3月18日、「住まいの権利裁判」8回目の裁判。
原告(避難者)から、裁判所に「一歩前へ出る司法」を訴える準備書面(12)(ー>全文のPDF)を提出。以下は、法廷で朗読したその要旨。
そのエッセンスは、国際人権法から「逃げる司法」から、国際人権法と向き合い「一歩前へ出る司法」へ態度変更することを訴えたもの。
果して原告の願いは裁判所に届けられたか。裁判長は「この書面で原告が言わんとしていることはよく理解できました」と述べた。これには正直、驚いた。なぜなら、この裁判と兄弟裁判であった「追出し裁判」の福島地裁の裁判官が被告(避難者)に示した態度、すなわち国際人権法に対する盲目的な嫌悪と露骨な排除の態度とは正反対の態度だったから。
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原告準備書面(12)要旨
2024年3月18日
本書面は、これまでの原告主張の核心部分を整理したものである。
1、問題の所在――裁判所による「欠缺の補充」について――
問題点が必ずしも広く共有されている訳ではないが、311後の日本社会の際立った法律問題は原発事故の救済について法律の備えがなく、いわば法の全面的な穴(欠缺)状態が発生したこと、にもかかわらず、国会は半世紀前の公害国会のような、速やかな立法的解決を殆どしなかったことである。
その結果、現実に発生した原発事故の救済についての全面的な法の穴をどう穴埋めするか(欠缺の補充)をめぐって、裁判所にどのような責務が発生するのか、すなわち「新しい酒をどのように新しい革袋に盛るのか」これが重要な問題となる。
2、検討その1
最初の問題は、「法の欠缺」状態に対し立法的解決が図られない場合、裁判所は「欠缺の補充」をする必要があるかである。答えは、この場合、裁判所による「欠缺の補充」は不可避であり、必要不可欠である。
なぜなら第1に、法の「欠缺の補充」を実行しないかぎり、裁判所は原発事故の救済について「法による裁判」が実行できないからである。
第2に、準備書面(12)第3、2で詳述した通り、「法の欠缺」状態にある放射性物質についての「環境基準」をめぐり国会も裁判所[1]も「欠缺の補充」をせず放置している結果、放射能汚染地に住む子どもらの安全に教育を受ける権利を侵害される事態を引き起こして是正されないままでいる。この事例からも明らかな通り、法の「欠缺の補充」を実行しないと深刻な人権侵害が発生しているのにそれが放置されたままになるからである。
第3に、準備書面(12)第1で詳述した通り、「法の欠缺」状態に対し国会が立法的解決に動かない場合、それは民主主義の政治過程に「真空地帯」という重大な欠陥が生じ、その結果、人権侵害が発生するという憂慮すべき事態であり、そのような場合には司法は一歩前に出て人権問題を積極的に審査すべきだからである。
第4に、以上について述べた最高裁判決を紹介する。それが半世紀前、深刻な公害問題で発生した「法の欠缺」状態に対し立法的解決が果たされない場合、裁判所による「欠缺の補充」の重要性を「新しい酒は新しい革袋に盛られなければならない」という比喩で強調した、1981年12月16日大阪国際空港公害訴訟最高裁判決の団藤重光裁判官の次の少数意見である。
「本件のような大規模の公害訴訟には、在来の実体法ないし訴訟法の解釈運用によつては解決することの困難な多くの新しい問題が含まれている。新しい酒は新しい革袋に盛られなければならない。本来ならば、それは新しい立法的措置に待つべきものが多々あるであろう。」
しかし、諸事情によりその立法的措置が果たされない場合、裁判所による「欠缺の補充」の出番であると次の通り締めくくっている。
「法は生き物であり、社会の発展に応じて、展開して行くべき性質のものである。法が社会的適応性を失つたときは、死物と化する。法につねに活力を与えて行くのは、裁判所の使命でなければならない。」(33~34頁)
第5に、この「欠缺の補充」の必要性と次に述べる「欠缺の補充」をいかに実行するかという問題はひとり福島原発事故関連裁判だけのテーマではなく、昨今大きな話題になった選択的夫婦別姓事件など現代の最先端の裁判が避けて通れない普遍的なテーマでもある。
3、 検討その2
第2の問題は、「欠缺の補充」は不可避だとして、その場合、裁判所はいかにして「欠缺の補充」を実行するかである。
(1)、その答えの1番目は、一般論としては序列論すなわち憲法を頂点とする実定法的規準全体と整合性が取れていることが補充の法理として言われるが、本件においては憲法以上に国際人権法と整合性が取れていることがとりわけ重要である。
なぜなら第1に、憲法に定められている社会権の規定は本件に適用するには今なお抽象的すぎるきらいがあるのに対し、国際人権法は過去の様々な人権問題への取組みの経験の中から社会権の規定の内容を具体的に豊かにしてきて、社会権規約の「一般的意見」や「国内避難民に関する指導原則」の中に、本件に適用するに相応しい具体的な規定が豊富に盛り込まれているからである。
第2に、準備書面(12)第4で詳述した通り、近時の最高裁判所も、35年前、社会権規約の「一般的意見第3」を見落とし社会権規約2条1項に対する誤読に陥って、社会権規約の裁判規範性を否定した塩見事件最高裁判決の頃とは様変わりし、人権問題に対して国際人権法を適用もしくは援用することに積極的な姿勢が顕著である。すなわち、昨年10月25日性別変更の手術要件の規定について全員一致の違憲判決はWHOの声明及び欧州人権裁判所の判決を違憲判断の基礎として掲げた。その10年前の2013年9月4日婚外子の法定相続分違憲判決においても、社会権規約や子どもの権利条約の条文を引用するのみならずそれらの条約の履行状況について各委員会の意見表明、勧告の事実をも詳しく挙げて国際人権法を適用もしくは援用することに積極的な姿勢を示してきたからである。
(2)、その答えの2番目は、準備書面(12)第2、1で述べた通り、司法は一歩前に出て積極的に審査すべきであるとしても、その趣旨はあくまでも人権保障という法的観点から人権侵害の審査を行なうことであって、それ以上、政策の当否といった政策論争の審査ではないということである。すなわち、審査のやり方とは司法が行政庁の判断に代わって自らあるべき政策決定を下す(判断代置方式)のではなく、あくまでも人権保障の観点から行政判断の結果およびその判断過程における政治的行政的な不均衡及び不備をチェックし、それらの均衡及び不備を是正するという限りで積極的に判断することである。本件でいえば、原告らが求める積極的な審査とは、無償提供を打ち切った本件福島県知事決定に対し、裁判所に福島県知事に成り代わって無償提供の期限について自らあるべき決定を下すことを求めているのではなく、あくまでも、本件福島県知事決定の結論及びその判断過程を人権保障の観点からチェックして貰いたい、そこで明らかになった問題を是正するために積極的に審査・判断して貰いたいという意味である。この点の原告主張について誤解のないことを望むものである。
4、本件
原発事故の救済を求める本裁判において、原告らが裁判所に期待していることは、今紹介した最高裁の団藤裁判官の言葉どおり、「法は生き物であり、社会の発展に応じて、展開して行くべき性質のものである」こと、それゆえ「法につねに活力を与えて行くのは、裁判所の使命でなければならない」ということである。すなわち、原告らは福島原発事故のあと政府が勝手に線引きした強制避難区域の網から漏れ、谷間に落ち、本人には何の責任もないのに、たまたま谷間に落ちてしまった。その結果、政府のより救済されない中を、放射能のリスクから命をかけて「子どもを守る」或いは「自分や家族を守る」と決断して自主避難を選択し、仮設住宅の提供以外に国と福島県から真っ当な生活再建の支援もない中を、この間ずっと、慣れない都会の中で自力で努力し続けてきた人たちである。このように過去に経験したことのない「さ迷える市民」にされた原告らの過酷な現実を踏まえて、原告らの救済について、裁判所みずからが「欠缺の補充」を真摯に実行すること、それが原告らの願いの第1である。
そして、裁判所が「欠缺の補充」を実行するにあたっては、憲法とりわけ国際人権法が明らかにした「国内避難民の人権」という観点から真摯に実行すること、それが原告らの願いの第2である。
5、最後に
本裁判で原告らが一部請求をしたのは印紙代の節約という経済的理由ばかりではなく、原告らの真意を裁判所に伝えるためである。原告らは自分たちを金銭で救済せよと求めているのではなく、これは人間の命、健康に関わる最も重要な基本的人権の問題である、だから、この人権侵害を何としてでも是正して欲しいと、それで、被告県の行政行為が人権侵害をしていることの確認を求めて本訴に及んだものである。訴状に記載の通り、「原告らの受けた精神的苦痛は筆舌に尽くし難いものであり」、その苦痛はあくまでも原告らが受けた人権侵害を回復する中でしか癒されない――本裁判を起こした原告らの真意を裁判所は真摯に受け止めて、「個々の孤立した少数者である災害弱者の地位に落とされ、苦しみの中で救いを求めている人たちの基本的人権」の問題を積極的に審査して欲しいと切に願うものである。
6、今後の進行について
以上を踏まえて、準備書面(12)第5、求釈明及び第6、被告認否の整理で詳述した通り、これまで被告の主張書面でなされた認否・反論について種々不明な点を整理した。いずれも今後の争点整理及び立証活動にとって極めて重要な論点であるので、これらの不明な点について被告の見解を明らかにされたい。
以 上
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