今日、子ども脱被ばく裁判と「国際人権」との関係について、振り返りの文を書いた。
最初、個別の国際人権法の内容(自己決定権・健康への権利)について書こうと思ったけれど、検討していくうちに、もっと重大な内容を見落としていたことに気がついたので、それを書いた。それは大正14年から百年の法学界の内向きの閉ざされた歴史が311以後の人権侵害のゴミ屋敷の日本社会と深く関わっていることを示すものだった。
その検討の中で気がついたことがほかにもあったので、いくつかに分けてアップする。
***********************
What time is it ?――311後のゴミ屋敷を人権屋敷に再建するキーワード「国際人権」――
1、はじめに
この質問はチャップリンの映画「独裁者」の冒頭に出てくるセリフです。戦場で、兵士チャップリンが上官と雲の中を飛行中、いつの間に飛行機は宙返りとなり、この質問に彼が懐から懐中時計を取り出すと時計の鎖がとび上がってビックリするシーンです。そのシーンが示す通り、答えはあべこべの時代です。このあべこべが現代でも続いている。しかも現代はそのあべこべが前例のないくらい極端なまでに進んだ時代です。なぜなら、現代は311後=原発事故後の社会だからです。原発事故とは何か。それは人類が推し進めてきた科学技術の最先端で登場した、最先端の科学技術がもたらした最先端のカタストロフィー(大惨事)だった。つまり、原発事故は私たちの科学技術の栄華の成れの果ての姿です。その結果、311後の日本社会は原発事故の救済を全面的にネグレクト(放置)する人権侵害のゴミ屋敷となった。そこでは、原発事故を起こした加害者たちは救済者のつらをして、命の「復興」は言わず、「経済復興」と叫んで堂々と開き直り、命に危険にさらされた被害者は「助けて」という声すら上げられず、上げようものなら経済「復興」の妨害者として迫害される、あたかも密猟者が狩場の番人を、盗人が警察官を演じている。安全を振りまくニセ科学が科学とされ、危険を警鐘する科学がニセ科学扱いされる、狂気が正気とされ、正気が狂気扱いされるというあべこべが出現したからです。このあべこべをただすこと、それが311後の最大の法律問題となりました。それに挑戦したのがこの裁判です。その際のキーワードは世界の良識=国際人権でした。なぜなら、311後の日本は「世界の常識が日本の非常識、日本の常識が世界の非常識」の社会であり、日本社会のあべこべをただす力は世界の常識の中にしかないからです。但し、この意味は国内に引きこもる限り分からない。国外にさらされてみて初めて見えてくる。以下、国外に立ってみて見えてきたことを記したものです。
2、日本が世界の良識=国際人権と最も緊張関係を保った時代
それは大正14年(1925年)頃です。この年、民法の不法行為で従来の解釈を根底から覆す画期的な判決が出た。それが大学湯事件大審院判決で、不法行為が成立するのは民法に書かれた「権利」の侵害に限らない、「法律上保護される利益」も含まれると言い、社会生活の現実を踏まえて法律を再構成する態度に出たからです。この判決は当時、世界を席巻していた、法律を形式的、論理的に解釈すれば足りるとする従来の支配的な見解「概念法学」を根底から否定し、法律は何よりも第1に現実の社会生活に奉仕する「生きた法」でなくてはならないという「自由法論」=国際人権に深く影響を受けて書かれた判決でした。このあと、末川博、末弘厳太郎(彼については>こちら)らが法学界を「自由法論」で塗り替えていった。つまり、大正期から戦中の末川らが弾圧されるまでの間が、日本が世界の良識=国際人権と最も緊張関係を保った時代でした。しかしその後、敗戦後の復興期を通じても、日本は世界の良識=国際人権から距離を置き、国内に引きこもる閉じた国となったのです。
3、再び、世界の良識=国際人権との緊張関係が問われた時代
しかし、福島原発事故は21世紀の黒船として閉じた国=日本社会を震撼しました。日本の法体系は原発事故を想定しておらず、備えがなかったからです。つまり原発事故の救済について、日本の法体系は法の穴(法律用語で欠缺〔けんけつ〕)状態にあった。最初、それに最もうろたえたのは日本政府でした。福島県の子どもたちの集団避難が現実の問題となっていたからです。彼らはそれを阻止するために日本の法体系を血眼になって探したけれど、原災法も含めて使える法律が見つからなかった。そこで、苦肉の策として世界に出るしかなく、ICRPのお見舞い勧告を使って、文科省の20mSv通知を出した。この時、日本政府は、日本の法体系が「法の穴」状態にあり、その穴埋めを彼らが望む国際ルールとの関係の中でするほかないことを強烈に意識したのです。その次に、この難問に直面したのが文科省の20mSv通知に抵抗して、福島県の子どもたちの集団避難を求めた「ふくしま集団疎開裁判」でした。原告らもまた、日本政府と同様、日本の法体系の中に「彼らの集団避難」を裏付ける法律を見つけることが出来なかったからです。避難の権利を明文化したチェルノブイリ法があったけれども、条約ではないため、裁判の規範として使えなかった。3番目にこの難問に直面したのがこの裁判でした。ここでもまた、原告らは日本の法体系の中に「福島県の子どもたちが被ばくしないで教育を受けること」を裏付ける法律を見つけることが出来なかった。そこで手探りの中、無意識のうちに復活したのが社会生活の現実を踏まえて「生きた法」を発見するという百年前の「自由法論」だった。つまり、低線量内部被ばくの放射能による健康被害という現実を踏まえて、「生きた法」を再構成していったら、原告らの主張が認められるのは当然であるという論法でした。同時に、「法の穴」を埋める具体的な法理として、民間団体のICRPのお見舞い勧告ではなく、法律の上位規範である国際人権法として自己決定権と健康への権利が用いられるべきであったことは「法の欠缺――法律の危機――」で述べた通りです。
0 件のコメント:
コメントを投稿