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2023年7月27日木曜日

【111話】抗議アクション(その1)7月10日第1回弁論だけで審理終結した、避難者追出し裁判の仙台高裁第3民事部に、弁論再開の申立書を提出(23.7.26)。

 本日、今月10日に、第1回弁論だけで審理終結した避難者追出し裁判の仙台高裁第3民事部に、速やかに弁論を再開し、審理に入ることを強く求める弁論再開申立書を提出。
以下、その冒頭の部分。全文のPDFはー>こちら

※ 
7月 10日第1回弁論で即日結審した報告については以下を参照下さい。
【106話】人間になれなかった裁判官(その1):自主避難者の人権を国際人権法の立場から余すところなく解明した清水意見書の提出(2023.7.7)

【107話】人間になれなかった裁判官(その2):追出し裁判控訴審第1回期日で陳述した控訴理由書の要旨(2023.7.10)

【108話】人間になれなかった裁判官(その3):第二戦開始のゴングが鳴るや終了のゴングが鳴った追出し裁判控訴審(2023.7.11)

【第109話】人間になれなかった裁判官(その3):第二戦開始のゴングが鳴るや終了のゴングが鳴った追出し裁判控訴審(2023.7.11)に寄せられた感想


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 本裁判の控訴審は今月10日に第1回口頭弁論が開かれ、約30分の弁論の後、裁判所は控訴人・代理人の反対を押し切って、即日結審を言渡して審理終結を強行した。

本裁判の控訴理由書の冒頭の目次と控訴人陳述書の一節を見ただけで、本裁判が過去に前例のない過酷事故=福島原発事故の発生によりもたらされた「避難者の人権保障のあり方」が根本から問われた、前例のない人権問題であることが分かるはずである。

しかるに、本裁判の原審である福島地方裁判所は、本裁判が提起した「避難者の人権保障のあり方が根本から問われた前例のない人権問題」の問題に立ち向かおうとせず、単なる不法占拠者の立退き裁判の1つに矮小化して、控訴人が提起した国際人権法の居住権の問題及び福島県知事の裁量権の逸脱・濫用の問題の解明を無視して審理終結を強行し、控訴人が提起したこれらの重要な問題から目を背けて控訴人全面敗訴判決を言渡した。すなわち、本裁判が提起した「避難者の人権保障のあり方が根本から問われた前例のない人権問題」は原審の手続の中で何一つ全く解明されずに判決が言渡されたのである。

ここに示された原審の手続的不正義を根本から正すこと、それがまず、控訴審に課せられた最大の使命であったことは明白である。

にもかかわらず、裁判所は自身に課せられたこの使命を考慮するどころか一顧だにせず、原審裁判所の手続的不正義にさらに上塗りするかのように、福島原発事故関連訴訟でこれまで誰も経験したことがないような目を覆うばかりの不正義=即日結審を行なった。

これが福島原発事故によるすべての避難者にとって、そして世界中の良識にとって耐え難い不正義であることは明らかである。

控訴人は、昨年、原審裁判所が審理終結を強行した際に、原審裁判所に2022年10月21日付弁論再開申立書を提出し福島原発事故によるすべての避難者と世界の良識が眉をひそめずにはおれない原審裁判所の手続的不正義を余すところなく明らかにした。

今、この弁論再開申立書の本文を以下に再掲し、これに基づき、裁判所が福島原発事故によるすべての避難者と世界の良識が日本の司法に寄せる期待を厳粛に受け止め、前例のない本裁判が目の前の利害関係に忖度・左右されることなく、歴史の審判に耐え得るような正義の裁きを下すために、控訴人は福島原発事故によるすべての避難者の声を代弁する気持ちで、裁判所が勇気を奮って弁論の再開を速やかに決断することを強く求めるものである。

 

2023年7月13日木曜日

【110話】7月10日第1回弁論だけで審理終結した、避難者追出し裁判の仙台高裁第3民事部に抗議する

 以下は、今週11日に、第1回弁論だけで審理終結した避難者追出し裁判の仙台高裁第3民事部に対する控訴人弁護団の抗議文。

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月10日第1回弁論だけで審理終結した、仙台高裁第3民事部に抗議する

2023年7月11日

                  令和5年(ネ)第44号建物明渡等請求控訴事件

                                  控訴人弁護団

1 福島原発事故の避難者を避難先の国家公務員宿舎から追出そうとする今回の裁判は、この国が過去に経験したことのない福島原発事故に直面して、放射能汚染地から避難した住民の命、健康、暮らしに直結した「住民の人権はどのように守られるべきなのか」が正面から問われた、過去に前例のない人権裁判です。日本政府は311まで、日本に原発事故は起きないという安全神話の中に眠りこけていたため、原発事故避難者の救済に関する法律は何も整備されていなかった。

2 この遅れた状況にあって、原発事故避難者の正しい救済を与える手がかりは、幾度にも及ぶ避難民や国内避難民の悲惨な体験の中から、彼らの救済のあり方を作り上げてきた国際人権法の中にあり、またそれ以外にはなかった。

  私たちは、今回の裁判が正しく裁かれるためには、国際人権法の(国内)避難民に関する人権規定に基づいて解決するしかないことを、一審の福島地裁からずっと主張してきた。しかし、福島地裁は、私たちの訴えに全く耳を傾けず、三行半の無内容で理由不備な判決を下した。こうして、福島県の強行する酷薄な避難者追出しにお墨付きを与えた。この意味で、今回の控訴審の裁判こそ、国際人権法による解決が達成さるべき重要な裁判でした。

  折りしもこの5月に、原発事故避難民の人権状況を、昨秋来日し調査してきた国連特別報告者ダマリー氏の公式報告書が国連人権理事会に提出され、その中には、この裁判に警鐘を鳴らす記述もあり、いまやこの裁判は、人権に関する世界の良識の最大の関心事となっていました。

3 従って、本来であれば、この控訴審の裁判で、国連関係者も証言台に立ち、十分な時間をとって国際人権法の原則が解明され、本件について正しい裁きがなされるべきものでした。ところが、仙台高等裁判所第3民事部(瀬戸口壯夫裁判長)は、今週10日の第1回弁論期日において、1回だけの、それも30分足らずの短い審理だけで、突如「審理終結」を宣言し、私たち控訴人、代理人、傍聴に詰めかけた支援者の前からさっと逃げ去りました。

4 これはズバリ「裁判の拒絶」であり、憲法が保障した「裁判を受ける権利」の侵害以外の何ものでもない。その結果、一審福島地裁の三行半の判決を正当化し、国際人権法が保障する国内避難民の人権を控訴人に適用することを、キッパリと拒否したのです。
 これ以上、国際社会の良識に背を向けた、引きこもり的な態度はありません。

5 私たち控訴人、代理人、支援者一同は、仙台高等裁判所が避難者の「裁判を受ける権利」と「国際人権法が保障する国内避難民の人権」を侵害したという誤りを改め、「審理の終結を撤回し、速やかに弁論を再開し、国際人権法に基づいた徹底的な真相解明を行うこと」を心から強く求めます。

6 いまや、この裁判は単なる国内問題ではなく、世界の良識が注目する国際問題です。
  国際問題として、仙台高等裁判所が、原発事故という自身には全く責任の全くない事態によって全てを奪われ避難せざるをえなかった控訴人と福島県民の切なる願いを誠実に受け止めるのかどうかを、その一挙手一投足を国連人権理事会に通報する所存です。

                                                                                      

【第109話】人間になれなかった裁判官(その3):第二戦開始のゴングが鳴るや終了のゴングが鳴った追出し裁判控訴審(2023.7.11)に寄せられた感想

 昨日の投稿【第108話】人間になれなかった裁判官(その3):第二戦開始のゴングが鳴るや終了のゴングが鳴った追出し裁判控訴審(2023.7.11)を読まれた方から、以下の感想文が寄せられたので、紹介させてもらいました。

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Mです。
裁判お疲れ様です。
柳原さんのブログ
「人間になれなかった裁判官(その3):第二戦開始のゴングが鳴るや終了のゴングが鳴った追出し裁判控訴審(2023.7.11)を
読みました。
子ども脱被ばく裁判福島地裁で、入廷後すぐに「却下する!」
とだけ言い渡し、法廷を去った遠藤東路裁判長の姿を思い起こしました。
彼もまた「人間になれなかった裁判官!」 

仙台高裁の裁判官も、自分の職歴に傷つくことを恐れ?
震える手で「本日で審理を終結する。判決言渡しは9月‥‥」と告げ、
震える裁判長をさらけ出し、法廷を去ったのですね。

国会ではれいわ新選組のくしぶち真理議員が採決の投票時
「与党も野党も茶番」の紙を掲げた罰で、当院停止になったり、
マイナカードの強行採決抗議に委員長席に詰めよった
山本太郎議員を懲罰動議にかけようとしたり、
反対や抗議を許さない。
もはや、民主主義国家は存在しなくなった状況が裁判所でもまかり通る。
独裁国家が顔を出してきました。

柳原さんのご指摘のように、
「裁判の拒絶」である。
それは控訴人の「裁判を受ける権利」の侵害以外の何ものでもない。
それは、控訴人に「避難者の人権」があることを裁判を通じて明らかにしようとした
控訴人の意図をくじくためである。

裁判所は、憲法の教科書に書いてある「(市民の)人権の最後の砦」ではなくて、
「(市民に対する)人権侵害の最前線の攻撃基地」 になってしまった。

「弱きをくじき、強きを助ける」ために裁判所が存在するのではないことを、
ひとりでも多くの市民の手で、独裁裁判所に思い知らせる必要がある。—

裁判所が人権侵害の最前線の攻撃基地になってしまった今、
私たち市民は、直接民主主義で声を上げ、行動する時と悟ります。

何もしなければ、彼ら権力者はますます、味を占め、手なづけ、
手を変え、品を変え、弾圧、分断してくることは明らかです。

独裁国家といわれるのは嫌。だから選挙で過半数を維持する。
私たちはまだ、投票権がある。
疲弊した労働で考える力をなくす前に投票で、意思表示で、
政治を変えることができる、声を上げ続けようと声を上げ、
学習会を開き、集会、抗議行動をおこし、デモをし、
裁判所や、国会に集まり抗議する事はできる。
人間としての尊厳のために、隷属する前に、
命を脅かされることに抵抗することが出来る。

彼らが怖いのは、市民が団結した時だと悟ります。
直接民主主義の行動を編み出す知恵を集め考え出したいです。


2023年7月12日水曜日

【108話】人間になれなかった裁判官(その3):第二戦開始のゴングが鳴るや終了のゴングが鳴った追出し裁判控訴審(2023.7.11)

            7月10日、裁判前の入廷行動

これは、本来なら、国連関係者も呼んで証言してもらい、最も時間をかけて丁寧に、避難者の人権問題を吟味検討して初めて避難者の「裁判を受ける権利」が保障される裁判である。にもかかわらず、実際はよりによって、たった1回だけで、それも30分という最短の時間で審理終結を宣言し、敢行したという異例の展開となった。
以下は、世界の良識がみたらマユをひそめないでおれない、世にも奇怪な、この仙台高裁の裁判の報告である。
かつて、公職選挙法の規定が憲法に違反するという判決を書いて、その後、最高裁から様々な嫌がらせを受けた裁判官がいた。彼はのちに、自分のことを「犬になれなかった裁判官」と呼び、この題名の本に書いた()。今回の裁判官はその対極に立つ裁判官である。つまり「人間になれなかった裁判官」。

安倍晴彦「犬になれなかった裁判官―司法官僚統制に抗して36年


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避難者追出し裁判の第二回戦(控訴審)が仙台高裁で昨日7月10日開かれた。第一審の福島地裁の1月13日の判決言い渡し、それは判決の体裁さえ放棄した「判決もどき」の「エセ判決」(その理由を述べた「弁護団の声明」はー>こちら。以下、原判決といいます)の言渡し以来、半年振りの裁判だった。この間、控訴人、弁護団、支援者は、原判決の誤り、出鱈目ぶりを明確にするために、改めて、避難者の住宅問題の本質を探る検討を重ね、振り返りを行い、その積み重ねの中から、3月13日に、これまでの主張を再吟味し、集大成した控訴理由書を完成させ、控訴審での真相解明について次の6名の証人尋問を予告した(その内容についてはー>第107話参照)。
             
(1)、控訴人を「強制退去させることが真にやむを得ないという事情」が現実に存在していたか否かについて(控訴理由書19~20頁)
 浜田 昌良(元復興副大臣)
(2)、控訴人が本件建物から明渡しを余儀なくされた場合に控訴人及びその家族にいかなる窮乏をもたらすかについて(控訴理由書19~20頁)
 控訴人2名
(3)、国際人権法が許容する明渡しが認められるための条件である「代替措置(住居)の誠実な提供」がいかなる意義を有するかについて(控訴理由書20~22頁)
 清水 奈名子(宇都宮大学国際学部教授)
(4)、現在の日本において、原発事故の避難者にとって生活保護が現実に「代替措置(住居)の誠実な提供」足りうるものかについて(控訴理由書20~22頁)
 瀬戸 大作(一般社団法人反貧困ネットワーク 事務局長)
(5)、国及び県が、自主避難者が生活再建を果たし、仮設住宅の明渡しが実行できるだけの体制が整うように、そこに向けていかなる生活再建策を掲げ、どのように実行してきたかについて(控訴理由書30~31頁)
 国:木村 実(国交省から復興庁に出向し復興公営住宅を制度設計した参事官)
 県:野路 誠(県の初代避難者支援課長)
 日野 行介(ジャーナリスト)
(6)、無償提供の打ち切りに関する本福島県知事決定の裁量権の逸脱・濫用について、決定の判断過程の各局面の論点について看過し難い過誤があったか否かについて(控訴理由書31~34頁)
内堀 雅雄(福島県知事)
(7)、2015年6月の無償提供の打ち切りに関する福島県知事の決定にあたって、「内閣総理大臣の同意の拒否」の具体的内容及びその内容が財政上の正当な理由に基かず、それ以外の理由に基いて同意を拒否したものか否かについて(控訴理由書32~34頁)
 浜田 昌良(元復興副大臣)
(8)、県が自ら原告となって本訴を提起するために、国に本件建物の使用許可を申請していた事実について(控訴理由書10~14頁)
大橋 雅人(県の避難地域復興局生活拠点課課長)

そして、避難者の権利を根拠付ける法として「国際人権法」を導入するための理由付けについて、国際人権法の新進気鋭の研究者、宇都宮大学の清水奈名子教授の協力のもとに、控訴人へのリアリングを経て意見書の準備をし、7月7日、これを完成させ、裁判所に提出した(その内容についてはー>第106話参照)。時あたかも、国連人権理事会の特別報告者のダマリー氏の公式報告が理事会に提出・公表され(ー>そのニュース)、その中で本裁判の問題点に言及するという、本裁判は国際世論の大きな注目を浴びる状況の中にあった。

以上の通り、これらの準備により原判決の誤りをただすのは「時間の問題」という確信を抱き、控訴人は満を持して、7月10日の控訴審第1回期日に臨んだ。そして、法廷で、本裁判で控訴人が提起した論点について、原判決がいかなる意味で誤りに陥っているかを、法律の素人でも理解できるように「要旨の陳述」を行い、裁判官が「原判決の見直しは必至である」という確信を抱けるように努めた。
ところが、このあとの展開、「要旨陳述」に対する裁判所の応答は控訴人の予想と正反対、間逆であった。裁判長は、いきなり
本日で審理を終結する。判決言渡しは9月‥‥
と言い出し、法廷内は騒然となり、途中から裁判長の声は控訴人代理人・傍聴人の抗議の声でかき消された。しかし、裁判長、この時ばかりは「法廷内の権力者は裁判長」というカードを思う存分使い切り、控訴人代理人・傍聴人の抗議を無視して、後ろのドアを開けて、さっさと消えていった。その間、わずか1分ほど。一瞬の出来事に、残った控訴人代理人・傍聴人はだまし討ちに遭ったような気分に襲われ、こみ上げて来る理不尽さを抑え難く、そのあと、そそくさと退室しようとした福島県の代理人に控訴人は思わず声を荒げて詰め寄った。並みいる傍聴人も席から立ち上がる気力も奪われて、裁判官が去った法廷で怒号の野次が飛び交った。

半年振りに、ようやく新たな裁判の幕が上がったかと思ったら、30分もしないうちにあっという間に、その幕が下りてしまった。まるで、第二戦開始のゴングが鳴るやたちまちのうちに終了のゴングが鳴ったボクシングの試合のようだった。

こんなボクシングを観た観客が「八百長だ」と騒ぐのが当然のように、この高裁の裁判を傍聴した市民が、これは裁判の名を借りた「八百長裁判」「エセ裁判」 だと思ったとしても不思議でない。

これを観た控訴人と傍聴した市民は思い知ったーー弁護士が福島県の代理人をやってんじゃなくて、裁判所が福島県の代理人をやってるんだと(福島県の代理人弁護士は「はい」と一言言ったきり、何もしていない)。

これを観た控訴人と傍聴した市民は思い知ったーー自主避難者の人権(居住権・生存権・自己決定権)を侵害する者は福島県ばかりか、裁判所も同類なんだということを。

 これを観た控訴人と傍聴した市民は思い知ったーー少なくとも仙台高裁民事3部の裁判所は、憲法の教科書に書いてある「(市民の)人権の最後の砦」ではなくて、「(市民に対する)人権侵害の最前線の攻撃基地」なんだということを。

 これを観た控訴人と傍聴した市民は思い知ったーー自分たちの国は民主主義の国だと思っていたけれど、私たちの言い分に耳を傾けて欲しいという市民のささやかな願いすら蹴散らされてしまう、実は独裁国家の国なんだということ、実はアジアの独裁国家の仲間だったんだということを。

これを観た控訴人と傍聴した市民は思い知ったーー憲法の教科書に書いてあるような、「三権分立による民主主義」が内部崩壊し機能不全に陥っているとき、そこで嘆いたり、絶望したりするのではなく、民主主義の起源に立ち帰る必要があるということを。

これを観た控訴人と傍聴した市民は思い知ったーー一握りの専門家集団にお任せするというお任せ民主主義=間接民主主義の幻想から目覚めて、 民主主義の起源である、市民の自己統治による直接民主主義に向かうしかないことを。

他方で、この法廷を見て、すっかり絶望した市民もいたと思う。確かに絶望するほかないメチャクチャな裁判だったから。だが、この日の絶望の事態はだてに訪れたのではない。控訴人側で原判決の破綻、誤りを反論の余地がないまでに突き詰める努力を重ねてきた、その努力の賜物なのだ。もし控訴人の主張が軽々と反論される互角のレベルの主張であったら、裁判所もこんな愚かな幕引きを強行しない。余裕をもって反論する判決を書けばよいからだ。

しかし、本件でこの裁判長にはそんなゆうちょな真似をする自信も余裕もなかった。私たちが絶望する前に、まずこの裁判長自身が絶望に追い込まれたーーこのままでは、余裕をもって反論する判決なんか書けない。だから、これ以上、控訴人にとやかく言わせず、一刻も早い幕引きをするしかない、と。
「本日で審理を終結する。判決言渡しは9月‥‥」と言い出した時、傍聴人は裁判長の手がわなわな震え出したのを目撃した。もちろん彼は、冷静沈着な裁判長という役回りを演じる必要があったから、事前に何度も練習していた筈だが、いざ本番となると、一世一代の茶番劇の大根役者を演じる余り、冷静沈着な裁判長とは反対の、震える裁判長という姿を法廷でさらしてしまった。 

ともあれ、昨日の出来事は「裁判の拒絶」である。それは控訴人の「裁判を受ける権利」の侵害以外の何ものでもない。それは、控訴人に「避難者の人権」があることを裁判を通じて明らかにしようとした控訴人の意図をくじくためである。

もともと人権侵害を完成させるためには、侵害者の側も人権侵害を行う(行政)権力者とこれを裁く裁判所が結託(連携プレーを)する必要がある。それは近時の袴田事件を見れば一目瞭然である。  

こういう独裁国家の正体が姿を見せた時、私たち市民はどうすればよいのか。まずは、人権侵害者としての裁判所の違法行為を厳しく追及する必要と覚悟がいる。「弱きをくじき、強きを助ける」ために裁判所が存在するのではないことを、ひとりでも多くの市民の手で、独裁裁判所に思い知らせる必要がある。そのお手本を、昨日の裁判のあとの報告集会で私たちは目撃した。そこに参加した傍聴者たちは、異口同音に「こんなひどい裁判は初めて見た。ビックリした」と語っていた。ここに私たちの次の行動の原点、そして光がある。
暗黒を通じて、光を掴む、その取組みを続けること(この投稿、未完。続く)

2023年7月11日火曜日

【107話】人間になれなかった裁判官(その2):追出し裁判控訴審第1回期日で陳述した控訴理由書の要旨(2023.7.10)

 これは、自主避難者追出し裁判の控訴審(仙台高等裁判所)の第1回期日(7月10日)で、控訴人の控訴理由書(その全文はー>こちら。控訴理由書の提出についての報告はー>こちら)の要旨を陳述した際の原稿です(そのPDF版はこちら)。

人間の心をもった裁判官の胸に届くようにという願いに託して作成し、陳述しました。
これは、「人間の心をもった裁判官に宛てたラブレター」です。

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控訴理由書(要旨)

控訴人代理人 柳原敏夫

1、本裁判の主題

 最初に、はっきりさせておきたい事実について述べる。

まず、控訴人が福島原発事故を起こした訳ではなく、純然たる原発事故の被害者だという事。

他方で、福島原発事故の加害責任を負うのは原発を推進した国と東京電力だという事。

そして、控訴人は東雲の国家公務員宿舎に無断で侵入したのではなく、国からどうぞと提供され堂々と適法に入居したという事。

だから、国際人権法の立場からは、この時点で控訴人に「国内避難民に関する居住権」が実現したという事。

にもかかわらず、2017年3月末をもっていきなり控訴人は一方的に不法占拠者として扱われるに到った事。

そして、本裁判の訴状でも福島県は、控訴人をそこらの不法占拠者と同様に扱って立退きを求めてきた事。

そして、原判決もまた、控訴人をただの不法占拠者と扱って何ら怪しまず、控訴人がたとえ追出されて困ったとしても生活保護があるから問題ないと、生活保護の実態について何ひとつ証拠調べもしないまま立退きを正当化してみせた事。

しかし、福島県も原判決を書いた福島地裁も、本裁判の真の主題を全く掴んでいない事。

本裁判の真の主題とは訴状や原判決が考える「建物の使用をめぐる所有者と不法占拠者との問題解決」といった教科書に書いてあるような単純な事案ではない事。それは、

一方で、原発事故発生により避難を余儀なくされた避難者が避難先で宿舎を国から提供され入居してようやく手にした居住権に対し、他方で、原発事故の加害責任を負う国が避難者に提供した宿舎の所有権を理由に避難者に立退きを求めるという居住権と所有権との対立・衝突をどう調整するか
という平時ではあり得なかった、原発事故が起きて初めて出現した、非常事態のもとでの極めて複雑で、過去に前例のない人権問題である。


2、本裁判の主題を解決するための基本原則

 次に、今述べた、本裁判の真の主題を解決するために、はっきりさせておくべき基本原則について述べる。

第1が、憲法が私たちに保障している人権とは平時だけのものではなく、原発事故発生という非常事態のもとでも途切れることなく切れ目なく続くこと。これが第1の基本原則である。

第2が、平時ならまだしも、原発事故発生という非常事態における人権問題を、「所有権の絶対・万能」というかつての自由国家時代の原理で形式的に解決することはとうてい出来ず、「新しい酒は新しい革袋に盛る」必要があること。これが第2の基本原則である。

第3が、その「新しい革袋」とは、原発事故発生の非常事態の複雑な状況と正面から向き合って、生存の危機に瀕した被害者・避難民の人権をどうやったら切れ目なく十分に守れるか、という問題を、わが憲法が採用している社会国家的な公共の福祉という観点から解決すること。

それが被害者・避難民である控訴人の窮乏をもたらさないように、控訴人が置かれた困難な状況を十分に斟酌した「人権の実質的公平な保障」を確保すること。これが第3の基本原則である。

3、原判決の対応ぶり

 では、これに対し原判決の対応はどうだったか。

原判決を読むと、控訴人が置かれた困難な状況を踏まえて控訴人の人権保障を確保しようという姿勢も配慮も全く、何一つなく、あたかもひとたび原発事故が発生すると、原発事故の被害者・避難民である控訴人には人権は消滅し、国家の命令に隷従する旧憲法時代の臣民になったかのようである。

そして、原判決は控訴人の立退きを単純に「所有権の絶対・万能」という原理で形式的に解決することを何ら怪しまず、あたかも平時の不法占拠者のごとく扱うという態度を鮮明にした。

従って、原判決には、被害者・避難民である控訴人の窮乏をもたらさないように「人権の実質的公平な保障」を確保しようという弱者保護の姿勢はカケラもない。あるのは、「強きを助け、弱きをくじく」という見事なまでの強者保護の姿勢である。

4、一審の審理の中身

 原判決の福島地裁のこの態度は判決の時ばかりではなく、審理においても、第1回から強行打切りした結審までの間、首尾一貫している。

他方、控訴人は、今述べた基本原則に沿って次の主張をした。

①.控訴人には、原発事故発生という非常事態のもとでも途切れることなく切れ目なく人権が保障されていること、その第1が、国際人権法が保障する「国内避難民の居住権」である。

②.他方、もし福島県が、国の所有権を理由にして原発事故の被害者・避難民である控訴人たちに建物明渡しを求めるのであれば、今日の社会国家のもとにおいてはそれが正当化される必要があり、その正当化のためには、国および福島県は被害者・避難民が生活再建を果たし、仮設住宅からの立退きが実行できるだけの体制が整うように就労支援をはじめとする生活再建策を掲げ、実行する必要があった。
しかし、福島県は、帰還者への手厚い就労支援・生活再建策とは裏腹に、帰還を望まない控訴人に対しそのような就労支援も生活再建策も何一つ全く提供しなかった。

③.仮設住宅無償提供の打切りを決定した2015年6月の福島県知事決定が違法ではなく、正当化されるためには、いわゆる「判断過程審査」の手法により、これがいかなる判断過程を経て決定されたのかを具体的に明らかにして、その「判断過程」の各局面において看過し難い過誤があったか否かを解明する必要があった。
しかし、福島県は、一審で控訴人のこの主張に対し反論はおろか認否すらしなかった。

5、一審の控訴人主張に対する原判決の対応ぶり

控訴人のこれらの主張に対し、原判決は、

①.国際人権法が保障する「国内避難民の居住権」について、国際法の直接適用ばかりか間接適用までも認められないとして、「国内避難民の居住権」の適用を否定した。しかし、国際法の間接適用とは何かという理解すら覚束ないまま、エイヤアと間接適用まで否定するとは世界の笑い者になるような誤判である。

5月末に出た国連特別報告者ダマリー氏の公式報告書でも本裁判が今や世界中から注目されており、国際法の間接適用に関する速やかな誤判の是正が望まれる。

②.国際法の直接適用についても、これを否定した塩見事件最高裁判決という、国際社会では時代遅れの紋切り型のロジックをそっくり踏襲する一方、控訴人が提出した、最新の知見に基づく申青学教授の見解に対してはこれを完全に無視するという独善的な態度に出た。

これもまた、世界の笑い者になるような話であり、そうなる前に速やかな是正が望まれる。

③.福島県の建物明渡しの正当化理由になる「被害者・避難民の生活再建に向け、国及び県の生活再建策」については、全く、何一つ言及せず、正当化の理由なぞ不要であるというあからさまな弱肉強食の立場を鮮明にした。

④.福島県知事決定の「判断過程審査」の手法による裁量権の逸脱・濫用の判断についても、控訴人が主張したような具体的な吟味は何一つ行わず、単に「前記(1)で説示した諸事情を勘案すると、原告知事に裁量の逸脱濫用があるとはいえない。」と判断した。

これはとりもなおさず、「判断過程審査」の手法による裁量権の逸脱・濫用の判断すら不要であるというものであり、これ以上、強者の行政に追随し、弱者の被害者・避難民をくじく残忍酷薄な判断はない。

ダマリー氏が公式報告書で警鐘を鳴らさずにおれないのは当然である。

6、福島県の原告適格

 本裁判の最大の謎は、立退きを求める原告が福島県だという事である。建物の持ち主でもなく、また建物の提供者でもない者が、しかも、よりによって本来、県民に寄り添い、県民を守る立場にある福島県がなぜ、いきなりしゃしゃり出てきて、原発事故の被害者・避難民に明渡せと提訴するというのは一体どういうことなんだ?と。

そのなりふり構わない提訴のやり方は人道的に不当であるばかりか、訴訟手続法上も違法と言わざるを得ない。
これに対し、福島県が主張する「債権者代位権の転用」はもともと一般財産保全の制度を例外的に拡張するもので、おのずとその適用の要件は厳格でなければならない。

しかるに、本件では
第1に「自己の債権を保全するため」という要件が欠けている。本件の使用許可により福島県が国に対して有する債権とは「控訴人を建物に住まわせること」であるが、控訴人が本件建物に入居中の本件ではこの債権は既に実現しており、もはやその保全の必要もないからである。

第2に、福島県はこれまで、建物について国との使用関係を「賃貸借契約」と主張したことは一度もない。なぜなら国有財産有償貸付契約を締結していないからである。従って、「賃貸借契約」でない本件の使用関係に、例外的措置である「債権者代位権の転用」を認めることは許されない。

7、法の欠缺

 控訴人が本裁判で法の欠缺という問題をやかましく言うのには次の理由に基づく。

第1に、これまで日本の法律家の多くは法律が想定していない事実が発生してもわざわざ「法の欠缺」と考えないでも、適切にその穴埋めさえすれば足りると考えてきたが、しかし本件はそうはいかない。

過去に前例のない過酷事故の福島原発事故により発生した事態は、過去に前例のない全面的な「法の欠缺」である。その結果、この全面的な「法の欠缺」の事態を正しく認識しないまま、漫然とその穴埋めをするようでは、被害者・避難民である控訴人の窮乏をもたらさないように、控訴人が置かれた困難な状況を十分に斟酌した「人権の実質的公平な保障」を確保することは到底不可能だからである。

第2に、これまで法律家は、法の欠缺問題を法の解釈技術を使って対応してきたが、これは本来正しくない。

法が欠けていて真空状態である以上、それについて解釈することは不可能だからである。

法の欠缺に正しく対応するためには、欠缺部分を補充するという補充作業が不可欠である。この補充のために、本件では法律の上位規範として国際人権法が登場する。国際人権法は全面的な「法の欠缺」状態にある本裁判にとって避けて通れない上位規範である。

8、生活保護は立退きを余儀なくされた避難者のセーフティネットになり得るか 

その答えはノーである。それは日本の生活保護の実態がそれを許さないからである。

その実態については控訴理由書の26頁以下に詳述した通りである。
原判決はここに示された日本の現実を何一つ踏まえない空疎で観念的な言辞にすぎず、立法事実の検証の必要性を説いた薬局距離制限事件最高裁判決から逸脱することも甚だしい。

 さらに、原判決はここで《その他の社会保障制度によっても補完しうるもの》と判示するが、ではいったい他にどのような社会保障制度があるのか何も説明しない。

同様に、《本件各建物を明け渡すことにより、被告らは、福島県に帰還する以外にも、社会通念上選択可能な複数の方策が存在するといえる》と判示するが、ではいったいいかなる「社会通念上選択可能な複数の方策」が現実に存在するのか、これも何も説明しない。

これらは全て控訴人の主張を退けるために新たに持ち出された判断である。にもかかわらず、その証拠はおろか具体的な説明すら何一つしないというのは「理由不備」も甚だしい。

 以上の点だけでも、原判決は破棄されるべきである。

以 上

【106話】人間になれなかった裁判官(その1):自主避難者の人権を国際人権法の立場から余すところなく解明した清水意見書の提出(2023.7.7)

避難者追出し裁判の控訴審の中で、宇都宮大学国際学部教授の清水奈名子さんに、自主避難者の人権について、国際人権法の立場から明らかにし、とりわけ昨秋来日し避難者の人権状況をつぶさに調査した国連特別報告者ダマリーさんが5月に国連人権理事会に提出した公式報告書の本裁判に関連する部分を詳しく引用、解説した意見書を作成して頂きました。書証として裁判所に提出し、そのあと、ご本人を証人として法廷で証言して貰う積りでしたが、【108話】でお知らせした通り、裁判所が一回結審を強行したため、証言の機会は失われてしまいました。

しかし、 自主避難者の人権について、国際人権法の立場からここまで掘り下げて論じた書面は日本のみならず世界でもおそらく最初のもので、自主避難者の人権保障のあり方を考える上で大変貴重な文献です。

以下、表紙と意見書の目次と、冒頭の「はじめに」です。
全文のPDF->こちら

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               目次

はじめに なぜ国際人権法を参照する必要があるのか ・・・1
1 国連人権理事会において問題となっている原発避難者の人権問題・・・3
(1)国連人権理事会における特別報告者の位置づけ…4
(2)法的拘束力のない勧告、意見、関連文書の位置づけ…4
(3)国内避難民に関する指導原則(1998年)と人権理事会における勧告(2017年)…5
(4)避難者を国内避難民とみなした日本政府による回答とフォローアップ…6
(5)国内避難民に関する指導原則と原発避難との関係性…8
(6)国内避難民の人権に関する特別報告者の日本訪問調査報告書(2023)と避難民の権  
   利…11
(7)子ども被災者支援法と同基本方針において保障された「移動・居住の自由」…14

2 本件原発事故による避難継続の正当性・合理性・・・16
(1)広域・長期にわたる放射能汚染被害と避難指示区域の限定がもたらした問題…16
(2)「チェルノブイリ法」との比較から見える日本の避難指示基準の問題性…18
(3)セシウム含有不溶性放射性微粒子と内部被ばくリスクの継続…20
(4)測定調査によって判明した長期化するセシウムによる土壌汚染…21
(5)避難指示が出なかった汚染地域住民が抱える不安…23
(6)住宅支援策打ち切りがもたらした問題…27
(7)控訴人等への聞き取り調査から明らかになった特別の配慮を要する事情…32

結論 ・・・33
略歴 ・・・35


はじめに なぜ国際人権法を参照する必要があるのか
 
本件は、2011年3月11日に発生した東日本大震災に起因する東京電力福島第一原発事故(以下、本件原発事故)を受けて避難し、災害救助法の適用により仮設住宅として宿舎(以下、本件住宅)の提供を受けていた控訴人らが、本件原発事故の避難指示区域外からの避難者(以下、区域外避難者)であることから、2017年3月31日をもってその提供を打ち切られ、被控訴人福島県によって住宅の明渡を請求されている事案である。

 2017年3月の日本政府による区域外避難者への無償住宅提供の打ち切り決定は、人権並びに基本的自由の促進・擁護に責任を有する国際連合(国連)人権理事会において、国内避難民の権利に関わる問題として議論の対象となり、日本政府に対して避難者への支援を継続するように同理事会において繰り返し勧告が行われてきた(例としては2017年第3回普遍的定期審査におけるポルトガル、オーストリアによる勧告(本意見書5頁)、ならびに2023年の普遍的定期審査におけるオーストリア、バヌアツによる勧告(本意見書8頁)等)。

2022年9月26日から10月7日にかけて、日本国政府との合意に基づいて、国連人権理事会の「国内避難民(IDPs)人権特別報告者」であるセシリア・ヒメネス=ダマリー氏(Cecilia Jimenez-Damary、以下、ダマリー氏)が訪日調査を実施したことは、同理事会がいかに原発事故による避難者の人権状況を重視しているかを示している。後述するように、ダマリー氏は訪日調査の最終日にあたる2022年10月7日に公表した調査終了報告書(乙A31号証)の4頁で、避難者が直面する立退き訴訟に言及し、日本政府は「特に脆弱な立場にある国内避難民に対して移住先を問わず住宅支援施策を再開することが推奨される」と述べていた。さらに、同氏が2023年5月24日に国連人権理事会宛に提出した公式報告書(乙A32号証)の15頁においても、「適切な住居に対する権利(Right to adequate housing)」と題する項目のなかで、公営住宅から避難者を退去させることは避難者の「権利の侵害」であるとの見解を明示的に表明するに至っている。このように、本事案は避難者が有する国際人権法上の権利が日本国内において尊重されているかどうかを評価するうえで、特に注目すべき裁判として、いまや国際社会の注目を集めるに至ったと言えよう。

 本意見書は、本事案における控訴人等の権利に関する法的判断を行ううえで、国際人権法上の避難者の権利保障に関する規範を踏まえることの必要性--それは単に事実上の必要性にとどまらず、法的な義務としての必要性のことである--と重要性を明らかにすることを目的としている。従来の災害と比較した時、本事案の特筆すべき際立った特徴の第一は、国際的に最も深刻なレベルの原発事故の発生により、被害者・避難者らの人権が損なわれることなく、被害者・避難者らをいかに救済していくのかという問題に対して、それまで日本国において国内法が想定していなかったという全面的な「法の欠缺」状態が発生していることであり、第二に、そこでこの全面的な「法の欠缺」状態を補充する必要があり、「欠缺の補充」という法的判断が求められる点にある。そしてその判断に際しては、避難民の人権保障について国際人権法分野において積み上げられてきた貴重な諸規範・原則--これまで、国際人権法の分野以外に、避難民の人権保障について諸規範・原則を作り上げてきた分野はなく、避難民の人権保障の法源の源泉と言って過言ではない--が最も重要な手掛かりを提供していることを示していく。

はじめに第1節において、国連人権理事会において問題となっている原発避難者の人権問題について検討し、福島県による本訴訟が、被控訴人等の「移動・居住の自由」(自由権規約12条)に関わる被控訴人等の自己決定権を侵害している問題について考察していく。続く第2節では、被控訴人等が避難の継続を希望し、住宅提供の支援を求めることに合理性があり、決して例外的な扱いを求めるものではなく、多くの避難者と共通する権利の実現を求めていることを、継続する放射能汚染問題と人々の不安に焦点を当てて検証していく。
筆者は2011年以降、福島県からの避難者と、栃木県北の放射能汚染地域に暮らす住民を対象とした対するアンケートや聞き取り調査を続けるなかで、原発事故後に健康に対する権利をはじめとする基本的人権の侵害が発生していることを指摘してきた。本事案では特に避難を継続するか否かを判断する避難者の自己決定権に焦点を当て、国連人権理事会における勧告や、特別報告者による報告を参照しつつ、その国際法上並びに国内法上の法的根拠を検討する。なお、本稿中の下線や太字は、断りのない限り筆者によるものである。
 

【第171話】最高裁にツバを吐かず、花を盛った避難者追出し裁判12.18最高裁要請行動&追加提出した上告の補充書と上告人らのメッセージ、ブックレット「わたしたちは見ている」(24.12.20)

1、これまでの経緯 2011年に福島県の強制避難区域外から東京東雲の国家公務員宿舎に避難した自主避難者ーーその人たちは国際法上「国内避難民」と呼ばれるーーに対して、2020年3月、福島県は彼らに提供した宿舎から出て行けと明渡しを求める裁判を起こした。通称、避難者追出し訴訟。 それ...