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2024年7月27日土曜日

【第158話】「注文の多いブックレット」の価値を発見した2024年7月27日東京新聞の書籍紹介欄(2024.7.27)

私は、宮沢賢治の「注文の多い料理店」の序が好きだ。

わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、ももいろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗らしゃや、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
 わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、にじや月あかりからもらってきたのです。
 ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
 ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりのいくきれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。

ブックレット「わたしたちは見ている」も福島原発事故とチェルノブイリ事故に向き合って、その惨劇ともいうべき現実の前に震えながらも立ち続け、希望と正義を見失うまいとふるえながら立ち続けますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたない、ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはブックレットにそのとおり書いたまでです。そして、ブックレットのいくつかの文章が、読者のすきとおったほんとうのたべものになることを願って、5月に出版した(>出版の報告)。

ただし、このブックレットの読者は、「注文の多い料理店」を訪れたお客のような立場に立たされるので、マスコミはもちろんのこと、多くの人たちにも煙たがられるのを覚悟していた。

その中にあって、ごくごく少数の読者からとはいえ、10冊、50冊と大量の注文がはいったことは、この人たちにとって、ブックレットはすきとおったほんとうのたべものになっているのだという密かな自信を授かった。

そしたら、本日、東京新聞の書籍紹介欄に、ブックレットとしてはおそらく破格の扱いで、このブックレットが紹介された。その紹介文もただのうわべの要約にとどまらない、ブックレットの核心に迫るもの、つまりすきとおったほんとうのたべものだった。

「注文の多い料理店」がそうだったように、こうして一歩ずつ、ブックレットの価値を発見する読者が出現することこそ、私たちが心から望んでいることです。


 

 



【第157話】住まいの権利裁判で、原告Aさんの心情を訥々と訴える意見陳述、本人もこれで一歩前に出ることができたという、その動画

 7月22日14時から、東京地裁大法廷で、住まいの権利裁判の10回目の弁論を実施。
この日、原告のAさんが、311後の避難生活の中での生活再建の大変さ、それに対する被告福島県の何も寄り添わない残忍な対応振りを、訥々と訴える意見陳述をした。
以下は、裁判のあとに再度、読み上げたものを録音した動画(意見陳述原稿は>こちら)。



原告A本人は、最初、裁判官の前での意見陳述をものすごく恐れていたと言う。紆余曲折を経て、意見陳述する覚悟を決め、準備をし、本番で話してみて、それが自分にとってどれくらい良かったか、納得がいったか、実際にやってみて初めて分かったという。まさに、彼女も実行してみて、確実に一歩前に出た。
以下は、そのことを語った、裁判直後の報告集会での彼女の発言の動画(UPLAN提供)。

2024年7月25日木曜日

【第156話】ブックレットの最初の勝利:国際人権法の論点が初めて、本格的に審理のまな板に乗った(24.7.24)

 今週、ブックレットわたしたちは見ている」の最初の勝利を経験した。
それはつつましい、だが、長く余韻が続く勝利。
それが、避難者の住まいの権利裁判(>その概要)で、国際人権法の論点が311後初めて、本格的に審理のまな板に乗ったこと。
なぜ、それが可能だったのか。
それを可能にした原動力は何だったのか。
それはひとつには、昨年秋から今年冬にかけて、ブックレットを書いたことにある。
その中で、政策・政治の運動を人権の運動に転換することの必要性、その意義についてあれこれ考えたから。人々は政治に辟易、ウンザリしているけれど、むしろそれだけに一層、個人の尊厳、自己決定をとことん大切にする人権には、依然、情熱を失わない。
そこに焦点を当てて、具体的な問題に立ち向かおうとしたーーその最初の実践が今週の避難者の住まいの権利裁判。
そこで、今週、はやくもひとつの結果(上に述べたもの)が出た。私自身、その結果に正直、驚いている。
そして、なぜ、このような結果が出たのか、その理由を探求する必要がある。そして、この成果をもっと拡張、広げていく必要がある。
以下は、そのための、直後のつぶやきのメモ。

********************************

本日22日14時から、東京地裁の大法廷で、住まいの権利裁判の第10回目の弁論を実施しました。
この裁判、提訴が2022年3月11日、第1回弁論よりより2年が経過、その2年前に先行して福島地裁に提訴された避難者追出し裁判が第1回弁論(2021.5.14)から1年2ヶ月で審理打切りを裁判所が通告したような強引、乱暴な訴訟指揮はしてきませんでした。

しかし、この裁判の肝心のメインテーマ「国際人権法と県知事決定の裁量権の逸脱」について裁判所は、この間、「敬して遠ざける」という態度で全く検討に入らず、他方で、その罪滅ぼしのように、付随的な主張(「復興公営住宅」の避難先での建設のサボタージュ。親族に原告の立退きを求める。プライバシーの侵害)に滅茶苦茶深掘りして争点整理に励むという姿勢でした。
この人間的個性(大きな人権問題から目を背け、小さな人権問題に目を向ける)が色濃く反映した訴訟指揮を正常化させなくてはと、
今年2月に、裁判所に、この裁判から逃げないで、一歩前に出て、積極的な審理をすることを正面から求めるラブレターみたいな以下の書面(準備書面(12))を提出。

 そして、3月の期日にこの書面の要旨(>PDF)を陳述した直後、はからずも裁判長から「原告の言いたいことは理解した積りだ」と前向きに受け止める発言。一瞬、大きな期待を抱かせたものの、しかし具体的な取組みはその次の期日(前回の5月)でも全く変わらず、ガッカリさせてくれました。それで、業を煮やした私は、前回の期日直後の非公開の進行協議の場で、上のメインテーマについて「争点整理案をこちらで作りましょうか」と半ば嫌味、ヤケクソで提案したら、裁判長はニコリと「じゃあ、お願いします」とあっさり振られてしまいました。

しかし、「言うは易き、行い難し」で、そのあと、上のメインテーマについて「争点整理案」を作成しようとしたのですが、ぜんぜんはかどらない。実は、
先行した福島地裁の追出し裁判でも同じく争点整理案をめぐって裁判所と激論になったのですが、そのとき、準備したものが不発で、それ以来、正直、争点整理案に自信を無くしていました・・・そうこうしているうちに、どんどん時間が経ち、〆切が迫る中で、尻に火がついて、以下の文から書面を書き起こしたら、ようやく、自分の悩みが解けました。

率直に言って、本件は争点整理がすこぶる難しい。一筋縄ではいかず、立ち往生しまいそうになる。これは裁判所も争いのないところだと思う。ところで、翻ってなぜ争点整理がかくも困難なのか。それは決して偶然ではない。そこには本件に特有の本質的な法律問題が潜んでいるからである。すなわち、本件の「争点整理の困難性」は本件に特有の本質的な法律問題に由来するものであり、この点の正しい認識から、初めて本件に相応しい争点整理への途が開ける。そこで、ここから本件の争点整理を始めたい。
このように問題を立て、それを追及して行ったら、そこから答えが見えてきました。そのまま引用すると以下です。

本件の争点整理が一筋縄ではいかず、困難なのは本件の紛争が既存の法律体系の枠組みに収まらず、そこから大きくはみ出した紛争だからである。これまでの訴訟で我々が通常おこなって来た争点整理とは、実は当該紛争が既存の法律体系の枠組みに収まるものであることを大前提にして、その上で「既存の法律体系の枠組みの中で要件事実を取り出し、かつそれらを両当事者に分配し、その整理に基いて具体的な紛争事実を当てはめる」ものであった。だとすれば、新たに発生した紛争が既存の法律体系の枠組みに収まらず、そこからはみ出した場合にはもはや上記の争点整理の方法がそのまま使えなくなるのは当然のことであった。その典型が、既存の法律体系が当該紛争を予想しておらず、当該紛争に対して法律から具体的な判断基準が直接引き出せない場合すなわち「法の欠缺」状態が発生した場合である。しかも本件では、この「法の欠缺」状態が全面的、顕著に発生した。

換言すれば、本件で争点整理が一筋縄ではいかず、困難なのは「法の欠缺」状態が発生しているからである。


ここに至った時、私は初めて、「法の欠缺」という問題は法の体系のみならず、裁判手続の全体まで根底から揺るがす一大事件なのだということを思い知らされたのです。つまり、「法の欠缺」問題は実体法ばかりか裁判の手続法まで、その基本問題の枠組みをすべて塗り替えるような一大事件なのだという自覚が必要なことを教えられました。2年前の追出し裁判の時には、まだこの自覚ができなかったため、争点整理も未消化、不発で終わってしまったことに気がつきました。
もともと、裁判のクライマックスは争点整理とそれに基づく証拠調べの2大柱です。
ですが、「法の欠缺」問題がこの2大柱にどう影響し、どう関わるのかについて考えを押し及ぼさなかったため、裁判の中で「法の欠缺」問題を徹底的に論じ、取上げることが出来ませんでした。
しかし、今度は今回、この点(争点整理と「法の欠缺」の関係)の検討ができたので、これを裁判所にもぶつけて、勝負に出ることにした。それが準備書面(17)(>PDF)と以下の争点整理案(>PDF)です。 

いわば、「法の欠缺」が生じている場合の争点整理はいかに実施されるべきかという問題提起とその解決について、ひとつの仮説を提示したのが、この準備書面(17)と争点整理案です。なので、裁判所がこれらの書面をどう受け止めるかによって、この仮説をどう評価したかが分かる。それが本日の弁論だった。

そして、本日の弁論で、裁判長は、被告福島県に、原告作成の争点整理案のブランクの部分(被告の認否・反論とその理由)について書き込むようにと指示を出しました。ひとまず原告の争点整理を承認し、これを前提に争点整理を進めるという態度を表明したのです。

のみならず、前回期日に提出した、311以後の日本政府の原発事故の収拾に関する政策の集大成をした準備書面(14)(>PDF その報告)についても、我々から次の求釈明(>PDF)を出していました。
 

もし、被告において、本書面(準備書面(14))で主張した事実のうち争うものがあるというのであれば、速やかにその部分を明示のうえ否認及びその理由(民訴法規則79条3項)を明らかにされたい。

そしたら、本日の弁論で、「裁判所もこれを知りたいと考えるので、福島県に、次回までに、この点を明らかにするように」と指示しました。
専門的な話になりますが、裁判手続では裁判の主題の判断にとって直接必要な事実については必ず相手に認否・反論をさせますが、裁判の主題の判断にとって背景となる事実についてはとくに認否はしなくてもよいと考えます。今回の準備書面(14)は副題として「本件住宅支援打切りの経緯及び背景事情」と書いているくらいですから、通常なら、相手は認否しなくてもよいとされます。事実、福島県は準備書面(14)を、なんだ、うるさい蝿野郎めくらいにしか考えず、無視、黙殺したのですが、そこに嚙み付いたのが、今回の求釈明書。そこでは、
一般論はともかく、本件の背景事情は一般論とは訳がちがう。それは、
本裁判の主題である法的争点と密接不可分のいわばコインの表と裏の関係にあり、本訴の真相解明に基いて法的争点を的確に下す上でないがしろにできない重要な事実だ、と。しかも、
本書面で述べている事実はいずれも公表もしくは公開された媒体に記載された事実であって、基本的に被告にとっても異論がないものと原告らは理解している。
と追い込んで、だから、もし争うならそれを明らかにしろ、と。しないなら、それは争いがないものとして、今後の審理の基礎にするからな、と。
      ↑
そしたら、裁判所も、この考えに共鳴し、乗ってくれた。
これには福島県の代理人もビックリしたはず。準備書面(14)は311後の国の悪行の限りを尽くした政策が網羅されています。これを認めるのか否かを、否定するならその理由を示せと、まるで踏み絵みたいに明らかにしろと迫られた訳ですから。勘弁してよというのが代理人の心情だと思いますが、裁判長は、福島県に踏み絵を踏ませることにしました。

加えて、新たに予備的に主張を追加した準備書面(18)についても、裁判所から被告に認否反論をするように指示しました。
おまけが、個人情報の公開をめぐる論点で、県の書面に反論した準備書面(16)についても、あれだけ県に嚙み付いた書面を黙ってる訳にはいかないのを分かって、さり気なく、「もし反論があれば次回までにするように」と。 

以上のような裁判所の訴訟指揮を、福島県の代理人は予想していなかったらしく、裁判所の指示に対し、一言も釈明も反論もせず(できなかった)、あっさり手続が済んだ。

結局、今回初めて、裁判所は原告の求める訴訟展開を全て受け入れ、被告にそれに答えるように指示を出しました。
本日は、福島地裁の追出し裁判も含め、この3年間の中で最も充実した期日でした。
というより、311以後の13年間、いつも敗北の連続の中で、今日が、硬直した事態を突破する最も強烈な抵抗の日でした。
それ加えて、本日の原告Aさんの意見陳述がそれを象徴する、聞く者の心に飛び込む、本当に素晴らしいものでした(>意見陳述原稿)。
この間、原告Aさんの担当で、意見陳述の準備をしてきた井戸さんは、本日、新幹線不通のため出廷が適わず、私が井戸さんの代理人になってAさんの陳述を胸に刻んだのですが、返す返す無念だったろうと思います。

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[Che-supportmember:858] 【参考】避難者追出し裁判の最新書面:もし日本版があれば追出し裁判の争点整理は一発で解決

昨日(2024年7月16日)、東京地裁の避難者追出し裁判(通称、原発避難者住まいの権利裁判)で、書面6通を提出しました。
ちょうど今が、この裁判の折り返し点で、双方の主張がほぼ出揃って、主張整理(裁判では争点整理といいます)が煮詰まるとても重要な時点にさしかかっています。
しかし、にもかかわらず、肝心の争点整理がぜんぜん進まない、国際人権法の核心的論点に全く入ろうとしない。ただし、裁判所が決して避難者側を軽んじて、福島県よりの偏向した態度を取っている訳でもありません。そこで、この優柔不断の態度をどう打開したらよいものか、正直なところ、恐らく争点整理をどうしたらよいのか途方に暮れている裁判所と同じくらい、こちらも途方に暮れてしまいました。

そのような途方に暮れる日々の中から、何とか、打開策を探り当てたのが今回の書面です。
その打開の鍵は、チェルノブイリ法日本版でした。正確に言うと、チェルノブイリ法日本版の持つ意義にありました。

ブックレットにも書きましたが、少し専門的ですが、チェルノブイリ法日本版とは311後の原発事故の救済について日本の法体系が何も解決方法を制定していないという、恐るべき「法の穴(欠缺)」状態を穴埋め(補充)する立法的解決のことです。

そこから眺めると、現状は、日本の法体系が何も解決方法を制定していないままです。それなら、私たちは原発事故の救済を一切諦めなければならないのかというと、そうではありません。立法的解決の替わりに司法的解決の途がまだ残されています。先日の旧優生保護法の人権侵害に対し救済した最高裁の判決がそうです。
このような司法的解決をめざしているのが、避難者追出し裁判です。
ですから、この裁判とチェルノブイリ法日本版とは原発事故の真っ当な救済を実現するための両輪の輪です。
そのことを自覚していたので、この裁判の争点整理で行き詰った時、その打開策はチェルノブイリ法日本版にあると直観し、そこから打開の途を見出しました。
そのエッセンスを一言で言うと、
①.まず原発事故の救済についての「法の穴(欠缺)」状態を正しく穴埋め(補充)せよ、
②.その補充された法体系に沿って争点整理を行えば、適切な争点整理が実現される
というものです。

チェルノブイリ法日本版の画期性、視点を意識することによって、現状の様々な問題の本質がクリアになるという貴重な経験をしました。
以下は、その一部始終をつぶやきとして書き残したものです。合わせて昨日提出した争点整理の肝に関する準備書面と争点整理のモデル案を添付します。

住まいの権利裁判で、未知の争点整理に挑戦する書面を提出(直後のつぶやき)

 

2024年7月20日土曜日

【第155話】311後の市民は、五感の通用しない人間的スケールを超えた被ばくの世界、「日常生活」と分断された不条理な世界と闘わざるを得なかっただけでなく、市民を愚弄し続けてきた明治維新以来の、戦争と公害の日本の歴史とも闘わざるを得なかった(19.5.27→24.7.20追加)

 2004年6月20日講演会「この人に聞く 宇井 純さん

5年前、311後の日本社会を生きることについて、それは単に「見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒」である放射能の被ばくとの困難な闘いばかりか、市民を愚弄し続けてきた明治維新以来の日本の歴史とも闘わざるを得なかったことについて考え、書いた(末尾の投稿)。

最近、チェルノブイリ法日本版のブックレットを書いたあと、その「市民を愚弄し続けてきた明治維新以来の日本の歴史」の代表例として、宇井純が捉えた公害の歴史が目に飛び込んできた。
なぜなら、彼の指摘した「公害の惨劇と犯罪」(その中身は以下の「公害はなくなったか」の通り)が、半世紀後の311後の日本社会でそのまま反復されたことに正直、驚きを隠せなかったから。 

どうしてこれほどまでにそっくり「惨劇と犯罪」がくり返されるのだろうか。第1に、それは、私たちが半世紀前の「公害の惨劇と犯罪」から、最も大切なことを学んでいないからではないか。とりわけ、画期的と言われた1970年の「公害国会」のあとに、新たな公害問題ーーそれまで話題にされた「高濃度の汚染」のことではなく、じわじわと累積して長期間ののちに発症する「低濃度の汚染」による「公害の惨劇と犯罪」の問題が未解決にもかかわらず、市民は「公害は終わった」という言葉にたぶらかされて、この未解決問題の抜本的解決を先延ばししてきた。
そのツケが311福島原発事故。
この間、低濃度の有害物質による「公害の惨劇と犯罪」問題を先延ばししてきた日本政府が、311で発生した、低線量被ばくによる「原発事故の惨劇と犯罪」に立ち向わないのは自明だった。
しかし、実は日本の市民社会も同様だった。1970年の「公害国会」で一件落着した、と思い込んでしまった私たち市民は、その後、低濃度の有害物質による「公害の惨劇と犯罪」問題に厳しい監視の目を向けなかった。だから、311福島原発事故のあとも高線量被ばく問題には注目しても、低線量被ばくの危険性には十分な注意を払わなかった。
この意味で、311後の市民は、五感の通用しない「日常生活」と分断された放射能被ばくの世界と闘わざるを得なかっただけでなく、市民を愚弄し続けてきた高度経済成長以来の公害の日本の歴史とも闘わざるを得なかった。

じわじわと累積して長期間ののちに発症する「低濃度の汚染」による「公害の惨劇と犯罪」の問題への取組みの必要性に警鐘を鳴らし、その有効な対策として予防原則しかないことを掲げた(以下参照)宇井純から今日、学び続ける必然性の1つがここにある。

  「公害はなくなったか」1978年8月

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2018.11.10第11回新宿デモへの呼びかけ)(18.10.20)に加筆。


「悪い奴にとって一番ありがたいことは、いい人がだまっていてくれることだ」。イギリスの古い美学者が言っていた言葉ですが、そんなことで、黙っていてはいけませんよ。
                                                   大岡 昇平
大岡昇平「時代へ発言 第三回-39年目の夏に-」1984.8 NHK教養セミナーより

戦争について生涯考え続けた作家大岡昇平(彼の紹介->こちら)、もし彼が生きていたら、原発事故の本質について、こう言ったと思う。
--原発事故は従来の災害・人災の延長線上で考えることはできない。むしろ一種の核戦争というべきである。
なぜなら、一方で、物理現象として、放射能は目に見えず、臭いもせず、痛みも感じない、私たちの日常感覚ではぜったい理解できない、人間的スケールを超えた、非日常的な、不可解、不条理な現象で、原発事故は、原発から放出された大量の放射性物質によって、外部から、そして体内に取り込まれ内部から、桁違いな量でくり返し発射される放射線とのたえまのない戦い(年間1mSvだけでも「毎秒1万本の放射線が体を被ばくさせる事態が1年間継続すること」(矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授)を強いられているから。

他方で、社会現象として、戦争では「ひとりひとりの兵士(市民)から見ると、戦争がどんなものであるか、分からない。単に、お前はあっちに行け、あの山を取れとしか言われないから。だから、自分がどういうことになって、戦わされているのか分からない。分からないまま、危険な目に遭い、死んでしまう」、それが戦争だ。

これに対し、福島原発事故がそうだったように、「ひとりひとりの市民から見ると、原発事故がどのようなものであるか、どうしたらよいのか、真実は分からない。単に、『健康に直ちに影響はない』『国の定めた基準値以下だから心配ない』とかしか言われないのだから。だから、一体自分がどういう危険な状態にあるのか、どう対策を取ったらよいのか、本当のことは分からない。分からないまま、危険な目に遭い、身体を壊してしまう」、これが原発事故というものだ。この点でも戦争と変わらない。

また、大岡昇平は、戦争中の日本軍部の愚劣な作戦を省みて、「兵士=歩兵(市民)は(敵のアメリカ軍と闘っただけでなく)、明治維新以来の日本の歴史と闘ってきたようなものだ」と語る。

これに対し、福島原発事故以後、恥ずかしいほどあからさまとなった、原子力ムラの愚劣極まりない対応を見て、命を救済するという当たり前のことがなぜできないのかと問うた時、私たちもまた大岡昇平と同様、「私たちは市民は、単に放射能や原子力ムラと闘っているのではなく、明治維新以来の日本の歴史と闘っているようなものだ」ということに思い至る。

その時初めて、市民を愚弄し続けて来た、明治維新以来の日本の歴史と闘って来た「江藤新平」、「田中正造」、杉並の「原水爆禁止」署名運動、人間裁判の「朝日茂」、水俣病の「川本輝夫」「原田正純」「宇井純」、四日市死の海を刑事告発した「田尻宗昭」、三島・沼津「石油コンビナート反対」の市民運動、東京都公害防止条例制定に尽力した「戒能通孝」たち、彼らが挑んできた格闘をいま自分たちも(ひそかに)追体験していることに思い至る。

 江藤新平(詳細は->ここ

 杉並で始まった水爆禁止署名運動(詳細は->ここ

朝日 茂(詳細は->ここ

川本輝夫(詳細は->ここ

田尻宗昭(詳細は->ここ
 戒能通孝(詳細は->ここ

大岡昇平が生前、戦争について語ってきた以下のメッセージの「戦争」は「原発事故」に置き換てもそのまま通用する。「核兵器」は「原発」に、「兵士」は「市民」に置き換えられる。それくらい原発事故は、戦争と同じく、私たち市民の日常の感覚・考え方では捉えきれない異常事態です。

だから、私たちは、私たちのあとに続く世代が生き延びる意志を持つ限り、彼らが人間であることをやめない限り、私達も生き延びることをやめる訳にはいかない。日常の感覚・意識との「分断」に甘んじる訳にはいかない。どんなに大変であっても、「注意深い」感覚・意識を持ちながらこの未曾有の異常現象と向きあい続け、なおかつ私たち市民を愚弄し続けて来た明治維新以来の日本の歴史と向き合い続け、NO!と言うだけでなく、「江藤新平」たちが創ろうとしてきた平和=積極的なYES!に向かって、アクションをやめる訳にはいかない。

【甘い考えだった】
「われわれの死に方は惨めだった。われわれをこんな下らない戦場に駆り立てた軍人共は全く悪党だった。芸妓相手にうまい酒を飲みながら、比島決戦なんて大きなことをいい、国民に必勝の信念を持てと言い、自分たちはいい加減なところで手を打とうと考えていた。‥‥
戦後25年、おれの俘虜の経験はほとんど死んだが、きみたちといっしょにした戦争の経験は生きている。それがおれを導いてここまで連れて来た。
もうだれも戦争なんてやる気はないだろう、同じことをやらないだろう、と思っていたが、これは甘い考えだった。戦後25年、おれたちを戦争に駆り出した奴と、同じ一握りの悪党共は、まだおれたちの上にいて、うそやペテンで同じことをおれたちの子供にやらせようとしている。」 (ミンドロ島ふたたび)
大岡昇平「時代へ発言 第二回-死んだ兵士に-」1984.8 NHK教養セミナーより

【戦争とは】
「核兵器は使うために作るのではない。持ってるぞということを示して、相手が使うのを抑える、核抑止戦略というんですが、とにかくこういう面倒な理屈が行なわれる。そういうところまで戦争は来てしまってるわけです。
核を使えば、人類の滅亡だから、限定戦争といって、核兵器を使わない戦争を朝鮮や,ベトナムではやってるわけですけど、するとそこにさっき言った徴兵制、戦争の矛盾がでてくるわけですね。それが何のために戦争をしているのかわからない――「いやだ」と言い出す。そこに住んでる人民の支持を得られない戦争というのは非常にいやな苦しいものです。アジアは人口が非常に多いんですから、いくらアメリカ人が一人で十人穀したところでいくらでもいるわけで、それがアメリカがどうしてもベトナムて勝てない理由なんです。あれはだんだんに終るうとしておりますけれど、とにかくこれが現代の戦争の実情なんで、れれわれは戦争はもうごめんだ、と考えていますけれど、実際は戦後二十五年、世界のどこかで限定戦争が行われている。いまの若い方が「知っちゃいない」と言おうと言うまいとそれは行なわれている。関係ないと思ってるうちにいつの間にか、われわれも巻き込まれている。そして来てからではもう何をしても間に合わない。戦争はそういうものなのです。」 (「レイテ戦記」の意図)
大岡昇平「時代へ発言 第二回-死んだ兵士に-」1984.8 NHK教養セミナーより

【俺は言うねぇ、とにかく】
「私はそうやってみんなが現にこう楽に暮らせるんならば、忘れちゃっても別にとがめようとは思わないんです。
それは人間はね まあ そういうもんなんですよ。そうして暮らしていければまあいいだろうと思うだろうし、
死んだ人間は、また それで いいと思ってると思うんだけれども、ただ、このまままたヒドいことになるというところへ引っ張っていくのじゃあ、彼らは浮かばれないだろう。‥‥
そうすると、政府の方が勝手なことをするのに対して『ノー』と言い続けることが文学者の、つまり我々の役目であって、それは、どうしても、、、俺は言うねぇ、とにかく。‥‥
大岡昇平「時代へ発言 第三回-39年目の夏に-」1984.8 NHK教養セミナーより

『悪い奴にとって一番ありがたいことは、いい人がだまっていてくれることだ』。イギリスの古い美学者が言っていた言葉ですが、そんなことで、黙っていてはいけませんよ」 
大岡昇平「時代へ発言 第三回-39年目の夏に-」1984.8 NHK教養セミナーより

2024年7月17日水曜日

【第154話】住まいの権利裁判で、これまでの「一歩前に出る司法」から「もう一歩前に出る司法」を訴える書面を提出(2024.7.16)

 昨日、【第153話】で、住まいの権利裁判で、改めて「一歩前に出る司法」を訴える書面を整理・集大成して提出した(こちら>準備書面(17))と報告。 

ところで、その作成過程で、司法積極主義が適用される類型としてこれまで説かれて来た「カロリーヌ判決のストーン判事の脚注4」の3つの類型という枠組みには収まらない、新たな類型が存在することを主張をする必要性を痛感するようになり(正直なところ、それまではこの点を曖昧にしてきた)、これを正面から書面にしたためた。それがこちら>準備書面(15)

実は、今回、時間切れの関係もあり、以下の展開はまだ荒削り、けれどもそれは、間違いなく、今までより「 もう一歩前に出る司法」を訴えるものだった。
これは私にとっては目からウロコの、画期的なことだった。

そして、それは「新しい酒は新しい革袋に盛れ」--こう判決文に書き込んだ1981年12月16日大阪国際空港公害訴訟最高裁判決(全文は>こちら)の団藤重光最高裁判事の言葉を実践することだと知った瞬間でもあった。この言葉の意味が深いことを思い知らされた瞬間だった。

短いので、以下、その全文を転載する(そのPDFこちら)。

     ********************** 

令和4年(ワ)第6034号 損害賠償請求事件

原告(反訴被告) A 外

被告(反訴原告) 福島県

準備書面(15)
――準備書面(12)の補充――

2024年 7月 15日

東京地方裁判所民事第5部甲合議A4係  御中

原告ら訴訟代理人 弁護士   井 戸   謙 一

                       ・・・・・・

 

本書面は、本年2月提出の準備書面(12)の補充である。

目 次

1、司法権のスタンス――司法消極主義と司法積極主義の使い分け――の補充                            2頁

2、「人権問題の積極的な審査」の補充               3頁

 

1、 司法権のスタンス――司法消極主義と司法積極主義の使い分け――の補充

 原告準備書面(12)は、第1、2で、司法消極主義と司法積極主義の適正な使い分けの必要性とその基準について、1938年のカロリーヌ判決のストーン判事の脚注4に基いて主張したが、もとより上記脚注4が上記の司法消極主義と司法積極主義の使い分けの基準を網羅したものではなく、それ以外にも新たな基準から2つの主義の使い分けを実行すべき場合がある。以下、それについて補充する。

 それは、《既存の法体系が予想していなかった紛争(事態)が発生し、なおかつ当該紛争(事態)の適正な解決のために必要な立法が制定されず、その結果、当該紛争(事態)が「法の欠缺」状態のまま、その中で関係者の人権が守られず、人権侵害が放置されたままになっているケース》(さしあたり、第4の類型と呼ぶ)である。このように民主主義の政治過程に「法の欠缺」の放置という重大な欠陥が生じ、その中で関係者の人権侵害が問われている場合、裁判所は「欠缺の補充」に積極的に取り組む審査をしなければならない。

 その典型的なケースが公害の発生である。1938年のカロリーヌ判決当時、公害の発生は問題になっていなかったから、この事態を想定して脚注4が書かれなかったのは当然である。その後、脚注4のエッセンスを公害裁判の中で蘇らせたのが、1981年12月16日大阪国際空港公害訴訟最高裁判決の団藤重光裁判官の次の少数意見である。
本件のような大規模の公害訴訟には、在来の実体法ないし訴訟法の解釈運用によっては解決することの困難な多くの新しい問題が含まれている。新しい酒は新しい革袋に盛られなければならない。本来ならば、それは新しい立法的措置に待つべきものが多々あるであろう。

しかし、諸事情によりその立法的措置が果たされない場合には、その時こそ裁判所の出番であると次の通り締めくくっている。

法は生き物であり、社会の発展に応じて、展開して行くべき性質のものである。法が社会的適応性を失つたときは、死物と化する。法につねに活力を与えて行くのは、裁判所の使命でなければならない。」(33~34頁)

 すなわち、「法の欠缺」状態が発生したにもかかわらず、立法的解決が図られず、放置されている場合には、その時こそ司法が積極的に問題解決に乗り出す番である、と。

 とはいえ、これは法律が「民主主義の政治過程を制約する法律」に該当するケースではないから上記脚注4の①の類型に当らない。同じく、法律が「憲法が掲げる基本的人権を制約する法律」に該当するケースでもないから上記脚注4の②の類型にも当らない。従って、原告準備書面(12)第1、3の《本件は上記脚注4の①と②の両方のケースにもかかわる。》(4頁末行)という主張は不正確であり、撤回する。そして、改めて、《本件は、脚注4のエッセンスを公害裁判の中で蘇らせた団藤重光裁判官の上記意見を定式化した第4の類型に該当する。》と主張する。

 同じく、第1のラストも次のように修正する(下線が修正部分)。

《本件は、民主主義の政治過程に真空地帯という重大な欠陥が生じるという極めて憂慮すべき事態のもとで、原告らの基本的人権の侵害が問われている裁判である。それが本件は第4の類型に該当するという意味である。それゆえ、こうした真空地帯が発生した場合には司法は人権問題を積極的に審査する、それがストーン判事の脚注4のエッセンスである。》(5頁11~16行目)

 

2、「人権問題の積極的な審査」の補充

(1)、司法積極主義の具体化

本裁判において、裁判所はいかなる方法で司法積極主義に出るべきかという問題について、原告準備書面(12)は、第1、2で、次の立場を明らかにした。

《ここで行う審査とは政策の当否といった政治論争の審査ではなく、あくまでも人権保障という法的観点から人権侵害の審査を行なうことであり、それ以上でもそれ以下でもない。》(3頁下から5行目)

 すなわち、そのやり方とは司法が行政庁の判断に代わって自らあるべき政策決定を下す(判断代置方式)のではなく、あくまでも人権保障の観点から第1の方法として行政判断の「結果」をチェックすること、第2の方法としてその「判断過程」における政治的行政的不均衡及び不備をチェックし、それらの均衡及び不備を是正するという限りで積極的に判断することである。

(2)、行政判断の「結果」に着目する審査方式

さらに、前者の方法について、一般論として、第2、2で、次の通り主張した。

《第1は、行政庁の判断という「結果」に着目して、その結果が憲法等の人権保障に照らし、人権侵害を引き起こしていないかを審査するやり方である。行政庁ではなく立法機関であるが、議員定数不均衡訴訟で立法機関が制定した法律という「結果」に基づいて、その投票価値が憲法14条が定める法の下の平等に照らして違憲かどうかを審査する場合がこのやり方に相当する。》(7頁2~6行目)

 あるいは、東京地裁昭和44年7月8日ココム事件判決が輸出の自由という人権に対する侵害になっていないか否かに着目して審査したのがこの審査方式である。

そこで、上記の方法を本件に適用した場合いかなる結果となるか、これについて以下に補充する。

(3)、本件への適用

原発事故の救済に関して災害救助法等の日本の法体系は「法の欠缺」状態にあり、その欠缺を上位規範である国際人権法に適合するように補充すると、すなわち原発事故における社会権規約11条1項の「適切な住居」に適合するように「欠缺の補充」を実行すると、原発事故の避難者である原告らには「国内避難民」として国際人権法が保障する次の3つの内容を持つ居住権(その詳細は訴状42~45頁参照)が認められる。
Ⓐ.住居への入居(アクセス)

Ⓑ.入居した住居の継続的保障

Ⓒ.入居した住居からの強制退去の禁止

 他方、本件県知事決定[1]の内容は、原発事故直後に行政府が原告らに提供した本件建物を2017年3月末をもって提供を終了するというものであって、これはⒷの入居した住居の継続的保障を真っ向から否定するものである。のみならず、これは2017年3月末までに原告らに退去を求めるものであり、Ⓒの入居した住居からの強制退去の禁止に全面的に反するものである。その上、本件県知事決定において、提供終了にあたって応急仮設住宅に替わる代替住居の提供の説明はなく、Ⓒの「強制退去の禁止」の例外的措置が認められるための手続的要件「すべての実行可能な代替案が検討され、代替措置(住居)の誠実な提供があったこと」が認められないことは明らかである(訴状7頁()参照)。この意味で、本件県知事決定の内容は国際人権法が「国内避難民」である原告らに保障した上記居住権を根底から否定するものであり、その人権侵害は重大である。そうだとすると、その「結果」において、国際人権法の人権保障に照らし居住権という人権侵害を引き起こした本件県知事決定は「判断過程審査」を検討するまでもなく、裁量権の範囲を逸脱し、違法を免れない。

(4)、付言

 本件県知事決定は国際人権法が「国内避難民」である原告らに保障した居住権の侵害という点だけで裁量権の範囲を逸脱し、違法を免れないものであるが、それに加えて、さらに重大な人権侵害をおかしている。それが「生活再建権」ともいうべき生存権の侵害である。生活再建権とは、原発事故という未曾有の国難を引き起こした国と福島県は、国難の被害者である避難者が避難先で生活再建できるように、その経済的自立に向けて積極的な就労支援・生活支援を行う法的責任を負うというものである。換言すれば、国難の被害者である避難者には避難先で、自ら生活を再建する権利すなわち生活再建権とよぶべき人権が、原発事故という未曾有の事故の出現に対応して新たな社会権の1つとして出現したのである。この出現に対し、「新しい酒は新しい革袋に盛れ」の格言に従えば、原発事故という未曾有の国難を引き起こした国・福島県は困窮の中に放置されている避難者の生活再建を保障する法的責任がある。

以 上



[1] 2015年6月15日、内堀福島県知事が、2017年3月末をもって区域外避難者に対する応急仮設住宅(この住宅を以下、本件建物という)の供与を打ち切り、延長しないことを決定した。この決定を以下、本件県知事決定という。

 

2024年7月16日火曜日

【第153話】住まいの権利裁判で、未知の争点整理に挑戦する書面を提出(直後のつぶやき)(2024.7.16)

原発避難者の「住まいの権利裁判」の概要はこちら

1、(少し長い)前置き

人権は、人権侵害に対して抗うこと=抵抗することを通じてしか実現しない。これは歴史が証明している。
そして、人権侵害への抵抗の最も有力なひとつ、それは「人権の最後の砦」とされる裁判所に裁判を起こすこと。これも歴史が証明している。
しかし、裁判をすれば自動的に人権が回復する訳ではない。幾多の困難がある。そこでも新たな人権侵害が発生するからだ。それにも抗うこと=抵抗する必要がある。それが「裁判を受ける権利」という人権の侵害に対する抵抗だ。
その抵抗を確かなものにするために、民事事件における「裁判を受ける権利」の中身をあらかじめ理解しておく必要がある。
「裁判を受ける権利」が通常の人権とちがう点は、表現の自由などは「私はこう考える」といった自分が自己決定した中身に対する規制・抑圧を侵害と捉えるのに対し、「裁判を受ける権利」は「手続のやり方・進め方」が人間性の尊重に照らし、抑圧的であるという点を問題にする。前者は直観的にも理解できるが、後者は直観だけでは理解できず、手続の意義についての理解・洞察が必要となる。
それが民亊訴訟法では「裁判所の①積極的な争点整理と②集中証拠調べ」と言われる充実した手続のこと。
すなわち、裁判とは、紛争を①主張と②証拠の両面からその真相解明を果そうとするもの。
まず①の主張だが、ここの肝は、その紛争ではいったいどういう事実の争いがあるのか、両当事者の言い分を十分聞いて、これを整理することにある。これを争点整理という。

それが済んだら次は、整理された争点ごとに、②の証人尋問などの証拠調べをして、客観的な事実が何であるかを明らかにし、得られた証拠から各争点の評価(どちらの主張を採用すべきか)が導かれる。

以上が民亊の裁判手続の流れで、この手続の中で、市民の「裁判を受ける権利」が十分に保障されているかどうかが決まる。

この意味で、市民の「裁判を受ける権利」の前半のクライマックスは「争点整理が積極的に果されること」にある。 

2、住まいの権利裁判(原告:避難者 VS 被告:福島県)

では、この「争点整理が積極的に果されること」は住まいの権利裁判においてどうだったのか。
結論をズカッと言えば、この裁判でも「争点整理が積極的に果されること」は果されていない。
とはいえ、それは福島地裁で先行して起こされた避難者追出し裁判(原告:福島県VS被告:避難者)のようなものではなかった。追出し裁判では、裁判官があからさまに「争点整理を果さないこと」に全力投球した(誤解を恐れずに言えば、この裁判官は原告福島県の代理人を演じた)。
被告避難者は、福島県の追出しの請求に理由がないことを国際人権法と内掘知事決定の裁量権の逸脱・濫用を二大柱にして全面対決したが、裁判官は被告避難者に、それらの主張をひと通り言わせたら、「もうないのね。はい、それではおしまい」と、争点整理の検討にも証人調べにも入らずに、さっと審理終結を強行した。それは「争点整理を果さないこと」をミッションにしたもので、「裁判を受ける権利」の明々白々の侵害だった。

これに比べれば、住まいの権利裁判の初代裁判長は、福島地裁のような明々白々な「裁判を受ける権利」の侵害行為はしなかった。
されど、「争点整理が積極的に果されること」もしなかった。完全にボイコットした。
その代わり、原告避難者に派生的に発生したプライバシーなどの人権侵害の主張について、双方の当事者がビックリするくらい詳細な争点整理を実施した。それはまるで、良心的な裁判長が罪滅ぼしをしているかのように見えた。
しかし、肝心の「国際人権法」の主張については、ひとつも、決して争点整理に入ろうとしなかった。結局のところ、争点整理のこの格差ーーそれは差別だったーーは歴然としていた。

1年前の2023年7月に着任した二代目裁判長もまた、基本的に初代裁判長の態度を踏襲しているように思えた。つまり、「国際人権法と内掘知事決定の裁量権の逸脱・濫用」には敬して遠ざけるという慎重な態度だった。
しかし、こんな受け身の消極的な態度では原告避難者の「裁判を受ける権利」は死んだも同然ではないか。思い詰めた末、今年正月、泉徳治元最高裁判事の本「一歩前に出る司法」に感銘を受け、ここで掴んだ理論的根拠に基いて、二代目裁判長に向けて、本裁判は「一歩前に出る司法」でなければならないと司法積極主義を訴える書面を作成し、提出した(>原告準備書面(12))。
そして、3月18日の期日にこの書面の要旨陳述(>こちら)を朗読した際、裁判長が「この書面で原告が言わんとしていることはよく理解できました」と述べた。それを聞き、初めて「一歩前に出れた」のではないかと思った。

しかし、裁判長の言葉は司法積極主義の総論についてであって、個別具体的な各論の話ではなかったことがまもなく判明した。なぜなら、このあと、「国際人権法と内掘知事決定の裁量権の逸脱・濫用」について、裁判所自らが積極的な争点整理をしようという態度に出なかったから。

再び、失望に襲われた私は、半ばやけのやんぱちで、「だったら、こちらから争点整理案を出してみましょうか」と提案したところ、裁判長は(^_^)破顔一笑、「はあ、お願いします」とあっさり了解してくれた(ここらが福島地裁の追出し裁判と大違い)。

そして、この宿題を負わされることになった担当者の私は、いざ、争点整理に取り掛かろうとしたが、なぜかちっともはかどらない。というより、不毛な争点整理しか出来ない気がして、これでは却ってアダになると自問自答の日々に陥ってしまった。

その思案に暮れる日々の中から浮かび上がったが今回の準備書面の冒頭に掲げたテーマ
「本件はなぜ争点整理がかくも困難なのか?」。
それは私がこの間直面した問いそのものだった。 そして、もしこの問いが解ければ、本件でどうやったら、不毛ではない、意味のある争点整理が出来るのかも解けるはずだーー宿題の〆切が迫ってきた或る日、その自問自答の中から、問題が解けてきた。一言で言えば、本件が、原発事故の救済に関して、日本の法体系が「法の欠缺」状態に陥り、その後も立法的解決が果されないまま「法の欠缺」状態が続いている、そのことが本件の争点整理を著しく困難にしている最大の原因なのだ、と。
なぜなら、これまで裁判でおこなってきた争点整理というのは、その紛争が既存の法律体系の枠組みに収まるものであることを大前提にして、その上で「既存の法律体系の枠組みの中で要件事実を取り出し、かつそれらを両当事者に分配し、その整理に基いて具体的な紛争事実を当てはめる」ものであった。だとすれば、新たに発生した紛争が既存の法律体系の枠組みに収まらず、そこからはみ出した場合にはもはや上記の争点整理の方法がそのまま使えなくなるのは当然のことだった。

そこが解けたなら、 次に、不毛ではない、意味のある争点整理とはこうすれば実現すると分かったーーまずは「法の欠缺」状態を補充すること。なぜなら、「法の欠缺」を補充して初めて、法律体系は当該紛争に対応できるだけの枠組みを備えることが出来るから。
そうすれば、今までやってきた争点整理の方法である「法律体系の枠組みの中で要件事実を取り出し、かつそれらを両当事者に分配し、その整理に基いて具体的な紛争事実を当てはめる」ことが再び可能となるからである。

たった、これだけの単純な解決のアイデアなのに、なかなか気がつけなかった。それは「法の欠缺」の発生が、法の体系にどんなインパクトを与えるものか、例えてみれば、恐慌の発生が資本主義社会にどんなインパクトを与えるものかと比較されるくらい、絶大な影響力を与えるものだというリアルなイメージを全く持てていなかった。単に、知識として、断片的知識としてしか「法の欠缺」を受け止めていなかった。

3年前から、原発事故の救済について、日本の法律は「穴」だらけ=「法の欠缺」状態にある、と主張してきたにもかかわらず、この「法の欠缺」という問題が、私たちの裁判手続の全体を根底から揺るがしている一大問題であることにまだ全然自覚が足りなかった。今回の経験を通じ、「法の欠缺」の強力なインパクトを今さらのように実感させられ、「法の欠缺」問題の衝撃の広さ、深さに改めて、目を開かされている。

その気づきを与えてくれたのが、今回の「争点整理」に関する準備書面(17)(全文PDF>こちら)と、そこで手に入れた本件に相応しい「争点整理」のビジョンに基づいて具体的に展開して見せた争点整理案(詳細版>こちら・簡略版>こちら)。

と同時に、二代目裁判長がこれまで、本件の争点整理を「敬して遠ざけていた」のは、必ずしも彼女が司法消極主義的な逃避的な姿勢があったからではなく、むしろ、 本件の争点整理を実行することがいかに困難であるかを実感し、そこで心底、途方に暮れていたからではなかったかと、今回の準備書面作成の大変さをみずから体験してみて、思い直すようになった。
単純思考の私は、数日前まで、上のことを理解せず、単に「司法積極主義」に対する姿勢が弱い、といった精神主義、根性路線で人(裁判長)を評価していたのではないかと・・・。

今日のつぶやき、以上。

 「争点整理」に関する準備書面(17)の冒頭



2024年7月9日火曜日

【第152話】311後の日本社会を再建するための市民立法への挑戦の集い(24.7.9)

 今年5月出版されたブックレット「わたしたちは見ている:原発事故の落とし前のつけ方を」の紹介を兼ねて、来月の8月31日、以下の要領でミニ集会を開きます。

これは、市民自身が対話と協同の中から、率先して社会のあるべきルール(生成法)を作り上げていくという「市民立法」が311後のゴミ屋敷に成り果てた日本社会を人権屋敷に再建するためのキーワードであることを自覚し、そのために何ができるのか、原発事故の人権救済を中心に、様々な分野で様々な工夫をこらす市民立法への挑戦について一緒に考えるものです。 

 なお、ブックレットの詳細については>こちら(自己書評1自森の一期生の詩に触発されて韓国民主化闘争の「白い紙」)まで。


 

 

【第171話】最高裁にツバを吐かず、花を盛った避難者追出し裁判12.18最高裁要請行動&追加提出した上告の補充書と上告人らのメッセージ、ブックレット「わたしたちは見ている」(24.12.20)

1、これまでの経緯 2011年に福島県の強制避難区域外から東京東雲の国家公務員宿舎に避難した自主避難者ーーその人たちは国際法上「国内避難民」と呼ばれるーーに対して、2020年3月、福島県は彼らに提供した宿舎から出て行けと明渡しを求める裁判を起こした。通称、避難者追出し訴訟。 それ...