私は、宮沢賢治の「注文の多い料理店」の序が好きだ。
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、
ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの
ブックレット「わたしたちは見ている」も福島原発事故とチェルノブイリ事故に向き合って、その惨劇ともいうべき現実の前に震えながらも立ち続け、希望と正義を見失うまいとふるえながら立ち続けますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたない、ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはブックレットにそのとおり書いたまでです。そして、ブックレットのいくつかの文章が、読者のすきとおったほんとうのたべものになることを願って、5月に出版した(>出版の報告)。
ただし、このブックレットの読者は、「注文の多い料理店」を訪れたお客のような立場に立たされるので、マスコミはもちろんのこと、多くの人たちにも煙たがられるのを覚悟していた。
その中にあって、ごくごく少数の読者からとはいえ、10冊、50冊と大量の注文がはいったことは、この人たちにとって、ブックレットはすきとおったほんとうのたべものになっているのだという密かな自信を授かった。
そしたら、本日、東京新聞の書籍紹介欄に、ブックレットとしてはおそらく破格の扱いで、このブックレットが紹介された。その紹介文もただのうわべの要約にとどまらない、ブックレットの核心に迫るもの、つまりすきとおったほんとうのたべものだった。
「注文の多い料理店」がそうだったように、こうして一歩ずつ、ブックレットの価値を発見する読者が出現することこそ、私たちが心から望んでいることです。
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