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2019年7月7日日曜日

【第2話】「福島の小児甲状腺がんと被ばくの関連は認められない」とする福島県の報告書の作成者と承認した人たちが座る場所はそこじゃない?!(2019.7.7)

「被ばくとがんの関連性」を否定する報告書に対する代案は->これ

                      目 次
重大な科学的知見の変更はどのように証明されたのか
「ないことの証明」は悪魔の証明
報告書が挑んだ「ないことの証明」方法
「有意な差」が見出せなかった場合の意味(検定の非対称性)
もっとずっと単純明快な比較でズカッと証明が引き出せるのになぜ、やらないのか
最後に--報告書の作成者と承認者たちが座る場所はそこじゃない?!--

 *************** 

重大な科学的知見の変更はどのように証明されたのか
2019年6月3日に、福島県の県民健康調査検討委員会の評価部会は、原発事故当時18歳以下の県内の子どもを対象にした2014~15年度に実施した甲状腺検査の結果について、「現時点において、‥‥甲状腺がんと被ばくとの関連は認められない」とする報告を公表しました(資料3)。

それまで、検討委員会は小児甲状腺がんの発症は「放射線の影響とは考えにくい」と少なくとも灰色としていたので、今回、その科学的知見を「被ばくとの関連は認められない」つまり白に変更するとしたのです。これは「小児甲状腺がんと被ばくの関連を認めた」チェルノブイリ事故と福島原発事故とはちがうのだと言い切ったにひとしい、かたずを飲むような、重大な変更です。

では、 こんな重大な科学的知見の変更をいったどういう論拠に基づき、証明したのでしょうか。

「ないことの証明」は悪魔の証明
 そもそも「ないことの証明」は「あることの証明」に比べ、メッチャ困難です。
5歳の子どもをつかまえて、その子と同じ血液型の20~30代の女性に指さして、「あなたがこの子の母親でないこと」を証明しなさいと言われたら、きっと途方に暮れます。それより、本当の母親を連れてきて、「この子の母親であること」を証明するほうがずっと簡単です。この「あることの証明」に成功した結果、「それ以外の女性はこの子の母親でないこと」も証明されます。この意味で、「ないことの証明」は別名、「悪魔の証明」と言われています。

では、今回、福島県は、「被ばくとの関連は認められない」という悪魔の証明をどうやって成功させたのでしょうか。前述したとおり、まず、小児甲状腺がんとの関連性が認められる原因物質を発見したという、「あることの証明」に成功し、その結果、「「被ばくとの関連は認められない」という「ないことの証明」を導いたのでしょうjか。
今回の報告書を読む限り、そのような「 あることの証明」に成功したという積極的な説明はどこにもありません。つまり、報告書は大胆不敵にも、「ないことの証明」という、「悪魔の証明」に真正面から挑んだのです。

報告書が挑んだ「ないことの証明」方法
では、どうやって、報告書はこの 「悪魔の証明」に挑んだのでしょうか。
福島県が公開したぶっきな棒な以下の資料によると(部会の委員も具体的な数値が示されていないと説明責任が果されていないことを指摘)、被ばく線量と甲状腺がんの発見率という2つの量の関係を、つまり一方で、甲状腺被ばく線量を県内59市町村ごとに推計して4つのグループに区分、他方で、市町村ごとに甲状腺がんと診断された発見率を出し、この発見率が被ばく線量が最も低いグループ(20mGy以下)と、被ばく線量がより高いグループと比べてどれだけ違うかをオッズ比()を使って比較したのです。そして、、このオッズ比について被ばく線量が低い高いによって、差があるかどうかを分析疫学(統計学の統計的推測に対応)の見地から調べるために、ロジステッィク回帰分析をおこなって、区間推定である95%信頼区間を導きました。

)オッズ比
 病気にかかる危険の度合をリスクと呼ぶ。病気の原因とみられる要因(例えば喫煙)にさらされたグループ(暴露群)とさらされないグループ(非暴露群)の2つのグループ間の疾病(例えば肺がん)発症のリスクを比較するやり方の1つ。
喫煙者のグループの病気発症の確率をpとして、発症しない確率(1-p)との比p/(1-p)をオッズという。同じく非喫煙者のグループのオッズを求め、両者のオッズの比を出したのがオッズ比。
オッズ比が1ということは暴露群と非暴露群における疾病発生のリスクが同一であること、つまりその要因はその疾病との間に関連性がなかったことを意味する。

(資料1-2。2頁)



(資料1-2頁の注)
*** オッズ比は<20mGy 群を対照としたロジスティック回帰分析により算出。

そして、ここで終りではなくて、そのあと、検査対象を越えて母集団の相関関係の推測、つまり被ばく線量の大小と甲状腺がんの発見率の上昇の間に「有意な差」が見出せるか、カイ二乗検定(※)と同様の検定を行いました。それがオッズ比による「有意差の検定」です。もし信頼区間の下限の値が1より大きければ被ばく線量が高くなると甲状腺がんと診断された発見率も上昇すると統計的に言えますが、今回の分析によると、導いた信頼区間が1をまたいでいるため、 被ばく線量が最も低いグループとそれ以外の被ばく線量がより高いグループとの間で、甲状腺がんと診断された発見率について、「差がなかった」という仮説を棄却できなかったと同様に、「有意な差」が見出せなかったというのが今回の分析疫学の学問的結論です。
そして、そこから、報告書は「小児甲状腺がんと被ばくの間の関連は認められない」という最終結論を引き出したのです。

「有意な差」が見出せなかった場合の意味(検定の非対称性)
しかし、この最後の結論は、カイ二乗検定など「有意な差」の検定の大前提を無視した暴論です。なぜなら、「有意な差」の検定の大前提とは、昔から、三段論法と並んで証明方法の1つとされる背理法に基づくものです。三段論法が「動物は生き物だ」「犬は動物だ」だから「犬は生き物だ」とホップ、ステップ、ジャンプと単純に進むのに対し、背理法は、「√2は無理数だ」を証明するのに、まずこの命題を否定して「√2は有理数だ」と仮定して、そこから√2=b/aと置いていったら矛盾にぶつかる、ほらみろ、「√2は有理数だ」なんて仮定するから矛盾に陥った。だから、その仮定は間違えていて、「√2は無理数だ」が正しい、と。
つまり、「そりゃそうやろ、そうでなかったらおかしいやんけ」と相手を矛盾に追い詰めるのが背理法のキャラ。
だから、背理法のカラクリは、最初に立てた仮説から矛盾を導けたら、そのときは「仮説が正しいこと」は棄却されることの証明に成功。けれど、もし矛盾を導くことができなかったら、そのときはこの証明は失敗、ただし、単に、何も証明されなかったとなるだけ。でもそれで別に、「仮説が正しいこと」が証明されたわけじゃない。だって、「仮説が正しいこと」という積極的な吟味なんか何ひとつやってないじゃないですか。

このカラクリは背理法と同じ論法の統計学の検定でも同様。これについて、まともな教科書ならどこでも書いてます()。
最初に立てた仮説から、通常起こり得ない(例えば5%以下の確率でしか起きない)結果を導けたらそのときは「この仮説は間違っている」として仮説を棄却して、これと対立する仮説(対立仮説)が正しいと、「対立仮説」の証明に成功したと宣言します。
 これに対し、起こり得ない結果を導くことができなかったら、そのときは仮説を棄却することに失敗、でも単に、何も証明されなかったとなるだけで、それで別に、仮説が正しいことが証明されたわけではないのです。だって、仮説が正しいことについて、積極的な吟味は何ひとつやってないんだから。冗談じゃねえよ!
このカラクリは、カイ二乗検定など「有意な差」の検定と同様の検定方法であるオッズ比でも妥当します。

)統計学入門書の定番東京大学教養学部統計学教室編「統計学入門」(通称、赤本)237頁
にも以下のように書かれています。

ところが、今回の福島県の報告書は、この「冗談じゃねえよ!」をやったのです。
被ばく線量が最も低いグループとそれ以外の被ばく線量がより高いグループとの間で、甲状腺がんと診断された発見率について「差がなかった、つまりオッズ比は1」と考えて、オッズ比の検定をおこなったところ、オッズ比の区間推定に1が含まれてしまった、そのため「オッズ比は1、つまり差がなかった」は通常起こり得ない(5%以下の確率でしか起きない)結果だとして棄却することができなくなった。しかし、そこから言えることは、「差はなかった」を棄却して「差がある」という対立仮説が正しいことが証明されなかっただけで、それで別に、「差はなかった」が正しいと証明されたわけではありません。なぜなら、「差はなかった」ことについて、報告書は積極的な吟味を何ひとつやってないんですから。
以上から、このオッズ比の検定で、 「小児甲状腺がんと被ばくの間の関連は認められる」(黒)の証明に成功しなかっただけで、両者の関連は依然、不明(灰色・グレー)のままです。
従って、報告書は、最終結論として、人々に誤解を生む余地がないようにそのことを正確に表現すべきなのに、
「 現時点において、‥‥甲状腺がんと被ばくとの関連は認められない」
と表記しました。これを読んだ一般の人々は文字通り、 「小児甲状腺がんと被ばくの間の関連は認められない」(白)だと判明したかのように受け取ります。この文を読んだ誰が、
「小児甲状腺がんと被ばくの間の関連は認められる」(黒)の証明に成功しなかっただけで、両者の関連は依然、不明(灰色・グレー)のままだ、
と理解するでしょうか。
この点で、報告書の表現は明らかに、報告書が引き出した科学的知見の結論「依然、被ばくと甲状腺がんの関係は不明である」を「被ばくと甲状腺がんは関係がない」と安全を振りまく表現に意図的に歪曲しています。

汚染地の人々は、汚染の中で被ばくした結果、それが健康被害に影響するのか、福島で事故以来多発する小児甲状腺がん、チェルノブイリ事故でも因果関係が認められた小児甲状腺がんが福島ではどうなのか、原発事故以来ずっと、その解明を息をひそめて見守っているのに、報告書は原因究明について遺伝子解析などの新しい知見を付け加えることなく、またしても、「有意な差」は見つからなかったという被ばくと病気の関連不明(グレー)の結果しか導き出せなかったのに、その事実を正直に、誠実にありのままに伝えることもせず、あたかも世紀の大発見のように「関連性がなかった」ことを高々と宣言するのは、いったい、どういう了見なのか。

このような事実の歪曲が、科学者、研究者の名の下に許されるのでしょうか。
それどころか、 報告書の今回の検証は不徹底極まりないもので、半世紀以上前にやった古典的で、単純明快な症例対照研究を見本にして、非汚染地の子どもたちの甲状腺検査を対照群として比較検討さえすれば、甲状腺がんと被ばくとの関連はとっくに証明されたはずなのに、なぜこれを実施しないのでしょうか、ぜんぜん理解できません。

もっとずっと単純明快な比較でズカッと証明が引き出せるのになぜ、やらないのか
  --「サリドマイド問題」の教訓--
今から半世紀前に世界を揺るがした薬害事件「サリドマイド問題」で、この問題を最初に疫学的に提起した西ドイツのレンツ博士は、奇形児を産んだ母親(症例群)と非奇形児を産んだ母親(対照群)にサリドマイド剤(TH剤)を服用したかどうかを聞き取り調査し、次のデータを集めて、オッズ比を計算しました。

 すると、症例群のオッズ:90/22
     対照群のオッズ:2/186 よって、
オッズ比は、(90/22)/(2/186) =380.5
オッズ比の95%信頼区間は、(87.5~1653.4)
      ↑
信頼区間の下限87.5はオッズ比の1を優に超えていて、TH剤服用と奇形児出産の関連ありと認められました。
どうしてこんなに明快な結果が得られたのでしょうか?
それは、サリドマイド剤を服用したかどうかでグループを分類して両者を比較したからです。

もしこのとき、レンツ博士がサリドマイド剤の服用したかどうかではなく、服用した親たちの中で服用した量の多少でグループに分類して、服用した量が増えるに従って、奇形児出産の比率が増えるかどうかを検討していたら、こんなに単純明快な結論にはならなかったと思います。このとき、人々の心配事はサリドマイド剤を服用したかどうかで奇形児の出産に影響があるかどうかで、どの程度服用したら奇形児の出産に影響があるかどうかではなかったからで、レンツ博士はこの人々の心配に寄り添って疫学調査を行ったのです。

だとしたら、これは福島原発事故でも変わりません。人々の心配事は被ばくしたかどうかで健康に影響があるかどうかであって、どの程度被ばくしたら健康に影響があるかどうかではないからです。
この人々の心配に寄り添って疫学調査を行うのであれば、比較する対象である非暴露群(対照群)
として、文字通り、福島県以外の、自然放射能以外の影響を受けていない地域を選んで、そこと比較してオッズ比を出すべきです。
そうすれば、サリドマイド問題と同様、もっと単純明快に、 信頼区間の下限がオッズ比の1を超えていることが認められ、被ばくと小児甲状腺がんの関連があると認められるはずです。
なぜ、2011年に県民健康調査を立ち上げる時、その制度設計を検討する中で、こんな単純明快なアイデアを検討しなかったのか、それとも、したけれど採用しなかったのか(もしそうなら、なぜなの?)不思議で、不可解でなりません。

でも、今からでも、このアイデアを実行すればよいのです。 そしたら、これまで「放射線の影響とは考えにくい」とする根拠の1つにされてきた、「検査(スクリーニング)をすれば福島県のように手術が必要な多数の小児甲状腺がんが見つかる」かどうかも分かります。

これに対し、いろんな注文(ケチ)がつけられると思います。
その1つが、約27万人が受診した2014~15年度に実施した甲状腺検査に匹敵するような大規模な検査を他県でやることは容易ではない、と。
しかし、これは心配ありません。確かに、通常の統計学では標本のサイズはとても重要ですが、しかし、ここがオッズ比の凄いところで、オッズ比では、対照群の人数を10倍に増やした以下の例が示すように、標本を、暴露群(患者群)・ 非暴露群(対照群)から何対何の比率で抽出しなければならないという問題は発生せず、任意のサイズで構わない、従って、小規模な市町村単位の検査でも十分意味があるからです。

        福富 和夫,橋本 修二「改訂5版 保健統計・疫学」166頁

最後に--報告書の作成者と承認者たちが座る場所はそこじゃない?!--

2011年の福島原発事故は(太平洋戦争を除いて)日本史上、未曾有の人災です。その余りの未曾有ぶりに、日本の法体系は未だに正視すらできないほどガタガタになりました。その1例が3月11日に発動された原子力緊急事態宣言が今も解除できないでいることです。4月19日、お友だちの民間団体ICRPの勧告に従って、法体系を否定して出された文科省の20mSv通知も、これが明白な法治主義に違反した措置であるにもかかわらず、今なおそのことを認めていません。311以後に数々の違法行為、犯罪行為が犯されたにも関わらず、これを適切に処罰することができないのは単に司法(検察)当局の怠慢だけではありません。未曾有の人災に伴い発生した犯罪を、これまでの刑法等の法体系の枠組みではとらえ切れないほど、それほど異常な事態が発生したからです。

その異常事態ぶりについて、チェルノブイリでネステレンコという良心的科学者が救済を訴えた次の言葉
放射能を感知する器官を持たない汚染地の住民たちが無防備なまま取り残されている
が福島でもそのまま当てはまります。
                      
そのことを誰よりも知っているのは、科学者、医師たちです。
放射能について研究する科学者、医師たちなら、現在の科学技術水準では、被ばくと健康被害との関連性についての生物学的な解明がほど遠いことを知っています。けれど、放射線を被ばくすると、電離作用で人体がどのように損傷するか、その事実の概要は分かっています。
だから、 被ばくと健康被害の影響に関して、「安全であることについての新しい知見」がないにもかかわらず、そのときどきの自分たちの都合で、被ばくと健康被害の影響に関する見解を変更することは許されません。そのようなことをすれば、汚染地で暮らす膨大な数の市民をたいへん危険な状態に陥れることになるからです。もしそのようなことをした場合には、その重大な侵害行為は従来の日本の刑法等の法体系には収まらない、新しい犯罪=国際法上の犯罪である「人道に関する罪」(と言わざるを得ません。

前述したとおり、今回の報告書は、遺伝子解析など「安全であることについての新しい知見」がないにもかかわらず、従来と同様、疫学の検討をする中で被ばくと甲状腺がんの関係について「有意な差」を認めることはできなかった(黒の証明が成功せず、依然、灰色にとどまった)だけなのに、にもかかわらず、この結果を正直に、誠実に、ありのままに述べることをせず、「被ばくと甲状腺がんの関連性は認められない」と灰色を白とすり返る事実隠蔽を行った。
そうであれば、それは従来の日本の刑法等の法体系には収まらないかもしれないが、国際法上の犯罪である「人道に関する罪」には立派に該当するのではないだろうか。
先ごろ、あやうく被告人席に座るかもしれないというので慌てて国際刑事裁判所から脱退したフィリピンのドゥテルテ大統領が「国内の常識は世界の非常識」と世界で裁かれつつあるように、次は、「日本の常識は世界の非常識」が裁かれ、この報告書の作成者も承認者も彼らが座るにふさわしい席はオランダ・ハーグの国際刑事裁判所の法廷の被告人席ではないかと思うのです。




            オランダ・ハーグの国際刑事裁判所
                  出典「ウィキメディア・コモンズ」より


)参考

(1)、国際刑事裁判所とは

国際刑事裁判所は、2003年、国際社会にとって最も重大な4つの犯罪(a集団殺人罪〔ジェノサイド〕、b人道に対する罪、c戦争犯罪、d侵略の罪)を防止するため、これらの犯罪の責任者を訴追し、裁くための常設の国際法廷として創設されました。国連創設以来50年間の悲願でした(→国際刑事裁判所の歴史)。竹島問題でも話題になった国際司法裁判所が当事者となりうるのは国家のみで、個人や法人には資格がないのに対し、国際刑事裁判所は個人の国際犯罪を裁くものです(→国際刑事裁判所)。



(2)、国際刑事裁判所の精神

国際刑事裁判所の精神は、1998年、その創設を決定し採択された「国際刑事裁判所に関するローマ規程」の次の前文に見ることができます(→ローマ会議)。

「20世紀に何百万人もの子どもたち、女性及び男性が、人類の良心に深い衝撃を与えた想像を絶する行為の犠牲になったことに留意し‥‥」
「国際社会全体の関心事である最も重大な犯罪は、罰せられることなく放置されてはならないこと‥‥を確認し、これらの犯罪を行なった者が処罰を免れることに終止符を打ち、もってそのような犯罪の防止に貢献することを決意して‥‥以下の通り合意に達した。」(前文)

さらに、時効について次のように定めています(29条)。

「本裁判所の管轄権に属する犯罪は、いかなる消減時効または出訴期限にも服さない。」

すなわち、国際刑事裁判所は 何よりも第一に、子どもたちが想像を絶する行為の犠牲になったことを忘れない、 そして犯罪者は決して見逃さない、時効で訴追が免れることもない、犯罪者はいつまでも、どこにいても犯罪者、世界中の人々の手で必ず追及する。 本年9月、ノーベル平和賞(1984年)を受賞した南アフリカのツツ元大主教がブレア元英首相とブッシュ前米大統領を2003年のイラク戦争開戦の刑事責任を問い、国際刑事裁判所に訴追するよう呼び掛けました。(「時事通信」2012/09/03

「イラクで失われた人命への責任を負う者は、ハーグで現在、責任を問われているアフリカやアジアの指導者らと同じ道を歩むべきだ」



(3)、国際刑事裁判所が裁く「人道に対する罪」とは、

「国際刑事裁判所に関するローマ規程」7条で、次のように定義されています。今回、注目するのはアンダーラインを引いた箇所。


第7条 人道に対する犯罪

1 この規程の適用上、「人道に対する犯罪」とは、文民たる住民に対する攻撃であって広範又は組織的なものの一部として、そのような攻撃であると認識しつつ行う次のいずれかの行為をいう。

(a) 殺人

(b) 絶滅させる行為

(c) 奴隷化すること。

(d) 住民の追放又は強制移送

(e) 国際法の基本的な規則に違反する拘禁その他の身体的な自由の著しいはく奪

(f) 拷問

(g) 強姦、性的な奴隷、強制売春、強いられた妊娠状態の継続、強制断種その他あらゆる形態の性的暴力であってこれらと同等の重大性を有するもの

(h) 政治的、人種的、国民的、民族的、文化的又は宗教的な理由、3に定義する性に係る理由その他国際法の下で許容されないことが普遍的に認められている理由に基づく特定の集団又は共同体に対する迫害であって、この1に掲げる行為又は裁判所の管轄権の範囲内にある犯罪を伴うもの

(j) 人の強制失踪

(j) アパルトヘイト犯罪

 その他の同様の性質を有する非人道的な行為であって、身体又は心身の健康に対して故意に重い苦痛を与え、又は重大な傷害を加えるもの

2 1の規定の適用上、

(a) 「文民たる住民に対する攻撃」とは、そのような攻撃を行うとの国若しくは組織の政策に従い又は当該政策を推進するため、文民たる住民に対して1に掲げる行為を多重的に行うことを含む一連の行為をいう。

  ‥‥(以下、略)

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