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2024年3月30日土曜日

【第139話】オッペンハイマーの訓え:政科分離こそ政教分離と同様、現代の最大の試練(24.3.29)

かつて「神の権威」が政治統治に利用され、神のお告げに基づいて政治決定がなされた(神政政治)。

今日、それと同じ統治原理が科学の名のもとに行われている。「科学の権威」が政治統治に利用され、神の代わりに科学のお告げに基づいて政治決定がなされている。

しかし、かつて神政政治が政治の堕落を招いたように、科学の権威による統治も政治の堕落を招く。それは狂牛病に端を発した2005年の米国牛輸入再開に至る一連のドタバタ騒ぎの経過を思い出せば一目瞭然である。ジャンク科学、似非科学が「科学の権威」の名のもとに政策決定の大義名分とされた。その結果、市民の胸中に、たとえ真相は藪の中だとしても、政治とリスク評価と称する科学に対する抜き難い不信感が一層形成された。

しかし、こんなドタバタ劇を反復するのは愚劣である。いつか途方もない人災の中に多くの人々を陥れるからである。それが3.11原発事故が私たちの頭に叩き込んだ最大の教訓である。

そのために、かつて神政政治の弊害の苦い反省の中から政教分離=「政治と宗教の分離」の原理が確立したように、これと同様の原理、政科分離=「政治と科学の分離」の確立が科学でも必要である。

しかも政科分離を絵に描いた餅ではなく、生きた原理として機能させるためにはこの原理を具体化する必要がある。それが「科学技術を我々市民の手に取り戻す」具体的な仕組みである。しかもそれは飽くなき利潤追求のために細分化・分断化・専門化された従来の科学技術ではなく、統合化、総合化され、循環・安全性を確保した科学技術である。「ローマは一日にしてならず」だが、3.11のあと、政科分離の壮大な取組みの最初の一歩がまもなくスタートする。それが「市民と科学者の内部被曝問題研究会」だった。

その試みはその後、頓挫した。ちょうど、オッペンハイマーの後半生が受け入れられなかったように。しかし、その試み、挑戦の姿は普遍だ。それは私たちを常に、永遠に鼓舞し、そこから新たな挑戦を産み出す源泉となる。 

さらに、政教分離の教訓から政科分離の必要性に気づいたならば、その学びはもっと拡大されるべきだ。それが政権分離つまり、人権問題もまた政治から分離されるべきである。この気づきは、政教分離の見方、もっと言えば世の中の見方を根本的に変える力を秘めている。

(2011.12.15 第1稿)

 

2024年3月28日木曜日

【第138話の続き6】【NOでは足りない、つつましいYESの提案】避難者を戸外に追い出す強制執行のストップに必要な最高裁への特別抗告に賛同のお願い(24.3.28)

 福島県の強制執行について、その後の動きと最高裁への新たなオンライン署名のお願い。

今回の福島県の強制執行の執行停止を求める申立は【第138話の続き5】の通り、仙台高裁で却下されました。この異常事態を受け、まもなく最高裁へ特別抗告します。
この特別抗告を支援する緊急のオンライン署名をスタートしました。
世論に最も敏感な最高裁に民の声を伝えるために、是非とも賛同・拡散をどうぞよろしくお願いいたします。

【緊急】最高裁は、「福島県の避難者に対する強制執行」の一時停止を求める避難者のささやかな願いに、「人権の最後の砦」として真摯に耳を傾けて下さい。
https://chng.it/fgkXr8d6D2

2024年3月27日水曜日

【第138話の続き5】3.25仙台高裁却下決定に対する弁護団声明(24.3.26)

 被告避難者の弁護団は、私たちの執行停止の申立に対し、本日、仙台高裁が強制執行の停止は認めない(予定通り、来月8日の執行を認める)という決定を昨日に出したことを知りました。

以下、これに対する弁護団声明です。  

********************

 3.25仙台高裁却下決定に対する弁護団声明

1、 信じられないような決定である。

金銭の請求ならともかく、建物の明渡しの執行停止では、今すぐ強制執行させないと取り返しのつかない事態になることは通常考えられない。

本件でも福島県に今すぐ建物の明渡を必要とする切迫した事情もない。

もし建物の居住権という私たちの主張の根拠が弱いというのなら、その分、担保金の金額をあげればよい。

どこをとっても本件の執行停止を却下する理由にはならず、裁判所の悪意を感じずにはおれない。

この決定は被告避難者の「公平な裁判を受ける権利」と「国内避難民に認められた居住権」の侵害であり、強く抗議する。

私たちは、こんな理不尽に屈することは絶対しない。(文責 柳原敏夫)


2、 当該住民は、本件追出し訴訟の憲法違反性等について

最高裁に於いて徹底的に闘い抜くことを固く決意している。しかし、この権力的追出しによって、この闘いが非常な困難に直面することは避けられない。

 むしろこの非常識な決定は、そのような困難性をも見越して、そのことによって控訴審に於ける自身の憲法32条違反の違憲違法の訴訟指揮(1回結審による当該住民の主張立証の機会の封殺)を不当に隠蔽し、あくまでも、住民福祉の責務に違背した憲法違反の福島県を擁護しようとしてなされたものであることが明らかである。

 しかし我々は、このような攻撃に決して挫けることはない。万難を排して、この闘いに心を寄せて下さっている全国の皆様と固く連帯して、最高裁闘争を闘い抜く決意である。引き続いての御支援を、心より御願いします。(文責 大口昭彦)

【第138話の続き4】夜明け前(24.3.26)


今日、被告避難者の執行停止申立(上の表紙。本文こちら)が却下されたのを知った。
本日、福島県が申し立てた避難者を退去させる強制執行、その執行の停止を求める避難者からの申立に対し、仙台高裁から「申立を却下する」決定を出したと連絡があった。
申立書の本文にも書いたとおり、たかだか退去を強制執行するのを最高裁の判断が出るまで待って欲しいという、つつましい一時的な停止すら許さないのか、この国の裁判所は。
人権の砦とされる裁判所が、これほど残忍酷薄で、何というバカなことをしたものか。

しかし、黙って手をこまねいている訳にはいかない。この理不尽な事態をただせるのは、これを読む、まだ読まないひとりひとりの市民しかない。だから、まだの人は、不服従&抵抗の証として、オンライン署名を!>https://www.change.org/Jutaku-240311
すでにすませた人は、最高裁に私たちの声を届ける、新たなオンライン署名を!(今、準備中)

2024年3月25日月曜日

【第138話の続き3】今回の福島県の強制執行にお墨付きを与えた福島地裁判決に対する人々の声(24.3.25)

 裁判途中にもかかわらず、避難者の追い出しの強制執行に着手した福島県が錦の御旗にしているのが福島地裁の一審判決。福島地裁が仮の強制執行を認める判決を下したから、自分たちは単にそれを粛々と実行したに過ぎない、と(民の声新聞が福島県に取材した記事参照)。

では、その福島地裁判決というのはどういう内容か。これを全面的に論じたのが判決言渡し直後の弁護団声明(>こちら)と控訴理由書(>こちら)。
なかでも、
退去に対する福島地裁判決の考えが最も鮮明に表明されているのが次のくだり。

《被告らの主張が、本件各建物から退去することにより、 被告らの生存権等が侵害されるとの趣旨を含むものであるとしても、それらは生活保護その他の社会保障制度によっても補完しうるものであり、 本件各建物への居住の継続が認められないことをもって被告らの生存権が侵害されたとはいえない。29頁3~7行目。>判決の全文PDF

すなわち、判決が退去を命じても避難者の生存権の侵害にはならない、なぜなら退去のときには生活保護その他の社会保障制度が避難者の最後のセーフティネットとして機能するから、と。

判決の「生活保護=セーフティネット」論が日本の生活保護の現実から遊離し、ひとり裁判官の頭の中でのみ存在しうる観念上の想定の中で考えて判断したものであって、独断的判断の典型であり、不合理極まりない欺瞞的なものであることは【第137話の続き2】の投稿で明らかにした通りです。

 今、この投稿を読んだ方から、今回の福島県の強制執行にお墨付きを与えた福島地裁判決に対する率直な感想が寄せられたので紹介します。あなたも感想がありましたら、お寄せ下さい(>oidashistop-clafan@song-deborah.com まで)。

 *********************

 (敬称略)

 福島地裁判決への批判文章、拝読しました。
 まったく、世間を知らないままの酷薄な判決ですね。
 それも、加害者の原子力マフィアの一員として、被害者にさらなる苦難を強いるものです。
 許しがたいものと思います。

                           (2024/3/25  小出 裕章)

 

  

【第138話の続き2】福島県はなぜ裁判途中なのに避難者を追い出す強制執行に出れたのか(24.3.24)

 以下は、今回の福島県の強制執行を正当化する理由について検討し、その正当化の理由とされる福島地裁判決の「生活保護=セーフティネット」論の欺瞞を明らかにしたものです。

1、最初の問い
今回、福島県は、避難者追出し裁判が最高裁に係属中であるにもかかわらず、
強制執行を申し立てて避難者を追い出す行為に出た。なぜそのような強引な振舞いができたのか。

この点、民の声新聞が福島県に電話取材をして「なぜそこまでするのか」と尋ねている(>記事)。応対した福島県生活拠点課橋本耕一主幹曰く
われわれとしては裁判所に認められた範囲内で手続きをさせていただいている」まで、と。つまり、裁判所が判決で仮の強制執行をしてもいいと認めてくれたから、福島県はそれに従ったまでだ、と。

しかし、元はと言えば、福島県自身が進んで、訴状で、この仮の強制執行を認めるように求めたのがそもそもの出発点。ここからして福島県の振舞いは残忍酷薄極まりない。

それに応じて、福島県の残忍酷薄な請求をそのまま認めた福島地裁の判決も劣らず残忍酷薄。この点を民の声新聞が取材した元裁判官の井戸謙一弁護士はこう言う
金銭支払いを命じる判決では、判決が確定するまでに財産を隠されるなどの事態を避けるために仮執行宣言をつけることが多い。しかし、住宅の明け渡しの場合は通常、仮執行宣言をつけない。強制執行などしてしまったら取り返しがつかないから。仮執行宣言をつけた裁判官の避難者に対する悪意が感じられる 

さらに、一発結審を強行して避難者の控訴を棄却し、福島地裁判決をよしとした仙台高裁も同様に残忍酷薄。司法が行政の行き過ぎをチェックするのではなくて、行政と司法ががっちりタッグを組んで、この残忍な強制執行が実現した。私たちはこういう独裁国家のもとに生きている。

2、2つ目の問い
では、
福島地裁は、この仮の強制執行を認めることをどのように考えていたのか。この点、福島地裁判決は退去を命じても生存権の侵害にならないとこう書いた。

被告らの主張が、本件各建物から退去することにより、 被告らの生存権等が侵害されるとの趣旨を含むものであるとしても、それらは生活保護その他の社会保障制度によっても補完しうるものであり、 本件各建物への居住の継続が認められないことをもって被告らの生存権が侵害されたとはいえない。29頁3~7行目。>判決の全文PDF

 すなわち、生活保護その他の社会保障制度は明渡しを余儀なくされた避難者の最後のセーフティネットであるから、追い出されても生存権の侵害の問題などおきないと。

では、避難者にとって生活保護がはたして現実に「彼等の生存権を維持する最後のセーフティネット」足りうるものか。まず、この点について、福島地裁はどのように吟味検討をしたのか。答えは何一つ全くしていない。なぜなら、そもそも原告の福島県がこんな主張をしたことがなかったからである。その結果、福島地裁は審理の中で、この点について主張も立証も何一つ全く検討しなかった。判決で、いきなり不意打ちのように「生活保護があるから明渡しになっても心配ない」と認定を下したのである。審理なき判決を下す勇気は、あっ晴れ!

 次に、もしこの点について誠実に審理をしたらどのような結果になったか。この点、二審において避難者の主張は次の通りである(控訴理由書26~28頁)。

ア、日本の生活保護制度は、資産や能力等すべてを活用してもなお生活に困窮する人に対し、困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障し、その自立を助長する制度であり、「国民の権利」である。

イ、一方、日本の生活保護の捕捉率は、2018年の厚生労働省発表資料によれば所得が生活保護基準を下回っている世帯のうち22.9%しか生活保護を利用しておらず、先進諸国と比較して極めて低く、生活保護を受給する資格があったとしても約8割の人が受給できていない状況にある。
その理由として、第1に、生活保護の利用についての「死んでも福祉の世話にはなりたくない」「生活保護は恥」などの「スティグマ」(負の烙印、偏見)が強く、制度に対する強い忌避感を示す人が多いことが挙げられる。第2に、開始時の資産要件が厳格であること(現行最低生活費1か月分以下でなければ申請できない)、自動車保有や保険契約の保有要件が厳格であること、原則として扶養照会がなされるため親族に自己の困窮状況が知られることなどから経済的にも心理的にも利用のハードルが高いことが挙げられる。第3に、生活保護の申請窓口である多くの福祉事務所では恒常的に「水際作戦[1]」が展開されていることも挙げられる。

ウ、加えて、福島原発事故に特有の事情として次のことがあげられる。県外避難者の多くは避難生活を続けることで、「いつまでも放射能を気にしている神経質な人」などと周囲や親族などから揶揄されるなど家族との軋轢を生んだ。生活保護を申請すれば福島の親族に連絡されるかもしれないという恐怖と新たな軋轢。生活保護水準ではないが新たな住まいに必要な敷金、礼金などの入居費用の貯蓄余裕がない。生活保護を受けるためには子どもの保険解約や車両売却を求められるなど、これらの事情により避難者が生活保護利用を躊躇するのは当然である。

エ、さらに、唯一の給付制度である「住居確保給付金」にしても、避難者にとってこれは普遍的な住宅手当(家賃補助)となっていない。離職・廃業から2年以内または休業等により収入が減少し、住居を失うおそれがある人に限定されていることから多くの避難者にとって適用外であるからである。しかも、住居確保給付金は、一定金額以下の家賃が最大でも9ヶ月間給付されるだけであり、転居のための初期費用(敷金・仲介手数料等)は給付の対象外である。

オ、従って、原判決のように、原発事故被害者である避難者に居住継続が認められず立退きなったとしても生活保護制度があるからこれを活用すれば問題ないという態度は、以上の日本の生活保護の実態に全く無知の唐人の寝言の類であり、とうてい是認できない。

原判決は《その他の社会保障制度によっても補完しうるもの》と判示するが、ではいったい他にどのような社会保障制度があるのか具体的に説明する責任があるのにそれを果たしていないのは無責任極まりない。

カ、同様に、原判決は《本件各建物を明け渡すことにより、被告らは、福島県に帰還する以外にも、社会通念上選択可能な複数の方策が存在するといえるから、福島県への帰還を強制しようとする目的によるものとは認められない。》(24頁10~12行目。下線は控訴人代理人)と判示するが、ではいったいいかなる「社会通念上選択可能な複数の方策」が現実に存在するのかその中味を具体的に説明する責任があるのに、ここでもそれを何も果たしていないのは無責任極まりない。


[1] 生活保護利用を抑制するために生活保護の申請をさせないことをいう。

 3、退去の強制執行が生んだ日本の悲劇ーー千葉県銚子市・県営住宅追い出し母子心中事件ーー

以下、控訴理由書28~29頁より。
実際にも公営住宅から明け渡しを求められながら、生活保護を利用できなかったために痛ましい事件が発生している。

 それは、母子二人世帯が家賃滞納を理由に千葉県営住宅から明け渡しを求められた際に、「家を失ったら生きていけない」と考えた母親が娘を殺して自分も死のうと考えて、明け渡しの強制執行の当日に娘を殺してしまったが自分は死にきれなかったという、2014年9月24日に発生した事件である。

 この母親も生活保護の窓口に行ったが、福祉事務所では生活保護制度について十分な聞き取りもされず、申請意思の確認も申請についての援助や助言も受けられなかった。母親との面接記録では、「扶養義務者の状況」や「収入状況」、「勤労収入」など、生活保護の受給に必要な要件についての記入がなく、福祉事務所は具体的な聞き取りをしていないことが判明している。

 十分な聞き取りをしていなかったにもかかわらず、面接記録には「申請意思は無し」などと記載されていた。生活に困っているからこそ相談に来たにもかかわらず、福祉事務所はその意図をまったく汲み取らず、制度の説明をしただけで母親との面談を終了してしまったのである。

 生活保護の相談においては「相談者の状況を把握したうえで、他法他施策の活用等についての助言を適切に行うとともに生活保護制度の仕組みについて十分な説明を行い、保護申請の意思を確認すること」とされている(厚生労働省社会・援護局長通知第9・1)。しかし、実際の現場では保護審申請意思の確認や申請についての援助や助言をされていないことがほとんどである。

 裁判でも、保護実施機関には「生活保護制度を利用できるかについて相談する者に対し、その状況を把握した上で、利用できる制度の仕組について十分な説明をし、適切な助言を行う助言・教示義務、必要に応じて保護申請の意思の確認の措置を取る申請意思確認義務、申請を援助指導する申請援助義務(助言、確認、援助義務)が存する」とし、生活保護申請を援助する義務があるのにこれを怠ったこと(不作為)について、国家賠償請求法上の違法を認めている(福岡地裁小倉支部平成23年3月29日判決)

 制度としては生活保護があるとしても、生活保護の制度は一般には理解しがたいものであり(インターネット上には生活保護制度についての虚偽の情報があふれていることは周知の事実である)、実際には福祉事務所からの適切な援助や助言がなければ生活保護を申請すること自体が困難なのが実態であり、千葉県県営住宅での悲劇のような事件も生じているのである。

 生活保護があるから、明け渡しても構わないという福島地裁判決の発想はあまりにも現実を無視したものと言わざるを得ない。

4、結論

 以上の通り、福島地裁判決は、日本の生活保護の現実から遊離し、ひとり裁判官の頭の中でのみ存在しうる観念上の想定の中で考えて判断を下したものにほかならず、かつて薬局距離制限違憲判決(最大昭和50年4月30日)が《単なる観念上の想定にすぎず、確実な根拠に基づく合理的な判断とは認めがたい》と批判した独断的判断の典型である。日本の生活保護の現実を知る者にとって、この福島地裁判決は到底容認できない暴論であり、これだけでもこの判決は破棄されて然るべきものです。

判決に対する以上のような深刻重大な批判があることを重々承知の上で、福島県は、この暴論判決を錦の御旗にして、今回の強制執行に及んだものです。それは、毒を喰らわば皿までと言わんばかりのふてぶてしい振舞いです。福島県の責任は途方もなく重い。

2024年3月22日金曜日

【第138話の続き】「担保金支援クラウドファンディング」プロジェクトに賛同する人たちとそのつぶやき

 「避難者追出し裁判」の原告福島県が、裁判のまだ係属中にもかかわらず、被告避難者に対し、提供した応急仮設住宅からの退去を求めて強制執行に着手しました。この強制執行をストップさせるために必要な担保金を市民の手で支援しませんかと近くスタートするのが「担保金支援クラウドファンディング」のプロジェクトです(その詳細はこちら)。

以下は、このプロジェクトに賛同した人たちと寄せられた声です。あなたも一緒に参加しませんか。
賛同人になっていただける方は、お名前、所属(職業か市民団体)を以下のアドレスまでメールでお知らせ下さい。
*アドレス 
oidashistop-clafan@song-deborah.com
*受付   柳原敏夫

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◆◆賛同人の皆さん◆◆

(4月3日12時現在)(敬称略)

中井美和子(ピースムーブ・ヨコスカ)
荒畑正子(原発問題を考える埼玉の会)
赤坂たまよ(杉並区議会議員)
柴田政典(つなごう命の会/市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会)
阿部健太郎(脱被ばく実現ネット)
金野直行(会社員)
ノーマ・フィールド(シカゴ大学名誉教授)
合澤清(ちきゅう座運営委員長)
落合栄一郎(バンクーバー・米国ジュニアタ大名誉教授)
富岡英次(法律家)
山田知恵子(脱被ばく実現ネット)
松岡加代子(脱被ばく実現ネット)
伊藤とも子(脱被ばく実現ネット)
渡邊久美(脱被ばく実現ネット)
空野真澄(脱被ばく実現ネット)
漆原牧久(脱被ばく実現ネット)
黒田紀子(脱被ばく実現ネット)
宮口高枝(脱被ばく実現ネット)
田中正治(ネットワーク農縁)
友田シズエ(元ILO職員)
田辺保雄(原発賠償京都訴訟 弁護団)
市川はるみ(フリー編集者・ライター)
中村信也(新聞記者)
小川晃弘(オーストラリア・メルボルン大学教員)
コリン・コバヤシ(著述家、写真家 フランスNPO <エコー・エシャンジュ>会長/NPO<チェルノブイリ=ベラルーシの子供たちの会>理事) 服部賢治(日本キリスト教団東北教区放射能問題支援対策室いずみ 事務局長)
増田薫(松戸市議会議員)
星川 淳(作家・翻訳家)
鎌仲ひとみ(映像作家)
後藤由美子(僧侶) 飽本一裕(物理学者)
河田昌東(NPO法人チェルノブイリ救援・中部
平山朝治(自由な学問の会
渡辺一枝(作家)
橋本佳子(映像プロデューサー)
神田香織(講談師) 牛山元美(さがみ生協病院内科部長/甲状腺がん支援グループあじさいの会共同代表)
瀧秀樹(全労協退職者ユニオン・委員長)
岸本紘男(福島原発被害者訴訟支援全国ネットワーク) 矢ヶ崎克馬(つなごう命の会
村田 弘(原発被害者団体連絡会幹事)
三ツ橋トキ子(市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会
ちばてつや(漫画家)
冨塚元夫(脱被ばく実現ネット
蟻塚亮二(精神科医)
酒井かをり(『国内避難民の人権に関する国連特別報告者による訪日調査を活用する会』『国内避難民の人権に関する国連特別報告者による訪日調査を実現する会』
大庭有二(市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会
今野寿美雄(子ども脱被ばく裁判 原告代表)
郷田みほ(市民立法「チェルノブイリ法日本版」をつくる郡山の会
井戸謙一(子ども脱被ばく裁判 弁護団
岡田俊子(脱被ばく実現ネット/市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会
松本徳子(市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会

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賛同者の方からの声


今年の元旦能登半島地震 から体調を崩し SNSを見たりする事を 止めていました。 この3ヶ月 心と身体のメンタルを しながら、少しずつ 平常を取り戻して おります。 この度の賛同の件 メールを見て 賛同人として名を 連ねさせて頂きたいと 思いました。 福島は13年が経っても 何一つとして変わらず 益々悪く成る様に感じるのは私だけでしょうか? 今年元旦 能登半島地震で あれだけの被害が 起きたにも関わらず 福島県の与党自民党 政治家たちは 東京電力福島第一 原子力事故後の 『ALPS処理水は汚染水では無い』と言う 教育の現場にまで 介入する現状です。 春の訪れと共に 心と体に力を蓄えながら 未だ未だ 抗う事をやめては いけないのだと 自分自身に言い聞かせて 頑張りたいと 思っております。
取り急ぎ。

The emergency situation due to the accident of F1NPP has not been resolved yet. Hence the government (both national and local)
is responsible to protect the people affected by the accident. It is illegal and inhumane that the local government tries to remove
the protective measures for those suffering from the effects of the accident.
福島第1原発の事故による緊急事態は、収束していません。したがって、国家政府も地方政府も、事故の影響を受けた人たちを保護する義務があります。それなのに、福島県側が、そうした保護施策を勝手に反故にすることは、違法であり、人道にも反します。) 

2024年3月21日木曜日

【第138話】【NOでは足りない、つつましいYESの提案】避難者を戸外に追い出す強制執行のストップに必要な担保金のクラファンに賛同のお願い(24.3.21)

福島県が福島原発事故で福島から東京の国家公務員宿舎(応急仮設住宅)に避難した自主避難者を被告として、提供した応急仮設住宅から退去することを求めて提訴した「避難者追出し裁判」(1)、その強制執行のストップ(停止)に関して、賛同のお願いです。

今月3月8日、東京地方裁判所の6名の執行官が、被告避難者の避難先の国家公務員宿舎を訪れ、福島県が建物明渡しの強制執行の申立をしたから1ヶ月以内に荷物をまとめてここから出て行くようにと命じて、冒頭の催告書を置いていきました。

しかし、「避難者追出し裁判」は終わっておらず、最高裁に係属中です。福島県のこの申立がいかに不当なものであるかは以下の弁護団声明で明らかにした通りです。
弁護団声明
https://seoul-tokyoolympic.blogspot.com/2024/03/2439.html

他方で、政府が決めた強制避難区域の線引きから漏れた被告(自主避難者)は、放射能のリスクから「子どもを守りたい」と決断して着の身着のまま東京に避難しました。しかも避難先で生活再建のために政府によるサポートもないため、経済的困窮の中で自力でかろうじて生活を維持してきました2。その結果、このまま強制執行を強行されたのでは、寒空の下、戸外に追いだされ、たちまち路頭に迷うことになります。

それを回避するためには強制執行をストップ(停止)する必要がありますが、そのためには裁判所に納める担保金が必要です。そこで、この担保金を私たち市民の手で支援しませんかと近くスタートするのが「担保金支援クラウドファンディング」のプロジェクトです(3)。

このプロジェクトに賛同していただける方はぜひ、公表する賛同人名簿(こちら)にお名前を連ねていただけませんか。賛同人になっていただける方は、お名前、所属(職業か市民団体)を以下のアドレスまでメールでお知らせ下さい。
*アドレス 
oidashistop-clafansong-deborah.com(*を@に変換)
*受付   柳原敏夫

本来、原発事故の避難者は国際人権法の「国内避難民」として居住権が保障されます。それゆえ、福島県の「避難者追出し裁判」の提訴自体が、国連特別報告者のダマリーさんから「賛成できない。避難者への人権侵害になりかねない」とイエローカードを出されたように4)、違法なものです。ましてや、その裁判途中での強制執行は言語道断の人権侵害行為です。

そこで、このような、原発事故の避難者の家族に降りかかった人権侵害から彼らの命と健康と暮らしを守ることは、同時に、 いつ次の原発事故により避難者になるかもしれない私たち自身の家族の命と健康と暮らしを守ることでもあります。
さらには、未来の私たちの子孫の命と健康と暮らしを守ることでもあります。
それが、市民みんなの手で支援する「担保金クラファン」プロジェクトです。
国難の中で発生する人権侵害に対しては、市民みんなの手で取り組む。それが311後の社会の市民型公共事業のカタチです。

1)「避難者追出し裁判」

福島県が福島原発事故で福島から東京の国家公務員宿舎(応急仮設住宅)に避難した避難者を被告として、その宿舎から退去することを求めて20203月、提訴した裁判(詳細は以下まで)。
https://seoul-tokyoolympic.blogspot.com/2021/05/blog-post_18.html

2)被告(自主避難者)本人の陳述書は以下の通り。
https://seoul-tokyoolympic.blogspot.com/2024/03/blog-post_16.html

3)略称「担保金クラファン」プロジェクトの段取り

 強制執行の実施日が4月8日と迫っているため、執行停止に必要な担保金をいったん篤志家の協力で一時的に融通してもらったお金で納付し、強制執行をストップさせる。その上で、「担保金クラファン」プロジェクトに寄せられた多くの市民の寄付で、融通してもらったお金を篤志家に返済するという段取りを組んでいます。
 また、
担保金がいくらになるかはもっぱら担当の裁判官の判断に委ねられているため、実際に裁判官が決定するまでの間、おおよそでも金額を示すことができません。

4)福島県の「避難者追出し裁判」の提訴について、ダマリー国連特別報告者の離日時のインタビュー(>共同通信の記事
https://www.47news.jp/8448231.html




2024年3月19日火曜日

【第137話】一歩前へ出る司法を訴えた「住まいの権利裁判」原告準備書面(12)(24.3.18)

3月18日、「住まいの権利裁判」8回目の裁判。



原告(避難者)から、裁判所に「一歩前へ出る司法」を訴える準備書面(12)(ー>全文のPDF)を提出。以下は、
法廷で朗読したその要旨
そのエッセンスは、国際人権法から「逃げる司法」から、国際人権法と向き合い「
一歩前へ出る司法」へ態度変更することを訴えたもの。
果して原告の願いは裁判所に届けられたか。裁判長は「この書面で原告が言わんとしていることはよく理解できました」と述べた。これには正直、驚いた。なぜなら、この裁判と兄弟裁判であった「追出し裁判」の福島地裁の裁判官が被告(避難者)に示した態度、すなわち国際人権法に対する盲目的な嫌悪と露骨な排除の態度とは正反対の態度だったから。

   **********************

原告準備書面(12)要旨

2024318

 本書面は、これまでの原告主張の核心部分を整理したものである。

1、問題の所在――裁判所による「欠缺の補充」について――

問題点が必ずしも広く共有されている訳ではないが、311後の日本社会の際立った法律問題は原発事故の救済について法律の備えがなく、いわば法の全面的な穴(欠缺)状態が発生したこと、にもかかわらず、国会は半世紀前の公害国会のような、速やかな立法的解決を殆どしなかったことである。

その結果、現実に発生した原発事故の救済についての全面的な法の穴をどう穴埋めするか(欠缺の補充)をめぐって、裁判所にどのような責務が発生するのか、すなわち「新しい酒をどのように新しい革袋に盛るのか」これが重要な問題となる。

2、検討その1

最初の問題は、「法の欠缺」状態に対し立法的解決が図られない場合、裁判所は「欠缺の補充」をする必要があるかである。答えは、この場合、裁判所による「欠缺の補充」は不可避であり、必要不可欠である。

なぜなら第1に、法の「欠缺の補充」を実行しないかぎり、裁判所は原発事故の救済について「法による裁判」が実行できないからである。

 第2に、準備書面(12)第3、2で詳述した通り、「法の欠缺」状態にある放射性物質についての「環境基準」をめぐり国会も裁判所[1]も「欠缺の補充」をせず放置している結果、放射能汚染地に住む子どもらの安全に教育を受ける権利を侵害される事態を引き起こして是正されないままでいる。この事例からも明らかな通り、法の「欠缺の補充」を実行しないと深刻な人権侵害が発生しているのにそれが放置されたままになるからである。

第3に、準備書面(12)第1で詳述した通り、「法の欠缺」状態に対し国会が立法的解決に動かない場合、それは民主主義の政治過程に「真空地帯」という重大な欠陥が生じ、その結果、人権侵害が発生するという憂慮すべき事態であり、そのような場合には司法は一歩前に出て人権問題を積極的に審査すべきだからである。

第4に、以上について述べた最高裁判決を紹介する。それが半世紀前、深刻な公害問題で発生した「法の欠缺」状態に対し立法的解決が果たされない場合、裁判所による「欠缺の補充」の重要性を「新しい酒は新しい革袋に盛られなければならない」という比喩で強調した、1981年12月16日大阪国際空港公害訴訟最高裁判決の団藤重光裁判官の次の少数意見である。

本件のような大規模の公害訴訟には、在来の実体法ないし訴訟法の解釈運用によつては解決することの困難な多くの新しい問題が含まれている。新しい酒は新しい革袋に盛られなければならない。本来ならば、それは新しい立法的措置に待つべきものが多々あるであろう。

しかし、諸事情によりその立法的措置が果たされない場合、裁判所による「欠缺の補充」の出番であると次の通り締めくくっている。

法は生き物であり、社会の発展に応じて、展開して行くべき性質のものである。法が社会的適応性を失つたときは、死物と化する。法につねに活力を与えて行くのは、裁判所の使命でなければならない。」(33~34頁)

第5に、この「欠缺の補充」の必要性と次に述べる「欠缺の補充」をいかに実行するかという問題はひとり福島原発事故関連裁判だけのテーマではなく、昨今大きな話題になった選択的夫婦別姓事件など現代の最先端の裁判が避けて通れない普遍的なテーマでもある。


3、 検討その2

 第2の問題は、「欠缺の補充」は不可避だとして、その場合、裁判所はいかにして「欠缺の補充」を実行するかである。

(1)、その答えの1番目は、一般論としては序列論すなわち憲法を頂点とする実定法的規準全体と整合性が取れていることが補充の法理として言われるが、本件においては憲法以上に国際人権法と整合性が取れていることがとりわけ重要である。

なぜなら第1に、憲法に定められている社会権の規定は本件に適用するには今なお抽象的すぎるきらいがあるのに対し、国際人権法は過去の様々な人権問題への取組みの経験の中から社会権の規定の内容を具体的に豊かにしてきて、社会権規約の「一般的意見」や「国内避難民に関する指導原則」の中に、本件に適用するに相応しい具体的な規定が豊富に盛り込まれているからである。

第2に、準備書面(12)第4で詳述した通り、近時の最高裁判所も、35年前、社会権規約の「一般的意見第3」を見落とし社会権規約2条1項に対する誤読に陥って、社会権規約の裁判規範性を否定した塩見事件最高裁判決の頃とは様変わりし、人権問題に対して国際人権法を適用もしくは援用することに積極的な姿勢が顕著である。すなわち、昨年10月25日性別変更の手術要件の規定について全員一致の違憲判決WHOの声明及び欧州人権裁判所の判決を違憲判断の基礎として掲げた。その10年前の2013年9月4日婚外子の法定相続分違憲判決においても、社会権規約や子どもの権利条約の条文を引用するのみならずそれらの条約の履行状況について各委員会の意見表明、勧告の事実をも詳しく挙げて国際人権法を適用もしくは援用することに積極的な姿勢を示してきたからである。

(2)、その答えの2番目は、準備書面(12)第2、1で述べた通り、司法は一歩前に出て積極的に審査すべきであるとしても、その趣旨はあくまでも人権保障という法的観点から人権侵害の審査を行なうことであって、それ以上、政策の当否といった政策論争の審査ではないということである。すなわち、審査のやり方とは司法が行政庁の判断に代わって自らあるべき政策決定を下す(判断代置方式)のではなく、あくまでも人権保障の観点から行政判断の結果およびその判断過程における政治的行政的な不均衡及び不備をチェックし、それらの均衡及び不備を是正するという限りで積極的に判断することである。本件でいえば、原告らが求める積極的な審査とは、無償提供を打ち切った本件福島県知事決定に対し、裁判所に福島県知事に成り代わって無償提供の期限について自らあるべき決定を下すことを求めているのではなく、あくまでも、本件福島県知事決定の結論及びその判断過程を人権保障の観点からチェックして貰いたい、そこで明らかになった問題を是正するために積極的に審査・判断して貰いたいという意味である。この点の原告主張について誤解のないことを望むものである。

4、本件

原発事故の救済を求める本裁判において、原告らが裁判所に期待していることは、今紹介した最高裁の団藤裁判官の言葉どおり、「法は生き物であり、社会の発展に応じて、展開して行くべき性質のものである」こと、それゆえ「法につねに活力を与えて行くのは、裁判所の使命でなければならない」ということである。すなわち、原告らは福島原発事故のあと政府が勝手に線引きした強制避難区域の網から漏れ、谷間に落ち、本人には何の責任もないのに、たまたま谷間に落ちてしまった。その結果、政府のより救済されない中を、放射能のリスクから命をかけて「子どもを守る」或いは「自分や家族を守る」と決断して自主避難を選択し、仮設住宅の提供以外に国と福島県から真っ当な生活再建の支援もない中を、この間ずっと、慣れない都会の中で自力で努力し続けてきた人たちである。このように過去に経験したことのない「さ迷える市民」にされた原告らの過酷な現実を踏まえて、原告らの救済について、裁判所みずからが「欠缺の補充」を真摯に実行すること、それが原告らの願いの第1である。

そして、裁判所が「欠缺の補充」を実行するにあたっては、憲法とりわけ国際人権法が明らかにした「国内避難民の人権」という観点から真摯に実行すること、それが原告らの願いの第2である。

 

5、最後に

本裁判で原告らが一部請求をしたのは印紙代の節約という経済的理由ばかりではなく、原告らの真意を裁判所に伝えるためである。原告らは自分たちを金銭で救済せよと求めているのではなく、これは人間の命、健康に関わる最も重要な基本的人権の問題である、だから、この人権侵害を何としてでも是正して欲しいと、それで、被告県の行政行為が人権侵害をしていることの確認を求めて本訴に及んだものである。訴状に記載の通り、「原告らの受けた精神的苦痛は筆舌に尽くし難いものであり」、その苦痛はあくまでも原告らが受けた人権侵害を回復する中でしか癒されない――本裁判を起こした原告らの真意を裁判所は真摯に受け止めて、「個々の孤立した少数者である災害弱者の地位に落とされ、苦しみの中で救いを求めている人たちの基本的人権」の問題を積極的に審査して欲しいと切に願うものである。

 

6、今後の進行について

 以上を踏まえて、準備書面(12)第5、求釈明及び第6、被告認否の整理で詳述した通り、これまで被告の主張書面でなされた認否・反論について種々不明な点を整理した。いずれも今後の争点整理及び立証活動にとって極めて重要な論点であるので、これらの不明な点について被告の見解を明らかにされたい。

以 上



[1]その代表例が福島地裁令和3年3月1日安全な場所で教育を受ける権利の確認等請求事件判決(訴状49頁参照)

 

 


2024年3月16日土曜日

【第136話】福島県から強制執行を受けた自主避難者本人の陳述書

 以下は、今回、福島県から強制執行を受けた自主避難者本人が作成した、避難者追出し裁判の一審福島地裁に提出した陳述書に、二審で意見陳述をする積りで準備した原稿(仙台高裁が一発結審を強行したため、意見陳述の機会は奪われた)を書き加えたものです。

この陳述書に共感した方は→以下のオンライン署名を!

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被告本人の陳述書

目 次 

第1、略歴
第2、福島原発事故当時の生活
第3、福島原発事故後の生活・健康状態
 1、東雲住宅へ入居した当時

   2、無償提供の打切り

3、セーフティネット使用貸付契約

4、避難者向け300戸の都営住宅の募集

5、福島県からの住宅の紹介

6、避難先での「復興公営住宅」の建設

7、仕事について

8、生活再建に対する福島県の支援

9、一時使用許可書の申請

10、調停の申立て

11、最後に

 

第1、略歴

 私は196…年、……で生まれ、高校卒業まで過ごし、卒業後に東京に上京し就職、結婚、長女を出産し、東京で生活をしていました。しかし前夫の父が体調を崩し入退院を繰り返していた為、前夫の実家のある福島県南相馬市に1998年、長女が小学校入学に合わせ引越し、そこで次女も生まれ新たな生活を始めましたが、時間と共に夫婦間で少しずつずれが生じ、その結果、2002年に離婚に至り、私は娘2人を引き取り母子家庭としての生活が始まりました。

私は生計を立てる為、介護ヘルパーの資格を取得し、夜間も含め病院で介護士として働いていましたが、持病の腰痛が悪化したため社会福祉協議会に転職しました。住まいは知り合いの家に月3万円で間借りし、何とか生活をしていました。

第2、福島原発事故当時の生活
 そんな中、2011年3月11日に東日本大震災が発生し、南相馬市長より避難の要請が出された為、私は次女を連れて友人家族の車に便乗させてもらい関東方面に向かいました。

 しかし当時ガソリンが手に入らず、東京までは行けず、途中栃木県のそば屋で一泊させてもらい、翌日宇都宮駅から次女と各駅停車の電車に乗り、東京に向かいました。東京では頼れる人も居ないので、離婚した前夫の元に身を寄せましたが、その後 福島県の情報が全く入らず、どうして良いのか分からず途方に暮れて不安な時間を過ごしている中、次女の同級生が足立区の武道館に避難していることが分かり、そこへ会いに行き、初めて避難所があることを知りました。その避難所は避難者向け都営住宅の募集もしていて、老人ではないし当てはまらなかったけれど直ぐに申し込みをしましたが、落選通知が東京都から来て、その後東京都から「赤坂プリンスホテルに入れる」と連絡を受け、4月中旬頃、東京の専門学校に通っていた長女と合流して赤坂プリンスホテルに移動しました。6月末までそこで過ごして、その後、千代田区の全国町村会館へ移動、7月末に現在の住まいである東雲住宅へ入居しました。

 

第3、福島原発事故後の生活・健康状態
1、東雲住宅へ入居した当時
 福島原発事故当時住んでいた所は2011年4月に緊急時避難準備区域に指定されましたが、同年9月末にその指定が解除されて私は区域外避難者となりましたが、私は放射線に対し大きな不安があり、納得できず、我が子を守るため、地元に帰ることは出来ませんでした。結果、当時勤めていた南相馬市の介護施設を退職せざるを得ない状況となり、又 借りていた住居の大家からも「南相馬市に戻って来ないなら解約をし明け渡してほしい」と言われ、了解せざるを得ず、本当に辛く苦しい選択でした。それが我が子を放射線から守る為の判断として間違ってなかったと今でも思っています。

 当時 私は持病の腰痛を抱えアルバイトぐらいしかできず、次女の学費,又 生活費などは私のアルバイト代と長女の収入で何とかやりくりをしてきました。住宅が無償であったからやっと生活が成り立っていたのだと思います。

 実は次女の学校も決まり少し落ち着いたら職探しでもと思っていましたが、次女が東京の学校に馴染めず、入学後すぐに「学校に行きたくない。福島に帰ろう」と毎日泣かれてしまいました。ですが、あの事故で私の中では、子どもを連れて福島に戻るという選択は全くありませんでした。次女に日々、地元がどれだけ危険か説明、説得しましたが、そこから会話も無くなり登校拒否の始まりで、自室に篭り勝ちになり、親としてふっと「自殺」の文字が頭をよぎり、娘を一人にしちゃいけない恐怖とこんな中職探しなんかできないが、この先の生活はどうなるんだろうという不安とで日々圧し潰される思いで過ごしていました。

 登校拒否の中、クラスの同級生が我が家まで何回か顔出しをし、登校時も迎えに来てくれてと多々あり、保健室の先生も自ら自転車で我が家に来て次女の部屋に行きそのまま彼女の寝ているベットの中に一緒に横になりながら何時間も話をしてくれたりと、家族身内でない人たちにどれだけ励まされ、支えられ、又、親の私でさえ出来ないほどのたくさんの言葉や行動に感謝しきれないほど次女の為に動いてくれました。そこで少しずつではありますが、次女が変化するのが手にとるように見えてきて、そこからの第一歩が保健室登校の始まりでした。どれだけ感謝してもしきれないほどの思いが未だにあります。私たち親子は何も楽をして今日を迎えた訳ではありません。

 このように、どうにか東京に避難しましたが、友人や親せきなどのいない土地での生活は大変で、次女は慣れない学校生活で不登校や保健室登校となり母親である私も苦しみ、想像していた以上に毎日が不安な生活で、精神的に滅入って何も手につかず、先の事を考える事すら出来ない状態でした。

 2016年5月頃から短期の契約で、東雲のイオンの中にあるうどん屋「温や」で約1年弱、レジ担当と料理提供の仕事をしましたが、持病の腰痛が悪化し、2017年3月頃働けなくなりました。

 

2、無償提供の打切り

 2016年暮れ、福島県から、東雲住宅の無償提供を3月で終了するので、その対応として有償で2年間、今住んでいる国家公務員宿舎に継続入居できることになったので、避難者の意向を確認したいという文書が届きました。2017年1月10日までに提出するよう記載されていましたので、住むところが無くなると困ると思い、継続入居を希望するという意向調査書を提出し、そのあと、福島県から貸付条件等の書類が送られてきたので記入して、3月に誓約書と使用申請書を提出しました。そのあと、福島県からセーフティネット使用貸付契約書が送られてきました。そこには家賃と共益費合計で月6万2、3千円と書かれていました。当時、私は持病の腰痛の悪化のため働けなくなり、失業中でした。この状況で、この金額をこれから毎月払うことになると、「数か月は支払えたとしても、貯金や長女の収入から見ても、その後は払えなくなるのが見え見えだ」と、生活が成り立たないと不安が募り、かといって、ここから立ち退くことは、引越費用や、もっと高い民間の家賃を考えたら不可能なことは明らかでした。それで、契約書にサインして提出することが出来ずにいました。その為 福島県から責められていました。

 

3、セーフティネット使用貸付契約

2017年8月29日に、福島県の職員の方3名が 事前連絡もなく直接 玄関先に来て、「セーフティネット契約の締結の件で、まだ契約書が提出されてない」と言われました。私はまだ白紙のままの旨を伝えると、職員の一人が「私達はここで待ってるので 契約書にサイン 捺印をして直ぐに提出するように」と強制的に責められました。その時は丁重に断りましたが 正直 直接玄関先に来られた時は驚き、と同時に 恐怖感も有り 又 来るのではとビクビクしながら過ごしてました。

すると、9月15日にも、福島県の職員の方3名が玄関先に来ましたが、私は不在だったので訪問票が置いてありました。そこには「未契約状態での使用継続は看過できない状況となっており、今後は、法的措置等も含め明け渡しを請求する場合もございますので、ご承知おきください」と書かれていました。それで、こんなプレッシャーを受ける状態で生活するくらいなら早々と出した方が良いのかな、しかし払えないしと精神的にも参ってしまいました。

4、避難者向け300戸の都営住宅の募集

私にとって民間の賃貸住宅を借りるのはとても厳しい状況でしたので、都営住宅に入居を希望してました。2016年夏に、東京都が避難者向けに300戸の都営住宅の募集を行いました。そこには募集要件があって、一人親世帯に該当するためには同居家族が親と20歳未満の子であることが必要でした。しかし、私の長女は20歳を超えていて一人親世帯という世帯要件に当てはまりませんでした。かといって、一人親世帯に該当させるため長女を別居させるだけの経済的余裕もありませんでした。それで、福島県に相談したのですが、 福島県の人達は「一般の人達と違い枠を広げて設けてあるので 通常の申し込みで頑張って下さい」と返答するだけで、私が「何とか都に口添えを…」と願っても全く動いてもくれませんでした。それで、でもと思って応募してみましたがやはりだめでした。

 

5、福島県からの住宅の紹介

2019年11月、福島県から紹介された不動産関係者の方に依頼をし 物件をいくつか内見に行きましたが 中にはまだクリーニングも入ってない カビやホコリだらけの物件等もあり 又 こちらの家族構成や条件なども伝えてあるにも関わらず 私の質問「バス停が何処に有るのか?」「駅までの所要時間は?」「スーパーは近くに?」など生活する上で必要な事も全く調べてない様子で、返答すら曖昧な態度でした。それで、私は、福島県に対し、避難者に物件の紹介実績を残す為、事務的に紹介しただけなんだなと感じました。正直、私達に寄り添って探した物件とは とても思えませんでした。

6、避難先での「復興公営住宅」の建設

4で書きましたとおり、都営住宅の応募は世帯要件が壁になりました。けれど、避難所は収入要件も世帯要件も問われません。その一方で、自力で住宅を確保できない人のための復興公営住宅を福島県は建設していますが、それが被災県(福島県)のみにしか建設されず、避難者が避難した先には1棟も建設されていません。2011年9月末で緊急時避難準備区域の指定が解除されて、私は区域外避難者となり、その1年後に1人あたり月10万円の賠償も終了しましたが、私のような、原発事故被害でほとんど賠償を受けていない区域外避難者は自力で住まいを確保できず、公営住宅に頼らずには不可能です。この区域外避難者の窮状を福島県はよく知っているはずなのに、そのための施策を福島県は怠ったのです。いつも「県民に寄り添っていく」と言っていた福島県がなぜ私のような区域外避難者に酷い方針を立てているのか理解できません。

 

7、仕事について

 1で書きましたとおり、地元に戻らないと決めたので、原発事故当時勤めていた南相馬市の介護施設を退職せざるを得ませんでした。当時 私は持病の腰痛を抱えアルバイトぐらいしかできず、2016年5月頃からアルバイトとしてうどん屋で約1年弱、働きましたが、持病の腰痛が悪化したため、2017年3月頃やめざるを得ませんでした。2017年9月、NTTドコモの下請け会社で、携帯電話の故障などをチェックする仕事が見つかりました。初めての職種だったので自分にやれるか不安でしたが、働かないと食べていけないので、契約社員として1年半程勤務しましたが、その会社が移転の為、場所的に通う事が出来ず退社しました。その後はハローワークに通いながら友人の居酒屋の手伝い等をして、2年前にホテル業務の仕事が見つかりました。これも初めての職種で不安でしたが、そんなことを言っている場合ではないので、就職し、現在、何とかそれで決まった収入を得てる状況です。しかし1年契約で不安定なので、また、オミクロンのせいで、戻って来つつあったホテルの利用者がまた減ってきているので、この先どうなるか分かりません。

 

8、生活再建に対する福島県の支援

 ところで、7に書いた仕事はぜんぶ自分で自力で見つけてきたものです。福島県が紹介したものはひとつもありません。

 その一方で、福島県は福島県に戻る人のためには、就職の相談会を熱心にやります(2021 1 月もやっていました)。私のように戻らない人で避難先で就職を希望している人のためには、就職の相談会を熱心にやっていないと思います。以前、飯田橋で都内避難者向けの(お仕事説明会)のチラシは見たことがありましたが、しかし仕事先や給料、条件などの具体的な記載がなく、「仕事見つかりました」というコメントも資格のある人の話で、私には参考になりません。それで、これでは行ってもダメだろうなと思って行きませんでした。

 

9、一時使用許可書の申請

 2017年3月の住宅の無償提供打ち切りに対して、ほかの区域外避難者の人たちと一緒に、福島県等に、使用の継続をお願いする一時使用許可書の申請をおこないましたが、「施設の所有者でないため許可する管理権限を有していないから判断できず、申請書は返送する」といった意味不明な回答だったので、もう1回、同じ申請をしたところ、また同じ意味不明な回答しかありませんでした。口では「県民に寄り添っていく」と言う福島県が私のような区域外避難者になぜこんなよそよそしい態度を取るのか、理解できません。その具体的な内容は、本訴状の26~27頁に書かれているとおりです。

 

10、調停の申立て

2018年4月に、福島県から調停にかけられました。私は調停というのは、問題の解決に向けて建設的な話合いをする場とばかり思っていたのですが、実際はちがいました。福島県の態度は、セーフティネット使用貸付契約を締結しろと主張するばかりで、私が入居可能な物件の提案などはひとつもありませんでした。それで、見かねた調停委員が私を心配し、都営住宅の申込を続けることを勧めてくれました。けれど、一般の市民と同じ募集条件のために、そのうえ、福島県からは東京都に積極的な働きかけは何もなかったので、落選を続けました。そして、2019年1月に、福島県からの申し出で調停は不調に終わりました。最後の場で、調停委員は「実を取ればいいんですよ。すぐには明け渡しや裁判はしないでしょうから」と感想を言ってくれたので、私は少しホッとしました。しかし、私の期待は裏切られました。調停打ち切りのあと、2020年3月25日に提訴されたからです。

 

11、最後に

1で書きましたが、2011年9月に、福島原発事故当時住んでいた地元の緊急時避難準備区域の指定が解除されたとき、私は悩んだ末に、地元に戻らないと決断しました。今でも同じ思いです。当時、被ばくの被害がどの程度の範囲に及ぶかは誰にでも計り知れず、何より子どもたちへの被ばくを避けたいとの思いで今に至っています。
 しかし、そのため、友人も親せきもいない土地での生活や仕事探しは大変で、次女も慣れない学校生活のため不登校や保健室登校などで悩み、私も何回も転職をして、想像以上に不安な毎日を送らざるを得ませんでした。

これに対して、「県民に寄り添っていく」と言っていた福島県が、以上述べましたように、何故 私たち県民に酷い方針を立てているのか、私には理解出来ません。現在 福島県は避難者に地元に戻ってくるようアピールをし、戻ってくる人には手厚い保護や手助けをしていますが、「戻る権利」があるなら「戻らない権利」があって然るべきで、戻らない選択をした人達にも同様に責任を持って、寄り添うべきだと思います。

 原発事故が起きた時、南相馬市は全市避難でした。確かに避難場所として東京に来たのも私自身ですが、今 やっと自力で職も見つかり少しずつですが、生活を何とか出来るよう整えている状況の中で、なぜ住宅の追い出しをして来るのか、福島県の酷い方針にどうしても納得出来ません。

以 上

 

 

 

 

 


 

 

【第135話】福島県による「自主避難者の応急仮設住宅からの退去の強制執行」、その撤回を求める緊急オンライン署名がスタート(24.3.11)

         避難者追出し裁判の二審判決前(2024年1月15日)

3月11日、避難者追出し裁判の原告福島県に「自主避難者の応急仮設住宅からの退去の強制執行」の撤回を求める緊急オンライン署名がスタート。

 「福島県は避難者に対する強制執行の申立てを撤回し、国際人権法にづく人道的な措置を実行して下さい

1、避難者追出し裁判で、被告とされた避難者は、自分たちに未来永劫に応急仮設住宅の居住権を保障すべきだと主張している訳ではありません。あくまでも避難者を人間として扱ってほしい、人間として保障される人権(居住権)を尊重して欲しいと訴えているだけです。

2、もともと人権である以上、それは自分だけでなく全ての人の人権が尊重される必要があり、その結果、人権の「共存」が必要となります。その「共存」のあり方を示したのが国際人権法が保障する「居住権」です。それは「代替の住まいの誠実な提供」があれば明渡しを求めることができるというものです。国際人権法はこれにより人権の「共存」の折り合いをつけました。

3、本件も本来ならこのようにすべきです。つまり、福島県は被告避難者の現状を真摯にヒアリングして、どうしたら「代替の住まいの誠実な提供」が可能かを具体的に誠実に取り組むべきでした。しかし、現実に、福島県は今日に至るまで一切それをせずに、事前に、被告に強制執行の一報の連絡すらなく、いきなり問答無用とばかりに強制執行を申し立てたのです。

4、このような人権無視の振舞いはやめるべきです。福島県はひとまず 強制執行の申立を撤回して、国際人権法にのっとった人道的な措置に着手すべきです。この点について、国際世論は福島県、日本政府、そして日本市民の動向に注視しています。まず、我々日本市民がこの緊急オンライン署名にサインして、私たちの意思を世界に表明しましょう。

原告福島県の「自主避難者の応急仮設住宅からの退去の強制執行」に対する弁護団の抗議声明ー>こちら

2024年3月10日日曜日

【第134話】いかにして「欠缺の補充」を実行するかは福島関連裁判だけの主題ではない、選択的夫婦別姓など現代の最先端の裁判の主題である(24.3.9)

311後の日本社会の本質を映し出す鏡でもある「子ども脱被ばく裁判」「避難者追出し裁判」「避難者住まいの権利裁判」。この3つの福島関連の人権裁判に共通することーーそれは原発事故の救済に関して、日本の法体系が「法の欠缺」状態にあり、そこで、正しく「欠缺の補充」を実施することが急務だということにあった。なぜなら、正しく「欠缺の補充」をしないままに放置する結果、本来なら「欠缺の補充」によって原発事故の救済を受けられる人々がその救済を受けられず、人権侵害による無用な苦しみを余儀なくされるからだ。その意味で、これら3つの人権裁判は正しい「欠缺の補充」の不在による人権侵害の是正を求めるものである。

ところで、このような「法の欠缺」とその「欠缺の補充」はひとり福島関連裁判に限らない。2日前に報道(ー>NHK)された、選択的夫婦別姓を認めない日本の法体系は違法だと訴えた裁判のテーマもまた「法の欠缺」とその「欠缺の補充」。いずれの裁判もそのテーマは直ちに正しく「欠缺の補充」を実行すべき、である。

では、選択的夫婦別姓をめぐる2日前の裁判はどうして「法の欠缺」と「欠缺の補充」がテーマなのか。

それは、「法の欠缺」とは現実の紛争事実に対して、法律から具体的な判断基準が直接引き出せない場合のことだが、1989年に施行・公布された民法では「届出をしない夫婦の結合」は無効(法的な保護を与えない)とした。そこで、「届出をしない夫婦の結合(内縁)」は「届出をした夫婦の結合(婚姻)」と同法の法的保護が与えられないことになる。しかし、では内縁は具体的にどのような扱いを受けるのか、その具体的な内容については民法等の法律は判断基準を何も定めなかった。この点について、民法等の法律はノールール「法の欠缺」状態にあった。そこで次の問題が生じるーーいかにしてこの「欠缺の補充」を実行するか。内縁に対する社会の扱いは長い時間をかけてジワジワと変わっていったが、それは、この「欠缺の補充」の仕方がジワジワと変わってきたことを意味する。

2日前の選択的夫婦別姓をめぐる提訴も、その裁判の主題は民法等の法律が内縁に関してノールール「法の欠缺」状態にあったことに対し、憲法や国際人権法の見地から、直ちに正しく「欠缺の補充をせよ」、そうすればその補充の結果、選択的夫婦別姓が認められることになるはずだを問うものである。

今や、いかにして「欠缺の補充」を実行するかという問題が現代の最先端の裁判の中心的なテーマである。しかし、これに対する法律家の研究の遅れは歴然としており、恥じを忍んで言えば、「法の欠缺」をめぐる研究は、法律家の「研究の欠缺」問題である()。

)その中でも、殆ど唯一といっていい事例が高田事件をめぐる一審、二審、最高裁判決である(その全貌を解説しようとしたものがー>詳細

2024年3月9日土曜日

【第133話】避難者住まいの権利裁判で「法の欠缺の補充」のお手本として高田事件の3つの判決を解説した準備書面(13)を提出(24.3.8)

 原告準備書面(13) 1頁目(ー>PDF全文

今ではすっかり忘れ去られた朝鮮戦争当時のいわゆる公安事件とされた高田事件。この事件は裁判の審理が1954年を最後に中断され、1969年5月に再開されるまで15年にわたって放置されるという異例の展開となった。この事態が憲法37条1項で保障する「迅速な裁判を受ける権利」を侵害するものであることは明らかであったが、他方で、そのような場合の救済について刑事訴訟法に定めがなかった。法的にこの事態は「法の欠缺」であったが、その場合にどのように扱うべきかをめぐって、一審、二審、最高裁で判断が分かれた。

尤も、3つの裁判所は各判決では「法の欠缺」も「欠缺の補充」という言葉は一度も使わなかった。しかし、激論となった判決の内容はまさに「法の欠缺」と「欠缺の補充」をめぐって闘い抜かれたものであった。この意味で、3つの判決は「法の欠缺」と「欠缺の補充」をめぐって裁判所が議論し尽くした貴重な裁判記録である。そこで、この議論の紹介をしたのが、避難者住まいの権利裁判の準備書面(13)だった。以下、その目次。

目 次 

1、誤記の訂正                            

2、「法の欠缺」問題に対する裁判所の態度                

 (1)、はじめに――高田事件――                     

  (2)、一審判決(名古屋地裁昭和44年9月18日)            

 (3)、二審判決(名古屋高裁昭和45年7月16日)            

 (4)、最高裁大法廷判決(昭和47年12月20日)           

 (5)、小括                             

3、「司法積極主義」に対する裁判所の態度                              

【第132話】避難者追出し裁判の終わらないうちに避難者の追出しの強制執行を申立てた原告福島県に抗議する (24.3.9)

3月11日、福島県に「自主避難者の応急仮設住宅からの退去の強制執行」の撤回を求める緊急オンライン署名がスタート。署名はー>こちらから

強制執行を受けた自主避難者本人の陳述書ー>こちら 

 東京地裁の執行官が避難者に渡した催告書(24.3.8)

 以下は、昨日、避難者追出し裁判の裁判の最中に建物明渡しの強制執行の申立に出た原告の福島県に対する被告弁護団の抗議文です。
福島県のこの強制執行の申立はもはや避難者を見捨てる(棄民扱い)のではなく、迫害している。しかも、迫害しているのは本来、県民を守るためにのみ存在することが認められる公的な組織。それは避難者の生存権に対する恥ずべき侵略行為ではないだろうか。

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裁判の最中に建物明渡しの強制執行の申立に出た福島県に抗議する

2024年3月8日

「避難者追出し裁判」被告ら弁護団

        (2021514日、福島地裁の避難者追出し裁判第1回期日)

1、私たちは、福島県が福島原発事故で福島から東京の国家公務員宿舎(応急仮設住宅)に避難した避難者を被告として、その宿舎から退去することを求めて提訴した「避難者追出し裁判」の被告らの弁護団です。

本日、東京地方裁判所の6名の執行官が、被告が避難する国家公務員宿舎を訪れ、福島県が建物明渡しの強制執行の申立をしたから1ヶ月以内に荷物をまとめてここから出て行くようにと命じて、別紙の催告書(ー>PDF)を置いていきました。

2、しかし、「避難者追出し裁判」は終わっていません。被告らは、今年1月15日に言い渡された二審の仙台高裁の判決は国際人権法が避難者に認める居住権を無視するという誤りをおかしたもので破棄されるべきだと主張して、最高裁に上告しました。昨年10月25日、最高裁は国際人権法の動向を踏まえて、性別変更のための手術要件の法律は違憲であると全員一致で、二審の高裁判決を破棄しました。国際人権法の動向=世界の良識に敏感な今日の最高裁は「避難者追出し裁判」の高裁判決を破棄するかもしれないのです。

3、にもかかわらず、福島県は、最高裁の判決を待たずに、仙台高裁判決の中に建物の明渡しを仮に執行できるという仮執行宣言(※1)があるのをもっけの幸いにして、強制執行の申立に及んだものです。これは以下の理由から断じて許すことができません。

(1)、本来、強制執行は判決が確定し裁判が終わったのちに初めて着手できるのが原則です。しかし、事案によっては判決の確定を待っていたのでは被告に財産を持ち逃げされる等で強制執行が空振りになるおそれがある場合には権利者を救済するために例外的に仮の強制執行が認められます。これが判決に仮執行宣言をつけることです。しかし、本件では「判決の確定を待っていたのでは明渡しの強制執行が空振りになるおそれ」などなく、仮執行宣言を強行しなければならない合理的な理由は一つもありません。

(2)、なおかつ、一昨年9月に来日したダマリー国連特別報告者(2)は調査を終えて離日する直前に、この裁判に対し「賛成できない。避難者への人権侵害になりかねない」と国連特別報告者としては異例の厳しい警告を発しました。このように、この裁判は世界の良識がまゆをひそめるいわくつきの裁判です。裁判審理中での今回の強制執行の申立は、国際人権法が認める避難者の人権(居住権)に対する新たな人権侵害行為と言わざるを得ないからです。

4、避難者に対する住宅支援が打ち切られ、応急仮設住宅から転居できる条件のある人たちは転居しました。残っている人たちは、収入、仕事、体調、家族状況等から直ぐには転居できない人たちです。被告も、今すぐ転居する具体的な条件はなく、強制執行を強行されたのでは、寒空の下、戸外に追いだされ、たちまち路頭に迷うことになります。

5、だからといって、私たちは裁判の中で、避難者に未来永劫に応急仮設住宅の居住権を保障すべきだと主張している訳ではありません。あくまでも避難者を人間として扱ってほしい、人間として保障される人権(居住権)を尊重して欲しいと訴えているだけです。人権である以上、それは自分だけでなく全ての人の人権が尊重される必要があり、その結果、人権の「共存」が必要となります。その「共存」のあり方を示したのが国際人権法が保障する「居住権」です。それは「代替措置の誠実な提供」があれば明渡しを求めることができるというふうに人権の「共存」の折り合いをつけたからです。本件も本来ならこのようにすべきなのです。つまり、福島県は被告の現状を真摯にヒアリングして、どうしたら「代替措置の誠実な提供」が可能かを具体的に誠実に取り組むべきだったのです。しかし、福島県は今日に至るまで一切それをせずに、事前に、被告に強制執行の一報の連絡すらなく、いきなり問答無用とばかりに強制執行を申し立てたのです。これが、常々、県民に寄り添い、県民の復興を最大限支援するといった福島県の日頃のうたい文句とは間逆な振舞いであることは小学生でも分かる道理です。

6、国際人権法という世界の良識に照らせば、今回、福島県はまた1つ、重大な人権侵害をおかしました。今回の強硬措置の違法性は明らかです。福島県はただちにこの違法行為を撤回し、被告に謝罪し、上記に述べた人権の「共存」を実現するために、被告との間で真摯なヒアリングと「代替措置の誠実な提供」に向けての誠実な取り組みを開始すべきです。それが人権国家の名に相応しい行政の姿であると確信します。

7、にもかかわらず、不幸にして福島県がそれをしない場合には、今年4年ぶりに開かれる、日本政府が行っている人権侵害問題を世界で審査する国連人権理事会のUPR(普遍的定期審査)の場において、日本政府は、かつて世界からの警告にも関わらずアパルトヘイト政策を続けた南アフリカ政府と同様、国連特別報告者からの人権侵害の警告にも関わらずこれを無視して人権侵害を重ねるならず者国家として非難されるでしょう。それは、昨秋、NY国連本部で《我々は、人間の命、尊厳が最も重要であるとの原点に立ち返るべきです。我々が目指すべきは、脆弱な人々も安全・安心に住める世界、すなわち「人間の尊厳」が守られる世界なのです》と国際人権法に合わせて「脆弱な人々も安全・安心に住める世界」と「人間の尊厳」の重要性を高らかに訴えた岸田首相の顔にならず者という泥を塗ることになるのです。

8、私たちは、福島県に対し、直ちに本件強制執行の申立を取り下げることを求めます。


※1)仮執行宣言付きの判決
判決文の中に、
判決確定前であってもその判決に基づいて、仮に強制執行をすることができる旨の宣言がつけられたものをいう。この判決で、仮の強制執行を申立てるかどうかは権利者(本件の福島県)の自由である。

※2)ダマリー国連特別報告者




 


【第171話】最高裁にツバを吐かず、花を盛った避難者追出し裁判12.18最高裁要請行動&追加提出した上告の補充書と上告人らのメッセージ、ブックレット「わたしたちは見ている」(24.12.20)

1、これまでの経緯 2011年に福島県の強制避難区域外から東京東雲の国家公務員宿舎に避難した自主避難者ーーその人たちは国際法上「国内避難民」と呼ばれるーーに対して、2020年3月、福島県は彼らに提供した宿舎から出て行けと明渡しを求める裁判を起こした。通称、避難者追出し訴訟。 それ...