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2019年11月15日金曜日

【第31話】「今でも子どもを安全な場所に避難させたい」と証言した子ども脱被ばく裁判の原告のお母さん(2019.11.15)

証言を終えた原告のお母さんの動画を末尾に追加(->こちら)。

2014年8月29日提訴の会見で紹介された原告のお子さんの絵       

以下は、市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会のメーリングリストに投稿した文です。

   *************** 
  
2日前の11月13日、福島地裁で、子ども脱被ばく裁判の証拠調べがあり、福島市に住む原告のお母さんが証言台に立ちました。

このお母さんは当初、尋問を予定していた原告の方が体調不良のため、急遽、ピンチヒッターとして登場したのです。
しかし、実は彼女もギラン・バレー症候群が悪化し、杖なしでは歩けない身体でした。
この日の証言を聞き、そのあとの報告会での話を聞き、彼女が311からの8年間の総括の積りで、この日、証言台に立ったことを知りました。
たとえば、同居していたお母さんとの葛藤についても率直にありのままに語ってくれました(以下の第2回口頭弁論における原告本人の意見陳述参照)。
 

わたし自身は、被ばくには十分気をつけていたにもかかわらず、事故から1か月ほどたったころ、子どもたちふたりとも食欲がなくなり、鼻血を毎日のように出すようになって、目は死んだ魚のようににごっていきました。
そんなとき、東京のお医者さんがボランティアで子どもたちの健康相談をしてくださるというので、藁にもすがる気持ちで参加しました。すると、お医者さんからこう言われたのです。
「おかあさん、このままこの子たちをここに置いておいてはダメだよ。学校を休ませて、どこか空気の良いところに子どもたちをやったほうがいい」
  そこで、山梨県のボランティア団体が、長期で子どもたちを預かってくれると知り、問い合わせました。ところが、参加条件は親子同伴。でも、わたしはシングルマザーなので仕事を休むことはできません。わたしの代わりに母に付き添ってもらおうと思い、事情を話してお願いしました。
  しかし、母は被ばくについてまったく理解がないので、「福島に居たってだいじょうぶよ。みんなここで暮らしているじゃない」と一蹴され、付き添いを断られました。
  でも、子どもたちの体調は日を追って悪くなる一方。わたしは母に土下座をして、「おかあさん、どうか子どもたちを連れて行ってください」と頼みました。それで、どうにか連れ出してもらったのです。

 

この8年間がどんなにつらい日々であったか、それは一方で、311以後、時間と記憶が止まってしまい、記憶喪失のようになってしまう瞬間もあれば、他方で、たとえばはっきり日付まで口にされた子ども脱被ばく裁判を提訴した2014年8月29日のことを、まるで昨日のことのようにありありと語る瞬間があったことからも窺えました。
 

詳細は脱被ばく実現ネットのブログでまもなく公開される裁判報告会の動画でご覧いただけたらと思いますが()、
普通だったら、人前でなかなか言い出せないことを彼女は、証言台でも裁判報告会の公の場でも、もう何ひとつ隠すこともなく、包み隠さず自分と家族が経験したことをありのままに話されました。その姿を見ていて、この間、彼女は死にたいと思ったほどつらい体験を何度もされてきたことがまざまざと伝わりました。
その彼女がこの8年間のふり返りの話の中で、何度も登場した人がいました。それが「中郷のデパートの4階のアパレル売り場で一緒だった先輩」のXさんでした。さんはこのチェルノブイリ法日本版のMLの登録者です(6年前、ふくしま集団疎開裁判で提出したさんの陳述書は->こちら)。

この日、彼女は我が身の全身のありったけの力を振り絞って、裁判所と傍聴の皆さんに訴えようとしてきましたが、その力の限りを出して訴えようとしたら、知らないうちに、さんの話を何度もしてしまったかのようでした。
・311直後、放射能のことを何も知らない自分が先輩のXさんと必死になって情報交換をしながらどうしたらよいか模索したこと、
・その後、東京方面に避難したさんとはバラバラになってしまったこと、
・2014年8月29日の子ども脱被ばく裁判の提訴の日、さんと再会できたことを、本当に大切な日として彼女の中に刻まれていたことを語ってくれました。

この2014年8月29日の提訴の時に、次男の息子が自分も訴えたかったという話を2度もしてくれました。
あの日、息子さんは家の周りに積まれた黒いフレコンパックの山の絵を描いてくれ、それを提訴の会見で紹介しました。しかし、私は、息子さんが本当は自分自身の言葉で訴えたかったことまでは理解できませんでした(息子さんの絵->こちら

5年前の7月に、育てる会の正会員の岡田さんたちと原告の自宅、通学路、学校の測定をした時、この原告の彼女も参加しました。このときはまだ杖もなしで、歩いていました。
その後、病状が悪化し、杖なしでは歩けなくなり、次男の息子さんも起立性調節障害で学校に通えなくなりました。自身と子どもの状況は悪くなるばかりなのに、昨日のお話は信じられないほどの前向きの姿勢に満ちていました。
普通なら、この残酷な現実にうちひしがれ、諦めてその現実を受け入れてしまうのに、彼女はこの残酷な現実を決して「諦めも受け入れもしない」で、それと闘う決意を示してくれました。
この姿をみて、私は、子ども脱被ばく裁判が彼女にとって掛けがいのない場所になったことを知りました。この裁判が、理不尽な現実を受け入れることをせず、それと闘うための場であることを彼女が理解したことを知りました。
昨日、彼女は、いつ、どんな風に考えて、この裁判の原告になろうと思ったのか、その場面をまるで昨日のことのように克明に語ってくれました。それは、彼女がこの裁判の原告の話を聞いた瞬間、即決で原告になると決めた、というとても印象的な話でした。

実は、子ども脱被ばく裁判に参加したからといって、無用な被ばくを子どもたちに強要する国や自治体の理不尽な態度が簡単に変わるわけではありません。その結果、この現実の厳しさを知って、裁判に対する当初の期待が裏切られたような気持になって、この裁判から遠ざかっていった原告の人たちもいました。
しかし、彼女は、とりわけ原告のなかでも最も過酷な環境の中にいたにもかかわらず、この4年間の裁判の中で、紆余曲折を経ながらも、裁判に対する不屈の信念を大切に育ててきた人のように思いました。
それは、たとえ、裁判を起したからといって無用な被ばくを強要する理不尽な現実が簡単に変わらないとしても、そのような理不尽な現実を決して許さないという彼女自身の決意がますます揺るぎないものになっていったという意味で、実は現実がものすごく変わったのです。
この裁判の中で、彼女のような不退転の不屈の精神を持った人が育ったという意味で、この裁判に参加した中で、現実がものすごく変わったのです。

その不屈の人が、一昨日、何度も何度もXさんの話を口にしたのを聞いて、類は友を呼ぶ、彼女は不屈の心を持ったさんと改めて共鳴したい、共感したいと思ったんだと思いました。

‥‥以上の出来事を体験して、私はチェルノブイリ法日本版の取組み・アクションもこれと変わらないのではないかと思いました。
裁判の原告になるのと同じで、市民が育てるチェルノブイリ法日本版の会に参加したからといって、無用な被ばくを子どもたちに強要する国や自治体の理不尽な態度が簡単に変わるわけではありません。
しかし、たとえ、市民立法に向けてアクションを起したからといって無用な被ばくを強要する理不尽な現実が簡単に変わらないとしても、そのような理不尽な現実を決して許さないという私たち自身の決意がますます揺るぎないものになっていくのであれば、実はそれは現実がものすごく変わったことを意味します。
だって、チェルノブイリ法日本版の取組み・アクションを起すまでは、誰もそんな不退転の不屈の精神を持っていなかったのですから。
育てる会に参加する中で、この裁判の彼女のような不退転の不屈の精神を持った人が育っていくのだったら、それはこの会に参加する中で、現実がものすごく変わったことを意味します。

この意味で、チェルノブイリ法日本版の取組み・アクションに参加すること自体が日本社会を変えるのだと思います。

最後に。

2011年のデモで語った或る人の言葉をもじって、次のように思いました。
今後に、チェルノブイリ法日本版のアクションが下火になっていくことは避けられない――と思う人がいるかもしれません。
しかし、違います。原発事故は何一つ片づいていないし、今後も容易には片づかない。むしろ、今後に、被ばく者の病状がはっきりと出てきます。つまり、われわれが忘れようとしても、また実際に忘れても、放射能は執拗に残る。それがいつまでも続きます。放射能がほかの人災とちがって恐ろしいのはそのことです。それでも、人々はおとなしく政府や自治体の言うことを聞いているでしょうか。もしそうであれば、日本人は韓国映画「ペパーミント・キャンディー」の主人公のように自滅するしかありません。

だから、私はこう信じています。
第一に、チェルノブイリ法日本版の取組み・アクションは長く続くということ、
第二に、それは原発にとどまらず、日本の社会を根本的に変える力となるということです。

くり返します。
既に皆さんがチェルノブイリ法日本版の取組み・アクションに参加したことで、ただそれだけでも、日本社会は間違いなくものすごく変わったのです。
皆さん、ねばり強く続けましょう。
 


    この日、証言台に立った原告のお母さん(裁判後の報告会で)


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