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2024年1月19日金曜日

【第127話】7月10日第1回弁論だけで審理終結した、避難者追出し裁判の仙台高裁第3民事部の1月15日判決に対する弁護団の声明(2024.1.17)

判決前の入廷行動
判決後

判決文1頁目

昨年7月10日第1回弁論だけで審理終結した、避難者追出し裁判の仙台高裁第3民事部(弁護団の抗議文は->第110話)による判決言渡しが、今週15日14時半からあり、判決文は被控訴人福島県の主張を全面的に認め、避難者の控訴人の主張をすべて退けるものでした(判決の全文はー>こちら)。
なかでも特筆すべきは、判決には控訴人が一審から、本裁判のメインテーマとして全力をあげ主張した「国際人権法」の論点について(その詳細はー>第70話第72話第77話)、国際人権法のこの字も触れられなかったことです。

近代裁判の恐ろしいところは、結論を出して終わりなのではなく、なぜその結論が引き出せるのか、その理由を証明することを裁判所に課したことです。
その結果、仙台高裁は国際人権法に関する我々の主張を否定するんだったら、それを論証しなければならなかった。しかし、仙台高裁もそれなりに検討した末についにこれができないと観念し、そこで、この論点からとんづらすることにした。それが国際人権法に一言も触れない完全黙殺判決でした。
国際人権法が裁判の付随的なテーマなんだったらまだしも、追出し裁判では殆ど唯一のメインテーマとして全面的に主張してきたものを、仙台高裁は完全無視することでしか結論を引き出せなかった。ここに、この判決が国際人権法の論点において完全敗北したことを自ら最も雄弁に証明したものです。
「証明からの逃避」、そして「国際人権法からの逃避」これがこの判決の最大の特徴です。

まさしく、
国際人権法を知らないものは、この国の法律のことがわからない」(第122話

当日の判決前行動、判決後の集会の報告は->民の声新聞を参照。

以下は、この判決に対する弁護団の声明です。

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弁護団声明

「原発事故後の人間」裁判と徹底して向き合わなかった仙台高裁判決

 

2011年福島原発事故で自主避難した人たちが適法に入居した仮設住宅(東京東雲の国家公務員宿舎)から出て行けと2020年、訴えられました。訴えたのは家主の国でも宿舎を提供した東京都でもない、入居とは無関係の福島県。これが通称「追出し裁判」。その二審判決の言渡しが、今週1月15日、仙台高裁でありました。

「追出し裁判」の主題は自主避難者の仮設住宅からの退去の是非です。しかし、この追出しをめぐる紛争の核心は、日本史上未曾有の過酷事故である福島原発事故の発生以来、仮設住宅の無償提供しかあてがわれなかった自主避難者の人たちが、避難先でいかなる生活再建の見通しを抱き、道筋をたどってきたのかという苦難の現実に即して、自主避難者は果たして、本当に人間として扱われてきたのか、それが問われる、言い換えれば
原発事故の避難者の真の救済はいかにあるべきか」という311前には私たちが経験したこともない人権裁判という点にありました。
それに比べれば、仮設住宅からの退去
の是非という問題なんて、しょせん、避難者がたどらざるを得なかった苦難の全過程の中で発生した「ひとつの中継点」にすぎません。なぜなら、避難者が直面する苦難の生活は仮設住宅から退去したからといって何一つ解決しないからです。

その結果、「追出し裁判」の審理の核心も、国や福島県がいかなる「自主避難者の真の救済のビジョン」を抱いて自主避難者と向き合って来たかにありました。しかし、一審福島地裁の審理の中で明らかになったことは、国も福島県も「自主避難者の真の救済のビジョン」なぞこれっぽっちも持っていないばかりか、そもそも国も福島県も自主避難者が避難先で直面していた苦難に寄り添う姿勢が皆無であり、彼らの頭にあったことは世間の反発が起きないように、一刻も速やかに自主避難者への無償提供を打切って、自主避難者という「存在」を消し去ることだけでした。果たしてそれは、自主避難者を本当に人間として扱うことでしょうか。

そもそも、国会(立法)や政府(行政)とは別に、なぜ裁判所(司法)が存在するのでしょうか。それは、司法とは立法や行政の網から漏れて、谷間に落っこちてしまった人々、しかも谷間に落ちてしまったことについて本人の責任ではないのにたまたま落ちてしまった人々、そのために苦難な状況に置かれている人々が何も救済されないで本当にいいのだろうか、という反省に立って彼らの救済をめざすものだからです(そのことを表明したのが2008年の国籍法違憲最高裁大法廷判決の藤田宙靖判事()です)。


           国籍法を違憲とした最高裁判決の共同通信記事より

 そうだとしたら、「追出し裁判」の自主避難者らも変わりません。彼らもまた、自分たちには何の責任もない福島原発事故の発生のおかげで、行政が勝手に線引きした強制避難区域の網からは漏れて、谷間に落っこちてしまった人だからです。本人の責任ではないのにたまたま落ちてしまったのを何も救済されないで本当にいいのだろうか?これを問うのが司法の本来の姿です。つまりこれこそ「追出し裁判」の真の主題なのです。

しかし、一審福島地裁(小川理佳裁判官)は最初から最後まで、この問いかけを1ミリもしようとはしませんでした。威風堂々と行政(福島県)の代理人のように振る舞ったあげく、自主避難者らの明渡しを厳しく命じる福島県の全面勝訴判決を出しました(その報告ー>こちら)。司法が行政の代理人では三権分立の否定であり、民主主義の崩壊です。二審で、私たち控訴人は、一審判決の致命的な誤りを正すために審理の全面的なやり直しを求め、控訴人本人・内堀福島県知事ほか計9名の尋問を求めました(その報告ー>こちら)。しかし、二審仙台高裁(瀬戸口壯夫裁判長)は1回の審理で、いきなり「終結」を宣言したのです(その報告ー>こちら)。
それは仙台高裁も上記の誠実な問いかけを1ミリたりともしないという宣言であり、行政の代理人の再宣言であり、詰まるところ司法の自死の宣言でした。この宣言を受けて1月15日に、自主避難者の人権侵害にお墨付きを与える残忍酷薄な判決が下されました。これを裁判所による人権侵害と呼ばずして何と呼んだらよいのでしょうか。

 この判決の形式と内容にわたる人権侵害振りについては、改めて報告します。

 「追出し裁判」は2011年以前に日本が経験したことがなかった「原発事故の避難者の真の救済はいかにあるべきか」が問われた前例のない人権裁判です。これに対し、仙台高裁判決は、福島地裁判決に続いて、人権と徹底して向き合わない判断とはいかなるものかについてこの上ない貴重な「暗黒と詭弁の判決」を残してくれました。私たちはこれを大いなるバネにして、判決を徹底的に分析、解明し、そこから「暗黒と詭弁の論理」をひっくり返す「希望と正論の論理」を練り上げ、これを最高裁と、そして最高裁が最も恐れる日本の市民社会の皆さんに提示する積りです。「追出し裁判」は災害先進国の日本においていつでも原発災害当事者となる皆さん自身の明日の姿です。未来を生きる人たちのためにも、原発災害当事者である皆さんと一緒に「原発事故の避難者の真の救済はいかにあるべきか」について考えていくことを願ってやみません。

 最後に、「追出し裁判」の印紙代などの裁判費用の工面のため、引き続き、皆さんのご支援をお願いする次第です。

 寄付の振込先 「郵便口座」 口座番号 11440-2577971

        「振替口座」 口座番号 00230-8-110127

         加入者名  原発避難者の住宅追い出しを許さない会

 

                       2024年1月17日

                             弁護団 一同

 藤田宙靖「裁判と法律学-『最高裁回想録』補遺」282~284頁(有斐閣)









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1、これまでの経緯 2011年に福島県の強制避難区域外から東京東雲の国家公務員宿舎に避難した自主避難者ーーその人たちは国際法上「国内避難民」と呼ばれるーーに対して、2020年3月、福島県は彼らに提供した宿舎から出て行けと明渡しを求める裁判を起こした。通称、避難者追出し訴訟。 それ...