ひとりのソウル大学生朴鍾哲の拷問死という重大な人権侵害が発端となって起きた、1987年6月の韓国民主化闘争。そこで手に入れた「白い紙」(※)、それは37年後の私たちが手に入れようとするチェルノブイリ法日本版と似ている。なぜなら、日本版は、311後の暗黒の日本社会に対して一歩前に出る運動の挑戦だから。
しかも、歴史は韓国民主化闘争からその後37年間の歩みを経験していて、その経験から37年前に手に入れた「白い紙」にその後、何がどのように刻み込まれたか、知っている。
チェルノブイリ法日本版もまた、 韓国民主化闘争で手に入れた「白い紙」のように、原発事故の救済の仕組みの最初の一歩にすぎない。
その白い紙に実際に何が書き込まれるか、それはそのあとの私たちの努力次第だ。その努力のことで思うのは、韓国民主化闘争後の37年間の歴史の訓え、つまり韓国民主化闘争の未来は韓国民主化闘争の起源にあること。ここから学べば、韓国民主化闘争の起源である「ひとりのソウル大学生朴鍾哲の拷問死への抵抗運動」が示す通り、白い紙に何が書き込まれるべきかは「民主化の前進」というより、「人権の前進」で決まる。つまり「人権侵害への抵抗」を通じて「人権の回復・実現」に向けて一歩、また一歩、前に進むかどうかで決まる。それが韓国民主化闘争後の37年間の歩みの教訓でもあり、それが人権の永久革命である。
韓国民主化闘争で手に入れた「白い紙」の意味は、日本版の運動のビジョンを深く示唆してくれる(この投稿、未完。続く)。
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大切な一枚の白い紙を手に入れました。
苦痛を受けた者は苦痛が去ることを願い、
眠る場所さえない者は安らげる場所を求め、
差別を受けた者は平等な扱いを‥‥、
みんながそれぞれの夢を託していたけれど、
私たちが得たものは、まだ何も描かれていない、ただ一枚の白い紙でした。
乱暴に扱えばしわくちゃなゴミになってしまうし、
少し目を離しているあいだに、
誰かに落書きされてしまうかも知れない
でも
それがなくては夢見ることもできない、
破れやすいけれど大切な、
そんな白い紙なのです。
1987年6月の韓国民主化闘争を描いた漫画「沸点」 ラストより
訳者 加藤直樹
監訳 クォン ヨンソク
出版社 ころから
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