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2020年10月30日金曜日

【第50話】つつしんで老年に告ぐ「老年よ、大志を抱け」(2020.10.30)


私は311の年(2011年)に還暦を迎えた老年である。

それまで、私も多くの市民、正確には多くの中高年の例にもれず、原発が事故を起こすなんて夢にも思わなかった。311原発事故は文字通り、天と地がひっくり返らんばかりの青天の霹靂だった。 そのあと、青年たちの目から見て、私も含め大の大人たちが、上は政権担当者から下は庶民に至るまで、思い切り狼狽し、頭がおかしくなったのではないかと思えるほど「あべこべ」で、奇々怪々の醜態をさらすことになったのは周知の通りである。

戦争を除いて、311原発事故は日本人がかつて遭遇したことのない、日本史上、最悪、最大の人災である。しかし、大人たちは、311原発事故で思い切り狼狽し、途方に暮れたにもかかわらず、「日本史上、最悪、最大の人災」が何を意味するか、その意味を正面から問おうとしない。「今が大事」という紋切り文句を口実に「復興、復興」と叫び続け、自分たちの失態を一刻も早く記憶のかなたに消し去ろうと必死になった。そのような、根本的には何も反省しない、無責任な大人たちの姿勢がもたらす帰結は、結局のところ、311原発事故の被害の隠蔽(被害者の泣き寝入り)と、将来の原発事故と悲惨な被害の再来である。
この無責任体制は今度こそ間違いなく、日本社会を崩壊に導く 。

大人がこのように無責任に開き直っている時、いったい誰がこの亡国的な異常事態を正常化するのか。 それは老年である。スウェーデンのような国なら十代の青年が声を上げるかもしれないが、この国では老年がこれを担う。
老年を古臭く、朽ち果てた粗大ゴミのように考える人がいるが、それはちがう。
老年にとって、この先に待っている最大のものは死である。だから、今さら失うものがない。この点で、まだ何も持っていない青年と似ている。
老年にとって、失うのをおそれるとしたら、それは単に自分の子孫ばかりではなく、自分たちのあとに続く世代の命、健康、暮らしが損なわれることである。だから、ごく自然に、こうした公共のために身を捧げたいと考える。この点で、世界の公共の正義、人権のために身を捧げたいと考える青年と似ている。
老年にとって、最も身近かな存在は自分の死である。だから、ごく自然に、「死ぬ時に、『自分は一体何のために生きてきたのか』と後悔したくない、『よし、これでいい』と思って死にたい」と考える。この点で、自分の命を投げ出しても後悔しない青年と似ている。

人の一生を円の輪のように考えれば、以上の意味で、一生の終りにいる老年は一生の初めにいる青年に最も近い。


ただし、老年に、311後の無責任、亡国的な異常事態を正常化する意欲・資格があるとしても、そこから直ちに、この異常事態を正常化できるとは限らない。そのためには、正常化を実現する力(能力)を身につける必要がある。誰もが核兵器はなくすべきだと考えたとしても、そこから直ちに核兵器禁止条約が実現するわけではなく、それを実現する力を備えた無数の市民の出現と行動によって初めてこれが実現したのと同じように。

日本には「無知の涙」という素晴らしい言葉がある。311原発事故は未曾有の過酷事故、従って客観的には「未知との遭遇」だった。しかし、311まで、私たちは「わが国の原発はチェルノブイリ原発とはちがう。原発事故は起きない」と宣伝された安全神話の中に眠っていた。その意味で、未知ではなく、限りなく無知だったのだ。
だから、安全神話に眠らされていた私たちにとって、311原発事故は「無知との遭遇」だった。その無知のせいで、取り返しのつかない事態をもたらしてしまったと、ひそかに「無知の涙」を流した人たちの一群に老年がいる。
今、そのような「無知の涙」を流した老年に残されていることは、この異常事態を正常化するために必要な能力を身につけ、これを実行に移すことである。


ただし、これは私たちが初めてではない。これを百年前に実行した人たちがいた。中国の民主化運動・文化運動の原点である1919年5月の五・四運動を準備した雑誌「新青年」の発刊である。

国内の封建的抑圧と国外の帝国主義の侵略で二重に苦しめられていた中国社会を憂いる青年たちに向かって、亡国の崖っぷちに立つ中国社会を再生するために、「民主主義と科学」をスローガンに、再生に必要な以下の能力を身につけた新青年になるよう訴えた。それが雑誌「新青年」の創刊の辞「つつしんで青年に告ぐ」(原文→敬告青年)である。この訴えは、再び深刻な政治的抑圧が到来した百年後の今、中国ばかりか日本の私たちにも鮮烈なインパクトを与える。
だから、私は新青年の精神から学び、日本の老年も以下の新老年になることを訴える。

◆自主的であって、奴隷(マインドコントロール)的でないこと
◆進歩的であって、保守的でないこと
◆進取的であって、退隠的(引きこもり)でないこと
◆世界的であって、鎖国的でないこと
◆実利的であって、虚飾的でないこと
◆科学的であって、空想的でないこと


この「つつしんで青年に告ぐ」は「青年よ、学べよ」で締めくくられている。

私もまた、この「つつしんで老年に告ぐ」の一文を「老年よ、学べよ」で締めくくる。
私たち老年に残されたこともまた、亡国の崖っぷちに立つ日本社会を再生するために、「民主主義と科学」に関する学びを通じて、再生に必要な上記の能力を身につけ、行動する新老年になることだから。
つつしんで老年に告ぐ。
「老年よ、大志を抱け」 そして
「老年よ、学べよ」

 

 

 

2 件のコメント:

  1. 同感です。科学や法律分野とは違いますが、本日触れた、映像の世界から。本日、「ねりま沖縄映画祭2020ーわたしの沖縄 あなたの沖縄」の3日目に行きました。2018年 100分、制作NHKの『返還交渉人』を見せていただきました。老年よ・・・の言葉の通り、本当に知らないことが多いことを改めて教えてもらいました。今さらにですが、最近富に無知だということを思いますが、知っていくことが、すべて、人の命や国の在り様等、根幹に関わる事柄について、自身の無知を、これまで以上に突き付けられ、驚きます。「老年よ、学べ」、どこまで生かせる学びとなるか疑わしいですが、少しは、賢くなり、これからの人達に禍根を積み重ねないようにと強く思うこの頃です。柳原さんのずっと後ろ、しっぽの先に、ついていけるか分かりませんが、トコトコ、ヨタヨタでも歩んでいけると良いなと思っています。柳原さん、御身大切に!!

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    1. 私も日々学ぶ事を忘れずに大志を抱き続け
      柳原先生、皆さまと一緒に一歩ずつ

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