新老年とはいえ、老年にはちがいないから、抜歯みたいなのが日常の話題である。今日は7日の新宿デモのため、延期してもらった歯医者の治療日。虫歯の様子を見て判断する予定だったが、診断の結果、抜歯と決定、即実施。60数年間の分身にお別れのあいさつをする間もなく、「帰りの自転車はゆっくりこぐように」とかこまごまとした注意事項を与えられる。
少々、クラクラした頭で帰宅。すると、玄関わきに、アブラセミが腹を上に寝そべっている。夏の間捕まえて、そのまま標本みたいにしていたやつがここに転がっていたのかと拾い上げる。すると、足が動き出す。一瞬、ウソだろう!しかし、セミはお構いなく、足を必死にバタバタさせる。11月にセミにお目にかかったことは初めてのことで、よくぞ遠方より来てくれたと家に招き入れる。
テーブルの上に置いて、様子を見る。動かないので、足に触れると、少しずつ前に動く。しかし、また止まる。こちらがまた足に触れると、また動き始める。こいつ、11月なんかに地上に現れて、俺なんかよりもうよっぽど老年なのかも。しかし、ほっとくと、しばらくすると、ずんずん前に向かって歩き出していた。どこへ行くんだい?ここにいても、何も食べ物ないし‥‥
庭のみかんの若枝にでも連れていってあげようかと、人差し指にセミをとまらせて、2階から庭に移動し始めた。
その時である。私の指にちょっとした激痛が走った。何だ、この痛みは?!
痛みは、セミがとまっていた人差し指から来た。見ると、セミの長い口が私の親指に突き立っている。
こいつ、オレの人差し指に突き刺して、オレから養分を吸おうとしたのか。
この無謀な行動に、思わず、感動してしまった。
市民立法「チェルノブイリ法日本版」の行動は、「全ての希望の扉をたたき、開き、注ぎ込む」という取り組みだ。今日、出会ったセミが生きるために、私の親指に口を突き刺そうとしたのは、君もまた「全ての希望の扉をたたき、開き、注ぎ込もう」としたからだ。君の「全ての希望の扉をたたくぞ」という意気込みは、私に鋭い痛みとしてしっかり伝わった。おかげで、抜歯の痛みが、一瞬、どこかに吹き飛んだ。
その意気込みで、君に残された老年を、庭のみかんの樹液で満たしてくれることを祈る。
私も、君から授かった意気込みを胸に、私の「全ての希望の扉をたたく」取り組みに向う。
追伸(11.12)
翌日、その後、セミはどうしているだろう?とミカンの木の周りの様子を探ってみたが、姿は見つからなかった。3日後の今日、再び、ミカンの木の下を探してみたら、地面にセミが横たわっていた。そっと救い上げ、そっとお腹を押してみる。3日前のように、足をバタバタさせるんじゃないか、と。それはなかった。しかし、セミは私の指にゆっくりと押された。
まだ命が宿っているかのようなつややかなうちに、記念撮影。
そのあと、君の生きた最後の場所に穴を掘ってささやかな墓を作る。君が私の人差し指を突き刺そうとした志は永遠の命の証だ。
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