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2025年12月12日金曜日

【第173話】山が一歩動いた。最高裁にツバを吐かず、花を盛った避難者追出し裁判の理由書に対し、1年8ヶ月後に最高裁から「受理する」と応答(25.12.12)

 山が一歩動いた。だが、それは一歩だ。しかし、一歩でいいのだ。これまでと格段に貴重な一歩だから。それは司法と市民運動の核心(人権)を掴んだ、その意味で未来の羅針盤になる重要な一歩だからだ。
以下、この経験を一生手放さないための振り返り(その1)と報告。

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これまで、例えば反原発・脱原発運動で著名な方からこう言われた。
「最高裁など、まったく期待してきませんでした。」

それは重々分かることで、無理もないこと。そう分かった上で、まだなお最高裁に対しやれることがある。それをやり抜こうと、1年8ヶ月前の2024年4月、一審福島地裁、二審仙台高裁でボロ負けした避難者追出し裁判の判決の破棄を求めて、最高裁にその理由書を提出した。文は人なりで、「お前なんか全く期待していない」という気持ちを抱いていたならそれが自ずと文に出て、ツバを吐いたような書面になる。そうではなく、最高裁裁判官の背中を押すような気持ちで、花を盛る積りで書くのとでは文はまったくちがってくる。

しかし、これまで、そんな欺瞞的な芸当はできないと思ってきた。ところが、2024年正月、自分の58年間を振り返って、 「司法」の本質とその可能性の中心についてまだ何も分かっていないことを思い知らされて、その無知から新米法律家として出直すしかないと思った()。その最初の仕事がこの避難者追出し裁判の理由書の作成だった。

)【第8話】58年間の振り返り:法律家としてはともかく、人権法律家として完全失格(24.1.11) 

 【第9話】58年間の振り返り(2):2人の最高裁判事(横田喜三郎と中村治朗)の評価に対する間逆のコペルニクス的転回(24.1.11) 

【第10話】58年間の振り返り(3):最高裁判事中村治朗はただの「反動の理論的司令塔」ではない

理由書の中で、私は過去の最良の最高裁判事たちを総動員して以下のように花を盛った。

3、本裁判に対し申立人らが望むこと

(1)、結論
 本裁判の特徴を一言で言い表わすと、それは「真空地帯」で災害弱者の基本的人権が問われた裁判である。その本裁判に対して申立人らが裁判所に望むこと、それは司法が一歩前に出ることである。以下、その理由と意義について述べる。

(2)、司法権のスタンス――司法消極主義と司法積極主義の使い分け――

福島原発事故が国難ともいうべきカタストロフィ(大惨事)であり、これに対する国の政策も国策と呼ぶに相応しいものであることは誰しも否定し得ないところであろう。従って、国策という政治性の極めて強い問題に対し、民主主義社会における司法が、国民の信託を受けた立法・行政の判断を尊重し、自らの判断に控え目になることいわゆる司法消極主義には民主主義システムにおける役割分担としてそれ相応の理由があるものというべきである。

他方で、どのような原理原則も万能ではあり得ず、例外のない原則がないことも古来から知られているところである。この理は司法消極主義にも当てはまる。司法消極主義の例外について述べた、古くから有名な文書が1938年のアメリカ連邦最高裁判所のカロリーヌ判決のストーン判事の脚注4である(別紙訳文参照)。そこでは、司法消極主義を正当化する根拠となる「民主主義の政治過程」、これが正常に機能しない場合もしくは「民主主義の政治過程」が性質上及びにくい場合に、民主主義の政治過程そのものに関わる人権問題やそれが及びにくい領域の人権問題について、司法が引き続き司法消極主義に徹していたら、それはまさしく司法消極主義のやり方に任せていたのでは解決できない病理現象から司法が目を背けることにほかならず、明らかに正義にもとるのである。このような場合には司法は態度を変更して、自ら積極的に司法判断に出る必要がある。

とはいえ、ここで行う審査とは決して政策の当否といった政治論争の審査(政治問題への積極的介入)ではなく、あくまでも人権保障という法的観点から人権侵害の審査を行なうことであり、それ以上でもそれ以下でもない。そして、それはもともと司法が最もよく果たし得る作用である。その意味で、これは司法が積極的に司法判断に出るに相応しい場面である。すなわちこの場面での司法積極主義は司法に課せられた重大な使命と言うことができる。上記のストーン判事の脚注4はこのことを、次の3つの類型で示して明らかにしたものである。

①.民主主義の政治過程を制約する法律については、裁判所はその合憲性を厳格に審査しなければならない。

②.憲法が掲げる基本的人権を制約する法律については、合憲性の推定が働かず、裁判所はその合憲性を厳格に審査しなければならない。

③.特定の宗教的、人種的、民族的少数者に向けられた法律、すなわち個々の孤立した少数者の人権を制約するような法律については、裁判所はその合憲性を厳格に審査しなければならない。(泉徳治元最高裁判事の20041030日「司法とは何だろう」講演録74~75頁[1]による)

(3)、本裁判の主題

ア、「真空地帯」の発生――311後の日本社会の際立った法律問題――

本裁判の主題とは何か。その第1は、応急仮設住宅供与打切り問題が原発事故の救済をめぐる紛争の解決が求められた事案であるにもかかわらず、これを解決する相応しい具体的な判断基準が法律から直接引き出せない状態、すなわち法の欠缺状態それも全面的な欠缺状態にあったということである。本件に即して言えば、

申立人2は福島原発事故直後に避難した体験について、陳述書(乙C6)でこう述べた。

《2011年3月11日に東日本大震災が発生し、南相馬市長より避難の要請が出された為、私は次女を連れて友人家族の車に便乗させてもらい関東方面に向かいました。しかし当時ガソリンが手に入らず、東京までは行けず、途中栃木県のそば屋で一泊させてもらい、翌日宇都宮駅から次女と各駅停車の電車に乗り、東京に向かいました。東京では頼れる人も居ないので、‥‥(中略)‥‥、その後 福島県の情報が全く入らず、どうして良いのか分からず途方に暮れて不安な時間を過ごしている中、次女の同級生が足立区の武道館に避難していることが分かり、そこへ会いに行き、初めて避難所があることを知りました。その避難所は避難者向け都営住宅の募集もしていて、老人ではないし当てはまらなかったけれど直ぐに申し込みをしましたが、落選通知が東京都から来て、その後東京都から「赤坂プリンスホテルに入れる」と連絡を受け、4月中旬頃、東京の専門学校に通っていた長女と合流して赤坂プリンスホテルに移動しました。6月末までそこで過ごして、その後、千代田区の全国町村会館へ移動、7月末に現在の住まいである東雲住宅へ入居しました。》

この事実だけでも本裁判の主題が明確に示されている。それが、一方は本件建物の持ち主であり、福島原発事故の加害責任を負うべき立場にある訴外国が避難者に提供した本件建物の所有権と、他方は、福島原発事故により避難を余儀なくされた避難民である申立人が国より避難先住居として提供を受けた本件建物について有する居住権(同時にそれは生存権でもある)とが対立・衝突した場合、いかにして両者の調整を図るかという、原発事故発生時における加害者の所有権と被害者・避難民の居住権(生存権)との対立・衝突をいかに調整するかという、「平時」とは状況が全く異なる原発事故発生という「緊急事態」のもとにおける人権保障のあり方が根本から問われた、過去に経験のない人権問題であるにもかかわらず、これを解決する相応しい具体的な判断基準が災害救助法及び関連法令から直接引き出せない状態、すなわち法の欠缺状態それも全面的な欠缺状態にあったという点にあった。

 しかも、それはひとり申立人らに限った問題ではない。311後の日本社会の際立った法律問題は原発事故の救済について法律の備えがなく、「真空地帯」つまり法の全面的な穴(欠缺)状態が発生したこと、にもかかわらず、国会は半世紀前の公害国会のような、速やかな立法的解決を殆どしなかったことである。

その結果、現実に発生した原発事故の救済についての全面的な法の穴をどう穴埋めするか(欠缺の補充)をめぐって、裁判所にどのような責務が発生するのか、すなわち「新しい酒をどのように新しい革袋に盛るのか」これが前例のない重要な人権問題となったのである。

イ、「真空地帯」の放置は許されるか(ノン・リケットの禁止)
 最初の問題は、「法の欠缺」状態に対し立法的解決が図られない場合、裁判所は「欠缺の補充」をする必要があるかである。答えは、この場合、裁判所による「欠缺の補充」は不可避であり、必要不可欠である。

なぜなら第1に、そもそも裁判所は、法の欠缺を理由に裁判不能(ノン・リケット)を宣言して裁判を拒絶することは許されず、のみならず、法の「欠缺の補充」を実行しないかぎり、裁判所は原発事故の救済について司法の大原則である「法による裁判」が実行できないからである。

 第2に、後記第3、2で詳述する通り、「法の欠缺」状態にある放射性物質についての「環境基準」をめぐり国会も裁判所[2]も「欠缺の補充」をせず放置している結果、放射能汚染地に住む子どもらの安全に教育を受ける権利を侵害される事態を引き起こして是正されないままでいる。この事例からも明らかな通り、法の「欠缺の補充」を実行しないと深刻な人権侵害が発生しているのにそれが放置されたままになるからである。

第3に、後記第2で詳述する通り、「法の欠缺」状態に対し国会が立法的解決に動かない場合、それは民主主義の政治過程に「真空地帯」という重大な欠陥が生じ、その結果、人権侵害が発生するという憂慮すべき事態であり、そのような場合には司法は一歩前に出て人権問題を積極的に審査すべきだからである。

第4に、以上について述べた最高裁判決を紹介する。それが半世紀前、深刻な公害問題で発生した「法の欠缺」状態に対し立法的解決が果たされない場合、裁判所による「欠缺の補充」の重要性を「新しい酒は新しい革袋に盛られなければならない」という比喩で強調した、1981年12月16日大阪国際空港公害訴訟最高裁判決の団藤重光裁判官の次の少数意見である。

「本件のような大規模の公害訴訟には、在来の実体法ないし訴訟法の解釈運用によつては解決することの困難な多くの新しい問題が含まれている。新しい酒は新しい革袋に盛られなければならない。本来ならば、それは新しい立法的措置に待つべきものが多々あるであろう。」

しかし、諸事情によりその立法的措置が果たされない場合、裁判所による「欠缺の補充」の出番であると次の通り締めくくっている。

「法は生き物であり、社会の発展に応じて、展開して行くべき性質のものである。法が社会的適応性を失つたときは、死物と化する。法につねに活力を与えて行くのは、裁判所の使命でなければならない。」(33~34頁)

第5に、この「欠缺の補充」の必要性と次に述べる「欠缺の補充」をいかに実行するかという問題はひとり福島原発事故関連裁判だけのテーマではなく、昨今大きな話題になった選択的夫婦別姓事件など現代の最先端の裁判が避けて通れない普遍的なテーマでもある。



[1]近畿大学法科大学院 秋期講演会 https://x.gd/igPIU(短縮URL

[2]その代表例が福島地裁令和3年3月1日安全な場所で教育を受ける権利の確認等請求事件判決である。


それから1年8ヶ月。この間、数回にわたって、理由書の補充書面を作成して最高裁に提出したが、それもまた花を盛る気持ちで書いた。先月15日、3回目の補充書面(>こちら)を最高裁に持参してから約1ヶ月後の一昨日、最高裁からの連絡、それは書類ではなく、電話が鳴った。申立てを「受理する」という連絡だった。そして、来年1月9日に公開の法廷で判決の言渡しをするという連絡だった。そのどちらも最高裁の事件を経験した者にとっても極めて稀有な出来事だった。その意味が分からず、弁護団の中でもあれこれ詮索していたところ、昨日、最高裁から書類が届いた。申立てを受理するという決定と判決言渡し日の通知だった(以下)。


この書面の結果、次のことが明らかになった。
今回の裁判長は三浦守判事。
そして、最大の関心事である今回の上告審の審理の対象は次の2つ。
第1が2017年3月末をもって仮設住宅の提供を打切ると決定した内掘県知事決定の違法性について。
第2が仮設住宅(国家公務員宿舎)の所有者でもない福島県が本裁判の原告となって入居中の区域外避難者の退去を求める訴えを起こす資格(原告適格)について。

1番目の内掘県知事決定の違法性というのは裁量権の逸脱濫用の問題で、今年6月に最高裁が生活保護費の引き下げを裁量権の逸脱濫用にあたり違法であると判断したのと同種の論点。
最高裁が仮に本件を見直すとしても精々2番目の原告適格の論点だけで逃げ切るのではないかと思ったのですが、そうせずに、まさに、東京地裁の住まいの権利裁判の中心論点でもある内掘県知事決定の違法性の問題に最高裁が真正面から直球で勝負する大勝負になる可能性がある。

参考までに、この2つの争点の詳細は以下の上告受理申立て理由書第3(40頁以下)と第4(70頁以下)を参照。

また、1年8ヶ月前の上告受理申立て理由書の提出の報告は以下。 
【第141話】一昨日、避難者追出し裁判の総決算の書面(上告理由書等)を最高裁判所宛に提出(24.4.20)

私にとって今回の出来事は、311以来、原発事故の救済について固く閉ざしていた司法の場で、いま初めて山が一歩動く瞬間に立ち会ったという経験です。そして、次の課題はその貴重な一歩で終わりにするか、それともここからさらにもう一歩進めるかです。それは私たち市民の手にかかっていると改めて痛感している。 

2024年12月27日金曜日

【第172話】12.19官邸前アクション(続き):なぜ司法は「理由を示してなんぼの世界」なのか(24.12.26)

           ピタゴラス(ローマカピトリーノ美術館

先月の子ども脱被ばく裁判の11.29最高裁決定(全文>こちら)に対して、私は12月19日の官邸前アクションで抗議文を読み上げた。その動画(>こちら)を観たこの裁判の原告の方から、次のようなコメントが寄せられた。

なかなか言葉で表現できない思いを、分かりやすく具現化していただき、大変ありがとうございました

これを読み、この方に限らず、殆どの原告の皆さん、そしてこの裁判を支援してくれた人たちも殆ど、今回の三行半の最高裁決定の結論に対しては「万感の悲しみと怒り」は感じたとしても、それ以上、これがいかなる意味でひどい決定なのか、そのひどさをどう理解してよいか分からず、途方に暮れているのではないかと思った。

私は最高裁の決定は司法の自殺にひとしい、その意味で前代未聞の決定であり、この点のひどさだけでも最高裁は何よりもまず「子どもに謝るべきである」と考えた。そして、そのことを証明しようと抗議文(全文>こちら)を書いた。 ただし、そこでは、そもそも「証明」することがどれほど大切なことなのか、その貴さ、すごさを殆ど説明できなかった。以下は、その点の補足である。

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1、袴田事件の奇跡の逆転、その大前提

今年10月、逮捕から58年かかって無罪が言い渡された袴田事件。当初、地裁、高裁、最高裁と有罪判決が相次いで出され、第一次の再審請求も
地裁、高裁、最高裁で棄却。もう無理かと思われたその後、第二次の再審請求で紆余曲折の末、逆転の再審開始が認められて、無罪となった。
ところで、このものすごい紆余曲折を経ながらも(ウィキペディアの解説)、
奇跡みたいに有罪が無罪に覆えされた根底には、ひとつの大前提がある。それは、袴田事件の有罪判決や再審請求の棄却決定がちゃんと結論の理由を示す「証明」の体裁を取っていたことである。もしも、袴田事件の有罪判決らが、子ども脱被ばく裁判の最高裁決定のように、結論の理由を示す「証明」がなにもなかったなら弁護団はどんなに頑張っても無罪を勝ち取ることは不可能だった。なぜなら、有罪判決や再審請求の棄却決定には、曲がりなりにもその結論の理由を示す「証明」が示されていたから、これに対する「反証」を出すことも初めて可能になった。つまり「証明」の体裁を取ることによって、そこに示された「証明」に対して感情的な批判ではなく、科学的、法論理的な批判もまた、初めて可能となり、その結果、袴田事件のように、最初に示された「証明」がのちに否定されることが可能になった。

2、近代司法の本質的特徴

これが近代の司法が保持している最も重要な特質である「結論を導く理由を示す『
証明』」という判断枠組み。これを失ったとき、司法は司法であることを止める。司法の自殺=内部崩壊である。袴田事件の有罪判決は「結論を導く理由を示す『証明』」という判断枠組みが維持されていたからこそ、連戦連敗だった袴田弁護団も、じわじわと、有罪判決の「証明」の問題点を指摘し、それを打破する「反証」に出て、最後に、有罪判決の理由を示す「証明」を覆えすことができた。

しかし、子ども脱被ばく裁判の最高裁決定には結論の理由を示す「証明」がなにもない。つまり、「結論を導く理由を示す『証明』」という判断枠組みが完全に失われている。だから、弁護団は、たとえ民事の再審は無理だとしても、将来の同種の事件を念頭に置いて、最高裁が示す「証明」の問題点を指摘し、それを打破する「反証」に出るという積極的な判決批判を行なうことができない。その結果、弁護団は、将来の同種の事件を念頭に置いて、袴田事件の弁護団がやったように、最高裁決定の理由を示す「証明」を覆す積極的な準備すらできない。つまり、この10年間の子ども脱被ばく裁判で、原告側が心血を注いで追及してきた国と福島県の責任問題について、最高裁は自らの判断を示さないことにより、理由を明らかにしないまま国と福島県の責任を求める原告の主張を退けるという形で国と福島県の責任問題にいわばフタをしたのだ。それは、弁護団を始めとして世の中から反論、批判、反証の余地を与えない形で国と福島県の責任問題を封印した。

これはもはや「司法」ではない。政治的決着である。昔から、最高裁は政治問題には介入しないのだという司法消極主義を採ってきた。しかし、今度ばかりは司法の大前提である「証明」を放棄することを通じて、実は露骨に政治問題に介入して、政治的に大貢献した。これもまた、最高裁の伝統的立場である司法消極主義に真っ向から反する。アウトである。

司法が「人権の最後の砦」と称されるのは別に、司法を単に持ち上げているからではない。司法がその判断を示すにあたって、人権を尊重せずにおれないような判断の枠組みを採用しているからであって、その筆頭が「結論を導く理由を示す『証明』」の提示だ。司法がその「結論を導く理由を示す『証明』」という判断の枠組みをみずから放棄したとき、それだけで司法は「人権の最後の砦」を放棄したにひとしい。それは司法の自殺である。

3、近代司法の「証明」と近代科学の「証明」の表裏一体

実はこの近代司法の「証明」の判断枠組みは、単に司法内部だけの哲学、思想ではなく、近代社会の本質的特徴と深く繋がっている。それが、近代社会の幕開けとなったガリレオ、ケプラー、ニュートンらに始まる 近代科学の「証明」の登場であり、この「証明」の精神が政治の世界に最も色濃く反映した分野が司法(裁判)だった。近代の司法の誕生は近代科学の誕生抜きにはありえない。

それゆえ、近代司法の「証明」の意義を考える上で、近代科学の証明の意義を参照することが不可欠である。世界三大数学者のひとりとされるガウスが「数学は科学の女王である」と述べたように、近代科学の証明の精神は数学の「証明」に負うところが大きい。その数学の「証明」について、数学者の遠山啓は次のように言っている。

直角三角形に関するピタゴラスの定理は経験的には既に古代エジプトで知られていた。しかし、ピタゴラスが偉いのはそれを証明してみせたことである。証明するまでは、たとえどんなに偉い王さまであろうともそれを主張することは許されない。他方、たとえどんな馬の骨でも証明さえできれば認められる。これが数学そして科学の精神である。」 

つまり、数学の世界ではどんな権力や権威があろうとも、「オレがそう決めたんだからそうする」という振る舞いが許されず、あくまでも「証明してナンボの世界」に従うしかなかった。その反面、どんな馬の骨でも無名で無力であろうとも、「証明」さえやってのければ、それが受け入れられる。数学とはこの「証明」が支配する世界。

この「証明」の精神に従うのなら、司法も、或る主張の理由について、原告がどんな馬の骨でも、どんなに無名で無力であろうとも、「証明」さえやってのければ、最高裁もそれが受け入れざるを得ない。それは私自身、かつて著作権裁判で経験してきたことだ。

だとしたら、子ども脱被ばく裁判の最高裁決定は、「証明」抜きで結論を下したもので、それは上記の「証明の精神」から逃避し、「オレがそう決めたんだからそうする」と権力と権威にすがりついたものにほかならない。それは近代司法の出自=原点を自ら自己否定したもので、だからそれは司法の自死、自壊というほかない。

だから、最高裁は、「証明してナンボの世界」の「司法」が存在すると信じて提訴した原告の子どもらに対し、真っ先に、彼らの信頼を裏切ったことに対し、謝罪すべきだ。

それが出来ないなら、自ら近代司法の出自=原点を葬り去った最高裁は死亡により司法からとっとと退場すべきである。死亡した最高裁に代わって、近代司法の出自「証明」の精神を維持する覚悟を持った新たな最高裁を、我々市民が自ら生成するという用意がある。それが市民立法を準備している市民のもう1つの取組み「市民司法」である(この文、続く)。





 
 
 
 

 


2024年12月21日土曜日

【第171話】最高裁にツバを吐かず、花を盛った避難者追出し裁判12.18最高裁要請行動&追加提出した上告の補充書と上告人らのメッセージ、ブックレット「わたしたちは見ている」(24.12.20)

上告人(自主避難者)のメッセージ>全文のPDF

1、これまでの経緯

2011年に福島県の強制避難区域外から東京東雲の国家公務員宿舎に避難した自主避難者ーーその人たちは国際法上「国内避難民」と呼ばれるーーに対して、2020年3月、福島県は彼らに提供した宿舎から出て行けと明渡しを求める裁判を起こした。通称、避難者追出し訴訟。

それは「民破れて官栄えり」「弱きをくじき、強きを助ける」を求める訴訟であり、訴えられた被告2名は、原発事故により発生した国内避難民の居住権問題について、世界の常識(国際人権法)でもって日本の非常識(避難者追出し)を裁く、世界で最初の人権裁判であることを、21世紀の「人間裁判」であることを第1回期日から一貫して主張してきた(その詳細は以下)。 

5.14世界の常識(国際人権法)でもって日本の非常識(避難者追出し)を裁く「避難者追出し訴訟」第1回口頭弁論の報告(2021.5.18)

しかし、裁判所は一審も二審も、被告らの切実な声に真摯に耳を傾ける姿勢が皆無だった、まるで原告福島県の代理人ではないかと見まがうほどの偏った訴訟指揮だった(そのひどさを報告した以下を参照)。
一審(審理打切り) 

緊急裁判速報:追出し裁判の福島地裁、次回期日(7月26日)で審理打切りを通告。避難先住宅ばかりか裁判所からも追出される避難者。これは居住権と裁判を受ける権利の二重の人権侵害である(2022.7.20)。

追出し裁判で、まともな審理を何一つしないまま審理終結を強行し、10月27日判決言渡しを通告してきた福島地裁に弁論再開を申立て、再考を求めたが本日まで何の対応もなかったので、やむなく担当裁判官に対する忌避の申立に及んだ(2022.10.25)

二審(一発結審) 

抗議アクション(その1)7月10日第1回弁論だけで審理終結した、避難者追出し裁判の仙台高裁第3民事部に、弁論再開の申立書を提出(23.7.26)

7月10日第1回弁論だけで審理終結した、避難者追出し裁判の仙台高裁第3民事部の1月15日判決に対する弁護団の声明(2024.1.17)

訴えた原告の福島県ばかりか裁判を担当した裁判所からも迫害された被告避難者らは、「人権の最後の砦」とされる最高裁に上告。本年4月、上告理由書等を最高裁に提出(その報告は以下)。
一昨日、避難者追出し裁判の総決算の書面(上告理由書等)を最高裁判所宛に提出
(24.4.20)

2、最高裁への要請行動
一昨日の12月18日、上告人らは最高裁を訪れ、私たちの思いを真摯に受け止めて審理して欲しいという要請行動を実施。

以下は、その際、最高裁で読み上げ、提出した弁護団柳原敏夫作成の「最高裁に望むこと」を翌日12月20日、官邸前で再度読み上げた動画。その下が、文書の全文(PDFは>こちら)。



令和6年(オ)第808号 令和6年(受)第1046号  

最高裁に望むこと

上告人ら代理人 弁護士 柳原敏夫

誰がために司法はあるのか

今から7年前、福島から自主避難したひとりの母親が自死しました(別紙資料参照)。この方は先月30日、第二小法廷で決定が出た「子ども脱被ばく裁判」の元原告でした。

彼女の訃報に接したとき、もし原発事故から命、健康、暮らしを守る救済法があったなら、彼女は死なずに済んだと思いました。彼女もまた、本裁判の被告(上告人)らと同様、福島原発事故のあと政府が勝手に線引きした強制避難区域の網から漏れ、谷間に落ちた人です。本人には何の責任もないのに、たまたま谷間に落ちてしまった人です。その結果、救済されない中、「命をかけて子どもを守る」と決断して自主避難を選択し努力してきましたが、とうとう力尽きてしまったのです。

司法とは、旧優生保護法を違憲とした今年7月3日の最高裁判決がみずから模範を示したように、立法的な解決が図られず人権侵害が放置されたとき、そこで「さ迷い苦しみの中にいるこの母親のような市民」を救うためにあるのではないでしょうか。311以来、さ迷い苦しんできた点では本裁判の被告(上告人)らも全く同様なのです。


法律がないことは救済しない言い訳にはならない

もし今、半世紀前の公害国会で制定された公害対策基本法などに相当する原発事故の救済法があったなら、本裁判の被告(上告人)らは被告席に座らされることはありませんでした。

けれども、たとえ、そのような立法的解決がなくても、なお救われる道はあるのだということを今回、知りました。それが、性同一性障害特例法を違憲とした昨年10月25日最高裁決定です。

この最高裁決定が遠慮深く示したエッセンスをズカッと言えば、それは法律の上位規範である国際人権法に照らし、これと適合するように日本の法律は解釈もしくは補充されなければならないということでした。つまり、福島原発事故のように既存の法体系が予想していなかった紛争(事態)が発生し、その救済のために必要な立法が用意されていない場合でも、司法は、この「法の欠缺」状態に対し、法律の上位規範である国際人権法に使って、「欠缺の補充」をすることが出来るし、しなければならない。つまり、原発事故の自主避難者を救済する法律が制定されていないことが司法が彼らを救済しない言い訳にはならない。
これが昨年10月25日最高裁決定によって示されたのです。


今こそ法律の原点に戻るとき

 私たちの社会が既存の法体系の想定していなかった未曾有の困難に直面したとき、法律は何をなすべきか。それは法律の原点に戻ることです。公害問題が未曾有の困難な状態にあった33年前の1981年12月16日、大阪国際空港公害訴訟最高裁判決で団藤重光裁判官が次の少数意見を述べました。

本件のような大規模の公害訴訟には、在来の実体法ないし訴訟法の解釈運用によっては解決することの困難な多くの新しい問題が含まれている。新しい酒は新しい革袋に盛られなければならない。本来ならば、それは新しい立法的措置に待つべきものが多々あるであろう。

しかし、諸事情によりその立法的措置が果たされない場合には、その時こそ裁判所の出番であると次の通り締めくくりました。

法は生き物であり、社会の発展に応じて、展開して行くべき性質のものである。法が社会的適応性を失つたときは、死物と化する。法につねに活力を与えて行くのは、裁判所の使命でなければならない。」(33~34頁)

 すなわち、社会的変動やカタストロフィーによって「法の欠缺」状態が発生したにもかかわらず、立法的解決が図られず、放置されている場合には、その時こそ司法が積極的に問題解決に乗り出す番である、と。そして、その積極的に問題解決を図るキーワードが、近年、最高裁がみずから模範を垂れた数々の違憲判決で示した国際人権法というキーワードです。本裁判もまた、最高裁がみずから示した国際人権法というキーワードを模範にして忠実に判断されるべきなのです。

 ただし、世界に、原発事故から被災者の命、健康、暮らしを守る救済法の全貌をトータルに制定した国際人権法はありません。法律もまだ1つしかありません。1986年のチェルノブイリ原発事故の経験から生まれたいわゆるチェルノブイリ法だけです。

 国際人権法だけでは原発事故の救済をリアルに具体的に考えることは困難です。日本社会が311で初めて直面し、それまで考えたこともなかった問題「原発事故の救済はどうあるべきかを原発事故の全貌に即してトータルに考察すること」、その問題を解くためにはチェルノブイリ法を参照することが不可欠なのです。

 この意味で、チェルノブイリ法が原発事故から被災者の命、健康、暮らしを守る救済法を考えるための原点です。つまりチェルノブイリ法を参照することによって、原発事故の救済はどうあるべきかという救済法の全貌が初めて明確になるのです。そのビジョンを分かりやすく示したのがブックレット「わたしたちは見ている」です。これを、本裁判の上告人らは本来、どのような救済を受けるべきかを考えるための重要な資料として添付します。


本裁判の真の当事者は子どもである

最後に、本裁判の本当の当事者は子どもたちです。たまたま彼らは子どもであるために本裁判の被告に指名されなかっただけで、福島原発事故後、子どもたちこそ被告と生死を分かち合ってきた、被告が一番守りたいと思った家族その人たちです。
最高裁は、本裁判の真の当事者である子どもたちが見ていることを決して忘れないで欲しい。これから最高裁が下す判断が、未来しかないこの子どもたちにとって、どのような意味が持つのかとくと考えて欲しい。
子どもたちがこれから生きていく上で、彼らに一生の希望を授けるのか、それとも一生のトラウマを与えるのかを自覚し、子どもたちに恥じない判断を下して欲しい。
そう切に願うものであります。

以 上

 
3、12月20日、最高裁へ補充書と別冊資料を追加提出

裁判所が本裁判に対し積極的な審理と判断に出るべきであることを説いた補充書と前日の要請行動で読み上げた上告人らのメッセージとチェルノブイリ法を解説したブックレット「わたしたちは見ている」を別冊資料として最高裁に提出した。

補充書(全文は>こちら

 
上告人らのメッセージなどの別冊資料
この日、最高裁に初登場したブックレット「わたしたちは見ている」


 
 

2024年12月20日金曜日

【第170話】脱被ばく実現ネット賛歌:12.19官邸前アクションで「脱被ばく実現ネットは不滅だ」と感じた。その瞬間、初めて母親を不滅だと感じた(24.12.20)。

前半
2024年12月19日の脱被ばく実現ネット主催の官邸前アクションに久々に参加した。
誰もが知る2012年の官邸前アクション。そこから12年間、誰にも知られず、これを今も黙々と続けている脱被ばく実現ネット。
よっぽど、バックにスゴイ支援体制が控えているんじゃないかと思うかもしれないが、そんな黒幕はいない。その証拠に、いっぺんでもここに来て実際に参加してみたら分かる。

その手作りの市民活動は一種の芸術だ。官邸周辺の殺伐とした金属の垣根が、アクション開始直前、あっという間に、横断幕、ノボリ、イラスト、布などで壁画と見違えるように装飾がほどこされる(以下)。

そして、歌が口ずさまれ、11月29日に出された子ども脱被ばく裁判の最高裁決定(その詳細は>こちら)に対する思いが、腹の底から搾り出される。これもまた手作りのアピール、お手本はどこにもない、世界にひとつしかない、インディーズのスピーチ。



アクションの間、私たちの前に立って、私たちのスピーチを最初から最後まで聞いてるのはまだ若造の警察官のお兄さん。
そのお兄さんの横に1枚のビニールが敷かれ、脱被ばく実現ネットのメンバーが持参したリュック、荷物、チラシ、ブックレットがところ狭しとギュウギュウに置かれる。この1枚のゴザが脱被ばく実現ネットの移動テント&出撃小屋だ。
このゴザを眺めていて、ふと、30年以上前に読んだ藤原新也の本に出てくる「世界一小さい食堂」のお話、インドの女性が営む、ゴザ1枚を敷いた世界一小さい食堂のことがあざやかに思い出された。あれは何という素敵な食堂だったろう。
目の前のゴザも世界一小さい市民活動の拠点、それは何という素敵な拠点だろう。

私は、この日の官邸前アクションが終わったあと、 陽が翳って北風の寒さがしみる中を、脱被ばく実現ネットのメンバーが、垣根に施された壁画を取り外し、ゴザの前に集まって、片付けをテキパキとやっている姿を前にして、不意に衝撃に襲われた。年の瀬の寒さもものともせずに、路上でゴザの上の荷物の片付けに精を出している姿に、永遠の生命のたくましさ、輝きを見たような気がしたからだ。

そして、このひたむきな姿こそ、脱被ばく実現ネットの核心なのだと分かった時、 脱被ばく実現ネットは不滅だと確信した。市民運動の永遠の姿を、原点を、ここに見たような気がして、思わずブルブル震えた。
311以来の風雪の中で、脱被ばく実現ネットは「永遠」の宝物を見つけて、育てている。
それは、次の世代が引き継ぐ価値のある「永遠」の宝物である。

それに気づいた時、よし、また一歩前に出れるぞ、そう思った。


後半(余談。つぶやき)


その時、これと同じ光景をずっと前に、ずっと前から見てきたのを思い出した。それは寒さの厳しい裏日本で、ゴザのようなつつましい場所で、やはり、寒さもものとせずに、テキパキと働き続ける人の姿ーーーそれは母親の姿だった。あの姿に、永遠の生命のたくましさ、輝きを放った姿に、知らない間に、自分が深く支えられて、これまで生きて来たことに今初めて気づかされた。

父と母は60年以上同じ屋根の下で暮らした。太平洋戦争でも九死に一生を得る悲惨な体験を共有してきた。にも関わらず、
父は、ずっと人権の世界の住民だった。
母は、ずっと人権のない世界の住民だった。

生来、極楽トンボの父は、終戦直前、北朝鮮で現地召集、ろくな装備もないままソ連軍と対峙。命からがら敗戦、武装解除。
と同時に一転、満州平野を昼間は草原に身を隠し、
夜間に行動する、ドブネズミのように、
ソ連軍から逃げ延びる避難民の日々に。
この体験を通じ、極楽トンボの彼は絶対永久平和主義者に変貌した。

そして、労働者であることに何一つ恥じることなく、むしろこの社会の屋台骨を支えているという誇りを胸に、薄給の中で、生涯を労働運動に身を捧げた。 

しかし、母はちがった。薄給の労働者の境遇から抜け出すこと、これが至上のミッションであり、これをわが身とわが子に課し、受験勉強の勝利者になることをわが子に課した。

わが子は母親の希望通りの道を歩み、「家族ゲーム」や「こどもたちの復讐」の長男のように、優秀な成績で中学・高校に入学したが、その強制収容所のような残忍酷薄な日々に、やがて自壊、破滅していった。 

‥‥これまでずっと、この経験が私の母に対する態度を決定していた。
今、私がこうして生きているのは、そして子どもと孫が生きていられるのは、あの悲惨極まる終戦時に、絶望しかなかったはずの父が諦めず逃げて逃げ延びてくれたそのお陰であると、父に対して持てる素直な感謝と畏敬の念が母にはどうしても持てなかった。

それがこの夏、異変が起きた。養老孟司の「脳化社会」論に出会ったからだ。
その結果、私の中で人間の見方が二重化した。ひとりの人間の中に「脳化社会」にすっぽり覆われた脳的、人工的な部分と、「脳化社会」の塀の外にある自然世界としての身体の部分とが共存しているという風に。

母は「脳化社会」(世間)に対しものすごい恐怖心を抱いていた。「脳化社会」の掟からはずれ、よそ者にされ、嫌われることを極度に怖れた。意気地なしの人だった。
しかし、ひとたび「脳化社会」の塀の外に出ると、天衣無縫の性格のせいか、とことん天真爛漫、無邪気な人だった、そしてエネルギッシュだった。子どもの命のためには、自分の命を投げ出すこともなんとも思わない人だった。

その自然世界の中に息づく母の姿が、昨日の脱被ばく実現ネットの官邸前アクションの最後で、一枚のゴザの前で、アクションに使った商売道具をテキパキと整理整頓しているメンバーの姿からよみがえった。
それは無言の「わが母の教え給いし歌」だった。
私は、その教えを授かった時、母と初めて出会ったような気がした。一生手放すことのない母からの最高の贈り物に出会ったような気がした。よしこれで、父と同じように、素直に感謝と畏敬の念を持てると思った。

1年半前、101歳で来世に旅立った母の遺産相続がいま済んだ。


【第169話】12.19官邸前アクション:アンタ あの子らの何なのさ!(24.12.20)

昨日、久々に、脱被ばく実現ネットの官邸前アクションに参加した。
以下はその時の脱被ばく実現ネットの最高裁決定に対する抗議のスピーチ(3回目)

10年間取り組んできた子ども脱被ばく裁判に対する最高裁の応答(棄却決定)を12月2日に受け取った。それ以来、この間、たまっていた毒気を一度思い切り、吐き出したいと思って、昨日のスピーチで吐き出し切れなかった毒気を以下に記す。

もし半世紀前、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドがこの最高裁の棄却決定を歌にしたらこんな歌ができるかも‥‥

アンタ あの子らの何なのさ!

この裁判が311後で最も重要な裁判だというのに

子どもらの10年間の膨大な主張と証拠に対し、

たった1頁、4行と2行の合わせて三行半判決という応答、

アンタ あの子らの何なのさ!

 
こんなざまを見せつけられりゃあ

子どもらだって開いた口がどうやってもふさがらねえ

アンタ あの子らの何なのさ!

恥を知れ!

子どもらに謝れ!

さもなけりゃあ、アンタ 永遠にゴミ屋敷だぜ

アンタ ならず者(国)の用心棒だね

       
         最高裁の11.29決定(本文は以下。全文>こちら


 


2024年12月19日
最高裁は子どもたちに謝罪すべきだ

柳原敏夫(子ども脱被ばく裁判の弁護団)

最高裁判所は、先月11月29日、いわゆる「子ども脱被ばく裁判」の上告の申立に対し、これを退ける決定を出しました。

子ども脱被ばく裁判は、福島原発事故当時福島県内で居住していた親子が原告になって、被告国及び被告福島県に対し、被告らが福島原発事故直後に、子どもたちを被ばくから防護するためのまともな対策を取らなかったこと、すなわちSPEEDI等の被ばくに関する情報を隠蔽したこと、子どもたちに安定ヨウ素剤を服用させなかったこと、一般公衆の被ばく限度として定められている年1mSvの20倍である年20mSvを基準として学校を再開し、そして子どもたちを集団疎開させなかったこと、長崎大学の山下俊一氏を使って根拠のない安全宣伝を繰り返したこと等の違法な行為によって、福島県の親と子どもたちは、自分たちが放射能の被ばくをどの程度まで受け入れ、或いは受け入れないのかについての自分で決定するという自己決定権を奪われ、その結果、子どもたちは、本来なら避けることができた無用な被ばくを強いられた、その責任を問う、2014年8月、福島地方裁判所に提訴された訴訟です。

13年前の福島原発事故当時、被災地の多くの人たちは被ばく問題についてほとんど知識がありませんでした。ベクレルもシーベルトもわからず、被ばくの危険性も分からず、自分たちの生活環境がどの程度汚染されているかの情報もありませんでした。その中で、子どもたちの命、健康を福島原発事故から守るためには、被ばくについての正確な情報、被ばくの危険性についての偏らない知識が不可欠でした。しかし、この本当に必要な、本当に切実な情報は国と福島県によって隠蔽され、偏った安全宣伝が繰り返されたのです。これによって、子どもたちに無用な被ばくをさせてしまったと悔やんでいる多くの人たちがおり、その後、甲状腺がんに罹患した若者を含め、体調不良に悩む人々は少なくありません。このことに対する国や福島県の責任を明らかにしない限り、福島原発事故によって無用な被ばくによって苦しんでいる人たちの救済が果たされないばかりか、将来の原発事故の際にもまた同じ悲劇が繰り返されることになる、そのような切実な思いで提起された訴訟でした。

提訴の翌年2015年2月、裁判をどのように審理するかを協議する第1回目の進行協議の会議が行なわれ、国や福島県の大勢の代理人によりすし詰めとなった会議場に参加した原告の井戸謙一弁護団長は次のように報告をしました。
圧倒的な数の被告代理人らをみて、被告らが、この裁判には絶対に負けるわけにはいかないと考えていることを感じました。他方、裁判所は、この裁判が社会的にも強い関心を持たれる重要な裁判であること、科学論争が予想され、難しい裁判になるとの認識を言葉の端々で示されました。
長期低線量被曝、内部被ばくの危険性を無視して、これによって健康被害が生じてもうやむやにしてしまうという政策は、そのまま原発再稼働、核兵器所有に結びついています。その政策のために、ふくしまの子どもたちが犠牲にされているのです。長期低線量被曝、内部被ばくの危険性を正面から問う裁判は、日本全国を見渡しても、この裁判しかありません。負けるわけにはいかないとの被告代理人らの姿勢、重大な裁判であるとの裁判所の認識に触れ、改めて、この裁判の重要性を感じるとともに、原告こそ負けるわけにはいかないのだと思いを強くしました。


すなわち、この裁判こそ311の福島原発事故後の日本社会をどう建て直すのかという再建の道筋を左右する、最も重要な人権裁判であると。
この思いを胸に、原告らは10年間、被告の責任を明らかにしてきました。これに対し、2021年3月1日の福島地裁判決、そして2023年12月18日仙台高裁判決は私たちの主張をことごとく退けました。しかし、そこにはきちんとした理由付けが何もありませんでした。そこで、原告らは、最高裁に上告し、今年3月、私たちがこの10年間取り組んできた主張と証拠を詳細に主張する上告理由書を提出し、最高裁に、高裁判決と上告理由書の一体どちらの理由が正当であるのか、その判断を最高裁に仰ぎました。

ところが、最高裁は、それから1年もしないうちに早々と、今回の決定で、原告らの主張は認められないとだけ述べて、内容には全く踏み込まず、4行と2行の判決文(>全文)で、文字通り三行半で原告らの申立てを退けました。最高裁はこれまで、重要な人権の裁判については、その結論が市民の主張を退ける時でも、最低限、その退ける理由は自ら具体的な判断を示して来ました。有名な1967年の朝日訴訟最高裁判決。これは原告の朝日茂さんの死亡により訴訟は終了したと原告の訴えを退けましたが、しかし、それに続いて、「念のため」と断って、25頁にもわたって、最高裁の考えを示しました。昨年6月17日の福島原発事故に対する国の責任を否定した最高裁判決すらもその理由を明らかにしました。

なぜか。それは「理由を示す」こと、それが司法が他の立法や行政とちがうところだからです。なんで今の国家に、立法や行政のほかにわざわざ司法があるのか。それは国が結論を下すときに必ずその結論を導く証明をすることが求められるからです。司法というのは、理由を示してなんぼの世界なんです。その司法が理由を示さなかったらどうなるのか。司法の自殺です。司法自身が人権侵害のゴミ屋敷です。
今申し上げたように、子ども脱被ばく裁判は福島原発事故後の日本社会の再建の道筋を左右する、最も重要な人権裁判です。しかし、このような重要な裁判に対し、最高裁は「理由を示してなんぼの世界」という存在意義を自ら否定して、具体的な判断を一言も示さなかったのです。

これを子どもが聞いたらどう思うでしょうか。子ども脱被ばく裁判の主役は子どもだからです。したがって、最高裁は子どもにも分かる言葉で、自分が下した判決の理由を示す必要がありました。しかし、たった4行や2行の言葉で、原告の子どもたちが数万行を使って求めていた問題に対する応答が出来るでしょうか。できるはずがありません。最高裁は、このことだけでも、子ども脱被ばく裁判の原告の子どもたちに謝るべきです。そればかりか、子ども脱被ばく裁判の原告の子どもたちは福島原発事故で被ばくした全ての子どもたちを代表して提訴した人たちです。だから、最高裁は、自分の三行半の判決に対し、福島原発事故で被ばくした全ての子どもたちに向かって謝るべきです。それをしない限り、みずから司法の自殺行為に出た最高裁は永遠に立ち直れないと思うのです。

そして、これは子どもたちの問題だけではありません。今回の判決によって最高裁は人権侵害のゴミ屋敷の中で自死してしまいました。そのために大変な被害を被ったのは福島原発事故の沢山の被害者ばかりではなく、裁判所を「人権の最後の砦」とみなしてつきあってきた私たちひとりひとりの市民です。

今回の判決が教えることは、私たち市民は私たちの人権がゴミ屋敷の中に打ち捨てられているとき、これを救済する大切な砦を失ったということです。
最高裁の上には裁判所はありません。しかし、最高裁の上には主権者である私たち市民がそびえているのです。市民が、日本社会を人権侵害のゴミ屋敷にして平然としている最高裁に「それはおかしい」という声を上げること、それによって、人権侵害のゴミ屋敷社会から復興できるのです。それは一気には実現できないでしょう。だが、あきらめずに一歩一歩前に進む中で、必ず実現できます。今日はその最初の一歩の呼びかけをさせて頂きました。共に頑張りましょう。
以 上


 

 

 

 

2024年12月15日日曜日

【第168話】最高裁は子どもたちに謝罪すべきだ(子ども脱被ばく裁判の2024年11月29日最高裁決定に対する抗議文)

2024年12月14日、新宿アルタ前アクションで、子ども脱被ばく裁判の2024年11月29日の最高裁決定(本文は以下。全文>こちら)に対する抗議文を読み上げた。

以下は、その動画と抗議文全文(PDF>こちら)。

1回目


2回目




2024年12月14日
最高裁は子どもたちに謝罪すべきだ

柳原敏夫(子ども脱被ばく裁判の弁護団)

最高裁判所は、先月11月29日、いわゆる「子ども脱被ばく裁判」の上告の申立に対し、これを退ける決定を出しました。

子ども脱被ばく裁判は、福島原発事故当時福島県内で居住していた親子が原告になって、被告国及び被告福島県に対し、被告らが福島原発事故直後に、子どもたちを被ばくから防護するためのまともな対策を取らなかったこと、すなわちSPEEDI等の被ばくに関する情報を隠蔽したこと、子どもたちに安定ヨウ素剤を服用させなかったこと、一般公衆の被ばく限度として定められている年1mSvの20倍である年20mSvを基準として学校を再開し、そして子どもたちを集団疎開させなかったこと、長崎大学の山下俊一氏を使って根拠のない安全宣伝を繰り返したこと等の違法な行為によって、福島県の親と子どもたちは、自分たちが放射能の被ばくをどの程度まで受け入れ、或いは受け入れないのかについての自分で決定するという自己決定権を奪われ、その結果、子どもたちは、本来なら避けることができた無用な被ばくを強いられた、その責任を問う、2014年8月、福島地方裁判所に提訴された訴訟です。

13年前の福島原発事故当時、被災地の多くの人たちは被ばく問題についてほとんど知識がありませんでした。ベクレルもシーベルトもわからず、被ばくの危険性も分からず、自分たちの生活環境がどの程度汚染されているかの情報もありませんでした。その中で、子どもたちの命、健康を福島原発事故から守るためには、被ばくについての正確な情報、被ばくの危険性についての偏らない知識が不可欠でした。しかし、この本当に必要な、本当に切実な情報は国と福島県によって隠蔽され、偏った安全宣伝が繰り返されたのです。これによって、子どもたちに無用な被ばくをさせてしまったと悔やんでいる多くの人たちがおり、その後、甲状腺がんに罹患した若者を含め、体調不良に悩む人々は少なくありません。このことに対する国や福島県の責任を明らかにしない限り、福島原発事故によって無用な被ばくによって苦しんでいる人たちの救済が果たされないばかりか、将来の原発事故の際にもまた同じ悲劇が繰り返されることになる、そのような切実な思いで提起された訴訟でした。

提訴の翌年2015年2月、裁判をどのように審理するかを協議する第1回目の進行協議の会議が行なわれ、国や福島県の大勢の代理人によりすし詰めとなった会議場に参加した原告の井戸謙一弁護団長は次のように報告をしました。
圧倒的な数の被告代理人らをみて、被告らが、この裁判には絶対に負けるわけにはいかないと考えていることを感じました。他方、裁判所は、この裁判が社会的にも強い関心を持たれる重要な裁判であること、科学論争が予想され、難しい裁判になるとの認識を言葉の端々で示されました。
長期低線量被曝、内部被ばくの危険性を無視して、これによって健康被害が生じてもうやむやにしてしまうという政策は、そのまま原発再稼働、核兵器所有に結びついています。その政策のために、ふくしまの子どもたちが犠牲にされているのです。長期低線量被曝、内部被ばくの危険性を正面から問う裁判は、日本全国を見渡しても、この裁判しかありません。負けるわけにはいかないとの被告代理人らの姿勢、重大な裁判であるとの裁判所の認識に触れ、改めて、この裁判の重要性を感じるとともに、原告こそ負けるわけにはいかないのだと思いを強くしました。


すなわち、この裁判こそ311の福島原発事故後の日本社会をどう建て直すのかという再建の道筋を左右する、最も重要な人権裁判であると。
この思いを胸に、原告らは10年間、被告の責任を明らかにしてきました。これに対し、2021年3月1日の福島地裁判決、そして2023年12月18日仙台高裁判決は私たちの主張をことごとく退けました。しかし、そこにはきちんとした理由付けが何もありませんでした。そこで、原告らは、最高裁に上告し、今年3月、私たちがこの10年間取り組んできた主張と証拠を詳細に主張する上告理由書を提出し、最高裁に、高裁判決と上告理由書の一体どちらの理由が正当であるのか、その判断を最高裁に仰ぎました。

ところが、最高裁は、それから1年もしないうちに早々と、今回の決定で、原告らの主張は認められないとだけ述べて、内容には全く踏み込まず、4行と2行の判決文(>全文)で、文字通り三行半で原告らの申立てを退けました。最高裁はこれまで、重要な人権の裁判については、その結論が市民の主張を退ける時でも、最低限、その退ける理由は自ら具体的な判断を示して来ました。有名な1967年の朝日訴訟最高裁判決。これは原告の朝日茂さんの死亡により訴訟は終了したと原告の訴えを退けましたが、しかし、それに続いて、「念のため」と断って、25頁にもわたって、最高裁の考えを示しました。昨年6月17日の福島原発事故に対する国の責任を否定した最高裁判決すらもその理由を明らかにしました。

なぜか。それは「理由を示す」こと、それが司法が他の立法や行政とちがうところだからです。なんで今の国家に、立法や行政のほかにわざわざ司法があるのか。それは国が結論を下すときに必ずその結論を導く証明をすることが求められるからです。司法というのは、理由を示してなんぼの世界なんです。その司法が理由を示さなかったらどうなるのか。司法の自殺です。司法自身が人権侵害のゴミ屋敷です。
今申し上げたように、子ども脱被ばく裁判は福島原発事故後の日本社会の再建の道筋を左右する、最も重要な人権裁判です。しかし、このような重要な裁判に対し、最高裁は「理由を示してなんぼの世界」という存在意義を自ら否定して、具体的な判断を一言も示さなかったのです。

これを子どもが聞いたらどう思うでしょうか。子ども脱被ばく裁判の主役は子どもだからです。したがって、最高裁は子どもにも分かる言葉で、自分が下した判決の理由を示す必要がありました。しかし、たった4行や2行の言葉で、原告の子どもたちが数万行を使って求めていた問題に対する応答が出来るでしょうか。できるはずがありません。最高裁は、このことだけでも、子ども脱被ばく裁判の原告の子どもたちに謝るべきです。そればかりか、子ども脱被ばく裁判の原告の子どもたちは福島原発事故で被ばくした全ての子どもたちを代表して提訴した人たちです。だから、最高裁は、自分の三行半の判決に対し、福島原発事故で被ばくした全ての子どもたちに向かって謝るべきです。それをしない限り、みずから司法の自殺行為に出た最高裁は永遠に立ち直れないと思うのです。

そして、これは子どもたちの問題だけではありません。今回の判決によって最高裁は人権侵害のゴミ屋敷の中で自死してしまいました。そのために大変な被害を被ったのは福島原発事故の沢山の被害者ばかりではなく、裁判所を「人権の最後の砦」とみなしてつきあってきた私たちひとりひとりの市民です。

今回の判決が教えることは、私たち市民は私たちの人権がゴミ屋敷の中に打ち捨てられているとき、これを救済する大切な砦を失ったということです。
最高裁の上には裁判所はありません。しかし、最高裁の上には主権者である私たち市民がそびえているのです。市民が、日本社会を人権侵害のゴミ屋敷にして平然としている最高裁に「それはおかしい」という声を上げること、それによって、人権侵害のゴミ屋敷社会から復興できるのです。それは一気には実現できないでしょう。だが、あきらめずに一歩一歩前に進む中で、必ず実現できます。今日はその最初の一歩の呼びかけをさせて頂きました。共に頑張りましょう。
以 上


2024年12月4日水曜日

【第167話】11.30 チェルノブイリ法日本版の関西(高槻市)学習会の報告(24.12.4)

 2024年11月30日、大阪府高槻駅前の市民交流センタークロスパル高槻で、
「子どもたちを放射能被害から守るには?知恵を出し合い、共に考えましょう!」
という題でチェルノブイリ法日本版のお話会をやりました。

以下が、その動画、チラシ、レジメ、プレゼン資料です。

1、司会(子ども脱被ばく裁判を支える会西日本の横山恵子さん)と主催者(チェルノブイリ法日本版の会の岡田俊子)のあいさつ

 2、柳原敏夫の話

 3、 子ども脱被ばく裁判弁護団長の井戸謙一さんの話

4、チラシPDF

5、レジメPDF


6、プレゼン資料>PDF


【第173話】山が一歩動いた。最高裁にツバを吐かず、花を盛った避難者追出し裁判の理由書に対し、1年8ヶ月後に最高裁から「受理する」と応答(25.12.12)

 山が一歩動いた。だが、それは一歩だ。しかし、一歩でいいのだ。これまでと格段に貴重な一歩だから。それは司法と市民運動の核心(人権)を掴んだ、その意味で未来の羅針盤になる重要な一歩だからだ。 以下、この経験を一生手放さないための振り返り(その1)と報告。  ************...