人権は、人権侵害に対して抗うこと=抵抗することを通じてしか実現しない。これは歴史が証明している。
そして、人権侵害への抵抗の最も有力なひとつ、それは「人権の最後の砦」とされる裁判所に裁判を起こすこと。これも歴史が証明している。
しかし、裁判をすれば自動的に人権が回復する訳ではない。幾多の困難がある。そこでも新たな人権侵害が発生するからだ。それにも抗うこと=抵抗する必要がある。それが「裁判を受ける権利」という人権の侵害に対する抵抗だ。
その抵抗を確かなものにするために、民事事件における「裁判を受ける権利」の中身をあらかじめ理解しておく必要がある。
「裁判を受ける権利」が通常の人権とちがう点は、表現の自由などは「私はこう考える」といった自分が自己決定した中身に対する規制・抑圧を侵害と捉えるのに対し、「裁判を受ける権利」は「手続のやり方・進め方」が人間性の尊重に照らし、抑圧的であるという点を問題にする。前者は直観的にも理解できるが、後者は直観だけでは理解できず、手続の意義についての理解・洞察が必要となる。
それが民亊訴訟法では「裁判所の①積極的な争点整理と②集中証拠調べ」と言われる充実した手続のこと。
すなわち、裁判とは、紛争を①主張と②証拠の両面からその真相解明を果そうとするもの。
まず①の主張だが、ここの肝は、その紛争ではいったいどういう事実の争いがあるのか、両当事者の言い分を十分聞いて、これを整理することにある。これを争点整理という。
それが済んだら次は、整理された争点ごとに、②の証人尋問などの証拠調べをして、客観的な事実が何であるかを明らかにし、得られた証拠から各争点の評価(どちらの主張を採用すべきか)が導かれる。
以上が民亊の裁判手続の流れで、この手続の中で、市民の「裁判を受ける権利」が十分に保障されているかどうかが決まる。
この意味で、市民の「裁判を受ける権利」の前半のクライマックスは「争点整理が積極的に果されること」にある。
2、住まいの権利裁判(原告:避難者 VS 被告:福島県)
では、この「争点整理が積極的に果されること」は住まいの権利裁判においてどうだったのか。
結論をズカッと言えば、この裁判でも「争点整理が積極的に果されること」は果されていない。
とはいえ、それは福島地裁で先行して起こされた避難者追出し裁判(原告:福島県VS被告:避難者)のようなものではなかった。追出し裁判では、裁判官があからさまに「争点整理を果さないこと」に全力投球した(誤解を恐れずに言えば、この裁判官は原告福島県の代理人を演じた)。
被告避難者は、福島県の追出しの請求に理由がないことを国際人権法と内掘知事決定の裁量権の逸脱・濫用を二大柱にして全面対決したが、裁判官は被告避難者に、それらの主張をひと通り言わせたら、「もうないのね。はい、それではおしまい」と、争点整理の検討にも証人調べにも入らずに、さっと審理終結を強行した。それは「争点整理を果さないこと」をミッションにしたもので、「裁判を受ける権利」の明々白々の侵害だった。
これに比べれば、住まいの権利裁判の初代裁判長は、福島地裁のような明々白々な「裁判を受ける権利」の侵害行為はしなかった。
されど、「争点整理が積極的に果されること」もしなかった。完全にボイコットした。
その代わり、原告避難者に派生的に発生したプライバシーなどの人権侵害の主張について、双方の当事者がビックリするくらい詳細な争点整理を実施した。それはまるで、良心的な裁判長が罪滅ぼしをしているかのように見えた。
しかし、肝心の「国際人権法」の主張については、ひとつも、決して争点整理に入ろうとしなかった。結局のところ、争点整理のこの格差ーーそれは差別だったーーは歴然としていた。
1年前の2023年7月に着任した二代目裁判長もまた、基本的に初代裁判長の態度を踏襲しているように思えた。つまり、「国際人権法と内掘知事決定の裁量権の逸脱・濫用」には敬して遠ざけるという慎重な態度だった。
しかし、こんな受け身の消極的な態度では原告避難者の「裁判を受ける権利」は死んだも同然ではないか。思い詰めた末、今年正月、泉徳治元最高裁判事の本「一歩前に出る司法」に感銘を受け、ここで掴んだ理論的根拠に基いて、二代目裁判長に向けて、本裁判は「一歩前に出る司法」でなければならないと司法積極主義を訴える書面を作成し、提出した(>原告準備書面(12))。
そして、3月18日の期日にこの書面の要旨陳述(>こちら)を朗読した際、裁判長が「この書面で原告が言わんとしていることはよく理解できました」と述べた。それを聞き、初めて「一歩前に出れた」のではないかと思った。
しかし、裁判長の言葉は司法積極主義の総論についてであって、個別具体的な各論の話ではなかったことがまもなく判明した。なぜなら、このあと、「国際人権法と内掘知事決定の裁量権の逸脱・濫用」について、裁判所自らが積極的な争点整理をしようという態度に出なかったから。
再び、失望に襲われた私は、半ばやけのやんぱちで、「だったら、こちらから争点整理案を出してみましょうか」と提案したところ、裁判長は(^_^)破顔一笑、「はあ、お願いします」とあっさり了解してくれた(ここらが福島地裁の追出し裁判と大違い)。
そして、この宿題を負わされることになった担当者の私は、いざ、争点整理に取り掛かろうとしたが、なぜかちっともはかどらない。というより、不毛な争点整理しか出来ない気がして、これでは却ってアダになると自問自答の日々に陥ってしまった。
その思案に暮れる日々の中から浮かび上がったが今回の準備書面の冒頭に掲げたテーマ
「本件はなぜ争点整理がかくも困難なのか?」。
それは私がこの間直面した問いそのものだった。 そして、もしこの問いが解ければ、本件でどうやったら、不毛ではない、意味のある争点整理が出来るのかも解けるはずだーー宿題の〆切が迫ってきた或る日、その自問自答の中から、問題が解けてきた。一言で言えば、本件が、原発事故の救済に関して、日本の法体系が「法の欠缺」状態に陥り、その後も立法的解決が果されないまま「法の欠缺」状態が続いている、そのことが本件の争点整理を著しく困難にしている最大の原因なのだ、と。
なぜなら、これまで裁判でおこなってきた争点整理というのは、その紛争が既存の法律体系の枠組みに収まるものであることを大前提にして、その上で「既存の法律体系の枠組みの中で要件事実を取り出し、かつそれらを両当事者に分配し、その整理に基いて具体的な紛争事実を当てはめる」ものであった。だとすれば、新たに発生した紛争が既存の法律体系の枠組みに収まらず、そこからはみ出した場合にはもはや上記の争点整理の方法がそのまま使えなくなるのは当然のことだった。
そこが解けたなら、 次に、不毛ではない、意味のある争点整理とはこうすれば実現すると分かったーーまずは「法の欠缺」状態を補充すること。なぜなら、「法の欠缺」を補充して初めて、法律体系は当該紛争に対応できるだけの枠組みを備えることが出来るから。
そうすれば、今までやってきた争点整理の方法である「法律体系の枠組みの中で要件事実を取り出し、かつそれらを両当事者に分配し、その整理に基いて具体的な紛争事実を当てはめる」ことが再び可能となるからである。
たった、これだけの単純な解決のアイデアなのに、なかなか気がつけなかった。それは「法の欠缺」の発生が、法の体系にどんなインパクトを与えるものか、例えてみれば、恐慌の発生が資本主義社会にどんなインパクトを与えるものかと比較されるくらい、絶大な影響力を与えるものだというリアルなイメージを全く持てていなかった。単に、知識として、断片的知識としてしか「法の欠缺」を受け止めていなかった。
3年前から、原発事故の救済について、日本の法律は「穴」だらけ=「法の欠缺」状態にある、と主張してきたにもかかわらず、この「法の欠缺」という問題が、私たちの裁判手続の全体を根底から揺るがしている一大問題であることにまだ全然自覚が足りなかった。今回の経験を通じ、「法の欠缺」の強力なインパクトを今さらのように実感させられ、「法の欠缺」問題の衝撃の広さ、深さに改めて、目を開かされている。
その気づきを与えてくれたのが、今回の「争点整理」に関する準備書面(17)(全文PDF>こちら)と、そこで手に入れた本件に相応しい「争点整理」のビジョンに基づいて具体的に展開して見せた争点整理案(詳細版>こちら・簡略版>こちら)。
と同時に、二代目裁判長がこれまで、本件の争点整理を「敬して遠ざけていた」のは、必ずしも彼女が司法消極主義的な逃避的な姿勢があったからではなく、むしろ、 本件の争点整理を実行することがいかに困難であるかを実感し、そこで心底、途方に暮れていたからではなかったかと、今回の準備書面作成の大変さをみずから体験してみて、思い直すようになった。
単純思考の私は、数日前まで、上のことを理解せず、単に「司法積極主義」に対する姿勢が弱い、といった精神主義、根性路線で人(裁判長)を評価していたのではないかと・・・。
今日のつぶやき、以上。
◆「争点整理」に関する準備書面(17)の冒頭
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