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2023年4月9日日曜日

【第104話】追悼・坂本龍一(追記)市民立法=市民の自己統治の大切さを誰よりも理解していた(2023.4.9)

         「坂本龍一 その可能性の中心(2023.4.6)」の追記。

 本日(2023.4.9)の日経1面の春秋で、坂本龍一さんが亡くなる前に、明治神宮外苑の再開発について都知事に書簡を送ったことが紹介されていた。この記者は別に大した意図もなく、彼の行為を紹介したのかもしれない。しかし、もしこれを読んだ読者が、環境保護者としての坂本さんはすごいと、美談として受け取ったら、それは彼にとって不本意極まりないだろうと思った。
彼を初めて目の前で見た24年前のことが思い出されたからである。

20世紀末、彼は インディーズ系のアーティストが数多く参加する団体MAA(マルチメディア・アーティスト・アソシエーション)を立ち上げ、著作権を専門とする私もその末席に参加した。或る時、音楽著作権について考えるMAA主催のシンポジウムで、音楽著作権を管理するJASRAC(さながら農業のJAみたいな大御所の組織)の理事と文化庁の著作権課長と坂本さんの鼎談がやられた。席上、JASRACの秘密主義に憤慨しまくった坂本さんが、
「ぼくの著作権の使用状況に関するデータを見せてよ!」
と要求すると、JASRACの理事は、ははあっと平身低頭して
「はっ、坂本先生のリクエストでしたら、さっそくにでも」
といんぎん無礼に答えた。それを聞いた彼は即座に、
「なんで、坂本先生だからOKなんだよ。関係ねえだろ!」
と本気で切れた、そしたらJASRACの理事は、ますます頭を机にこすりつけて
「ははぁ」
と唸った。その時の彼は「こいつはなんにも分かっちゃいない」と言わんばかりに憤懣やるかたなく、怒り狂わんばかりだった。

 このとき彼は、どんなアーティストでも差別せずに、市民(アーティスト)の自己統治を尊重する立場に立て、とJASRACの差別主義、権威主義に食ってかかったのだ。


こうした彼のひとつひとつの振る舞いは別に、著名人の振る舞いとして行われた訳ではなく、あくまでも、自然や音楽を愛するひとりの市民として、誰もがやるような行為に出たまでで、それが市民の自己統治としての本来の姿として行われた。

 彼は生涯、市民立法の精神、市民の自己統治の精神、哲学を身をもって確信していた人だった。

 

2023年4月8日土曜日

【第103話】自己決定権からみた山下俊一発言の人権侵害の意味(2023.4.7)

 2023年3月27日、仙台高裁で子ども脱被ばく裁判(このうち国と福島県を訴えた親子裁判)の第6回目の弁論が開かれ、そこで控訴審における控訴人の主張をまとめた書面(準備書面(12))を提出。以下はそのうちの第8、山下発言問題について、当日、代理人が陳述した要旨のラスト。

   山下俊一氏講演会(201年5月3日・福島県二本松市)


その要旨全文は->こちら。また、準備書面(12)は->こちら。

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4、最後に、自己決定権からみた山下発言の人権侵害の意味について述べます。

自己決定権の意義については、第1、3「自己決定権」で前述した通りですが、この「個人に属する事柄について公権力の介入・干渉なしに各自が自律的に決定できる自由」とは実は全ての人権の大前提となるものないしはその不可欠の内容を構成するものです。なぜなら、古典的な自由権の代表格とされる表現の自由において、人は何を表現するかはもっぱら表現者自身の意思に委ねられ、表現者が決定することが大前提とされているからです、それは他の自由権も同様です。社会権においても、例えば生活保護は人が自らの意思で申請するかどうかを決定することが大前提とされており、労働基本権も労働者が組合を結成するかは労働者が自らの意思で決定することが大前提です。

このように、もともと自己決定権はそれ抜きには人権保障は具体化・現実化しない、人権の出発点となるものでしたが、近時、このような枠組みには収まり切れない新たな権利、すなわち「個人の人格的生存にとって必要不可欠な、自分の生き方を自分自身で選択する権利」として、従来の人権とは別個に、独自の権利として構成されるようになりました。

 本件において、県民の自己決定権は、福島原発事故という未曾有の原子力災害の危機に直面して、自らの生き方、それは生命・身体の安全を確保するためにいかなる行動を選択したらよいか、死ぬか生きるかを問われるほどの重大な岐路に立った人々の自己決定権というものがここで問題となったのです。

 言うまでもなく、放射能の素人である県民が原子力災害の危機においてこの自己決定権を適切に行使するためには放射能に関する正確な情報を入手することが必要不可欠でした。この必要不可欠の情報提供の責務を果すために放射線健康リスク管理アドバイザーとして登場した山下俊一氏です。しかし彼の発言により、県民は放射能に関する正確な情報を入手することができないばかりか、彼の不適切な情報を鵜呑みにし、惑わされた結果、多くの県民が被ばくについての警戒心を解いたため、多くの県民とりわけ子どもたちが無用な被ばくを強いられました。その結果、原子力災害の危機という一大事において、生命・身体の安全を確保するための自己決定権を適切に行使することがかなわず、この意味で、生涯悔やんでも悔やみきれないほどの自己決定権の侵害を余儀なくされたのです。山下発言は県民の貴い自己決定権を奪い、これを侵害したという点からも断じて許されないものなのです。

 

 

2023年4月6日木曜日

【第102話】坂本龍一 その可能性の中心(2023.4.6)

 私は彼と同学年だ。だから、彼がどんなに悔しかっただろうかと思う。
その彼は、私にとって文字通り、救世主であり、朋輩だった。

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私が初めて社会的な裁判に関わったのは2005年5月、新潟県上越市で、元農水省の研究機関が、日本で最初の遺伝子組換え稲の野外実験を、地元農民・市民の猛反対を押し切り強行しようとしたので、実験中止を求めて裁判に訴えた時だった。遺伝子組換え作物の危険性を正面から問う、日本で最初の裁判だった(禁断の科学裁判)。だから経験者もゼロ、先例もゼロ。バイオのバの字も知らない癖に、うかつにも「やります」と手を挙げたため、田植えまでの2週間までに訴状を作成することが私の至上命題となった。誰の目にも不可能は明らかだった。ところがその窮状を前にして救世主が現れた。それが坂本龍一さんだった。窮状を見かねた彼は
「よかったら知り合いの分子生物学者の方を紹介します」
と申し出てくれた。地獄で仏に会うとはこのことかと。その仏は当時駆け出しの福岡伸一さんだった。福岡さんの鮮やかな手ほどき、指導で、約束の田植え前に訴状を完成でき、裁判がスタートできた。これが私のライフワーク(バイオテクノロジー批判)のスタートを切れた瞬間だった。

そのとき、福岡さんは私を引き合わせた坂本さんに尋ねた。
「ところで、坂本さんと柳原さんとの接点はどこにあるのでしょうか?」

坂本さん曰く、

「さて、接点は、、、、接点は柄谷行人という人ですね~。」

 坂本さんと私が知り合ったのはそこからさかのぼること6年前。1999年の或る日、「著作権&リーガルクリエーター」という私のHPを見たといって坂本さんからいきなりメールが来た。そこには「プロフィールを拝見しました。かなり変わった経歴の方だと思いました」旨が書かれていた。私もまた、見も知らない人間にそんなメールを送りつける彼をかなり変わった人だと思った。

当時、私は自分の仕事に飽き飽きしていて、ベンゴシとかいった手垢にまみれた何のインパクトも励ましも与えない言葉に代えて、リーガルクリエーターといった別の言葉で自分の仕事を再定義しようと考えていた。奇しくも坂本さんも、アーティストという手垢にまみれた言葉に代えて、インディーズ、アソシエーション、協同組合といった別の言葉で自分の仕事を再定義しようと考えていた。

ちょうどその頃、思いがけない事態が発生した。それが雑誌「群像」99年4月号に載った柄谷行人「トランスクリティーク」最終章だった。それを読み、私は、それまでのように、著作権法の欺瞞性を単に笑うのではなく、著作権法が陥っている病理現象を根本的に克服する理論的かつ実践的な方向性を見出した。それが生産‐消費協同組合を中核とする、クリエーターに開かれた著作権システムの構築だった。

具体的には、当時、柄谷さんが提案した生産協同組合(著者と編集者たちのアソシエーション)をめざした出版社「批評空間社」の設立だった。私がその設立手続を担当し、坂本さんがその協同組合員として参加した。
ちょうどその頃、柄谷さんは「交換様式」という観点から新しい市民運動「ニュー・アソシエーショニスト・ムーブメント(NAM)」を提唱し、そこに坂本さんも参加。私も協同組合の法律部門の担当者として朽木水のペンネームで参加した。
その頃、坂本さんが朽木水が私だと知った時のことは今でも鮮明に覚えている。ビックリした彼はさっと手を差し出し、私の手をがっちり固く握りしめた。このときの彼の子どものようなはしゃぎようと手のぬくもり。

それは同志坂本龍一が私にくれた最高のプレゼントだった。

 ◆追悼・坂本龍一(追記)市民立法=市民の自己統治の大切さを誰よりも理解していた(2023.4.9)

2023年3月13日月曜日

【第101の2話】追出し裁判の控訴理由書を提出&追出し裁判のこの間の振り返り(2023.3.13)

          2021年5月14日、福島地裁前(第1回期日)

1、追出し裁判の振り返り(報告)

自主避難者の追出し裁判の一審(福島地裁)の第1回期日(2021年5月14日)から判決言渡し(2023年1月13日)までの経過は以下に報告しました。

【第68話】 5.14世界の常識(国際人権法)でもって日本の非常識(避難者追出し)を裁く「避難者追出し訴訟」第1回口頭弁論の報告

 【第70話】7.8世界の常識(国際人権法)でもって日本の非常識(避難者追出し)を裁く「避難者追出し訴訟」で、我妻栄と丸山真男を狂言回しにした国際人権法の主張書面提出

 【第71話】8.6世界の常識(国際人権法)でもって日本の非常識(避難者追出し)を裁く「避難者追出し訴訟」第2回口頭弁論の報告

 【第72話】「国際人権法で逢いましょう」(避難者追出し訴訟の被告の主張「国際人権法」について)

 【第77話】10.8世界の常識(国際人権法)でもって日本の非常識(避難者追出し)を裁く「避難者追出し訴訟」第3回口頭弁論の報告

【第78話】311以後のあべこべの世界を正す取り組み:避難者から福島県に対し、避難者に対する福島県の一連の追い出し行為は不法行為を構成し損害賠償の責任があるとする反訴状を提出

 【第79話】避難者の生存を賭けた国際人権法の主張に対し、説明責任を負う行政庁として福島県は1頁分の反論しか提出せず

 【第80話】かりに国際人権法の主張が認められない場合でも、福島県の建物明渡請求は信義誠実の原則に反し、権利の濫用であると主張した書面を提出

 【第81話】国内避難民の人権として「生活再建権」があることを追出し裁判という公の場で初めて主張

 【第87話】緊急裁判速報:追出し裁判の福島地裁、次回期日(7月26日)で審理打切りを通告。避難先住宅ばかりか裁判所からも追出される避難者。これは居住権と裁判を受ける権利の二重の人権侵害である

 【第88話】追出し裁判で、福島県はいかなる法令に基づき、いかなる調査に基づき、いかなる論議を尽くして避難者の追出しを決定したのかを明らかにした主張書面を提出(その1)

【第89話】追出し裁判で、福島県はいかなる法令に基づき、いかなる調査に基づき、いかなる論議を尽くして避難者の追出しを決定したのかを明らかにした主張書面を提出(その2)

 【第91話】追出し裁判で、まともな審理を何一つしないまま審理終結を強行し、10月27日判決言渡しを通告してきた福島地裁に対し、弁論再開申立書を提出

 【第92話】追出し裁判で、まともな審理を何一つしないまま審理終結を強行し、10月27日判決言渡しを通告してきた福島地裁に弁論再開を申立て、再考を求めたが本日まで何の対応もなかったので、やむなく担当裁判官に対する忌避の申立に及んだ

【第96話】避難者追出し裁判で、まともな審理を何一つしないまま審理終結を強行し、裁判官忌避申立の審理中に訴訟法に違反して1月13日判決言渡しを通告し、法令遵守の警告書をも無視して言渡しを強行した福島地裁の「判決もどき」判決

【第97話】避難者追出し裁判 2023年1月13日福島地裁判決の誤りを解説したスピーチ(1.19脱被ばく実現ネットの官邸前アクション)

 
2、追出し裁判の本質
 それは、第84話(2022.3.11)の冒頭に書いた通りです。今、以下に再掲します。

この国は戦後の新憲法制定により、人権の保障された国に生まれ変わりました。
ところで、人権とは個人の尊厳に由来し、人が人として生まれながらにして持つ権利であり、誕生から死に至るまで、どんなことがあろうとも、どこにいようとも、一瞬たりとも途切れることなく、切れ目なく保障されるものです。

つまり、
原発事故が起きようが起きまいと人権は切れ目なく保障されるものであり、原発事故が発生したからといって、被災者は一瞬たりとも人権を喪失することもなければ、他方、国家も人権保障を実行する義務を一瞬たりとも免れることもありません。国家は途切れることなく、保障する義務を負い続ける、これが憲法の帰結です。

ところが、
2011年の福島原発事故が発生して以来、日本政府は、この当たり前の原点を忘れたかのように、被災者に対し政府の指示通りに行動せよ、さもなければ応急仮設住宅の無償提供といった恩恵も施しもないぞと言わんばかりに、(勧告・推奨という体裁を取り繕っているものの、その実質は)上からの指示命令で被災者を取り扱ってきました。そこには、「人権とは誕生から死に至るまでどんなことがあろうとも、どこにいようとも一瞬たりとも途切れることなく、切れ目なく保障されるもの」という原理は忘れ去られたかのようでした。それは、子ども被災者支援法の運用に端的に示されているように、被災者に恩恵を施すのも終了するのもすべて政府の腹ひとつ、政府の考え次第でどうにでもなることでした。

その結果、
被災者は、政府の都合で、一方的に、政府が被災者に差し出した恩恵や施しの終了を宣言され、避難者の居住についても、やっと辿り着いた避難場所から追い立てられるという目に遭ったのです。その端的なケースが、東京の国家公務員宿舎に避難先として辿り着いた避難者に対し、そこから出て行けと追出しの裁判をかけられた「避難者追出し裁判」です。

しかし、
これは避難者を人権の主体と認めず、政府の都合次第でいかようにも扱われる、人権侵害行為ではないか。それならば、追出しの裁判をかけられる前に、避難者自らが行政を被告にして、避難者を行政の都合で避難先から追出すことを決めた決定は人権(居住権)侵害であり違法です。

3、原判決の誤りを全面的に指摘した控訴審の最初の主張=控訴理由書の提出

1月20日、控訴状を提出した控訴人らは、3月13日、控訴理由書を作成、提出しました(全文のPDFはー>こちら)。

そのエッセンスは、冒頭に掲げた控訴人自身の福島原発事故直後に避難した体験を語った陳述書の記載に示されているので、これを再掲します。
その下が、控訴状の表紙と目次です。

《2011年3月11日に東日本大震災が発生し、南相馬市長より避難の要請が出された為、私は次女を連れて友人家族の車に便乗させてもらい関東方面に向かいました。しかし当時ガソリンが手に入らず、東京までは行けず、途中栃木県のそば屋で一泊させてもらい、翌日宇都宮駅から次女と各駅停車の電車に乗り、東京に向かいました。東京では頼れる人も居ないので、‥‥(中略)‥‥、その後 福島県の情報が全く入らず、どうして良いのか分からず途方に暮れて不安な時間を過ごしている中、次女の同級生が足立区の武道館に避難していることが分かり、そこへ会いに行き、初めて避難所があることを知りました。その避難所は避難者向け都営住宅の募集もしていて、老人ではないし当てはまらなかったけれど直ぐに申し込みをしましたが、落選通知が東京都から来て、その後東京都から「赤坂プリンスホテルに入れる」と連絡を受け、4月中旬頃、東京の専門学校に通っていた長女と合流して赤坂プリンスホテルに移動しました。6月末までそこで過ごして、その後、千代田区の全国町村会館へ移動、7月末に現在の住まいである東雲住宅へ入居しました。》
この事実だけでも本裁判の主題が明確に示されている。それが、一方は本件建物の持ち主であり、福島原発事故の加害責任を負うべき立場にある訴外国が避難者に提供した本件建物の所有権と、他方は、福島原発事故により避難を余儀なくされた被害者である控訴人が国より避難先住居として提供を受けた本件建物について有する居住権(同時にそれは生存権でもある)とが対立・衝突した場合、いかにして両者の調整を図るかというテーマである。すなわち本裁判の主題とは、原発事故発生時における加害者の所有権と被害者・避難民の居住権(生存権)との対立・衝突をいかに調整するかという、「平時」とは状況が全く異なる原発事故時における人権保障のあり方が根本から問われた、前例のない人権問題である。




 

 

2023年2月23日木曜日

【第101話】光を理解するには闇の中から光を見つけ出すしかないことを教えてくれた、99歳肥田舜太郎との出会い(2023.2.23)

                (自問自答‥‥の投稿)

        95歳肥田舜太郎&映画監督マーク・プティジャン(2012年)

311後にいろんな医療関係者の人と知り合った。その中で最も強烈な印象だったのが肥田舜太郎さん。直接お目にかかったのは2012年に浦和のご自宅を訪問した時1回きり。けれど、なぜか強烈な印象が残った。

それから10年経ち、ようやくその訳が分かったような気がした。それは、つい最近、まつもと子ども留学の理事会に松本市に行った折、理事の橋本俊彦さんから「これ、よかったら」と快医学ネットのブックレットを貰った、それが肥田舜太郎さん99歳の最後のインタビュー記事「自分がいのちの主人公になる」だった。


それを読み、最初から、がつんと頭を殴られるような衝撃だった。99歳になっても、まるで昨日のことのように鮮明に、この時の経験を語るその語り。それは彼が広島原爆投下で経験したことを語る次の語りだった。

 今まで医学で習ってきた死に方とちがう人たちが目の前でどんどん死んでいった。

 その時、初めて分かった――自分の知っている医学は本物じゃない、と。

目の前で、原因が分からず死んでいってしまう、そっちのほうが事実。その事実に医者としてぶつかって、なんで死ぬのか、どこが悪くて死んでいくのか全然分からない。それを助けなきゃならない。

でも俺にはわかんないよなんて言えないから、わかったような顔をして、どんどん死んでちゃう。そういう時に医者であるっていうことが本当に恨めしくなりましたね。

その立場にぶつかって、もう自分が今まで習ってきた医学が全く役に立たない。何が原因で死んでいくのか自分で見つけなけりゃなんない。

その中で、アメリカで「内部被ばく」という問題があることに初めて気がついた。

 これを読んだ瞬間、自分の問題の本質が分かった気がした。私も、自主避難者の仮設住宅追出し裁判に関わってみて、これとほぼ同じ体験をしたことに気がついたからだ。

 今まで法律で習ってきた紛争とちがう紛争で目の前で避難者がどんどん追い詰められていく。

 その時、初めて分かった――自分の知っている法律は本物じゃないんじゃないか、と。

目の前で、原因が分からず追出されていってしまう、そっちのほうが事実。その事実に弁護士としてぶつかって、法律的になんで追出されるのか、どこが悪くて追出されいくのか実は分からない。それを助けなきゃならない。

でも俺にはわかんないよなんて言えないから、わかったような顔をして、どんどん追い出されていっちゃう。そういう時に弁護士であるっていうことが本当に恨めしくなった。

その立場にぶつかって、もう自分が今まで習ってきた法律が全く役に立たない。何が原因で追い出されなければいけないのか自分で見つけなけりゃなんない。

その中で、国外に「国際人権法」という問題があることに初めて気がついた。

それは、私自身が法律家として過去に経験したことのないような「躓きの石」だった。

その根本の原因は、福島原発事故が過去に経験したことがないような未曾有の過酷事故で、日本の法律の体系の中に、この過酷事故に匹敵するような備えが全くなかったからだ。しかし、専門家としてのプライドのせいもあり、多くの法律家はそのことを率直に、正面から認めることができず、いろんな屁理屈をこねて原発事故の未曾有の新しさから逃げてきた。その最大の逃亡者が福島県と福島地裁の裁判官たち。
だが、実は私も似たような立場だった。

だから、2年前、「国際人権法」という問題に出会った時、最初、その中身を伝えることに必死だったが、今振り返ってみて、それと同時に、なぜ今、「国際人権法」という問題が重要なのか?、その訳をしっかり伝えることがまず最初にものすごく重要な課題だと痛感している。なぜなら、いま、ここで「国際人権法」という問題が重要であるという自覚がない人たちが裁判官をはじめ、殆んどの人がそうだから。その自覚にめざめて、初めて、「国際人権法」という問題に取り組もうという気持ちになるから。
今回の高裁の取り組みでもそこからスタートしなければならない、と。

初めから、いきなり「内部被ばく」という重要な問題がありますといくら強調しても、内部被ばくの問題の重要性は伝わらない。そのためには、肥田舜太郎さんが苦渋の体験の末に、未知との遭遇として「内部被ばく」という問題の重要性を自覚する必要がある。

それは「国際人権法」という問題の重要性でも同様だ。いくら「国際人権法」の重要性を強調しても、それは伝わらない。そのためには、肥田さんが辿ったように、私たちも同様のプロセスを経て、未知との遭遇として「国際人権法」という問題の重要性を自覚する必要がある。

そのためには、

まず、目の前で起きている福島原発事故の未曾有の新しさ、そしてそのために避難した人たちの未曾有の苦しみ、その事実と向き合うことが最初の最も重要な事実。

そのために、改めて、被告の避難者が経験しなければならなかった苦しみを裁判所に伝えることが不可欠。

それがきちんと伝えられて初めて、この人たちの救済がやっぱり必要という自覚が生まれ、同時に、日本の法律にこれに応えるような法律の体系がないこと、つまり、法の穴(=法の欠缺)という発見につながり、そのひどい法の穴を、何とかして穴埋めしなくてはという自覚のもとで、そこから、穴埋めとして「国際人権法」を救済の啓示として受け止めることができるようになる。

高裁の裁判官たちにも、このプロセスを追体験してもらう、踏んでもらう必要がある。

これで今の自分に必要な次の2つが完結した--一方で徹底した形式主義を追求する「純粋法学」の取り組みと、他方で、徹底した現実凝視を追及する「純粋紛争学」の取り組みの両輪が不可欠だということ。

         肥田舜太郎「自分のいのちの主人公になる」



【第100話】歩くチェルノブイリ法日本版、関久雄さんとの出会い(2023.2.23)

 福島県二本松市の関久雄さんとは、2011年5月22日、郡山市でやった「こども福島の準備会」で出会って以来の知り合いだ(あの場にはその後、より知り合うことになる沢山の人たちが参加していた)。

昨年10月8日、まつもと子ども寮がある長野県松本市四賀地区で快医学ネットの講座があり、二本松市から来た関久雄さんと寝る部屋もずっと一緒だった。

泊まった夜、子ども寮で快医学ネットのメンバーと食事していたら、(どうも恒例らしく)関さんの弾き語りとなり、快医学ネットのメンバーと前日即席で作った、エレクトーンとバイオリンの豪華が演奏が始まった。
同席した快医学のメンバーのせいなのか、この時の関さんは私がそれまで見て知っていた彼とは別人のようだった。全身解放されて、心ゆくまで歌を楽しむ、とても味わい深いライブで、正直、「オレはこれまで関さんのことを全く分っていなかったんじゃないか」と我ながら思ったほどだった。  

そしたら、翌日、講座の会場で、関さんが私に「これ、プレゼント」と本をくれた。それが、
「なじょすべ: 詩と写真でつづる3・11」


奥付を見て、彼が私と同年生まれと分り、生まれた場所やその頃の話を聞いたら、岩手県盛岡の北の開拓部落出身で、戦争帰りの親父が戦後、労働組合運動に飛び込んで、会社から解雇され、それで、出稼ぎ生活をする中で、出稼ぎ先で蒸発してしまった。それで、中学から働きながら学校に通う生活が始まった。
大学も昼間働き、夜通う夜学生。昼間から学校に通えた自分とは何という違いなんだろうと思った。

その時、彼がずっと自分の人生を語るのを聞き、これはオレが知っていると思っていた関さんじゃない、彼は大地に這いつくばって生きてきたことを初めて知った。彼が書いた詩は、みんな事故後に初めて書いたこともこの時知った。
私自身、大昔、それまで詩なんて書けないと思っていた自分が、或る時から突然詩を書くようになった経験をしたので、関さんが詩を書き始めた時の心境がなんだか少し分るような気がして感動した。
それは、生活する人、こつこつ生きている人が、苦しみの中から嘆きと希望が交錯する中で、言わずにおれない言葉をつむぎ出している、地味だけれど、読む者の心にどっしり響くものがあった。 

例えば、母子避難についていかず、二本松に残った息子から「オヤジ、やめて!」となじら
れた歌。

「いい年、と言われても」
https://johnny311.exblog.jp/19246662/

その息子から、布団を干してくれて、ありがとうと感謝された時の歌。

「2年6ヶ月のふとん干し」
https://johnny311.exblog.jp/19834791/

 これらの詩を彼が朗読するのを聞き、彼こそ、311以後「福島原発事故の被ばく者の心を歌った詩人」だと思った。

これに対し、或る人は「なあに、プロの歌手のような声量もないじゃない」となじるかもしれない。 確かにそうかもしれない。だが、それがどうしたというのだ。むしろそうであるがゆえに、彼のような歌こそ、これを聴いた人たちが「このへたくその歌こそ俺たちの歌だ!」と感じることができる。それがスゴイことだ。 

311後に、放射能にいじめられ、その上、国にも福島県にも東電にもいじめられ、それで「なじょすべ」と悲嘆にくれながら、それでもなお、言わずにおれないことを言い続け、行動しないでおれないことを行動に移す。この面魂(つらだましい)こそ、チェルノブイリ法日本版のエッセンス。
歩いて歩いて歩き続ける、歩くチェルノブイリ法日本版。

そのような彼の言葉、彼の行動を見た人、聞いた人は「このへたくその言葉、へたくその行動、これこそ俺たちのことだ!」ときっと感じることができる。
彼こそ、311以後「チェルノブイリ法日本版の魂を歌った詩人」。そう思った。 

       「歩いても歩いても」


2023年2月22日水曜日

【第99話】2023.2.12子ども脱被ばく裁判・判決前アクション第2弾(第1部映画「かくれキニシタン」上映。第2部原告、避難者、残留者が語る「12年目の福島」)(2023.2.21)

2023年2月12日に、子ども脱被ばく裁判の判決前集会を東京都港区田町のリーブラホールで開催。
311以来12年の逆流の歳月に洗われ、今、福島の人たちの珠玉の声、詩、歌がよみがえる。

前座:事前の楽屋裏の話
企画者(柳原敏夫)から、ゲストの3人に宛てたメッセージ。

私の独断で恐縮です、私が希望する当日のテーマは以下です。
福島原発事故から11年以上経過し、多くの人たちは、漠然と、福島原発事故はもう終わった過去の出来事であるかのように感じている。しかし、原発事故を従来型の災害の延長線上で考える見方が根拠のないただの幻想であって、原発事故の影響(身体と心の健康影響・病気の発症)は今なお現在進行形であるという認識を持ってもらいたい、その認識を新たにしてもらうために、3人の皆さんからお話して頂けたらと希望しています。 「認識は悲観的に、行動は楽観的に」が私のモットーで、まずは、今の世に広まっている、10年余りの時間の経過でもう福島原発事故の影響は終わっただろうというお目出たい楽観主義に頭から冷水を浴びせるよう、新たな認識をもたらしてもらうことを願っています。 それは、例えば、昨年暮れ、橋本俊彦さんが「宮城県丸森町の奇形の干し柿のニュースを、福島の人たちは話題にすらしない(したくない)という態度を取る」と仰ったのを聞き、福島県民の心根のなまの部分に触れた気がして、正直、戦慄が走りました。こういうお話がとても大切で、こういうお話をして
頂けたらというのが率直な希望です。 その点で、これまで、健康影響と言うと、甲状腺がんとか、白血病、糖尿病といった身体の病気が問題にされて来ましたが、この間、原発事故は終わった、健康影響の問題はないと安全神話を押し付けられてきた福島県内に住む県民の心はグチャグチャになってしまってるのではないか、その心の傷の深さが身体の病気以上に深刻な問題ではないかと感じています。 精神科医の蟻塚亮二さんの本「沖縄戦と心の傷」にもそのことが率直に書かれていて、この心の傷についても、皆さんが見聞した事実を差し支えない範囲で(個人情報を秘して)お話して頂けたら幸いです。 以上がメインの話題です。が、これを徹底してやると本当に気が狂うほど滅入ります、だからこそ「認識は悲観的に、行動は楽観的に」で、第二部的な意味で、「行動は楽観的に」のアクションもお願いしたいというのが、私の欲張りメニューです。 つまり、悲観的な認識があってこそ、楽観的な行動をリアルに受け止められるので、最初からただ楽観的なことをやっても、極楽トンボみたいにしかならない、それが私の独断的なスタンスです。

 第1部:映画「隠れキニシタン」上映    
上映前の監督関久雄さんのお話(予告編→こちら)

 

第2部 福島の今を語る
1. 子ども脱被ばく裁判の最新情報とその意義(プレゼン資料のPDF→こちら)
 弁護団 柳原敏夫



2. 橋本俊彦さんのお話(子ども脱被ばく裁判・原告/まつもと子ども留学基金理事)

橋本さんは、311後、三春町から東京→長野県松本に避難・移住。311以後今日までずっと、福島に通い、伝統医学・自然医学・近代医学の良いところを組み合わせた健康相談を実施。

上記の事前打合せのメッセージに対し、以下の、印象に残るコメントを寄せてもらった。

先日、震災直後、都内に一家で避難したMさんが、
当時の想いをいまだに素直に言葉にできない
と言っていたことが印象に残っています。 時に身体レベルに記憶された表現されなかった想いは、 さまざまな症状となり出現することがあります。 福島での健康相談では、同じような病態・症状であっても 質量の違いを感じることが少なくなくありません、重いのです。

  

3. 星ひかりさんの詩の朗読と歌(避難者/詩人/ NPO法人ライフケア理事)

星ひかるさんは、 311後、郡山から東京→長野県安曇野に避難・移住。ふくしま集団疎開裁判の2011年10月15日の郡山デモに参加、スピーチをされた(その動画→こちら)

あれから12年、その間「とにかく子どもを守る」それだけを考え、行動してきた星さん。しかし、避難の権利が保障されない生活の中で精神的にも追い込まれ、言葉を失い‥‥そこから再び、言葉を出す(詩を書く)ことを通じて何とか自分を少しずつ取り戻していった日々。



4、関久雄さんの歌・詩の朗読(福島二本松在住/詩人/NPO法人ライフケア代表理事)

関さんとは311直後の「こども福島」の準備会の時以来の知り合いだ。なのに、つい最近まで、彼のことを何も知らなかった。昨秋、長野県松本市の「まつもと子ども留学基金」で彼と同宿し、その時、彼が長野県が生んだ異能の法学者戒能通孝の最高傑作「小繋事件-三代にわたる入会権紛争」(岩波新書)の舞台となった岩手県小繋山の近くの開拓部落出身だったこと、それゆえ大変な辛酸をなめて成人したこと、横浜で無農薬八百屋をやっている時、チェルノブイリ事故で野菜が汚染され商売が大打撃を受けたこと(なおかつ25年後には「二重被ばく」)、その数々の逆境の人生を知り、初めて関さんと知り合うことができたと思った。以下は、彼の詩(その詩集は->こちら)の中でも彼の心根が私にとりわけ伝わった詩。

      「2年6ヶ月のふとん干し」

お日さまを いっぱいにあびた 
ふわふわの 布団

干してくれたんだ ありがとう お父さん
いい においがする 今夜は気持ちよく  眠れそう
でも なんで 外に出したの
放射能は だいじょうぶなの

うーん カビくせえのに 耐え切れんでな
風もなくて お天気良くてなあ
えーい いいや と 外に出したのさ
2年6ヶ月ぶりに 物干し出して
ふいてさ 布団 干したのさ

それから マスクして 掃除して 
カビた たたみも 雑巾がけしてな
窓も 戸も 玄関も み~んな開けた
風が おもてから裏へ おだやかに 抜けてなあ
ほんとに 気持ち 良かった
あぐらくんで 風に あたりながら 
ふとん干しはお父さんの 仕事だったなあって
思い出したら  涙 出た

今夜の 布団には 
セシウムが くっついているかも しんねえ
心配だったら マスクして寝れば 大丈夫
はは これは 冗談 
だども
やっぱし 出ること 考えねば なんねえ
こんなこと いつまでも 続けられねえしな

(2013.10.7)

 

 5. パネルディスカッション&会場との質疑応答
 橋本俊彦さん・関久雄さん・星ひかりさん・光前幸一さん(子ども脱被ばく裁判弁護団)・司会 柳原敏夫


 
 

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