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2023年10月15日日曜日

【第120話】日本版は既に制定されている。あとは、私たちがそれを確認するだけ。(23.10.15)

つぶやき。
不都合な真実ばかりが真実ではない。私たちにとって幸いな真実もあるのだ。
だが、不都合な真実を見ようとしない者には、幸いな真実もまた見ることができない。
不都合な真実を見ないために思考停止する者は幸いな真実にも思考停止したままである。
幸いな真実を見たいと思うなら、不都合な真実を見ることを恐れてはいけない。


これは今まで誰も、当の本人ですら思い描いたことのなかったこと。先週、北茨城市に滞在して家の補修工事をやっている最中に、ふと想到したこと。
しかし、ひとたびこれに気がついた時、その瞬間、その正しさを、私の身体の中で、全身全霊で確信するに至った。以下は、その核心部分だけを示したもの。

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前置き
日本版の制定を世の中に最初に呼びかけたお母さんは、何度も呟いた。
「日本版を制定するのはマッターホルンの頂上に登るようなもの」
それくらい大変なんですという思いを込めて。

その時は、きっとそうなんだろうなと思い、黙って聞いていた。 それから6年経った今、
「それは勘違い。なぜなら、私たちはすでにもうマッターホルンの頂上に登っている。ただ、自分が立ってる場所がマッターホルンの頂上だということに気がつかないだけ」
そう確信を持って言えるに至った。以下がその核心部分。

本文
「私たちが新たに日本版を制定するのではない。

日本版は既に日本の法体系の中に存在している。

ただし、それは誰にも見える場所にではなく、法体系の穴の中に埋っている。

私たちは、それを掘り出して光を当てる必要がある。

この確認作業、それが日本版の会の仕事。

だから、それは育てる(制定する)までもなく、育っている(制定し終わっている)のを掘り出す仕事。」


以上のことは張ったりでも何でもない。当たり前のことを丹念に積み重ねて行ったら誰もが合点する普遍的な出来事。
そこで、これをもう少し理屈っぽく順番に説明すると、以下の通り。

(1)、原発事故の救済について、311までの日本の法体系はこれに対する備えがなく、全面的な「法の欠缺」状態にあった。
(2)、311後も、基本的にその欠缺状態を立法的に解決しようとしなかった(その場しのぎの行政的な措置で対応してきた〔ように見える〕)
(3)、その結果、311後も「法の欠缺」状態が続いている。
(4)、その時、本来求められることは「欠缺の補充」である。つまり、
(5)、欠缺の補充を上位規範である憲法及び条約とりわけ国際人権法に基づいて、これらに適合するように補充する必要がある。
(6)、その補充の結果、国内避難民の指導原則等に示された被災者の人権保障によって補充された法規範、これをトータルに示したものが、ほかならぬ日本版そのものである。


さらに以下は、以上の説明に対する私自身の自問自答のコメント(まだ未整理のため、備忘録として残したもの)。

今回、私が思い至った上記のアイデアは、避難者追出し裁判の「国際人権法に基づく避難者の救済」の論点を日本版に応用したもの。

避難者追出し裁判は当初、この裁判には勝ち目はない、やれることは「時間稼ぎ」くらい、というのが弁護団、支援者の認識だった。あとから参加した私は、その認識に驚くと同時に、本当にこの裁判に勝ち目がないのか、一から検討し直すべきではないかと考え、誰もあてにしていなかった「国際人権法」に焦点を当てて、ああでもない、こうでもないと検討して行くうちに、避難者の人権を守れる法的な手段として国際人権法が使えるということを「発見」した(→第70話)。
ただし、最初、この「発見」を口にした人は誰もいなかったので、本気では誰にも相手にされなかった。ただ、そうはいっても、ほかに反論の手立てもなかった、まあ、やらせておくか、という感じで、私のやりたいようにやらせてもらった。そしたら、意外にも、担当裁判官は、私の反論を単に「なにバカなことを言ってるのか」と一蹴するんではなくて、ひどくナーバスな反応をした。それでむしろ私は「こいつはいける」と逆に自信を深めた。そのような思いがけない展開になって、支援者の人たちも「俺たちも、国際人権法について知らな過ぎた」と関心を抱くようになり、「国際人権法による避難者の人権保障」という考え方がみんなの頭の中に徐々に定着するようになった。
不思議なことに、「国際人権法による避難者の人権保障」というアイデアは、それまで誰もまともに受け止めてこなかったのに、ひとたびそれが人々の頭の中に入ってくると大昔からそのアイデアが存在する真理みたいに、当然のものとしてみんなの頭の中に浸透していった。

それは、歴史上の新たな「発見」や「発明」において人類が経験したこと。
著作権が専門だった私は、かつて、コンテンツや情報の「独占」と「共有」という問題に直面していつも考えていたところ、或る時、その問題を根底から抜本的に解決する事態が発生した。それがインターネットの出現。この出現で、コンテンツや情報の「共有」が一気に進んだ。ひとたび、インターネットでコンテンツや情報の「共有」が実現すると、それが当たり前になって、インターネットが出現する前の時代のことがもはや想像できない位となった。

それと同様のことが500年以上前、グーテンベルクの活版印刷術の登場でも起きた。チョムスキーは、活版印刷術の登場が17世紀の英国の市民革命を準備した、市民がワイワイガヤガヤ、自分たちの考えてることをチラシやビラにして拡散し、多くの市民がそれを手にして市民階級の運動が大きく盛り上がって、市民革命が実現したことを指摘している。ひとたび活版印刷術が登場すると、活版印刷術以前の、手書きでいちいちチラシやビラを書き写して、拡散していた時代のことなんか想像できない。

スケールはちがうものの、こうしたことと同様のことが、避難者の追出し裁判でも起きた。それが「国際人権法による避難者の人権保障」というアイデア。
その体験をした私は、このアイデアはもっとほかのことにも応用可能なのではないかと、つらつら考えるようになり、 その応用例の最初が日本版だった。
つまり、日本の国内法に「避難者の人権保障」を定める法律がないからといって、簡単に諦める必要はない。日本が批准した条約とりわけ国際人権法があるからだ。
これを使えば、たとえ国内法に「避難者の人権保障」を定める法律がなくても、より正確には「避難者の人権保障」について、原発事故を想定していなかった日本の法体系は「法の穴(欠缺)」状態にあったとしても、その穴を国際人権法によって穴埋めすれば(「欠缺の補充」をすれば)、しっかり「避難者の人権保障」が実現できる。
     ↑
このアイデアは、何も避難者追出し裁判の「避難者の仮設住宅からの追出し(居住権)」問題だけに限定されるものではなく、およそ「(国外)難民」や「国内避難民」の人権保障全般に関わる問題を解決するアイデアだ。だったら、このアイデアが及ぶ射程距離は、チェルノブイリ法日本版がカバーする範囲と殆ど変わらないんじゃないか(厳密にピッタリカバーするかどうかはなお検証する必要があるが、少なくとも大枠は一致する)。

もしこれが成立するなら、日本版は既に「国際人権法による避難者の人権保障」というアイデアに基づいて、今の日本の国内法の中に実現(厳密には「欠缺の補充」によって実現)していることになる。
だとすると、すなわち今の日本の国内法の中に既に実現しているとなると、私たち市民がやることは、市民が主導して一から「立法」するのではなく、市民が主導して、既に日本の国内法の中に実現している日本版を「確認」するということになる。
「立法」となると、議員の同意が必要になりますが、「確認」となると、「立法」じゃなくなるので、純法律的には議員の同意も必要なくなる。 ズカッと言えば、議員にへいこらする必要もなくなる。
じゃあ、誰がどこでどうやって「確認」するのか。この問題自体が前代未聞の問題。おそらく過去に経験のない、未曾有の問題。
思うに、このような議論が力を持つのは、最終的に「市民の力」。「国際人権法による避難者の人権保障で法の穴を埋めたら、日本版が見つかる(発見)ことを国も『確認』しろ」という多くの市民の声が高まると、これは無視できなくなる。その意味で、最後の決め手は「市民主導の世論喚起」になる。けれど、「確認」であって、新たな「立法」ではないから、議員の特権や専権事項だという風に、議員が偉そうな態度をもはや取れなくなる。これはやっぱり大変なちがい。 

 

2023年10月13日金曜日

【119話】この夏、初めて福井でやったチェルノブイリ法日本版の学習会の感想             「今すぐ日本版!それが惑星フクイ」(23.10.13)

2023年7月と8月、初めて福井でチェルノブイリ法日本版の学習会をやった。日本版の会から「早く感想をブログに出して下さい」と何度も催促されながら、原稿らしき素材は何度も書いていながら、どうしても完成できなかった。画竜点睛を欠いていたからだった。
それが、先ごろになって、ようやくその画竜点睛が見つかったような気がした。つまり、福井行きで私の中でふつふつと沸き起こってきた化学反応の下準備に対し、現実の化学反応を実行してくれる触媒に出会うことができたのだ。その触媒とは次の2人といちばん長い手紙「まだ、まにあうのなら」を書いた福岡県のお母さん(甘蔗珠恵子さん)(117話と118話)。
その下は、学習会の講師を務めた柳原の感想文と写真(福井特集号のニュースレターの冒頭の文)。

《半世紀以上「敬して遠ざけて来た」2人の人に今頃になって初めて出会えた。
一人は「人類の哀れな女々しい魂を鞭うつ頑強な精神」を与えようとしたベートーベン。
も一人は、スペイン内戦に参加し「最初の弾丸がスペインのギターを貫通し、これらのギターから音のかわりに血のしぶきがほとばしったとき、私の詩は人間の苦悩の通りの真ん中に立ち止まり、血と根の流れが私の詩のなかを上り始める。そのときから、私の道はすべての人の道になる」と詩を刻んだパブロ・ネルーダ。
その訳は、時代がいま、彼等のような生き方を求めているからなんだと。
》(23.10.10自己紹介文)

若狭町の熊川宿、通称「鯖街道」
泊った宿の前に広がる若狭湾
右手遠方の米粒の建物、近づくと以下の姿に。
        世界有数の美しさを誇る美浜の海岸「水晶浜」の駐車場から

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今すぐ日本版!それが惑星フクイ

                                           フクイの山と海を知らない者は、この惑星を知らない。同じ裏日本生まれなのに、無意識のうちに「敬して遠ざけて来た」異なる惑星フクイ。その地に今年7月、初めて足を踏み入れた。

若狭町で日本版の学習会を終えたあと、向った先が熊川宿、通称「鯖街道」。この街道に降り立った瞬間、半世紀前の高校の古典の授業で習った古事記の「やまとたけるのみこと」の辞世の歌が脳裏に蘇り、 次のように替えて口づさんだ。

フクイは 国のまほろば  たたなづく 青垣 山隠れる フクイしうるはし

ここが自分のふるさとなのだ、今、お前はそれを発見したという強烈なノスタルジーに襲われた。 それは私にとっての楽園だ、と。
しかし、それは一日限りのものだった。
翌日、太平洋とちがって、波穏やかな日本海の海岸沿いに信じられないような光景に出くわしたから。
それは、森や建物に覆われずに、むきだしになって人々の前にすっと建っている――原発だった。
この一撃で、フクイの楽園は破壊されていたことを知った。もしフクイにまだ楽園があるとしても、それはかりそめの楽園、それは、ひとたび原発事故 が発生した瞬間にこっぱみじんに消失するカゲロウの楽園。
だとしたら、この峻厳な現実に毎日、毎日向き合っていたら、間違いなく精神に異常をきたしてしまう。だから己の心を守るために、この現実を見ないようにしよう、考えないようにしようと自己暗示にかけるほかない。そして、その自己暗示を首尾よく果した時、 今度は、とめどもなく自分の心を欺くスタイルが習慣となる。それはつまるところ思考停止の日々。「死せる魂」と「生きる屍」への道。こんな恐怖と屈辱の中にほおり込まれているのがフクイに住む人々の置かれた現実。

その思考停止の中でかろうじて安心安全の精神状態を保っていたフクイの人たちの頭上に襲い掛かったのが311福島原発事故だった。福島原発事故で日本の安全神話が崩壊した時、もっとも打撃を受けたのは原子力ムラだけではない、思考停止によりかろうじて心の安定を保っていたフクイの人たちもそうだ。彼等を思考停止にさせてきた心のマンホールのフタは福島原発事故で飛び散った。彼等はもはやこれまでのように思考停止という避難場所に安住することもできなくなった。思考停止という避難場所から追出されて、フクイの人たちの行き先はどこなのか。それは「思考停止という避難場所」から抜け出し「真の避難場所」に向かうしかない。では、その「真の避難場所」とはどこか。それが日本版。「真の避難場所」を提供するのが日本版の目的だから。
安全神話と思考停止が崩壊した311後、眠れぬ日々を過ごすフクイに住む人々にとって最も急務なのが「真の避難場所」を提供する日本版。

90年前、スペインの地で、フランコのクーデタを体験した詩人のネルーダはこう書いた。
「
最初の弾丸がスペインのギターを貫通し、これらのギターから音のかわりに血のしぶきがほとばしったとき、私の詩は人間の苦悩の通りの真ん中に立ち止まり、血と根の流れが私の詩のなかを上り始める。そのときから、私の道はすべての人の道になる」

そうだ。福島原発事故という
「日本で最初の原発事故が人々を貫通し、その惨劇と犯罪によって多くの被ばくと苦痛と苦悩がほとばしったとき、日本版は人々の被ばくと苦痛と苦悩の通りの真ん中に立ち止まった。そして、血と根の流れが日本版のなかを上り始めた。そのときから、日本版の道はフクシマ、フクイ、そしてすべての人の道になる。」

以下のメッセージは、安全神話と思考停止が崩壊した311後のフクイに住み、被ばくと苦痛と苦悩の通りの真ん中に立つ人々の魂の叫びです。

【第118話】福岡県の母親甘蔗珠恵子さんの書いた、いちばん長い手紙「まだ、まにあうのなら」を知って思ったこと(その2)(23.10.13)。

第117話で、「まだ、まにあうのなら」を初めて知って思ったことを書いた。今度は、この小冊子を当時、100部購入して回りの人に夢中で配ったという日本版の会の正会員の人の話を聞き、思ったことです。

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私からその正会員の方に「あの小冊子を100部も購入させたもの、原動力は、何だったんですか」という問いに、 その方がすぐさま答えてくれたのが、あの小冊子の冒頭の次の一節、これにショックを受けたということでした。

「なんという悲しい時代を迎えたことでしょう。 今まで、自分の子どもに、家族に、ごく少量ずつでも、何年か何十年かの地には必ずその効果が表れてくるという毒を、毎日の三度、三度の食事に混ぜて食べさせている母親がいたでしょうか。」

放射能の汚染の中で生きるとは何か。これについて、なんという正確な記述だろう。この方がショックを覚えたのは、おそらく、それまで反原発の運動の中で、このような書き方をした文章にお目にかかったことがなかったからではないか。それはこの方だけではなくて、これを夢中になって読んだ50万の市民も同様だったのではなかったか。

私は、このくだりを読んだとき、ロシアの文豪ゴーゴリの次の言葉を思い出しました。
「‥‥宣教することは私の仕事ではありません。芸術はそれでなくとも、はじめから教訓なのです。
私の仕事は生きたイメージで語ることであり、議論することではありません。
私は人生について解釈するのではなく、人生を人々の前に呈示しなければならないのです
」

そして、36年前、「まだ、まにあうのなら」を書いた甘蔗さんは、チェルノブイリ事故後を経験したあとの私たちの生活を議論したり解釈するのではなく、生活そのものをズカッと読者の前に呈示してみせた、恐るべき正確さをもって。そのリアリズムに50万の読者は震撼させられた。

36年後の今も、私たちに必要なこともこれと変わらない。過去に経験したことがないようなヒドイ事態が現実のものとなっているのなら、その現実をありのままに、ズカッと人々の前に呈示してみせるしかない。余計な忖度、気配りをして、気をそこねないように配慮をしまくると、結局、何が言いたいのかさっぱり伝わらない。

その一方で、どこの世界でもそうだが、反原発の運動の最良の指導者の人たちすら、長い間に「決まり文句」を口にするようになる。そのほうが内容は正しく、メッセージを正しく伝えるのには有効だからである。しかし、その言葉はくり返されるうちに、摩滅し陳腐化し衰弱してくる。すると、人々は、その手垢にまみれた「決まり文句」に正直、またかとうんざりし、嫌気が差してくる。

これに対し、当時、初めて放射能の世界に足を踏み入れ、起きたばかりのチェルノブイリ事故の惨劇にただただ圧倒されていた、「まだ、まにあうのなら」の甘蔗さんにとって、そういう「決まり文句」は無縁だった。自らの感性に従い、自らの生活体験に裏打ちされた言葉をつむいで、自分に上に重くのしかかってきた放射能災害の現実を必死になって受け止めようとした(※)。その苦悩、苦しみの中で格闘する姿勢が、「決まり文句」ではない、生々しい、ときにはみずみずしい言葉を生み出し、人々の心にストレートに届いた。これはもうひとつの「チェルノブイリの祈り」だ。

最後に。分かっているようで、実はよく分かっていない大切なことを、甘蔗さんの小冊子から教えられた。
それは、私たちの原発事故体験は百人百様だということーーそれは経験した場所や内容がちがうからではなく、たとえ同じ場所、同じ内容であっても、原発事故の体験の受け止め方は百人で、百、ちがってくる。大切なことは、甘蔗さんのように、たとえチェルノブイリから何千キロ離れていようとも、50万人の人々の心に届くような体験をめざすこと。これに対し、何か、自分はもう原発事故のことは分かっている、理解しているなんて、これ以上傲慢不遜な態度はない。たえず、今の自分の認識は50万人の人々の心に届かない、いまだいかにうすっぺらで、擦り切れた「決まり文句」でしかないのだということを自覚し、50万人の人々の心に届くような「生きた言葉」を発見するように、その努力の積み重ねを続けることが大切だということを教えられた。

(※)当時を振り返って、甘蔗さんはこう書いている。

《『億万長者はハリウッドを殺す』を読んでのちのある日、福岡市内を歩いていると、目に飛び込んできた「広瀬隆」の文字、電柱に貼ってあった一枚のチラシ、十月二十六日、その人の講演会の案内チラシでした。思いがけず早く、お会いできる機会が来ました。その当日、広い会場はいっぱいの人で溢れています。その人は精悍な感じの人でしたが、講演の第一声は柔らかく、静かな語り口で、意外でした。O.H.P.で次々と映し出される映像と、その解説に、聴衆は水を打ったように静まり返り、二時間余りの時間を聴き入り、咳の一つもないという不思議な時間、空間でした。もちろん、初めて聴くチェルノブイリ原発事故の実態の衝撃は、腰を抜かし、奈落の底へ突き落とされた思いでした。

それからすぐに原発関連の本を読み漁り、活動にも積極的に参加して半年、身心共に疲れ果て、重く、沈み込むようなからだを畳に横たえている時、身体の奥の方から、ウワァ〜〜と、何かが衝き上げてきました。私は、思わず身を起こし、傍にあった机に向かって書いていました。「何という悲しい時代を迎えたことでしょう」と。それから数日間、湧き出てくるままに、何も考えず、ほとんど何も口にせず、書き続けました。それが『まだ、まにあうのなら』でした。
》(「広瀬隆」はこんな人でした)

2023年9月28日木曜日

【第117話】福岡県の母親甘蔗珠恵子さんの書いた、いちばん長い手紙「まだ、まにあうのなら」を知って思ったこと(2023.9.28)。

 今年の夏、初めて福井に行き、当地の人から、
チェルノブイリ事故の直後、福岡の主婦が地方出版社から出した小冊子が原発を憂う全国の主婦に爆発的に広がったことがあり、50万部売れたそうです。

という話を教えて貰いました。?!と半信半疑でネットで調べたら、以下の通り、ホントの話でした。
 人類の行く末を案じた一人の母親の叫びが、全国の主婦や若者たちに脱原発の行動を促した。50万部を超えた脱原発のバイブル。


早速、取り寄せ、手に取ってみて、次のことを思った。

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 1986年のチェルノブイリ事故直後に無名のお母さん(甘蔗珠恵子さん)が書いた手紙が50万部売れた。その題名は
「まだ、まにあうのなら」
それは、
「チェルノブイリ事故は起きてしまったけれど、自分の住むこの日本でまだ、チェルノブイリ事故のような原発事故を起さないうちに原発を廃絶できるのなら」
という意味だと思う。その意味でなら、2011年の福島原発事故のあと、その答えは
「もう、まにあわなかった」

確かに、もう、まにあわなかった。けれど、福一の吉田所長のような鬼籍に入った人たちとちがって、311後も生き延びることができた私たちには依然、何をなすべきかという問いかけが課せられている。
問題は、311後に、チェルノブイリ事故直後に思い詰めたこのお母さんのように私たちもまた思い詰めたとき、福島原発事故のあとにどのような問いかけが可能なのだろうか。福島原発事故を経験した私たちにとって正しい問いかけとは何か。311後にもはや、このお母さんと同じような次の問いかけは不可能だ。
「福島原発事故は起きてしまったけれど、私の住むこの日本でまだ、第2の福島原発事故のような原発事故を起さないうちに原発を廃絶できるのなら」

それではまた同じ答えをくり返すだけだから。そして、この問いかけには、311福島原発事故後の日本社会の底が抜けたような破綻ぶりを踏まえて、その破綻を克服するという力強い展望がどこにも感じられない。単に311前からのスローガンのくり返しにしか聞こえない。

これに対し、チェルノブイリ法日本版は、311福島原発事故後の日本社会の底が抜けたような破綻を克服するという力強い展望が秘められたものだ。単に、ノー(さよなら原発)と言うのではない、積極的にイエス(生存権を具体的に実現)を言う、それが日本版の思想だ。

例えば、

【第4話】 【NOでは足りない、つつましいYESの提案】

 

2023年9月26日火曜日

【116話】行政の人権侵害にお墨付きを与えるような裁判官は要らない。本日、裁判官の忌避を申し立てた(2023.9.26)

先ごろ、岸田首相は、NY国連本部で《我々は、人間の命、尊厳が最も重要であるとの原点に立ち返るべきです。我々が目指すべきは、脆弱な人々も安全・安心に住める世界、すなわち「人間の尊厳」が守られる世界なのです》と「脆弱な人々も安全・安心に住める世界」と「人間の尊厳」の重要性を高らかに訴えたが、その国連から任命され、福島原発事故の避難者(国内避難民)の人権状況を調査するため、2022年9月26日来日したダマリー国連特別報告者は離日直前に、本裁判に対し「賛成できない。避難者への人権侵害になりかねない」と国連特別報告者としては異例の厳しい警告を発した(詳細は別紙1参照)。すなわち、本裁判は、日本の首相が強調する「脆弱な人々も安全・安心に住める世界」が真実なのかそれとも偽善なのか、その真価が正面から明るみにされる、国際社会がこぞって注視しているリトマス試験紙なのである。 (本日申し立てた裁判官忌避申立書の冒頭より)

 福島原発事故により避難を余儀なくされた避難者、これを国際法上、「国内避難民」と呼び、日本政府も認めている。この「国内避難民」に仮設住宅として提供された国家公務員宿舎から出て行きなさいと福島県から提訴された避難者の「追い出し裁判」、この裁判の一審判決が今年1月13日、福島地裁で言い渡され(その報告はー>こちら)、これに全面的に何ひとつ承服できないとして仙台高裁に控訴していた二審の第1回弁論が7月10日に開かれ、この日を、一審が審理途中でフタをして終結を強行した過ちをただすスタートだと避難者側は考えていたところ、仙台高裁は突然、「これで終結する。判決は9月27日‥‥(早口で小声)」と宣言して退場してしまった(その顛末の報告はー>こちら)。

この裁判に対し、国連から任命され、福島原発事故の避難者(国内避難民)の人権状況を調査するため、昨年2022年9月26日来日したダマリー国連特別報告者は離日直前に、本裁判に対し「(福島県の提訴に)賛成できない。避難者への人権侵害になりかねない」と国連特別報告者としては異例の厳しい警告を発した(詳細はー>こちら)。
世界の良識が、本訴の提起を「
避難者への人権侵害になりかねない」とイエローカードを出して、裁判所に「人権の最後の砦」としてのミッションを果たすことを求めているのに、その期待を真摯に受け止めるどころか、福島県の追出しにお墨付きを与えるだけの裁判所だったら、そのような二重の人権侵害のための組織は要らない。そう考えて、「人権侵害の最後のお墨付き」に堕落した裁判官に、これ以上の人権侵害は辞めてもらいたいと、本日、裁判官忌避の申し立てに及んだ。

以下、その申立書と仙台高裁前で申立てに向う控訴人代理人。

全文のPDF->こちら



 

2023年8月12日土曜日

【115話】自由研究(4):311後の日本社会の人権侵害のすべては「7千倍の学校環境衛生基準問題」の中に詰め込まれている(2023.8.11)

              (「ウネリウネラ」より)
     子ども脱被ばく裁判、2021年3月1日の福島地裁一審判決の言渡し直後

これは子ども脱被ばく裁判の弁護団MLに投稿したもの。

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井戸さんへ

柳原です。

昨日、避難者の追い出し裁判の検討をする中で「法の欠缺」問題の重要性を再発見することがあり、それで、6年前のこちらの裁判の弁護団会議のことが思い出されたので、それについてコメントさせて下さい。

今、デスクトップPCが電源ユニット不具合のため使えず、それで記憶に頼って書いてるのですが、確か2017年の連休前に弁護団会議をやった時、井戸さんが、被告基礎自治体の義務についてという副題の準備書面(32)の草案を書いて、これを説明してくれました。
一通り聞き終わった弁護団は、その書面の衝撃にしばらく声を上げることが出来ずにいて、
おもむろに、私から、「これ、記者会見すべきなんじゃない?」ともっと威張ったらいいんじゃないのという感じで言ったら、謙虚な井戸さんから、笑いながら「いや、いや」とやんわり拒否されました。それが「法の欠缺」を初めて取り上げて、「7千倍の学校環境衛生基準問題」を主張したときのことです。
そのとき、私が井戸さんに、「どうやって、こんな凄いことを思いついたの?」と人の家に土足に踏み込むようなえげつない質問をしたら、「いやいや、『放射能汚染/防止法』を提唱している札幌の山本弁護士の本を読んで、ヒントをもらったんだ」とあっさり、種明かしまでしてくれました。
尤も、この時の準備書面(32)(※)は「7千倍」までは主張しておらず、最終準備書面の冒頭で、350倍という主張をしたんですね(1mSvに対して)。
(※) 準備書面(32)
    最終準備書面

しかし、記者会見こそしなかったものの、一審では準備書面(32)はもとより、その後も最終準備書面12頁以下で「7千倍の学校環境衛生基準問題」の重要性を思い切り強調して主張したのに対し、一審判決(※)は、この問題に正面から何一つ答えることなく、コソコソというより、堂々と無視して、裁量論の土俵の中で、20mSv基準を裁量の範囲内だとして適法のお墨付きを与えました。

(※)一審判決の全文->こちら  判決要旨->こちら

その判決の卑劣さに対する無念さを、2021年3月1日の判決言渡し直後、井戸さんは次のように吐露しました。

ここでは、原子力法制の価値判断と日本国憲法下の環境法制の価値判断が正面からぶつかります。環境法においては(学校環境衛生基準も同様)は、放射性物質のような閾値(しきいち)のない毒物の環境基準は、生涯その毒物に晒された場合における健康被害が10万人に1人となるように定められています。それが環境法の価値観なのです。これに対し、原子力法制下で一般公衆の被ばく限度とされている「年1ミリシーベルト」は、生涯(70年間)晒されるとICRPによっても10万人中350人ががん死するレベルです。年20ミリシーベルトであれば、なんと10万人中7000人ががん死します。この決定的な価値観の対立の中で、この判決が原子力法制の価値判断を優先させて採用する理由は、全く示されていません。私たちが最終準備書面において力を入れて書いた論点であるにも関わらずです。
http://datsuhibaku.blogspot.com/2021/03/blog-post.html

それで、今、振り返るに、この時の一審判決のあくどさ、その悪行の論理構成について、もっと徹底的に突詰めるべきだったと。なぜなら、あのときの遠藤裁判長は、裁判官室という楽屋裏で、この「7千倍の学校環境衛生基準問題」をどうやって始末するか、それで大汗をかきながら、一世一代の猿芝居を演じることにしたからです。
だから、我々としては、このとき、準備書面(32)で初めて指摘した「法の欠缺」状態の発生と、この欠缺の補充作業の必要性と、そして、いかにして補充作業を行うかという補充作業の方法論について、徹底的に解明すべきだった。なぜなら、一審判決は「法の欠缺」問題に脚を踏み入れるのをまるで地雷を踏むかのように徹底して恐れまくり、一歩も近付こうとしなかったからです。なぜなら、ひとたび、裁判所を「法の欠缺」問題に引きづり込んだら、判決はあんな一文、
「行政庁の処置について、法令の具体的な定めがないが、そこでは行政庁の適切な裁量または専門的かつ合理的な裁量に委ねられている」
なんてアンチョコなロジックでもって、この「7千倍の学校環境衛生基準問題」を一件落着なぞできなかったはずだからです。

もっとも、欠缺の補充において、いかにして補充作業を行うかという問題は一義的に解決できない問題です。しかし、少なくとも、そこで、「序列論」に従って、当該法律の上位規範である「憲法」や「国際人権法」の指導原理や規定を踏まえて補充すべきであるという方法論が展開できますから、
そうすれば、所詮、法律レベルでしかない原子力法制の価値判断が、その上位規範である「憲法」や「国際人権法」の指導原理や規定に反することは出来ず、その1例として、平等原則を持ち出し、子どもの命、健康を守るという最も重要な人権保障ために、有害物質をめぐる環境衛生基準と放射性物質をめぐる環境衛生基準との間に差別を許容する合理的な理由が認められるか?認められないだろうという議論が可能になります。

今思うに、遠藤裁判長が判決でいきなり持ち出した裁量問題という土俵にこちらもそのまま乗ってしまうのではなく、彼が論じるのが嫌で嫌で逃げ回った学校環境衛生基準をめぐる「法の欠缺」問題こそ、我々からその問題の重要性を正しく掬い上げて、準備書面(32)で初めて明らかにした「欠缺の補充」による正しい解決の必要性を、あれで終りにするのではなく、これが認められるまで、今からでも何度でも、強調し続けるべきではないかと思ったのです。

まとめ。
「7千倍の学校環境衛生基準問題」が、準備書面(32)で初めて明らかにした、「法の欠缺」の認識→「欠缺の補充」の実践という風に正しく解決された時、それは原発事故の救済に関する全ての法律問題の正しい解決の出発点になる。なぜなら、避難者追出し問題をはじめとした原発事故の救済に関する全ての法律問題は、どれも、原発事故を想定していなかった日本の法体系の「法の欠缺」状態の中に置かれているところ、与党政府がこの問題を、チェルノブイリ法日本版の制定のように「立法的に正しく解決」しようとしない現在、我々に残されているのは「欠缺の正しい補充」によるしかないし、ひとまずそれで十分なのですが、その際、今述べた「7千倍の学校環境衛生基準問題」の解決がその輝かしいモデルになるからです。
表題の『311後の日本社会の人権侵害のすべては「7千倍の学校環境衛生基準問題」の中に詰め込まれている』というのはそういう意味です。
それくらい、この問題は決定的に重要なんだと、昨日、再発見した次第です。

【114話】自由研究(3):311後の法秩序のモデルはナチスの独裁国家体制=全権委任法、但し、それは「法の欠缺」を最大限悪用した(2023.8.11)。

           (ウィキペディアより)
1933年3月23日、議場で全権委任法への賛成を要求するアドルフ・ヒトラー

自由研究(1)のラストに以下に次のように書いた。これがその別便。

以上、つい長くなったので、311後の日本の独裁的な法体制がナチスの独裁国家体制に匹敵すると考えた理由については別便で書きます。
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先月下旬、NHKで放送された、
映像の世紀バタフライエフェクト 「ヒトラーVSチャップリン 終わりなき闘い」
 を観て、チャップリンという「理念の光」を当てることで、権力犯罪者のヒトラーの面目がかつてないほどにリアルに迫ってきた経験をしました。それで、改めて、ヒトラーの独裁権力掌握へのプロセスについて思いを致す中で、311後の日本の独裁国家の法秩序はヒトラーから学んでいるのではないかという仮説を想到するに至りました。それが以下。

前年1932年7月の総選挙で第一党となったナチ党は、しかし過半数に及ばない、3分の1強の議席数にとどまったが、紆余曲折の末、1933年1月、ヒトラー内閣が成立。この時、保守派は「われわれはヒトラーを雇ったのだ」とヒトラーを確実に封じ込めると踏んで、この『ボヘミアの伍長』と妥協した。しかし、『ボヘミアの伍長』は保守派の数枚も上手を行った。
同年2月に国会議事堂が放火されるという事件が勃発したとき、過激派の単独犯行とみられたのを、ナチ党はこれを共産党による組織的暴動とみなし、国会と地方の3000人以上の共産党員・ドイツ社会民主党員を逮捕・拘束した。
その翌月3月、ヒトラーは、保守派閣僚によるヒトラー内閣の囲い込み状態を突破するため総選挙をおこない、財界からの協力を取り付けて得た圧倒的な資金力と国家権力を駆使した大規模な選挙運動を展開し、結果は196から288議席となったものの、それでも過半数に届かない44%弱だったが、連立相手である国家人民党と合わせて54%の過半数を確保した。そこで、この選挙結果を足がかりに、一気に独裁国家体制の法秩序の形成に打って出たのが、全権委任法の成立。
その顛末は以下に書かれていますが、
https://onl.tw/ifNsZ9r

全権委任法は全部でたった5条の法律で、それは理念法などではなく、明確に、
憲法に違反することすらできる無制限の立法権をヒトラー率いるドイツ政府に授ける
と書かれたものでした。
この結果、ヒトラー政府は国会に代わって立法を行い、なおかつこの政府の立法権は憲法に優越しうること(憲法に反すること)が可能となりました。ここから破滅的な第二次世界大戦に向うのは時間の問題でした。
このとき、ヒトラーは、議会制民主主義を使って、議会制民主主義を否定する独裁国家の法秩序を作ることに成功したのです。

そして、実はこれと同じ結果が311後の日本でも実現したのではないか。これが私の仮説です。
そのきっかけが、311後に判明した、原発事故の救済に関する全面的な「法の穴」状態の発生です。
半世紀前の日本であったなら、この当時、公害災害の救済に関する全面的な「法の穴」状態に直面していた私たちは、歴史的な公害国会を通じて、矢継ぎ早に新たな立法或いは抜本的な法改正という「立法的解決」によって全面的な「法の穴」状態を解消したのですが、
311後はそんな健全な真っ当な取組みは何一つ、全くやらないで来た。
その結果発生した、原発事故の救済に関する全面的な「法の穴」状態は、子ども脱被ばく裁判の福島地裁判決がいみじくも下したように、
「行政庁の処置について、法令の具体的な定めがないが、そこでは行政庁の適切な裁量または専門的かつ合理的な裁量に委ねられているというべきである」
と政府に全権委任する道を取ることが宣言されたのです。その結果、原発事故によって、どれだけ無数の人たちが無念の命を落とし、健康を害し、生活を崩壊させられたとしても、それらの人権侵害はすべて無視され、このやり方でもって蹴散らされることになったのです。
このやり方は憲法が保障する人権の蹂躙であり、憲法の否定です。
こうした憲法に反した人権蹂躙が、行政裁量の名の下で次々と行われているーーこれが311後の日本の法秩序の現実です。

他方、自ら積極的に、このような法秩序を白昼、堂々と宣言してみせたのがナチスの全権委任法だとしたら、福島原発事故を契機に判明した全面的な「法の穴」状態に目をつけて、こっそりこれを最大限悪用して、誰も知らない間に、ナチスの全権委任法と同様の行政の独裁行為を正当化してみせたのが311後の日本の法秩序ではないか。
裏からコソコソ、独裁国家体制を仕立て上げるところが、第二次世界大戦時の日本政府と同様、日本的でいかにも姑息、陰険、陰湿な権力犯罪者のやり方かもしれませんが、やり方は裏からコソコソであれどうであれ、その結果、犠牲を被り、涙を流すのはいつも決まって私たち市民です。

以上、自由研究(1)の補足です。

【第189話】三浦少数意見の真価(進化)を再認識したジュネーブの弁慶との14年ぶりの再会(26.10.7)

1、2012年10月30日、スイス・ジュネーブ 夜明けのジュネーブ。透明に近いブルーの街中を宿泊先のホテルまで荷物を取りに戻る。今日、ジュネーブの国連人権委員会の建物で、翌31日開催の、日本政府の人権侵害状況を審査するUPR(普遍的定期的審査)に先立って実施される市民団体主催のサ...