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2020年11月2日月曜日

【第51話】311後の私たちは今どこにいるのか、どこに向かうのか(1)「前書き」(第1稿)(2020.11.1)

311原発事故の自己封鎖(封印)
先ごろ、福島の人から、思いの丈をぶつける激しいメールを頂いた。 

311から9年半経過し、外見上、福島原発事故はまるでなかったかのように元の日常生活に戻っている。しかし、このメールから、その人にとって、311以来、時間は止まり、福島原発事故はさながら昨日の出来事のように生々しい体験として存在していた。

私もまたこの間、311原発事故のあと「頭の中がグジャグジャになり」、何度か進退窮まる絶体絶命の場面に出くわし、途方に暮れる中で、こんなことは仮に自分があと数百年生き永らえたとしても経験できないような異常な出来事を経験したのだという実感に襲われていた。

同時に、私も、おそらくこのメールを書いた人も、実は、この「数百年生き永らえたとしても経験できないような異常な出来事」をどのように受け止め、その意味をどのように理解していったらよいか、その手がかりさえつかめず、正直なところ、今なお 翻弄され、途方に暮れている。しかし、日常生活を送る上で、これ以上、翻弄され、途方に暮れてはやっていけない。だから、日常生活の中で311原発事故を封印(自己封鎖)をする習慣を身をつけるようになった。

ところが、たまたま、日常生活の中に非日常的な出来事が顔をのぞかせる場面に出くわすと、その拍子に、この間封印してきた体験が突然、身体中を突き抜けるように猛然と暴れ出し、再び、311直後の翻弄され、途方に暮れた痛ましい瞬間が昨日のことのようによみがえる。それは、ズタズタに引き裂かれるような苦痛の襲来である。こんなつらいよみがえりはもうごめんだ。だから、今度こそ二度とよみがえりが起きないように、ガチガチに心の底に封印しようとする。だが、その懸命の努力も、願った通りには続かない。ふとしたことで、311原発事故が生々しく思い出される場面に出くわすと、元の木阿弥となるからである。

このくり返しは殆ど病気である。しかも誰もがかかっておかしくない心の病気である。このようなつらいくり返しを終りにすることができるのだろうか。

もしできるとしたら、それは「数百年生き永らえたとしても経験できないような異常な出来事」の意味を自分なりに納得がいくまでつかみ取るしかないのではないか。しかし、そもそもそれができないため、翻弄され、途方に暮れているのに、そんなことが果して可能なのか!
けれど、「異常な出来事」の意味をつかみ取る手がかりはある。それは「過去の同様の出来事」から学んで、教訓を汲み取ることだ。それは「歴史の経験から学ぶ」ということだ。

自分史
この点について、私自身、ひとつのひそかな確信がある。私は貧困家庭で育ったため、幼くして、貧困から抜け出すことを我が身の最大の課題として背負わされた結果、小3から大学受験勉強をめざし、司法試験勉強を含め、20代の終りまでギネスブック級の長期間の受験勉強という牢獄生活を送ってきた。受験勉強の極意は「あなた(出題者)好みの人間になること」である。テストの出題者が喜ぶ解答を書くこと、つまり出題者に忖度する能力であって、創造性とか自由な個性とかは何の関係もない。そのため、人より1点でも点数を稼ぐために忖度に神経をすり減らす日々で青春を費やしてきた。受験勉強がどれほど人間性を歪め、ボロボロにするかをいやと言うほど経験してきた。その結果、司法試験合格のあと、これで成功者の切符を手に入れた!と勝利の美酒に酔いしれる合格者の群れの中で、貧困から抜け出し幸せになるために、自分をここまで非人間的な極度の不幸に陥れた「受験勉強という異常な出来事」の意味を考えざるを得なかった。

ところが、意外だったことは、この「異常な出来事」の意味を考えざるを得なかったことが、社会に出てからの自分の人生の節目節目で決定的な意義を持った。社会に出てからもまた、(出世競争の中で精神を病んだり、働きすぎで過労死になったりといった)「異常な出来事」に何度も出くわしたからである。私は「受験勉強という異常な出来事」で人一倍不幸だったから、金輪際、こんな不幸はくり返さないと決意していたので、社会に出てから出くわした「異常な出来事」に免疫ができ、簡単には飲み込まれずに済んだ。

その体験の中で分かったことは、結局、日本社会の本質は生まれてから死ぬまで、「食うか食われるか」の弱肉強食の競争社会であり、その最初の洗礼が「受験勉強」にすぎなかったのだ。だから、不幸にして、幼くして最も悲惨な「受験勉強」の中にほおり込まれ、「受験勉強」の意味を徹底して考えざるを得なかったが故に、そこで学んだことが、その後の残忍酷薄の競争社会で不幸になることをくり返さないための智慧を授けてくれた。競争社会から距離を置き、そこで我が身をすり減らすことを極力回避する上で貴重な指針を与えてくれた。
知らない間に、私は受験勉強に関する自分史を鏡に、社会に出たあと直面した競争社会の困難な課題の解決に取り組んでいた。知らない間に、私は自分の「歴史の経験から学ぶ」ことをやっていた。どうやら、それは私の人生の中で最も価値ある生き方の1つなのだと気がついた。

そうだとしたら、この「歴史の経験から学ぶ」という生き方は、311後の「数百年生き永らえたとしても経験できないような異常な出来事」の意味をつかむという、最も困難な問題にこそ振り向けられるべきではないか。

311原発事故の意味をつかむ挑戦が個人と社会を変える
もちろんその挑戦が簡単に達成されるとは思わない。たかだか私個人の「受験勉強という異常な出来事」の意味をつかむためだけでも、25年の四半世紀もかかったのだから、世界史的な大事件の311原発事故の意味は一生かかってもつかめないかもしれない。

しかし、もともとこの意味をつかむ挑戦は永久運動=「終りのない取り組み」である。少なくとも、この挑戦を続ける限り、それまでのように、日常生活の中で311原発事故を封印(自己封鎖)してきた習慣を変えることができる。柄谷行人は「デモが社会を変える。デモをすることで、デモができる社会に変わるからだ」と言った。これと同じ意味で、311原発事故の意味をつかむ挑戦をすることで自分は変わる。それまでのように、日常生活の中で311原発事故を封印する習慣を変えることができるからだ。これは小さい一歩だが、同時に偉大な一歩である。それまでには決して出来なかった習慣の変更だから。そして、この一歩を踏み出した個人が一人また一人出現することで日本社会は変わる。「原発事故は終わった」とする日本社会に初めて、真っ向から、311原発事故の意味をつかむ挑戦を続ける人々が出現したからだ。これこそが「原発事故は終わっていない」ことを身をもって実行する人たちの出現だからだ。

以下は、「歴史の経験から学ぶ」ことにおいて我が国のみならず世界で最も傑出した人間の一人と確信する丸山真男--もし彼が311原発事故を経験したなら、きっとその意味を考え抜いただろうという想像とどのように考え抜いただろうかという創造を働かせながら--から示唆と激励を受けて挑戦した、311原発事故の意味の探求スケッチ第1稿である。

天安門事件という「異常な出来事」の意味
私にとって福島原発事故と並んで、私の「頭の中がグジャグジャになり」、「幕末の黒船のごとく、能天気に眠りこける私の脳天を一挙に打ち砕いた」衝撃的な体験が天安門事件だった。この事件で、私はこの社会で自分が夢を見て生きてきたことを、チコちゃんから頭から水をぶっかけられるように、思い知らされ、そのあと、生活習慣が一変した(ー>こちら)。ただし、この時はそれ以上、天安門事件という「異常な出来事」の意味を歴史から学ぶということをしてこなかった。

最近、丸山真男が生前、内輪で話をした内容を集めた「丸山真男話文集」があることを知り、その4に、天安門事件について、
近代中国の民主化の原点であり、未完にとどまった百年前の五・四運動の継続である
という彼のコメントを読み、今までまったく想像もしていなかった風に、天安門事件を見直すことができることに胸を突かれた。それは、「歴史」というメガネをかけて世界を眺めることで、今までとまったく違った風に事件の意味を捉えることができると思い知らされた瞬間だった。

そこから、大胆不敵と思いながら、「ペーペーの青二才の老年」のはしくれとして、311原発事故の意味を歴史の経験から学ぶ挑戦に出ようと思い立った。

((2)に続く)

                 天安門広場の五・四運動(1919年5月4日)


                
天安門広場の六四天安門事件(1989年6月4日)



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