「子ども脱被ばく裁判」が提訴審理された福島地方裁判所
裁判所のHPより6:最初(最終)準備書面をめぐる攻防
2019年10月からスタートした証人尋問、最後の3回は1月23日、2月14日(鈴木証人)、3月4日(山下証人)とほぼ半月に1回のペースの超過密スケジュール。
最後の山下尋問の終了時に原告弁護団は過労ダウンの寸前。裁判の最後の仕上げとなる最終準備書面作成には夏休みを当てて8月末〆切を希望したところ、裁判所は聞く耳を持たず、「6月末」〆切、7月28日審理終結を指示。「そんな無茶な」と疲労困憊の中を途方に暮れていた弁護団に、そのあと、思いがけない想定外の事態が起きた。
それが前代未聞のコロナ禍の出現だった。この生物災害のお陰で、弁護団の日常業務は無期延期。思いがけず転がり込んだ余剰時間を千載一遇のチャンスと最終準備書面作成に充てることが可能となった。
さらに、この間、被告側の「黙殺」作戦で「争点化」されなかった重要論点も洗い直しする中で、最終準備書面は、これまで主張してこなかった新しい重要論点満載の「未知との遭遇」の書面となった。これでは最終の準備書面じゃなくて、最初の準備書面だろ。弁護団の中からも「これで審理終結なんて無茶だ。今から審理再開して裁判をやり直さなくては」と声があがった。
しかし、裁判所はそのあと裁判再開を指示しなかった。その代わり、予め、当事者双方に、相手の最終準備書面に対する反論の機会を20日以内という条件で与えた。
既に疲労の限界を超えていた原告弁護団だったが、このチャンスを逃してなるものかと、被告国と福島県の最終準備書面で必死に主張している論点について、トドメを刺すべく、昼夜兼行で反論の書面を準備した。
7月20日、これを完成・提出した瞬間、正直、もうしばらくこの裁判のことは考えたくないと思った。これに対し、被告側からは原告の最初準備書面に対する反論の書面は提出されなかった。おそらく、ひとたび手をつけたら収拾のつかない知的格闘技に陥ることを彼らも悟り、自らリングの上から降りたのである。
そして、ただひとりリングに残ったレフリーの裁判所は、年内もしくは年明けという弁護団の予想を覆し、最も遅い3月判決を告げた。
ここに、判決まで最長の期間を設定した裁判所こそ、原告の最初(最終)準備書面とその補充書面を前にして最も戸惑い、途方に暮れていることをうかがわせた。というのは、「判決は裁判所が書く」というのはしばしば誤解されている。なぜなら、判決とは裁判所が自分の好きなように書けるものではなく、あくまでも「法の支配」に従って書かなければならないものだからである。「法の支配」とは真実と正義に従うことである。原告の最初(最終)準備書面とその補充書面も弁護団が書きたいことを書いたのではなく、福島原発事故の「真実と正義」に忠実に、できる限り正確に刻印しようとしたものである。だから、裁判所はいま、福島原発事故の「真実と正義」によって裁かれようとしており、その「裁き」の試練の中にいる。
(2020.9.10)
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