまった場合の正当防衛のときです。
だったら、何が重要なのか。それは法律問題で採用した解(結論)に至る理由=証明です。もし証明が我々の理解、共感を得られるだけの説得力を持ちえるのあれば、そのような結論(正当防衛による殺人)も是認できる(或いは、是認せざるを得ない)。
Oさんは理系の人だから、数学の例で言えば、普通だったら「2本の平行線は交わらない」と考えて幾何学(ユークリッド幾何学)が作られていますが、これに対し「2本の平行線は交わる」という反対の立場でも立派に幾何学が成立します。ただし、その非ユークリッド幾何学もしっかり論証(証明)がされています。普通だったら1+1=2ですが、それは唯一絶対ではない。1+1=1もまた成立します、無限集合の世界においては。それもまた、論証(証明)されています。
それが昨日の判決の正体だったのです。それを証明するのが私の昨日のコメントでした。
というのは、2019年3月に福島県が避難者の追い出し裁判を福島地裁に提訴して以来(昨日の裁判に先行した「避難者追出し裁判」)、避難者追出しをめぐる法律問題を何度も吟味検討する時間を与えられ、その中で、避難者追出しを決定した内堀県知事決定が遺法であることを証明する論証方法を積み上げて、ほぼ反論の余地のない形にまで仕上げてきました。つまり、私たちが提出した主張のロジックに対し、裁判所がこれに反対を主張するロジックを封じ込めるまで詰めたと考えて準備しました。
そしたら、昨日の判決で裁判所が採用したロジックは、その最たるものは私たちが提出した法律問題(国際人権法の間接適用)そのものを無視・スルーしました。言ってみれば、殺人事件で弁護人が「正当防衛」の主張をしているのに、その主張自体を無視・スルーするようなものです。これができるんなら、どんな結論でも可能です、裁判所が自分に不利だと思う法律問題を握り潰すのですから。
その上、私たちが提出した「証明」(法の欠缺、国際人権法の直接適用)は無視・スルーしました。無視して何をしたかというと、福島県の主張した「結論」だけをそのまま採用しました。裁判所が気に入っている結論だけを示して、それで一丁あがりで済むんだったら、司法は要らない。理由を示して、その結論が導かれる過程を「証明」して初めて「司法」の存在理由があるからです。Oさんの理系の世界で「仮説」を立てて、その「証明」を何もしなかったら、出直してこいと呆れ返られると思いますが、それと同じことを昨日の判決はやったのです。
その上で、かろうじて私たちが提出した「証明」に反論している部分(内堀県知事の決定の裁量権の逸脱・濫用)にしても、その反論のロジックたるや、雑、雑。こんな雑駁なロジックでこちらの提出したロジックを否定できると果たして本気で考えているのか、単に、一応、反論したからね、だけの格好をつけているだけじゃないかというレベルです(やや専門的になりますが)。
ともあれ、昨日の判決を読んで、あの温厚な井戸さんすら「呆れ果てる」と言いました。しかし、法律家がそう思ったところで、裁判所は屁でもないのです。司法が最も恐れるのは市民です、市民だけです。それも、市民が判決の結論に怒る、呆れるだけでなく、判決の理由付けがバカバカしくて、ペテン、インチキだということが市民に見抜かれてしまうことを最も恐れています。司法が内部で自己崩壊していることを見抜かれてしまい、司法への信頼が失われてしまうからです。
だからこそ、昨日の判決がペテン、インチキのゴミ屋敷判決だということをひとりでも多くの市民が合点し、これは本当にまずい、「人権の最後の砦」の司法が「ペテン、インチキ、ゴミ屋敷の最後の砦」になってしまうのはヤバイぞ!」と市民が認識するように、皆さんから周りの市民に訴えて頂きたいと強く願います。
| Subject: | Re: [De-exposure:6957] 本日言渡しの原発事故避難者住まいの権利裁判一審判決 |
|---|---|
| Date: | Tue, 27 Oct 2026 07:36:04 +0900 |
| From: | O |
みなさん
O・Y
この判決を知って思うことは、
事故を起こした被告が生活の場を奪われてつらい生活を強いられている原告に家賃の支払いを命ずる判決は納得がいきませんし、
次に起こるであろう原発事故にもこの判決が影響しますので、これを何とかしなくてはなりません。
こうした判決になるのは、権利や資本を持つ者ほど有利な立場に立てる資本主義社会の欠点が表面化しているのだと思っています。
これで思い出すのが、原宿に職場を持つ友人に「不動産物件が高騰しているので原宿で賃貸の不動産を持つ人は何も働かなくても裕福な生活ができて良いですね」と言いましたら「そうなのですよ、裕福な生活をしています」と言い、
続けて「ただ、子供が育たないのですよ!」と資本主義の欠点の片鱗を補足してくれた事です。
人が生物として生まれてきたのは、次の世代に命をつなぐことが最大のミッションであり、それ以外は「他人に迷惑をかけない限り何をしても良い」と思っています。
もちろんクリエイティブであればあるほど良いのですが、たとえ原発事故で転居を強いられて開始した生活や仕事であっても、その中で自分が望む事ができる余裕があれば、楽しみもあり希望も持てる生活ができるはずです。
そうした希望が持てる生活環境が存在すれば、このような辛く面倒な裁判は起こさずに、強制的な転居に伴う損害賠償請求だけはして、さっさと転居できるはずです。
この生活環境が柳原さんの言う「各地に設ける協同組合」ではないかと思い、その必要性を感じます。







フェルネックスさん>















