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2026年3月16日月曜日

【第186話】もうひとりの新老年の盟友、大庭有二さんとの対話(26.3.15)

      2025年8月長野県松本駅(左が大庭さん、その右が菅谷昭さん)

はじめに
 以下を書きながら、なんでもっと早く、大庭さんが新老年の盟友のひとり=真の友であることに気がつかなかったのかと、己の鈍感力に無力感に襲われている。

本論
大庭有二さんとは、子ども同士が、埼玉・飯能の山奥にある日本一遊ぶガッコウに通っていた縁で、30年前に、ひょんなことで知り合った。彼がNTTの研究員だったこともあり、子どもたちがこのガッコウで「自由という刑罰」を受けている場所で、なにか爆弾を仕掛けられないかと、当時まだはしりだったインターネットの講座を自主講座と称してやったとき、講師をつとめてくれたのが大庭さんだった(以下の紹介文参照)。
感想12

その大庭さんとは、子どもらがそのガッコウ卒業後も、私たちは卒業とはならず、つきあいが続いた。

そして、新潟県で2005年に始まった日本初の遺伝子組換えイネの野外実験中止をめぐる裁判の中で、人類の危機をもたらす可能性を秘めたヤバイ実験で作成された実験ノートの開示を求める裁判が起された。その第1次と第2次の実験ノート裁判の原告をつとめたのがローレンス・レペタさん。しかし、米国に帰国した彼のあとを継ぎ、第3次の開示請求裁判の原告となったのが大庭さんだった。彼は自身の研究生活で実験ノートを作成してきた経験から、実験ノートの公開に絶対の確信を抱いて原告になった(>実験ノート裁判のブログ)。

しかし、行政に忖度することしか頭が働かない裁判所のせいで、一審、二審とも敗訴。2023年3月、舞台は最高裁へ。そのとき、彼が素晴らしい意見書を書いてくれたのを、今日、自宅の在庫一掃整理の中で見つけた。ふと読み返して、これこそ「ソクラテスの対話」に匹敵するような素晴らしい文章だと思った。なので、これを再掲する(全文は>こちら)。
と同時に、この意見書はすんなり生まれたものではなく、何度も推敲を重ねる中で誕生したことを、MLの大庭さんとのメールのやり取りを読み返して確認した。このやり取り自体が、大庭さんと私とのかけがいのない重要な対話であることを今改めて、思い知った。

以下、この意見書作成をめぐって、大庭さんとやったメールでの対話。

 ***************
大庭さん

柳原です。

すごいね、大庭さん。何度も修正、ありがとうございました。

> もう少し陳述書について述べるつもりでしたが、お忙しい裁判官殿にはこの程度
> で良いかと思って止めました。

はい、今回は、多忙な裁判官向けにはこれがベストではないかと。
そして、言い残した部分は、補充書でいつでも追加できますので(^_^)。

取り急ぎお礼まで。

On 2023/03/04 8:01, 大庭有二’ wrote:
柳原さん
みなさん
        大庭有二

   柳原さんのアドバイスに従い、最高裁への上告理由を書き直しました。
もう少し陳述書について述べるつもりでしたが、お忙しい裁判官殿にはこの程度 で良いかと思って止めました。

On 2023/03/03 9:59, Toshio Yanagihara wrote:

大庭さん

柳原です。

ご多忙な中、早速に対応していただき、感謝の言葉もありません。

以下、了解です。とても楽しみにしています。

ちなみに、私がこの前書きを思いついたのは、「零の発見」という大変分かりやすい本を書いた吉田洋一という数学者の息子さんの吉田夏彦という人が書いた「論理学」の本がこれまた感動するほど分かりやすく書いていて、その中に、ラッセルの数学をすべて論理学に置き換えることを試みた本の冒頭に、ラッセルのこの本の意図、主題が書かれていたのですが、その余りの簡潔さと明瞭さに感動し、或る主張をする者は、こういう数行で主張の意図、主題を表現できなければダメだと思ったのです。

しかし、これは言うは易きで行い難しです。
でも、その試みはとても有益で、自分の言いたいことを突き詰める貴重な機会になりました。

このあと、昨日大庭さんに向けて書いたものを、今度は自分に向けて書いてみました。
その内容はこのあと、別便で。

とり急ぎお礼まで。


On 2023/03/03 8:17, 大庭有二’ wrote:
柳原さん

       大庭有二

 アドバイスをありがとうございます。

> ちなみに、以下は、私だったら、こんな風に「主題の要約を提示します」
> という参考例です。

 上記をベースに、米国特許申請の文章を前面に移動し、陳述書関連は後半に移動することとし、
 更に、以下の文を柳原さんの主題要約の後に付加えることにします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 ここでは、まず
1.米国特許を申請する者は実験ノートを「組織共用文書」として扱わざるを得ない事を説明します。
次に、
2.高等裁判所に提出した陳述書に対する農研機構と高等裁判所の扱いについて説明します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 以上を早めに対応しますが、しばらくお待ちください。 

On 2023/03/03 0:16, Toshio Yanagihara wrote:
大庭さん

柳原です。
何度もお疲れ様です。

ざっと目を通させて頂き、これは専ら自戒の念を込めて書くのですが、ひとつ、
とても重要なことを提案させて下さい。
それは、この文書でお前は何を言いたいのか、その主題を冒頭に、数行に凝縮し
て言い表すことです。
なおかつ、その主題を読んだ(超多忙な)裁判官が、はっと虚を突かれ、或いは
えっと興味をそそられるように、その主題を要約する必要があります。
そこで、超多忙な裁判官が、それならちゃんと読んでみようという気にさせるこ
とが出来たら、半ば勝利したも同然です。少々、くどくても、関心・興味がある
から何とか読んでくれるからです。
それが、大庭さんの書面の冒頭に書き足していただけないでしょうか。

ちなみに、以下は、私だったら、こんな風に「主題の要約を提示します」という
参考例です。
ご検討頂けたら幸いです。
よろしくどうぞ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この裁判で、私は被告からも裁判所からもこう言われて来ましたーー農研機構に
一度も足を踏み入れたことのない貴方に、いったいどうやって農研機構の研究の
流儀が貴方の流儀と同じであると言えるんですか、と。
確かに、よそ者の私が見たこともない農研機構の実験ノートのやり方を語るのは
僭越かもしれません。
にもかかわらず、農研機構の部外者の人間であっても、ひとつだけ確実に言える
ことがあります。
それが、2013年3月以前に、米国特許を申請する者は誰であっても実験ノー
トを「組織共用文書」として扱わざるを得ないということです。それについて既
に私の陳述書(3)(甲44)で述べました。しかし一審判決も原判決もこの問題
の決定的な重要性を全く理解していないので、改めて指摘させて頂きます。


On 2023/03/02 7:09, 大庭有二’ wrote:
柳原さん
みなさん

        大庭有二

 昨日の柳原さんとの打ち合わせを意識して、
「最高裁への上告理由(改定版3)」
を作成しました。
変更点はマジェンタ(ピンク)の文字部です。
もう少し、全体の流れを整えたいのですが、これ以上は時間的に無理です。
ご勘弁を!


On 2023/02/28 12:35, 大庭有二’ wrote:
柳原さん
みなさん

        大庭有二

 今朝方に送付しました「高裁への上告理由(改定版」は不備だと思い、
「最高裁への上告理由(改定版2)」を作成しました。
赤字が加筆部です。

 これで如何でしょうか?

On 2023/02/28 6:06, 大庭有二’ wrote:
柳原さん
みなさん

        大庭有二

 昨日のZOOM会議の内容を受けて、先願主義での「実験ノートの組織共用
性」を
追加しました。
陳述書の引用部は、会議の最後にで説明したのと異なります。
追加文は青字で示しました。

【第185話】柄谷行人その可能性の中心の再発見(26.3.15)

はじめに
柄谷行人は私にとって恩人である。また、10代のときの小林秀雄、20代のときの埴谷雄高に続いて、30代の時の師でもある。もし彼と出会わなかったならおそらくマルクスもカントも読むことは適わなかっただろう(養老孟司みたいに食わず嫌いで終わっていただろう)。

しかし、2000数年後、私は意識して彼と距離を置いた。彼は再び理論的探求、私は現場の実践に向かったからだ。私自身、何よりも現実に向かうことの重要性を確信したからだ。そして、それまで曲りなりに考え、掴んできた確信(とはいえ、それらは殆ど3人の師から学んだものだった)の意味を現実の実践の中で鍛え直し、再検証したいと思った。

その最初の現実が2005年5月、新潟県で降って沸いたように起きた、日本で初めての遺伝子組換えイネの「野外実験」の実施とそれに猛反対した農民、市民たちの抵抗運動だった(以下。そのHP>「禁断の科学」裁判)。

このバイオ事件は18年間続いた。その次の現実が2011年3月の福島原発事故だった。これは今もなお進行中の事件である(おそらく百年続くだろう)。

私の目の前に現れた2つの災害、バイオ災害と放射能災害、それはバイオ災害であるコロナ禍がそうだったように、人類が推し進めてきた科学技術の最先端で登場した、最先端の科学技術がもたらした最先端のカタストロフィー(大惨事)だ。しかし、我々人類の側には、この最先端科学を制御する、技術的、倫理的、思想的な準備が全くできていない。それがこの事件を前例のない深刻なもの=未曾有のゴミ屋敷にした。同時に、それが私の中で何が最も重要であるか、それを考え続けさせた。
以下は、その中で気づいたことである。

本題
311後に東京から長野県に移住した息子家族の長男がこの4月から、単身、リターンして我が家から学校に通うことになり、急遽、家中の在庫一掃整理が始まった。30年以上前の書面を整理している中で、以下の1枚の紙切れから次のことに気づかされた。

大事なことはクリティークと対話の2つ。なおかつこの2つが連携していること。

これが詰るところ、私が師と仰いだ「柄谷行人その可能性の中心」だったのではないかと。
それは現在の私の取組みの核心でもある。
1、非人権侵害的人権保障への取組み
 人権保障の実現への道は「非人権侵害的人権保障への取組み」の中にあり、なおかつその中にしかない。つまりそれは、
人権保障は人権保障を訴えることで実現されるのではなく、その反対であり、人権侵害を否定する人権侵害へのクリティーク=抵抗を続けることを通じて初めて実現される。
このクリティーク=抵抗を通じてこそ初めて人権保障への確かな道が開ける。

2、対話への取組み
 つまりそれは多くの人に向けて投げられる一般的なメッセージではなく、目の前のひとりの人に向かって投げられる固有の対話。そのやり取りの中でこそ最も核心的な道が開ける。その典型がソクラテス。
それは、馬の周りにまとわりついて刺し続ける虻(あぶ)のようなソクラテス、その彼の対話をモデルにする。

柄谷行人のエッセンスもまたクリティークと対話(ダイアローグ)。彼が膨大なダイアローグを残したのは別に会話の名手だからではなく、それが彼にとって余技ではなく、必要不可欠の実践だったから。この意味で、彼はソクラテスに似ている(対話についてのメモ>こちら「分断に橋を架けるための試み:ソクラテスの対話に倣って(25.11.5→6加筆)」)。

                 2001年6月大阪


 

 



2026年3月7日土曜日

【第184話】もうひとりの新老年の鑑、水戸喜世子さんとの対話(26.3.7)

 2024年9月8日、大阪府高槻市で、チェルノブイリ法日本版の学習会の水戸さん。

   いずれも by  Wild Side さん
 

2024年8月31日、東京で、チェルノブイリ法日本版についてのブックレット「わたしたちは見ている」の出版記念のやったのを受けて(動画などの報告は>こちら)、9月8日に、水戸喜世子さんの呼びかけで大阪府高槻市で、その続きをやる機会を与えられた。当初、5名ほどの内輪の集まりと理解して出かけていったところ、会場には56名も人が来ていて、ノックダウン。以下は、その時、喋るためのメモ>全文PDF

ところが、この日参加した会場の皆さん、ものすごく熱心で、第二部の交流会にも半分近くの人が参加。それはこの日のことをfacebookに報告した水戸さんの文章とそれに対するリアクションからもうかがえる。私も水戸さんに返信を書いたが、今読み直してみて、この時のやり取りは保存版として考え直す価値があると思ったので、ここに再掲する。


以下、水戸さんの報告文とそれに対する(私も含めてのリアクション・対話)

水戸喜世子さんはWild Sideさん外10人と一緒です。

9/8の日曜日に開催した座談会
「いま、法が一歩前に出るとき」
〜20ミリシーベルト体制をこのまま放置していいのか〜
は、急の呼びかけにも関わらず、70名定員の会場いっぱいにお集まりいただきました。ありがとうございました。交流会も2時間では全くの時間不足、ズーム全盛時代でもやっぱりface to faceよね〜が実感の贅沢な時間でした。
福島原発事故損害賠償関西訴訟、同京都訴訟、兵庫訴訟、子ども脱被ばく裁判の支援者、当事者が一堂に集まることは初めて。そんな温かい風を感じながらの集まりでした。
「子ども脱被ばく裁判弁護団」言い出しっぺとも言える柳原敏夫弁護士の提起で始まりました。(写真はIdumi Hayashiさんの提供)
レジュメをおおまかにまとめてみます。
原発安全神話が崩れて、日本社会は過去に見たことのない放射能のゴミ屋敷になった。一つは自然界に撒かれた放射能。もう一つは法の欠缺。
ゴミ屋敷問題が解決されない理由の一つは原子力村の意図的な問題隠し。
もう一つは既成観念の中に安住の地を見出している人々の意識の壁。
話を元に戻します
1.福島の人々に適用されている年間20ミリシーベルトは環境基本法が決めている環境基準の7000倍に相当します。学校の環境衛生基準も、CO2とかNOなど、空気中の毒物の基準は環境基準に沿って決められています。しかし、放射性物質についての記述は空白で、7000倍が適用されているのです。その理由は裁判でも述べられませんでした。
2.3.11前には、原発事故を想定しての避難者の救済ルールが立法化されていなかった。政府も県も裁判所も災害救助法で解決すれば良いと公言している!国際人権法の国内難民に該当する。
これらの不当な仕打ちが罷り通る背景に、養老孟司の言う「脳化社会」があると考える
3.11後の復興も、その延長上に進められているが、放置されているゴミ屋敷に対しては、人権屋敷の再建を対置することだ。
演者は次のように締め括った
「・・・本当の問題はさらにその先にある。つまり「人権屋敷」の内実に。・・・原発事故というゴミ屋敷を生み出した根本のシステムである私たちの住む「脳化社会」と、どう向き合い、どう対決するのか。そこが問われている」。つまり、私たちの生き方の問題が問われている、と。
パネラーからは裁判の現状が語られ、一旦原発事故が起きればひばくを避けることは不可能に近いこと、国家責任を問うことの大切さ、過去の森永ヒ素ミルク和解の経験、黒い雨訴訟の経験、法よりも司法こそ一歩前に出て欲しいなど、ゴミ屋敷の現状が噴出しました。住民を保護すべき法の欠缺については、チェルノブイリ法日本版の取り組みが紹介され、市民が自治体に働きかける方法もあると紹介されました。掲げられたテーマについての問題の所在は共有できたのではないでしょうか
最後に集会準備全般を一手に引き受けてくださった山本光子さんに、心からのお礼を申し上げます。
 
A
ご報告、有難うございました。
B
纏めていただき、ありがとうございました。シェアしますね。(#^^#)
C
シェアさせていただきました。
D
とても学びの多い機会になりました。
交流会でお伝えしましたように、今、同じく「法の欠缺」状態にあるPFAS問題に神戸の仲間と共に取り組んでいます。
こちらも壁は高く、すぐには打ち崩せそうにはありませんが、諦めずに少しでも前進できたらと願っています(今泉さんは、大切なことはさざ波を絶やさないことと)。
帰り道、柳原先生が、裁判でも政策への批判ではなく、「人権」を武器に闘うことが大切ではないかと語っておられたことが印象に残りました。
   ↑
水戸さんの返信
法は生き物、制定法に対して生成法の考えを柳原さんは示されましたね。新しい事態に対しては、市民主体で作り上げていく法律。一つでいいから実現したいものですね

柳原敏夫
水戸さん、私のブックレットの「バカの壁」の挑戦する機会を与えて頂き、その上、私のつたない話とメモを元に再構成して頂き、多謝です。
ちなみに、本人の備忘録用のメモはこちら
→https://wallchernobyllaw.blogspot.com/2024/09/2498.html
また、メモの冒頭で取り上げた、
アクターズスタジオでケヴィン・クラインがチェーホフについて語った次のくだり。
チェーホフの作品の登場人物たちはいつも人生につまづいている。それはなぜか?彼らが星を追っているからだ。
そのケヴィン・クラインの素晴らしい語りは以下です。
https://x.gd/CbfjC
     ↑
水戸さんの返信
本物のレジュメをつけるくださって、ありがとうございました。「ばかの壁」って言われても、ようわからん、という声をいくつか聞いたので、近似値として私の解釈を書いてみましたが、ぜひ、読まない人の為に、ご本人の言葉でご説明をお願いします。
     ↑
柳原の返信
「バカの壁」が何か、説明して欲しいというリクエストがありました。「バカの壁」に最も敏感な人種は画家だと思います。昔、坂本繁二郎が若い頃に、田んぼのあぜ道を歩いていて、あたりの雑草が美しく思えてきて、どうしようもない、自分の頭がおかしくなったんじゃないかと言ってましたが、この時、彼は自分のこれまでの「バカの壁」を乗り越えたんだと思います。人は外界をまっさらな目で見ていると思い込んでいますが、それは真っ赤なウソ、幻想です。必ず、何かしらのメガネをかけて世界を見ています、そのメガネが何であるか気がつかずに。なので、そのメガネでは見えない事柄については、謙虚に、メガネをはずして別のメガネで見てみようと思わず、そんな事柄はオレには関係ないと無視してしまいます。養老孟司に言わせれば、それはあんたが「バカの壁」の中にいるだけだ、と。けれど、メガネを変えて世界を見るというのは自然に出来ることではありません。或る種の訓練が必要です。なので、そんなの、面倒くせえと思うのは無理もありません。しかし、今は今までのメガネでは見えないことが続出しています。原発事故で世界にちらばった放射性物質。人工的に化合物を作り続けて生活の中にあふれている正体不明な有害化学物質。昔ながらのメガネのままだと、これらのゴミが見えず、その「バカの壁」は「死の壁」になりかねません。じ、冗談じゃない。何としてでも「脳化社会」が産み出したゴミ屋敷を見る新たなメガネをみなで探して、そのメガネを通して、ゴミ屋敷を人権屋敷に再構成したい。それが「バカの壁」を突破する目的です。少しはイメージできたでしょうか(😊)。
     ↑
水戸さんの返信
ありがとうございます。この通り、伝えますね。
羽仁五郎が口を酸っぱくして、若者に語っていたことばがあります。「君の心が戦争を起こす」の中で「・・誰もが自分の心は自分のものだ、と思っている。なんでも自分の意思でやっていて、自分は自由な人間なんだと思っているのだが、実際はそうではないのだ。自分の心と思っているものは、実は誰かに植え付けられたものなんだ。ぼくがこういうふうに言うと、「羽仁五郎というのは頭がおかしいぞ」と、今の人は言うかもしれない。・・・と書き出して、山口百恵でも薬師丸ひろ子でも、なんでも自由に聴けるし、見れる。おれという・・・羽仁五郎というのはやっぱりどうかしてると、・・。これが今の若い人の、そして、大多数の大人の平均的な考え方だろう。それで相変わらず自分の心は自分の心だと思って生活している。しかし,・・
久野収が羽仁さんのもうどうしょうもない思いが詰まってる,と書いていますが。古本屋で見つけると買い込んでは,福島の若い友人にプレゼントしています。例の甲状腺がん裁判で司会をしてくれていたゆりかにも。柳原さんのお話は高尚すぎるので、羽仁さんくらいレベルを落として話してほしいなぁというのが,脳活動の衰えた婆ばからのお願いです。

E
水戸さん
貴重な報告をありがとうございます。読んでいて、「いま、法が一歩前に出るとき」の内容が伝わってきました。放射能のゴミ屋敷、法の欠缺について、それに立つには、人権屋敷の再建と…
簡単なことではないけれど、できるところから、一歩ですね。

【第183話】新老年の鑑、山本博樹さん、菅谷昭さん(26.3.6)

若い頃に友人となった者とはいつまで経っても、その友情は色褪せず、みずみずしい。私にとってそのひとりが井戸謙一さん。彼は今も1年後輩のコヅレ(セツラー名)であり、実際は年輪を重ねて変貌しているはずだが、その年輪の下にある20代のサークル(セツルメント)の時の姿が二重写しになっている。ハングルでいうヒョーン(형)、日本語だと朋輩。

年をとってから、友人になるのはすこぶる難しい。お互い、年輪を重ねてしまって、若い頃のように無邪気に、無条件に共感することは困難だから。
しかし、年を取ればとるほど、日野原重明さんが105歳の最後の本の冒頭で言った次の言葉が身に沁みるようになる。

私はこれまでたくさん本を書いてきました。
たくさんの人を前に講演をしてきました。
本を書くとき、講演をするとき、私はなるべくたくさんの人に伝わりやすいようにと思い、言葉をつむいできました。

ですが今、いちばんしたいのは対話です。
私のもとに来てくれた、たった一人の人に、言葉を遺したい。
(「生きていくあなたへ」はじめに、より)

私も一番したいことは対話だということにようやく、気がついた。それは建設的対話のことである。とはいえ、それは容易なことではない。ましてや年取ってからの対話と友情は困難極まる。だから、この新・老年()の鑑とも言うべき二人に出会えたことは半ば奇跡としか思えない。その二人とは高槻市の山本博樹さん(左側の人)、松本市の菅谷昭さん(右側の長老の人)。

)新老年とは何者か。それは次の意味である>つつしんで老年に告ぐ「老年よ、大志を抱け」





菅谷さんとのことは書き出すときりがないので、ここでは山本さんについて。
一昨年9月に、大阪府高槻市でやったチェルノブイリ法日本版の学習会(?懇親会。その報告は>こちら水戸喜代子さんのfacebook)で山本さんと会った時に記した感想を再掲する(詳細は後日、改めて解説)。

9月の高槻で、私は次のような話をした。
「生ける法」はどのようにして生まれるのか?
→それは、国家(議会や行政府)が制定するのではなく、社会生活の中で生まれるもの(市民が生成するもの)
 それは、市民の意識に支えられ、市民の現実の行動を支配するものとして見出される。
 それが「生ける法」。
 その結果、私たちは「制定される法」と「生ける法」との二重権力状態の中にある
→立法もまた、議員が採決する議会と市民が生成する社会の二重権力状態となる。
 この意味で、市民が生成する社会こそ法をリードする。


それに対し、山本さんの、教え子が「職務質問」を受けたお話は今まで聞いたことがないような鮮烈なものでした。また、その日の帰りしな、私に「生成法の話、面白かったで」という感想を聞かせていただき、ああ、そうなんだととても自信を授けて頂きました。その後、昨年3月11日に、兵庫県市川町のチェルノブイリ法日本版の学習会(その報告>こちら)に参加され、市民が作る放射能測定システムの可能性を紹介したとき、これにどんな反応があるだろうかと内心一抹の不安の中で、山本さんが「これはええ」というリアクションに、そうだ!と確信を授けてもらいました。ありがとうございました!

2026年2月28日土曜日

【第182話】子ども脱被ばく裁判の振り返り(2):日本の法学界が世界の良識=国際人権と最も緊張を保った絶頂の時代は百年前だった(26.2.28)

さきほど、子ども脱被ばく裁判の振り返り(1)で、こう書いた。

大正期から戦中の末川らが弾圧されるまでの間が、日本が世界の良識=国際人権と最も緊張関係を保った時代でした。しかしその後、敗戦後の復興期を通じても、日本は世界の良識=国際人権から距離を置き、国内に引きこもる閉じた国となったのです。

 そのことを象徴するような1つのエピソードを紹介します。2013年秋、法学者をはじめとして法律関係者が読む雑誌「法学セミナー」の編集部から、「ふくしま集団疎開裁判」についての文の寄稿を依頼され、最後にこう書いた。

80年前、若き川島武宜は研究会で判例の報告をした際、末弘厳太郎から「そのようなばかばかしい判例評釈をするなど、もってのほかである。そんな判例研究するような人間は、法律学の勉強をやめてしまえ」、2回目の報告でも「おまえのは概念法学だ。稲というのは現実に植えつけた人間のものにならないはずはない。ドイツでそうでないなどと言ったって、そんなことは理由にならない。問題の実質をよく見ろ」とこっぴどく叱られました(「ある法学者の軌跡」66頁~)。 

末弘厳太郎が二審の決定を読んだら、裁判官に向かってこう言ったにちがいない。それは同時に全ての法律家に突きつけられた言葉です――おまえのは概念法学だ。子どもの命が危ないのに救済しなくてよいはずはない。原子力ムラではそう考えないと言ったって、そんなことは理由にならない。問題の実質をよく見ろ。そのようなばかばかしい理由づけをするなど、もってのほかである。そんなことをするような人間は法律家をやめてしまえ。

この文は法学者も含め、全ての法律家に向けて書いたものだった。だが、その後今日に至るまで、法学者からはひとりも何かリアクションはなかった。ちょうどそれは、80年前に絶頂を迎え、その後、国内に引きこもりしている日本の法学界の実情を示しているようだった。せっかく、百年ぶりに、世界の良識=国際人権と厳しい緊張関係を築く絶好のチャンスだったにも関わらず、そのチャンスすらものにすることが出来ずに、引きこもりの内部自然崩壊の道を突き進んでいる日本の法学界‥‥それとも、末弘厳太郎が「そんなことをするような人間は法律家をやめてしまえ」と喝破したように、本物の法学者は消えていなくなったのか本物の法学者はどこにいるのだ?

以下、 法学セミナー2014年2月号掲載の「ふくしま集団疎開裁判」について
(>全文PDF

 **************** *****

『命こそ宝』という正義を求めて

1、はじめに

福島原発事故は日本史上最悪の人災です。それは事故後私たちを襲ったのが大量の放射性物質だけでなく、大量のマインドコントロールされた情報だという意味で。それは「不幸を忘れたい」という私たちの弱味につけ込み、事故を限りなく小さく見せ、人々を来るべき惨劇の扉の中に閉じ込めるものでした。他方、原発事故は「目に見えず、臭いも痛みもせず、被害の医学的解明も不十分な理想的な毒」による人災です。この未知との遭遇のため、我々の五感には3.11後もその前と変わらず、これがどれほどの惨劇をもたらすか普通に考えても誰も分りません。生き延びるためには、この欺瞞を見破ることが不可欠でした。その唯一の手段が視差の中で考えること、つまり2つの異なる立場から観察・比較し、その結果がもたらす「強い視差(ずれ)」を吟味することだとカントは指摘しました。それがチェルノブイリ事故との対比、3.11後の国や専門家の発言と3.11前のそれとの対比、安全・安心を口にする国・福島県の要人とその家族の実際の行動との対比です。その対比から見えてきた「強い視差」が福島の真実を誰の目にも分かる形で明らかにしました。それを最も徹底しようとしたのが「ふくしま集団疎開裁判」です。

その結果はからずも明らかになったことは、今回の苛酷事故で、原子炉が崩壊するという異常事態が起きただけではなく、国の立法・行政の破綻(機能不全)に続き、司法も破綻するという異常事態でした。「人権の最後の砦」である司法は、事実認定で子どもらの命に由々しい事態の進行が懸念されると認めながら、結論で国の宝である子どもの命を救うことを放棄したからです。衝撃を受けた(日本を除く)世界の主要メディアはこの恐るべき矛盾判決を一斉に報道しました。以下はその報告です。

2、「ふくしま集団疎開裁判」(一審 福島地方裁判所郡山支部)

2011年6月24日、郡山の小中学生14人が郡山市を相手に、自分たちを年1ミリシーベルト以下の安全な環境で教育を実施して欲しいと求めたのが「ふくしま集団疎開裁判」(仮処分)です。憲法26条で、子ども達は安全な環境で教育を受ける権利を保障されており、単に3.11前と変わらぬ環境で教育を実施して欲しいと、大人より放射能の感受性が3~5倍高いにもかかわらず年1ミリシーベルトという大人の安全基準に合わせて、ごくつつましい希望を表明したものです。

裁判所は、半年後の審理の後、野田前総理の「冷温停止状態」宣言の同年12月16日、却下決定を下しました。要点は次の3点です。

①.低線量の内部被ばくの危険性を裏付けるチェルノブイリ事故との対比に関する債権者の主張・証拠をことごとく斥けたこと。

  決定は「個々の債権者らについて,その具体的な内部被ばくの有無及び程度は明らかにされていない」としてこれら全てを不採用。しかし、債権者がこれらの証拠を個々の債権者も含む郡山の子どもたち全員に妥当するとして提出していたことは今さら言うまでもありません。

②.申立ての趣旨を債権者の念押しを無視して読み替えること

当初、債務者の郡山市が「申立は郡山市の小中学生全員の疎開を求めるもので認められない」と誤解したので、債権者は「本申立て手続で求めるのはあくまでも14名の債権者の救済であって、郡山市の小中学生全員の救済ではない」と念押しました。にもかかわらず、決定は、再び「14名の申立は郡山市の全ての小中学生を有無を言わせず一律に疎開を求めるというものである」と申立を強引に読み替え、そこから「その要件は厳格に解する必要がある」という結論を引き出し、「債権者の生命身体に対する具体的に切迫した危険性があること」を要件としました。これは、本件で問題になる長期間の潜伏期を経て現われる晩発性障害で、子どもたちはガン・白血病等を発病しない限り避難を認めないという残忍酷薄な結果を意味します。

③.弁論主義に違反して、事実認定をしたこと。

決定は、「100ミリシーベルト未満の放射線量を受けた場合における晩発性障害の発生確率について実証的な裏付けがない」と事実認定し、いわゆる100ミリシーベルト問題が債権者の命に対する危険性の判断について重要な判断要素だとして、債権者らが通う学校の空間線量の値が年間100リシーベルト以上であることの証明はないとして申立を却下しました。

しかし、100ミリシーベルト問題は審理の中でいずれの当事者も一度も主張したことのない事実で、決定の中でいきなり登場したのです。

3、「ふくしま集団疎開裁判」(二審 仙台高等裁判所)

一審決定は、処分権主義、弁論主義、証拠裁判主義などの近代裁判の基本原則を否定して、14人の債権者及びこれと同様の危険な中にいる福島の子どもたち全員に向って「君たちは自己責任で避難しない限りどうなっても知らない」と宣言したもの、つまり巨大人災により歴史上初めて日本人を仕分けする宣言をした未曾有の人権侵害決定でした(直ちに仙台高裁に抗告)。

二審で、債権者が一審決定の誤りを詳細に明らかにした結果、二審決定は一審決定理由をすべて不採用。審理に1年4ヶ月かかり、その間、チェルノブイリ事故との対比に関する証拠を含め低線量の内部被ばくの危険性を証明する膨大な証拠(甲102~248)を提出しました。その結果、本年4月24日の決定で、債権者の事実主張を全面的に採用する次の事実認定がされました。

(1)、郡山市の子どもは低線量被ばくにより生命・健康に由々しい事態の進行が懸念される。
(2)
、除染技術の未開発、仮置場問題の未解決等により除染は十分な成果が得られていない。
(3)
、被ばくの危険を回避するためには、安全な他の地域に避難するしか手段がない。
(4)
、「集団疎開」が子どもたちの被ばくの危険を回避する1つの抜本的方策として教育行政上考慮すべき選択肢である。

しかし、主文は却下。子どもを安全な環境で教育する憲法上の義務を負う郡山市に、郡山市の子どもを安全な他の地域に避難させる義務はないとしました。しかし、どうやってこの結論を上記の事実認定から導いたのかです。何度読み返しても私には理解不能です。この裁判では子どもの命に衝突する価値はありません。天災でも子どもの命があぶないと事実認定されたら、直ちにその救済がされます。ましてや本件は人災で、子どもは遊んで原発を壊したのでも誘致に賛成したのでもなく、事故に百%責任がありません。純然たる被害者であるこどもの命が救済されない理由はどうやっても見つけることは不可能です。これは法律以前の人類普遍の原理です。この決定を読んだ米国の人権活動家のチョムスキーはこう表明しました。これは全ての法律家に向けられたものでもあります。

「裁判所が、健康への危険性を認識しながら、にもかかわらず、子どもたちを福島の地域から避難させようとする試みを阻んだことを知り、本当に驚いています。最も傷つきやすいもの、この場合、最も大切な財産である子どもたちをどのように扱うか以上に社会のモラルの水準を物語るものはありません。この残酷な判決が覆されることを強く希望し、信じます。」

80年前、若き川島武宜は研究会で判例の報告をした際、末弘厳太郎から「そのようなばかばかしい判例評釈をするなど、もってのほかである。そんな判例研究するような人間は、法律学の勉強をやめてしまえ」、2回目の報告でも「おまえのは概念法学だ。稲というのは現実に植えつけた人間のものにならないはずはない。ドイツでそうでないなどと言ったって、そんなことは理由にならない。問題の実質をよく見ろ」とこっぴどく叱られました(「ある法学者の軌跡」66頁~)。

末弘厳太郎が二審の決定を読んだら、裁判官に向かってこう言ったにちがいない。それは同時に全ての法律家に突きつけられた言葉です――おまえのは概念法学だ。子どもの命が危ないのに救済しなくてよいはずはない。原子力ムラではそう考えないと言ったって、そんなことは理由にならない。問題の実質をよく見ろ。そのようなばかばかしい理由づけをするなど、もってのほかである。そんなことをするような人間は法律家をやめてしまえ。

審決定んだチョムスキーはメジをせ「つきやすいもの、この場合最大切財産あるどもたちをどのようにうか以上のモラルの水準物語るものはありませんJ(集団疎開裁判のブログhttp://fukusima-sokai.blogspot.jp/) べました

どものることは人類普遍正義第一歩ですこの回復するまでそのみがやむことはありません未来私達にかかているのです未来次疎開裁判はまもなくスタートします

 

【第181話】子ども脱被ばく裁判の振り返り(1):日本の法学界が世界の良識=国際人権と最も緊張を保った絶頂の時代は百年前だった(26.2.28)

 今日、子ども脱被ばく裁判と「国際人権」との関係について、振り返りの文を書いた。
最初、個別の国際人権法の内容(自己決定権・健康への権利)について書こうと思ったけれど、検討していくうちに、もっと重大な内容を見落としていたことに気がついたので、それを書いた。それは、百年前、大正14年頃に絶頂を迎えた日本の法学界がその後、内向きの閉ざされた歴史を辿り、それが311以後の人権侵害のゴミ屋敷の日本社会の出現と深く関わっていることを示すものだった。
その検討の中で気がついたことがほかにもあったので、いくつかに分けてアップする(その(2)>こちら)。

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 What time is it ?――311後のゴミ屋敷を人権屋敷に再建するキーワード「国際人権」――

1、はじめに

この質問はチャップリンの映画「独裁者」の冒頭に出てくるセリフです。戦場で、兵士チャップリンが上官と雲の中を飛行中、いつの間に飛行機は宙返りとなり、この質問に彼が懐から懐中時計を取り出すと時計の鎖がとび上がってビックリするシーンです。そのシーンが示す通り、答えはあべこべの時代です。このあべこべが現代でも続いている。しかも現代はそのあべこべが前例のないくらい極端なまでに進んだ時代です。なぜなら、現代は311後=原発事故後の社会だからです。原発事故とは何か。それは人類が推し進めてきた科学技術の最先端で登場した、最先端の科学技術がもたらした最先端のカタストロフィー(大惨事)だった。つまり、原発事故は私たちの科学技術の栄華の成れの果ての姿です。その結果、311後の日本社会は原発事故の救済を全面的にネグレクト(放置)する人権侵害のゴミ屋敷となった。そこでは、原発事故を起こした加害者たちは救済者のつらをして、命の「復興」は言わず、「経済復興」と叫んで堂々と開き直り、命に危険にさらされた被害者は「助けて」という声すら上げられず、上げようものなら経済「復興」の妨害者として迫害される、あたかも密猟者が狩場の番人を、盗人が警察官を演じている。安全を振りまくニセ科学が科学とされ、危険を警鐘する科学がニセ科学扱いされる、狂気が正気とされ、正気が狂気扱いされるというあべこべが出現したからです。このあべこべをただすこと、それが311後の最大の法律問題となりました。それに挑戦したのがこの裁判です。その際のキーワードは世界の良識=国際人権でした。なぜなら、311後の日本は「世界の常識が日本の非常識、日本の常識が世界の非常識」の社会であり、日本社会のあべこべをただす力は世界の常識の中にしかないからです。但し、この意味は国内に引きこもる限り分からない。国外にさらされてみて初めて見えてくる。以下、国外に立ってみて見えてきたことを記したものです。

2、日本が世界の良識=国際人権と最も緊張関係を保った時代

それは大正14年(1925年)頃です。この年、民法の不法行為で従来の解釈を根底から覆す画期的な判決が出た。それが大学湯事件大審院判決で、不法行為が成立するのは民法に書かれた「権利」の侵害に限らない、「法律上保護される利益」も含まれると言い、社会生活の現実を踏まえて法律を再構成する態度に出たからです。この判決は当時、世界を席巻していた、法律を形式的、論理的に解釈すれば足りるとする従来の支配的な見解「概念法学」を根底から否定し、法律は何よりも第1に現実の社会生活に奉仕する「生きた法」でなくてはならないという「自由法論」=国際人権に深く影響を受けて書かれた判決でした。このあと、末川博、末弘厳太郎(彼については>こちら)らが法学界を「自由法論」で塗り替えていった。つまり、大正期から戦中の末川らが弾圧されるまでの間が、日本が世界の良識=国際人権と最も緊張関係を保った時代でした。しかしその後、敗戦後の復興期を通じても、日本は世界の良識=国際人権から距離を置き、国内に引きこもる閉じた国となったのです。

3、再び、世界の良識=国際人権との緊張関係が問われた時代

しかし、福島原発事故は21世紀の黒船として閉じた国=日本社会を震撼しました。日本の法体系は原発事故を想定しておらず、備えがなかったからです。つまり原発事故の救済について、日本の法体系は法の穴(法律用語で欠缺〔けんけつ〕)状態にあった。最初、それに最もうろたえたのは日本政府でした。福島県の子どもたちの集団避難が現実の問題となっていたからです。彼らはそれを阻止するために日本の法体系を血眼になって探したけれど、原災法も含めて使える法律が見つからなかった。そこで、苦の策として世界に出るしかなく、ICRPのお見舞い勧告を使って、文科省の20mSv通知を出した。この時、日本政府は、日本の法体系が「法の穴」状態にあり、その穴埋めを彼らが望む国際ルールとの関係の中でするほかないことを強烈に意識したのです。その次に、この難問に直面したのが文科省の20mSv通知に抵抗して、福島県の子どもたちの集団避難を求めた「ふくしま集団疎開裁判」でした。原告らもまた、日本政府と同様、日本の法体系の中に「彼らの集団避難」を裏付ける法律を見つけることが出来なかったからです。避難の権利を明文化したチェルノブイリ法があったけれども、条約ではないため、裁判の規範として使えなかった。3番目にこの難問に直面したのがこの裁判でした。ここでもまた、原告らは日本の法体系の中に「福島県の子どもたちが被ばくしないで教育を受けること」を裏付ける法律を見つけることが出来なかった。そこで手探りの中、無意識のうちに復活したのが社会生活の現実を踏まえて「生きた法」を発見するという百年前の「自由法論」だった。つまり、低線量内部被ばくの放射能による健康被害という現実を踏まえて、「生きた法」を再構成していったら、原告らの主張が認められるのは当然であるという論法でした。同時に、「法の穴」を埋める具体的な法理として、民間団体のICRPのお見舞い勧告ではなく、法律の上位規範である国際人権法として自己決定権と健康への権利が用いられるべきであったことは「法の欠缺――法律の危機――」で述べた通りです。

 

 

2026年1月30日金曜日

【第180話】三浦少数意見その可能性の中心(3):内掘決定の違法性と建物明渡請求の可否についての具体的内容(2026.1.30)

 第179話】で、避難者追出し裁判1​.​9最高裁判決を主に「形式」面から分析した。これは、三浦少数意見を「内容」面から分析したもの。
なお、多数意見を「内容」面から分析したのは>【第177話】・オンライン署名

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 内掘福島県知事が2015年6月に、区域外避難者に対する仮設住宅提供を2017年3月末をもって打切るとした決定を以下では本件県知事決定という。

以下、この本件県知事決定が違法であるか否か(以下の第1)、もし違法である場合に、それが被告(上告人)の仮設住宅からの退去を求める明渡請求権にどのような影響を及ぼすか(以下の第2、第3)について、三浦少数意見を紹介したもの(少数意見のPDF>こちら)。

第1、本件県知事決定の違法性について

(上告人の主張)

1、最高裁における裁量判断の司法審査の方式

最高裁における裁量判断の司法審査は最高裁平成18年2月7日学校施設使用許可国賠事件判決以降、「判断過程審査」方式が積み重ねられ、近時はこれが通例となり定着している。「判断過程審査」方式は行政庁の判断過程において、本来考慮に容れるべき要考慮事項を考慮したか、本来考慮に容れるべきでない考慮禁止事項を考慮に容れなかったか(他事考慮)、重視すべきでない考慮要素を重視し(過大評価)、当然考慮すべき事項を十分考慮しない(過小評価)などの吟味により裁量判断の方法ないしその過程に誤りがあるかどうかを審査するものである。

2、考慮事項の具体化(その1:方法論一般)

最初の問題は、特定の案件の裁量判断に際し、何を手がかりにどのようにして考慮事項を導くか、という方法論の問題である。
 もとより、法令が考慮事項を明らかにしている場合[1]にはそれに従うのは当然であるが、法令がこれを明らかにしていない場合であっても、法令の解釈により[2]、或いは行政処分の性質とりわけ当該行政処分により影響を受ける当事者・関係者の権利・利益の性質から[3]導き出されるものであることは判例、学説がつとに指摘する通りである。

3、考慮事項の具体化(その2:類型化一般)

 次の問題は、上記の方法論に基づいて、特定の案件の裁量判断に際し、いかなる項目を考慮事項として類型化するかである。
 判断過程審査を行なった判例(とくにここでは塩野宏や宇賀克也らがリーディングケースとして紹介する[4]日光太郎杉東京高裁判決)に基づいて類型化を試みると、少なくとも以下の項目を考慮事項として取り上げることができる。
①.
特定の行政処分の目的及びその必要性について
(1)
、上記目的及びその必要性は何か
(2)
、上記目的及びその必要性はどのように評価されるべきか。
  具体例として、特定の必要性が考慮禁止事項に該当しないか。
②.上記行政処分により得られる利益(権利・法益など)について
 (1)
、上記利益は何か
 (2)
、上記利益はどのように評価されるべきか。
③.上記行政処分によって失われる利益(権利・法益など)について
 (1)
、上記利益は何か
 (2)
、上記利益はどのように評価されるべきか。
④.上記行政処分により得られる利益がそれによって失われる利益に優越するか。
すなわち、上記行政処分の上記①の必要性は当該行政処分によって失われる上記④の利益を犠牲にしてもなお実施しなければならないほどの必要性と言い得るものか。
⑤.代替措置の検討について
(1)
、上記行政処分以外で、上記①の目的・必要性を満たし、なおかつ上記③の利益の喪失を回避する代替的手段・方法とは何か。
(2)
、上記(1)の代替的手段・方法はどのように評価されるべきか。
 上記①の必要性及び上記③の利益からみて、上記行政処分は上記(1)の代替的手段・方法と比較してどのように評価(例えばLRAの代替的手段が存在するか。上記①の必要性は上記行政処分以外の代替的手段・方法では充足されないか)されるべきか。
⑥.考慮事項の総合判断について
 (1).本来考慮に容れるべき要考慮事項を考慮したか。とりわけ代替的手段・方法の吟味検討
 (2)
.本来考慮に容れるべきでない考慮禁止事項を考慮に容れなかったか(他事考慮)。
   (3)
要考慮事項について軽視せず、当然尽すべき考慮を尽したか(過小評価)
 (4)
.本来過大に評価すべきでない事項を過重に評価しなかったか(過大評価)
   (5)
、その結果、上記行政処分の判断が左右されなかったか。

4、考慮事項の具体化(その3:本件)

 次の問題は、上記の6個の類型化に基づいて、本件県知事決定の裁量判断に際し、いかなる項目を考慮事項とするかである。本件に即して、さしあたり次のように考えることができる。
①.本件県知事決定の目的及びその必要性について
 (1)
、上記目的及びその必要性は何か
 (2)
、上記目的及びその必要性はどのように評価されるべきか。
   具体例として、必要性が考慮禁止事項に該当しないか。
②.本件県知事決定により得られる利益(権利・法益など)について
  (1)
、上記利益は何か
  (2)
、上記利益はどのように評価されるべきか。
③.本件県知事決定によって失われる利益=延長して居住する必要性(自主避難者の居住権、生活再建権、「帰還による被ばくの健康影響」の回避など)について
  (1)
、上記利益は何か
  (2)
、上記利益はどのように評価されるべきか。
④.本件県知事決定により得られる利益がそれによって失われる利益に優越するか。
  すなわち、本件県知事決定の上記①の必要性は本件県知事決定によって失われる上記④の利益を犠牲にしてもなお実施しなければならないほどの必要性と言い得るものか。
⑤.代替措置の検討について
  (1)
、本件県知事決定以外で、上記①の目的・必要性を満たし、なおかつ上記③の利益の喪失を回避する代替的手段・方法とは何か。
  (2)
、上記(1)の代替的手段・方法はどのように評価されるべきか。
 上記①の必要性及び上記③の利益からみて、本件県知事決定は上記(1)の代替的手段・方法と比較してどのように評価(例えばLRA[5]の代替的手段が存在するか。上記①の必要性は本件県知事決定以外の代替的手段・方法では充足されないか)されるべきか。
⑥.考慮事項の総合判断について
  (1).本来考慮に容れるべき要考慮事項を考慮したか。とりわけ代替的手段・方法の吟味検討
  (2)
.本来考慮に容れるべきでない考慮禁止事項を考慮に容れなかったか(他事考慮)。   
 (3)
.要考慮事項について軽視せず、当然尽すべき考慮を尽したか(過小評価)
 (4)
.本来過大に評価すべきでない事項を過重に評価しなかったか(過大評価)
 (5)
、その結果、本件県知事決定の判断が左右されなかったか。

とりわけ本件では行政手続の適正さという観点からも
判断過程の各局面ごとの過誤がさらに問題となる。
すなわち、福島県知事は、区域外避難者の命、健康、暮しに重大な影響を及ぼす「応急仮設住宅の供与の打切り」を決定するに当たっては、事前に、当事者である区域外避難者からヒアリングをして、彼等の実情、要望、今後の見通しについて十分な調査を踏まえた上で行うのが、本来の適正手続きのあり方であった。しかし、福島県知事はこうした適正手続きを一切実行しなかった。(理由書(1)63~65頁)
(4)、避難者住まいの権利裁判(関連訴訟と略)の2025年10月20日の進行協議において、関連訴訟原告らが主張した「県知事決定にあたって県知事が考慮すべき事項として以下の8つの考慮事項の具体的な事実がある」に東京地方裁判所が注目し、関連訴訟被告(福島県)に対しその認否を求めた。
①.区域外避難者の避難先での生活再建の現状と今後の見通しについて、当事者の区域外避難者からヒアリングした情報            
②.もし仮設住宅の提供打切りを決定した場合、それが区域外避難者の生活再建にどのような悪影響を及ぼすのかについて、当事者の区域外避難者からヒアリングした情報
③.仮設住宅の提供打切りを決定する場合、代替住居の提供についてのどのような検討(当事者の区域外避難者からヒアリングも含めて)をおこなったのか
④.そもそも国家公務員宿舎から区域外避難者を退去させる必要があったのか
⑤.どのような目的のために区域外避難者の退去が必要とされたのか
⑥.退去の必要性が認められるとしても、その必要性と区域外避難者が国家公務員宿舎に居住し続ける必要性との比較衡量が不可欠であるので、この比較衡量のための調整手段・方法(例えば、県外に復興公営住宅を建設する)について、どのような調査・検討(当事者の区域外避難者からヒアリングも含めて)を行なったのか‥‥(以下、中略)
すると、翌11月12日の弁論期日で、福島県はこれに対しすべて争う旨の答弁をした上で、かつて裁判所の釈明に応えて主張した以下の3つの考慮要素さえ考慮すれば足りることを重ねて主張した。
①.国との協議状況
②.災害公営住宅の整備状況
③.除染作業の進捗状況

 しかし、一方で、関連訴訟原告らが主張する上記の8つの事項は申立人らをはじめ県外に避難した区域外避難者にとって、いずれも生存の存亡にも関わる切実な問題に関するものばかりであり、従って、仮設住宅の提供打切りの県知事決定に当たっては、打切りにより仮設住宅から退去を余儀なくされる申立人ら区域外避難者の人権が侵害されることがないように十分な考慮が求められるのが当然であり、その意味で、これら8つの事項は県知事が真摯に吟味検討すべき考慮事項であることは当然と思われたところ、関連訴訟被告(福島県)は考慮事項であることを否認し、真っ向から対立する訴訟状態にある。(理由書 ()の補充書(2)2~4頁)

(これに対する三浦少数意見)
三浦少数意見は、本件県知事決定の裁量判断に際しいかなる項目を考慮事項とするかについて、一般論として次の通り判示した。これは最高裁が国際人権法に言及して初めて示した画期的な判断基準である。

1、一般論:上記4③.本件県知事決定によって失われる利益=延長して居住する必要性(自主避難者の居住権、生活再建権、「帰還による被ばくの健康影響」の回避など)について

(1)(被災地域を越えた)広域における住宅の供給状況等を踏まえ、当該被災者の具体的な事情すなわち「当該被災者に関し、被災及び避難の状況、 避難の継続又は帰還についての意向、家族関係・健康状態・就労状況その他生活の状況、安定した住宅の確保に関する事情等」(24頁下から4行目~)を適切に考慮して判断しなければならないこと。
 なぜなら、被災者にとって、生活の基盤を失って避難するという経済的にも精神的にも困難な状況の下で、その居住の安定に係る利益は、生存の基礎であって個人の尊厳及び幸福追求に関わるものであり、被災者が延長して居住する必要性については、社会権規約及び国内避難に関する指導原則の趣旨を踏まえ、災害対策基本法の定める基本理念(被災者の年齢、性別、障害の有無その他の被災者の事情を踏まえ、その時期に応じて適切に被災者を援護すること等[6])及び責務(国民の生命、身体及び財産等を災害から保護する使命[7])にも鑑みるべきものだから(17頁17~23行目)。

すなわち、もともと災害救助法による応急仮設住宅の提供は「被災者の居住の安定に係る利益」等を保護するために認められたものである[8]。この「被災者の居住の安定に係る利益」は被災者にとって生存の基礎であって個人の尊厳及び幸福追求に関わるものであり、その内容は社会権規約及び国内避難に関する指導原則の趣旨を踏まえて解釈されるべきものである。そうだとしたら、そこから論理必然的に、応急仮設住宅の提供を延長するかどうかの判断にあたっても「被災者の居住の安定に係る利益」について、上記国際人権法が保障する被災者ひとりひとりの人権問題として、当該被災者の具体的な事情を適切に考慮せざるを得ない。

その際、取り分け、著しく異常かつ激甚な非常災害であって、 当該非常災害に係る応急仮設住宅の入居者の居住の安定に資するための措置を講ずることが特に必要と認められる特定非常災害においては、多数の被災者の避難が広域かつ長期に及ぶなどして、被災者の安定した住宅の需要が被災地域及びその周辺(以下「被災地域等」)に限られないこと等にも鑑みると、 所定の期間を超えて応急仮設住宅を使用する必要性に関し、被災地域等における住宅の供給状況等を重視して一律に判断することは困難である(17頁10~16行目)。

すなわち、福島県内に災害公営住宅が整備されたことを重視して延長しない理由にすることは困難である。

(2)(1)の裏返しとして、「本件県知事決定によって失われる利益=延長して居住する必要性」がないことが認められること。
「当該被災者の具体的な事情を考慮するまでもなく、一律に、応急仮設住宅を延長して使用する必要がないこと」が合理的な根拠に基づいて認められること(17頁下から2行目~18頁2行目)。
    ↑
2、本件(具体論)
問題は、本件で、本件県知事決定はこの2つの判断基準を満たしているかどうか。
その結論は「満たしていない」。
主たる理由は以下の4つ。

①.2017年3月末日時点で土壌除染等の措置を定めた除染特別地域及び汚染状況重点調査地域は福島県の36市町村に及び、当該地域からの避難者にとって、避難の継続は法令に基づく合理的な根拠があるというべきである。なおかつ避難を継続するか帰還するかはもっぱら個人の選択の問題である。したがって、福島原発事故により拡散した放射性物質による被ばくが人の健康に及ぼす影響について科学的に十分に解明されたとはいえない状況及び避難の継続は法令に基づく合理的な根拠があるという状況において、個人の選択で避難の継続を決定した者についてはその自己決定が尊重されてしかるべきだから、「応急仮設住宅を使用する必要がないか否かについて、自己決定をした当該被災者の具体的な事情を考慮せずに一律に判断すること」はできない(21頁7行目~22頁4行目)。

②.「応急的」の意義
災害救助法による応急仮設住宅の供与は、現に救助を必要とする被災者に対し応急的に必要な救助として行うものであるところ、この「応急的」とは、救助の必要性に関する当該被災者の具体的な事情を離れた画一的な期限を意味するものではない。のみならず、本件に適用される特定非常災害においては、応急仮設住宅の入居者の居住の安定に資するための措置を講ずることが特に必要と認められるものであるから、応急仮設住宅を延長して使用する必要性についての判断に当たり、応急的救助という考え方を重視し当該被災者の具体的な事情を適切に考慮しないことは、むしろ特定非常災害特措法等の趣旨に反するものである(22頁5~12行目)。

③.阪神・淡路大震災の例並びに宮城県及び岩手県の取扱いとの比較について
この比較も、区域外避難者が、区域内避難者と異なり、当該被災者の具体的な事情を考慮するまでもなく、応急仮設住宅を供与できる期間の延長を一律に否定する理由とならない。

④.応急仮設住宅の供与に代わる新たな支援策について
セーフティネット契約等は2年間の限定であり、公営住宅の公募における専用枠等もその入居が確保されるものではないなど上記支援策によって必ずしも安定した住宅を確保できるとはいえない。従って、これが「当該被災者の具体的な事情を考慮するまでもなく一律に応急仮設住宅を使用する必要がない」という理由にはならない(22頁下から6~末行目)。

すなわち、上記支援策は、国際人権法が「例外的措置として許容される強制退去」の要件として要請する「代替住居の誠実な提供」に該当しない。

第2、さらに、2017年4月以降の応急仮設住宅の供与の終了について
(1)
、内掘県知事及び東京都知事
 2017年4月以降の応急仮設住宅の供与を終了するに際して、内堀知事及び東京都知事が、 応急仮設住宅を使用する必要性に関し、 広域における住宅の供給状況等を踏まえ、上告人の具体的な事情を適切に考慮したことはうかがわれない。

(2)、国
 上告人に対する応急仮設住宅の供与に関し、上告人に関する具体的な事情が適切に考慮されないまま2017年3月末日をもって上記供与が終了したことは、国の関与の下に行われた内堀知事及び東京都知事による上記供与に関する事務の処理によるものである。

第3、本件明渡し請求の適否について
(1)
、第2の2017年4月以降の応急仮設住宅の供与が終了したのは本件県知事決定に起因するものであるが、その本件県知事決定は社会通念上著しく妥当性を欠くものであって、各裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用するものである(24頁下から11行目以下)。

(2)、従って、このような事情の下において、上告人がその後本件建物に居住していることは、国との関係において単なる不法占拠とみることはできない。言い換えれば、
上告人に関し、被災及び避難の状況、避難の継続又は帰還についての意向、家族関係・健康状態・就労状況その他生活の状況、安定した住宅の確保に関する事情等の具体的な事情を総合的に考慮して、国が上告人に対し建物明渡請求権を行使することが、 正義 公平の理念に照らし容認できないときは、その行使は、権利の濫用として許されない。

(3)、原審は、上告人に関する上記具体的な事情を総合的に考慮して建物明渡請求権の行使が権利の濫用に当たるか否かについて必要な検討をしていない。
そうすると、 原審の判断(原判決)には、 災害救助法等の法令の解釈適用を誤った結果、 必要な審理を尽くさなかった違法があり、これは、 判決に影響を及ぼすことが明らかである。
従って、原判決中、 上記建物明渡請求に関する部分を破棄し、 同部分について事件を原裁判所に差し戻すのが相当である。

 



[1] 例えば、考慮禁止事項について、公務員に対する不利益取り扱いについての国家公務員法108条の7・地方公務員法56条。

[2] 塩野宏「行政法Ⅰ(第5版補訂版)」136頁14行目《要考慮事項(逆に不可考慮事項)が何であるかは法の解釈を通じて導き出されるものである。》。その例として、考慮禁止事項について、輸出制限に関するいわゆるココム訴訟の東京地裁昭和44年7月8日判決行裁例集20巻7号842頁。

[3] 「本件各処分の前示の性質にかんがみれば、本件各処分に至るまでに何らかの代替措置を採ることの是非、その方法、態様等について十分に考慮するべきであった」ところ、代替措置について何ら検討しなかった上告人の措置は「考慮すべき事項を考慮しておらず、」‥‥「本件各処分は、裁量権の範囲を超える違法なものといわざるを得ない。」(最高裁平成8年3月8日判決民集第503469頁)

[4] 塩野宏「行政法Ⅰ(第5版補訂版)」135頁。宇賀克也「行政法概説Ⅰ(第7版)」339頁。

[5] 目的を達成するため「より制限的でない他の選びうる手段」(less restrictive alternatives)の基準のこと。

[6] 判決14頁8~9行目。

[7] 判決14頁10行目。

[8] 判決16頁(3)

【第186話】もうひとりの新老年の盟友、大庭有二さんとの対話(26.3.15)

      2025年8月長野県松本駅(左が大庭さん、その右が菅谷昭さん) ◆ はじめに  以下を書きながら、なんでもっと早く、大庭さんが新老年の盟友のひとり=真の友であることに気がつかなかったのかと、己の鈍感力に無力感に襲われている。 ◆ 本論 大庭有二さんとは、子ども同士が、...