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2019年11月17日日曜日

【第32話】私にとってチェルノブイリ法日本版(2):「苦悩という避難場所」から抜け出し、「現実の避難場所」に向かう道(2019.11.17)

【第18話】私にとってチェルノブイリ法日本版:「原発事故のカナリア」(2019.8.6)の続き
【第35話】私にとってチェルノブイリ法日本版(3):「被ばく者の、被ばく者による、被ばく者のための復興」、これをカタチにしたもの(2019.11.20)

チェルノブイリ法日本版ってなに?
それは、
「苦悩という避難場所」から抜け出し、「現実の避難場所」に向かう道。

2015年にノーベル文学賞を受賞したベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシエービッチは、チェルノブイリ事故について、こう自問自答している。  

人々はチェルノブイリのことは誰もが忘れたがっています。最初は、チェルノブイリに勝つことができると思われていた。ところが、それが無意味な試みだと分かると、今度は口を閉ざしてしまったのです。自分たちが知らないもの、人類が知らないものから身を守ることは難しい。チェルノブイリは、私たちを、それまでの時代から別の時代へ連れていってしまったのです。その結果、私たちの目の前にあるのは、誰にとっても新しい現実です。‥‥
--ベラルーシの歴史は苦悩の歴史です。苦悩は私たちの避難場所です。信仰です。私たちは苦悩の催眠術にかかっている。‥‥
--何度もこんな気がしました。これは未来のことを書き記している‥‥》(「チェルノブイリの祈り」見落とされた歴史について--自分自身へのインタビュー 岩波現代文庫版32~33頁

                     ウィキペディア(Wikipedia)より         

アレクシエービッチは、原発事故という未曾有の現実を前にして、これが過去の災害の延長ではなく、「誰にとっても新しい現実」であるという正しい認識を記す。
しかし、彼女は、そこで、この「新しい現実」を前にして、人々が苦悩し、その中で、「苦悩が私たちの避難場所」になってしまったこと、人々が「苦悩の催眠術にかかってしまったことを告げる。 

そこでは、人々は「誰にとっても新しい現実」にいるという「認識の目覚め(脱出)」があるものの、他方で、「苦悩という避難場所」の中にとどまるものだった。

だが、この「認識の目覚め(脱出)」の次に必要なことは、「苦悩という避難場所」から抜け出し、「現実の避難場所」に向かうことではないか。
苦悩の中に身を沈めるのではなく、そこから一歩踏み出して、現実のアクションへ転化することではないか。
それが「チェルノブイリ法日本版の制定というアクション。

チェルノブイリ法日本版とは、誰にとっても新しい現実」を前にして「苦悩から現実のアクションへ」をカタチにしたもの。
これが私にとって、チェルノブイリ法日本版の本質的なメッセージ


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