今月(1月)23日、予定通り、福島地裁の子ども脱被ばく裁判で、長谷川克己さんの原告本人尋問をおこないました。
(長谷川克己さん)
以下は市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会の皆さんに述べたその感想です。
(感想の追記)
私は学生時代に道を誤って、司法試験の受験勉強に足を踏み入れ、毎年、不合格をくり返した挙句、20代のほぼ全部を牢獄にいるような気分で送る羽目になりました。その非人間的な長いトンネルを抜け出たとき、人間的なものを求めて、パブロ・カザロスが演奏したチェロの曲を初めて(もちろん別人の演奏で)生で聴き、岩波の講演会で作家の大江健三郎の話を生で聞いた。
しかし、今なお、私の脳裏に焼きついているのは、この岩波の講演会で大江と共に講演した鶴見俊輔だった。
この時、鶴見俊輔は、 中国文学者の竹内好のことを取り上げ、こう言った。
竹内の発想は普通の人と全然ちがう。普通だったら、
誰が間違わずに正しく生きたか?
だけを問う(それは明治以来の日本の学校教育の揺るぎない産物だから)。
が、しかし、竹内は、
このようなものから果して歴史を生きる活力が湧いてくるだろうか?
と問い直す。
むしろ、錯綜した現実に直面し、そこで、単純明快な原理から間違わず考えるのではなく、そこでむしろ身もだえしながら考える、考え続けることこそが大切なのではないか、と反論する。
この「身もだえの中で考えること」を「掙扎(そうさつ)」と竹内は呼んだ。「掙扎(そうさつ)」とは別名「あらがい」であり、言い換えれば抵抗ということだ。
当時、この「身もだえの中で考え続ける」という指摘がとても新鮮で、その後、ことあるたびに、この言葉が無意識にやって来て、おい、掙扎(そうさつ)しているか?と呼びかけてきた。
今回、長谷川さんの体験をつぶさに聞かせてもらった時、彼こそ「理不尽な中で、それに屈することなく、掙扎(そうさつ)する人」だと分かった。
だから、彼のような人が、理不尽な現実に対して退きもせず、追従もせず、掙扎(そうさつ)を生きる構えとしてきた魯迅、竹内好、鶴見俊輔の精神を受け継ぐ人だと分かった。
***************
以前、予告しました通り、昨日、福島地裁で子ども脱被ばく裁判の原告の本人尋問をやりました。
普段は原告番号で原告を呼んでいるのですが、法廷内で原告の名前を出しましたので、ここでも出します。郡山から静岡県富士宮市に家族避難した長谷川克己さんです。
◆長谷川さんの動画
【福島のいま】力強く生きたい~自主避難から1年
長谷川さんに初めてお会いしたのは、2012年夏に、文科省前でふくしま集団疎開裁判のアクションをやっていると、そこに来られて熱心に聴いていて、そのうち、岡田さんあたりが、良かったら喋りませんか、と勧めたら自らスピーチされました。
最初、彼を見た瞬間、「あっ、カミュだ」、その風貌がフランスの小説家カミュに似ていたからです。
そしたら、風貌だけでなく、二人を形容詞する言葉も似ていることに気がつきました。カミュは「不条理」、長谷川さんは「理不尽」。
以来、長谷川さんはひそかに「私のカミュ」になりました。
チェルトコフさんの本「チェルノブイリの犯罪」の中で、このカミュの言葉
「犯罪という猛烈な執念に対抗する術として、証言することへの執念のほか、この世に何があるだろうか」
に接した時、何という真実だろ、カミュはこういう言葉を吐く人間なんだ、と鮮烈な印象を受けました。
今回、「証言することへの執念」を私の前で実行してみせたのが、「私のカミュ」長谷川さんでした。
これまで、原発事故関連の裁判で、原告本人尋問のイメージは(それは偏見だと言われるかもしれませんが)、あらたまって新たな主張をするのではなく、既に原告の陳述書の中で述べられてきた事実の中から、再度強調したいと思う点を証言する、というイメージでした。
しかし、そのイメージがぐらつくようなショックを与えられた原告の本人尋問に出会いました。
それが昨年11月13日に、「今でも子どもを安全な場所に避難させたい」と証言したお母さんの姿に接した時でした(その報告と動画は->こちら)。
それは、このお母さんにとって原発事故直後の経験を証言することは、単に、過去のつらい出来事を訴えるというにとどまらない、
それは、今を生きる上で決定的に影響を及ぼす何かについて、必死になって語ろうとしていることに気がつかされたからです。
このお母さんにとって、311直後の経験は9年前の出来事ではなく、今まさに、今を生きる現在進行形の出来事なのだ。
これは一体どうしたことだろう?
なぜ、このようなことになるのだろうか。
それについて突き詰めてみたいという気持ちもあって、(本当は2月、3月の鈴木、山下尋問という天王山を控えているにも関わらず)このお母さんの証言のあと、長谷川さんの尋問の担当をやらせて欲しいと弁護団の中で手を挙げ、了承されました。
そしたら、連絡をした長谷川さんから、今回の証言を自分と家族のこれからの人生の新たなスタートにする積りで取り組みます、と返事がありました。
この間、2回ほどお会いして、カメラを回したまま計8時間ほど、気が向くまま、話が向くまま、思うとおりに語ってもらい、それを文字起しして、証言のシナリオを書き、一緒に手直しをしました。
それが完成したのが一昨日の夜中、福島に向かう電車の中で、完成稿を読み合わせして、本番を迎えました。
添付したのは、そのうち、長谷川さんから許可を得て、皆さんに紹介したものです(なので、転載禁の扱いでお願いします)。
添付した理由は、事前に、ストップウオッチで測定しながら質問-回答を自分で声を出して読み、ちょっと時間オーバーかもだが、これなら何とかやれると踏んだのに、いざ本番では裁判長に「時間を越えてますよ」と注意され、泣く泣く割愛せざるを得ない重要な質問と回答があったからです。
つらい過去を振り返る作業だった打合せを重ねる都度、不思議に元気になっていく長谷川さんを見ていて、
彼にとっても、今を生きるとは、自分にとってかけがいのない過去を反復すること、生涯、忘れようにも忘れられない体験を反復することなんだと気がつきました。
そして、彼が元気を取り戻していくと、よりリアルに事故直後の出来事が思い出され、なおかつ、彼の語る内容がますます精彩をはなっていくのを目の当たりにして、過去をリアルに再現するためには、今を生きる力に満ちていなければできないことにも気がつきました。
翻って、なぜ長谷川さんが、事故直後の過酷な過去を思い出すことによって、今を生きる力を授かったのかを考えさせられました。そして、それはこの時、絶体絶命の事態に直面して彼が死に物狂いで考え、悩み、決断し、行動したその時の生き方が、今なお、現在の自分のエリを正す鏡になっているからではないかと思いました。
だから、彼は、311直後の体験が9年後の今を生きる力の源泉であることを、今回の証言の準備の中で確信したのです。
その体験のひとつが、以前紹介した、3月12日の原発1号機の爆発の時でした。この爆発の映像をくり返し流すTVに、介護施設で勤務中だった長谷川さんが周りの職員に「とうとう、原発が爆発したぞ」と言ったら、相手はこう反応した。
「今それどころじゃないですよ。大変なんですから」
「あっちでトイレ、こっちでメシって、大変なんですから。原発が爆発したなんて、かまってられないすよ」
長谷川さんはこの言葉を聞き、ハッと思った--この人は「大小の区別がつかない」。あっ、ダメだ、これと足並みをそろえていたら、やられるぞ、危ないぞ、と。
9年後の今から振り返っても、このときの反応が過剰だったと思うことはほぼない。むしろ、あのとき、あそこで「危ない」と思わないのはおかしいと思う。それは知識だとか何とかではなくて、動物的勘の問題だ、と。
あとから知った言葉で予防原則、この当時、自分の中で予防原則が働いたんだと思う。それは、とにかく危ないものには近寄るな。危ないか危なくないか迷った時には、危ない方に寄せて物を考える。
ただし、それは別に特別なことでなくて、普段、仕事でも、普段生きていてもそうしている。予防原則を使っている。
それなのに、なんで、こういう大事故の時にだけ、みんな危くない方に寄っていこうとするのか!?と思った。
その違和感が強烈にあって、当時これが集団心理としてみんなの中で、おっかない形で働いているとすぐ分かったので、それに惑わされないようにしようということで、すごく敏感になった。
これに対し、私が彼に投げた質問は、
原発事故のような未曾有の事態に直面した時、恐怖の余り気が動転し、危険はないんだと自ら言い聞かせ、平常心を取り戻そうとした人もいるんじゃないか、それもまた「動物的勘」の1つではないでしょうか。
だとしたら、同じ「動物的勘」でも行動がそこから正反対の方向に分かれてしまう、この差はどこから来ると思います?
でした。
これに対し、彼の答えは--子どもがいたからです。もし子どもがいなかったら、ちがっていたと思います。
ここで私が教えられたことは、
未曾有の事態に直面した時でも予防原則を貫けるかどうかは動物的勘が働くかどうかによる、しかも、それがまちがった勘ではなく、「正しい」動物的勘が働くかどうかは、未来しかない「子どもに対する愛」があるかどうかによる。
そして、予防原則というのはチェルノブイリ法のエッセンスです。だから、ここで長谷川さんが証言したことはすべてチェルノブイリ法に当てはまります。
チェルノブイリ法日本版に至るため必要なのは知識ではなく、動物的勘、そして愛。
今を生きるとは、生涯忘れ得ぬ体験を反復すること、それがチェルノブイリ法日本版に至る道。
また、カミュの「不条理」に似て、長谷川さんの陳述書、意見陳述の原稿に一番登場する言葉は「理不尽」。
「このまま理不尽に屈するわけにはいかない」
「私にとっては理不尽の連続」
「自分の手が届かない時間に対しての責任というものを、私自身が放棄することは絶対にできない」「やはり、『この理不尽の中で屈して、お父さんは引き下がってしまった』ということを子どもたちに見せるわけにはいかないという思いで、今後も頑張ってきたい」
そこから私が思ったことは、
理不尽に屈せず、あらがうこと、そこから導かれるのがチェルノブイリ法日本版。
以上、今なお、原告本人尋問で初めて経験した感動の余燼覚めやらぬ中におります。
以下、長谷川さんの証言で示した証拠の一覧です。
陳述書
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear3/160925HasegawaStatement.doc
意見陳述の原稿
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear3/150623HasegawaOpinion.docx
山下俊一インタビュー記事・チェルノブイリ法日本版の会結成集会の長谷川さんの挨拶その他
山下俊一・鈴木眞一のセカンドオピニン禁止通知
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear3/kouC76YmadhitaSuzukiLetter.jpg
文科省20ミリシーベルト通知
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear3/kouB2Monkasyo20mSv.pdf
Translate
2020年1月28日火曜日
【第36話】感想:福島県民ばかりか全国民が絶滅危惧種。チェルノブイリ法日本版にとって知識は足りてる。足りないのは人間的直感(動物的勘)
以下は、1月23日に福島地裁でおこなわれた子ども脱被ばく裁判の原告長谷川克己さんの本人尋問を前にして、市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会の皆さんに述べた感想です。
(長谷川克己さん)
*************
本年もよろしくお願いいたします。
昨年末から帰省した長男家族のチビどもに振り回される年末年始で、気がついたら米国によるイランの司令官殺害、その報復、その結果、ウクライナ旅客機の墜落、全員死亡という戦争、人災のニュースでした。
正月ボケの頭で「米国、ウクライナ旅客機の墜落はイランによるものという見方」という記事を読み、「えっ、今頃、2014年のウクライナの旅客機墜落の話をしているの?」と思ったほどです。
しかし、この事故は5年前のことではなくて、本当についさきほど墜落した事故だと知り、その3日後に「イラン一転 撃墜認める」という記事を読み、そこに、
反撃に備える厳戒態勢の中で、▽防空システムが巡航ミサイルと誤認し、軍事拠点まで十九キロに迫ると警告▽通信の不具合で操作員が上官と連絡できなかった▽十秒以内で決断しなければならず、独断で発射した。
とあるのを読み、「なに、これ?!、こんな戦争のさなかに、テヘランの空港で民間旅客機を飛ばしていたのか?」と信じられない思いでした。
そしたら、米軍の反撃が想定される中で飛行禁止区域が設定されなかった点について、イランのミサイル責任者が会見で「複数回封鎖を要請したが認められなかった」と述べた、という記事。
なんで予防原則を採用しなかったのか、と、チェルノブイリ法のエッセンスがまたしてもぜんぜん活かされなかった今回の人災の悲劇に腹立たしい思いを抑えられませんでした。
閑話休題。
福島地裁で審理中の子ども脱被ばく裁判、つい先日、次回の原告本人尋問のため、原告の長谷川克己さんと打合せをしました。
そのときの鮮烈な印象は、彼が普段の日常生活の中で思い出すことをしないし、極力、思い出さないようにしていると思われる9年近く前の原発事故直後の出来事を、まるで昨日のことのように鮮明に覚えていて、語ってくれたことでした。
その中の一節--311以後からの1週間の間、いつまた原発が爆発し、今度は大爆発を起こすかもしれない、その時には自分の身体は吹き飛んで、消えてなくなるんじゃないか、だから、朝、家から仕事に出かけるとき、これでもう家族と会えなくなるかもしれないという思いで職場(介護施設)に向かった、職場で人々と別れるときも、死ぬか生きるかという気持ちだったから、もう二度と会えないかもしれないが、命があったら必ずまたどこかで会おうねという気持ちで別れた。
(このとき、福島第一原発は故吉田所長に「2号機の深刻な不具合で、東日本壊滅を覚悟した」と言わしめるほどの大惨事直前まで行ったのでしたが)しかし、同時に彼が抱いた恐怖感は職場では必ずしも共有されず、共有できる人たちはむしろ少数派だった。
このときのことで彼が鮮明に覚えていることは、3月12日の1号機爆発の直後、爆発映像をくり返し流すテレビを見ながら、彼が主任の40歳男性職員に、「とうとう、原発が爆発したぞ」と言ったら、相手がこう言ったことでした。
「今それどころじゃばいですよ。大変なんですから」
確かに、余震が続き、3階建ての施設の2~3階にいた入居者を全員1階に移し、トイレだの食事だの、さながら野戦病院の様相を帯びていた当時だったので、その職員は、
「あっちでトイレ、こっちでメシって、大変なんですから。原発が爆発したなんて、かまってられないすよ」
と言ったのです。
しかし、長谷川さんはこの発言を聞き、ハッと思ったそうです--この人は「大小の区別がつかない」。あっ、ダメだ、これと足並みをそろえていたら、やられるぞ、危ないぞ、と。
ただし、長谷川さんは職場の現場責任者で、職員、入居者を置いて、自分と家族だけ逃げる訳には行かなかったので、「大小の区別をつけよう」と思っても実行できないわが身のジレンマに「なんだ、こりゃあ」と身を裂かれるような思いだった。
でも、「それはあなただけの過剰反応じゃないの?」と私から意地悪く尋ねた時、彼曰く、
「9年後の今から振り返っても、このときの反応が過剰だったと思うことはほぼない。むしろ、あのとき、あそこで「危ない」と思わないのはおかしいと思う。それは知識だとか何とかではなくて(彼はこの当時、安定ヨウ素剤のことも知らず、ヨードチンキと区別もできなかったという程度の人です)、人間的直感(動物的勘」の問題です」
動物的勘?
これについて彼は言う。
あとから知った言葉だけれど、この当時、自分の中で予防原則が働いたんだと思う。それは、とにかく危ないものには近寄るな。危ないか危なくないか迷った時には、危ない方に寄せて物を考える。
それは別に特別なことでも何でもなくて、普段、仕事でも、普段生きていてもそうじゃん。予防原則を使っている。
それなのに、なんで、こういう大事故の時にだけ、みんな危くない方に寄っていこうとするの!?と思った。
その違和感が強烈にあって、当時これが集団心理としてみんなの中で、おっかない形で働いているとすぐ分かったので、それに惑わされないようにしようということで、すごく敏感になった。
‥‥この話を聞かせてもらい、
311直後、福島県の人々は文字通り、絶滅危惧種として生きてきたことを改めて教えられました。
そして、その中にあって、この長谷川さんは、知識ではなく、動物的勘によって311原発事故の危機の中を予防原則で文字通り生きてきた人だと、だから、彼はチェルノブイリ法日本版の化身、生きたチェルノブイリ法日本版だと思いました。
先ごろのイラン危機でも、危険の中にいるにもかかわらず、予防原則が働かず、まんぜんと日常生活の延長線上で、戦争地区で民間航空機を発着させ、貴い生命を犠牲にした事故と同じだと感じました。
それは、知識の問題ではなくて、「危ないものには近寄らない」という動物的勘が働くか働かないかのちがい。
そして、それが働く人にとってチェルノブイリ法日本版は知識なしで、自明の原理原則。
それが働かない、「みんなで渡れば怖くない」というアンダーコントロールにある人はいくら勉強して知識を身につけても決してチェルノブイリ法日本版には辿り着かない、辿り着けない。
そして、長谷川さんがなぜ、これほど動物的直感に突き動かされて、数々の中傷、非難を浴びながらも無謀とも言える避難の行動をやりぬけたのか、その理由を尋ねたとき、彼はこう答えました--子どもがいたからです。もし子どもがいなかったら、ちがっていたと思います。
愛、妻と未来しかない我が子に対する愛、とりわけ、大人とちがい、原発事故に何の責任もない子どもに対する愛が彼の心の奥底から鋭い動物的直感を呼び覚ましたと知りました。
311当時、「みんなで渡れば怖くない」という集団心理にアンダーコントロールされ、貴い動物的勘が働かすことをしなかった多くの福島県民は絶滅危惧種にされた。
のみならず、そのあと「ただちに影響はない」にアンダーコントロールされ、貴い動物的勘を働かすことをしなかった私たち日本国民もまた絶滅危惧種にされている。
そこから抜け出す道は、知識ではなく、予防原則を身をもって行動することだという教えを、今回の打合せの中で、長谷川さんから授かりました。
この彼の証言を来週23日、福島地裁の法廷で行ないます。
(長谷川克己さん)
*************
本年もよろしくお願いいたします。
昨年末から帰省した長男家族のチビどもに振り回される年末年始で、気がついたら米国によるイランの司令官殺害、その報復、その結果、ウクライナ旅客機の墜落、全員死亡という戦争、人災のニュースでした。
正月ボケの頭で「米国、ウクライナ旅客機の墜落はイランによるものという見方」という記事を読み、「えっ、今頃、2014年のウクライナの旅客機墜落の話をしているの?」と思ったほどです。
しかし、この事故は5年前のことではなくて、本当についさきほど墜落した事故だと知り、その3日後に「イラン一転 撃墜認める」という記事を読み、そこに、
反撃に備える厳戒態勢の中で、▽防空システムが巡航ミサイルと誤認し、軍事拠点まで十九キロに迫ると警告▽通信の不具合で操作員が上官と連絡できなかった▽十秒以内で決断しなければならず、独断で発射した。
とあるのを読み、「なに、これ?!、こんな戦争のさなかに、テヘランの空港で民間旅客機を飛ばしていたのか?」と信じられない思いでした。
そしたら、米軍の反撃が想定される中で飛行禁止区域が設定されなかった点について、イランのミサイル責任者が会見で「複数回封鎖を要請したが認められなかった」と述べた、という記事。
なんで予防原則を採用しなかったのか、と、チェルノブイリ法のエッセンスがまたしてもぜんぜん活かされなかった今回の人災の悲劇に腹立たしい思いを抑えられませんでした。
閑話休題。
福島地裁で審理中の子ども脱被ばく裁判、つい先日、次回の原告本人尋問のため、原告の長谷川克己さんと打合せをしました。
そのときの鮮烈な印象は、彼が普段の日常生活の中で思い出すことをしないし、極力、思い出さないようにしていると思われる9年近く前の原発事故直後の出来事を、まるで昨日のことのように鮮明に覚えていて、語ってくれたことでした。
その中の一節--311以後からの1週間の間、いつまた原発が爆発し、今度は大爆発を起こすかもしれない、その時には自分の身体は吹き飛んで、消えてなくなるんじゃないか、だから、朝、家から仕事に出かけるとき、これでもう家族と会えなくなるかもしれないという思いで職場(介護施設)に向かった、職場で人々と別れるときも、死ぬか生きるかという気持ちだったから、もう二度と会えないかもしれないが、命があったら必ずまたどこかで会おうねという気持ちで別れた。
(このとき、福島第一原発は故吉田所長に「2号機の深刻な不具合で、東日本壊滅を覚悟した」と言わしめるほどの大惨事直前まで行ったのでしたが)しかし、同時に彼が抱いた恐怖感は職場では必ずしも共有されず、共有できる人たちはむしろ少数派だった。
このときのことで彼が鮮明に覚えていることは、3月12日の1号機爆発の直後、爆発映像をくり返し流すテレビを見ながら、彼が主任の40歳男性職員に、「とうとう、原発が爆発したぞ」と言ったら、相手がこう言ったことでした。
「今それどころじゃばいですよ。大変なんですから」
確かに、余震が続き、3階建ての施設の2~3階にいた入居者を全員1階に移し、トイレだの食事だの、さながら野戦病院の様相を帯びていた当時だったので、その職員は、
「あっちでトイレ、こっちでメシって、大変なんですから。原発が爆発したなんて、かまってられないすよ」
と言ったのです。
しかし、長谷川さんはこの発言を聞き、ハッと思ったそうです--この人は「大小の区別がつかない」。あっ、ダメだ、これと足並みをそろえていたら、やられるぞ、危ないぞ、と。
ただし、長谷川さんは職場の現場責任者で、職員、入居者を置いて、自分と家族だけ逃げる訳には行かなかったので、「大小の区別をつけよう」と思っても実行できないわが身のジレンマに「なんだ、こりゃあ」と身を裂かれるような思いだった。
でも、「それはあなただけの過剰反応じゃないの?」と私から意地悪く尋ねた時、彼曰く、
「9年後の今から振り返っても、このときの反応が過剰だったと思うことはほぼない。むしろ、あのとき、あそこで「危ない」と思わないのはおかしいと思う。それは知識だとか何とかではなくて(彼はこの当時、安定ヨウ素剤のことも知らず、ヨードチンキと区別もできなかったという程度の人です)、人間的直感(動物的勘」の問題です」
動物的勘?
これについて彼は言う。
あとから知った言葉だけれど、この当時、自分の中で予防原則が働いたんだと思う。それは、とにかく危ないものには近寄るな。危ないか危なくないか迷った時には、危ない方に寄せて物を考える。
それは別に特別なことでも何でもなくて、普段、仕事でも、普段生きていてもそうじゃん。予防原則を使っている。
それなのに、なんで、こういう大事故の時にだけ、みんな危くない方に寄っていこうとするの!?と思った。
その違和感が強烈にあって、当時これが集団心理としてみんなの中で、おっかない形で働いているとすぐ分かったので、それに惑わされないようにしようということで、すごく敏感になった。
‥‥この話を聞かせてもらい、
311直後、福島県の人々は文字通り、絶滅危惧種として生きてきたことを改めて教えられました。
そして、その中にあって、この長谷川さんは、知識ではなく、動物的勘によって311原発事故の危機の中を予防原則で文字通り生きてきた人だと、だから、彼はチェルノブイリ法日本版の化身、生きたチェルノブイリ法日本版だと思いました。
先ごろのイラン危機でも、危険の中にいるにもかかわらず、予防原則が働かず、まんぜんと日常生活の延長線上で、戦争地区で民間航空機を発着させ、貴い生命を犠牲にした事故と同じだと感じました。
それは、知識の問題ではなくて、「危ないものには近寄らない」という動物的勘が働くか働かないかのちがい。
そして、それが働く人にとってチェルノブイリ法日本版は知識なしで、自明の原理原則。
それが働かない、「みんなで渡れば怖くない」というアンダーコントロールにある人はいくら勉強して知識を身につけても決してチェルノブイリ法日本版には辿り着かない、辿り着けない。
そして、長谷川さんがなぜ、これほど動物的直感に突き動かされて、数々の中傷、非難を浴びながらも無謀とも言える避難の行動をやりぬけたのか、その理由を尋ねたとき、彼はこう答えました--子どもがいたからです。もし子どもがいなかったら、ちがっていたと思います。
愛、妻と未来しかない我が子に対する愛、とりわけ、大人とちがい、原発事故に何の責任もない子どもに対する愛が彼の心の奥底から鋭い動物的直感を呼び覚ましたと知りました。
311当時、「みんなで渡れば怖くない」という集団心理にアンダーコントロールされ、貴い動物的勘が働かすことをしなかった多くの福島県民は絶滅危惧種にされた。
のみならず、そのあと「ただちに影響はない」にアンダーコントロールされ、貴い動物的勘を働かすことをしなかった私たち日本国民もまた絶滅危惧種にされている。
そこから抜け出す道は、知識ではなく、予防原則を身をもって行動することだという教えを、今回の打合せの中で、長谷川さんから授かりました。
この彼の証言を来週23日、福島地裁の法廷で行ないます。
2019年11月20日水曜日
【第35話】私にとってチェルノブイリ法日本版(3):「被ばく者の、被ばく者による、被ばく者のための復興」、これをカタチにしたもの(2019.11.20)
◎【第18話】私にとってチェルノブイリ法日本版:「原発事故のカナリア」(2019.8.6)
◎【第32話】私にとってチェルノブイリ法日本版(2):「苦悩という避難場所」から抜け出し、「現実の避難場所」に向かう道(2019.11.17) の続き
チェルノブイリ法日本版ってなに?
それは、
「被ばく者の、被ばく者による、被ばく者のための復興」、これをカタチにしたもの。
◎【第32話】私にとってチェルノブイリ法日本版(2):「苦悩という避難場所」から抜け出し、「現実の避難場所」に向かう道(2019.11.17) の続き
チェルノブイリ法日本版ってなに?
それは、
「被ばく者の、被ばく者による、被ばく者のための復興」、これをカタチにしたもの。
復興 わたしを被ばくにさらさないで
わたしは放射能で被ばくした者。
それはまだ終わっていない。
人々をマインドコントロールできたとしても、放射能をマインドコントロールすることはできない。
被ばくした者の切なる願い
--被ばくから復興したい。
だから
わたしを被ばくにさらさないで。
それは
わたしは放射能で命を失いたくない。子どもの命を失いたくない。
わたしは放射能から命を守りたい。子どもの命を守りたい。
わたしは放射能で健康を失いたくない。子どもの健康を失いたくない。
わたしは放射能から健康を守りたい。子どもの健康を守りたい。
わたしは放射能で暮らしを失いたくない。子どもの暮らしを失いたくない。
わたしは放射能から暮らしを守りたい。子どもの暮らしを守りたい。
そして、
わたしは放射能で尊厳を失いたくない。子どもの尊厳を失いたくない。
わたしは放射能から人としての尊厳を守りたい。子どもの尊厳を守りたい。
わたしたちは放射能から復興したい。
それは
放射能から私たちの命、健康、暮らし、尊厳を守ること。
命の復興
健康の復興
暮らしの復興
尊厳の復興
これが復興の原点。
「被ばく者の、被ばく者による、被ばく者のための復興」
それがここから始まる。
これは
子どもたちの叫び。
子どもたちの命令。
その叫びをカタチにしたのがチェルノブイリ法日本版(※)。
だから、チェルノブイリ法日本版は子どもたちの叫び。
その命令をカタチにしたのがチェルノブイリ法日本版。
だから、チェルノブイリ法日本版は子どもたちの命令。
子どもはガマンしない。
私もガマンしない。
ここに私の尊厳はある。
子どもたちはガマンしない。
私たちもガマンしない。
ここに私たちの尊厳はある。
それはまだ終わっていない。
人々をマインドコントロールできたとしても、放射能をマインドコントロールすることはできない。
被ばくした者の切なる願い
--被ばくから復興したい。
だから
わたしを被ばくにさらさないで。
それは
わたしは放射能で命を失いたくない。子どもの命を失いたくない。
わたしは放射能から命を守りたい。子どもの命を守りたい。
わたしは放射能で健康を失いたくない。子どもの健康を失いたくない。
わたしは放射能から健康を守りたい。子どもの健康を守りたい。
わたしは放射能で暮らしを失いたくない。子どもの暮らしを失いたくない。
わたしは放射能から暮らしを守りたい。子どもの暮らしを守りたい。
そして、
わたしは放射能で尊厳を失いたくない。子どもの尊厳を失いたくない。
わたしは放射能から人としての尊厳を守りたい。子どもの尊厳を守りたい。
わたしたちは放射能から復興したい。
それは
放射能から私たちの命、健康、暮らし、尊厳を守ること。
命の復興
健康の復興
暮らしの復興
尊厳の復興
これが復興の原点。
「被ばく者の、被ばく者による、被ばく者のための復興」
それがここから始まる。
これは
子どもたちの叫び。
子どもたちの命令。
その叫びをカタチにしたのがチェルノブイリ法日本版(※)。
だから、チェルノブイリ法日本版は子どもたちの叫び。
その命令をカタチにしたのがチェルノブイリ法日本版。
だから、チェルノブイリ法日本版は子どもたちの命令。
子どもはガマンしない。
私もガマンしない。
ここに私の尊厳はある。
子どもたちはガマンしない。
私たちもガマンしない。
ここに私たちの尊厳はある。
(※)参考:【チェルノブイリ法日本版】伊勢市条例(柳原案)
2019年11月18日月曜日
【第34話】再挑戦:2020年3月、三重県伊勢市で、「チェルノブイリ法日本版」条例の制定をめざす直接請求に2度目のチャレンジ(2019.11.17)
昨夜、市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会の共同代表で、三重県伊勢市の保養団体「ふくしまいせしまの会」の代表の上野正美さんから、来春3月に、伊勢市で、「チェルノブイリ法日本版」条例の制定をめざす直接請求に再度、チャレンジしますと連絡があった。
本日、もう少し詳細を聞き、とりあえず、速報としてブログにアップ。
先週、福島地裁の「子ども脱被ばく裁判」で証言した原告のようなお母さんが日本社会を変えると思った(その詳細は->こちら)が、
昨夜、上野さんの話を聞き、今の日本政治・日本社会の三無主義(無気力、無関心・無責任)から脱却し、新三無主義(無理、無謀、無鉄砲)を掲げ、我が信念を貫こうとする上野さんたちの市民グループのような人たちが日本社会を変えるんだ、いや、もう変えていると思った。
【速報:再挑戦】2020年3月、三重県伊勢市で、「チェルノブイリ法日本版」条例の制定をめざす直接請求に2度目のチャレンジ(2019.11.17)
今年7月31日から、三重県伊勢市で、保養団体「ふくしまいせしまの会」の代表上野正美さんたちが、「チェルノブイリ法日本版」条例(正式名称「原発事故を伴う放射能災害から伊勢市民を守るための条例」)の制定をめざす直接請求の署名活動をスタートしました。
結果的には、署名は直接請求に必要な数に達しませんでした(このときの詳細は->こちら)。
そこで、潔く諦めるのではなく、捲土重来を期して、来年3月2日から、再び、この条例の制定をめざす直接請求の署名活動を行なおうと、 7月の直接請求の市民グループの報告会&反省会で話合った結果、決定しました。
再挑戦する直接請求の 請求代表者は、7月と同じく、以下の3名の市民です。
荒川圭子さん 郡山市からの自主避難者
濱口 弘さん はまぐちギフト
上野正美さん 「ふくしまいせしまの会」代表
今後百年生き永らえたとしても決して体験できないような311原発事故の体験に立ち返り、そこから再び決意を新たにし、日々、知恵と創意と工夫をこらして、今度こそ必ず、目標の署名を集め、山上憶良に負けないくらい、子どもらを思う伊勢市民の、チェルノブイリ法日本版条例に寄せる願いと民意を市議会に届ける決意です。
まずは、決起集会を以下の日程・場所で開くことを決めました(詳細は追って)。
子どもらを思う皆さん、一緒に力を合わせて子どもらを守りましょう。
◆日時: 2020年2月15日(土)
◆場所: いせシティープラザ 1階ホール(※)
〒516-0037 三重県伊勢市岩渕1丁目2−29
電話番号 0596-24-2751
◆参加者: 柳原敏夫(市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会・共同代表)
ほか
(※) いせシティ-プラザは、いせ市民活動センターの中にあります。
取り急ぎ、速報でした。
本日、もう少し詳細を聞き、とりあえず、速報としてブログにアップ。
先週、福島地裁の「子ども脱被ばく裁判」で証言した原告のようなお母さんが日本社会を変えると思った(その詳細は->こちら)が、
昨夜、上野さんの話を聞き、今の日本政治・日本社会の三無主義(無気力、無関心・無責任)から脱却し、新三無主義(無理、無謀、無鉄砲)を掲げ、我が信念を貫こうとする上野さんたちの市民グループのような人たちが日本社会を変えるんだ、いや、もう変えていると思った。
【速報:再挑戦】2020年3月、三重県伊勢市で、「チェルノブイリ法日本版」条例の制定をめざす直接請求に2度目のチャレンジ(2019.11.17)
子らを思へる歌
瓜食めば子ども思ほゆ
栗食めばまして偲はゆ
いづくより来りしものそ
目交に もとな懸りて
安眠し寝さぬ
【反歌】
銀も金も玉も 何せむに
優れる宝 子に及かめやも
山上憶良「万葉集」巻5
****************今年7月31日から、三重県伊勢市で、保養団体「ふくしまいせしまの会」の代表上野正美さんたちが、「チェルノブイリ法日本版」条例(正式名称「原発事故を伴う放射能災害から伊勢市民を守るための条例」)の制定をめざす直接請求の署名活動をスタートしました。
連日16~17時に伊勢市駅前の一般向けの署名集めを報道する記事(中日新聞8月1日)
結果的には、署名は直接請求に必要な数に達しませんでした(このときの詳細は->こちら)。
そこで、潔く諦めるのではなく、捲土重来を期して、来年3月2日から、再び、この条例の制定をめざす直接請求の署名活動を行なおうと、 7月の直接請求の市民グループの報告会&反省会で話合った結果、決定しました。
再挑戦する直接請求の 請求代表者は、7月と同じく、以下の3名の市民です。
荒川圭子さん 郡山市からの自主避難者
濱口 弘さん はまぐちギフト
上野正美さん 「ふくしまいせしまの会」代表
今後百年生き永らえたとしても決して体験できないような311原発事故の体験に立ち返り、そこから再び決意を新たにし、日々、知恵と創意と工夫をこらして、今度こそ必ず、目標の署名を集め、山上憶良に負けないくらい、子どもらを思う伊勢市民の、チェルノブイリ法日本版条例に寄せる願いと民意を市議会に届ける決意です。
まずは、決起集会を以下の日程・場所で開くことを決めました(詳細は追って)。
子どもらを思う皆さん、一緒に力を合わせて子どもらを守りましょう。
◆日時: 2020年2月15日(土)
◆場所: いせシティープラザ 1階ホール(※)
〒516-0037 三重県伊勢市岩渕1丁目2−29
電話番号 0596-24-2751
◆参加者: 柳原敏夫(市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会・共同代表)
ほか
(※) いせシティ-プラザは、いせ市民活動センターの中にあります。
取り急ぎ、速報でした。
2019年11月17日日曜日
【第33話】お知らせ:12月22日(日)市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会「なかったことにはさせない!--福島原発事故の人権侵害」(港区リーブラ)
新しい段階に入った市民立法「チェルノブイリ法日本版」の学習会、ホップ、ステップ、ジャンプの二歩目(ステップ)のお知らせ。
2019年10月11月の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会を、東京都調布市と福島県郡山市でやりました。
調布市(10月26日。詳細->こちら) 郡山市(11月2日。詳細->こちら)
この2つの学習会は、それまでの学習会のメインテーマ、
--なぜ今、チェルノブイリ法日本版なの?
--どうやって、チェルノブイリ法日本版を実現するの?
という入り口の総論の話から、次の段階に進み、
チェルノブイリ法日本版条例の中身について、
--その条例は誰が、何のために、誰のために作るの?
--どんな内容なの?キーワードと言われる予防原則とどんな関係があるの?
という各論のテーマについての話を試みたものでした。
まだ暗中模索の域を出ない試みとしか言えないものですが、参加した皆さんのリアクションから、この試みがとても大切なもの、必要なものだと確信しました。
そこで、その続きを、来月12月22日(日)13時半から、東京港区の「リーブラ」1階和室大広間(以下の地図等を参照)で行ないます。
10月、11月の学習会のプレゼン資料とレジメを、末尾に転載しました。
皆さんのご参加をお待ちしています。
柳原の話 13 時半~15時
質問タイム 15時~15時半
交流会 15時45分~16時半
◆ 参加費 無料
ただし、会場準備の都合上、参加希望の方は090-8494-3856(岡田)までご一報頂くようお願いします。
◆ 主催:脱被ばく実現ネット(旧ふくしま集団疎開裁判の会)
問い合わせ先 090-8494-3856(岡田)
◆◆ 10月・11月の学習会の資料
2019年10月11月の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会を、東京都調布市と福島県郡山市でやりました。
調布市(10月26日。詳細->こちら) 郡山市(11月2日。詳細->こちら)
この2つの学習会は、それまでの学習会のメインテーマ、
--なぜ今、チェルノブイリ法日本版なの?
--どうやって、チェルノブイリ法日本版を実現するの?
という入り口の総論の話から、次の段階に進み、
チェルノブイリ法日本版条例の中身について、
--その条例は誰が、何のために、誰のために作るの?
--どんな内容なの?キーワードと言われる予防原則とどんな関係があるの?
という各論のテーマについての話を試みたものでした。
まだ暗中模索の域を出ない試みとしか言えないものですが、参加した皆さんのリアクションから、この試みがとても大切なもの、必要なものだと確信しました。
そこで、その続きを、来月12月22日(日)13時半から、東京港区の「リーブラ」1階和室大広間(以下の地図等を参照)で行ないます。
10月、11月の学習会のプレゼン資料とレジメを、末尾に転載しました。
皆さんのご参加をお待ちしています。
◆ 日時:2019年12月22日(日) 13:30~ (開場13:00)
◆ 会場:港区立男女平等参画センター「リーブラ」(公式サイト) 1階 和室大広間(以下の赤丸の部屋)
〒105-0023
東京都港区芝浦1-16-1 みなとパーク芝浦
TEL:03-3456-4149 ->地図)
アクセス JR田町駅東口 徒歩5分
都営地下鉄三田駅 A6出口 徒歩6分
◆ 会場:港区立男女平等参画センター「リーブラ」(公式サイト) 1階 和室大広間(以下の赤丸の部屋)
〒105-0023
東京都港区芝浦1-16-1 みなとパーク芝浦
TEL:03-3456-4149 ->地図)
アクセス JR田町駅東口 徒歩5分
都営地下鉄三田駅 A6出口 徒歩6分
◆ 演題: 市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会
チェルノブイリ法日本版条例案の中身について
チェルノブイリ法日本版条例案の中身について
――願い・夢をカタチにするまでのプロセス――
◆ 講師:柳原敏夫(市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会・共同代表)
◆ スケジュール
◆ 講師:柳原敏夫(市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会・共同代表)
柳原の話 13 時半~15時
質問タイム 15時~15時半
交流会 15時45分~16時半
◆ 参加費 無料
ただし、会場準備の都合上、参加希望の方は090-8494-3856(岡田)までご一報頂くようお願いします。
◆ 主催:脱被ばく実現ネット(旧ふくしま集団疎開裁判の会)
問い合わせ先 090-8494-3856(岡田)
◆◆ 10月・11月の学習会の資料
◆10月のプレゼン資料(全文のPDFは->こちら)
1、いかにして原発事故と向き合うか:知行合一が持続可能な対面を可能にする
私たちは放射能を忘れたがっている、たとえ放射能災害の正しい事実(※)を知ったからといっても。否、その時のほうがむしろ忘れたいと思う気持が一層強まる可能性がある。それほど、放射能災害はこれまで人類が経験したことのない耐え難いほど過酷な現実を私たちに突きつけるものだから。
(※)例えば、
・「時計はもとには戻せない。私たちは汚染された世界に生きるしかない」(小出裕章)。
・「核反応という、天体においてのみ存在し、地上の自然の中には実質上存在しなかった自然現象を、地上で利用することの意味は‥‥深刻である。あらゆる生命にとって、放射能は地上の生命の営みの原理を撹乱する異物である。私たちの地上の世界は、生物界も含めて基本的に化学物質の結合と分解といった化学過程の範囲で成り立っている‥‥核文明は、そのような破壊の一瞬を、いつも時限爆弾のように、その胎内に宿しながら存在している。この危機は明らかにこれまでのものとまったく異質のものではないだろうか。」(高木仁三郎 1968年)(以上、ともに「終わりなき危機」より)。
・「チェルノブイリ事故は大惨事ではない、そこでは過去の経験はまったく役に立たない、チェルノブイリ後、私たちが住んでいるのは別の世界です。前の世界はなくなりました。でも、人々はそのことを考えたがらない。不意打ちを食らったからです‥‥何かが起きた。でも私たちはそのことを考える方法も、よく似た出来事も、体験も持たない。私たちの視力、聴力もそれについていけない。私たちの言葉(語彙)ですら役に立たない。私たちの内なる器官すべて、そのどれも不可能。チェルノブイリを理解するためには、人は自分自身の枠から出なくてはなりません。感覚の新しい歴史が始まったのです。」(スベトラーナ・アレクシエービッチ「チェルノブイリの祈り」31頁)。
私たちの、放射能を忘れたがる気持に打ち勝つことはもはや不可能だろうか。否、依然、可能である。
では、この忘れたい気持に打ち勝つ力は一体どこから来るか――それは、放射能災害の正しい認識と正しい救済とが一体になった時。知と行が合一した時、放射能災害のむごい現実を徹底して否定する力が生まれ、正しい救済に向かって行動できる。それが市民立法「チェルノブイリ法日本版」のアクション。
2、チェルノブイリ法とは
一応、汚染地域の住民・子どもと事故処理作業者に対し、
追加被ばく線量年間1mSvを基準に、移住・保養・医療検診等を保障。1~5mSvの地域は移住の権利が与えられ、移住先での雇用と住居を提供、引越し費用や失う財産の補償、移住を選択しなかった住民にも非汚染食料の配給、無料検診、薬の無料化、一定期間の非汚染地への「継続的保養」等を保障。
3、チェルノブイリ法を眺めるにはどんなメガネが必要か
しかし、本当のところ、これを読むだけではチェルノブイリ法とは何か分からない。
(1)、そのためには、最低3つのメガネが要る。
1つ目は、真実の光を放つメガネ。換言すれば、真実を畏れよというメガネ。
2つ目は、理念の光を放つメガネ。換言すれば、正義を愛せよというメガネ。
3つ目は、生々流転の光を放つメガネ。換言すれば、常に生成途上のものとして眺めるメガネ。
(2)、法律は文字面、字面でその意味、評価が自動的に決まるものではなく、それをどう読解するかによって初めて決まる。読解の仕方如何で如何様にも意味が変わる(※)。そこで、読解を導く手がかり[TY1]が必要となる。
(※)その典型が憲法9条。「兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたない」(文科省読本)積りで制定されたのに、いつの間に世界有数の軍隊である自衛隊が憲法9条の下でも存在。
(3)、真実の光を放つメガネ
ここでいう「真実」とはカントの「視差」(※)を具体化したもの。具体的には、福島県の「県民健康調査」の甲状腺検査の真実。
(※)「さきに、私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した。今私は自分を自分のではない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もひそかな動機もろとも、他人の視点から考察する。
両者の考察の比較は確かに強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段である。」(カント「視霊者の夢」)
(4)、理念の光を放つメガネ
子ども脱被ばく裁判の理念――原発事故において、子どもは、無用な被ばくを1ベクレルといえども甘受すべき理由も必要もない。
cf. 「有用さ」を振りかざす通常運転や医療における被ばくとは違う。
↓
この理念のメガネから眺めると「追加被ばく線量年間1mSvを基準に」は妥協の産物以外の何物でもない。
それゆえ、この法は原発事故による被ばくから命、健康を守るため最低限のセイフティネットという位置づけ
→引き続き、「無用な被ばくをさせない」という理念に照らし、より完全なもに改正していく。
(5)、生々流転の光を放つメガネ
法律は固定的にその意味、評価が決まるものではなく、あくまでも現時点でのルールにとどまり、状況の変化に応じて、絶えず変化発展するもの(※1)(※2)。
(※1)憲法9条が典型。本来、平和は世界平和の実現抜きにはあり得ないが、この点、9条は一国平和にとどまる。そのため、常にその限界、無力さを非難される。しかし、9条を生々流転の中に置いた時、9条は世界平和に向けて最初の一歩を踏み出した「世界平和への生成途上のもの」と新たな意義が与えられる。
(※2)世界史の人権の歴史もまた生々流転の中にある。 しかもそれは「前進と後退のくり返し」である。
18世紀2つの市民革命中の近代憲法 → 19世紀近代憲法 → 20世紀2つの世界戦争の後の現代憲法
1991年チェルノブイリ法 → 2007年ICRP勧告 → ?年チェルノブイリ法日本版
4、これらのメガネをかけて視えてくるチェルノブイリ法(日本版)「避難の権利」の保障を中心に制定。しかし、それだけでは不十分。何がどう不十分かも判明。
◆ 10月のレジメ(PDFは->こちら)
**************
市民立法「チェルノブイリ法日本版」実現のため、世界への接近の仕方(その2)
2019年10月26日1、いかにして原発事故と向き合うか:知行合一が持続可能な対面を可能にする
私たちは放射能を忘れたがっている、たとえ放射能災害の正しい事実(※)を知ったからといっても。否、その時のほうがむしろ忘れたいと思う気持が一層強まる可能性がある。それほど、放射能災害はこれまで人類が経験したことのない耐え難いほど過酷な現実を私たちに突きつけるものだから。
(※)例えば、
・「時計はもとには戻せない。私たちは汚染された世界に生きるしかない」(小出裕章)。
・「核反応という、天体においてのみ存在し、地上の自然の中には実質上存在しなかった自然現象を、地上で利用することの意味は‥‥深刻である。あらゆる生命にとって、放射能は地上の生命の営みの原理を撹乱する異物である。私たちの地上の世界は、生物界も含めて基本的に化学物質の結合と分解といった化学過程の範囲で成り立っている‥‥核文明は、そのような破壊の一瞬を、いつも時限爆弾のように、その胎内に宿しながら存在している。この危機は明らかにこれまでのものとまったく異質のものではないだろうか。」(高木仁三郎 1968年)(以上、ともに「終わりなき危機」より)。
・「チェルノブイリ事故は大惨事ではない、そこでは過去の経験はまったく役に立たない、チェルノブイリ後、私たちが住んでいるのは別の世界です。前の世界はなくなりました。でも、人々はそのことを考えたがらない。不意打ちを食らったからです‥‥何かが起きた。でも私たちはそのことを考える方法も、よく似た出来事も、体験も持たない。私たちの視力、聴力もそれについていけない。私たちの言葉(語彙)ですら役に立たない。私たちの内なる器官すべて、そのどれも不可能。チェルノブイリを理解するためには、人は自分自身の枠から出なくてはなりません。感覚の新しい歴史が始まったのです。」(スベトラーナ・アレクシエービッチ「チェルノブイリの祈り」31頁)。
私たちの、放射能を忘れたがる気持に打ち勝つことはもはや不可能だろうか。否、依然、可能である。
では、この忘れたい気持に打ち勝つ力は一体どこから来るか――それは、放射能災害の正しい認識と正しい救済とが一体になった時。知と行が合一した時、放射能災害のむごい現実を徹底して否定する力が生まれ、正しい救済に向かって行動できる。それが市民立法「チェルノブイリ法日本版」のアクション。
2、チェルノブイリ法とは
一応、汚染地域の住民・子どもと事故処理作業者に対し、
追加被ばく線量年間1mSvを基準に、移住・保養・医療検診等を保障。1~5mSvの地域は移住の権利が与えられ、移住先での雇用と住居を提供、引越し費用や失う財産の補償、移住を選択しなかった住民にも非汚染食料の配給、無料検診、薬の無料化、一定期間の非汚染地への「継続的保養」等を保障。
3、チェルノブイリ法を眺めるにはどんなメガネが必要か
しかし、本当のところ、これを読むだけではチェルノブイリ法とは何か分からない。
(1)、そのためには、最低3つのメガネが要る。
1つ目は、真実の光を放つメガネ。換言すれば、真実を畏れよというメガネ。
2つ目は、理念の光を放つメガネ。換言すれば、正義を愛せよというメガネ。
3つ目は、生々流転の光を放つメガネ。換言すれば、常に生成途上のものとして眺めるメガネ。
(2)、法律は文字面、字面でその意味、評価が自動的に決まるものではなく、それをどう読解するかによって初めて決まる。読解の仕方如何で如何様にも意味が変わる(※)。そこで、読解を導く手がかり[TY1]が必要となる。
(※)その典型が憲法9条。「兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたない」(文科省読本)積りで制定されたのに、いつの間に世界有数の軍隊である自衛隊が憲法9条の下でも存在。
(3)、真実の光を放つメガネ
ここでいう「真実」とはカントの「視差」(※)を具体化したもの。具体的には、福島県の「県民健康調査」の甲状腺検査の真実。
(※)「さきに、私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した。今私は自分を自分のではない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もひそかな動機もろとも、他人の視点から考察する。
両者の考察の比較は確かに強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段である。」(カント「視霊者の夢」)
(4)、理念の光を放つメガネ
子ども脱被ばく裁判の理念――原発事故において、子どもは、無用な被ばくを1ベクレルといえども甘受すべき理由も必要もない。
cf. 「有用さ」を振りかざす通常運転や医療における被ばくとは違う。
↓
この理念のメガネから眺めると「追加被ばく線量年間1mSvを基準に」は妥協の産物以外の何物でもない。
それゆえ、この法は原発事故による被ばくから命、健康を守るため最低限のセイフティネットという位置づけ
→引き続き、「無用な被ばくをさせない」という理念に照らし、より完全なもに改正していく。
(5)、生々流転の光を放つメガネ
法律は固定的にその意味、評価が決まるものではなく、あくまでも現時点でのルールにとどまり、状況の変化に応じて、絶えず変化発展するもの(※1)(※2)。
(※1)憲法9条が典型。本来、平和は世界平和の実現抜きにはあり得ないが、この点、9条は一国平和にとどまる。そのため、常にその限界、無力さを非難される。しかし、9条を生々流転の中に置いた時、9条は世界平和に向けて最初の一歩を踏み出した「世界平和への生成途上のもの」と新たな意義が与えられる。
(※2)世界史の人権の歴史もまた生々流転の中にある。 しかもそれは「前進と後退のくり返し」である。
18世紀2つの市民革命中の近代憲法 → 19世紀近代憲法 → 20世紀2つの世界戦争の後の現代憲法
1991年チェルノブイリ法 → 2007年ICRP勧告 → ?年チェルノブイリ法日本版
4、これらのメガネをかけて視えてくるチェルノブイリ法(日本版)「避難の権利」の保障を中心に制定。しかし、それだけでは不十分。何がどう不十分かも判明。
【第32話】私にとってチェルノブイリ法日本版(2):「苦悩という避難場所」から抜け出し、「現実の避難場所」に向かう道(2019.11.17)
◎【第18話】私にとってチェルノブイリ法日本版:「原発事故のカナリア」(2019.8.6)の続き
◎【第35話】私にとってチェルノブイリ法日本版(3):「被ばく者の、被ばく者による、被ばく者のための復興」、これをカタチにしたもの(2019.11.20)
チェルノブイリ法日本版ってなに?
それは、
「苦悩という避難場所」から抜け出し、「現実の避難場所」に向かう道。
2015年にノーベル文学賞を受賞したベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシエービッチは、チェルノブイリ事故について、こう自問自答している。
《人々はチェルノブイリのことは誰もが忘れたがっています。最初は、チェルノブイリに勝つことができると思われていた。ところが、それが無意味な試みだと分かると、今度は口を閉ざしてしまったのです。自分たちが知らないもの、人類が知らないものから身を守ることは難しい。チェルノブイリは、私たちを、それまでの時代から別の時代へ連れていってしまったのです。その結果、私たちの目の前にあるのは、誰にとっても新しい現実です。‥‥
--ベラルーシの歴史は苦悩の歴史です。苦悩は私たちの避難場所です。信仰です。私たちは苦悩の催眠術にかかっている。‥‥
--何度もこんな気がしました。これは未来のことを書き記している‥‥》(「チェルノブイリの祈り」見落とされた歴史について--自分自身へのインタビュー 岩波現代文庫版32~33頁)
ウィキペディア(Wikipedia)より
アレクシエービッチは、原発事故という未曾有の現実を前にして、これが過去の災害の延長ではなく、「誰にとっても新しい現実」であるという正しい認識を記す。
しかし、彼女は、そこで、この「新しい現実」を前にして、人々が苦悩し、その中で、「苦悩が私たちの避難場所」になってしまったこと、人々が「苦悩の催眠術にかかって」しまったことを告げる。
そこでは、人々は「誰にとっても新しい現実」にいるという「認識の目覚め(脱出)」があるものの、他方で、「苦悩という避難場所」の中にとどまるものだった。
◎【第35話】私にとってチェルノブイリ法日本版(3):「被ばく者の、被ばく者による、被ばく者のための復興」、これをカタチにしたもの(2019.11.20)
チェルノブイリ法日本版ってなに?
それは、
「苦悩という避難場所」から抜け出し、「現実の避難場所」に向かう道。
2015年にノーベル文学賞を受賞したベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシエービッチは、チェルノブイリ事故について、こう自問自答している。
《人々はチェルノブイリのことは誰もが忘れたがっています。最初は、チェルノブイリに勝つことができると思われていた。ところが、それが無意味な試みだと分かると、今度は口を閉ざしてしまったのです。自分たちが知らないもの、人類が知らないものから身を守ることは難しい。チェルノブイリは、私たちを、それまでの時代から別の時代へ連れていってしまったのです。その結果、私たちの目の前にあるのは、誰にとっても新しい現実です。‥‥
--ベラルーシの歴史は苦悩の歴史です。苦悩は私たちの避難場所です。信仰です。私たちは苦悩の催眠術にかかっている。‥‥
--何度もこんな気がしました。これは未来のことを書き記している‥‥》(「チェルノブイリの祈り」見落とされた歴史について--自分自身へのインタビュー 岩波現代文庫版32~33頁)
ウィキペディア(Wikipedia)より
アレクシエービッチは、原発事故という未曾有の現実を前にして、これが過去の災害の延長ではなく、「誰にとっても新しい現実」であるという正しい認識を記す。
しかし、彼女は、そこで、この「新しい現実」を前にして、人々が苦悩し、その中で、「苦悩が私たちの避難場所」になってしまったこと、人々が「苦悩の催眠術にかかって」しまったことを告げる。
そこでは、人々は「誰にとっても新しい現実」にいるという「認識の目覚め(脱出)」があるものの、他方で、「苦悩という避難場所」の中にとどまるものだった。
だが、この「認識の目覚め(脱出)」の次に必要なことは、「苦悩という避難場所」から抜け出し、「現実の避難場所」に向かうことではないか。
苦悩の中に身を沈めるのではなく、そこから一歩踏み出して、現実のアクションへ転化することではないか。
それが「チェルノブイリ法日本版の制定というアクション。
チェルノブイリ法日本版とは、「誰にとっても新しい現実」を前にして「苦悩から現実のアクションへ」をカタチにしたもの。
これが私にとって、チェルノブイリ法日本版の本質的なメッセージ。
2019年11月15日金曜日
【第31話】「今でも子どもを安全な場所に避難させたい」と証言した子ども脱被ばく裁判の原告のお母さん(2019.11.15)
◎証言を終えた原告のお母さんの動画を末尾に追加(->こちら)。
以下は、市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会のメーリングリストに投稿した文です。
***************
2日前の11月13日、福島地裁で、子ども脱被ばく裁判の証拠調べがあり、福島市に住む原告のお母さんが証言台に立ちました。
このお母さんは当初、尋問を予定していた原告の方が体調不良のため、急遽、ピンチヒッターとして登場したのです。
しかし、実は彼女もギラン・バレー症候群が悪化し、杖なしでは歩けない身体でした。
この日の証言を聞き、そのあとの報告会での話を聞き、彼女が311からの8年間の総括の積りで、この日、証言台に立ったことを知りました。
たとえば、同居していたお母さんとの葛藤についても率直にありのままに語ってくれました(以下の第2回口頭弁論における原告本人の意見陳述参照)。
わたし自身は、被ばくには十分気をつけていたにもかかわらず、事故から1か月ほどたったころ、子どもたちふたりとも食欲がなくなり、鼻血を毎日のように出すようになって、目は死んだ魚のようににごっていきました。
そんなとき、東京のお医者さんがボランティアで子どもたちの健康相談をしてくださるというので、藁にもすがる気持ちで参加しました。すると、お医者さんからこう言われたのです。
「おかあさん、このままこの子たちをここに置いておいてはダメだよ。学校を休ませて、どこか空気の良いところに子どもたちをやったほうがいい」
そこで、山梨県のボランティア団体が、長期で子どもたちを預かってくれると知り、問い合わせました。ところが、参加条件は親子同伴。でも、わたしはシングルマザーなので仕事を休むことはできません。わたしの代わりに母に付き添ってもらおうと思い、事情を話してお願いしました。
しかし、母は被ばくについてまったく理解がないので、「福島に居たってだいじょうぶよ。みんなここで暮らしているじゃない」と一蹴され、付き添いを断られました。
でも、子どもたちの体調は日を追って悪くなる一方。わたしは母に土下座をして、「おかあさん、どうか子どもたちを連れて行ってください」と頼みました。それで、どうにか連れ出してもらったのです。
この8年間がどんなにつらい日々であったか、それは一方で、311以後、時間と記憶が止まってしまい、記憶喪失のようになってしまう瞬間もあれば、他方で、たとえばはっきり日付まで口にされた子ども脱被ばく裁判を提訴した2014年8月29日のことを、まるで昨日のことのようにありありと語る瞬間があったことからも窺えました。
詳細は脱被ばく実現ネットのブログでまもなく公開される裁判報告会の動画でご覧いただけたらと思いますが(※)、
普通だったら、人前でなかなか言い出せないことを彼女は、証言台でも裁判報告会の公の場でも、もう何ひとつ隠すこともなく、包み隠さず自分と家族が経験したことをありのままに話されました。その姿を見ていて、この間、彼女は死にたいと思ったほどつらい体験を何度もされてきたことがまざまざと伝わりました。
その彼女がこの8年間のふり返りの話の中で、何度も登場した人がいました。それが「中郷のデパートの4階のアパレル売り場で一緒だった先輩」のXさんでした。Xさんはこのチェルノブイリ法日本版のMLの登録者です(6年前、ふくしま集団疎開裁判で提出したXさんの陳述書は->こちら)。
この日、彼女は我が身の全身のありったけの力を振り絞って、裁判所と傍聴の皆さんに訴えようとしてきましたが、その力の限りを出して訴えようとしたら、知らないうちに、Xさんの話を何度もしてしまったかのようでした。
・311直後、放射能のことを何も知らない自分が先輩のXさんと必死になって情報交換をしながらどうしたらよいか模索したこと、
・その後、東京方面に避難したXさんとはバラバラになってしまったこと、
・2014年8月29日の子ども脱被ばく裁判の提訴の日、Xさんと再会できたことを、本当に大切な日として彼女の中に刻まれていたことを語ってくれました。
この2014年8月29日の提訴の時に、次男の息子が自分も訴えたかったという話を2度もしてくれました。
あの日、息子さんは家の周りに積まれた黒いフレコンパックの山の絵を描いてくれ、それを提訴の会見で紹介しました。しかし、私は、息子さんが本当は自分自身の言葉で訴えたかったことまでは理解できませんでした(息子さんの絵->こちら)
5年前の7月に、育てる会の正会員の岡田さんたちと原告の自宅、通学路、学校の測定をした時、この原告の彼女も参加しました。このときはまだ杖もなしで、歩いていました。
その後、病状が悪化し、杖なしでは歩けなくなり、次男の息子さんも起立性調節障害で学校に通えなくなりました。自身と子どもの状況は悪くなるばかりなのに、昨日のお話は信じられないほどの前向きの姿勢に満ちていました。
普通なら、この残酷な現実にうちひしがれ、諦めてその現実を受け入れてしまうのに、彼女はこの残酷な現実を決して「諦めも受け入れもしない」で、それと闘う決意を示してくれました。
この姿をみて、私は、子ども脱被ばく裁判が彼女にとって掛けがいのない場所になったことを知りました。この裁判が、理不尽な現実を受け入れることをせず、それと闘うための場であることを彼女が理解したことを知りました。
昨日、彼女は、いつ、どんな風に考えて、この裁判の原告になろうと思ったのか、その場面をまるで昨日のことのように克明に語ってくれました。それは、彼女がこの裁判の原告の話を聞いた瞬間、即決で原告になると決めた、というとても印象的な話でした。
実は、子ども脱被ばく裁判に参加したからといって、無用な被ばくを子どもたちに強要する国や自治体の理不尽な態度が簡単に変わるわけではありません。その結果、この現実の厳しさを知って、裁判に対する当初の期待が裏切られたような気持になって、この裁判から遠ざかっていった原告の人たちもいました。
しかし、彼女は、とりわけ原告のなかでも最も過酷な環境の中にいたにもかかわらず、この4年間の裁判の中で、紆余曲折を経ながらも、裁判に対する不屈の信念を大切に育ててきた人のように思いました。
それは、たとえ、裁判を起したからといって無用な被ばくを強要する理不尽な現実が簡単に変わらないとしても、そのような理不尽な現実を決して許さないという彼女自身の決意がますます揺るぎないものになっていったという意味で、実は現実がものすごく変わったのです。
この裁判の中で、彼女のような不退転の不屈の精神を持った人が育ったという意味で、この裁判に参加した中で、現実がものすごく変わったのです。
その不屈の人が、一昨日、何度も何度もXさんの話を口にしたのを聞いて、類は友を呼ぶ、彼女は不屈の心を持ったXさんと改めて共鳴したい、共感したいと思ったんだと思いました。
‥‥以上の出来事を体験して、私はチェルノブイリ法日本版の取組み・アクションもこれと変わらないのではないかと思いました。
裁判の原告になるのと同じで、市民が育てるチェルノブイリ法日本版の会に参加したからといって、無用な被ばくを子どもたちに強要する国や自治体の理不尽な態度が簡単に変わるわけではありません。
しかし、たとえ、市民立法に向けてアクションを起したからといって無用な被ばくを強要する理不尽な現実が簡単に変わらないとしても、そのような理不尽な現実を決して許さないという私たち自身の決意がますます揺るぎないものになっていくのであれば、実はそれは現実がものすごく変わったことを意味します。
だって、チェルノブイリ法日本版の取組み・アクションを起すまでは、誰もそんな不退転の不屈の精神を持っていなかったのですから。
育てる会に参加する中で、この裁判の彼女のような不退転の不屈の精神を持った人が育っていくのだったら、それはこの会に参加する中で、現実がものすごく変わったことを意味します。
この意味で、チェルノブイリ法日本版の取組み・アクションに参加すること自体が日本社会を変えるのだと思います。
最後に。
2011年のデモで語った或る人の言葉をもじって、次のように思いました。
今後に、チェルノブイリ法日本版のアクションが下火になっていくことは避けられない――と思う人がいるかもしれません。
しかし、違います。原発事故は何一つ片づいていないし、今後も容易には片づかない。むしろ、今後に、被ばく者の病状がはっきりと出てきます。つまり、われわれが忘れようとしても、また実際に忘れても、放射能は執拗に残る。それがいつまでも続きます。放射能がほかの人災とちがって恐ろしいのはそのことです。それでも、人々はおとなしく政府や自治体の言うことを聞いているでしょうか。もしそうであれば、日本人は韓国映画「ペパーミント・キャンディー」の主人公のように自滅するしかありません。
だから、私はこう信じています。
第一に、チェルノブイリ法日本版の取組み・アクションは長く続くということ、
第二に、それは原発にとどまらず、日本の社会を根本的に変える力となるということです。
くり返します。
既に皆さんがチェルノブイリ法日本版の取組み・アクションに参加したことで、ただそれだけでも、日本社会は間違いなくものすごく変わったのです。
皆さん、ねばり強く続けましょう。
(※) この日、証言台に立った原告のお母さん(裁判後の報告会で)
2014年8月29日提訴の会見で紹介された原告のお子さんの絵
以下は、市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会のメーリングリストに投稿した文です。
***************
2日前の11月13日、福島地裁で、子ども脱被ばく裁判の証拠調べがあり、福島市に住む原告のお母さんが証言台に立ちました。
このお母さんは当初、尋問を予定していた原告の方が体調不良のため、急遽、ピンチヒッターとして登場したのです。
しかし、実は彼女もギラン・バレー症候群が悪化し、杖なしでは歩けない身体でした。
この日の証言を聞き、そのあとの報告会での話を聞き、彼女が311からの8年間の総括の積りで、この日、証言台に立ったことを知りました。
たとえば、同居していたお母さんとの葛藤についても率直にありのままに語ってくれました(以下の第2回口頭弁論における原告本人の意見陳述参照)。
わたし自身は、被ばくには十分気をつけていたにもかかわらず、事故から1か月ほどたったころ、子どもたちふたりとも食欲がなくなり、鼻血を毎日のように出すようになって、目は死んだ魚のようににごっていきました。
そんなとき、東京のお医者さんがボランティアで子どもたちの健康相談をしてくださるというので、藁にもすがる気持ちで参加しました。すると、お医者さんからこう言われたのです。
「おかあさん、このままこの子たちをここに置いておいてはダメだよ。学校を休ませて、どこか空気の良いところに子どもたちをやったほうがいい」
そこで、山梨県のボランティア団体が、長期で子どもたちを預かってくれると知り、問い合わせました。ところが、参加条件は親子同伴。でも、わたしはシングルマザーなので仕事を休むことはできません。わたしの代わりに母に付き添ってもらおうと思い、事情を話してお願いしました。
しかし、母は被ばくについてまったく理解がないので、「福島に居たってだいじょうぶよ。みんなここで暮らしているじゃない」と一蹴され、付き添いを断られました。
でも、子どもたちの体調は日を追って悪くなる一方。わたしは母に土下座をして、「おかあさん、どうか子どもたちを連れて行ってください」と頼みました。それで、どうにか連れ出してもらったのです。
この8年間がどんなにつらい日々であったか、それは一方で、311以後、時間と記憶が止まってしまい、記憶喪失のようになってしまう瞬間もあれば、他方で、たとえばはっきり日付まで口にされた子ども脱被ばく裁判を提訴した2014年8月29日のことを、まるで昨日のことのようにありありと語る瞬間があったことからも窺えました。
詳細は脱被ばく実現ネットのブログでまもなく公開される裁判報告会の動画でご覧いただけたらと思いますが(※)、
普通だったら、人前でなかなか言い出せないことを彼女は、証言台でも裁判報告会の公の場でも、もう何ひとつ隠すこともなく、包み隠さず自分と家族が経験したことをありのままに話されました。その姿を見ていて、この間、彼女は死にたいと思ったほどつらい体験を何度もされてきたことがまざまざと伝わりました。
その彼女がこの8年間のふり返りの話の中で、何度も登場した人がいました。それが「中郷のデパートの4階のアパレル売り場で一緒だった先輩」のXさんでした。Xさんはこのチェルノブイリ法日本版のMLの登録者です(6年前、ふくしま集団疎開裁判で提出したXさんの陳述書は->こちら)。
この日、彼女は我が身の全身のありったけの力を振り絞って、裁判所と傍聴の皆さんに訴えようとしてきましたが、その力の限りを出して訴えようとしたら、知らないうちに、Xさんの話を何度もしてしまったかのようでした。
・311直後、放射能のことを何も知らない自分が先輩のXさんと必死になって情報交換をしながらどうしたらよいか模索したこと、
・その後、東京方面に避難したXさんとはバラバラになってしまったこと、
・2014年8月29日の子ども脱被ばく裁判の提訴の日、Xさんと再会できたことを、本当に大切な日として彼女の中に刻まれていたことを語ってくれました。
この2014年8月29日の提訴の時に、次男の息子が自分も訴えたかったという話を2度もしてくれました。
あの日、息子さんは家の周りに積まれた黒いフレコンパックの山の絵を描いてくれ、それを提訴の会見で紹介しました。しかし、私は、息子さんが本当は自分自身の言葉で訴えたかったことまでは理解できませんでした(息子さんの絵->こちら)
5年前の7月に、育てる会の正会員の岡田さんたちと原告の自宅、通学路、学校の測定をした時、この原告の彼女も参加しました。このときはまだ杖もなしで、歩いていました。
その後、病状が悪化し、杖なしでは歩けなくなり、次男の息子さんも起立性調節障害で学校に通えなくなりました。自身と子どもの状況は悪くなるばかりなのに、昨日のお話は信じられないほどの前向きの姿勢に満ちていました。
普通なら、この残酷な現実にうちひしがれ、諦めてその現実を受け入れてしまうのに、彼女はこの残酷な現実を決して「諦めも受け入れもしない」で、それと闘う決意を示してくれました。
この姿をみて、私は、子ども脱被ばく裁判が彼女にとって掛けがいのない場所になったことを知りました。この裁判が、理不尽な現実を受け入れることをせず、それと闘うための場であることを彼女が理解したことを知りました。
昨日、彼女は、いつ、どんな風に考えて、この裁判の原告になろうと思ったのか、その場面をまるで昨日のことのように克明に語ってくれました。それは、彼女がこの裁判の原告の話を聞いた瞬間、即決で原告になると決めた、というとても印象的な話でした。
実は、子ども脱被ばく裁判に参加したからといって、無用な被ばくを子どもたちに強要する国や自治体の理不尽な態度が簡単に変わるわけではありません。その結果、この現実の厳しさを知って、裁判に対する当初の期待が裏切られたような気持になって、この裁判から遠ざかっていった原告の人たちもいました。
しかし、彼女は、とりわけ原告のなかでも最も過酷な環境の中にいたにもかかわらず、この4年間の裁判の中で、紆余曲折を経ながらも、裁判に対する不屈の信念を大切に育ててきた人のように思いました。
それは、たとえ、裁判を起したからといって無用な被ばくを強要する理不尽な現実が簡単に変わらないとしても、そのような理不尽な現実を決して許さないという彼女自身の決意がますます揺るぎないものになっていったという意味で、実は現実がものすごく変わったのです。
この裁判の中で、彼女のような不退転の不屈の精神を持った人が育ったという意味で、この裁判に参加した中で、現実がものすごく変わったのです。
その不屈の人が、一昨日、何度も何度もXさんの話を口にしたのを聞いて、類は友を呼ぶ、彼女は不屈の心を持ったXさんと改めて共鳴したい、共感したいと思ったんだと思いました。
‥‥以上の出来事を体験して、私はチェルノブイリ法日本版の取組み・アクションもこれと変わらないのではないかと思いました。
裁判の原告になるのと同じで、市民が育てるチェルノブイリ法日本版の会に参加したからといって、無用な被ばくを子どもたちに強要する国や自治体の理不尽な態度が簡単に変わるわけではありません。
しかし、たとえ、市民立法に向けてアクションを起したからといって無用な被ばくを強要する理不尽な現実が簡単に変わらないとしても、そのような理不尽な現実を決して許さないという私たち自身の決意がますます揺るぎないものになっていくのであれば、実はそれは現実がものすごく変わったことを意味します。
だって、チェルノブイリ法日本版の取組み・アクションを起すまでは、誰もそんな不退転の不屈の精神を持っていなかったのですから。
育てる会に参加する中で、この裁判の彼女のような不退転の不屈の精神を持った人が育っていくのだったら、それはこの会に参加する中で、現実がものすごく変わったことを意味します。
この意味で、チェルノブイリ法日本版の取組み・アクションに参加すること自体が日本社会を変えるのだと思います。
最後に。
2011年のデモで語った或る人の言葉をもじって、次のように思いました。
今後に、チェルノブイリ法日本版のアクションが下火になっていくことは避けられない――と思う人がいるかもしれません。
しかし、違います。原発事故は何一つ片づいていないし、今後も容易には片づかない。むしろ、今後に、被ばく者の病状がはっきりと出てきます。つまり、われわれが忘れようとしても、また実際に忘れても、放射能は執拗に残る。それがいつまでも続きます。放射能がほかの人災とちがって恐ろしいのはそのことです。それでも、人々はおとなしく政府や自治体の言うことを聞いているでしょうか。もしそうであれば、日本人は韓国映画「ペパーミント・キャンディー」の主人公のように自滅するしかありません。
だから、私はこう信じています。
第一に、チェルノブイリ法日本版の取組み・アクションは長く続くということ、
第二に、それは原発にとどまらず、日本の社会を根本的に変える力となるということです。
くり返します。
既に皆さんがチェルノブイリ法日本版の取組み・アクションに参加したことで、ただそれだけでも、日本社会は間違いなくものすごく変わったのです。
皆さん、ねばり強く続けましょう。
(※) この日、証言台に立った原告のお母さん(裁判後の報告会で)
登録:
投稿 (Atom)
【第186話】もうひとりの新老年の盟友、大庭有二さんとの対話(26.3.15)
2025年8月長野県松本駅(左が大庭さん、その右が菅谷昭さん) ◆ はじめに 以下を書きながら、なんでもっと早く、大庭さんが新老年の盟友のひとり=真の友であることに気がつかなかったのかと、己の鈍感力に無力感に襲われている。 ◆ 本論 大庭有二さんとは、子ども同士が、...
-
◎ 自治体レベルの子どもたちの甲状腺検査プロジェクトに賛同する市民とその声は -> こちら で紹介。自分も賛同したいという方は こちら の投稿の「コメント」欄か、tonke*song-deborah.com(*を@に変更)まで賛同メッセージをお寄せ下さい。 ...
-
◆ 1.9最高裁判決を受けて、1月14日、オンライン署名「 避難者追出し裁判1.9最高裁判決は不当判決ではない。誤まった判決である 」を始めました。その詳細は> こちら 。 原発避難者追出し裁判2026年1月9日言渡しの最高裁判決全文> こちら ...
-
1、上告理由書 -> 全文PDF 2 、上告受理申立て理由書 -> 全文PDF 3、 別冊資料1~6 -> 全文PDF 上告人1の陳述書 -> こちら 清水奈名子宇都宮大教授の意見書(2) -> こちら 2021年5月14日福島地裁の第1回口頭弁論前のアクション...












