3月19日、脱被ばく実現ネット主催の官邸前アクションに参加、3月1日の子ども脱被ばく裁判の福島地裁判決に対する報告を喋った。それは同時に、「311から10年」を迎えた新老年である私の抱負でもある。その意味で、昨年10月のつつしんで老年に告ぐ「老年よ、大志を抱け」の続編。以下はその動画。
上記の報告を整理して、上記の福島地裁判決に対する新老年の抱負を書いた。
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3月1日福島地裁判決に関する原子力ムラの2つの誤算
弁護団 柳原敏夫
311から10年、私たちは今、どこにいる?
確信を持って言えることが1つある。それは――311から10年が経過し、「私たちは今、どこにいるのか?どこに行くのか?」と問うた時、その答えは子ども脱被ばく裁判の中にある、と。
なぜなら、福島原発事故は日本史上最悪の未曾有の過酷事故であり、事故の被ばくにより多くの子ども・市民の命、健康が前代未聞の危機に陥った時、こともあろうに、この事故発生の張本人の1人である日本政府は事故後に「事故を小さく見せること」しか眼中になく、その結果、多くの子ども・市民に無用な被ばくをさせ、未曾有の危機を招いた。この国家の犯罪の法的責任を真正面から問うた裁判が子ども脱被ばく裁判だからである。言い換えると、311後に出現した、
・子どもの命・人権を守るはずの文科省が「日本最大の児童虐待」「日本史上最悪のいじめ」の当事者になり、
・加害者が救済者のつらをして、命の「復興」は言わず、経済「復興」に狂騒し、
・被害者は「助けてくれ」という声すらあげられず、経済「復興」の妨害者として迫害され、
・密猟者が狩場の番人を、盗人が警察官を演じている。狂気が正気とされ、正気が狂気扱いされる、
「異常が正常とされ、正常が風評被害、異端とされる世界」その世界のあべこべを根本から正そうとした、原発事故に関する「世界で最初の裁判」だからである。
原子力ムラの2つの誤算
この「世界で最初の裁判」の一審判決(以下、単に「一審判決」という)が3月1日、福島地裁であった。結果は原告の全面敗訴(その報告は->こちら)。だが、そこには原子力ムラにとって大きな誤算が2つ生じた。
誤算の第1が判決の理由づけ。日本の支配者の古くからの教え「百姓は死なないように生きないように」によれば、正しい敗訴判決とは「一方で、原告が矛先を収めるようにご褒美を与えて適当になだめすかし、他方で、しょうがないかと諦めるようにチンプンカンプな理由で原告をチョロまかす」ことにある。ところが、今回の判決は第1に、原告を「適当になだめすかす」ようなご褒美が一つもない!その上、チンプンカンプで原告をチョロまかす理由になっていない!「子どもの命、健康を守って欲しい」という原告のささやかな願いを託した原告主張をことごとく、これでもかこれでもかと完膚なきまでに完璧に蹴っ飛ばし、真っ向から否定してしまった。原告をリングの底に思い切り叩きのめし、二度と再挑戦できないように蹴散らしてしまった。その判決理由は一言で言って「理不尽の極み」だった(その中身は後述)。これがそして、次の誤算を招いた。
誤算の第2が控訴手続き(その報告は->こちら)。2014年8月提訴以来既に6年半の歳月が流れ、この間、「原発事故は終わった。東京オリンピックを復興のシンボルに」といったまことの風評被害が吹き荒れる中で、提訴当時の決意を維持持続することは困難を極め、それに追い討ちをかける3月1日の原告全面敗訴の過酷判決という逆風で、控訴は原告にとって大きな試練だった。ところが、この逆境の中、控訴期限の15日に行政訴訟6名、国賠訴訟125名の原告が控訴した。311から10年も経った今、約8割の原告が控訴したことは「原発事故は終わっていない」ことの何よりの証であり、原子力ムラにとって大誤算である。
この誤算をもたらした最大の原因は「理不尽の極み」判決にある。「子どもの命、健康を守って欲しい」という原告のささやかな願いに頭から冷や水をかけ、散々に蹴散らした「理不尽の極み」判決にもし異議申立しなかったら、「子どもの命、健康を守って欲しい」という願いを自らの手で葬り去ってしまうことになる。そのような理不尽の共犯者になることだけは、普段はこの裁判のことを忘れていたとしても、どんなことがあっても出来ない、許せない、と。「理不尽の極み」判決が原告に提訴の原点を鮮やかに呼び覚ましてくれ、再び、原告の心を突き動かし、異議申立という新たな行動を引き起こした。
理不尽の極めつけ――7千倍の学校環境衛生基準問題
一審判決の理不尽の極めつけが7千倍の学校環境衛生基準。私たちの先人は、半世紀前、深刻な公害で苦しむ日本の子ども・市民の命・健康を守るため、コロナによるマスク着用どころか、ガスマスク着用が必要になると警鐘を鳴らし[1]、その救済に尽力した結果、世界最先端の安全基準を制定するに至った。それが、子どもたちの通う学校の環境衛生基準として、その毒物に生涯晒された場合、10万人に1人に健康被害が発生というものだった。ところが、現在に至るまで日本政府はサポタージュして放射性物質について学校環境衛生基準を定めようとしない。この法の抜け穴に対し、原告は本裁判の最重要論点として、放射性物質についても学校環境衛生基準が定める他の毒物と同等の基準つまり「10万人に1人が健康被害」を適用すべきと当然のことを主張したが、一審判決はこれを真っ向から否定、生涯晒されると「10万人中7000人ががん死」を意味する年20ミリシーベルトで問題ないと判示した、他の毒物と比較し、安全基準の7千倍の引き上げがなぜ正当化されるのか、その理由を一言も述べないまま。半世紀前、宇井純、田尻宗昭、戒能通孝東京都公害研究所所長、美濃部亮吉元都知事らが命がけで公害問題と取り組み、尽力を尽くした末に勝ち取った環境基準という先人の努力の賜物を、311後の日本政府と一審判決は放射性物質という毒物についてチャラにし、7千倍引き上げという安全基準の世界最貧民国に転落した。このままでは宇井純ら無数の先人たちの努力は浮かばれない。
不都合な真実にはスルー――科学的知見から逸脱した山下俊一発言問題
2011年に提訴したふくしま集団疎開裁判で仙台高裁にただ一人踏みとどまった原告のお母さんに「放射能の安全基準をどのように評価しているか」と質問した時、彼女は「311事故前の基準と比べて評価している」と答えた。事故前との比較、これが本裁判でも、事故直後の福島での山下俊一発言が科学的知見から逸脱したものかどうかを照らし出す鏡だった。
例えば、山下氏は3月20日の記者会見で「この数値(毎時20マイクロシーベルト)で安定ヨウ素剤を今すぐ服用する必要はありません」と断言した。しかし、311前、チェルノブイリ事故直後、ソ連では安定ヨウ素剤は配布されず、そのため多くの子どもたちがのちに甲状腺がん等の病気になったのに対し、隣国ポーランドでは直ちに
安定ヨウ素剤を配布したため、子どもの甲状腺がんの発生はゼロだった事実を指摘したのは山下俊一氏その人である[2]。
また、山下氏は5月3日二本松市講演で、「何度もお話しますように、100ミリシーベルト以下では明らかに発ガンリスクは起こりません。」と安全性を断言した。しかし、311前、山下氏は講演で、チェルノブイリ事故について、「放射線降下物の影響により‥‥半減期の長いセシウム137などによる慢性持続性低線量被ばくの問題が危惧される。」[3]、医療被ばくについて、「主として20歳未満の人たちで、過剰な放射線を被ばくすると、10~100mSvの間で発がんが起こりうるというリスクを否定できません」[4]と危惧、リスクをを指摘したのは山下俊一氏その人である。
原告は、山下発言と311前の発言を「比較した時、その正反対とも言うべき矛盾した内容に、果して同一人物の発言なのかといぶかざるを得ない」と子どもでも分かるほど明快な矛盾を突いた。
その上で、原告は、山下発言の評価方法について、現在の定説であるテクスト論[5]に基づき《山下発言の意味を判定するのは語り手の山下氏ではなく、放射能の危険性について専門的知識を持たない聞き手の一般聴衆である。一般聴衆にとって切実なことは、自分が知りたいと思っている問題について山下氏がどう発言したかという個別具体的な発言であって、山下講演の全体的な評価などではない。山下講演の個々の発言中に「一つでも不合理な発言」を聞いた一般市民がそこから放射線健康リスクについて「不合理な結論」を引き出し、「すっかり安心して」それまで抱いていた放射能に対する警戒心を解いてしまう恐れがあったかどうかがここで問題なのである》と常識的見解を主張した。
しかし、一審判決は一方で、山下発言の評価方法に関する原告の常識的な主張を真っ向から否定、またしてもその理由を一言も明らかにしないまま。他方で、山下発言と311前の発言との矛盾について、真っ向から否定するどころか、ただの一言も触れずコソドロのようスルーして蹴っ飛ばした。これは真っ向から否定する勇気すら持てなかったからである。こんないい加減なやり方で、山下発言を「科学的知見を一般の参加者向けに平易に説明したもの」[6]と全面的に擁護した。あたかも独裁者が自国の民主主義を云々するようなもので、「理不尽の極み」以外に表現が見つからない。
「理不尽の極み」判決は311後の日本社会を写し出す鏡
とはいえ、裁判所は決して自ら望んで、あのような理不尽満載の判決を書いたのではなかった。放射性物質に関する環境基準の抜け穴問題ひとつ取っても、もし原告があそこまで厳しく追及しなければ、一審判決も適当にお茶を濁したかったに違いないが、原告の峻烈な追求を前にその余地はなかった。この意味で、「理不尽の極み」判決は311後の日本政府の対応の問題全てと正面から向き合い、その理不尽さを余すところなく解明しようと努力した原告の追及がもたらした帰結であった。この意味で、我々が手にした「理不尽の極み」判決は311後の日本社会を写し出す鏡である。
歴史の訓えによれば、理不尽が凝縮された出来事が人々の心に共有された時、それは社会に途方もない地殻変動を引き起こす。1987年6月の韓国の民主化運動も、ひとりの学生の拷問死という理不尽な出来事が引き金であり、 2011年春の中東の民主化運動も、ひとりの露天商の若者の抗議死という理不尽な出来事が引き金だった。この意味で、原告が6年半かけて手に入れた「理不尽の極み」判決もまた地殻変動を引き起こす可能性を秘めた理不尽のかたまりだ。「理不尽の極み」判決を手に入れるためにこの間、数え切れないほどの人々の参加、協力、応援があった。この尽力を無駄にすることのないよう、世の人々にこの「理不尽の極み」判決を示して、「この酷い判決が311後の私たち日本社会を写し出す鏡なんですよ」と訴え、理不尽を共有していきたい。その共有の積み重ねの中から未来の「地殻変動」を引き起こすために、ささやかでも、これからも奮闘したいと思う。
以上が、私がこの判決から引き出した歴史的意義である。
(2021.3.20)
[1] 1970年7月25日朝日新聞(夕)「亜硫酸ガスの危険警告 10年後には5倍 ガスマスクが必要に」
[2]論文「放射線の光と影:世界保健機関の戦略」2009年3月。537頁左段1行目以下。
[3] 講演「被爆体験を踏まえた我が国の役割」3頁(2000年)
[4] 上記論文543頁左段。
[5] ある作品の意味は何かついて、作品の作者にその答えがあるのではなく、読む側、つまり読者がその解釈の答えを握っているという考え方。テキスト論、読者論ともいう。
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