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2020年11月3日火曜日

【第54話】311後の私たちは第四の開国&市民革命の継続の中にいる(2)「第三の開国の原点、それは民主主義は理念(精神)と運動と制度の三位一体」(第1稿)(2020.11.3)

なぜイギリスで世界最初の市民革命が成功したのか
半世紀前に買ったまま一度も手にしたことのなかった本を 先日たまたま読んでいて、釘付けになる記述に出会った。
それは、世界で最初に、民主主義の獲得に成功した運動=18世紀半ばのイギリスの清教徒(ピューリタン)革命について、なぜそれが成功したのか、その理由について述べた次の記述だった。

当時、すでにイギリスの新興勢力であるジェントリー(貴族と平民の中間の階層で、新興地主、大商人、法律家など)が支配者の王・貴族に対し、経済的、政治的不満を募らせていた。
しかし、彼らが支配者に対し革命に立ち上がるためには、経済的、政治的不満だけでは十分ではなかった。
その不満に、より高い観点から「意味」を与え、更に、その不満を解決する「方法」を与え、加えて、その解決された後の社会のビジョンを与える理念・思想が備わっていなければ、革命は実現し得なかったであろう。
その理念・思想がピュータリズム(清教徒主義)で、その思想の主体がピューリタンである。

(有斐閣新書「近代政治思想史2」29頁)

なぜ釘付けになったかと言うと、たまたま、昨日「第三の開国」として紹介した戦後民主主義の激動期について、丸山真男の次の記述とリンクしたから。

民主主義というのは理念と運動と制度との三位一体で、制度はそのうちの一つにすぎない。理念と運動としての民主主義は、何十年前にいったことをくりかえすのは気が引けるけれど、「永久革命」なんですね。
資本主義も社会主義も永久革命ではない。その中に理念はあるけれども、やはり歴史的制度なんです。ところが、民主主義だけはギリシャの昔からあり、しかもどんな制度になっても民主主義がこれで終わりということはない。絶えざる民主化としてしか存在しない。現在の共産圏の事態を見ても分ります。
それが主権在民ということです。主権在民と憲法に書いてあるから、もう主権在民は自明だというわけではなく、絶えず主権在民に向けて運動していかなくてはならないという理念が掲げられているだけです。決して制度化しておしまいということではないんです。
その理念と運動面とを強調していくことがこれからますます大事になって行くと思います。

(天安門事件直後の1989年7月7日「戦後民主主義の『原点』」

1945年の三島市の庶民大学
このエッセイで紹介しているが、第三の開国の当時、それまで天皇主権の絶対制国家の中にいた市民は、敗戦と同時に、天皇の人間宣言という緊急事態宣言を受け、おったまげてしまい、人民主権、民主主義の到来に「頭の中がグジャグジャになって」、311後の私たちがベクレルやシーペルトを必死になって学んだように、主婦や労働者たちが人民主権、民主主義を必死になって学んだ。

丸山真男自身も、1945年の暮れから静岡県三島市の庶民大学に講師として、市民の学びに参加した経験をこのエッセイで語っている。この当時、彼が感じたことは、
1つは、これは明治維新(第二の開国)の追体験ではないか、ということ。
明治維新の時、封建制度が崩壊し、それまでの理念だった封建思想も崩れたとき、これからどんな理念を支えに生きていったらよいのか、当時の市民は必死になってこれを求め、福沢諭吉の「学問のすすめ」を10人に1人が読んだ。その再来が戦後にまたやってきた、と。
だから、この時、学問は知識でも情報でもなくて、どう生きるかという「主体の問題」だった。これが戦後民主主義の原点だった。敗戦当時、日本国憲法は制定以前で、制度はまだなかった。しかし、民主主義の理念と運動はものすごい勢いで始まっていた。
もう1つは、丸山が三島の庶民大学で話したことはフランス革命から始まるヨーロッパの思想史だった(当時のノート->こちら)。なぜなら、今日の社会主義も実存主義もナチズムも、それらが提起した問題はすべてフランス革命から始まるヨーロッパの思想が提起した問題が未解決まま、今日までずっと来ているからで、今日の問題を解くためには、そこから学ばないと分からないから。

彼自身がほおり込まれた戦後の激動期という「第三の開国」を、同じく激動の「第二の開国」との比較の中でとらえること、さらに歴史のダイナミズム、ジレンマの中でとらえることが、丸山真男の現実と向き合う姿勢だった。

第四の開国
もし今、これと同じ姿勢で、311後の私たちがほおり込まれている「第四の開国」をとらえようとしたなら、民主主義を「理念と運動と制度との三位一体で、制度はそのうちの一つにすぎない。理念と運動としての民主主義は、絶えず理念の実現に向けて運動していかなくてはならない『永久革命』である」ととらえたなら、例えば、311後の懸案事項である「チェルノブイリ法日本版の市民立法」のプロジェクトは次のようにとらえ直すことができる。

「制度」として何を目指すかは、ひとまず「チェルノブイリ法日本版」の案(私案は->こちら)として明らかにされている。
しかし、この法律案が日の目を見るためには、有力政治家にお任せするのではなく、主権者である私たち市民が民主主義の力で勝ち取るしかない。だとしたら、
そのためには、本来、理念と運動と制度の三位一体である民主主義の「理念と運動」の取り組みに力を注ぐ必要がある。このうち、「運動」は、これまで、日本各地で、会のメンバーがめいめいの条件の中で創意工夫して取り組んできた(もちろん、これをもっと精力的に取り組んでいく必要がある)。
これに対し、「理念」については、殆どやってこなかったのではないか。
私からみてその最大の理由は、「民主主義は理念と運動と制度の三位一体である」という認識がなかった(とても弱かった)からだと思う。市民立法を掲げていたのは「運動」の方法を示したものであっても、「理念」についてまで考えていなかった。今までは、目標の「制度」(チェルノブイリ法日本版という条文)と方法の「運動」(市民立法)さえあればそれで十分だと思っていた。
しかし、ここまでやってきて、民主主義の「運動と制度の三位一体」という本質を突きつけられた時、今までのやり方ではダメで、不十分だと分った。

「理念」の運動=文化運動(五・四運動)の日本版
そこで、「第四の開国」の激動期の中にいる私たちは、最も遅れている「理念」について、第二の開国(明治維新)、第三の開国(戦後民主主義)当時の理念・精神・息吹にならって、「学問のすすめ」に取り組んでいきたいと思う。

それは、一昨日、【第52話】のしめくくりで書いた、「民主主義と科学」をスローガンに掲げた、百年前の中国の「理念」の運動=文化運動(五・四運動)の精神・志を継続する積りで、新老年=「新『新青年』」の運動をやりたい、これとまっすぐにつながっている。どちらも、311後の私たちの経験したことの意味を「歴史の経験から学ぶ」ことを具体化したものだから。

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