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2021年3月11日木曜日

【第61話】子ども脱被ばく裁判一審判決の控訴についてのご連絡(2021.3.11)


 以下は、今月1日、福島地裁で言渡された子ども脱被ばく裁判一審判決に対する控訴について、私が担当の原告の方々に送った文です。

   ***************

子ども脱被ばく裁判は、去る3月1日に判決の言い渡しがあり、原告の全面敗訴でした。

私たちの裁判をずっと応援しているアメリカを代表する知識人チョムスキーさんはこう言いました――社会が道徳的に健全であるかどうかをはかる基準として、「社会が最も弱い立場の人たちをどう取り扱うか」以上の基準はありません。許し難い事故の犠牲となっている子どもたち以上に傷つきやすい存在、大切な存在はありません。この裁判は、日本にとって、そして世界中の私たち全員にとっても試練(裁き)なのです(->その原文)。

なぜチョムスキーがこの裁判のことを「全世界の人々にとっての試練」とそんなに風に言ったのか、それはこの裁判が次の意味で、放射能災害の責任を問う世界で最初の裁判だからです。
福島原発事故という日本史上最悪の、未曾有の過酷事故を起こしておきながら、事故後に「事故を小さく見せること」しか眼中になく、子どもたちに無用な被ばくをさせた日本政府と福島県の責任を真正面から問うた裁判。言い換えると、311後に出現した、
・子どもの命・人権を守るはずの者が「日本最大の児童虐待」「日本史上最悪のいじめ」の当事者になり、
・加害者が救済者のつらをして、命の「復興」は言わず、経済「復興」に狂騒し、
・被害者は「助けてくれ」という声すらあげられず、経済「復興」の妨害者として迫害され、
「異常が正常とされ、正常が風評被害、異端とされる世界」その世界のあべこべを根本から正そうとした世界で最初の裁判だからです。

この裁判で、原告は、子どもたちの命、健康が放射能汚染によってどれほど脅かされているか、原告の力の及ぶ限り主張と証明をしてきました。しかし、3月1日の判決は、放射能災害の責任を問う世界で最初の裁判の原告のこの訴えと向き合うことすらせず、完璧にスルーし、被告国側の言い分だけを全面的に依拠して、これ以上考えれないほどのみじめな理由づけで、原告の全面敗訴の結論を導きました。これは一言で言って、理不尽の極み、これではとうてい真っ当な判決とは言えません。

判決言渡しの当日、裁判所はあらかじめ15頁の判決要旨を用意したにもかかわらず、裁判長は読み上げることすらせず、開廷して主文だけ読み上げ、1分足らずで「閉廷!」と宣言してハヤテのように去っていきました。傍聴した原告の方々は、裁判長の声が小さく、モゴモゴと早口で、何を喋っているのか殆ど聞き取れなかったそうです。思うに、裁判長は原告や傍聴に詰め掛けた市民に向かって、「私はこう考えて、こういう裁きをしたんです」と自ら書いた判決文を自信をもって堂々と言渡す勇気が持てなかったのです。
この意味で、この裁判で最初に裁かれたのは、理不尽の極みとしか言いようのない判決を書いた3人の裁判官でした。

同時にこの裁判は、チョムスキーが上に述べたように、裁判官ばかりではなく、日本と世界の人々全員にとっての試練(裁き)です。私たちもまた、理不尽の極みとしか言いようのない無残な判決に対して、どう向き合うのか――この理不尽な判決を黙ってそのまま受け入れるのか、それとも絶対受け入れるわけには行かないと拒否するのか、それが問われているからです。
その最初の試練が控訴(地裁判決に対する異議申立)です。確かに、自分ひとりくらいが拒否したところで理不尽な判決が何も変わるわけではあるまいと思うのはその通りでしょう。しかし、思うに、試練(裁き)とはすぐ結果が出るものではなく、もっと深いもの、もっと大きいもの、もっと長い時間の流れの中にあるものです。ひとりひとりに向けられた試練(裁き)は必ず天が見ています。そして、必ず子どもが見ています。今すぐ変化が起きなくても、いつかこの試練(裁き)の積み重ねの中で、目に見える変化が訪れる時が来ます。

私ごとで恐縮ですが、75年前の終戦直前、満州で現地召集された私の親父は、幸い戦死しなかったものの、終戦と同時に今度はソ連兵につかまりシベリア抑留の危機に直面しました。そこで、昼間は草原に身を隠し、夜間に移動して満州平野を逃げ回りました。このとき親父はこう思ったそうです「自分は、日本軍の将校たち戦争推進者たちが逃げのびるための「盾(たて)」として召集され、ソ連兵との戦闘の最前線に立たされた。自分はただの兵士ではないのだ、いけにえにされたのだ!」と。しかし、この理不尽な現実を彼は受け入れませんでした。満州平野のど真ん中で、絶望する理由は山ほどあり、すがる希望は1つもなかった。にもかかわらず、彼は権力者の言いなりになる道を拒否し、行動を起こしました。親父の人生を振り返った時、この時彼は人生の岐路に立たされていました。単に生き延びることだけではなく、いかに生きるかというその後の彼の人生の姿勢がこの時決まったからです。文字通り、彼自身が試練(裁き)に直面していたのです。

この試練(裁き)に直面した親父がなにをどう悩み、どう決断したのか、最後まで教えてくれませんでしたが、敢えて親父のこの時の心情を察すると、「こんな風に犬死してたまるか。絶対、犬死しないぞ!」という叫びに突き動かされていた、それは「おれだって人間だ」という人間の尊厳の叫びだったのではないか、この叫びが、1ヶ月に及ぶ逃避行で犬死せずに中国撫順市に辿り着いた彼を支えたものではなかったか、と。

‥‥親父はこの時の経験を戦後、子どもの私に殆ど語りませんでした。しかし、彼は自分のノートにその体験を記録していました。311後、前例のない原発事故を経験し、前例のない日本政府の犯罪(対策)を目の当たりにし、私自身が、絶望する理由は山ほどあり、すがる希望は1つもない現実の中にほおり投げられた時、突如、75年前の同じような絶望的な状況の中で、権力者の言いなりになる道を拒否し、行動を起こした親父の姿が昨日のことのように鮮明に目の前に現れました。そして、あの時もし彼が理不尽な現実を受け入れ諦めていたら、私の命は存在しなかったろう、彼が受け入れを拒否し起こした行動のおかげで、今の私の命はある、そして私の子ども、孫の命もあり、つながっていることを痛感したのです。天は私たちの試練(裁き)を見ていると確信したのです。

コロナ禍のもと、日々の生活をやりくりしていくだけでも大変だと思いますが、同時に5年、10年、50年、百年先のことも見据えて、控訴手続きについて、ご検討いただくようお願い申し上げます。



2021年3月4日木曜日

【第60話】「311以後の人間の条件」を行動に移したひとりの研究者の抗議声明(筑波大学による学問の自由の侵害に抗議する)に賛同する(2021年3月4日)

「311以後の人間の条件」とは何か。311以後、私たちが、生きる屍ではなく、血が通った人間として存在し続けるための条件とは何か。それは「理不尽に抗う」決意をし、ささやかでもこれを行動に移すことにある(なぜなら、311以後の日本は欺瞞と理不尽で埋め尽くされているから)。
その時、日本はひとつ変わる。どんなに遠くにあろうとも、希望に通じる全ての道はここから始まるから。

311以後、研究者は隠れキリシタンに潜伏してしまい、昨年の「日本学術会議の会員候補者に対する学問の自由の侵害」を取り上げるまでもなく、学問の自由の侵害が日常茶飯事になっている今日の日本において、本日、ひとりの研究者が「理不尽に抗う」決意をし、学問の自由の侵害に対する抗議声明を出した。
今日、日本はひとつ変わった。学問の自由が侵害されるという理不尽な行為に対し、沈黙を余儀なくされるのではなく、おかしい!と抗議できる社会に変わったから。

以下、その研究者の抗議声明である(以下の「平山朝治のブログ」より全文を引用)。
  
  声明文:筑波大学による学問の自由の侵害に抗議する 2021年3月4日
 
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声明文          

2021年3月4日 

――筑波大学による学問の自由の侵害に抗議する――

Word文書版はこちら 

筑波大学人文社会系教授 平山朝治

 本年2月10日付の稲垣敏之副学長より私の代理人宛の書面で、筑波大学が昨年1月につくばリポジトリに掲載した私の論文「NGT48問題・第四者による検討結果報告」(以下、本論説という)をつくばリポジトリから削除する決定を下したことを明らかにしました。私は、この決定に対して、憲法第23条が保障する学問の自由(研究発表の自由)に対する侵害として訴訟を提起することを決意いたしました。

 まず、本論説を執筆した私の意図は次の通りです。AKBグループに属するNGT48のメンバーであった山口真帆さん(以下、山口さんという)が暴行被害にあった事件(以下、本事件という)について、運営会社だったVernalossom(AKSから改称。以下、V社という)は新潟県に対し暴行はなかったと虚偽の説明をし、本事件を巡る問題を扱った第三者委員会の報告書[1]についてV社は記者会見を開きました。これに対し山口さんが反論のツイートを出したところ、V社はこれにきちんとした回答をしないまま、山口さんの意に反してNGT48を卒業させるといった措置を取りました。こうした対応によって、V社の社会的信用は失墜しました。そこで、私は、V社の社会的信用・名誉を回復させるためには、本事件が生じ、山口さんの卒業などに至った経緯を、真実であると信じるに足る諸事実と合理的な推論とによって整理し、それによってV社が自らの責任を明確にすることが必要であると判断しました。また、そのことを当時AKBグループ総監督であった横山由依さんら現役メンバーの多くも、大島優子さん、指原莉乃さんや山本彩さんら芸能界で活躍している卒業生の多くも望んでいると判断しました。そこで、V社の経営陣の問題点の指摘も含めて、V社の名誉回復の基礎となるような知見を提供することによって、私なりの学問の社会的責任を果たすべきであると考え、本論説を執筆し、2020年1月、つくばリポジトリに掲載・公開されました。これに対し、V社から、本論説はV社に対する名誉毀損であるとして、つくばリポジトリからの削除を求める4月14日付の通知書が筑波大学学長と私宛に送られてきました。しかし、本論説はその内容において、V社が名誉毀損と指摘する箇所の大部分は的外れなものであり、残りの部分も「記述された事実を真実と信ずるについて相当の理由がある」ことが認められ、名誉毀損が成立しないことは、同年8月29日付の筑波大学人文社会系コンプライアンス調査委員会宛の私の代理人作成の申入書の中で逐一明らかにしました。
 以上述べた通り、本論説に関する私の意図としても、その内容としても、本論説はV社に対する名誉毀損には当たらず、むしろ失われたV社の社会的信用・名誉を回復するためのものであると考えております。

 したがって、V社の上記行動は、本論説をつくばリポジトリから削除しなければ筑波大学を裁判に訴えるぞと圧力をかけて、筑波大学を使って論説を削除させることを意図しており、これは、第三者(筑波大学)を巻き込んで自身に批判的な言説を封殺しようとするものであり、政治的経済的な力による言論弾圧と言わざるをえません。
 他方、所属する研究者が発表する研究に関して、批判を封殺しようと外部から研究者に対し不当な圧力が加えられた場合、これに抗して研究者の研究の自由及び研究発表の自由を保障しようとするのが大学の本来の姿であり、コンプライアンス通報があった場合、通報が学問の自由の侵害にならないように、学内の規則が定められていますが、本件に関する限り、陳述書で詳しく述べるように、学内の規則に従ってなされていたかどうか強く疑わざるをえないことが多々ありました。その最大の理由は、外部の圧力の影響を強く受けたコンプライアンス管理者が総務・人事担当副学長として学長と並ぶ独裁的な権力を握っているため、大多数の教員がコンプライアンス管理者の意向に屈したり、それを忖度した行動をしてしまったせいであると推察します。その結果、学内のどの組織がどのような理由に基づき本論説をつくばリポジトリから削除する決定を下したのか、決定の主体も決定の理由も私に対して明確な説明もないまま、2月10日付の書面で削除するという結論だけが言渡されることになりました。この点は、添付文書によくあらわれています。この一部始終は、丸山眞男が日本ファシズムについて指摘した「無責任の体系」[2]を想起させる事件と言えるのではないでしょうか?

 もっとも、2月10日付の書面によれば、削除について詳細を記した編集委員会の文書が2月10日には発送済みである旨が書かれていましたが、実際に発送したのはそれから3週間近く経った2月28日でした。しかも、その文書の内容の殆どは私が陳述書で明らかにする予定の事実経緯と明らかに矛盾し、また、削除の理由についても、私が編集委員会に提出した誓約書に本論説が抵触するとあるだけで、なにがどう抵触するのか一言も説明がありませんでした。まさしく「無責任の体系」を想起させずにはおれない報告でした。他方、同封のもう1通の書面にはこのたび編集委員を辞任したこと等について書かれてあり、辞任の理由として、被害者(山口さん)の個人情報(実名)が本論説に載っていたことを編集委員としての力不足のため見過ごしてしまった、これは痛恨の思いであると書かれてありました。しかし、これはこれ以上の的外れは考えられないほどの甚だしい勘違いです。なぜなら、本事件で実名が登場したのは、山口さん本人が自ら実名を名乗ってカミングアウトしたからであり、それを受け、メディアも山口さんを実名入りで報道し、AKS第三者委員会『調査報告書』も山口さんを実名で報告したからです。
 

 最後に、2015年に改正施行された学校教育法と国立大学法人法は憲法が保障する学問の自由に抵触すると批判されてきました[3]が、慶応大学や筑波大学などの学長選考で、学内教職員多数の支持を得た人ではない候補が学長に選ばれ[4]、学長をはじめとする教員人事に関する大学の自治は失われ、それによって護られるべき研究や研究発表の自由も危機に瀕しています。大学執行部は外部の意向を、所属教員は執行部の意向を、過剰に忖度し、学問の自由が脅かされるようになってきたため、社会において指導的な立場を占める人々の言動を監視・批判することによって社会が誤った方向に進まないよう警鐘を鳴らすという、学問の社会的責務を果たすことが、今日、非常に困難になってきております。

 このような現状認識に立ち、私自身が巻き込まれた事件に即して、学問の自由を護るために、筑波大学と裁判で争う決意をした次第です。

 


[1]株式会社AKS第三者委員会『調査報告書』2019年3月18日

[2]「軍国支配者の精神形態」、丸山眞男『現代政治の思想と行動 新装版』未来社、2006年。

[3]公教育計画学会『大学自治の廃棄を策す学校教育法・国立大学法人上改正に反対する声明』2014 年6 月14 日。など。

[4]土居新平・峯俊一平「慶応新塾長、学内投票2位で就任 異例の逆転に波紋」『朝日新聞DIGITAL』2017年5月30日16時14分、「慶応大塾長選、50年の歴史覆す落選を喫した教授──細田衛士慶応義塾大学教授『慣行が密室の場で壊された』」『日経ビジネス』2018年3月9日、『筑波大学の学長選考を考える会HP』。

2021年3月2日火曜日

【第59話】【速報】春望:民破れて医大栄えり 弱きをくじき、強きを助ける理不尽極まれり判決、言渡される(2021.3.1)

 2021年3月1日、2014年8月提訴した子ども脱被ばく裁判の判決言渡し日。

子ども脱被ばく裁判とは、福島原発事故という日本史上最悪の、未曾有の過酷事故を起こしておきながら、事故後に「事故を小さく見せること」しか眼中になく、子どもたち、市民に無用な被ばくをさせた日本政府と福島県の責任を真正面から問うた裁判。言い換えると、311後に出現した、
・子どもの命・人権を守るはずの者が「日本最大の児童虐待」「日本史上最悪のいじめ」の当事者になり、
・加害者が救済者のつらをして、命の「復興」は言わず、経済「復興」に狂騒し、
・被害者は「助けてくれ」という声すらあげられず、経済「復興」の妨害者として迫害され、
・密猟者が狩場の番人を。盗人が警察官を演じている。狂気が正気とされ、正気が狂気扱いされる、
「異常が正常とされ、正常が風評被害、異端とされる世界」その世界のあべこべを根本から正そうとした、世界で最初の裁判。

その結果は以下の写真の通り、理不尽極まれり判決。

この日、裁判所は、せっかく15頁にわたる判決要旨を用意したにもかかわらず、それを読み上げることすらせず、開廷し主文だけ読み上げるや、「閉廷!」と宣言して、ハヤテのように去っていった。この間1分足らず。
その判決は、被告の日本政府や福島県から「あっぱれ!」と百点満点がつけられるほど、被告日本政府や福島県の数々の問題行動を完璧に正当化してみせた()。
他方、原発事故で無用な被ばくをさせられた弱小の市民に対し、「まだ厳密な証明が足らない!」とムチ打ってこき下ろした。つまり零点(原告の全面敗訴)をつけた。のみならず、零点の理由も、どんなに努力してもこれ以上ひどい理由は思いつけないほど最悪の部類に属する理由づけ、ズカッと言えば人権侵害としか言いようのない理不尽極まる理由付けだった。だから、裁判官は判決要旨を読み上げる勇気すら持てなかった。

)例えば、311直後の山下俊一氏の発言について、原告はそれは《科学的知見から明らかに逸脱したとしか思えない数多くの問題発言》(準備書面(60)) と前代未聞の悪質な違法行為だと主張し、また、当の山下氏本人も、2020年3月の証人尋問の直前に至り、山下発言は通常時なら違法でも、緊急事態時だから違法性が阻却され許されるという正当化理論(クライシスコミュニケーション論)で弁解してきたにもかかわらず(そのブログ記事)、判決は、緊急時の山下発言は違法性が阻却されるかという際どい問題には一切言及せず、《科学的知見を一般の参加者向けに平易に説明したもの》(判決要旨15頁)と思い切り単純明快に擁護してみせた。これには、さすがの山下氏本人も「あっぱれ!」と、そのずば抜けた忖度ぶりに感嘆するほかあるまい。


この日、久々に福島駅前に降りた原告代理人の目に飛び込んだのは、それまで工事中だった福島県立医大の保健科学部の完成建物。大きくそびえ立つ巨大な姿はまさしく、国と福島県の威信を背負う医大の繁栄を象徴するかのようで、思わず「民破れて、医大栄えり」 311から10年、福島は人権侵害判決のもと、病院がますます繁栄する街に変貌する‥‥ 

しかし、もともと子ども脱被ばく裁判は三審制ではなく、四審制。裁判官の裁きだけではすまない、そのあとにもう1つの裁きが控えている。それが歴史の裁き、或いは天の裁き。いくら裁判官が忖度して、あなた好みの判決を書こうとも最終的には歴史の裁き或いは天の裁きに従わざるを得ない。
この日、1分足らずで法廷から逃げるように去っていった裁判官は、それだけで既にこの歴史の裁きを受けた。しかし、本当の裁きはこれから。そして、この歴史の裁き、天の裁きに参加できるのは私たち民、市民。私たちひとりひとりの手で歴史の裁き、天の裁きを実現するために取り組もう。

このあと、本日の判決の中身を明らかにする予定、取り急ぎ、本日の判決要旨の全文は->こちら
以下は、①福島駅前にそびえ立つ医大の保健科学部の完成建物、②裁判所に向かう途中の住宅の庭の松ぼっくり、そして③判決要旨1頁目。


                 ②.裁判所に向かう途中の住宅の庭の松ぼっくり


                         その拡大写真  

                       松ぼっくりの異変?

                ③.判決要旨1頁目(クリックすると全文が表示)


2020年11月9日月曜日

【第58話】友あり遠方より来る、痛い!11月のアブラセミ(2020年11月9日)

新老年とはいえ、老年にはちがいないから、抜歯みたいなのが日常の話題である。今日は7日の新宿デモのため、延期してもらった歯医者の治療日。虫歯の様子を見て判断する予定だったが、診断の結果、抜歯と決定、即実施。60数年間の分身にお別れのあいさつをする間もなく、「帰りの自転車はゆっくりこぐように」とかこまごまとした注意事項を与えられる。

少々、クラクラした頭で帰宅。すると、玄関わきに、アブラセミが腹を上に寝そべっている。夏の間捕まえて、そのまま標本みたいにしていたやつがここに転がっていたのかと拾い上げる。すると、足が動き出す。一瞬、ウソだろう!しかし、セミはお構いなく、足を必死にバタバタさせる。11月にセミにお目にかかったことは初めてのことで、よくぞ遠方より来てくれたと家に招き入れる。

テーブルの上に置いて、様子を見る。動かないので、足に触れると、少しずつ前に動く。しかし、また止まる。こちらがまた足に触れると、また動き始める。こいつ、11月なんかに地上に現れて、俺なんかよりもうよっぽど老年なのかも。しかし、ほっとくと、しばらくすると、ずんずん前に向かって歩き出していた。どこへ行くんだい?ここにいても、何も食べ物ないし‥‥





庭のみかんの若枝にでも連れていってあげようかと、人差し指にセミをとまらせて、2階から庭に移動し始めた。
その時である。私の指にちょっとした激痛が走った。何だ、この痛みは?!
痛みは、セミがとまっていた人差し指から来た。見ると、セミの長い口が私の親指に突き立っている。
こいつ、オレの人差し指に突き刺して、オレから養分を吸おうとしたのか。
この無謀な行動に、思わず、感動してしまった。

市民立法「チェルノブイリ法日本版」の行動は、「全ての希望の扉をたたき、開き、注ぎ込む」という取り組みだ。今日、出会ったセミが生きるために、私の親指に口を突き刺そうとしたのは、君もまた「全ての希望の扉をたたき、開き、注ぎ込もう」としたからだ。君の「全ての希望の扉をたたくぞ」という意気込みは、私に鋭い痛みとしてしっかり伝わった。おかげで、抜歯の痛みが、一瞬、どこかに吹き飛んだ。

その意気込みで、君に残された老年を、庭のみかんの樹液で満たしてくれることを祈る。
私も、君から授かった意気込みを胸に、私の「全ての希望の扉をたたく」取り組みに向う。




追伸(11.12)

翌日、その後、セミはどうしているだろう?とミカンの木の周りの様子を探ってみたが、姿は見つからなかった。3日後の今日、再び、ミカンの木の下を探してみたら、地面にセミが横たわっていた。そっと救い上げ、そっとお腹を押してみる。3日前のように、足をバタバタさせるんじゃないか、と。それはなかった。しかし、セミは私の指にゆっくりと押された。

まだ命が宿っているかのようなつややかなうちに、記念撮影。


そのあと、君の生きた最後の場所に穴を掘ってささやかな墓を作る。君が私の人差し指を突き刺そうとした志は永遠の命の証だ。




2020年11月8日日曜日

【第57話】コロナ災害が教えたこと、それは311原発事故と同様、私たちの科学技術文明の大敗北だということ(2020.11.7第15回新宿デモスピーチ原稿)

以下は、11月7日(土)に行った、素人市民グループ「脱被ばく実現ネット」主催の第15回新宿デモのスピーチ原稿。

現在の出来事を過去の出来事と比較してみる:15年前の新型病原菌出現の警告
 私たちは、15年前の2005年から、今日のコロナ災害のような、世界規模で健康被害を及ぼす、強力な新型病原菌が出現する可能性が大であると警鐘を鳴らしてきました(禁断の科学裁判)。当時、新潟県上越市で、国が地元市民の反対を押し切って、強力なテクノロジーを用いたの遺伝子組み換えイネの野外実験を強行しようとし、その実験の過程で、最強の新型病原菌(ディフェンシン耐性菌)が出現する可能性があることを、耐性菌の世界的権威である平松啓一順天堂大学教授の「これは決して荒唐無稽な夢物語ではない」と警告する意見書等をもとにし、実験の中止を強く求めたからです。いわば怪物のような科学技術の行使が怪物のような新型生物を生み出す危険性があると警告しました。

しかし、国も遺伝子組み換え技術を推進する研究者たちもこの警告をまもとに取り合わず、無視しました。しかし、 15年後に、最強の新型ウイルスにより世界規模の健康被害が現実のものとなりました。

その上、これは何かに似ています。どこかで聞いたことがあります。
それは、1986年、チェルノブイリ事故が発生した時です。「原発事故は決して荒唐無稽な夢物語ではない」と日本の原発を警告する市民の声が高まりました。しかし、日本政府はこう言って無視した。「日本はソ連とちがい、高度の技術を持っている。チェルノブイリのような事故は絶対起きない」と。しかし、25年後に、日本政府が荒唐無稽な夢物語と無視した原発事故が福島で現実のものとなりました。

さらに、災害発生後の政府の対応もどこか似ています。
福島原発事故に対する政府の三大政策は「情報隠蔽」「事故を小さく見せること」「基準値の引き上げ」。当初、政府は、原発事故は短期間で収束すると言い、人々に年内には自宅に戻れると楽観させましたが、やがてその見通しは崩壊しました。
コロナ災害も、政府らは東京オリンピックを予定通り実施すると言い、短期間で収束する楽観を人々に振りまきました。しかし、今、その見通しは原発事故と同様、崩壊しつつあります。

加えて、今回のコロナ災害で、私の中で初めてハッキリしたことがあります--私たちはコロナウイルスに勝てない、だからコロナから遠ざかるしか、逃げるしかない。これは原発事故とそっくりではないか。私たちは放射能に勝てない、だから放射能から遠ざかるしか、逃げるしかない、と。また、福島で異常に多発している小児甲状腺がんの原因をめぐって、けんけんがくがくの議論や発症数の隠蔽といったことが問題になっている。それはなぜか。その根本的な理由は、我々の現在の科学技術では、被ばくと小児甲状腺がんの因果関係(メカニズム)をズバリ解明する力がないからです。いわんや、被ばくとほかの病気との因果関係についてはなおさら解明する力がありません。つまり、我々が誇る科学技術はコロナにも放射能にも無力だ、どちらについても我々のこれまでの科学技術は無ざんな敗北を喫しているのだということです。
この意味で、福島原発事故と新型コロナウイルスは一直線につながっている。
この意味で、私たちは、311以来ずうっと、同じ敗北、同じ危機の中にある。

だから、私たちは、福島原発事故と新型コロナウイルスによる我々の科学技術文明の決定的な大敗北の中から、二度と、このようなことをくり返さない新らたな科学技術と社会を、私たちの手で作り上げていく必要があり、このことを私たち市民自身が決意する必要があります( 参考:2020年4月28日の大村智氏の発言)。

日本の出来事を世界の出来事と比較してみる(その1):ウクライナがやったこと
だが、311後の現実の日本の政府、日本の社会はどうでしょうか。311後の日本政府と日本社会の正体を浮き彫りにするため、同じ原発事故を経験した国ウクライナと対比してみます。
(1)、旧ソ連崩壊後のウクライナの初代大統領(レオニード・クラフチュク)はこう言いました。
チェルノブイリ事故は、ウクライナにとって宇宙規模の悲劇だ」と。
これに対し、この国の政権担当者はどう言ったでしょうか。
「健康に直ちに影響はない」
「国の定めた基準値以下だから心配ない」
福島の状況は「アンダーコントロール」
経済復興のため、福島の「風評被害の払拭に向けて」全力で取り組む。
恥ずかしくなるほどの何というちがいでしょう。

(2)、ウクライナは原発事故の被害から人々の命、健康を世代を超えて守るため、憲法を改正して、「チェルノブイリ事故から子孫を守ることは国家の義務である」と宣言した(16条)。
これに対し、この国の首相は何をしたでしょうか。
「福島原発事故から子孫を守ることは国家の義務である」などとは一言も口にせず、命を奪う人殺しつまり戦争が堂々とできるように憲法9条を改正することをライフワークに掲げ、その実現に血なまこになりました。
恥ずかしくなるほどの何というちがいでしょう。

(3)、ウクライナは、旧ソ連時代に成立した、国際標準の年1mSvで避難の権利を保障するチェルノブイリ法を旧ソ連崩壊後も、困難な経済状況の中で維持継続、人々の命、健康、暮らしを守ろうとしました。
これに対し、この国の政府は何をしたでしょうか。
他国jの危機である、2012年の欧州の金融危機に直ちに「4.8兆円の拠出」を表明し、ウクライナとは比較にならないほど経済的余裕を示したにもかかわらず、自国の国難である311原発事故に対しチェルノブイリ法日本版の制定を一度も口にしなかった。
恥ずかしくなるほどの何というちがいでしょう。

(4)、ウクライナは、2011年、小児甲状腺がん以外にも実に多くの病気が、とりわけ子どもたちに心筋梗塞や狭心症など心臓や血管の病気の増加が、低線量被ばくにより発症したとする「ウクライナ政府報告書「未来のための安全を発表しました。

              (ウクライナ政府報告書の目次より
第4節 人々の健康に対するチェルノブイリ惨事の複雑な要因の影響
3.4.1 神経精神医学的影響
3.4.2 循環器系疾患
3.4.3 気管支肺系統疾患
3.4.4 消化器系疾患
3.4.5 血液学的影響

これに対し、この国の政府は何をしたでしょうか。
ウクライナ政府報告書に匹敵するような報告書は何ひとつ作成しなかった。やったのは健康被害に関する情報封鎖。小児甲状腺がんの発症数すら経過観察中に発症した数を開き直って封鎖している有様です(経過観察問題)。この徹底した情報封鎖のおかげで、被ばくによりどれくらいの健康被害が発生しているのか、その真実は私たちの前から完全に隠蔽されたままです。
恥ずかしくなるほどの何というちがいでしょう。

これが311後の私たちの社会です。311後の日本はどこに向かっていくのでしょうか。

日本の出来事を世界の出来事と比較してみる(その2)核兵器禁止条約の発効
しかし、日本のことは日本だけでは分かりません。世界と比較してみて初めて見えてくるものがあります。世界では、ここ最近、すごい出来事が起きました。トランプの国の大統領選挙の話ではありません。そんなマイナーな話題ではありません。先ごろ、核兵器禁止条約が世界中で50ヶ国の批准が得られ、正式に発効するという世界史的な出来事です。

この出来事がなぜすごいか。それは、トランプが公言してはばからなかったように、
核兵器を保有するアメリカ、中国、ロシアなどの超大国は世界中の国々に対し「批准をするな」と強烈な圧力をかけたにもかかわらず、50ヶ国が超大国の圧力をはねのけて、条約を批准したからです。では、これらの国々が超大国の圧力をはねのける力はどこにあったのでしょうか。思うにそれは、基本的に、世界中の市民からの圧力以外あり得ません。核兵器の廃絶を願い、求める世界市民のネットワークの力・声が50ヶ国の批准を勝ち取ったのです。

ところで、この条約の発効に対し、マスコミは「批准しない核兵器を保有する超大国に対し拘束力はないから、条約の実効性が乏しい」と指摘します。その通りです。しかし、画期的なことは、
核兵器禁止条約が発効したことで、核兵器の禁止をめぐって国際上の規範が二重状態になったことです。これがなぜ画期的かというと、それまで、国際上の規範は、核拡散防止条約という核兵器保有国優先の規範だけしかなかった一重の状態から、この条約と核兵器保有国の優先を認めない核兵器禁止条約が並存するという拮抗する規範の二重状態がスタートしたことで、しかもこの2つの規範の二重状態を、世界中の市民のネットワークの力が出現させたことです。つまり、私たち市民のネットワークの力が社会のあるべき規範をジワジワと作り出していく原動力であることを示したのです。

核兵器禁止条約の発効が意味することは、311後の世界の特徴は、私たち市民のネットワークの力が社会のあるべき規範をジワジワと作り出していく市民立法の時代だということです。

私たちも、この
核兵器禁止条約の発効という偉業から学び、市民のネットワークの力を育てることの大切さに注目する必要があります。では、どうしたら、この「市民のネットワークの力」を育てられるでしょうか。
そのためには、まず
市民のネットワークの力」を学ぶことです。

学ぶことの根本は「習慣を変えること」
直接民主主義の重要性を訴えたルソーは、学ぶことの根本は「習慣を変えることだ」と言いました。学ぶとは習慣を変えることであり、習慣が変わらなければ本当に学んだとは言えない、と(丸山真男話文集続2.165頁による)。
私は、311で、それまでの習慣が変わりました。一番変わったことが、それまで殆ど行ったことがなかったデモに行くようになったことです。それどころか、仲間と一緒にデモを企画し、実行するようになりました。デモの経験を通じ、市民が心から願っていることを声に出し行動に移すことがどれほど大切なことか、デモが市民のその願いを無条件でかなえる、いかに素晴らしい政治参加のツールであるかを身をもって学びました。それは
市民のネットワークの力」を学ぶ生きた実例でした。その学びをした結果、私は「デモをする習慣に変わった」のです。

「日本の出来事を、日本だけで眺めるのではなく、世界の出来事と比較して眺める習慣に変えること」「現在の出来事を過去の出来事と比較して眺める習慣に変えること」「デモをする習慣に変えること」、これらは私にとって、どんなにささやかで小さな習慣であっても、とても大切な習慣です。
このような習慣を今後とも生涯身に付ける努力を続けていきたい、そして自分ひとりだけでなく、一人でも多くの人たちとこのような習慣を共有できるように取り組んでいきたいと思います。


)ノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智氏は、従来の科学技術ではない、予防原則という観点からの新型の科学技術の必要性について、日経のインタビューに次のように答えている(4月28日付日経新聞
――人類の英知で危機は乗り切れますか。
治療薬はいずれできるが、それで感染症の脅威を切り抜けられると考えるのは甘い。‥‥現代人は感染症を避けようと、便利な製品や技術に依存してきた。たとえば除菌剤を多用し、至る所を抗菌処理して安心しきっていた。それが通用しないことが、図らずも明らかになった

――では、どうすればよいと。
薬が必要な状態になる前に、病気の芽を摘めるようにするための科学が重視されるべきだ。そのうえで、感染症の基本に立ち返り一人ひとりが先回りして自ら備えをしておく。北里柴三郎先生が唱えた予防医学の考え方とも一致する」
「特別に難しいことではない。身近なところでは、生活リズムをあらためる。きちんと食事して栄養をとり、体力をつける。体調が悪いのに無理に仕事に出かけることはしない。そんな当たり前のことが大切にされる社会に、少しでも近づくと期待したい


2020年11月5日木曜日

【第56話】311後の自分を「気が狂った」のではないかと思ったことは異常だったのか(第2稿)(2020.11.5)

或る個人的な体験
311後に、自分のことを「気が狂う」のではないかと思ったことがたびたびあった(たとえば、2011年4月19日の文科省のいわゆる20ミリシーベルト通知)を知ったあとに)。なぜなら、311後に「頭の中がグジャグジャになり」、その結果、正気を保っていられないのではないか、気が狂うのではないかという恐怖に襲われたからである。

文科省が、ICRP勧告を大義名分にして出した、暫定的に福島県内の小中学校等の安全基準として年20mSvを適用する旨の

しかし、私は、これまで、なぜ、自分が気が狂うのではないかという恐怖に襲われたのか、その恐怖の感情の中で、もっぱら個人的な資質・原因によるものだろうと勝手に決め付けて、それ以上、理由を正面から突き詰めたことがなかった。

だが、先日もらった福島の人のメールを読み、この人の、311以来、時間が止まり、福島原発事故はさながら昨日の出来事みたいに生々しい体験として、思いの丈をぶつける激しいメールの文面から、ひょっとして、この人もまた、私と同様の経験をしたのではないかと思った。

似たような人がいるということは、私だけの特殊な個人的な体験では済まない、もっと普遍的な事情がそこに潜んでいることをうかがわせた。

新青年」の最初の作品
そんなことをぼんやり考えていた折、 先ごろ、近代中国の民主主義の原点である五・四運動、この運動を準備した「新青年」の発刊という文化運動、とりわけ知識を一握りの権力者、知識人の手に独占させるのではなく、一般民衆に解放させる白話運動を調べている中で、この解放運動の最初の作品が魯迅の「狂人日記」(1918年)だったことを知り、衝撃を受けた。生まれによる差別、身分による差別を当然と考える身分制社会の束縛から人々の心、精神を解放し、正常化するための白話運動の第一歩を、魯迅が「狂人日記」という形で示したことに、魯迅の並々ならぬ決意のようなものを感じたからである。
その理由は以下の通りである。

たとえ、魯迅が生まれによる差別、身分による差別は理不尽だと考えたとしても、たとえ、魯迅が人々がまっとうに生きるためには、身分制社会の束縛から人々の心、精神を解放し、正常化する必要があると考えたとしても、生まれ・身分による差別を当然のものとする身分制社会をよしとする連中からみれば、魯迅の考えはバリバリの異端であり、異常であり、気ちがい沙汰であり、自分たちとは相容れない絶対許せない考えである。このように考える連中が当時の世の中を牛耳っているとき、彼らの見解が世論であり、常識であり、正常とされた。だとすれば、魯迅の考えは非常識であり、気ちがい沙汰であり、「狂人」とみなされたのは当然である。であれば、変なてらいも、へつらいもせずに、世の支配者の考え通り、いさぎよく、気ちがい扱いされることを正面から堂々と掲げて、自分たちの信念を述べる作品を「狂人日記」と命名したのは、きわめて素直なこと、すこぶる健全な行動だと分かったから。

 百年後にもし魯迅が生きて311後の日本を見ていたら、事故後まもなく、アンダーコントロールをうたい文句にしてオリンピック誘致に狂走し、原発事故はなかったかのように振舞う311後の日本社会の「世論」「常識」「正常」からすれば、原発事故による被ばくとりわけ内部被ばくの危険性を訴え続け、人の、とりわけ子どもの命、健康の救済を訴え続ける人たちの声は「非常識」とされ、「非国民」とされ、「風評被害」とされ、つまるところ「異端」「異常」、ズカッと言えば「狂っている」=「狂人」扱いされることを見て取るだろう。この意味で、私は311後に、自分が狂うのではないかと感じたのはきわめてノーマルな、健全な感覚だった。

魯迅は「狂人日記」の最後をこう締めくくった。救うべき相手は子どもだ、と。

四千年の食人の歴史をもつおれ。はじめはわからなかったが、いまわかった。真実の人間の得がたさ。

       十三
人間を食ったことのない子どもは、まだいるかしらん。
子どもを救え‥‥‥‥

漱石の「文学論」序

このように「狂人日記」の題名の歴史的な意味を自分なりに理解した時、同じ時代の日本に、もう一人、自分のことを狂人のように考え、それをあけすけに語った人物がいたことを思い出した。夏目漱石である。

 1906年、漱石は「文学論」の序の最後に、こう書いた。

原 文

現代語訳

英国人は余を目して神経衰弱と云へり。ある日本人は書を本国に致して余を狂気なりと云へる由。
賢明なる人々の言ふ所には偽りなかるべし。ただ不敏にして是等の人々に対して感謝の意を表する能はざるを遺憾とするのみ。
帰朝後の余も依然として神経衰弱にして兼狂人のよしなり。親戚のものすら、之を是認するに似たり。
親戚のものすら、之を是認する以上は本人たる余の弁解を費やす余地なきを知る。
ただ神経衰弱にして狂人なるが為め、「猫」を草し「漾虚集」を出し、又「鶉籠」を公けにするを得たりと思へば、余は此神経衰弱と狂気に対して深く感謝の意を表するのは至当なるを信ず。
余が身辺の状況にして変化せざる限りは、余の神経衰弱と狂気とは命のあらん程永続すべし。
永続する以上は幾多の「猫」と幾多の「漾虚集」と、幾多の「鶉籠」を出版するの希望を有するが為めに、余は長(とこ)しへに此神経衰弱と狂気の余を見棄てざるを祈念す。

英国人は私を見て、神経衰弱と言った。ある日本人は、手紙を本国に書いて、私が狂気であると言ったそうである。
賢明な人たちの言う所には、偽りはないだろう。ただ機敏でないため、これらの人々に対して、感謝の意を表することができないことを、遺憾とするのみである。
帰朝後の私も依然として神経衰弱にして狂人とのことである。親戚のものすら、これを是認するようだ。
親戚の者にすらこれを是認される以上は、本人である私が弁解する余地がないことを悟る。
ただ神経衰弱にして狂人であるがために、「猫」を書き、「漾虚集」を出し、又「鶉籠」を公けにすることができたと思えば、私はこの神経衰弱と狂気に対して深く感謝の意を表すのは至当であると信じる。
私の身辺の状況が変化しない限りは、私の神経衰弱と狂気とは、命のある限り、永続するだろう。
永続する以上は、沢山の「猫」と、沢山の「漾虚集」と、沢山の「鶉籠」を出版するという希望を有しているので、私は、とこしえに、この神経衰弱と狂気が私を見捨てないことを祈念する。


30年前、初めてこのくだりを読んだ時、その激しい開き直りに、漱石の桁違いの孤独を感じた。しかし今、魯迅の「狂人日記」と比較してみて、初めて気がついたことがある。それは、漱石はただ開き直っていたのではなかった。正常と異常、常識と非常識、正統と異端はいくらでも入れ替わることが可能な相対的なものであって、単に、世の支配的な見解、立場がそれを決定しているだけのものでしかないことを彼はよく分かっていた。その上で、漱石は、自身の立場にひそかに自信を持ち、それゆえ、狂人と思われることを何一つはばかることなく、何一つおそれることなく、ズケズケと表明したのだ、本当はどちらが狂っているのか、今に裁かれる時が来る、と。これもまた、「坊ちゃん」を書いた漱石にふさわしい健全な態度だと思った。

ルソーの神経衰弱・狂気
百年前、魯迅と漱石が直面した「頭の中がグジャグジャになる」という現実が百年後の311で、再び、私の前に出現した。そのことに気がついた時、そこから私は、さらに百年以上前に、「神経衰弱と狂気」と「被害妄想」に苦しめられてきたもうひとりの人物のことが思い出された。ルソーである。


「人間は自由なものとして生まれたが、いたるところで鉄鎖につながれている」と、身分制秩序の徹底的な否定を唱えたルソーは、かつての友人も含めルソーに対する執拗な陰謀と攻撃、不当な迫害から自己の正当性を弁明するため、「いまなお正義と真実を愛するすべてのフランス人に」という題のビラを書き、街頭で道ゆく人に自らビラ配りした。250年近く前、街頭でビラ配りするルソーを想像したとき、彼もまた、自分のことを「気ちがいじみている」と思ったのではないかと私には思える。

ただ、ルソーは、差別と束縛の身分制秩序への徹底した批判が、世の支配者たちから、当然猛反発を買い、彼の見解が「非常識」とされ、「異端」「異常」とされ、「気ちがい沙汰」とされ、「狂人」扱いされてしまうことを、魯迅や漱石のように冷静に受け止めることができなかった。心情的に猛反発し、この不当な扱いを激しく呪った。学生時代、ルソーのこの呪いのくだりを読むと、正直、ウンザリし、そのため、彼を敬して遠ざけてしまった。しかし今は、魯迅、漱石を鏡にしてルソーを再定義してみた時、やたら愚痴をこぼすルソーが、どんなに愚痴をこぼそうが、魯迅、漱石と並ぶ、社会の不正・矛盾に対する情け容赦ない批判者として、永遠の「幼な心」を抱く健全な精神の持ち主として、無条件で大切な人と思えるようになった。これは新老年の私にとって、これ以上ない真実の宝物との出会いである。

このように、ルソー、漱石、魯迅から、正義と不正義がひっくり返るあべこべの異常な時代において、自分が狂人のように思えるという異常体験の正当な意味を考える手がかりを教えられた。

結論
私もまた、ルソー、漱石、魯迅のように、「神経衰弱と狂気」と「被害妄想」が否応なく、私を追い立てて、創造的なアクション、活動に駆り立てることに深く感謝し、311後の異常事態が正常化するまで、とこしえに、この神経衰弱と狂気が私を見捨てないことを願う。





【第55話】「311後の私たちが起こした行動は人権の実行だった」とはどういう意味か(第1稿)(2020.11.5)

 311で還暦を迎えた私は、これまでの人生でデモをしたことは2度しかない。1度目は70年安保反対デモのとき。2度目は2003年の米国らのイラク侵略戦争への反戦デモのとき。しかし、それらは自分の生活に中で持続性が持てず、そのあと、潮が引くように自分の中で消えていった(正確には、記憶の底にしまいこみ、封鎖した)。

 しかし、311後に起きた出来事は違った。自分の中で何かが変わった。それは習慣が変わった。デモをする習慣がついた。それと同時に、長らく記憶の底にしまい込み、封鎖していた過去の経験が、再び頭をもたげる瞬間でもあった。それは311後の新しい習慣がなせる「歴史の経験から学ぶ」ことの1つである「過去の自分史の再定義・再発見」だった。

私は新老年として、 「過去の自分史」の1つを、以下に再定義・再発見する。

***************

四半世紀前、埼玉県で「I LOVE 憲法」という市民によるミュージカルが企画実施され、私の妹家族も参加し、母子ともすっかりはまっていた。その練習風景を見に行っていた折り、主催者から私に、法律家として「I LOVE 憲法」について何か喋って欲しいと言われ、きゅうきょ、以下のことを話した。

私の妹はこれまで専業主婦でずっと家にいました。しかし、そのうちに、何だかこれはおかしい、いつも家に縛り付けられるのではなく、私にももっと私なりの生き方があったもいいのではないかと思うようになりました。その中で、彼女は、この「I Love 憲法」のミュージカルを見つけました。ここは彼女にとって、新しい生き甲斐の場だったのです。
しかし、彼女の夫は、これを必ずしも歓迎しませんでした。家に、自分の元に置いておきたかったのです。しかし、彼女は、私にも自分なりの生き甲斐を求める権利があると思いました。だから、夫の反対を押し切って、それに抵抗して、ミュージカルの練習場に来たのです。
その話を聞き、私は、これが憲法(人権)なのではないかと思いました。憲法では、いかなる個人にも、その人なりの幸福追求権を保障しています。しかし、それは、抽象的な、絵に描いた餅ではなく、私の妹の場合、夫の反対に抵抗してみずからこの場に来るという行為を通じて初めて実現されるものでした。だから、彼女は、この場に来るという行為を通じて憲法を実現し、憲法を愛することを実行している、つまり、「I Love 憲法」そのものを実行していると思ったのです。

人々は「I Love 憲法」と口にします。しかし、憲法を愛するというのは一体どういうことでしょうか。憲法を愛するというけれど、そもそも憲法は目に見えるものでしょうか、或いは、手で触ることができるものでしょうか。もし憲法が六法全書という紙に書いてあると言うのでしたら、それならば、その紙を燃やしてしまえは、憲法はなくなるものでしょうか。それとも、六法全書を燃やしても憲法はなお存在するというのであれば、それはどのように存在しているものでしょうか。

その答えは、憲法(人権)とは、人権侵害という事実があったとき、その事実に対して、「おかしい!」と声をあげること、抵抗すること、そのときに初めて憲法がその人を守ってくれる、つまり、その抵抗という姿勢、構えをする限りで、憲法もまた存在するのだということです。
だから、人権侵害の事実があったとき、その事実に対して、「おかしい!」と声をあげないとき、抵抗をしないとき、憲法もまた存在しなくなるのです。
この意味で、憲法は私たちの生きる姿勢、構えそのものだということです。
そのことを、私の妹は、夫の反対に押し切ってみずからこの場に来るという抵抗を通じて憲法を実現し、憲法を愛することを実行したのです。この点で、彼女は「生きる人権」、まさに「I Love 憲法」に相応しい存在です。

‥‥とっさの思いつきでこの話をしたら、予想外にも、参加者の人たちから拍手喝さいを浴びた。
想定外の拍手を聞きながら、それまでひそかに考えてきた「人権とは理不尽に抵抗するという私たちの生きる姿勢、構えそのもののこと」という自分の考えがこの人たちには伝わった、これで間違っていなかったとこの時、確信した。 

***************

311後に、再び、この時の記憶がよみがえってきた。
それは、311後の私たちの行動とは、311後の日本社会の前代未聞の理不尽さに抵抗せずにおれなかった抗議のアクションであり、そのエッセンスは人権を自ら実行することと一直線にリンクしたから。このリンクを通じ、私は、このときの自分の経験の意味を味わい、改めて自信を持った。と同時に、311後の自分たちの行動の意味も新たに与えられ、新たな確信を与えられた。

新老年とは、自分の青年時代、中年時代の自分史の再定義・再発見でもある。



 

 

【第186話】もうひとりの新老年の盟友、大庭有二さんとの対話(26.3.15)

      2025年8月長野県松本駅(左が大庭さん、その右が菅谷昭さん) ◆ はじめに  以下を書きながら、なんでもっと早く、大庭さんが新老年の盟友のひとり=真の友であることに気がつかなかったのかと、己の鈍感力に無力感に襲われている。 ◆ 本論 大庭有二さんとは、子ども同士が、...