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2024年7月20日土曜日

【第155話】311後の市民は、五感の通用しない人間的スケールを超えた被ばくの世界、「日常生活」と分断された不条理な世界と闘わざるを得なかっただけでなく、市民を愚弄し続けてきた明治維新以来の、戦争と公害の日本の歴史とも闘わざるを得なかった(19.5.27→24.7.20追加)

 2004年6月20日講演会「この人に聞く 宇井 純さん

5年前、311後の日本社会を生きることについて、それは単に「見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒」である放射能の被ばくとの困難な闘いばかりか、市民を愚弄し続けてきた明治維新以来の日本の歴史とも闘わざるを得なかったことについて考え、書いた(末尾の投稿)。

最近、チェルノブイリ法日本版のブックレットを書いたあと、その「市民を愚弄し続けてきた明治維新以来の日本の歴史」の代表例として、宇井純が捉えた公害の歴史が目に飛び込んできた。
なぜなら、彼の指摘した「公害の惨劇と犯罪」(その中身は以下の「公害はなくなったか」の通り)が、半世紀後の311後の日本社会でそのまま反復されたことに正直、驚きを隠せなかったから。 

どうしてこれほどまでにそっくり「惨劇と犯罪」がくり返されるのだろうか。第1に、それは、私たちが半世紀前の「公害の惨劇と犯罪」から、最も大切なことを学んでいないからではないか。とりわけ、画期的と言われた1970年の「公害国会」のあとに、新たな公害問題ーーそれまで話題にされた「高濃度の汚染」のことではなく、じわじわと累積して長期間ののちに発症する「低濃度の汚染」による「公害の惨劇と犯罪」の問題が未解決にもかかわらず、市民は「公害は終わった」という言葉にたぶらかされて、この未解決問題の抜本的解決を先延ばししてきた。
そのツケが311福島原発事故。
この間、低濃度の有害物質による「公害の惨劇と犯罪」問題を先延ばししてきた日本政府が、311で発生した、低線量被ばくによる「原発事故の惨劇と犯罪」に立ち向わないのは自明だった。
しかし、実は日本の市民社会も同様だった。1970年の「公害国会」で一件落着した、と思い込んでしまった私たち市民は、その後、低濃度の有害物質による「公害の惨劇と犯罪」問題に厳しい監視の目を向けなかった。だから、311福島原発事故のあとも高線量被ばく問題には注目しても、低線量被ばくの危険性には十分な注意を払わなかった。
この意味で、311後の市民は、五感の通用しない「日常生活」と分断された放射能被ばくの世界と闘わざるを得なかっただけでなく、市民を愚弄し続けてきた高度経済成長以来の公害の日本の歴史とも闘わざるを得なかった。

じわじわと累積して長期間ののちに発症する「低濃度の汚染」による「公害の惨劇と犯罪」の問題への取組みの必要性に警鐘を鳴らし、その有効な対策として予防原則しかないことを掲げた(以下参照)宇井純から今日、学び続ける必然性の1つがここにある。

  「公害はなくなったか」1978年8月

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2018.11.10第11回新宿デモへの呼びかけ)(18.10.20)に加筆。


「悪い奴にとって一番ありがたいことは、いい人がだまっていてくれることだ」。イギリスの古い美学者が言っていた言葉ですが、そんなことで、黙っていてはいけませんよ。
                                                   大岡 昇平
大岡昇平「時代へ発言 第三回-39年目の夏に-」1984.8 NHK教養セミナーより

戦争について生涯考え続けた作家大岡昇平(彼の紹介->こちら)、もし彼が生きていたら、原発事故の本質について、こう言ったと思う。
--原発事故は従来の災害・人災の延長線上で考えることはできない。むしろ一種の核戦争というべきである。
なぜなら、一方で、物理現象として、放射能は目に見えず、臭いもせず、痛みも感じない、私たちの日常感覚ではぜったい理解できない、人間的スケールを超えた、非日常的な、不可解、不条理な現象で、原発事故は、原発から放出された大量の放射性物質によって、外部から、そして体内に取り込まれ内部から、桁違いな量でくり返し発射される放射線とのたえまのない戦い(年間1mSvだけでも「毎秒1万本の放射線が体を被ばくさせる事態が1年間継続すること」(矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授)を強いられているから。

他方で、社会現象として、戦争では「ひとりひとりの兵士(市民)から見ると、戦争がどんなものであるか、分からない。単に、お前はあっちに行け、あの山を取れとしか言われないから。だから、自分がどういうことになって、戦わされているのか分からない。分からないまま、危険な目に遭い、死んでしまう」、それが戦争だ。

これに対し、福島原発事故がそうだったように、「ひとりひとりの市民から見ると、原発事故がどのようなものであるか、どうしたらよいのか、真実は分からない。単に、『健康に直ちに影響はない』『国の定めた基準値以下だから心配ない』とかしか言われないのだから。だから、一体自分がどういう危険な状態にあるのか、どう対策を取ったらよいのか、本当のことは分からない。分からないまま、危険な目に遭い、身体を壊してしまう」、これが原発事故というものだ。この点でも戦争と変わらない。

また、大岡昇平は、戦争中の日本軍部の愚劣な作戦を省みて、「兵士=歩兵(市民)は(敵のアメリカ軍と闘っただけでなく)、明治維新以来の日本の歴史と闘ってきたようなものだ」と語る。

これに対し、福島原発事故以後、恥ずかしいほどあからさまとなった、原子力ムラの愚劣極まりない対応を見て、命を救済するという当たり前のことがなぜできないのかと問うた時、私たちもまた大岡昇平と同様、「私たちは市民は、単に放射能や原子力ムラと闘っているのではなく、明治維新以来の日本の歴史と闘っているようなものだ」ということに思い至る。

その時初めて、市民を愚弄し続けて来た、明治維新以来の日本の歴史と闘って来た「江藤新平」、「田中正造」、杉並の「原水爆禁止」署名運動、人間裁判の「朝日茂」、水俣病の「川本輝夫」「原田正純」「宇井純」、四日市死の海を刑事告発した「田尻宗昭」、三島・沼津「石油コンビナート反対」の市民運動、東京都公害防止条例制定に尽力した「戒能通孝」たち、彼らが挑んできた格闘をいま自分たちも(ひそかに)追体験していることに思い至る。

 江藤新平(詳細は->ここ

 杉並で始まった水爆禁止署名運動(詳細は->ここ

朝日 茂(詳細は->ここ

川本輝夫(詳細は->ここ

田尻宗昭(詳細は->ここ
 戒能通孝(詳細は->ここ

大岡昇平が生前、戦争について語ってきた以下のメッセージの「戦争」は「原発事故」に置き換てもそのまま通用する。「核兵器」は「原発」に、「兵士」は「市民」に置き換えられる。それくらい原発事故は、戦争と同じく、私たち市民の日常の感覚・考え方では捉えきれない異常事態です。

だから、私たちは、私たちのあとに続く世代が生き延びる意志を持つ限り、彼らが人間であることをやめない限り、私達も生き延びることをやめる訳にはいかない。日常の感覚・意識との「分断」に甘んじる訳にはいかない。どんなに大変であっても、「注意深い」感覚・意識を持ちながらこの未曾有の異常現象と向きあい続け、なおかつ私たち市民を愚弄し続けて来た明治維新以来の日本の歴史と向き合い続け、NO!と言うだけでなく、「江藤新平」たちが創ろうとしてきた平和=積極的なYES!に向かって、アクションをやめる訳にはいかない。

【甘い考えだった】
「われわれの死に方は惨めだった。われわれをこんな下らない戦場に駆り立てた軍人共は全く悪党だった。芸妓相手にうまい酒を飲みながら、比島決戦なんて大きなことをいい、国民に必勝の信念を持てと言い、自分たちはいい加減なところで手を打とうと考えていた。‥‥
戦後25年、おれの俘虜の経験はほとんど死んだが、きみたちといっしょにした戦争の経験は生きている。それがおれを導いてここまで連れて来た。
もうだれも戦争なんてやる気はないだろう、同じことをやらないだろう、と思っていたが、これは甘い考えだった。戦後25年、おれたちを戦争に駆り出した奴と、同じ一握りの悪党共は、まだおれたちの上にいて、うそやペテンで同じことをおれたちの子供にやらせようとしている。」 (ミンドロ島ふたたび)
大岡昇平「時代へ発言 第二回-死んだ兵士に-」1984.8 NHK教養セミナーより

【戦争とは】
「核兵器は使うために作るのではない。持ってるぞということを示して、相手が使うのを抑える、核抑止戦略というんですが、とにかくこういう面倒な理屈が行なわれる。そういうところまで戦争は来てしまってるわけです。
核を使えば、人類の滅亡だから、限定戦争といって、核兵器を使わない戦争を朝鮮や,ベトナムではやってるわけですけど、するとそこにさっき言った徴兵制、戦争の矛盾がでてくるわけですね。それが何のために戦争をしているのかわからない――「いやだ」と言い出す。そこに住んでる人民の支持を得られない戦争というのは非常にいやな苦しいものです。アジアは人口が非常に多いんですから、いくらアメリカ人が一人で十人穀したところでいくらでもいるわけで、それがアメリカがどうしてもベトナムて勝てない理由なんです。あれはだんだんに終るうとしておりますけれど、とにかくこれが現代の戦争の実情なんで、れれわれは戦争はもうごめんだ、と考えていますけれど、実際は戦後二十五年、世界のどこかで限定戦争が行われている。いまの若い方が「知っちゃいない」と言おうと言うまいとそれは行なわれている。関係ないと思ってるうちにいつの間にか、われわれも巻き込まれている。そして来てからではもう何をしても間に合わない。戦争はそういうものなのです。」 (「レイテ戦記」の意図)
大岡昇平「時代へ発言 第二回-死んだ兵士に-」1984.8 NHK教養セミナーより

【俺は言うねぇ、とにかく】
「私はそうやってみんなが現にこう楽に暮らせるんならば、忘れちゃっても別にとがめようとは思わないんです。
それは人間はね まあ そういうもんなんですよ。そうして暮らしていければまあいいだろうと思うだろうし、
死んだ人間は、また それで いいと思ってると思うんだけれども、ただ、このまままたヒドいことになるというところへ引っ張っていくのじゃあ、彼らは浮かばれないだろう。‥‥
そうすると、政府の方が勝手なことをするのに対して『ノー』と言い続けることが文学者の、つまり我々の役目であって、それは、どうしても、、、俺は言うねぇ、とにかく。‥‥
大岡昇平「時代へ発言 第三回-39年目の夏に-」1984.8 NHK教養セミナーより

『悪い奴にとって一番ありがたいことは、いい人がだまっていてくれることだ』。イギリスの古い美学者が言っていた言葉ですが、そんなことで、黙っていてはいけませんよ」 
大岡昇平「時代へ発言 第三回-39年目の夏に-」1984.8 NHK教養セミナーより

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