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2024年12月21日土曜日

【第171話】最高裁にツバを吐かず、花を盛った避難者追出し裁判12.18最高裁要請行動&追加提出した上告の補充書と上告人らのメッセージ、ブックレット「わたしたちは見ている」(24.12.20)

1、これまでの経緯
2011年に福島県の強制避難区域外から東京東雲の国家公務員宿舎に避難した自主避難者ーーその人たちは国際法上「国内避難民」と呼ばれるーーに対して、2020年3月、福島県は彼らに提供した宿舎から出て行けと明渡しを求める裁判を起こした。通称、避難者追出し訴訟。

それは「民破れて官栄えり」「弱きをくじき、強きを助ける」を求める訴訟であり、訴えられた被告2名は、原発事故により発生した国内避難民の居住権問題について、世界の常識(国際人権法)でもって日本の非常識(避難者追出し)を裁く、世界で最初の人権裁判であることを、21世紀の「人間裁判」であることを第1回期日から一貫して主張してきた(その詳細は以下)。 

5.14世界の常識(国際人権法)でもって日本の非常識(避難者追出し)を裁く「避難者追出し訴訟」第1回口頭弁論の報告(2021.5.18)

しかし、裁判所は一審も二審も、被告らの切実な声に真摯に耳を傾ける姿勢が皆無だった、まるで原告福島県の代理人ではないかと見まがうほどの偏った訴訟指揮だった(そのひどさを報告した以下を参照)。
一審(審理打切り) 

緊急裁判速報:追出し裁判の福島地裁、次回期日(7月26日)で審理打切りを通告。避難先住宅ばかりか裁判所からも追出される避難者。これは居住権と裁判を受ける権利の二重の人権侵害である(2022.7.20)。

追出し裁判で、まともな審理を何一つしないまま審理終結を強行し、10月27日判決言渡しを通告してきた福島地裁に弁論再開を申立て、再考を求めたが本日まで何の対応もなかったので、やむなく担当裁判官に対する忌避の申立に及んだ(2022.10.25)

二審(一発結審) 

抗議アクション(その1)7月10日第1回弁論だけで審理終結した、避難者追出し裁判の仙台高裁第3民事部に、弁論再開の申立書を提出(23.7.26)

7月10日第1回弁論だけで審理終結した、避難者追出し裁判の仙台高裁第3民事部の1月15日判決に対する弁護団の声明(2024.1.17)

訴えた原告の福島県ばかりか裁判を担当した裁判所からも迫害された被告避難者らは、「人権の最後の砦」とされる最高裁に上告。本年4月、上告理由書等を最高裁に提出(その報告は以下)。
一昨日、避難者追出し裁判の総決算の書面(上告理由書等)を最高裁判所宛に提出
(24.4.20)

2、最高裁への要請行動
一昨日の12月19日、上告人らは最高裁を訪れ、私たちの思いを真摯に受け止めて審理して欲しいという要請行動を実施。

以下は、その際、最高裁で読み上げ、提出した弁護団柳原敏夫作成の「最高裁に望むこと」を翌日12月20日、官邸前で再度読み上げた動画。その下が、文書の全文(PDFは>こちら)。



令和6年(オ)第808号 令和6年(受)第1046号  

最高裁に望むこと

上告人ら代理人 弁護士 柳原敏夫

誰がために司法はあるのか

今から7年前、福島から自主避難したひとりの母親が自死しました(別紙資料参照)。この方は先月30日、第二小法廷で決定が出た「子ども脱被ばく裁判」の元原告でした。

彼女の訃報に接したとき、もし原発事故から命、健康、暮らしを守る救済法があったなら、彼女は死なずに済んだと思いました。彼女もまた、本裁判の被告(上告人)らと同様、福島原発事故のあと政府が勝手に線引きした強制避難区域の網から漏れ、谷間に落ちた人です。本人には何の責任もないのに、たまたま谷間に落ちてしまった人です。その結果、救済されない中、「命をかけて子どもを守る」と決断して自主避難を選択し努力してきましたが、とうとう力尽きてしまったのです。

司法とは、旧優生保護法を違憲とした今年7月3日の最高裁判決がみずから模範を示したように、立法的な解決が図られず人権侵害が放置されたとき、そこで「さ迷い苦しみの中にいるこの母親のような市民」を救うためにあるのではないでしょうか。311以来、さ迷い苦しんできた点では本裁判の被告(上告人)らも全く同様なのです。


法律がないことは救済しない言い訳にはならない

もし今、半世紀前の公害国会で制定された公害対策基本法などに相当する原発事故の救済法があったなら、本裁判の被告(上告人)らは被告席に座らされることはありませんでした。

けれども、たとえ、そのような立法的解決がなくても、なお救われる道はあるのだということを今回、知りました。それが、性同一性障害特例法を違憲とした昨年10月25日最高裁決定です。

この最高裁決定が遠慮深く示したエッセンスをズカッと言えば、それは法律の上位規範である国際人権法に照らし、これと適合するように日本の法律は解釈もしくは補充されなければならないということでした。つまり、福島原発事故のように既存の法体系が予想していなかった紛争(事態)が発生し、その救済のために必要な立法が用意されていない場合でも、司法は、この「法の欠缺」状態に対し、法律の上位規範である国際人権法に使って、「欠缺の補充」をすることが出来るし、しなければならない。つまり、原発事故の自主避難者を救済する法律が制定されていないことが司法が彼らを救済しない言い訳にはならない。
これが昨年10月25日最高裁決定によって示されたのです。


今こそ法律の原点に戻るとき

 私たちの社会が既存の法体系の想定していなかった未曾有の困難に直面したとき、法律は何をなすべきか。それは法律の原点に戻ることです。公害問題が未曾有の困難な状態にあった33年前の1981年12月16日、大阪国際空港公害訴訟最高裁判決で団藤重光裁判官が次の少数意見を述べました。

本件のような大規模の公害訴訟には、在来の実体法ないし訴訟法の解釈運用によっては解決することの困難な多くの新しい問題が含まれている。新しい酒は新しい革袋に盛られなければならない。本来ならば、それは新しい立法的措置に待つべきものが多々あるであろう。

しかし、諸事情によりその立法的措置が果たされない場合には、その時こそ裁判所の出番であると次の通り締めくくりました。

法は生き物であり、社会の発展に応じて、展開して行くべき性質のものである。法が社会的適応性を失つたときは、死物と化する。法につねに活力を与えて行くのは、裁判所の使命でなければならない。」(33~34頁)

 すなわち、社会的変動やカタストロフィーによって「法の欠缺」状態が発生したにもかかわらず、立法的解決が図られず、放置されている場合には、その時こそ司法が積極的に問題解決に乗り出す番である、と。そして、その積極的に問題解決を図るキーワードが、近年、最高裁がみずから模範を垂れた数々の違憲判決で示した国際人権法というキーワードです。本裁判もまた、最高裁がみずから示した国際人権法というキーワードを模範にして忠実に判断されるべきなのです。

 ただし、世界に、原発事故から被災者の命、健康、暮らしを守る救済法の全貌をトータルに制定した国際人権法はありません。法律もまだ1つしかありません。1986年のチェルノブイリ原発事故の経験から生まれたいわゆるチェルノブイリ法だけです。

 国際人権法だけでは原発事故の救済をリアルに具体的に考えることは困難です。日本社会が311で初めて直面し、それまで考えたこともなかった問題「原発事故の救済はどうあるべきかを原発事故の全貌に即してトータルに考察すること」、その問題を解くためにはチェルノブイリ法を参照することが不可欠なのです。

 この意味で、チェルノブイリ法が原発事故から被災者の命、健康、暮らしを守る救済法を考えるための原点です。つまりチェルノブイリ法を参照することによって、原発事故の救済はどうあるべきかという救済法の全貌が初めて明確になるのです。そのビジョンを分かりやすく示したのがブックレット「わたしたちは見ている」です。これを、本裁判の上告人らは本来、どのような救済を受けるべきかを考えるための重要な資料として添付します。


本裁判の真の当事者は子どもである

最後に、本裁判の本当の当事者は子どもたちです。たまたま彼らは子どもであるために本裁判の被告に指名されなかっただけで、福島原発事故後、子どもたちこそ被告と生死を分かち合ってきた、被告が一番守りたいと思った家族その人たちです。
最高裁は、本裁判の真の当事者である子どもたちが見ていることを決して忘れないで欲しい。これから最高裁が下す判断が、未来しかないこの子どもたちにとって、どのような意味が持つのかとくと考えて欲しい。
子どもたちがこれから生きていく上で、彼らに一生の希望を授けるのか、それとも一生のトラウマを与えるのかを自覚し、子どもたちに恥じない判断を下して欲しい。
そう切に願うものであります。

以 上

 
3、12月20日、最高裁へ補充書と別冊資料を追加提出

裁判所が本裁判に対し積極的な審理と判断に出るべきであることを説いた補充書と前日の要請行動で読み上げた上告人らのメッセージとチェルノブイリ法を解説したブックレット「わたしたちは見ている」を別冊資料として最高裁に提出した。

補充書(全文は>こちら

 
上告人らのメッセージなどの別冊資料
この日、最高裁に初登場したブックレット「わたしたちは見ている」


 
 

2024年12月20日金曜日

【第170話】脱被ばく実現ネット賛歌:12.19官邸前アクションで「脱被ばく実現ネットは不滅だ」と感じた。その瞬間、初めて母親を不滅だと感じた(24.12.20)。

前半
2024年12月19日の脱被ばく実現ネット主催の官邸前アクションに久々に参加した。
誰もが知る2012年の官邸前アクション。そこから12年間、誰にも知られず、これを今も黙々と続けている脱被ばく実現ネット。
よっぽど、バックにスゴイ支援体制が控えているんじゃないかと思うかもしれないが、そんな黒幕はいない。その証拠に、いっぺんでもここに来て実際に参加してみたら分かる。

その手作りの市民活動は一種の芸術だ。官邸周辺の殺伐とした金属の垣根が、アクション開始直前、あっという間に、横断幕、ノボリ、イラスト、布などで壁画と見違えるように装飾がほどこされる(以下)。

そして、歌が口ずさまれ、11月29日に出された子ども脱被ばく裁判の最高裁決定(その詳細は>こちら)に対する思いが、腹の底から搾り出される。これもまた手作りのアピール、お手本はどこにもない、世界にひとつしかない、インディーズのスピーチ。



アクションの間、私たちの前に立って、私たちのスピーチを最初から最後まで聞いてるのはまだ若造の警察官のお兄さん。
そのお兄さんの横に1枚のビニールが敷かれ、脱被ばく実現ネットのメンバーが持参したリュック、荷物、チラシ、ブックレットがところ狭しとギュウギュウに置かれる。この1枚のゴザが脱被ばく実現ネットの移動テント&出撃小屋だ。
このゴザを眺めていて、ふと、30年以上前に読んだ藤原新也の本に出てくる「世界一小さい食堂」のお話、インドの女性が営む、ゴザ1枚を敷いた世界一小さい食堂のことがあざやかに思い出された。あれは何という素敵な食堂だったろう。
目の前のゴザも世界一小さい市民活動の拠点、それは何という素敵な拠点だろう。

私は、この日の官邸前アクションが終わったあと、 陽が翳って北風の寒さがしみる中を、脱被ばく実現ネットのメンバーが、垣根に施された壁画を取り外し、ゴザの前に集まって、片付けをテキパキとやっている姿を前にして、不意に衝撃に襲われた。年の瀬の寒さもものともせずに、路上でゴザの上の荷物の片付けに精を出している姿に、永遠の生命のたくましさ、輝きを見たような気がしたからだ。

そして、このひたむきな姿こそ、脱被ばく実現ネットの核心なのだと分かった時、 脱被ばく実現ネットは不滅だと確信した。市民運動の永遠の姿を、原点を、ここに見たような気がして、思わずブルブル震えた。
311以来の風雪の中で、脱被ばく実現ネットは「永遠」の宝物を見つけて、育てている。
それは、次の世代が引き継ぐ価値のある「永遠」の宝物である。

それに気づいた時、よし、また一歩前に出れるぞ、そう思った。


後半(余談。つぶやき)


その時、これと同じ光景をずっと前に、ずっと前から見てきたのを思い出した。それは寒さの厳しい裏日本で、ゴザのようなつつましい場所で、やはり、寒さもものとせずに、テキパキと働き続ける人の姿ーーーそれは母親の姿だった。あの姿に、永遠の生命のたくましさ、輝きを放った姿に、知らない間に、自分が深く支えられて、これまで生きて来たことに今初めて気づかされた。

父と母は60年以上同じ屋根の下で暮らした。太平洋戦争でも九死に一生を得る悲惨な体験を共有してきた。にも関わらず、
父は、ずっと人権の世界の住民だった。
母は、ずっと人権のない世界の住民だった。

生来、極楽トンボの父は、終戦直前、北朝鮮で現地召集、ろくな装備もないままソ連軍と対峙。命からがら敗戦、武装解除。
と同時に一転、満州平野を昼間は草原に身を隠し、
夜間に行動する、ドブネズミのように、
ソ連軍から逃げ延びる避難民の日々に。
この体験を通じ、極楽トンボの彼は絶対永久平和主義者に変貌した。

そして、労働者であることに何一つ恥じることなく、むしろこの社会の屋台骨を支えているという誇りを胸に、薄給の中で、生涯を労働運動に身を捧げた。 

しかし、母はちがった。薄給の労働者の境遇から抜け出すこと、これが至上のミッションであり、これをわが身とわが子に課し、受験勉強の勝利者になることをわが子に課した。

わが子は母親の希望通りの道を歩み、「家族ゲーム」や「こどもたちの復讐」の長男のように、優秀な成績で中学・高校に入学したが、その強制収容所のような残忍酷薄な日々に、やがて自壊、破滅していった。 

‥‥これまでずっと、この経験が私の母に対する態度を決定していた。
今、私がこうして生きているのは、そして子どもと孫が生きていられるのは、あの悲惨極まる終戦時に、絶望しかなかったはずの父が諦めず逃げて逃げ延びてくれたそのお陰であると、父に対して持てる素直な感謝と畏敬の念が母にはどうしても持てなかった。

それがこの夏、異変が起きた。養老孟司の「脳化社会」論に出会ったからだ。
その結果、私の中で人間の見方が二重化した。ひとりの人間の中に「脳化社会」にすっぽり覆われた脳的、人工的な部分と、「脳化社会」の塀の外にある自然世界としての身体の部分とが共存しているという風に。

母は「脳化社会」(世間)に対しものすごい恐怖心を抱いていた。「脳化社会」の掟からはずれ、よそ者にされ、嫌われることを極度に怖れた。意気地なしの人だった。
しかし、ひとたび「脳化社会」の塀の外に出ると、天衣無縫の性格のせいか、とことん天真爛漫、無邪気な人だった、そしてエネルギッシュだった。子どもの命のためには、自分の命を投げ出すこともなんとも思わない人だった。

その自然世界の中に息づく母の姿が、昨日の脱被ばく実現ネットの官邸前アクションの最後で、一枚のゴザの前で、アクションに使った商売道具をテキパキと整理整頓しているメンバーの姿からよみがえった。
それは無言の「わが母の教え給いし歌」だった。
私は、その教えを授かった時、母と初めて出会ったような気がした。一生手放すことのない母からの最高の贈り物に出会ったような気がした。よしこれで、父と同じように、素直に感謝と畏敬の念を持てると思った。

1年半前、101歳で来世に旅立った母の遺産相続がいま済んだ。


【第169話】12.19官邸前アクション:アンタ あの子らの何なのさ!(24.12.20)

昨日、久々に、脱被ばく実現ネットの官邸前アクションに参加した。
以下はその時の脱被ばく実現ネットの最高裁決定に対する抗議のスピーチ(3回目)

10年間取り組んできた子ども脱被ばく裁判に対する最高裁の応答(棄却決定)を12月2日に受け取った。それ以来、この間、たまっていた毒気を一度思い切り、吐き出したいと思って、昨日のスピーチで吐き出し切れなかった毒気を以下に記す。

もし半世紀前、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドがこの最高裁の棄却決定を歌にしたらこんな歌ができるかも‥‥

アンタ あの子らの何なのさ!

この裁判が311後で最も重要な裁判だというのに

子どもらの10年間の膨大な主張と証拠に対し、

たった1頁、4行と2行の合わせて三行半判決という応答、

アンタ あの子らの何なのさ!

 
こんなざまを見せつけられりゃあ

子どもらだって開いた口がどうやってもふさがらねえ

アンタ あの子らの何なのさ!

恥を知れ!

子どもらに謝れ!

さもなけりゃあ、アンタ 永遠にゴミ屋敷だぜ

アンタ ならず者(国)の用心棒だね

       
         最高裁の11.29決定(本文は以下。全文>こちら


 


2024年12月19日
最高裁は子どもたちに謝罪すべきだ

柳原敏夫(子ども脱被ばく裁判の弁護団)

最高裁判所は、先月11月29日、いわゆる「子ども脱被ばく裁判」の上告の申立に対し、これを退ける決定を出しました。

子ども脱被ばく裁判は、福島原発事故当時福島県内で居住していた親子が原告になって、被告国及び被告福島県に対し、被告らが福島原発事故直後に、子どもたちを被ばくから防護するためのまともな対策を取らなかったこと、すなわちSPEEDI等の被ばくに関する情報を隠蔽したこと、子どもたちに安定ヨウ素剤を服用させなかったこと、一般公衆の被ばく限度として定められている年1mSvの20倍である年20mSvを基準として学校を再開し、そして子どもたちを集団疎開させなかったこと、長崎大学の山下俊一氏を使って根拠のない安全宣伝を繰り返したこと等の違法な行為によって、福島県の親と子どもたちは、自分たちが放射能の被ばくをどの程度まで受け入れ、或いは受け入れないのかについての自分で決定するという自己決定権を奪われ、その結果、子どもたちは、本来なら避けることができた無用な被ばくを強いられた、その責任を問う、2014年8月、福島地方裁判所に提訴された訴訟です。

13年前の福島原発事故当時、被災地の多くの人たちは被ばく問題についてほとんど知識がありませんでした。ベクレルもシーベルトもわからず、被ばくの危険性も分からず、自分たちの生活環境がどの程度汚染されているかの情報もありませんでした。その中で、子どもたちの命、健康を福島原発事故から守るためには、被ばくについての正確な情報、被ばくの危険性についての偏らない知識が不可欠でした。しかし、この本当に必要な、本当に切実な情報は国と福島県によって隠蔽され、偏った安全宣伝が繰り返されたのです。これによって、子どもたちに無用な被ばくをさせてしまったと悔やんでいる多くの人たちがおり、その後、甲状腺がんに罹患した若者を含め、体調不良に悩む人々は少なくありません。このことに対する国や福島県の責任を明らかにしない限り、福島原発事故によって無用な被ばくによって苦しんでいる人たちの救済が果たされないばかりか、将来の原発事故の際にもまた同じ悲劇が繰り返されることになる、そのような切実な思いで提起された訴訟でした。

提訴の翌年2015年2月、裁判をどのように審理するかを協議する第1回目の進行協議の会議が行なわれ、国や福島県の大勢の代理人によりすし詰めとなった会議場に参加した原告の井戸謙一弁護団長は次のように報告をしました。
圧倒的な数の被告代理人らをみて、被告らが、この裁判には絶対に負けるわけにはいかないと考えていることを感じました。他方、裁判所は、この裁判が社会的にも強い関心を持たれる重要な裁判であること、科学論争が予想され、難しい裁判になるとの認識を言葉の端々で示されました。
長期低線量被曝、内部被ばくの危険性を無視して、これによって健康被害が生じてもうやむやにしてしまうという政策は、そのまま原発再稼働、核兵器所有に結びついています。その政策のために、ふくしまの子どもたちが犠牲にされているのです。長期低線量被曝、内部被ばくの危険性を正面から問う裁判は、日本全国を見渡しても、この裁判しかありません。負けるわけにはいかないとの被告代理人らの姿勢、重大な裁判であるとの裁判所の認識に触れ、改めて、この裁判の重要性を感じるとともに、原告こそ負けるわけにはいかないのだと思いを強くしました。


すなわち、この裁判こそ311の福島原発事故後の日本社会をどう建て直すのかという再建の道筋を左右する、最も重要な人権裁判であると。
この思いを胸に、原告らは10年間、被告の責任を明らかにしてきました。これに対し、2021年3月1日の福島地裁判決、そして2023年12月18日仙台高裁判決は私たちの主張をことごとく退けました。しかし、そこにはきちんとした理由付けが何もありませんでした。そこで、原告らは、最高裁に上告し、今年3月、私たちがこの10年間取り組んできた主張と証拠を詳細に主張する上告理由書を提出し、最高裁に、高裁判決と上告理由書の一体どちらの理由が正当であるのか、その判断を最高裁に仰ぎました。

ところが、最高裁は、それから1年もしないうちに早々と、今回の決定で、原告らの主張は認められないとだけ述べて、内容には全く踏み込まず、4行と2行の判決文(>全文)で、文字通り三行半で原告らの申立てを退けました。最高裁はこれまで、重要な人権の裁判については、その結論が市民の主張を退ける時でも、最低限、その退ける理由は自ら具体的な判断を示して来ました。有名な1967年の朝日訴訟最高裁判決。これは原告の朝日茂さんの死亡により訴訟は終了したと原告の訴えを退けましたが、しかし、それに続いて、「念のため」と断って、25頁にもわたって、最高裁の考えを示しました。昨年6月17日の福島原発事故に対する国の責任を否定した最高裁判決すらもその理由を明らかにしました。

なぜか。それは「理由を示す」こと、それが司法が他の立法や行政とちがうところだからです。なんで今の国家に、立法や行政のほかにわざわざ司法があるのか。それは国が結論を下すときに必ずその結論を導く証明をすることが求められるからです。司法というのは、理由を示してなんぼの世界なんです。その司法が理由を示さなかったらどうなるのか。司法の自殺です。司法自身が人権侵害のゴミ屋敷です。
今申し上げたように、子ども脱被ばく裁判は福島原発事故後の日本社会の再建の道筋を左右する、最も重要な人権裁判です。しかし、このような重要な裁判に対し、最高裁は「理由を示してなんぼの世界」という存在意義を自ら否定して、具体的な判断を一言も示さなかったのです。

これを子どもが聞いたらどう思うでしょうか。子ども脱被ばく裁判の主役は子どもだからです。したがって、最高裁は子どもにも分かる言葉で、自分が下した判決の理由を示す必要がありました。しかし、たった4行や2行の言葉で、原告の子どもたちが数万行を使って求めていた問題に対する応答が出来るでしょうか。できるはずがありません。最高裁は、このことだけでも、子ども脱被ばく裁判の原告の子どもたちに謝るべきです。そればかりか、子ども脱被ばく裁判の原告の子どもたちは福島原発事故で被ばくした全ての子どもたちを代表して提訴した人たちです。だから、最高裁は、自分の三行半の判決に対し、福島原発事故で被ばくした全ての子どもたちに向かって謝るべきです。それをしない限り、みずから司法の自殺行為に出た最高裁は永遠に立ち直れないと思うのです。

そして、これは子どもたちの問題だけではありません。今回の判決によって最高裁は人権侵害のゴミ屋敷の中で自死してしまいました。そのために大変な被害を被ったのは福島原発事故の沢山の被害者ばかりではなく、裁判所を「人権の最後の砦」とみなしてつきあってきた私たちひとりひとりの市民です。

今回の判決が教えることは、私たち市民は私たちの人権がゴミ屋敷の中に打ち捨てられているとき、これを救済する大切な砦を失ったということです。
最高裁の上には裁判所はありません。しかし、最高裁の上には主権者である私たち市民がそびえているのです。市民が、日本社会を人権侵害のゴミ屋敷にして平然としている最高裁に「それはおかしい」という声を上げること、それによって、人権侵害のゴミ屋敷社会から復興できるのです。それは一気には実現できないでしょう。だが、あきらめずに一歩一歩前に進む中で、必ず実現できます。今日はその最初の一歩の呼びかけをさせて頂きました。共に頑張りましょう。
以 上


 

 

 

 

2024年12月15日日曜日

【第168話】最高裁は子どもたちに謝罪すべきだ(子ども脱被ばく裁判の2024年11月29日最高裁決定に対する抗議文)

2024年12月14日、新宿アルタ前アクションで、子ども脱被ばく裁判の2024年11月29日の最高裁決定(本文は以下。全文>こちら)に対する抗議文を読み上げた。

以下は、その動画と抗議文全文(PDF>こちら)。

1回目


2回目




2024年12月14日
最高裁は子どもたちに謝罪すべきだ

柳原敏夫(子ども脱被ばく裁判の弁護団)

最高裁判所は、先月11月29日、いわゆる「子ども脱被ばく裁判」の上告の申立に対し、これを退ける決定を出しました。

子ども脱被ばく裁判は、福島原発事故当時福島県内で居住していた親子が原告になって、被告国及び被告福島県に対し、被告らが福島原発事故直後に、子どもたちを被ばくから防護するためのまともな対策を取らなかったこと、すなわちSPEEDI等の被ばくに関する情報を隠蔽したこと、子どもたちに安定ヨウ素剤を服用させなかったこと、一般公衆の被ばく限度として定められている年1mSvの20倍である年20mSvを基準として学校を再開し、そして子どもたちを集団疎開させなかったこと、長崎大学の山下俊一氏を使って根拠のない安全宣伝を繰り返したこと等の違法な行為によって、福島県の親と子どもたちは、自分たちが放射能の被ばくをどの程度まで受け入れ、或いは受け入れないのかについての自分で決定するという自己決定権を奪われ、その結果、子どもたちは、本来なら避けることができた無用な被ばくを強いられた、その責任を問う、2014年8月、福島地方裁判所に提訴された訴訟です。

13年前の福島原発事故当時、被災地の多くの人たちは被ばく問題についてほとんど知識がありませんでした。ベクレルもシーベルトもわからず、被ばくの危険性も分からず、自分たちの生活環境がどの程度汚染されているかの情報もありませんでした。その中で、子どもたちの命、健康を福島原発事故から守るためには、被ばくについての正確な情報、被ばくの危険性についての偏らない知識が不可欠でした。しかし、この本当に必要な、本当に切実な情報は国と福島県によって隠蔽され、偏った安全宣伝が繰り返されたのです。これによって、子どもたちに無用な被ばくをさせてしまったと悔やんでいる多くの人たちがおり、その後、甲状腺がんに罹患した若者を含め、体調不良に悩む人々は少なくありません。このことに対する国や福島県の責任を明らかにしない限り、福島原発事故によって無用な被ばくによって苦しんでいる人たちの救済が果たされないばかりか、将来の原発事故の際にもまた同じ悲劇が繰り返されることになる、そのような切実な思いで提起された訴訟でした。

提訴の翌年2015年2月、裁判をどのように審理するかを協議する第1回目の進行協議の会議が行なわれ、国や福島県の大勢の代理人によりすし詰めとなった会議場に参加した原告の井戸謙一弁護団長は次のように報告をしました。
圧倒的な数の被告代理人らをみて、被告らが、この裁判には絶対に負けるわけにはいかないと考えていることを感じました。他方、裁判所は、この裁判が社会的にも強い関心を持たれる重要な裁判であること、科学論争が予想され、難しい裁判になるとの認識を言葉の端々で示されました。
長期低線量被曝、内部被ばくの危険性を無視して、これによって健康被害が生じてもうやむやにしてしまうという政策は、そのまま原発再稼働、核兵器所有に結びついています。その政策のために、ふくしまの子どもたちが犠牲にされているのです。長期低線量被曝、内部被ばくの危険性を正面から問う裁判は、日本全国を見渡しても、この裁判しかありません。負けるわけにはいかないとの被告代理人らの姿勢、重大な裁判であるとの裁判所の認識に触れ、改めて、この裁判の重要性を感じるとともに、原告こそ負けるわけにはいかないのだと思いを強くしました。


すなわち、この裁判こそ311の福島原発事故後の日本社会をどう建て直すのかという再建の道筋を左右する、最も重要な人権裁判であると。
この思いを胸に、原告らは10年間、被告の責任を明らかにしてきました。これに対し、2021年3月1日の福島地裁判決、そして2023年12月18日仙台高裁判決は私たちの主張をことごとく退けました。しかし、そこにはきちんとした理由付けが何もありませんでした。そこで、原告らは、最高裁に上告し、今年3月、私たちがこの10年間取り組んできた主張と証拠を詳細に主張する上告理由書を提出し、最高裁に、高裁判決と上告理由書の一体どちらの理由が正当であるのか、その判断を最高裁に仰ぎました。

ところが、最高裁は、それから1年もしないうちに早々と、今回の決定で、原告らの主張は認められないとだけ述べて、内容には全く踏み込まず、4行と2行の判決文(>全文)で、文字通り三行半で原告らの申立てを退けました。最高裁はこれまで、重要な人権の裁判については、その結論が市民の主張を退ける時でも、最低限、その退ける理由は自ら具体的な判断を示して来ました。有名な1967年の朝日訴訟最高裁判決。これは原告の朝日茂さんの死亡により訴訟は終了したと原告の訴えを退けましたが、しかし、それに続いて、「念のため」と断って、25頁にもわたって、最高裁の考えを示しました。昨年6月17日の福島原発事故に対する国の責任を否定した最高裁判決すらもその理由を明らかにしました。

なぜか。それは「理由を示す」こと、それが司法が他の立法や行政とちがうところだからです。なんで今の国家に、立法や行政のほかにわざわざ司法があるのか。それは国が結論を下すときに必ずその結論を導く証明をすることが求められるからです。司法というのは、理由を示してなんぼの世界なんです。その司法が理由を示さなかったらどうなるのか。司法の自殺です。司法自身が人権侵害のゴミ屋敷です。
今申し上げたように、子ども脱被ばく裁判は福島原発事故後の日本社会の再建の道筋を左右する、最も重要な人権裁判です。しかし、このような重要な裁判に対し、最高裁は「理由を示してなんぼの世界」という存在意義を自ら否定して、具体的な判断を一言も示さなかったのです。

これを子どもが聞いたらどう思うでしょうか。子ども脱被ばく裁判の主役は子どもだからです。したがって、最高裁は子どもにも分かる言葉で、自分が下した判決の理由を示す必要がありました。しかし、たった4行や2行の言葉で、原告の子どもたちが数万行を使って求めていた問題に対する応答が出来るでしょうか。できるはずがありません。最高裁は、このことだけでも、子ども脱被ばく裁判の原告の子どもたちに謝るべきです。そればかりか、子ども脱被ばく裁判の原告の子どもたちは福島原発事故で被ばくした全ての子どもたちを代表して提訴した人たちです。だから、最高裁は、自分の三行半の判決に対し、福島原発事故で被ばくした全ての子どもたちに向かって謝るべきです。それをしない限り、みずから司法の自殺行為に出た最高裁は永遠に立ち直れないと思うのです。

そして、これは子どもたちの問題だけではありません。今回の判決によって最高裁は人権侵害のゴミ屋敷の中で自死してしまいました。そのために大変な被害を被ったのは福島原発事故の沢山の被害者ばかりではなく、裁判所を「人権の最後の砦」とみなしてつきあってきた私たちひとりひとりの市民です。

今回の判決が教えることは、私たち市民は私たちの人権がゴミ屋敷の中に打ち捨てられているとき、これを救済する大切な砦を失ったということです。
最高裁の上には裁判所はありません。しかし、最高裁の上には主権者である私たち市民がそびえているのです。市民が、日本社会を人権侵害のゴミ屋敷にして平然としている最高裁に「それはおかしい」という声を上げること、それによって、人権侵害のゴミ屋敷社会から復興できるのです。それは一気には実現できないでしょう。だが、あきらめずに一歩一歩前に進む中で、必ず実現できます。今日はその最初の一歩の呼びかけをさせて頂きました。共に頑張りましょう。
以 上


2024年12月4日水曜日

【第167話】11.30 チェルノブイリ法日本版の関西(高槻市)学習会の報告(24.12.4)

 2024年11月30日、大阪府高槻駅前の市民交流センタークロスパル高槻で、
「子どもたちを放射能被害から守るには?知恵を出し合い、共に考えましょう!」
という題でチェルノブイリ法日本版のお話会をやりました。

以下が、その動画、チラシ、レジメ、プレゼン資料です。

1、司会(子ども脱被ばく裁判を支える会西日本の横山恵子さん)と主催者(チェルノブイリ法日本版の会の岡田俊子)のあいさつ

 2、柳原敏夫の話

 3、 子ども脱被ばく裁判弁護団長の井戸謙一さんの話

4、チラシPDF

5、レジメPDF


6、プレゼン資料>PDF


2024年11月18日月曜日

【第166話】10.30チェルノブイリ法日本版のさいたまミニ学習会の報告(24.11.18)

 9月29日のチェルノブイリ法日本版のさいたま学習会で、時間切れのため、日本版の条例案についての話が出来なかった。そこで、それについての補講を、10月30日、少数のメンバーを相手に行なった(ミニ学習会)。

以下がその動画とプレゼン資料。

 1、前半(前座)



2、後半(条例案解説)


3、プレゼン資料PDFまたは(下の画像をクリック)


以下は、参加者の皆さんに送ったコメント2つ。

1、報告
昨日は長時間に渡り、お付き合い頂き、ありがとうございました。
この夏に「脳化社会」論に直面して以来、私の頭の中は全てのことを再吟味せずにはいられなくなったのですが、その中でも、日本版の条例案の再検討は最もハードルが高く、手も足も出ないままでした。

今回、その条例案の壁に挑戦する貴重な機会を授けて頂き、感謝のコトバもありません。
若い頃に、「人は5分と思考することに耐えられない。それ以上は単に習慣、惰性、ダラダラとぼんやり考えているだけで何も考えていないにひとしい」という言葉に震撼させられ、5分以上考えることを目標にして来ましたが、今回のミニ学習会のおかげで、1日半、考える時間を持つことができ、その中での新しい気づきと出会ったことは私にとって最高の宝でした。

プレゼン資料の最後に書かせてもらいましたが、
学習するとは、単に物知りになるのではなく、自分が変わること、それは自分の認識が変わることだけでなく、自分の行動が変わること。
ただ、それは一気に変わる必要はなく、一歩変わること。
昨日の学習会を経験して、私自身もその一歩前に踏み出すことが出来ました。
これからも、皆さんと、一歩前に出る市民運動を共有できたらと願っています。
取り急ぎお礼まで。 

・・・・・・

最後にお詫びを。
昨日の第一部のあとの休憩中に、Xさんから、市民の意識の変化が社会を変えることについて、日本版の中で話して欲しいとリクエストされ、快諾したにもかかわらず、結局、話できませんでした(プレゼン資料に書いてなかったため)。

そもそも、過去に前例のない福島原発事故そのものが私たち市民の意識を否応なしに変化させました(例えば、一瞬にして東日本が壊滅の危機という意識は過去に誰も持ったことはなかった、)。それゆえ、前例のない原発事故の救済もまた、前例のない取り組みです。私たち市民が従前の意識の中にいたままで、これと取り組めるはずがありません。
日本版のエッセンスは、過去の希望の扉をすべて叩いて、そこから未曾有の惨劇と悲劇である原発事故の救済の道筋を暗中模索する、ことです。
私にとって、その希望の扉の1つが、国難に対する市民型公共事業の取り組みです。その過去の希望の扉が、70年以上前、スペイン内戦で疲弊したスペインの寒村で、28歳の神父アリスメンディアリエタたちが始めた、「みんなで働き(協同労働)、みんなで運営する(協同経営)」モンドラゴンの協同組合による経済再建の取組みです。そして、霞ヶ浦の再生をアサザと市民のゆるやかなネットワークを使って市民型公共事業で成し遂げたアサザプロジェクトでした。
とりあえず、以下がその報告ですが、改めて、この希望の扉を、今、私たち自身の市民の意識変革のテーマとして位置づけて、紹介したいと思います。
モンドラゴンの協同組合もうひとつの復興は可能だ--モンドラゴンの可能性の中心-- 

アサザプロジェクトの再定義:進化する疎開裁判:市民運動家から社会起業家へ(2013.6.21)

2、予防原則について

今、1点気づいたことがあり、それを補足させて頂きます。
昨日の話の中で、予防原則が話題になりました。予防原則がどれほど重要なものか、その重要性について、以前から私は、ロシアンルーレットになぞらえて、次のように指摘してきました(例えば2019年6月の静岡市での学習会のプレゼン資料こちら)。

> 「子どもたちを被ばくのロシアンルーレットにさらさない」、それがチェルノブイリ法日本版
> 福島原発事故で私達は途方に暮れました。放射能は体温を0.0024度しか上げないエネルギーで人を即死させるのに、目に見えず、臭わず、痛くもなく、味もせず、従来の災害に対して行ったように、五感で防御するすべがないからです。人間的スケールでは測れない、ミクロの世界での放射能の人体への作用=電離作用という損傷行為がどんな疾病をもたらすか、現在の科学・医学の水準では分からないからです。つまり危険というカードが出せない。にもかかわらず、危険が検出されない以上「安全が確認された」という従来の発想で対応し、その結果、人々の命、健康は脅かされました。「危険が検出されないだけでは足りない。安全が積極的に証明されない限り、人々の命を守る」、これが私たちの立場です。つまり人々の命を被ばくというロシアンルーレットから守る。それが予防原則で、これを明文化したのがチェルノブイリ法です。


しかし、昨日の話の中で、新たな気づきがありました。
それは、子どもたちは知らない間に、あたかも自然現象のようにロシアンルーレットの中に置かれたのではなく、ロシアンルーレットを子どもたちをはじめとする人々を置いたのは、ほかでもない、原発を設置した日本政府、電力会社、原子力ムラの科学技術者たちだということです。

つまり、彼らは、自分たちが作り出した原発から発生する事故のために、多くの人々が被ばくによる健康被害を受ける可能性があるのに、その健康被害の範囲を科学的、医学的に証明する科学技術を準備していなかった(正確には持ち合わせていなかった)。それはひとたび暴れだしたら、何するか解らない獰猛な生き物をペットとして人々に与えるにひとしいことです。
彼らは、ひとたび事故ったら、そこから発生する健康被害の範囲を科学的に証明できないことを分かっていながら、その状態のまま、原発を設置したのです。
    ↑
ここで、次の規範が問われることになります。私は当然だと思うのですが、みなさんはどう思いますか。

過去に経験のない高度の先端科学技術を開発・駆使して作り出した人工装置を社会に持ち込み実用化する場合には、その装置の事故による被害についても、過去に経験のない被害が発生する可能性は高く、その事故と被害との因果関係を現時点の科学技術では証明できない可能性が高い。その場合、その事故と被害との因果関係が証明できない、いわゆるグレーであるという理由で被害者が泣き寝入りを強いられるべきではなく、そもそもそのような過去に経験のない、因果関係がグレーの被害を発生させる原因を作った人工装置の設置者がグレーについて責任を負うべきである。

この「事故で発生する健康被害の範囲がグレー(科学的に証明できない)の場合のリスク(責任)は原発を設置した者たち(国、電力会社)が負うべきある」。それが「グレーは被害者を守る」という予防原則です。

言い換えれば、原発事故による健康被害の問題に対して、先端科学技術を開発・駆使して原発を設置した者たち(国、電力会社)は中立(ニュートラル)の立場にいるのではない。本来であれば、こんな化け物みたいな未知の危険を持つ原発を設置した彼らは、単に原発事故防止の責任を負うだけでなく、原発事故による健康被害の範囲についても、先端科学技術を開発・駆使してそれを明らかにする責任がある。その責任が果たせないというのであれば、彼らはそんな無謀な原発の設置は許されないと言うべきです。
にもかかわらず、原発事故による健康被害の範囲を明らかに出来ないような無謀な原発設置を許可するのであれば、この原発事故による健康被害の範囲について、国、電力会社は、その範囲がグレーな被害者に対し、被害者を守る予防原則を受け入れることは当然のことです。
言い換えれば、国、電力会社は原発を設置する以上、予防原則を具体化したチェルノブイリ法日本版を受け入れるほかないのです。

2024年11月15日金曜日

【第165話】「脳化社会」の最悪の人権侵害者は「脳化社会」そのものの中にあり、その最大の賛同者にして被害者は「脳化社会」に安住する私たち市民である(24.11.15)

                               子ども脱被ばく裁判 福島地裁判決(2020年3月1日)

子ども脱被ばく裁判と避難者追い出し裁判が明らかにした最大のもののひとつが、人権の始まりであり人権の核心は、私の生き方、私の人生はほかならぬ私自身が選択し、決めるという「自己決定権」にあるということだ。

そこから、私たちが住む「脳化社会」がいかに人権侵害をはらんだ「人権侵害社会」であるかが浮き彫りにされた。なぜなら、福島原発事故に遭遇したとき、少なからぬ市民は、この前代未聞のカタストロフィから身を守りたいと切実に願ったにもかかわらず、前代未聞のカタストロフィから身を守るために選択すべき行動を決定するためには、自前で手に入る情報だけでは到底不十分・不可能であり、そのためには、これに必要な情報を独占している政府と福島県からの情報提供が不可欠だった。にもかかわらず、それを求める市民にその情報は届けられなかった(開示・提供されなかった)からである。
しかも、その悪質極まりない情報隠蔽は(政府や福島県にとって、これほどまでに深刻な原発事故は初体験だったにもかかわらず)何食わぬ顔をして、ぬけぬけと実行されたのである。
なおかつその悪徳行為の最大の被害者である市民の間からも、2014年のセウォル号沈没事故直後、遺族が朴槿恵大統領の青瓦台に向かって抗議行進したように、福島原発事故発生直後、菅直人首相の首相官邸に向かっての抗議行動はついに起きなかったのである。

セウォル号沈没事故で犠牲になった高校生らの遺族が、朴槿恵大統領との面会を求めて青瓦台に向かって抗議活動。2014年5月9日 ロイター/News1

このとき、なぜ市民の間から抗議行動は起きなかったのか。私たち市民が生涯でいっぺん経験するかしないかの「自己決定権」の行使が問われた、一世一代の瞬間だったにもかかわらず。

それはひとえに私たちが「脳化社会」に安住していたからではないのか。
なぜなら、私たちの住む「脳化社会」は、私たちに「安全・安心」な快適な環境を保障する代わりに、その代償として私たちに「脳化社会」が出す指示、命令に唯々諾々と従うことが暗黙の掟になっているからだ。その見えない「掟」が私たち市民にとってどれだけ強力なものか、それはカフカが「掟の前で」で描いた通りだ。

福島原発事故が起きるまで、原子力ムラは「安全神話」の中で眠っていたと批判されるが、眠っていたのはなにも原子力ムラだけではない。「脳化社会」に安住する限り、私たち市民はみんな眠っていたのだ。 だから、福島原発事故で無知の涙を流して覚醒した一部の人たちを除いて、「脳化社会」に安住していた市民は、原発事故後も引き続き、「脳化社会」を疑うことをせず、「脳化社会」が出す指示、命令に、内心はものすごく不信、不快だったにもかかわらず、表向きは唯々諾々と従ったのだ。その結果、他方で、彼らは原発事故から身を守りたいと切実に願ったにもかかわらず、その実現のために必要な抗議行動に出ることができなかった。これは一世一代の痛恨事だ。

 市民は「脳化社会」に安住する意識にとどまる限り、願いを実現するために必要な行動に移せなかった。それは生涯悔いても悔い切れない痛恨事である。

この痛恨の経験が教えることは、私たちを覆っている「脳化社会」こそ私たち市民の自己決定権を不断に奪い去る、最悪の人権侵害システムだという訓えである。この痛恨をくり返さないためには、一度は本気で、「脳化社会」の掟と対決する必要がある。

私たち市民団体が今月8日に提訴した、ゆうちょ銀行の口座開設不当拒否裁判は、「脳化社会」の掟と対決するささやかなアクション、一歩前に出る行動である(その詳細こちら)。

 

【第164話】「脳化社会」最先端を行く中国で、一歩前に出ることをやめない人、閻連科は言った「今の中国ではどんなことも起こり得る」(24.11.14)。

関連ニュース
11月16日江蘇省無錫の学校で、刃物を持った男が襲撃、8人死亡17人けが(>詳細)。
10月28日北京の路上で、刃物を持った男が襲撃、未成年3人を含む5人けが(>詳細)。
10月8日広州の路上で、刃物を持った男が襲撃、未成年2人を含む3人けが(>詳細)。 
9月30日、上海のスーパーマーケットで、刃物を持った男が襲撃、3人死亡15人けが(>詳細)。
9月18日、広東省深圳市の深圳の路上で、刃物を持った男が襲撃、日本人児童1人死亡(>詳細)。
6月24日、江蘇省蘇州の下校中の日本人学校のスクールバスで、刃物を持った男が襲撃、日本人親子がけが中国人女性1人死亡(>詳細)。
 
NHKニュース(24.11.13)

               
昨日のニュース「中国広東省で乗用車1台暴走、35人死亡、43人けが」。いったいどうやったら1台の乗用車でこれほどたくさんの人が死傷するのか。
閻連科

中国の作家閻連科は2012年にこう書いた。
今の中国ではどんなことも起こり得る

彼は、その翌年出版の小説「炸裂志」で、人口数千人の寒村が開放経済政策で瞬く間に一千万人を超える大都市に変貌した村を舞台に、経済至上主義のもとで、それまで普通だった人々が商品に化し、カネを熱狂的に追求する怪物に変貌するさまを、カネと権力が一緒になれば不可能はないさまを描いた。むき出しの富への欲望に牽引されて、どんなことも起こり得る中国を描いた。
昨日のニュースの自動車殺傷事件は、この小説の舞台のすぐ隣りの町、同じように開放経済政策で瞬く間に大都市に変貌した珠海で起きた。


その12年前の2001年、彼は、小説「硬きこと水のごとし」で、1966年から10年間続いた中国の文化大革命で献身的な若き革命家が銃殺刑に処せられる目前で語る回想録ーーそれは、政治至上主義のもとで、それまで普通だった人々が政治的人間に変身し、権力を熱狂的に追求する怪物に変貌するさまを、権力と暴力が一緒になれば不可能はないさまを描いた。むき出しの権力への欲望に牽引されて、どんなことも起こり得る中国を次のような語り口で描いた。

軽々と目的を達成し、王鎮長を打倒しただけではなく、彼を監獄に送り、彼を現行反革命分子にし、二十年の刑にしたのだ。これは意外なほど簡単で、俺と紅梅は革命の魔力と刺激を心から感じることができ、‥‥そして、どうしてこの時期に、メクラも半身不随も、どんくさい豚も犬のクソ野郎も革命をやりたがり、みんな革命を起こすことができ、みんな革命家になりたいと思い、革命家になることができたのかという根本原因がどこにあるか分かったのだ。

文化大革命も開放経済政策も、それは政治と経済の分野のちがいはあるものの、どちらも人間の欲望をエサにして、社会をとことん作り変えようとする「脳化社会」の実験場だった。その狂走の末に、いま、中国社会はカネと権力が一緒になれば不可能はないと考える、誰一人まともな者はいない「脳化社会」の成れの果てを迎えている。

 いわば暴走する「脳化社会」列車に乗った中国の運転手たちは、今や茫然自失としている。その中にあって、今迎えている「脳化社会」の成れの果てをさらにもう一歩前に出ることをためらわず、やめない人がいる。それが閻連科である。

彼はまるで、かつて際限のない殺戮に陥った宗教戦争の成れの果てに、宗教的寛容という世界最初の人権が出現した人類の奇跡の瞬間を、再び、「脳化社会」の成れの果ての中に見つけ出そうと、気魄をみなぎらせ、掘り進む探求者のようだ。

その中国が開放経済政策でモデルにしたのが日本。その日本に追いつけ、追い越した中国が今迎えた「脳化社会」の成れの果て。そのゴミ屋敷の中で起きた昨日の中国ニュース、それは明日の日本の姿である。つまり日本も、これからどんなことも起こり得る国になる。
しかし、私たち市民が明日のモデルにするのは中国のゴミ屋敷だけではない。それが、「脳化社会」の成れの果てと向き合い、そこから一歩前に出ることをためらわず、やめない人、閻連科の行動である。

私がチェルノブイリ法日本版と取り組むのは「脳化社会」の成れの果てを迎えた日本のゴミ屋敷から一歩前に出るためであるが、閻連科はそのための最良のモデル、そして百年前の魯迅に続いて遭遇した朋輩である(つつしんで老年に告ぐ「老年よ、大志を抱け」)。

 

2024年10月3日木曜日

【第163話】なぜ、人権は発見されなければ分からないのか。なぜ、人権侵害もまた発見されなければ分からないものなのか(24.10.3)

 人々は、つい、人権は法律に書き込まれていれば、存在すると思い込んでいる。しかし、本当にそうだろうか。今まで、人権を見た人は誰もいない。今まで、人権を触ったことがある人は誰もいない。それほど、あやういものが人権。そんな怪しげなものが果して存在することがあるのか。

これまで、いつもこの問いにつまづいてきた。そして、今もつまづく。

以下は3年前、その問いに対する自問自答、つぶやき。今、これを取り出し、再び、つぶやいてみる。

【第73話】市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会の原点(2021.8.23)

2、人権の発見

 (1)、人権は事実として自然に存在しない

人権はこれを保障する憲法が制定されたから私たちの目の前に存在するものではありません。私たちが発見して初めて存在するものです。なぜなら、人権の本質であり出発点である「個人の尊厳」つまり、どんな地位、職業、社会的評価であろうとそれに関係なく、この世に同じ人間は二人といない、ゆえにひとりひとりの存在こそ至高の価値を有し尊い存在なのだという「個人の尊厳」は、事実として自然に存在するものではなく、私たちが「価値」というメガネをかけたとき初めて見出しうるもの、人間が「考える葦」になったとき初めて発見できるものだからです。

 (2)、人権侵害の発見

なおかつ、人権宣言の歴史が教えることは、私たちはいきなり「人権を発見」することができないということです。いつも最初に発見するのは「人権侵害」だからです。
その上、目の前にいくら悲惨な現実を積み上げていったとしも、それで「人権侵害」に辿り着く訳ではありません。「人権侵害」に辿り着くのは、目の前の悲惨な現実に対し、私たちの心の中で「私たちを人間として扱え!」という声が沸きあがったときだからです。その意味で、「人権侵害」も発見するほかないものです。

放射能による健康被害という未曾有の惨禍に対し、放射能災害における人権保障という観点から救済を定めたのがチェルノブイリ法日本版です。しかし、この法律の意義を理解するためには、放射能による健康被害という現実を「人権侵害」としてとらえることが不可欠です。それは私たちが「考える葦」になったとき初めて発見できるものなのです。

2024年10月2日水曜日

【第162話】9.29チェルノブイリ法日本版のさいたま学習会で、「原発事故は二度発生する」をめぐる「バカの壁」を突破した経験について(24.10.2)

 【第161話】で、9月29日のチェルノブイリ法日本版のさいたま学習会で、「バカの壁」を突破する新たな気づきがあったと書いた。以下は、その気づきの中身を述べたもの。

普通、原発事故は一度発生すると思われているが、実は「原発事故は二度発生する」ことをこれまで、折に触れて言ってきた(末尾の文参照)、これが原発事故のエッセンスだ、と。
しかし、それを人々になかなか合点してもらえなかった。
ところが、今回、9月29日のお話会で、少数とはいえ、それが合点する人々が現れた。
それはどうしてか。

思うに、話の最初に、原発事故が何であったのか、その惨劇と犯罪のさまを、まるで昨日の出来事であるかのように、出来る限りリアルに伝える努力をしたからではないか。
それは、レベルは全くちがうが、1967年、大岡昇平が太平洋戦争の天王山とも言うべきレイテ島の激戦を「レイテ戦記」に書いたとき、
私はこれからレイテ島上の戦闘について、私が事実と判断したものを、出来るだけ詳しく書くつもりである。七五ミリ八砲の砲声と三八銃の響きを再現したいと思っている。
と述べた姿勢と共通する。

 その訓えに倣って、これから、私は「原発事故は二度発生する」といった原発事故のエッセンスを語るとき、同時に、原発事故の惨劇と犯罪をまるで昨日の出来事であるかのように伝えることに肝に銘じる。

*************************
「原発事故は二度発生する」をめぐるこれまでの文章

なぜ今、チェルノブイリ法日本版条例の制定なのか--チェルノブイリ法日本版その可能性の中心--(2)原発事故は2度発生する

2、原発事故は2度発生する
 私たちが科学技術によって引き起こされた事故・災害を眺める時に注意すべきことは、事故(災害)は2度発生するということです、

 1度目は「人間と自然との関係」の中で、見込み違いや偶然の要素によって発生し、2度目は「人間と人間との関係」の中、で社会との交渉の段階での世論操作において確固たる必然の要素によって発生します。

 
3.11事件はなんだったのか?――見えない政変とチェルノブイリ法日本版制定――

原発事故は二度発生する
3.11福島原発事故は二度発生した。一度目は「自然と人間の関係」の中で、福島第1原子力発電所の中で、天災などの偶然の要素と科学技術の未熟さ、見込み違いによって発生し、二度目は「人間と人間の関係」の中で、我々の社会の中で、確固たる信念と世論操作に基づいて発生した。だから、二度目の原発事故はもはや単なる事故ではない。それは事故と言うよりむしろ事件と呼ぶのがふさわしい。それが3.11事件である。 

【第161話】9.29チェルノブイリ法日本版のさいたま学習会で「バカの壁」を突破する新たな気づき(24.10.1)


2024年9月29日午前、浦和駅前の浦和コミュニティセンターで、埼玉リレーカフェ主催のチェルノブイリ法日本版の学習会(お話会)をやりました。58名の方が参加。
               by 藤井 千賀子さん

 午後のアフタートークにも27名が参加。熱心な感想、質疑応答でした。

                by 埼玉リレーカフェ 

この日のお話会で参加者から「311直後のことをまざまざと思い出した」という感想がありました。
それが今回、私が最も願ったことだったので、それを体験した人がいたことは本望でした。私自身、準備の最終段階で、同様の体験に襲われ、以下の感覚が全身に貫いたからです。その時、この感覚こそ至宝、自分が一生手放さず、抱き続ける宝であることを再発見し、確信しました。

福島原発事故は、自分がたとえ鶴や亀のようにこのあと数百年生き長らえたとしても、決して体験できない、異常な事態だった。

「未曾有の異常事態」という認識が、この異常事態とどう向き合うのかという課題を私に授けました。逡巡の中、目の前に現れたのが古代イスラエルの預言者たちでした。彼らは私にその課題の解を授けました。それがふくしま集団疎開裁判、そしてチェルノブイリ日本版でした。

人権も憲法もない古代イスラエル国家の圧制のもとで、思い切り逡巡しながらも、圧制に抵抗して避難(出エジプト)を説き、実行に移したモーセ。「暗い見通しの中で希望を語り続けた」預言者エレミヤたち。 

以下、当日の動画(ただし、冒頭の30分が欠)と配布資料、プレゼン資料、埼玉リレーカフェによる報告。
1、動画



以下の動画は東京から神戸に避難した下澤陽子さん(日本版の会協同代表)のアピールです。柳原の話の中で再生した際に音声の状態が悪かったので、以下の画像をクリックして完全版で聴き直して頂けたら幸いです。

また、話の中で再生した(そして時間の都合上できなかった)避難者の訴えほかの動画は以下。 

郡山から静岡県富士宮市に避難した長谷川克己さんの発言 

山下俊一100μSv/h発言 

福島の子どもたちの避難についてのメッセージ(チョムスキー)

福島の子どもたちの避難についてのメッセージ(キャサリン・ハムネット)

放射能(被爆)についての丸山真男の証言

小児甲状腺がん裁判9月11日の期日、原告の要旨陳述

チェルノブイリ事故の映画「真実はどこに」の冒頭

2、配布資料 
全文PDF>こちら 
または以下の画像をクリック

3、プレゼン資料 
全文PDF>こちら 
または以下の画像をクリック

4、埼玉リレーカフェによる報告こちら


【第160話】「ブックレット」その可能性の中心(1):人権は、どんなに物知りになっても、どんなに情報収集しても、「発見」しない限り永遠に手に入れることはできない。なおかつそれは「人権侵害の発見」を通じてのみ見出される(24.10.1)

 ブックレット「わたしたちは見ている」が人々にもたらす影響のうち、もしポジティブなものがあるとしたらそれは何か。

これについて次の3つが思い浮かび、8月31日の東京港区三田のブックレット出版記念のお話会で話した。

1、人々に新しい気づきを与える可能性
(1)、市民運動を政治・政策ではなく人権から捉え直す。つまり対決ではなく、共存
(2)、人権は人権擁護ではなく、人権侵害を通じて実現される。
(3)、そのやり方は一気に実現するのではなく、一歩前に出るなおかつ永久運動。
      ↑
もっとも、これらは別にブックレットで初めて語ったことではなく、それまでも折に触れて語ってきたもの。
以下では、このうち2番目の「人権が実現されるプロセスとは、人権擁護ではなく、むしろその反対である人権侵害を通じてである」について述べる。

①.8月31日の話の中でこれについて述べたのが動画の以下から。 

 https://youtu.be/U1s4HqmIVPY?t=570



②.2021年11月20日、オンライン・イベント★避難者と語る「今欲しい チェルノブイリ法日本版」★のために準備したプレゼン資料

                この全文PDFはこちら

で述べたもの。ここで述べているのは、
人権は見たり触ったり出来ず、「発見」という経験を通じてしか見つからないのと同様、人権侵害もまた、見たり触ったり出来ず、「発見」を通じてしか見つからないものである。
       ↑
そう思うようになったのは、次のような反省から。

いままで「人権の尊重」などと口にしていながら、「いかにして人権を尊重するのか」その尊重の仕方については、ボーとしていただけで、実は殆ど何も考えてこなかった。この点を改め、初めて、人権の存在のあり方について、次の疑問から考えたことを記したもの。

人を愛する時、その人は目の前に実在するものとして、目に見え、触れることもできる。
だが、これまで、
人権を見た人は誰もいない。
手で触れた人も誰もいない。
人権は愛する人のように存在するものではない。
だとしたら、そのようなものを人はどのようにして愛することができるのか。どのようにして大切にすることができるのか。

以下はそれに対する私の答え。とはいえ、まだ極めて不完全なもの
ただし、少なくとも次の点だけは確実なものとして私の中に定着した。
上のような存在のあり方をする「人権」に対し、私たちは直接「人権」を見たり、あるいは直ちに「人権」を発見することはできない。人権の「発見」に至る道は、むしろ人権の反対命題である「人権侵害」の発見を通じてしかない。それは過去の「人権の発見」の歴史的経験から導かれる。

③.上の②で言ったことは、

人権は目の前に実在するものとして、目に見え、触れること」ができない。
人権は
大地や植物が存在するように存在するものではない。大地も植物も人がいようがいまいが無関係に存在する。しかし、人権は人がいない世界には存在しない。人がいる限りでのみ存在する。なぜなら、人権は「人と人との間」にのみ存在するものだから。
「人と人との間」に存在するものは「関係」である。
ところで、この人と人との「関係」にはピンからキリまで様々な関係が存在する。

このうち、人権という「関係」は、人がただ人であることだけに基づいて認められたものである。
しかし、現実の人間「関係」は、特定の地位、資格、肩書等に基づいて作られている。それゆえ、人権という「関係」は私たちが「発見」して初めて見い出すことができるもの。つまり人権は、人がただ人であることだけで、「人が個人として唯一無二の存在であること」を尊ぶ「個人の尊重」という理念のメガネを通して初めて見い出されるもの。
この意味で、
人権は私たちが「発見」して初めて見い出すことができるもの。
つまり人権は、どんなに物知りになっても、どんなに情報収集しても、「発見」しない限り、永遠に手に入れることはできない。
ところで、
私たちが人権を「発見」するに至る道は、一見奇異に見えるかもしれないが、人権を否定する「人権侵害」の発見を通じてしかない。
          ↓
では、ここでなぜ「人権侵害」を通じてではなく、「人権侵害の発見」を通じてなのか?
          ↑
人権侵害もまた、今まで誰も人権侵害をじかに見た人も、手で触れた人もいない。たとえ人が殺され、いたぶられても、その悲惨な事実を目撃した人は、その悲惨な事実を見たとしても、そこで直ちに「人権侵害」を見たことにはならない。人権侵害も愛する人のように存在するものではないから。
∴人権侵害もまた「発見」するしかない。
          ↓
そこで、いかにして「人権侵害」は発見されるか、それが問題となる。
以下は、その「人権侵害」を発見する過程について、
子ども脱被ばく裁判に即して述べたもの。
すなわち、福島原発事故により福島の子どもたちが無用な被ばくをしたことがいかに深刻な人権侵害であるか、これを発見するために探求した報告(2024年5月19日最高裁アクションの報告集会の中で喋ったもの)。全文PDFこちら


まとめ(私たちの主張)

(1)、はじめに
 自己決定権すなわち「個人に属する事柄について公権力の介入・干渉なしに各自が自律的に決定できる自由」とは実は全ての人権の大前提となるものないしはその不可欠の内容を構成するものである。
なぜなら、古典的な自由権の代表格とされる表現の自由において、人は何を表現するかはもっぱら表現者自身の意思に委ねられ、
(続き)
表現者が決定することが大前提とされているからであり、それは思想信条の自由など他の自由権も同様である。 社会権においても、例えば生活保護は人が自らの意思で申請するかどうかを決定することが大前提とされており、労働基本権も労働者が組合を結成するかは労働者が自らの意思で決定することが大前提である。
(続き)
表現者が決定することが大前提とされているからであり、それは思想信条の自由など他の自由権も同様である。 社会権においても、例えば生活保護は人が自らの意思で申請するかどうかを決定することが大前提とされており、労働基本権も労働者が組合を結成するかは労働者が自らの意思で決定することが大前提である。
(続き)
このように、もともと自己決定権はそれ抜きには人権保障は具体化・現実化しない出発点となるものであったが、 近時、このような枠組みには収まり切れない新たな権利「個人の人格的生存にとって必要不可欠な、自分の生き方を自分自身で選択する権利」として、従来の人権とは別個に、独自の権利として構成されるようになったものである[1]。
(続き)
2023年10月25日、性別変更の手術要件の規定を違憲とした最高裁大法廷判決の中でもこのような意味での自己決定権、すなわち「生殖に関する自己決定権であるリプロダクティブ・ライツ」の重要性が指摘されている。 この意味で、憲法13条の「個人の尊重」とは、「個人の自己決定権の尊重」をうたうものである。
(続き)
そして、本件において問題となった、県民の「個人の人格的生存にとって必要不可欠な、自分の生き方を自分自身で選択する権利」とは、福島原発事故という未曾有の原子力災害の危機に直面して、自らの生き方、それは生命・身体の安全を確保するためにいかなる行動を選択したらよいか、死ぬか生きるかを問われるほどの重大な岐路に立った人々の自己決定権がここで問題となったのである。
(続き)
言うまでもなく、放射能の素人である県民が原子力災害の危機においてこの自己決定権を適切に行使するためには放射能に関する正確な情報を入手することが必要不可欠だったところ、この不可欠の情報提供の責務を果すために放射線健康リスク管理アドバイザーとして登場した山下俊一の①~⑤の発言により、県民は放射能に関する正確な情報を入手することができず、むしろ彼の不適切な情報を鵜呑みにし、惑わされた結果、多くの県民が被ばくについての警戒心を解いたため、多くの県民とりわけ子どもたち
(続き)
が、無用な被ばくを強いられた。
その結果、原子力災害の危機という一大事において、生命・身体の安全を確保するための自己決定権を適切に行使することがかなわず、この意味で、生涯悔やんでも悔やみきれないほどの自己決定権の侵害を余儀なくされたものである。
    

 

2024年9月2日月曜日

【第159話】ブックレットの「バカの壁」を突破する試み(2024.8.31ブックレット出版記念のお話会)


2024年8月31日、ブックレット「わたしたちは見ている」の「バカの壁」(放射能の危険性や原発事故の救済といった問題を理解しようとしない、したくないと思っている人々の壁)、これを突破する試みに挑戦した。それが、ブックレット出版記念(お知らせ>こちら)でのお話会。

「バカの壁」をどこまで突破できたか、それはこれを聞いた人たちの判断による。
私にとって、311以来(より正確には物心ついてからこの方)、一度も突き詰めてことのなかった「脳化社会と原発事故」という問題について、今まで語ったことのない新しいビジョンを示した。それがどこまでリアリティを持ち得るのか、それはこれから検証していくしかない。
それは私にとって、この夏をかけて取り組んだ甲斐があったテーマ、それを初めて開陳した甲斐のあった一夜だった。

以下、その動画とプレゼン資料と配布資料。



プレゼン資料>全文PDF








 

 

レジメ>全文PDF



 

 

2024年7月27日土曜日

【第158話】「注文の多いブックレット」の価値を発見した2024年7月27日東京新聞の書籍紹介欄(2024.7.27)

私は、宮沢賢治の「注文の多い料理店」の序が好きだ。

わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、ももいろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗らしゃや、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
 わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、にじや月あかりからもらってきたのです。
 ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
 ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりのいくきれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。

ブックレット「わたしたちは見ている」も福島原発事故とチェルノブイリ事故に向き合って、その惨劇ともいうべき現実の前に震えながらも立ち続け、希望と正義を見失うまいとふるえながら立ち続けますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたない、ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはブックレットにそのとおり書いたまでです。そして、ブックレットのいくつかの文章が、読者のすきとおったほんとうのたべものになることを願って、5月に出版した(>出版の報告)。

ただし、このブックレットの読者は、「注文の多い料理店」を訪れたお客のような立場に立たされるので、マスコミはもちろんのこと、多くの人たちにも煙たがられるのを覚悟していた。

その中にあって、ごくごく少数の読者からとはいえ、10冊、50冊と大量の注文がはいったことは、この人たちにとって、ブックレットはすきとおったほんとうのたべものになっているのだという密かな自信を授かった。

そしたら、本日、東京新聞の書籍紹介欄に、ブックレットとしてはおそらく破格の扱いで、このブックレットが紹介された。その紹介文もただのうわべの要約にとどまらない、ブックレットの核心に迫るもの、つまりすきとおったほんとうのたべものだった。

「注文の多い料理店」がそうだったように、こうして一歩ずつ、ブックレットの価値を発見する読者が出現することこそ、私たちが心から望んでいることです。


 

 



【第157話】住まいの権利裁判で、原告Aさんの心情を訥々と訴える意見陳述、本人もこれで一歩前に出ることができたという、その動画

 7月22日14時から、東京地裁大法廷で、住まいの権利裁判の10回目の弁論を実施。
この日、原告のAさんが、311後の避難生活の中での生活再建の大変さ、それに対する被告福島県の何も寄り添わない残忍な対応振りを、訥々と訴える意見陳述をした。
以下は、裁判のあとに再度、読み上げたものを録音した動画(意見陳述原稿は>こちら)。



原告A本人は、最初、裁判官の前での意見陳述をものすごく恐れていたと言う。紆余曲折を経て、意見陳述する覚悟を決め、準備をし、本番で話してみて、それが自分にとってどれくらい良かったか、納得がいったか、実際にやってみて初めて分かったという。まさに、彼女も実行してみて、確実に一歩前に出た。
以下は、そのことを語った、裁判直後の報告集会での彼女の発言の動画(UPLAN提供)。

2024年7月25日木曜日

【第156話】ブックレットの最初の勝利:国際人権法の論点が初めて、本格的に審理のまな板に乗った(24.7.24)

 今週、ブックレットわたしたちは見ている」の最初の勝利を経験した。
それはつつましい、だが、長く余韻が続く勝利。
それが、避難者の住まいの権利裁判(>その概要)で、国際人権法の論点が311後初めて、本格的に審理のまな板に乗ったこと。
なぜ、それが可能だったのか。
それを可能にした原動力は何だったのか。
それはひとつには、昨年秋から今年冬にかけて、ブックレットを書いたことにある。
その中で、政策・政治の運動を人権の運動に転換することの必要性、その意義についてあれこれ考えたから。人々は政治に辟易、ウンザリしているけれど、むしろそれだけに一層、個人の尊厳、自己決定をとことん大切にする人権には、依然、情熱を失わない。
そこに焦点を当てて、具体的な問題に立ち向かおうとしたーーその最初の実践が今週の避難者の住まいの権利裁判。
そこで、今週、はやくもひとつの結果(上に述べたもの)が出た。私自身、その結果に正直、驚いている。
そして、なぜ、このような結果が出たのか、その理由を探求する必要がある。そして、この成果をもっと拡張、広げていく必要がある。
以下は、そのための、直後のつぶやきのメモ。

********************************

本日22日14時から、東京地裁の大法廷で、住まいの権利裁判の第10回目の弁論を実施しました。
この裁判、提訴が2022年3月11日、第1回弁論よりより2年が経過、その2年前に先行して福島地裁に提訴された避難者追出し裁判が第1回弁論(2021.5.14)から1年2ヶ月で審理打切りを裁判所が通告したような強引、乱暴な訴訟指揮はしてきませんでした。

しかし、この裁判の肝心のメインテーマ「国際人権法と県知事決定の裁量権の逸脱」について裁判所は、この間、「敬して遠ざける」という態度で全く検討に入らず、他方で、その罪滅ぼしのように、付随的な主張(「復興公営住宅」の避難先での建設のサボタージュ。親族に原告の立退きを求める。プライバシーの侵害)に滅茶苦茶深掘りして争点整理に励むという姿勢でした。
この人間的個性(大きな人権問題から目を背け、小さな人権問題に目を向ける)が色濃く反映した訴訟指揮を正常化させなくてはと、
今年2月に、裁判所に、この裁判から逃げないで、一歩前に出て、積極的な審理をすることを正面から求めるラブレターみたいな以下の書面(準備書面(12))を提出。

 そして、3月の期日にこの書面の要旨(>PDF)を陳述した直後、はからずも裁判長から「原告の言いたいことは理解した積りだ」と前向きに受け止める発言。一瞬、大きな期待を抱かせたものの、しかし具体的な取組みはその次の期日(前回の5月)でも全く変わらず、ガッカリさせてくれました。それで、業を煮やした私は、前回の期日直後の非公開の進行協議の場で、上のメインテーマについて「争点整理案をこちらで作りましょうか」と半ば嫌味、ヤケクソで提案したら、裁判長はニコリと「じゃあ、お願いします」とあっさり振られてしまいました。

しかし、「言うは易き、行い難し」で、そのあと、上のメインテーマについて「争点整理案」を作成しようとしたのですが、ぜんぜんはかどらない。実は、
先行した福島地裁の追出し裁判でも同じく争点整理案をめぐって裁判所と激論になったのですが、そのとき、準備したものが不発で、それ以来、正直、争点整理案に自信を無くしていました・・・そうこうしているうちに、どんどん時間が経ち、〆切が迫る中で、尻に火がついて、以下の文から書面を書き起こしたら、ようやく、自分の悩みが解けました。

率直に言って、本件は争点整理がすこぶる難しい。一筋縄ではいかず、立ち往生しまいそうになる。これは裁判所も争いのないところだと思う。ところで、翻ってなぜ争点整理がかくも困難なのか。それは決して偶然ではない。そこには本件に特有の本質的な法律問題が潜んでいるからである。すなわち、本件の「争点整理の困難性」は本件に特有の本質的な法律問題に由来するものであり、この点の正しい認識から、初めて本件に相応しい争点整理への途が開ける。そこで、ここから本件の争点整理を始めたい。
このように問題を立て、それを追及して行ったら、そこから答えが見えてきました。そのまま引用すると以下です。

本件の争点整理が一筋縄ではいかず、困難なのは本件の紛争が既存の法律体系の枠組みに収まらず、そこから大きくはみ出した紛争だからである。これまでの訴訟で我々が通常おこなって来た争点整理とは、実は当該紛争が既存の法律体系の枠組みに収まるものであることを大前提にして、その上で「既存の法律体系の枠組みの中で要件事実を取り出し、かつそれらを両当事者に分配し、その整理に基いて具体的な紛争事実を当てはめる」ものであった。だとすれば、新たに発生した紛争が既存の法律体系の枠組みに収まらず、そこからはみ出した場合にはもはや上記の争点整理の方法がそのまま使えなくなるのは当然のことであった。その典型が、既存の法律体系が当該紛争を予想しておらず、当該紛争に対して法律から具体的な判断基準が直接引き出せない場合すなわち「法の欠缺」状態が発生した場合である。しかも本件では、この「法の欠缺」状態が全面的、顕著に発生した。

換言すれば、本件で争点整理が一筋縄ではいかず、困難なのは「法の欠缺」状態が発生しているからである。


ここに至った時、私は初めて、「法の欠缺」という問題は法の体系のみならず、裁判手続の全体まで根底から揺るがす一大事件なのだということを思い知らされたのです。つまり、「法の欠缺」問題は実体法ばかりか裁判の手続法まで、その基本問題の枠組みをすべて塗り替えるような一大事件なのだという自覚が必要なことを教えられました。2年前の追出し裁判の時には、まだこの自覚ができなかったため、争点整理も未消化、不発で終わってしまったことに気がつきました。
もともと、裁判のクライマックスは争点整理とそれに基づく証拠調べの2大柱です。
ですが、「法の欠缺」問題がこの2大柱にどう影響し、どう関わるのかについて考えを押し及ぼさなかったため、裁判の中で「法の欠缺」問題を徹底的に論じ、取上げることが出来ませんでした。
しかし、今度は今回、この点(争点整理と「法の欠缺」の関係)の検討ができたので、これを裁判所にもぶつけて、勝負に出ることにした。それが準備書面(17)(>PDF)と以下の争点整理案(>PDF)です。 

いわば、「法の欠缺」が生じている場合の争点整理はいかに実施されるべきかという問題提起とその解決について、ひとつの仮説を提示したのが、この準備書面(17)と争点整理案です。なので、裁判所がこれらの書面をどう受け止めるかによって、この仮説をどう評価したかが分かる。それが本日の弁論だった。

そして、本日の弁論で、裁判長は、被告福島県に、原告作成の争点整理案のブランクの部分(被告の認否・反論とその理由)について書き込むようにと指示を出しました。ひとまず原告の争点整理を承認し、これを前提に争点整理を進めるという態度を表明したのです。

のみならず、前回期日に提出した、311以後の日本政府の原発事故の収拾に関する政策の集大成をした準備書面(14)(>PDF その報告)についても、我々から次の求釈明(>PDF)を出していました。
 

もし、被告において、本書面(準備書面(14))で主張した事実のうち争うものがあるというのであれば、速やかにその部分を明示のうえ否認及びその理由(民訴法規則79条3項)を明らかにされたい。

そしたら、本日の弁論で、「裁判所もこれを知りたいと考えるので、福島県に、次回までに、この点を明らかにするように」と指示しました。
専門的な話になりますが、裁判手続では裁判の主題の判断にとって直接必要な事実については必ず相手に認否・反論をさせますが、裁判の主題の判断にとって背景となる事実についてはとくに認否はしなくてもよいと考えます。今回の準備書面(14)は副題として「本件住宅支援打切りの経緯及び背景事情」と書いているくらいですから、通常なら、相手は認否しなくてもよいとされます。事実、福島県は準備書面(14)を、なんだ、うるさい蝿野郎めくらいにしか考えず、無視、黙殺したのですが、そこに嚙み付いたのが、今回の求釈明書。そこでは、
一般論はともかく、本件の背景事情は一般論とは訳がちがう。それは、
本裁判の主題である法的争点と密接不可分のいわばコインの表と裏の関係にあり、本訴の真相解明に基いて法的争点を的確に下す上でないがしろにできない重要な事実だ、と。しかも、
本書面で述べている事実はいずれも公表もしくは公開された媒体に記載された事実であって、基本的に被告にとっても異論がないものと原告らは理解している。
と追い込んで、だから、もし争うならそれを明らかにしろ、と。しないなら、それは争いがないものとして、今後の審理の基礎にするからな、と。
      ↑
そしたら、裁判所も、この考えに共鳴し、乗ってくれた。
これには福島県の代理人もビックリしたはず。準備書面(14)は311後の国の悪行の限りを尽くした政策が網羅されています。これを認めるのか否かを、否定するならその理由を示せと、まるで踏み絵みたいに明らかにしろと迫られた訳ですから。勘弁してよというのが代理人の心情だと思いますが、裁判長は、福島県に踏み絵を踏ませることにしました。

加えて、新たに予備的に主張を追加した準備書面(18)についても、裁判所から被告に認否反論をするように指示しました。
おまけが、個人情報の公開をめぐる論点で、県の書面に反論した準備書面(16)についても、あれだけ県に嚙み付いた書面を黙ってる訳にはいかないのを分かって、さり気なく、「もし反論があれば次回までにするように」と。 

以上のような裁判所の訴訟指揮を、福島県の代理人は予想していなかったらしく、裁判所の指示に対し、一言も釈明も反論もせず(できなかった)、あっさり手続が済んだ。

結局、今回初めて、裁判所は原告の求める訴訟展開を全て受け入れ、被告にそれに答えるように指示を出しました。
本日は、福島地裁の追出し裁判も含め、この3年間の中で最も充実した期日でした。
というより、311以後の13年間、いつも敗北の連続の中で、今日が、硬直した事態を突破する最も強烈な抵抗の日でした。
それ加えて、本日の原告Aさんの意見陳述がそれを象徴する、聞く者の心に飛び込む、本当に素晴らしいものでした(>意見陳述原稿)。
この間、原告Aさんの担当で、意見陳述の準備をしてきた井戸さんは、本日、新幹線不通のため出廷が適わず、私が井戸さんの代理人になってAさんの陳述を胸に刻んだのですが、返す返す無念だったろうと思います。

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[Che-supportmember:858] 【参考】避難者追出し裁判の最新書面:もし日本版があれば追出し裁判の争点整理は一発で解決

昨日(2024年7月16日)、東京地裁の避難者追出し裁判(通称、原発避難者住まいの権利裁判)で、書面6通を提出しました。
ちょうど今が、この裁判の折り返し点で、双方の主張がほぼ出揃って、主張整理(裁判では争点整理といいます)が煮詰まるとても重要な時点にさしかかっています。
しかし、にもかかわらず、肝心の争点整理がぜんぜん進まない、国際人権法の核心的論点に全く入ろうとしない。ただし、裁判所が決して避難者側を軽んじて、福島県よりの偏向した態度を取っている訳でもありません。そこで、この優柔不断の態度をどう打開したらよいものか、正直なところ、恐らく争点整理をどうしたらよいのか途方に暮れている裁判所と同じくらい、こちらも途方に暮れてしまいました。

そのような途方に暮れる日々の中から、何とか、打開策を探り当てたのが今回の書面です。
その打開の鍵は、チェルノブイリ法日本版でした。正確に言うと、チェルノブイリ法日本版の持つ意義にありました。

ブックレットにも書きましたが、少し専門的ですが、チェルノブイリ法日本版とは311後の原発事故の救済について日本の法体系が何も解決方法を制定していないという、恐るべき「法の穴(欠缺)」状態を穴埋め(補充)する立法的解決のことです。

そこから眺めると、現状は、日本の法体系が何も解決方法を制定していないままです。それなら、私たちは原発事故の救済を一切諦めなければならないのかというと、そうではありません。立法的解決の替わりに司法的解決の途がまだ残されています。先日の旧優生保護法の人権侵害に対し救済した最高裁の判決がそうです。
このような司法的解決をめざしているのが、避難者追出し裁判です。
ですから、この裁判とチェルノブイリ法日本版とは原発事故の真っ当な救済を実現するための両輪の輪です。
そのことを自覚していたので、この裁判の争点整理で行き詰った時、その打開策はチェルノブイリ法日本版にあると直観し、そこから打開の途を見出しました。
そのエッセンスを一言で言うと、
①.まず原発事故の救済についての「法の穴(欠缺)」状態を正しく穴埋め(補充)せよ、
②.その補充された法体系に沿って争点整理を行えば、適切な争点整理が実現される
というものです。

チェルノブイリ法日本版の画期性、視点を意識することによって、現状の様々な問題の本質がクリアになるという貴重な経験をしました。
以下は、その一部始終をつぶやきとして書き残したものです。合わせて昨日提出した争点整理の肝に関する準備書面と争点整理のモデル案を添付します。

住まいの権利裁判で、未知の争点整理に挑戦する書面を提出(直後のつぶやき)

 

【第171話】最高裁にツバを吐かず、花を盛った避難者追出し裁判12.18最高裁要請行動&追加提出した上告の補充書と上告人らのメッセージ、ブックレット「わたしたちは見ている」(24.12.20)

1、これまでの経緯 2011年に福島県の強制避難区域外から東京東雲の国家公務員宿舎に避難した自主避難者ーーその人たちは国際法上「国内避難民」と呼ばれるーーに対して、2020年3月、福島県は彼らに提供した宿舎から出て行けと明渡しを求める裁判を起こした。通称、避難者追出し訴訟。 それ...