これは、自主避難者追出し裁判の控訴審(仙台高等裁判所)の第1回期日(7月10日)で、控訴人の控訴理由書(その全文はー>こちら。控訴理由書の提出についての報告はー>こちら)の要旨を陳述した際の原稿です(そのPDF版はーー>こちら)。
人間の心をもった裁判官の胸に届くようにという願いに託して作成し、陳述しました。
これは、「人間の心をもった裁判官に宛てたラブレター」です。
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控訴理由書(要旨)
控訴人代理人 柳原敏夫
1、本裁判の主題
最初に、はっきりさせておきたい事実について述べる。
まず、控訴人が福島原発事故を起こした訳ではなく、純然たる原発事故の被害者だという事。
他方で、福島原発事故の加害責任を負うのは原発を推進した国と東京電力だという事。
そして、控訴人は東雲の国家公務員宿舎に無断で侵入したのではなく、国からどうぞと提供され堂々と適法に入居したという事。
だから、国際人権法の立場からは、この時点で控訴人に「国内避難民に関する居住権」が実現したという事。
にもかかわらず、2017年3月末をもっていきなり控訴人は一方的に不法占拠者として扱われるに到った事。
そして、本裁判の訴状でも福島県は、控訴人をそこらの不法占拠者と同様に扱って立退きを求めてきた事。
そして、原判決もまた、控訴人をただの不法占拠者と扱って何ら怪しまず、控訴人がたとえ追出されて困ったとしても生活保護があるから問題ないと、生活保護の実態について何ひとつ証拠調べもしないまま立退きを正当化してみせた事。
しかし、福島県も原判決を書いた福島地裁も、本裁判の真の主題を全く掴んでいない事。
本裁判の真の主題とは訴状や原判決が考える「建物の使用をめぐる所有者と不法占拠者との問題解決」といった教科書に書いてあるような単純な事案ではない事。それは、
「一方で、原発事故発生により避難を余儀なくされた避難者が避難先で宿舎を国から提供され入居してようやく手にした居住権に対し、他方で、原発事故の加害責任を負う国が避難者に提供した宿舎の所有権を理由に避難者に立退きを求めるという居住権と所有権との対立・衝突をどう調整するか」という平時ではあり得なかった、原発事故が起きて初めて出現した、非常事態のもとでの極めて複雑で、過去に前例のない人権問題である。
2、本裁判の主題を解決するための基本原則
次に、今述べた、本裁判の真の主題を解決するために、はっきりさせておくべき基本原則について述べる。
第1が、憲法が私たちに保障している人権とは平時だけのものではなく、原発事故発生という非常事態のもとでも途切れることなく切れ目なく続くこと。これが第1の基本原則である。
第2が、平時ならまだしも、原発事故発生という非常事態における人権問題を、「所有権の絶対・万能」というかつての自由国家時代の原理で形式的に解決することはとうてい出来ず、「新しい酒は新しい革袋に盛る」必要があること。これが第2の基本原則である。
第3が、その「新しい革袋」とは、原発事故発生の非常事態の複雑な状況と正面から向き合って、生存の危機に瀕した被害者・避難民の人権をどうやったら切れ目なく十分に守れるか、という問題を、わが憲法が採用している社会国家的な公共の福祉という観点から解決すること。
それが被害者・避難民である控訴人の窮乏をもたらさないように、控訴人が置かれた困難な状況を十分に斟酌した「人権の実質的公平な保障」を確保すること。これが第3の基本原則である。
3、原判決の対応ぶり
では、これに対し原判決の対応はどうだったか。
原判決を読むと、控訴人が置かれた困難な状況を踏まえて控訴人の人権保障を確保しようという姿勢も配慮も全く、何一つなく、あたかもひとたび原発事故が発生すると、原発事故の被害者・避難民である控訴人には人権は消滅し、国家の命令に隷従する旧憲法時代の臣民になったかのようである。
そして、原判決は控訴人の立退きを単純に「所有権の絶対・万能」という原理で形式的に解決することを何ら怪しまず、あたかも平時の不法占拠者のごとく扱うという態度を鮮明にした。
従って、原判決には、被害者・避難民である控訴人の窮乏をもたらさないように「人権の実質的公平な保障」を確保しようという弱者保護の姿勢はカケラもない。あるのは、「強きを助け、弱きをくじく」という見事なまでの強者保護の姿勢である。
4、一審の審理の中身
原判決の福島地裁のこの態度は判決の時ばかりではなく、審理においても、第1回から強行打切りした結審までの間、首尾一貫している。
他方、控訴人は、今述べた基本原則に沿って次の主張をした。
①.控訴人には、原発事故発生という非常事態のもとでも途切れることなく切れ目なく人権が保障されていること、その第1が、国際人権法が保障する「国内避難民の居住権」である。
②.他方、もし福島県が、国の所有権を理由にして原発事故の被害者・避難民である控訴人たちに建物明渡しを求めるのであれば、今日の社会国家のもとにおいてはそれが正当化される必要があり、その正当化のためには、国および福島県は被害者・避難民が生活再建を果たし、仮設住宅からの立退きが実行できるだけの体制が整うように就労支援をはじめとする生活再建策を掲げ、実行する必要があった。
しかし、福島県は、帰還者への手厚い就労支援・生活再建策とは裏腹に、帰還を望まない控訴人に対しそのような就労支援も生活再建策も何一つ全く提供しなかった。
③.仮設住宅無償提供の打切りを決定した2015年6月の福島県知事決定が違法ではなく、正当化されるためには、いわゆる「判断過程審査」の手法により、これがいかなる判断過程を経て決定されたのかを具体的に明らかにして、その「判断過程」の各局面において看過し難い過誤があったか否かを解明する必要があった。
しかし、福島県は、一審で控訴人のこの主張に対し反論はおろか認否すらしなかった。
5、一審の控訴人主張に対する原判決の対応ぶり
控訴人のこれらの主張に対し、原判決は、
①.国際人権法が保障する「国内避難民の居住権」について、国際法の直接適用ばかりか間接適用までも認められないとして、「国内避難民の居住権」の適用を否定した。しかし、国際法の間接適用とは何かという理解すら覚束ないまま、エイヤアと間接適用まで否定するとは世界の笑い者になるような誤判である。
5月末に出た国連特別報告者ダマリー氏の公式報告書でも本裁判が今や世界中から注目されており、国際法の間接適用に関する速やかな誤判の是正が望まれる。
②.国際法の直接適用についても、これを否定した塩見事件最高裁判決という、国際社会では時代遅れの紋切り型のロジックをそっくり踏襲する一方、控訴人が提出した、最新の知見に基づく申青学教授の見解に対してはこれを完全に無視するという独善的な態度に出た。
これもまた、世界の笑い者になるような話であり、そうなる前に速やかな是正が望まれる。
③.福島県の建物明渡しの正当化理由になる「被害者・避難民の生活再建に向け、国及び県の生活再建策」については、全く、何一つ言及せず、正当化の理由なぞ不要であるというあからさまな弱肉強食の立場を鮮明にした。
④.福島県知事決定の「判断過程審査」の手法による裁量権の逸脱・濫用の判断についても、控訴人が主張したような具体的な吟味は何一つ行わず、単に「前記(1)で説示した諸事情を勘案すると、原告知事に裁量の逸脱濫用があるとはいえない。」と判断した。
これはとりもなおさず、「判断過程審査」の手法による裁量権の逸脱・濫用の判断すら不要であるというものであり、これ以上、強者の行政に追随し、弱者の被害者・避難民をくじく残忍酷薄な判断はない。
ダマリー氏が公式報告書で警鐘を鳴らさずにおれないのは当然である。
6、福島県の原告適格
本裁判の最大の謎は、立退きを求める原告が福島県だという事である。建物の持ち主でもなく、また建物の提供者でもない者が、しかも、よりによって本来、県民に寄り添い、県民を守る立場にある福島県がなぜ、いきなりしゃしゃり出てきて、原発事故の被害者・避難民に明渡せと提訴するというのは一体どういうことなんだ?と。
そのなりふり構わない提訴のやり方は人道的に不当であるばかりか、訴訟手続法上も違法と言わざるを得ない。
これに対し、福島県が主張する「債権者代位権の転用」はもともと一般財産保全の制度を例外的に拡張するもので、おのずとその適用の要件は厳格でなければならない。
しかるに、本件では
第1に「自己の債権を保全するため」という要件が欠けている。本件の使用許可により福島県が国に対して有する債権とは「控訴人を建物に住まわせること」であるが、控訴人が本件建物に入居中の本件ではこの債権は既に実現しており、もはやその保全の必要もないからである。
第2に、福島県はこれまで、建物について国との使用関係を「賃貸借契約」と主張したことは一度もない。なぜなら国有財産有償貸付契約を締結していないからである。従って、「賃貸借契約」でない本件の使用関係に、例外的措置である「債権者代位権の転用」を認めることは許されない。
7、法の欠缺
控訴人が本裁判で法の欠缺という問題をやかましく言うのには次の理由に基づく。
第1に、これまで日本の法律家の多くは法律が想定していない事実が発生してもわざわざ「法の欠缺」と考えないでも、適切にその穴埋めさえすれば足りると考えてきたが、しかし本件はそうはいかない。
過去に前例のない過酷事故の福島原発事故により発生した事態は、過去に前例のない全面的な「法の欠缺」である。その結果、この全面的な「法の欠缺」の事態を正しく認識しないまま、漫然とその穴埋めをするようでは、被害者・避難民である控訴人の窮乏をもたらさないように、控訴人が置かれた困難な状況を十分に斟酌した「人権の実質的公平な保障」を確保することは到底不可能だからである。
第2に、これまで法律家は、法の欠缺問題を法の解釈技術を使って対応してきたが、これは本来正しくない。
法が欠けていて真空状態である以上、それについて解釈することは不可能だからである。
法の欠缺に正しく対応するためには、欠缺部分を補充するという補充作業が不可欠である。この補充のために、本件では法律の上位規範として国際人権法が登場する。国際人権法は全面的な「法の欠缺」状態にある本裁判にとって避けて通れない上位規範である。
8、生活保護は立退きを余儀なくされた避難者のセーフティネットになり得るか
その答えはノーである。それは日本の生活保護の実態がそれを許さないからである。
その実態については控訴理由書の26頁以下に詳述した通りである。
原判決はここに示された日本の現実を何一つ踏まえない空疎で観念的な言辞にすぎず、立法事実の検証の必要性を説いた薬局距離制限事件最高裁判決から逸脱することも甚だしい。
さらに、原判決はここで《その他の社会保障制度によっても補完しうるもの》と判示するが、ではいったい他にどのような社会保障制度があるのか何も説明しない。
同様に、《本件各建物を明け渡すことにより、被告らは、福島県に帰還する以外にも、社会通念上選択可能な複数の方策が存在するといえる》と判示するが、ではいったいいかなる「社会通念上選択可能な複数の方策」が現実に存在するのか、これも何も説明しない。
これらは全て控訴人の主張を退けるために新たに持ち出された判断である。にもかかわらず、その証拠はおろか具体的な説明すら何一つしないというのは「理由不備」も甚だしい。
以上の点だけでも、原判決は破棄されるべきである。
以 上
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