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2019年9月29日日曜日

【第29話】新しい酒を新しい皮袋に盛る市民立法「チェルノブイリ法日本版」と東京オリンピック(2019.9.29)

「見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒」である放射能のわな、欺瞞に陥ることなく、その危険性を正しく認識するためには、カントが言ったように、視差(ズレ)の中で考えるしかない。                  
さきに、私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した。今私は自分を自分のではない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もひそかな動機もろとも、他人の視点から考察する。
 両者の考察の比較は確かに強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段である。
(カント「視霊者の夢」) 


その視差(ズレ)の1つが場所的な視差、つまりチェルノブイリと福島との対比
1986年のチェルノブイリ事故から30年以上経ったウクライナ、ベラルーシで、その間にオリンピックが開催されたことがあっただろうか。
それだけで、事故から9年目にオリンピック開催を宣言する日本の異常さが露呈される。

以下は、 東京オリンピックの異常さとその唯一の可能性つまり30年前のソウルオリンピックがもたらした偉業=市民の自己統治という民主化(→その写真動画、漫画「沸点」)を成し遂げた可能性に学び、正常に向かうロードマップについて書いたもの。これを書き、改めて、今こそ、日韓の市民の連携、ネットワークの重要性、大切さを痛感している(その詳細は->「なかったことにする」に「理不尽です」と抵抗する市民一人一人の声、行動、そのネットワークが1987年の民主化を産み出した)。

以下の文はこの夏、出版された「東京五輪がもたらす危険─いまそこにある放射能と健康被害─」に収められている。

全文のPDFは->こちら

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新しい酒を新しい皮袋に盛る市民立法「チェルノブイリ法日本版」と東京オリンピック

福島原発事故で私達は途方に暮れました。日本全土と近隣国を巻き込み、過去に経験したことのない未曾有の無差別過酷災害だからです。ところが未曾有の事故にもかかわらず、従来の災害の発想で救助・支援が行われ、そして支援は打ち切られました。「新しい酒は新しい皮袋に盛れ」、これが私たちの立場です。未曾有の無差別過酷事故には未曾有の無差別の救済が導入されるべし、それが健康被害が発生しようがしまいが事前の一律救済を定めた、原子力事故に関する世界最初の人権宣言=チェルノブイリ法です。

福島原発事故で私達は途方に暮れました。放射能は体温を0.0024度しか上げないエネルギーで人を即死させるのに、目に見えず、臭わず、痛くもなく、味もせず、従来の災害に対して行ったように、五感で防御するすべがないから。人間的スケールでは測れない、ミクロの世界での放射能の人体への作用=電離作用という損傷行為がどんな疾病をもたらすか、現在の科学・医学の水準では分からないから。つまり危険というカードが出せない。にもかかわらず、危険が検出されない以上「安全が確認された」という従来の発想で対応し、その結果、人々の命、健康は脅かされました。「危険が検出されないだけでは足りない。安全が積極的に証明されない限り、人々の命を守る」、これが私たちの立場です。つまり人々の命を被ばくというロシアンルーレットから守る。それが予防原則で、これを明文化したのがチェルノブイリ法です。

福島原発事故で私達は途方に暮れました。最初、人々は除染で放射能に勝てると教えられましたが、それが無意味な試みと分かると口を閉ざしたからです。避難できず、苦悩が人々の避難場所となりました。「苦悩という避難場所から脱け出し、真の避難場所に向かう」、これが私たちの立場です。それが美しい謳い文句にとどまらず、現実に、安全な避難場所に避難する権利を保障したチェルノブイリ法です。

原発事故の本質は戦争です。国難です。他の全ての課題に最優先して、その全面的救済を実現する必要があります。同時に歴史の教えるところは、国難において、国家はウソをつく
、犯罪を犯す。現場にどんな悲劇があっても、一人一人の市民がその生死をかけて立ち上がらなければ何も生まれない(田尻宗昭)
。それが、20183月スタートした、市民主導で日本各地から条例制定を積み上げていく、市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会の市民運動です。

 原発事故は従来の常識が通用しない「人間離れした」災害です。同時に、天災ではなく、人間が作り出した災害です。私達には責任があります。私達の未来はこの原発事故に「適応」できるか否かにかかっている。日常生活に逃避することはできません。その責任を果さず、日常生活の究極のイベント=オリンピックという避難場所に引きこもる余地はないのです。

ただ、オリンピックにはこれをバカにできない例外があります。1987年、国内世論と国際世論が連携し、民主化の実現なしに平和の祭典は不可能だと、ソウルオリンピック開催と引換えに悪名高い独裁制に終止符を打った韓国の民主化運動の成功です。外圧に弱い日本にとってこれは千載一遇のモデル。原発事故の放射能の脅威の中で人々が声も上げられず暮らす国で平和の祭典は不可能だ、放射能の脅威から免れて平和に生存する権利=避難の権利が保障されてこそ平和の祭典も初めて可能になる――この真実を世界に訴え、東京オリンピック開催と引換えに避難の権利の保障を実現すること、それが311以後の私達に残されたことです。

育てる会共同代表 柳原敏夫)
(2019年5月18日)



 

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