今日、亀戸中央公園でやった市民のつどい「2026団結まつり」で、原発事故避難者の住宅追出し問題の2つの判決(本年1.9最高裁判決三浦意見、10.26東京地裁判決)について話をして欲しいと言われ、しました。
まず、これは備忘録。***の下が用意した原稿。
今まで「裁判官との対話」に励んできた。今ここで必要なのは、対話を「市民との対話」に拡大すること。
そこで、この間励んできた「裁判官との対話」の意味を、市民にも分かるように語ること。
そのために肝心なことは、市民の間で流布している俗流の偏見を打破(否定・批判)することが不可欠。この打破(否定・批判=否定弁証法)をくぐり抜けて初めて「市民との対話」が成り立つ。
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1、自己紹介
私はもともと著作権を専門にやってきた「保守本流の法律家」であって、いわゆる左翼とかリベラルの法律家ではありません。
他方、そもそも国会や政府の議員や行政マン以外になぜ法律家がいるのか。それは彼らがきちんと法律を守って仕事をしているか、それをチェックするためです。「法治国家」「法による統治」がきちんとやられているか、これを監視する仕事。これをするのが「保守本流の法律家」の仕事です。
そして、その「法」の中で最も重要なのが正義で、それを具体的に示したのが人権です。つまり、
法律家の使命は議員や行政マンが人権を守って仕事をしているか、それをチェックすることで、そして人権の中でもいのち、とりわけ子どものいのちを最優先に考えるのが「保守本流の法律家」です。
2年前の正月、私はこの本(泉徳治元最高裁判事「一歩前に出る司法」)を読み、58年間を振り返り、自分が法律家として失格だと気がつき、それで保守本流の法律家になろうと決意し、それで書いたのが避難者追い出し裁判の最高裁に対する上告受理申立理由書でした(>その報告)。
つまり、司法とは国会や政府の政治・政策がいいか悪いかを判断するところではないのです。司法がやるのは国会や政府の仕事が人権侵害をしていないかをチェックすることです、だから、ひらすらこの人権の観点から、2017年3月をもって避難者に対する応急仮設住宅の提供を打ち切った内堀福島県知事の決定は人権侵害をもたらすものかどうかを審査して欲しいと訴えました。その際に、内堀知事の決定が遺法かどうかは、原発推進、反対などの政治政策問題とは全く関係のないあくまでも人権問題であることを強調しました。
そしたら、その呼びかけに正面から応答して内堀知事の決定は遺法だと判断した最高裁判事が出ました。今年1月9日の最高裁判決の裁判長をやった三浦守さんです(>その速報)。
2、最高裁三浦判事との対話の成立
三浦守さんもまたいわゆる左翼でもリベラルでもない、保守本流の法律家です。第一、彼は現在、最も悪名高い職業と言われる検事出身です。
もし彼に向かって、日本の原発政策はおかしいと政治政策問題とからめて、内堀知事の決定は遺法であると訴えたら、おそらく彼は応答しなかったつまり我々の訴えは却下されたと思います。しかし、人権問題とりわけ避難者の命、健康、暮らしという人権の保守本流に絞って訴えたので、保守本流の法律家である三浦判事は自分の信念に照らし応答しないではおれなかったんだと思う。
判決というのは法律で組み立てられている文章ですから、法律特有のもって回った難しい言い方をしていますが、しかし、その本音は至って単純なもので、この紛争・事件をどのような観点から解決するのか、そこで勝負は決まります。私は三浦判事の保守本流の法律家としての信念に焦点を当てて、そこにボールを投げることに集中した。つまり、原発事故というのはそれまでの自然災害とは桁違いの過酷事故で、放射能に私たち人間は勝てない、だから避難することが命、健康を守るための最大の防御で、その結果、かつて経験した事のないような避難生活の中で生活再建することはひとりひとりの生活の実情を踏まえた大変な事業であり、従って、避難者の住む応急仮設住宅の提供の打切りについても、ひとりひとりの避難者の実情をつぶさにヒアリングして調査した上で判断しなくてはいけない、それが避難者の人権保障の基本だろう。だから、個々の避難者からのヒアリングもせずに一律に打ち切りを決めた内堀知事の決定は人権に対する重大な侵害であり、遺法と言わざるを得ない、そう主張した、そしたら、その通りだと証明(応答)してくれたのが最高裁三浦判事の意見でした。
3、これに対する批判
しかし、世の中には必ずこう言う人がいます――三浦意見がたとえどんな素晴らしい意見であっても所詮、少数意見。負けたことには変わりないと。
その通りです。だが、人権運動はいつも少数者の声から始まりまする。多数意見から始まることはありません。公民権運動もアラバマ州のひとりの女性(ローザ・パークス)のノーという行動から始まりました。国政選挙のたびの提訴されるお馴染みの議員定数是正訴訟、この裁判は最初、橋にも棒にもかからない、全員一致で門前払いされたカスみたいな裁判でした。だが、その迫害にめげずに「真実のつぶやきはやむことがない」を実行する中から、やがて、ひとり、ふたりと少数意見が出現するようになり、やがてそれが次第に多数意見を形成するようになって、ついにかつての門前払いの多数意見は消滅してしまった。つまり、司法における人権実現とは関が原の決戦のように一発勝負で決まるものではなく、もともと倦まずたゆまず、一歩ずつ前進していくほかない「終わりのない漸進」運動なのです。
4、10月26日の住まいの権利裁判の判決
三浦意見は311以後に初めて出現した画期的な判決です。つまり、原発事故は百年続く人災です。その「百年の悲劇」と決別して真の復興に向かうため、今まで書かれたことのなかった原発事故の救済のあり方を最高裁判決に書き込んだもので、これは福島原発事故を小さく見せ、なかったことにしようとしてきた政府・原子力ムラに衝撃を与えました。つまり、彼らは、このあと、二度とこんな判決が出ないように徹底した反撃に出る決意をした。それが10月26日の住まいの権利裁判の判決。もしこれが何らかの「保守本流の法律家」の信念に出たものなら、こんなスカスカな判決は書けない。ここには己の信念のカケラもない、こういう結論で書けと押し付けられて、それで嫌々ながら書いているのが明々白々の判決です。なぜなら、肝心の判決理由は重要争点(国際法の間接適用)をスルーして、重要な理由付け(法の欠缺、国際法の直接適用)もスルー、重要な理由付け(裁量権の逸脱濫用の有無)もおおざっぱ極まりない。
つまり、裁判官は権力者だから、自分の思うとおりの結論は書ける。しかし、その理由付けは私たちが主張した理由にはひとつも答えられなかった、その意味で実質の中身は敗北した。
つまり、この判決は裁判所の腰砕け判決、張りぼて判決。
そこで問題は、これにどう対処したらいいか。
5、今、私たち市民ができること
裁判所が信念を喪失している時、どうしたらいいか、それは簡単です。私たち市民が信念を示すだけです。それしかありません。現に最高裁がそう言っています。いかなる形態の結婚が認められるべきか、それを決めるのは裁判所でも国会でもない、国民の声・意識だと。なぜなら主権者は国民だからです。
だから、今、原発事故の救済はどうあるべきか、という311以後初めて日本社会に登場したこの最重要問題の解決策を示す最後の切り札は私たち市民の手にあります。
判決で大事なことは、誰が判決を書いたかではなく、何が判決に書き込まれているかです。そのような意識をもって、三浦意見がどのように正義にかなった普遍的な判断を示しているかどうか、それを考えながら読み込んで欲しい。そして、三浦意見の中で賛同できるところは、これを市民の宝物として共有して行きたいし、行くべきだと思います。
このようにして三浦意見に表明された考えが広く市民に支持されて初めて、その本来の価値を発揮するようになります。その意味で、三浦意見を生かすも殺すも、それは私たち市民の手に掛かっています。今日、そのことを訴えたいと思います。