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2023年10月15日日曜日

【第120話】日本版は既に制定されている。あとは、私たちがそれを確認するだけ。(23.10.15)

つぶやき。
不都合な真実ばかりが真実ではない。私たちにとって幸いな真実もあるのだ。
だが、不都合な真実を見ようとしない者には、幸いな真実もまた見ることができない。
不都合な真実を見ないために思考停止する者は幸いな真実にも思考停止したままである。
幸いな真実を見たいと思うなら、不都合な真実を見ることを恐れてはいけない。


これは今まで誰も、当の本人ですら思い描いたことのなかったこと。先週、北茨城市に滞在して家の補修工事をやっている最中に、ふと想到したこと。
しかし、ひとたびこれに気がついた時、その瞬間、その正しさを、私の身体の中で、全身全霊で確信するに至った。以下は、その核心部分だけを示したもの。

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前置き
日本版の制定を世の中に最初に呼びかけたお母さんは、何度も呟いた。
「日本版を制定するのはマッターホルンの頂上に登るようなもの」
それくらい大変なんですという思いを込めて。

その時は、きっとそうなんだろうなと思い、黙って聞いていた。 それから6年経った今、
「それは勘違い。なぜなら、私たちはすでにもうマッターホルンの頂上に登っている。ただ、自分が立ってる場所がマッターホルンの頂上だということに気がつかないだけ」
そう確信を持って言えるに至った。以下がその核心部分。

本文
「私たちが新たに日本版を制定するのではない。

日本版は既に日本の法体系の中に存在している。

ただし、それは誰にも見える場所にではなく、法体系の穴の中に埋っている。

私たちは、それを掘り出して光を当てる必要がある。

この確認作業、それが日本版の会の仕事。

だから、それは育てる(制定する)までもなく、育っている(制定し終わっている)のを掘り出す仕事。」


以上のことは張ったりでも何でもない。当たり前のことを丹念に積み重ねて行ったら誰もが合点する普遍的な出来事。
そこで、これをもう少し理屈っぽく順番に説明すると、以下の通り。

(1)、原発事故の救済について、311までの日本の法体系はこれに対する備えがなく、全面的な「法の欠缺」状態にあった。
(2)、311後も、基本的にその欠缺状態を立法的に解決しようとしなかった(その場しのぎの行政的な措置で対応してきた〔ように見える〕)
(3)、その結果、311後も「法の欠缺」状態が続いている。
(4)、その時、本来求められることは「欠缺の補充」である。つまり、
(5)、欠缺の補充を上位規範である憲法及び条約とりわけ国際人権法に基づいて、これらに適合するように補充する必要がある。
(6)、その補充の結果、国内避難民の指導原則等に示された被災者の人権保障によって補充された法規範、これをトータルに示したものが、ほかならぬ日本版そのものである。


さらに以下は、以上の説明に対する私自身の自問自答のコメント(まだ未整理のため、備忘録として残したもの)。

今回、私が思い至った上記のアイデアは、避難者追出し裁判の「国際人権法に基づく避難者の救済」の論点を日本版に応用したもの。

避難者追出し裁判は当初、この裁判には勝ち目はない、やれることは「時間稼ぎ」くらい、というのが弁護団、支援者の認識だった。あとから参加した私は、その認識に驚くと同時に、本当にこの裁判に勝ち目がないのか、一から検討し直すべきではないかと考え、誰もあてにしていなかった「国際人権法」に焦点を当てて、ああでもない、こうでもないと検討して行くうちに、避難者の人権を守れる法的な手段として国際人権法が使えるということを「発見」した(→第70話)。
ただし、最初、この「発見」を口にした人は誰もいなかったので、本気では誰にも相手にされなかった。ただ、そうはいっても、ほかに反論の手立てもなかった、まあ、やらせておくか、という感じで、私のやりたいようにやらせてもらった。そしたら、意外にも、担当裁判官は、私の反論を単に「なにバカなことを言ってるのか」と一蹴するんではなくて、ひどくナーバスな反応をした。それでむしろ私は「こいつはいける」と逆に自信を深めた。そのような思いがけない展開になって、支援者の人たちも「俺たちも、国際人権法について知らな過ぎた」と関心を抱くようになり、「国際人権法による避難者の人権保障」という考え方がみんなの頭の中に徐々に定着するようになった。
不思議なことに、「国際人権法による避難者の人権保障」というアイデアは、それまで誰もまともに受け止めてこなかったのに、ひとたびそれが人々の頭の中に入ってくると大昔からそのアイデアが存在する真理みたいに、当然のものとしてみんなの頭の中に浸透していった。

それは、歴史上の新たな「発見」や「発明」において人類が経験したこと。
著作権が専門だった私は、かつて、コンテンツや情報の「独占」と「共有」という問題に直面していつも考えていたところ、或る時、その問題を根底から抜本的に解決する事態が発生した。それがインターネットの出現。この出現で、コンテンツや情報の「共有」が一気に進んだ。ひとたび、インターネットでコンテンツや情報の「共有」が実現すると、それが当たり前になって、インターネットが出現する前の時代のことがもはや想像できない位となった。

それと同様のことが500年以上前、グーテンベルクの活版印刷術の登場でも起きた。チョムスキーは、活版印刷術の登場が17世紀の英国の市民革命を準備した、市民がワイワイガヤガヤ、自分たちの考えてることをチラシやビラにして拡散し、多くの市民がそれを手にして市民階級の運動が大きく盛り上がって、市民革命が実現したことを指摘している。ひとたび活版印刷術が登場すると、活版印刷術以前の、手書きでいちいちチラシやビラを書き写して、拡散していた時代のことなんか想像できない。

スケールはちがうものの、こうしたことと同様のことが、避難者の追出し裁判でも起きた。それが「国際人権法による避難者の人権保障」というアイデア。
その体験をした私は、このアイデアはもっとほかのことにも応用可能なのではないかと、つらつら考えるようになり、 その応用例の最初が日本版だった。
つまり、日本の国内法に「避難者の人権保障」を定める法律がないからといって、簡単に諦める必要はない。日本が批准した条約とりわけ国際人権法があるからだ。
これを使えば、たとえ国内法に「避難者の人権保障」を定める法律がなくても、より正確には「避難者の人権保障」について、原発事故を想定していなかった日本の法体系は「法の穴(欠缺)」状態にあったとしても、その穴を国際人権法によって穴埋めすれば(「欠缺の補充」をすれば)、しっかり「避難者の人権保障」が実現できる。
     ↑
このアイデアは、何も避難者追出し裁判の「避難者の仮設住宅からの追出し(居住権)」問題だけに限定されるものではなく、およそ「(国外)難民」や「国内避難民」の人権保障全般に関わる問題を解決するアイデアだ。だったら、このアイデアが及ぶ射程距離は、チェルノブイリ法日本版がカバーする範囲と殆ど変わらないんじゃないか(厳密にピッタリカバーするかどうかはなお検証する必要があるが、少なくとも大枠は一致する)。

もしこれが成立するなら、日本版は既に「国際人権法による避難者の人権保障」というアイデアに基づいて、今の日本の国内法の中に実現(厳密には「欠缺の補充」によって実現)していることになる。
だとすると、すなわち今の日本の国内法の中に既に実現しているとなると、私たち市民がやることは、市民が主導して一から「立法」するのではなく、市民が主導して、既に日本の国内法の中に実現している日本版を「確認」するということになる。
「立法」となると、議員の同意が必要になりますが、「確認」となると、「立法」じゃなくなるので、純法律的には議員の同意も必要なくなる。 ズカッと言えば、議員にへいこらする必要もなくなる。
じゃあ、誰がどこでどうやって「確認」するのか。この問題自体が前代未聞の問題。おそらく過去に経験のない、未曾有の問題。
思うに、このような議論が力を持つのは、最終的に「市民の力」。「国際人権法による避難者の人権保障で法の穴を埋めたら、日本版が見つかる(発見)ことを国も『確認』しろ」という多くの市民の声が高まると、これは無視できなくなる。その意味で、最後の決め手は「市民主導の世論喚起」になる。けれど、「確認」であって、新たな「立法」ではないから、議員の特権や専権事項だという風に、議員が偉そうな態度をもはや取れなくなる。これはやっぱり大変なちがい。 

 

2023年10月13日金曜日

【119話】この夏、初めて福井でやったチェルノブイリ法日本版の学習会の感想             「今すぐ日本版!それが惑星フクイ」(23.10.13)

2023年7月と8月、初めて福井でチェルノブイリ法日本版の学習会をやった。日本版の会から「早く感想をブログに出して下さい」と何度も催促されながら、原稿らしき素材は何度も書いていながら、どうしても完成できなかった。画竜点睛を欠いていたからだった。
それが、先ごろになって、ようやくその画竜点睛が見つかったような気がした。つまり、福井行きで私の中でふつふつと沸き起こってきた化学反応の下準備に対し、現実の化学反応を実行してくれる触媒に出会うことができたのだ。その触媒とは次の2人といちばん長い手紙「まだ、まにあうのなら」を書いた福岡県のお母さん(甘蔗珠恵子さん)(117話118話)。
その下は、学習会の講師を務めた柳原の感想文と写真(福井特集号のニュースレターの冒頭の文)。

半世紀以上「敬して遠ざけて来た」2人の人に今頃になって初めて出会えた。
一人は「人類の哀れな女々しい魂を鞭うつ頑強な精神」を与えようとしたベートーベン。
も一人は、スペイン内戦に参加し「最初の弾丸がスペインのギターを貫通し、これらのギターから音のかわりに血のしぶきがほとばしったとき、私の詩は人間の苦悩の通りの真ん中に立ち止まり、血と根の流れが私の詩のなかを上り始める。そのときから、私の道はすべての人の道になる」と詩を刻んだパブロ・ネルーダ。
その訳は、時代がいま、彼等のような生き方を求めているからなんだと。
》(23.10.10自己紹介文)

若狭町の熊川宿、通称「鯖街道」
泊った宿の前に広がる若狭湾
右手遠方の米粒の建物、近づくと以下の姿に。
        世界有数の美しさを誇る美浜の海岸「水晶浜」の駐車場から

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今すぐ日本版!それが惑星フクイ

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若狭町で日本版の学習会を終えたあと、向った先が熊川宿、通称「鯖街道」。この街道に降り立った瞬間、半世紀前の高校の古典の授業で習った古事記の「やまとたけるのみこと」の辞世の歌が脳裏に蘇り、 次のように替えて口づさんだ。

フクイは 国のまほろば  たたなづく 青垣 山隠れる フクイしうるはし

ここが自分のふるさとなのだ、今、お前はそれを発見したという強烈なノスタルジーに襲われた。 それは私にとっての楽園だ、と。
しかし、それは一日限りのものだった。
翌日、太平洋とちがって、波穏やかな日本海の海岸沿いに信じられないような光景に出くわしたから。
それは、森や建物に覆われずに、むきだしになって人々の前にすっと建っている――原発だった。
この一撃で、フクイの楽園は破壊されていたことを知った。もしフクイにまだ楽園があるとしても、それはかりそめの楽園、それは、ひとたび原発事故 が発生した瞬間にこっぱみじんに消失するカゲロウの楽園。
だとしたら、この峻厳な現実に毎日、毎日向き合っていたら、間違いなく精神に異常をきたしてしまう。だから己の心を守るために、この現実を見ないようにしよう、考えないようにしようと自己暗示にかけるほかない。そして、その自己暗示を首尾よく果した時、 今度は、とめどもなく自分の心を欺くスタイルが習慣となる。それはつまるところ思考停止の日々。「死せる魂」と「生きる屍」への道。こんな恐怖と屈辱の中にほおり込まれているのがフクイに住む人々の置かれた現実。

その思考停止の中でかろうじて安心安全の精神状態を保っていたフクイの人たちの頭上に襲い掛かったのが311福島原発事故だった。福島原発事故で日本の安全神話が崩壊した時、もっとも打撃を受けたのは原子力ムラだけではない、思考停止によりかろうじて心の安定を保っていたフクイの人たちもそうだ。彼等を思考停止にさせてきた心のマンホールのフタは福島原発事故で飛び散った。彼等はもはやこれまでのように思考停止という避難場所に安住することもできなくなった。思考停止という避難場所から追出されて、フクイの人たちの行き先はどこなのか。それは「思考停止という避難場所」から抜け出し「真の避難場所」に向かうしかない。では、その「真の避難場所」とはどこか。それが日本版。「真の避難場所」を提供するのが日本版の目的だから。
安全神話と思考停止が崩壊した311後、眠れぬ日々を過ごすフクイに住む人々にとって最も急務なのが「真の避難場所」を提供する日本版。

90年前、スペインの地で、フランコのクーデタを体験した詩人のネルーダはこう書いた。
最初の弾丸がスペインのギターを貫通し、これらのギターから音のかわりに血のしぶきがほとばしったとき、私の詩は人間の苦悩の通りの真ん中に立ち止まり、血と根の流れが私の詩のなかを上り始める。そのときから、私の道はすべての人の道になる

そうだ。福島原発事故という
「日本で最初の原発事故が人々を貫通し、その惨劇と犯罪によって多くの被ばくと苦痛と苦悩がほとばしったとき、日本版は人々の被ばくと苦痛と苦悩の通りの真ん中に立ち止まった。そして、血と根の流れが日本版のなかを上り始めた。そのときから、日本版の道はフクシマ、フクイ、そしてすべての人の道になる。」

以下のメッセージは、安全神話と思考停止が崩壊した311後のフクイに住み、被ばくと苦痛と苦悩の通りの真ん中に立つ人々の魂の叫びです。

【第118話】福岡県の母親甘蔗珠恵子さんの書いた、いちばん長い手紙「まだ、まにあうのなら」を知って思ったこと(その2)(23.10.13)。

第117話で、「まだ、まにあうのなら」を初めて知って思ったことを書いた。今度は、この小冊子を当時、100部購入して回りの人に夢中で配ったという日本版の会の正会員の人の話を聞き、思ったことです。

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私からその正会員の方に「あの小冊子を100部も購入させたもの、原動力は、何だったんですか」という問いに、 その方がすぐさま答えてくれたのが、あの小冊子の冒頭の次の一節、これにショックを受けたということでした。

なんという悲しい時代を迎えたことでしょう。 今まで、自分の子どもに、家族に、ごく少量ずつでも、何年か何十年かの地には必ずその効果が表れてくるという毒を、毎日の三度、三度の食事に混ぜて食べさせている母親がいたでしょうか。

放射能の汚染の中で生きるとは何か。これについて、なんという正確な記述だろう。この方がショックを覚えたのは、おそらく、それまで反原発の運動の中で、このような書き方をした文章にお目にかかったことがなかったからではないか。それはこの方だけではなくて、これを夢中になって読んだ50万の市民も同様だったのではなかったか。

私は、このくだりを読んだとき、ロシアの文豪ゴーゴリの次の言葉を思い出しました。
‥‥宣教することは私の仕事ではありません。芸術はそれでなくとも、はじめから教訓なのです。
私の仕事は生きたイメージで語ることであり、議論することではありません。
私は人生について解釈するのではなく、人生を人々の前に呈示しなければならないのです


そして、36年前、「まだ、まにあうのなら」を書いた甘蔗さんは、チェルノブイリ事故後を経験したあとの私たちの生活を議論したり解釈するのではなく、生活そのものをズカッと読者の前に呈示してみせた、恐るべき正確さをもって。そのリアリズムに50万の読者は震撼させられた。

36年後の今も、私たちに必要なこともこれと変わらない。過去に経験したことがないようなヒドイ事態が現実のものとなっているのなら、その現実をありのままに、ズカッと人々の前に呈示してみせるしかない。余計な忖度、気配りをして、気をそこねないように配慮をしまくると、結局、何が言いたいのかさっぱり伝わらない。

その一方で、どこの世界でもそうだが、反原発の運動の最良の指導者の人たちすら、長い間に「決まり文句」を口にするようになる。そのほうが内容は正しく、メッセージを正しく伝えるのには有効だからである。しかし、その言葉はくり返されるうちに、摩滅し陳腐化し衰弱してくる。すると、人々は、その手垢にまみれた「決まり文句」に正直、またかとうんざりし、嫌気が差してくる。

これに対し、当時、初めて放射能の世界に足を踏み入れ、起きたばかりのチェルノブイリ事故の惨劇にただただ圧倒されていた、「まだ、まにあうのなら」の甘蔗さんにとって、そういう「決まり文句」は無縁だった。自らの感性に従い、自らの生活体験に裏打ちされた言葉をつむいで、自分に上に重くのしかかってきた放射能災害の現実を必死になって受け止めようとした()。その苦悩、苦しみの中で格闘する姿勢が、「決まり文句」ではない、生々しい、ときにはみずみずしい言葉を生み出し、人々の心にストレートに届いた。これはもうひとつの「チェルノブイリの祈り」だ。

最後に。分かっているようで、実はよく分かっていない大切なことを、甘蔗さんの小冊子から教えられた。
それは、私たちの原発事故体験は百人百様だということーーそれは経験した場所や内容がちがうからではなく、たとえ同じ場所、同じ内容であっても、原発事故の体験の受け止め方は百人で、百、ちがってくる。大切なことは、甘蔗さんのように、たとえチェルノブイリから何千キロ離れていようとも、50万人の人々の心に届くような体験をめざすこと。これに対し、何か、自分はもう原発事故のことは分かっている、理解しているなんて、これ以上傲慢不遜な態度はない。たえず、今の自分の認識は50万人の人々の心に届かない、いまだいかにうすっぺらで、擦り切れた「決まり文句」でしかないのだということを自覚し、50万人の人々の心に届くような「生きた言葉」を発見するように、その努力の積み重ねを続けることが大切だということを教えられた。

)当時を振り返って、甘蔗さんはこう書いている。

『億万長者はハリウッドを殺す』を読んでのちのある日、福岡市内を歩いていると、目に飛び込んできた「広瀬隆」の文字、電柱に貼ってあった一枚のチラシ、十月二十六日、その人の講演会の案内チラシでした。思いがけず早く、お会いできる機会が来ました。その当日、広い会場はいっぱいの人で溢れています。その人は精悍な感じの人でしたが、講演の第一声は柔らかく、静かな語り口で、意外でした。O.H.P.で次々と映し出される映像と、その解説に、聴衆は水を打ったように静まり返り、二時間余りの時間を聴き入り、咳の一つもないという不思議な時間、空間でした。もちろん、初めて聴くチェルノブイリ原発事故の実態の衝撃は、腰を抜かし、奈落の底へ突き落とされた思いでした。

それからすぐに原発関連の本を読み漁り、活動にも積極的に参加して半年、身心共に疲れ果て、重く、沈み込むようなからだを畳に横たえている時、身体の奥の方から、ウワァ〜〜と、何かが衝き上げてきました。私は、思わず身を起こし、傍にあった机に向かって書いていました。「何という悲しい時代を迎えたことでしょう」と。それから数日間、湧き出てくるままに、何も考えず、ほとんど何も口にせず、書き続けました。それが『まだ、まにあうのなら』でした。
》(「広瀬隆」はこんな人でした

【第144話】一昨日、避難者追出し裁判の総決算の書面(上告理由書等)を作成直後のつぶやき(24.4.21)

 以下は、避難者追出し裁判の 上告理由書 等を作成した直後のつぶやき。  ******************  今回の書面の根底にある考えを一言で言うと‥‥ 物理学者のアーネスト・スターングラスは 「 放射能は見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒です 」 と言った。これは...