今年の夏、初めて福井に行き、当地の人から、
チェルノブイリ事故の直後、福岡の主婦が地方出版社から出した小冊子が原発を憂う全国の主婦に爆発的に広がったことがあり、50万部売れたそうです。
という話を教えて貰いました。?!と半信半疑でネットで調べたら、以下の通り、ホントの話でした。
人類の行く末を案じた一人の母親の叫びが、全国の主婦や若者たちに脱原発の行動を促した。50万部を超えた脱原発のバイブル。
早速、取り寄せ、手に取ってみて、次のことを思った。
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1986年のチェルノブイリ事故直後に無名のお母さん(甘蔗珠恵子さん)が書いた手紙が50万部売れた。その題名は
「まだ、まにあうのなら」
それは、
「チェルノブイリ事故は起きてしまったけれど、自分の住むこの日本でまだ、チェルノブイリ事故のような原発事故を起さないうちに原発を廃絶できるのなら」
という意味だと思う。その意味でなら、2011年の福島原発事故のあと、その答えは
「もう、まにあわなかった」
確かに、もう、まにあわなかった。けれど、福一の吉田所長のような鬼籍に入った人たちとちがって、311後も生き延びることができた私たちには依然、何をなすべきかという問いかけが課せられている。
問題は、311後に、チェルノブイリ事故直後に思い詰めたこのお母さんのように私たちもまた思い詰めたとき、福島原発事故のあとにどのような問いかけが可能なのだろうか。福島原発事故を経験した私たちにとって正しい問いかけとは何か。311後にもはや、このお母さんと同じような次の問いかけは不可能だ。
「福島原発事故は起きてしまったけれど、私の住むこの日本でまだ、第2の福島原発事故のような原発事故を起さないうちに原発を廃絶できるのなら」
それではまた同じ答えをくり返すだけだから。そして、この問いかけには、311福島原発事故後の日本社会の底が抜けたような破綻ぶりを踏まえて、その破綻を克服するという力強い展望がどこにも感じられない。単に311前からのスローガンのくり返しにしか聞こえない。
これに対し、チェルノブイリ法日本版は、311福島原発事故後の日本社会の底が抜けたような破綻を克服するという力強い展望が秘められたものだ。単に、ノー(さよなら原発)と言うのではない、積極的にイエス(生存権を具体的に実現)を言う、それが日本版の思想だ。
例えば、
【第4話】 【NOでは足りない、つつましいYESの提案】
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