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2024年12月20日金曜日

【第169話】12.19官邸前アクション:アンタ あの子らの何なのさ!(24.12.20)

昨日、久々に、脱被ばく実現ネットの官邸前アクションに参加した。
以下はその時の脱被ばく実現ネットの最高裁決定に対する抗議のスピーチ(3回目)

10年間取り組んできた子ども脱被ばく裁判に対する最高裁の応答(棄却決定)を12月2日に受け取った。それ以来、この間、たまっていた毒気を一度思い切り、吐き出したいと思って、昨日のスピーチで吐き出し切れなかった毒気を以下に記す。

もし半世紀前、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドがこの最高裁の棄却決定を歌にしたらこんな歌ができるかも‥‥

アンタ あの子らの何なのさ!

この裁判が311後で最も重要な裁判だというのに

子どもらの10年間の膨大な主張と証拠に対し、

たった1頁、4行と2行の合わせて三行半判決という応答、

アンタ あの子らの何なのさ!

 
こんなざまを見せつけられりゃあ

子どもらだって開いた口がどうやってもふさがらねえ

アンタ あの子らの何なのさ!

恥を知れ!

子どもらに謝れ!

さもなけりゃあ、アンタ 永遠にゴミ屋敷だぜ

アンタ ならず者(国)の用心棒だね

       
         最高裁の11.29決定(本文は以下。全文>こちら


 


2024年12月19日
最高裁は子どもたちに謝罪すべきだ

柳原敏夫(子ども脱被ばく裁判の弁護団)

最高裁判所は、先月11月29日、いわゆる「子ども脱被ばく裁判」の上告の申立に対し、これを退ける決定を出しました。

子ども脱被ばく裁判は、福島原発事故当時福島県内で居住していた親子が原告になって、被告国及び被告福島県に対し、被告らが福島原発事故直後に、子どもたちを被ばくから防護するためのまともな対策を取らなかったこと、すなわちSPEEDI等の被ばくに関する情報を隠蔽したこと、子どもたちに安定ヨウ素剤を服用させなかったこと、一般公衆の被ばく限度として定められている年1mSvの20倍である年20mSvを基準として学校を再開し、そして子どもたちを集団疎開させなかったこと、長崎大学の山下俊一氏を使って根拠のない安全宣伝を繰り返したこと等の違法な行為によって、福島県の親と子どもたちは、自分たちが放射能の被ばくをどの程度まで受け入れ、或いは受け入れないのかについての自分で決定するという自己決定権を奪われ、その結果、子どもたちは、本来なら避けることができた無用な被ばくを強いられた、その責任を問う、2014年8月、福島地方裁判所に提訴された訴訟です。

13年前の福島原発事故当時、被災地の多くの人たちは被ばく問題についてほとんど知識がありませんでした。ベクレルもシーベルトもわからず、被ばくの危険性も分からず、自分たちの生活環境がどの程度汚染されているかの情報もありませんでした。その中で、子どもたちの命、健康を福島原発事故から守るためには、被ばくについての正確な情報、被ばくの危険性についての偏らない知識が不可欠でした。しかし、この本当に必要な、本当に切実な情報は国と福島県によって隠蔽され、偏った安全宣伝が繰り返されたのです。これによって、子どもたちに無用な被ばくをさせてしまったと悔やんでいる多くの人たちがおり、その後、甲状腺がんに罹患した若者を含め、体調不良に悩む人々は少なくありません。このことに対する国や福島県の責任を明らかにしない限り、福島原発事故によって無用な被ばくによって苦しんでいる人たちの救済が果たされないばかりか、将来の原発事故の際にもまた同じ悲劇が繰り返されることになる、そのような切実な思いで提起された訴訟でした。

提訴の翌年2015年2月、裁判をどのように審理するかを協議する第1回目の進行協議の会議が行なわれ、国や福島県の大勢の代理人によりすし詰めとなった会議場に参加した原告の井戸謙一弁護団長は次のように報告をしました。
圧倒的な数の被告代理人らをみて、被告らが、この裁判には絶対に負けるわけにはいかないと考えていることを感じました。他方、裁判所は、この裁判が社会的にも強い関心を持たれる重要な裁判であること、科学論争が予想され、難しい裁判になるとの認識を言葉の端々で示されました。
長期低線量被曝、内部被ばくの危険性を無視して、これによって健康被害が生じてもうやむやにしてしまうという政策は、そのまま原発再稼働、核兵器所有に結びついています。その政策のために、ふくしまの子どもたちが犠牲にされているのです。長期低線量被曝、内部被ばくの危険性を正面から問う裁判は、日本全国を見渡しても、この裁判しかありません。負けるわけにはいかないとの被告代理人らの姿勢、重大な裁判であるとの裁判所の認識に触れ、改めて、この裁判の重要性を感じるとともに、原告こそ負けるわけにはいかないのだと思いを強くしました。


すなわち、この裁判こそ311の福島原発事故後の日本社会をどう建て直すのかという再建の道筋を左右する、最も重要な人権裁判であると。
この思いを胸に、原告らは10年間、被告の責任を明らかにしてきました。これに対し、2021年3月1日の福島地裁判決、そして2023年12月18日仙台高裁判決は私たちの主張をことごとく退けました。しかし、そこにはきちんとした理由付けが何もありませんでした。そこで、原告らは、最高裁に上告し、今年3月、私たちがこの10年間取り組んできた主張と証拠を詳細に主張する上告理由書を提出し、最高裁に、高裁判決と上告理由書の一体どちらの理由が正当であるのか、その判断を最高裁に仰ぎました。

ところが、最高裁は、それから1年もしないうちに早々と、今回の決定で、原告らの主張は認められないとだけ述べて、内容には全く踏み込まず、4行と2行の判決文(>全文)で、文字通り三行半で原告らの申立てを退けました。最高裁はこれまで、重要な人権の裁判については、その結論が市民の主張を退ける時でも、最低限、その退ける理由は自ら具体的な判断を示して来ました。有名な1967年の朝日訴訟最高裁判決。これは原告の朝日茂さんの死亡により訴訟は終了したと原告の訴えを退けましたが、しかし、それに続いて、「念のため」と断って、25頁にもわたって、最高裁の考えを示しました。昨年6月17日の福島原発事故に対する国の責任を否定した最高裁判決すらもその理由を明らかにしました。

なぜか。それは「理由を示す」こと、それが司法が他の立法や行政とちがうところだからです。なんで今の国家に、立法や行政のほかにわざわざ司法があるのか。それは国が結論を下すときに必ずその結論を導く証明をすることが求められるからです。司法というのは、理由を示してなんぼの世界なんです。その司法が理由を示さなかったらどうなるのか。司法の自殺です。司法自身が人権侵害のゴミ屋敷です。
今申し上げたように、子ども脱被ばく裁判は福島原発事故後の日本社会の再建の道筋を左右する、最も重要な人権裁判です。しかし、このような重要な裁判に対し、最高裁は「理由を示してなんぼの世界」という存在意義を自ら否定して、具体的な判断を一言も示さなかったのです。

これを子どもが聞いたらどう思うでしょうか。子ども脱被ばく裁判の主役は子どもだからです。したがって、最高裁は子どもにも分かる言葉で、自分が下した判決の理由を示す必要がありました。しかし、たった4行や2行の言葉で、原告の子どもたちが数万行を使って求めていた問題に対する応答が出来るでしょうか。できるはずがありません。最高裁は、このことだけでも、子ども脱被ばく裁判の原告の子どもたちに謝るべきです。そればかりか、子ども脱被ばく裁判の原告の子どもたちは福島原発事故で被ばくした全ての子どもたちを代表して提訴した人たちです。だから、最高裁は、自分の三行半の判決に対し、福島原発事故で被ばくした全ての子どもたちに向かって謝るべきです。それをしない限り、みずから司法の自殺行為に出た最高裁は永遠に立ち直れないと思うのです。

そして、これは子どもたちの問題だけではありません。今回の判決によって最高裁は人権侵害のゴミ屋敷の中で自死してしまいました。そのために大変な被害を被ったのは福島原発事故の沢山の被害者ばかりではなく、裁判所を「人権の最後の砦」とみなしてつきあってきた私たちひとりひとりの市民です。

今回の判決が教えることは、私たち市民は私たちの人権がゴミ屋敷の中に打ち捨てられているとき、これを救済する大切な砦を失ったということです。
最高裁の上には裁判所はありません。しかし、最高裁の上には主権者である私たち市民がそびえているのです。市民が、日本社会を人権侵害のゴミ屋敷にして平然としている最高裁に「それはおかしい」という声を上げること、それによって、人権侵害のゴミ屋敷社会から復興できるのです。それは一気には実現できないでしょう。だが、あきらめずに一歩一歩前に進む中で、必ず実現できます。今日はその最初の一歩の呼びかけをさせて頂きました。共に頑張りましょう。
以 上


 

 

 

 

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1、これまでの経緯 2011年に福島県の強制避難区域外から東京東雲の国家公務員宿舎に避難した自主避難者ーーその人たちは国際法上「国内避難民」と呼ばれるーーに対して、2020年3月、福島県は彼らに提供した宿舎から出て行けと明渡しを求める裁判を起こした。通称、避難者追出し訴訟。 それ...