◆注文の多いブックレットの自己書評と読者へのメッセージと紹介動画
※自己書評私にとって、今を生きるとは311後の日本社会を生きる、ということです。
そして、私たちの市民運動は法治国家が放置国家に転落した日本社会のゴミ屋敷を人権屋敷に再建するために、一歩前に出る運動です。
福島原発事故は、戦争を除いて日本史上かつてない大惨事・カタストロフィだった。しかし、本当の惨事はそのあとやってきたと思う。311まで福島原発事故級の放射能災害を想定していなかった日本政府も日本の法律も全く備えがなかった(全面的な「法の穴」状態にあった)。半世紀前だったら、未曾有の公害の危機にあった日本は公害国会で矢継ぎ早に抜本的な公害対策法を制定して「法の穴埋め」をやって法治国家を回復した。けれど、それから半世紀たった311後、原発事故の救済に関して政府は法の穴埋めをやろうとしない。いわばブラックホールをネグレクトする態度に陥った。これはゴミ屋敷に住む人々が「セルフ・ネグレクト」に陥っているのと同じで、人権秩序は無法地帯となり、法治国家は放置国家に転落した。この意味で、311後に日本社会はかつてない激震の中にほおり込まれた。
だから、2024年という今を生きるというのは、311後の日本社会を生きることです。福島原発事故をどんなに忘れたいと思っても、現実の私たちは311後に起きた異常事態の構造の中にがっちり組み込まれている。
多くの人が漠然と
そのことを感じていると思う。今回、そのことをストレートに書いたのが注文の多いブックレット「わたしたちは見ているーー原発事故の落とし前のつけ方をーー」。
この本は注文の多いブックレットですので、どうかそこはご承知ください。
まず、311後の日本社会に絶望せず、普通に生きられると思っている読者は大歓迎です。そのような人にこのブックレットを読み「頭の中がグジャグジャになって欲しい」と願って書かれたものだからです。
他方で、311で未曾有の天災と人災に見舞われたのに何事もなかったような面をする日本社会に絶望している読者も大歓迎です。ことに、そうした絶望の中から見せかけとはちがう、真の復興を発見したいという気持ちを心の底で抱き続ける人は。このブックレットはそういう人に向けて、「一歩前に出る」ための準備を呼びかけて書かれたものだからです。
311後にかつてない人権無秩序のブラックホールの中にほおり込まれた日本社会は「セルフ・ネグレクト」に陥っていて、日本をゴミ屋敷に放置している。
チェルノブイリ法日本版はこのブラックホールを人権秩序で穴埋めしようとするものです。私たちの市民運動は日本版の制定によって原発事故の救済に関してゴミ屋敷のままに放置されている日本社会を、命、健康、暮しが守られ、人が安心して住める人権屋敷に再建するために、一歩前に出る運動です。
まとめ、
私たちの市民運動は法治国家が放置国家に転落した日本社会のゴミ屋敷を人権屋敷に再建するために、一歩前に出る運動です。
※読者へのメッセージ「人権の発見」
このブックレットは「人権」がキーワードになっています。ただ、最初はそうではなくて、正直なところ、人権というと何か立派なお題目を唱える感じがして、道徳や倫理を説くみたいで、何とも気持ちが悪く、嫌でした。でも、或る時点で思ってもみなかった変化が起きました。人権をそれまでとはちがった風に捉え直せるんじゃないかと気づいたからです。現実の耐え難い、反吐が出るような悪事、その闇や暗黒の世界に対して、そのような理不尽、不条理を自分はどうしても受け入れることができないんだという思いが心の底から沸き上がってきた時、その叫びが人権だと思うようになったのです。これが私にとって「人権の発見」の瞬間でした。
それなら、理不尽を受け入れられない、服従できないという思いを誰よりも抱いているのは子どもたちではないか。それがこのブックレットの「わたしたちは見ている」というタイトルです。それは「わたしたちは絶望している」けれど、「その絶望に絶対、甘んじない」という叫びです。それが表紙のイラストです。この絵は「人権の誕生」の瞬間を描いたものではないかと思うようになりました。
この子どもたちの叫びは理不尽な世界を作り出した大人たちに向けられています。それは第1にこの政治や経済を牛耳っている権力者たちです。けれど、それだけではない。この理不尽な世界を直そうとする市民運動にも向けられています。市民運動はなぜかくも分断され、行き詰っているのか。それは子どもたちを絶望させるだけの十分な理由があるからです。けれど、子どもたちはただ絶望しない、その先をじっと見ている。彼らには未来しかないのだから。だから、理不尽な日本社会にも、分断され行き詰っている市民運動にも甘んじるわけにはいかない。
「理不尽、不条理を自分はどうしても受け入れることができないんだ」という、子どもたちのこの叫び、それが「人権の誕生」の瞬間であり、これが私にこのブックレットを書かせました。
とはいえ、人権は特効薬ではありません。すべての人に人権を認めようとすれば、今度は全ての人たちの間に人権をめぐる衝突が発生することは避けられないからです。しかし、その衝突を調整するために、そこで、従来からの政治の論理(その本質は人々と敵と味方に仕訳し、敵を追い込んで自分たちの主張に有無を言わせず従わせるもの)を使うのではなく、人権の論理を導入することがとても重要だと思っています。人権の論理は人権同士の衝突を、すべての人の人権が最大限尊重されるように、出来る限り平等の原則に従って対話と譲り合いでもって衝突の調整を目指すものだからです。2つの、一見たいしてちがわないように見える衝突の解決方法を政治の論理から人権の論理に意識的にシフトすることによって、市民運動は分断と行き詰まりから間違いなく一歩前に出ることができるとひそかに確信するようになりました。それを具体化したのがチェルノブイリ法日本版であり、そのことをこのブックレットの中に書き込みました。
311後の暗黒の日本社会と市民運動に対して一歩前に出る運動への挑戦の書として、このブックレットを手にとって頂けたら幸いです。
2024年 6月 吉日
※紹介動画>こちら
◆本編(9分)
◆番外編(3分)
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