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2026年10月3日土曜日

【第188話】福岡伸一 その可能性の中心を「先端科学技術の悲劇」の認識にあることを再発見(2026.10.3)

            「中央公論」2009年10月号「時評2009」

福岡伸一さんは救世主として私の前に突如現れた恩人であり、その後の師匠である。もし彼がいなかったら、私は、自分のライフワークの「遺伝子組み換え問題」の実践の最初の一歩で大きな挫折を味わったことだろうし、その後のライフワークの取り組みも継続・前進できなかっただろう。

福岡さんを私に紹介したのは坂本龍一さん。2005年5月の連休直前に新潟県上越市で降ってわいたような出来事、それはギリギリまで非公開にして抵抗の時間切れを狙った、上越市で日本で最初の遺伝子組み換えイネの野外での実験を実施するという発表。これに猛反発、猛反対した地元農民・市民とその声を一方的に無視し続ける主催者の農研機構。かくなる上は、もはや裁判しか対抗手段はないと、この野外実験の差止を求める裁判が日程にのぼる。だが、これまで誰ひとりも経験したことのない遺伝子組み換え作物の裁判の弁護団の席に座れそうな者は日本中どこにもいなかった。その弁護団に無謀にも手をあげた私が、提訴まで2週間(もっと短かった?)しかない中で困窮の極みに立たされていたのを見るに見かねた坂本さんがこう言ってきた。

よかったら知り合いの分子生物学者の方を紹介します。

溺れる者はわらをもつかむ思いで、紹介されたのが福岡さんだった。
すぐさま大学まで会いに行き、そこから対話が始まった。彼のアドバイスは分子生物学の素人でも分かる平易なことばで、なおかつ正確性を失わないもので、専門家でこれまでに出会ったことのないような比類のないすぐれたものだった(その一例は末尾)。私は、彼のコメントに地獄で仏に出会ったような歓喜すら覚えて、彼との対話に無我夢中になり、そのまま一気呵成に提訴の書面を完成させ、〆切りまでに新潟地裁高田支部に提出することが出来た(>イネ裁判のHP)。

2006年12月5日ロハスクラブ トークセッション「最後の美味しい牛肉を考える-最後の晩餐」。普段着の坂本龍一さんと福岡伸一さん。

彼は、そのあと、「生物と無生物のあいだ」という本で一躍注目されるようになり、そのユニークな語り口とキャラで茶の間でも話題の人となったのは周知の事実だ。その多忙な日々の合間でも、遺伝子組み換えイネ裁判について私からのお尋ねに対し、いつも丁寧なコメントを回答してくれた。そして、遺伝子組み換えイネの開発情報を常に隠蔽し続ける国や国の関連組織(独立行政法人)の研究機関に対する対抗手段として、或る素晴らしいアイデアを授けてくれた。

実験ノートの情報公開にチャレンジしたらどうですか。
実験をやる以上実験ノートは
必ず作成します。
その上、実験ノートなら実験の際に書かれたデータや事実をあとから書き換えることはできない(それは完璧に研究不正になる)
だから、実験ノートさえ見れば真実を見ることができます。

それは天啓だった。遺伝子組み換えイネ裁判がややこう着状態に入ったとき、新たなアクションに挑戦した。それが2007年12月、ローレンス・レペタさんを原告にした実験ノートの情報開示請求と不開示決定に対する情報公開裁判だった。これも福岡さんのアイデアによるものだった。

その後、リスク評価の共同研究をやりませんかという福岡さんの誘いで、遺伝子組み換えイネ裁判を通じてレントゲン診断がされた日本の遺伝子組み換え技術の危うさを一緒に研究し、本にまとめた。それが「安全と危険のメカニズム」(新曜社)。その座談会も首尾よくやれ(>その一部)、あとしばらくで出版というところであの311が起き、全てが変わってしまった。
放射能災害は日本の市民運動が頑張っているから大丈夫だろうという根拠のない妄想に陥っていた私は自分の無知を思い知らされ、ライフワークを棚上げして、放射能災害に向かった。

そのあと、だんだん福岡さんとは連絡が途絶えた。のみならず、311後に形成された日本社会を根底から全面的に「否定」したいと思った私からみて、彼はあまりにも「静的平衡」の人間のように思えて、一言でいって「否定する力」が伝わってこない彼の静かな語り口に次第、違和感を覚えるようになり、私の中で距離感が広がった。 

だが、311から14年、2024年正月に、私の中で異変が起きた。それは裁判と市民運動に対する自分自身の認識と実践の誤りに気づいた瞬間だった(「58年間の振り返り:法律家としてはともかく、人権法律家として完全失格」)。その年の夏、養老孟司の「脳化社会」に震撼させられ、彼と福岡さんとの対談「見えるもの、見えないもの」(季刊誌『考える人』)で目からウロコだった。ここでは詳細は書かないが、それらの体験を通じ、改めて「認識」を共有できることが何よりも大切であり、最初の一歩であると気づかされた。その中で、福岡さんが再び、私の前に身近な人として現れてきた。それはおそらく、彼もまた「先端科学技術の悲劇」を身をもって認識していることだった。彼がもし、行動的ではなく、静的な人間だとしたら、それは彼が「バイオ事故をはじめとする先端科学技術事故のカナリア」だからだ。
かつて、炭鉱で、カナリアは危険をいち早く察知し、人々が大惨事に巻き込まれるのを予防し、人々の命を守った。カナリアは炭鉱で働く人たちの危険探知器だった。福岡さんは、現代社会のもう1つのカナリアである。それは彼にピッタリ来るように思える。

だから、彼もまた、その悲劇は「起きるかどうか」の問題ではなく、「いつどのようにして起きるか」という問題であることを認識している。だから、次に起きる先端科学技術の暴走を認識し、これに備える必要があることも認識している。私にとって、その最低限の備えがチェルノブイリ法日本版だ。

私にとって、このような認識を共有できる人は今もなお貴重だ。福岡さんは今もなお、私の恩人である。彼から長い間、借りてきた彼の貴重本「七つの科学実験ファイル
――科学論争の顛末」(原著:H・コリンズ、T・ピンチ。翻訳福岡伸一。化学同人)を返しに行きながら、再び、彼と「先端科学技術の悲劇」について対話してみたい。

            2005年6月28日 被告書面に対する批評


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