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2023年2月23日木曜日

【第100話】歩くチェルノブイリ法日本版、関久雄さんとの出会い(2023.2.23)

 福島県二本松市の関久雄さんとは、2011年5月22日、郡山市でやった「こども福島の準備会」で出会って以来の知り合いだ(あの場にはその後、より知り合うことになる沢山の人たちが参加していた)。

昨年10月8日、まつもと子ども寮がある長野県松本市四賀地区で快医学ネットの講座があり、二本松市から来た関久雄さんと寝る部屋もずっと一緒だった。

泊まった夜、子ども寮で快医学ネットのメンバーと食事していたら、(どうも恒例らしく)関さんの弾き語りとなり、快医学ネットのメンバーと前日即席で作った、エレクトーンとバイオリンの豪華が演奏が始まった。
同席した快医学のメンバーのせいなのか、この時の関さんは私がそれまで見て知っていた彼とは別人のようだった。全身解放されて、心ゆくまで歌を楽しむ、とても味わい深いライブで、正直、「オレはこれまで関さんのことを全く分っていなかったんじゃないか」と我ながら思ったほどだった。  

そしたら、翌日、講座の会場で、関さんが私に「これ、プレゼント」と本をくれた。それが、
なじょすべ: 詩と写真でつづる3・11


奥付を見て、彼が私と同年生まれと分り、生まれた場所やその頃の話を聞いたら、岩手県盛岡の北の開拓部落出身で、戦争帰りの親父が戦後、労働組合運動に飛び込んで、会社から解雇され、それで、出稼ぎ生活をする中で、出稼ぎ先で蒸発してしまった。それで、中学から働きながら学校に通う生活が始まった。
大学も昼間働き、夜通う夜学生。昼間から学校に通えた自分とは何という違いなんだろうと思った。

その時、彼がずっと自分の人生を語るのを聞き、これはオレが知っていると思っていた関さんじゃない、彼は大地に這いつくばって生きてきたことを初めて知った。彼が書いた詩は、みんな事故後に初めて書いたこともこの時知った。
私自身、大昔、それまで詩なんて書けないと思っていた自分が、或る時から突然詩を書くようになった経験をしたので、関さんが詩を書き始めた時の心境がなんだか少し分るような気がして感動した。
それは、生活する人、こつこつ生きている人が、苦しみの中から嘆きと希望が交錯する中で、言わずにおれない言葉をつむぎ出している、地味だけれど、読む者の心にどっしり響くものがあった。 

例えば、母子避難についていかず、二本松に残った息子から「オヤジ、やめて!」となじら
れた歌。

いい年、と言われても
https://johnny311.exblog.jp/19246662/

その息子から、布団を干してくれて、ありがとうと感謝された時の歌。

2年6ヶ月のふとん干し
https://johnny311.exblog.jp/19834791/

 これらの詩を彼が朗読するのを聞き、彼こそ、311以後「福島原発事故の被ばく者の心を歌った詩人」だと思った。

これに対し、或る人は「なあに、プロの歌手のような声量もないじゃない」となじるかもしれない。 確かにそうかもしれない。だが、それがどうしたというのだ。むしろそうであるがゆえに、彼のような歌こそ、これを聴いた人たちが「このへたくその歌こそ俺たちの歌だ!」と感じることができる。それがスゴイことだ。 

311後に、放射能にいじめられ、その上、国にも福島県にも東電にもいじめられ、それで「なじょすべ」と悲嘆にくれながら、それでもなお、言わずにおれないことを言い続け、行動しないでおれないことを行動に移す。この面魂(つらだましい)こそ、チェルノブイリ法日本版のエッセンス。
歩いて歩いて歩き続ける、歩くチェルノブイリ法日本版。

そのような彼の言葉、彼の行動を見た人、聞いた人は「このへたくその言葉、へたくその行動、これこそ俺たちのことだ!」ときっと感じることができる。
彼こそ、311以後「チェルノブイリ法日本版の魂を歌った詩人」。そう思った。 

       「歩いても歩いても


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