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2024年8月31日、東京で、チェルノブイリ法日本版についてのブックレット「わたしたちは見ている」の出版記念のやったのを受けて(動画などの報告は>こちら)、9月8日に、水戸喜世子さんの呼びかけで大阪府高槻市で、その続きをやる機会を与えられた。当初、5名ほどの内輪の集まりと理解して出かけていったところ、会場には56名も人が来ていて、ノックダウン。以下は、その時、喋るためのメモ>全文PDF
ところが、この日参加した会場の皆さん、ものすごく熱心で、第二部の交流会にも半分近くの人が参加。それはこの日のことをfacebookに報告した水戸さんの文章とそれに対するリアクションからもうかがえる。私も水戸さんに返信を書いたが、今読み直してみて、この時のやり取りは保存版として考え直す価値があると思ったので、ここに再掲する。
以下、水戸さんの報告文とそれに対する(私も含めてのリアクション・対話)
9/8の日曜日に開催した座談会
「いま、法が一歩前に出るとき」
〜20ミリシーベルト体制をこのまま放置していいのか〜
は、急の呼びかけにも関わらず、70名定員の会場いっぱいにお集まりいただきました。ありがとうございました。交流会も2時間では全くの時間不足、ズーム全盛時代でもやっぱりface to faceよね〜が実感の贅沢な時間でした。
福島原発事故損害賠償関西訴訟、同京都訴訟、兵庫訴訟、子ども脱被ばく裁判の支援者、当事者が一堂に集まることは初めて。そんな温かい風を感じながらの集まりでした。
「子ども脱被ばく裁判弁護団」言い出しっぺとも言える柳原敏夫弁護士の提起で始まりました。(写真はIdumi Hayashiさんの提供)
レジュメをおおまかにまとめてみます。
原発安全神話が崩れて、日本社会は過去に見たことのない放射能のゴミ屋敷になった。一つは自然界に撒かれた放射能。もう一つは法の欠缺。
ゴミ屋敷問題が解決されない理由の一つは原子力村の意図的な問題隠し。
もう一つは既成観念の中に安住の地を見出している人々の意識の壁。
話を元に戻します
1.福島の人々に適用されている年間20ミリシーベルトは環境基本法が決めている環境基準の7000倍に相当します。学校の環境衛生基準も、CO2とかNOなど、空気中の毒物の基準は環境基準に沿って決められています。しかし、放射性物質についての記述は空白で、7000倍が適用されているのです。その理由は裁判でも述べられませんでした。
2.3.11前には、原発事故を想定しての避難者の救済ルールが立法化されていなかった。政府も県も裁判所も災害救助法で解決すれば良いと公言している!国際人権法の国内難民に該当する。
これらの不当な仕打ちが罷り通る背景に、養老孟司の言う「脳化社会」があると考える
3.11後の復興も、その延長上に進められているが、放置されているゴミ屋敷に対しては、人権屋敷の再建を対置することだ。
演者は次のように締め括った
「・・・本当の問題はさらにその先にある。つまり「人権屋敷」の内実に。・・・原発事故というゴミ屋敷を生み出した根本のシステムである私たちの住む「脳化社会」と、どう向き合い、どう対決するのか。そこが問われている」。つまり、私たちの生き方の問題が問われている、と。
パネラーからは裁判の現状が語られ、一旦原発事故が起きればひばくを避けることは不可能に近いこと、国家責任を問うことの大切さ、過去の森永ヒ素ミルク和解の経験、黒い雨訴訟の経験、法よりも司法こそ一歩前に出て欲しいなど、ゴミ屋敷の現状が噴出しました。住民を保護すべき法の欠缺については、チェルノブイリ法日本版の取り組みが紹介され、市民が自治体に働きかける方法もあると紹介されました。掲げられたテーマについての問題の所在は共有できたのではないでしょうか
最後に集会準備全般を一手に引き受けてくださった山本光子さんに、心からのお礼を申し上げます。
A
ご報告、有難うございました。
B
纏めていただき、ありがとうございました。シェアしますね。(#^^#)
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シェアさせていただきました。
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とても学びの多い機会になりました。
交流会でお伝えしましたように、今、同じく「法の欠缺」状態にあるPFAS問題に神戸の仲間と共に取り組んでいます。
こちらも壁は高く、すぐには打ち崩せそうにはありませんが、諦めずに少しでも前進できたらと願っています(今泉さんは、大切なことはさざ波を絶やさないことと)。
帰り道、柳原先生が、裁判でも政策への批判ではなく、「人権」を武器に闘うことが大切ではないかと語っておられたことが印象に残りました。
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水戸さんの返信
法は生き物、制定法に対して生成法の考えを柳原さんは示されましたね。新しい事態に対しては、市民主体で作り上げていく法律。一つでいいから実現したいものですね
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水戸さんの返信
法は生き物、制定法に対して生成法の考えを柳原さんは示されましたね。新しい事態に対しては、市民主体で作り上げていく法律。一つでいいから実現したいものですね
柳原敏夫
水戸さん、私のブックレットの「バカの壁」の挑戦する機会を与えて頂き、その上、私のつたない話とメモを元に再構成して頂き、多謝です。
ちなみに、本人の備忘録用のメモはこちら
→https://wallchernobyllaw.blogspot.com/2024/09/2498.html
また、メモの冒頭で取り上げた、
アクターズスタジオでケヴィン・クラインがチェーホフについて語った次のくだり。
チェーホフの作品の登場人物たちはいつも人生につまづいている。それはなぜか?彼らが星を追っているからだ。
そのケヴィン・クラインの素晴らしい語りは以下です。
https://x.gd/CbfjC
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水戸さんの返信
本物のレジュメをつけるくださって、ありがとうございました。「ばかの壁」って言われても、ようわからん、という声をいくつか聞いたので、近似値として私の解釈を書いてみましたが、ぜひ、読まない人の為に、ご本人の言葉でご説明をお願いします。
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柳原の返信
「バカの壁」が何か、説明して欲しいというリクエストがありました。「バカの壁」に最も敏感な人種は画家だと思います。昔、坂本繁二郎が若い頃に、田んぼのあぜ道を歩いていて、あたりの雑草が美しく思えてきて、どうしようもない、自分の頭がおかしくなったんじゃないかと言ってましたが、この時、彼は自分のこれまでの「バカの壁」を乗り越えたんだと思います。人は外界をまっさらな目で見ていると思い込んでいますが、それは真っ赤なウソ、幻想です。必ず、何かしらのメガネをかけて世界を見ています、そのメガネが何であるか気がつかずに。なので、そのメガネでは見えない事柄については、謙虚に、メガネをはずして別のメガネで見てみようと思わず、そんな事柄はオレには関係ないと無視してしまいます。養老孟司に言わせれば、それはあんたが「バカの壁」の中にいるだけだ、と。けれど、メガネを変えて世界を見るというのは自然に出来ることではありません。或る種の訓練が必要です。なので、そんなの、面倒くせえと思うのは無理もありません。しかし、今は今までのメガネでは見えないことが続出しています。原発事故で世界にちらばった放射性物質。人工的に化合物を作り続けて生活の中にあふれている正体不明な有害化学物質。昔ながらのメガネのままだと、これらのゴミが見えず、その「バカの壁」は「死の壁」になりかねません。じ、冗談じゃない。何としてでも「脳化社会」が産み出したゴミ屋敷を見る新たなメガネをみなで探して、そのメガネを通して、ゴミ屋敷を人権屋敷に再構成したい。それが「バカの壁」を突破する目的です。少しはイメージできたでしょうか(
)。
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水戸さんの返信
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水戸さんの返信
本物のレジュメをつけるくださって、ありがとうございました。「ばかの壁」って言われても、ようわからん、という声をいくつか聞いたので、近似値として私の解釈を書いてみましたが、ぜひ、読まない人の為に、ご本人の言葉でご説明をお願いします。
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柳原の返信
「バカの壁」が何か、説明して欲しいというリクエストがありました。「バカの壁」に最も敏感な人種は画家だと思います。昔、坂本繁二郎が若い頃に、田んぼのあぜ道を歩いていて、あたりの雑草が美しく思えてきて、どうしようもない、自分の頭がおかしくなったんじゃないかと言ってましたが、この時、彼は自分のこれまでの「バカの壁」を乗り越えたんだと思います。人は外界をまっさらな目で見ていると思い込んでいますが、それは真っ赤なウソ、幻想です。必ず、何かしらのメガネをかけて世界を見ています、そのメガネが何であるか気がつかずに。なので、そのメガネでは見えない事柄については、謙虚に、メガネをはずして別のメガネで見てみようと思わず、そんな事柄はオレには関係ないと無視してしまいます。養老孟司に言わせれば、それはあんたが「バカの壁」の中にいるだけだ、と。けれど、メガネを変えて世界を見るというのは自然に出来ることではありません。或る種の訓練が必要です。なので、そんなの、面倒くせえと思うのは無理もありません。しかし、今は今までのメガネでは見えないことが続出しています。原発事故で世界にちらばった放射性物質。人工的に化合物を作り続けて生活の中にあふれている正体不明な有害化学物質。昔ながらのメガネのままだと、これらのゴミが見えず、その「バカの壁」は「死の壁」になりかねません。じ、冗談じゃない。何としてでも「脳化社会」が産み出したゴミ屋敷を見る新たなメガネをみなで探して、そのメガネを通して、ゴミ屋敷を人権屋敷に再構成したい。それが「バカの壁」を突破する目的です。少しはイメージできたでしょうか(
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水戸さんの返信
ありがとうございます。この通り、伝えますね。
羽仁五郎が口を酸っぱくして、若者に語っていたことばがあります。「君の心が戦争を起こす」の中で「・・誰もが自分の心は自分のものだ、と思っている。なんでも自分の意思でやっていて、自分は自由な人間なんだと思っているのだが、実際はそうではないのだ。自分の心と思っているものは、実は誰かに植え付けられたものなんだ。ぼくがこういうふうに言うと、「羽仁五郎というのは頭がおかしいぞ」と、今の人は言うかもしれない。・・・と書き出して、山口百恵でも薬師丸ひろ子でも、なんでも自由に聴けるし、見れる。おれという・・・羽仁五郎というのはやっぱりどうかしてると、・・。これが今の若い人の、そして、大多数の大人の平均的な考え方だろう。それで相変わらず自分の心は自分の心だと思って生活している。しかし,・・
久野収が羽仁さんのもうどうしょうもない思いが詰まってる,と書いていますが。古本屋で見つけると買い込んでは,福島の若い友人にプレゼントしています。例の甲状腺がん裁判で司会をしてくれていたゆりかにも。柳原さんのお話は高尚すぎるので、羽仁さんくらいレベルを落として話してほしいなぁというのが,脳活動の衰えた婆ばからのお願いです。
E
水戸さん
貴重な報告をありがとうございます。読んでいて、「いま、法が一歩前に出るとき」の内容が伝わってきました。放射能のゴミ屋敷、法の欠缺について、それに立つには、人権屋敷の再建と…簡単なことではないけれど、できるところから、一歩ですね。
簡単なことではないけれど、できるところから、一歩ですね。




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