2019年8月の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会を、 8月30日(金)、「市民が育てるチェルノブイリ法日本版の会・調布」主催で、東京都調布市の「調布市市民プラザ あくろす」でやりました。
今回のテーマは、
「 なかったことにはさせない!
-福島原発事故の人権侵害を
-理不尽だと抵抗するのが市民立法「チェルノブイリ法日本版」
・その1
6月3日、福島県の「県民健康調査」検討委員会の評価部会は、福島県で多発中の小児甲状腺がんについて「被ばくによる小児甲状腺がんの発症」は「なかったことにする」報告書を作成、24日、検討委員会でも了承されまた(報告書。その問題点は->こちらで紹介)。
・その2
7月、参議院選挙直前の19日金曜日、住民の線量データを無断で使ったとして、昨年暮れ、住民から倫理違反、研究不正の調査申立があった宮崎早野論文、申立を受理した東大と福島県立医大は、放射能の影響を従来の見解より大胆に過少評価した同論文に「 倫理違反も研究不正もなかった」とした調査結果を公表(東大・医大。その問題点は->こちらで紹介)。
いま次々と、人権侵害は「なかったことにする」報告が公表されています。
しかし、政府、福島県、東大、医大が「なかったことに」しようとしても、放射能は「なかったこと」にしてくれません。
政府、福島県、東大、医大が被害を忘れたがっても、放射能は忘れさせてくれません。
健康被害を「なかったことにする」政策は、現実に健康被害で苦しむ人たちにとって「理不尽」以外の何物でもありません。
この「なかったことにする」政策に対し、「理不尽です」と抵抗するのが市民立法「チェルノブイリ法日本版」です。
「命こそ宝」と思う人たちにとって、それはやむのことない正義のつぶやき、行動です。
この「なかったことはさせない!」について、学習し、語り合いました。
以下、当日の動画とプレゼン資料&レジメ&配布資料です。
◆動画
柳原敏夫の話(約2時間。ただし、ラスト1分40秒が欠〔※〕)
〔※〕ラスト1分40秒の動画(内容が同一の、6月の静岡市の学習会のもの)
参加者との質疑応答(約52分)
◆プレゼン資料(全文のPDFは->こちら)
◆ レジメ(PDFは->こちら)
市民立法「チェルノブイリ法日本版」実現のため、世界への接近の仕方 2019年8月30日
柳原敏夫
1、雑念を払う。その時、真理が稲妻のように人々の心に届く
雑念を払ってみた時、311以後の日本政府の正体は民主主義国家とは「あべこべ」の独裁国家ではないのか。天安門事件の中国政府の正体と同じように、犯罪者ではないのか。
雑念を払ってみた時、311以後の市民運動の姿は、かつての水爆禁止運動、公害運動、情報公開法の市民立法運動等にくらべ、未曾有の巨大過酷事故の現実に追いつかず、劣化が著しいのではないか。
2、「人間離れ」した世界を体感する試み。その時、未曾有の巨大過酷事故の現実に少しでも追いつく
なぜ原発事故から目をそむけてしまうのか。単に怖いからではなく、放射能それ自体が「人間離れ」していて、非日常的世界の現象であるから。原発事故の現実と向かい合うための第一歩は、人間が体感(経験)できる対象として放射能を再発見する必要がある。その時、原発事故の途方もない現実に近づける。
3、願いを持つ。それも未曾有の巨大過酷事故に匹敵する願いを持つ。その時アクションに踏み出せる
けれど、原発事故の途方もない現実は私たちが人類史の最終章の絶壁に立っているかのような気にさせる。その絶望の気持ちから、もう充分生きた自分だけだったらもういいと思うだろう。しかし、未来しかない幼い人たちは「それは身勝手だ。そして不条理だ」と思うだろう。その時、311以後露呈した不条理な「あべこべ」をただすためのありったっけの願いを総結集して、未曾有の巨大過酷事故に負けないだけの巨大な願いで取り組むしかない。それが絶望と巨大な願いを背負ったチェルノブイリ法日本版。
4「新しい酒は新しい皮袋に盛れ」、それがチェルノブイリ法日本版
福島原発事故で私達は途方に暮れた。日本全土と近隣国を巻き込み、過去に経験したことのない未曾有の無差別過酷災害だから。ところが未曾有の事故にもかかわらず、従来の災害の発想(災害救助法等)で救助・支援が行われ、そして支援は打ち切られた。だが「新しい酒は新しい皮袋に盛れ」、これが私たちの立場。未曾有の無差別過酷事故には未曾有の無差別の救済が導入されるべし、それが健康被害が発生しようがしまいが事前の一律救済を定めた、原子力事故に関する世界最初の人権宣言=チェルノブイリ法。
5「子どもたちを被ばくのロシアンルーレットにさらさない」、それがチェルノブイリ法日本版
福島原発事故で私達は途方に暮れた。放射能は体温を0.0024度しか上げないエネルギーで人を即死させるのに、目に見えず、臭わず、痛くもなく、味もせず、従来の災害に対して行ったように、五感で防御するすべがないから。人間的スケールでは測れない、ミクロの世界での放射能の人体への作用=電離作用という損傷行為がどんな疾病をもたらすか、現在の科学・医学の水準では分からないから。危険というイエローカードが出せない。にもかかわらず、危険が検出されない以上「安全が確認された」という発想で対応し(3日の福島県の甲状腺検査評価部会)、その結果、人々の命、健康は脅かされた。「危険が検出されないだけでは足りない。安全が積極的に証明されない限り、人々の命を守る」、これが私たちの立場。人々の命を被ばくというロシアンルーレットから守る。なぜならロシアンルーレットが当たったら、損傷した命、健康を元に戻すことは不可能だから。それが予防原則、これを明文化したのがチェルノブイリ法。
6「苦悩という避難場所から脱け出し、真の避難場所に向かう」、それがチェルノブイリ法日本版
福島原発事故で私達は途方に暮れた。最初、人々は除染で放射能に勝てると教えられたが、それが無意味な試みと分かると口を閉ざしたから。避難できず、苦悩が人々の避難場所となった(2011.7「この哀しみ、この怒り、このいらだちをいつ、どこで、誰にどうぶっつけていいものやら」)。「苦悩という避難場所から脱け出し、真の避難場所に向かう」、これが私たちの立場。それが美しい謳い文句にとどまらず、現実に、安全な避難場所に避難する権利を保障したチェルノブイリ法。
7、「一人一人の市民の力で作る」、それが市民立法チェルノブイリ法日本版
原発事故の本質は戦争です。国難です。他の全ての課題に最優先して、その全面的救済を実現する必要がある。同時に歴史の教えるところは、戦争、国難において、国家はウソをつく、犯罪を犯す。そして国難において現場にどんな悲劇があっても、一人一人の市民がその生死をかけて立ち上がらなければ何も生まれない(田尻宗昭)。1997年に市民が作った対人地雷禁止条約も、1991年、2人の市民のアクションから始まった。それ以外にも、私達は公式の日本史には載らない以下の栄光の市民立法の歴史を持つ。
1872年 江藤新平らが、司法権の独立と民が官を裁く先進的な行政訴訟を作る。
1954年、杉並の主婦から始まった水爆禁止署名運動
1964年、三島・沼津の「石油コンビナート反対」の市民運動
→政府を震撼させ、1967年、世界初の総合的な公害対策基本法を制定させた。
1969年、翌年、歴史的な公害国会(公害対策基本法の「調和条項」を削除)を引き出した東京都公害防止条例制定の市民運動
1995年、霞ヶ浦再生を、市民型公共事業として取り組んだアサザ・プロジェクト
1999年、市民主導で、1982年山形県金山町で条例制定の第1号、日本各地の条例制定の積み上げの中から制定を実現した情報公開法
これらの「希望の扉」の全てを叩き、開いて、市民主導で日本各地から条例制定を積み上げて法律を作るという、市民立法「チェルノブイリ法日本版」を実現し、3・11以後正義と不正義があべこべとなった事態をただし、平和を創る――それが3・11以後の私たちに残されていること。
以上が、2018年3月スタートした、市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会(略称「育てる会」)の市民運動。
8、さいごに 「一枚の白い紙」(1987年6月の韓国民主化闘争を描いた漫画「沸点」ラストより)
大切な一枚の白い紙を手に入れました。
苦痛を受けた者は苦痛が去ることを願い、
眠る場所さえない者は安らげる場所を求め、
差別を受けた者は平等な扱いを‥‥、
みんながそれぞれの夢を託していたけれど、
私たちが得たものは、まだ何も描かれていない、ただ一枚の白い紙でした。
乱暴に扱えばしわくちゃなゴミになってしまうし、
少し目を離しているあいだに、
誰かに落書きされてしまうかも知れない
でも
それがなくては夢見ることもできない、
破れやすいけれど大切な、
そんな白い紙なのです。
◆「市民が育てるチェルノブイリ法日本版の会・調布」通信
→「チェルノブイリ・ふくしま・ちょうふ通信 1号 」
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