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2024年6月30日日曜日

【第151話】本日、スマホ対応、まつもと子ども留学HPが全面リニューアル(2024.6.29)。

本日、スマホ対応、まつもと子ども留学HPが全面リニューアルした。


そして、ただいま、2つの夏保養プロジェクトの募集受付中。
関心のある方は気軽にご連絡、そしてお申込み下さい。
(メール hashi22jan@gmail.com  電話  090-3757-1998(橋本))

7/26~30 夏休み親子キャンプ

 8/5~8 夏休み親子保養


2024年6月24日月曜日

【第150話】今を生きるとは311後の日本社会を生きることーー住まいの権利裁判の原告準備書面14について井戸弁護士に聞くーー

 2024年5月27日、東京地裁1階103号大法廷で、住まいの権利裁判の原告準備書面14が提出され、その要旨が陳述された。

以下の動画は、その要旨を読み上げた住まいの権利裁判の原告弁護団長の井戸謙一さんにこの書面についてその肝や楽屋裏を聞いたもの(聞き手は同弁護団の柳原敏夫)。

 なお、原告準備書面14の全文はこちら。  

また、法廷で井戸弁護士が陳述した要旨はこちら

   

以下はインタビューの冒頭部分。 


柳原:私にとって、今を生きるとは311後の日本社会を生きる、ということです。 福島原発事故は、戦争を除いて日本史上かつてない大惨事・カタストロフィだった。しかし、本当の惨事はそのあとやってきたと思う。311後に日本社会はかつてない変動の中にほおり込まれた。だから、2024年という今を生きるというのは、311後の日本社会を生きることです。福島原発事故をどんなに忘れたいと思っても、現実の私たちは311後に起きた異常事態の構造の中にがっちり組み込まれているからです。 そのことを多くの人が漠然と感じていると思いますが、今回、311後に起きた異常事態の構造をトータルにまとめたのが今、私が手にしている避難者の住まいの権利裁判の原告準備書面(14)です。 今日はこれを書いた弁護団の井戸さんに、この書面についていろいろお尋ねします。井戸さん、よろしくお願いします。 

井戸:よろしくお願いします。 

柳原:最初に、なぜこんな、今まで誰も書いたことがないような書面を書こうと思ったのですか?

2024年6月14日金曜日

【第149話】1987年6月の韓国民主化闘争で手に入れた「白い紙」を日本でも、と願って書かれた、注文の多いブックレット「わたしたちは見ているーー原発事故の落とし前のつけ方をーー」の自己書評3

ひとりのソウル大学生朴鍾哲の拷問死という重大な人権侵害が発端となって起きた、1987年6月の韓国民主化闘争。そこで手に入れた「白い紙」()、それは37年後の私たちが手に入れようとするチェルノブイリ法日本版と似ている。なぜなら、日本版は、311後の暗黒の日本社会に対して一歩前に出る運動の挑戦だから。

しかも、歴史は韓国民主化闘争からその後37年間の歩みを経験していて、その経験から37年前に手に入れた「白い紙」にその後、何がどのように刻み込まれたか、知っている。

チェルノブイリ法日本版もまた、 韓国民主化闘争で手に入れた「白い紙」のように、原発事故の救済の仕組みの最初の一歩にすぎない。

その白い紙に実際に何が書き込まれるか、それはそのあとの私たちの努力次第だ。その努力のことで思うのは韓国民主化闘争後の37年間の歴史の訓え、つまり韓国民主化闘争の未来は韓国民主化闘争の起源にあること。ここから学べば、韓国民主化闘争の起源である「ひとりのソウル大学生朴鍾哲の拷問死への抵抗運動」が示す通り、白い紙に何が書き込まれるべきかは「民主化の前進」というより、「人権の前進」で決まる。つまり「人権侵害への抵抗」を通じて「人権の回復・実現」に向けて一歩、また一歩、前に進むかどうかで決まる。それが韓国民主化闘争後の37年間の歩みの教訓でもあり、それが人権の永久革命である。
韓国民主化闘争で手に入れた「白い紙」の意味は、日本版の運動のビジョンを深く示唆してくれる(この投稿、未完。続く)。

 *****************

 白い紙

大切な一枚の白い紙を手に入れました。

苦痛を受けた者は苦痛が去ることを願い、
眠る場所さえない者は安らげる場所を求め、
差別を受けた者は平等な扱いを‥‥、

みんながそれぞれの夢を託していたけれど、

私たちが得たものは、まだ何も描かれていない、ただ一枚の白い紙でした。

乱暴に扱えばしわくちゃなゴミになってしまうし、
少し目を離しているあいだに、
誰かに落書きされてしまうかも知れない

でも
それがなくては夢見ることもできない、
破れやすいけれど大切な、

そんな白い紙なのです。

1987年6月の韓国民主化闘争を描いた漫画「沸点」 ラストより

                        作者 チェ ギュソク
                        訳者  加藤直樹
                        監訳 クォン ヨンソク

                        出版社 ころから

【第148話】「大地に緑を 壁に表現を 真空にチェルノブイリ法日本版を」を願って書かれた、注文の多いブックレット「わたしたちは見ているーー原発事故の落とし前のつけ方をーー」の自己書評2

職員室の前で職員会議の結果を待つ生徒たち
           小森陽一さんと退学問題を話し合う集会 

今から27年前、当時、日本で一番遊ぶと言われた、埼玉県飯能市の奥のとある私立の中高等学校で、校内暴力に端を発した大量退学問題が起きた。それは当人たちとその家族だけでなく、学校の生徒全体と親たちを巻き込んだ、未曾有の大事件となった。たまたま息子がその学校に通っていたせいで私も巻き込まれ、そのうち週の大半をその学校で過ごす羽目になった。

その中で、この退学問題の起源について語られていた生徒の同人誌を知り、その鋭い指摘に感銘をうけた。それが「大地に緑を 壁に表現を」という次の詩だった。そこに盛り込まれた思想は、27年後、原発事故の救済について、「真空」状態になっている日本の法体系に「表現を」と願って刻み込まれたチェルノブイリ法日本版の思想と一致する。例えば、この詩のラストはこう置き換えられる。

もう一度繰り返すけれど、原発事故の救済に関する法律がただカラッポであることが、なぜそんなに重要なのだろうか?いったい誰がどういう権限のもとに、なんの権利があって、僕たちの命と健康への願いを殺し、僕たちの生きる可能性を押し消そうとするのか?

 原発事故の救済に関する法律はただカラッポであることが、もし重要であるのなら、そのわけを教えてほしい。

今思うに、当時のこの学校の高校生たちは、チェルノブイリ法日本版を推進する市民立法の力を蓄えていた若者たちだった。彼らこそ、なによりもまず自己決定の重要性を全身で理解していた者たちだったから。だから、これは自己決定に捧げられた詩だ。

    ********************* 

           大地に緑を 壁に表現を 
 昨日悲しい話を聞いた。
 高2の生徒が学校の校舎の壁に自分のやっているバンドのメッセージを貼ったところ、先生の手で勝手にはがされてしまったという。何度貼ってもそのたびに、次の日には根こそぎはがされてしまうそうだ。
 でも別に、彼女のビラが嫌がらせに貼っているわけじゃない。事実、掲示板に貼ってあるビラはそのまま残っている。
 彼女の書いたビラは、掲示板以外の場所に貼られたゆえに剥がされてしまった。
 でも、彼女は、掲示板に押し込められた画一的な表現に飽きたらなかった。もっといろんな場所で彼女のメッセージをみんなに伝えたかった。でも、自由の森という場所ではそういうことが許されないらしい。

 そこにある壁がただ白くあることがそんなに大切なのだろうか?

 白い壁を大地にたとえれば、そこに自然に種が運ばれ、芽吹き、草が生い茂るごとく、壁に表現がうまれ、広がってゆくのは当たり前ではないか。1枚のビラから生まれた出会いが、その人の人生まで変えることだってある。目の前にあるビラをただ機械的に剥がす前に、その1枚のビラから広がるかもしれない人々の輪を想像することのほうがどんなに楽しくて意義のあることだろう。

 大地に除草剤をまくごとく、白い壁に芽吹いたささやかな表現を殺してしまえば、命を失った大地のごとく、壁も死んでしまうだろう。死んでしまった砂漠は美しくあるけれど、何も生み出さない。

 自由の森の先生たちは、確かに素晴らしい理想を持っているけれど、自分の足下である学校から、雑多な可能性がつみとられていく現状ではその言葉もうつろにしか響かない。自由の森は、製品を作る工場ではない。誰かの夢のなかの箱庭ではない。

 もう一度繰り返すけれど、そこにある壁がただ白くあることが、なぜそんなに重要なのだろうか?いったい誰がどういう権限のもとに、なんの権利があって、僕たちの表現を殺し、僕たちの可能性を押し消そうとするのか?

 壁はただ白くあることが、もし重要であるのなら、そのわけを教えてほしい。」

                                                                                                                                                                                                       (H・S「水曜日」88年12月)

 

 

2024年6月12日水曜日

【第147話】「頭の中がグジャグジャになって欲しい」と願って書かれた、注文の多いブックレット「わたしたちは見ているーー原発事故の落とし前のつけ方をーー」の自己書評

 注文の多いブックレットの自己書評と読者へのメッセージと紹介動画

自己書評 

私にとって、今を生きるとは311後の日本社会を生きる、ということです。
そして、
私たちの市民運動は法治国家が放置国家に転落した日本社会のゴミ屋敷人権屋敷に再建するために、一歩前に出る運動です。

福島原発事故は、戦争を除いて日本史上かつてない大惨事・カタストロフィだった。しかし、本当の惨事はそのあとやってきたと思う。311まで福島原発事故級の放射能災害を想定していなかった日本政府も日本の法律も全く備えがなかった(全面的な「法の穴」状態にあった)。半世紀前だったら、未曾有の公害の危機にあった日本は公害国会で矢継ぎ早に抜本的な公害対策法を制定して「法の穴埋め」をやって法治国家を回復した。けれど、それから半世紀たった311後、原発事故の救済に関して政府は法の穴埋めをやろうとしない。いわばブラックホールをネグレクトする態度に陥った。これはゴミ屋敷に住む人々が「セルフ・ネグレクト」に陥っているのと同じで、人権秩序は無法地帯となり、法治国家は放置国家に転落した。この意味で、311後に日本社会はかつてない激震の中にほおり込まれた。

だから、2024年という今を生きるというのは、311後の日本社会を生きることです。福島原発事故をどんなに忘れたいと思っても、現実の私たちは311後に起きた異常事態の構造の中にがっちり組み込まれている。
多くの人が漠然と
そのことを感じていると思う。今回、そのことをストレートに書いたのが注文の多いブックレット「わたしたちは見ているーー原発事故の落とし前のつけ方をーー」。

この本は注文の多いブックレットですので、どうかそこはご承知ください。
まず、311後の日本社会に絶望せず、普通に生きられると思っている読者は大歓迎です。そのような人にこのブックレットを読み「頭の中がグジャグジャになって欲しい」と願って書かれたものだからです。

他方で、311で未曾有の天災と人災に見舞われたのに何事もなかったような面をする日本社会に絶望している読者も大歓迎です。ことに、そうした絶望の中から見せかけとはちがう、真の復興を発見したいという気持ちを心の底で抱き続ける人は。このブックレットはそういう人に向けて、「一歩前に出る」ための準備を呼びかけて書かれたものだからです。

311後にかつてない人権無秩序のブラックホールの中にほおり込まれた日本社会は「セルフ・ネグレクト」に陥っていて、日本をゴミ屋敷に放置している。

チェルノブイリ法日本版はこのブラックホールを人権秩序で穴埋めしようとするものです。私たちの市民運動は日本版の制定によって原発事故の救済に関してゴミ屋敷のままに放置されている日本社会を、命、健康、暮しが守られ、人が安心して住める人権屋敷に再建するために、一歩前に出る運動です。

まとめ、
私たちの市民運動は法治国家が放置国家に転落した日本社会のゴミ屋敷人権屋敷に再建するために、一歩前に出る運動です。

読者へのメッセージ「人権の発見」

このブックレットは「人権」がキーワードになっています。ただ、最初はそうではなくて、正直なところ、人権というと何か立派なお題目を唱える感じがして、道徳や倫理を説くみたいで、何とも気持ちが悪く、嫌でした。でも、或る時点で思ってもみなかった変化が起きました。人権をそれまでとはちがった風に捉え直せるんじゃないかと気づいたからです。現実の耐え難い、反吐が出るような悪事、その闇や暗黒の世界に対して、そのような理不尽、不条理を自分はどうしても受け入れることができないんだという思いが心の底から沸き上がってきた時、その叫びが人権だと思うようになったのです。これが私にとって「人権の発見」の瞬間でした。

それなら、理不尽を受け入れられない、服従できないという思いを誰よりも抱いているのは子どもたちではないか。それがこのブックレットの「わたしたちは見ている」というタイトルです。それは「わたしたちは絶望している」けれど、「その絶望に絶対、甘んじない」という叫びです。それが表紙のイラストです。この絵は「人権の誕生」の瞬間を描いたものではないかと思うようになりました。

この子どもたちの叫びは理不尽な世界を作り出した大人たちに向けられています。それは第1にこの政治や経済を牛耳っている権力者たちです。けれど、それだけではない。この理不尽な世界を直そうとする市民運動にも向けられています。市民運動はなぜかくも分断され、行き詰っているのか。それは子どもたちを絶望させるだけの十分な理由があるからです。けれど、子どもたちはただ絶望しない、その先をじっと見ている。彼らには未来しかないのだから。だから、理不尽な日本社会にも、分断され行き詰っている市民運動にも甘んじるわけにはいかない。

「理不尽、不条理を自分はどうしても受け入れることができないんだ」という、子どもたちのこの叫び、それが「人権の誕生」の瞬間であり、これが私にこのブックレットを書かせました。

とはいえ、人権は特効薬ではありません。すべての人に人権を認めようとすれば、今度は全ての人たちの間に人権をめぐる衝突が発生することは避けられないからです。しかし、その衝突を調整するために、そこで、従来からの政治の論理(その本質は人々と敵と味方に仕訳し、敵を追い込んで自分たちの主張に有無を言わせず従わせるもの)を使うのではなく、人権の論理を導入することがとても重要だと思っています。人権の論理は人権同士の衝突を、すべての人の人権が最大限尊重されるように、出来る限り平等の原則に従って対話と譲り合いでもって衝突の調整を目指すものだからです。2つの、一見たいしてちがわないように見える衝突の解決方法を政治の論理から人権の論理に意識的にシフトすることによって、市民運動は分断と行き詰まりから間違いなく一歩前に出ることができるとひそかに確信するようになりました。それを具体化したのがチェルノブイリ法日本版であり、そのことをこのブックレットの中に書き込みました。

 311後の暗黒の日本社会と市民運動に対して一歩前に出る運動への挑戦の書として、このブックレットを手にとって頂けたら幸いです。

 

              2024年 6月 吉日

紹介動画>こちら

本編(9分)


番外編(3分)

 


2024年6月6日木曜日

【第146話】5月25日出版のブックレット「わたしたちは見ているーー原発事故の落とし前のつけ方をーー」の紹介動画

 先月5月25日に新曜社(>HP)から発売されたブックレット「わたしたちは見ているーー原発事故の落とし前のつけ方をーー」のさわりについて、2人の編集者が語る動画が出来た。

本編(9分)→文字起しの文は末尾に。


番外編(3分)→文字起しの文は末尾に。

動画収録の直前になって、急にこれも入れたいと言いだしたもので、番外編として収録。

 

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柳原:皆さん、こんにちは。「市民が育てるチェルノブイリ法日本版の会」の協同代表の柳原です。このたび、今画面に出ているブックレットを、私と協同代表の小川さんとで、編集して、「わたしたちは見ている:原発事故の落とし前のつけ方を」というタイトルで、新曜社という出版社から5月25日に発売となりました。漫画家のちばてつやさんから表紙のイラストを寄せていただきました。まずは、小川さんの方から、このブックレットのについて、少し話して下さい。

小川:皆さん、こんにちは。「市民が育てるチェルノブイリ法日本版の会」の小川晃弘です。このブックレットの肝ですか。それは、このブックレットは、原発事故の問題について、新しい解き方を提示したことだと思います。私たちの会で、ここ数年、メーリングリストや学習会などで、ずっと議論を重ねてきて、たどり着いた一つの結論です。

これまで、原発をめぐる話は、原発を推進するのか、原発に反対するのか。敵と味方に分かれて正当性を問う政治運動の話でした。そんなふうに、対立して、分断して、争い続けるのはやめよう。原発が存在する限り、原発事故が起きる。事故が起きたら、その被害・影響は、原発推進・原発反対に関係なく、皆に等しく襲いかかります。ですから、対立の関係で捉えるのはなく、「人権」の問題として考えようという提案です。

「人権」というと、何か難しくて、抽象的な感じがするかもしれないですが、このブックレットでは、「人権」を、「自分の命を守る権利」、そして、「他の人の命も等しく守る権利」と、分かりやすく定義しています。

 

柳原:ただ、最初はちょっとちがったと思います。私は最初、人権というと何か立派なお題目を唱える感じがして、道徳や倫理を説くみたいで、何とも気持ちが悪く、正直、嫌でした。でも、或る時点で思ってもみなかった変化が起きたのです。それは、人権をそれまでとはちがった風に捉え直せるんじゃないかと気がついたからです。現実の耐え難い、反吐が出るような悪事、その闇や暗黒の世界に対して、そのような理不尽、不条理を自分はどうしても受け入れることができないんだという思いが心の底から沸き上がってきた時、その叫びが人権なんだと思うようになったのです。

それなら、理不尽を受け入れられない、服従できないという思いを誰よりも抱いているのは子どもたちではないか。それがこのブックレットの「わたしたちは見ている」というタイトルです。それは「わたしたちは絶望している」けれど、「その絶望に絶対、甘んじない」という叫びです。それが表紙のイラストです。この絵は「人権の誕生」の瞬間を描いたものではないかと思うようになりました。

この子どもたちの叫びは理不尽な世界を作り出した大人たちに向けられています。それは第1にこの政治や経済を牛耳っている権力者たちです。けれど、それだけではない。この理不尽な世界を作り直そうとしている市民運動にも向けられています。市民運動はなぜこんなに分断され、行き詰っているのか。それは子どもたちを絶望させるだけの十分な理由があります。けれど、子どもたちはただ絶望しない、その先をじっと見ている。彼らには未来しかないのだから。だから、理不尽な社会にも、そして、分断され行き詰っている市民運動にも甘んじるわけにはいかない。

「理不尽、不条理を自分はどうしても受け入れることができないんだ」という、子どもたちのこの叫び、それが「人権の誕生」の瞬間です。絶望をくぐり抜けた先に子どもたちが見出したもの、それが私にこのブックレットを書かせたんだと思います。

 

小川:「人権」というと、少し構えてしまうかもしれないですが、そんなものではない。もっとリアルな私たちの生活に密着した権利のことですよね。

 

柳原:学校では「人権は人に優しくすること」だとか教えているようですが、それはちがうと思います。「理不尽にNO!と言って抗(あらが)うこと、それが人権だ」というのがアメリカ独立宣言などの人権の歴史が教えることです。ただし、放射能はその先が問題です。見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒だからです。そのため、放射能に関する差別がどんな時にどれほど理不尽なのか、「目に見える、例えば肌の色で差別するのが理不尽だ」と言うほど簡単ではありません。しかし、注意深く冷静に検討していく中で放射能の健康への影響が否定できないと判断された場合には「理不尽がゆえにどうしても受け入れることができない」と抵抗すること、これが人権の行使です。この理不尽に対する抵抗、不服従を正面から認めたのが人権です。この理(ことわり)を、放射能について認めたのがチェルノブイリ法であり、その日本版です。

 もともと平和安泰の世の中では人権は要りません。世界共和国ができれば憲法9条も不要です。人権が必要になるのは理不尽が世にあふれ、暗黒社会が到来した時です。あれだけの甚大な被害をもたらした福島原発事故を経験しながら、今なお原発事故の救済について何一つ解決されておらず、福島原発事故後の日本社会は暗黒です。それは人権が最も必要とされる社会です。

とはいっても、人権は特効薬ではありません。すべての人に人権を認めようとすれば、今度は全ての人たちの間に人権をめぐる衝突が発生することは避けられないからです。しかし、その衝突を調整するために、これまでの政治の論理(それは人々と敵と味方に仕訳し、敵を追い込んで自分たちの主張に有無を言わせず従わせる論理です)を用いるのではなく、人権の論理を導入することがとても重要です。なぜなら、人権の論理というのは人権同士の衝突を、すべての人の人権が最大限尊重されるように、出来る限り平等の原則に従って対話と譲り合いでもって衝突の調整を目指すものだからです。2つの、一見たいしてちがわないように見える衝突の解決方法を政治の論理から人権の論理に意識的にシフトすることによって、市民運動は分断と行き詰まりから間違いなく一歩前に出ることができるとひそかに確信するようになりました。それを具体化したのがチェルノブイリ法日本版であり、そのことをこのブックレットの中に書き込みました。

 

小川:このブックレットには、本会の会員ほか、小出裕章さんや牛山元美さんにも、原稿を寄せていただきました。自分の地元でも、チェルノブイリ法日本版」条例を作ってみたいと思われた方、ぜひ、こちらのEメールまでご連絡ください。

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番外編

柳原:スミマセン、あと1つ言わせて下さい。一昨日、ブックレットを読んだ知り合いからこう言われました「民主主義の機能不全が言われて久しいけれど、それは個々の政治家のせいではないと思う。そもそも多数者による支配というデモクラシーのシステムそのものに原因がある。民主主義のシステムそのものを見直す必要がある。そのとき、キーワードになるのが人権。どんなに多数でも決しておかすことが許されない限界、それが人権だから。だから、今、必要なのは民主主義の永久革命ではなく、人権の永久革命だ、と。

全く同感です。そして、民主主義の機能不全は市民運動の機能不全も含んでいます。人権を基本原理として市民運動を再建することで、市民運動は一歩前に出ることができる。それを実行しようというのがチェルノブイリ法日本版の運動です。

 そして、スミマセン最後にもう1つだけ、言わせて下さい。福島原発事故まで、日本の法律の体系は福島原発事故級の放射能災害を実際には想定していなかった。だから、原発事故の救済に関して、法の備えが全くなかった。いわば、巨大なブラックホールみたいな状態でした。実はこれと似た事態が半世紀前に発生しました。当時、日本は深刻な公害が発生し、市民運動の正しい圧力で政府を猛反省させ、1970年の公害国会で矢継ぎ早に抜本的な公害対策法を制定して法の穴埋めをやりました。しかし、それから半世紀たった311後、原発事故の救済に関して政府は法の穴埋めをやろうとしない。いわばブラックホールをネグレクトするという態度に陥った。これはゴミ屋敷に住む人々が「セルフ・ネグレクト」に陥っているのと同じです。日本政府も原発事故の救済に関して「セルフ・ネグレクト」に陥って、日本をゴミ屋敷にして放置しているのです。それによる最大の被害者は子どもたちです。未来しかなく、「セルフ・ネグレクト」とは正反対の自己決定(セルフ・デタミネーション)をしたくてしょうがない子どもたちです。チェルノブイリ法日本版はこのブラックホールを人権秩序で穴埋めしようとするものです。私たちの市民運動は日本版の制定によって原発事故の救済に関してゴミ屋敷のままに放置されている日本社会を、命、健康、暮しが守られ、人が安心して住める人権屋敷に再建するために、一歩前に出る運動です。



【第145話】5月25日にブックレット「わたしたちは見ているーー原発事故の落とし前のつけ方をーー」の出版

4月27日のチェルノブイリ法日本版の会の総会で報告されたとおり(>総会報告)、市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会のメンバー2人が編集したブックレット「わたしたちは見ているーー原発事故の落とし前のつけ方をーー」(以下が表紙)が5月25日に新曜社(>HP)から発売された。
 

今年4月、育てる会設立7年目を迎えた「日本版の会」の振り返りと未来への展望が詰まった書籍です。
 

以下、編集者のコメント(つぶやき)とブックレットの目次(一部、立ち読み可)を載せました。

このブックレットは、一方で、311で未曾有の天災と人災に見舞われた日本社会、その中から見せかけとはちがう、真の復興を発見したいと願っている人に向けて書かれたものです。
他方で、311後の日本社会で普通に生きられると思っている人に、これを読み「頭の中がグジャグジャになって」欲しいと思って書かれたものです。
 

そのような願いを抱いている方や「頭の中がグジャグジャになること」を恐れない方が一度手にとって頂けたら幸いです(以下の目次の一部で立ち読みできます)。

なお、ブックレットに書かれた内容は各執筆者自身の判断と責任で書かれたもので、「日本版の会」の公式見解ではありません。

新曜社のホームページ:ブックレットの紹介


ブックレットのチラシをダウンロード

 ◆編集者のつぶやき

 最初、私はブックレット編集に乗り気でなかった。311後の日本社会ーーそれは見えない暗黒社会ーーという壁に負け犬の遠吠えをしているだけとしか思えなかったから。しかしいざ始めてみると、思っても見ない事態に遭遇しました。311後の見えない暗黒の日本社会に風穴を開ける光が見えてきたからです。一言でそれは「市民運動の脱政治」、そして「政治運動から人権運動へのシフト」、そしてそれは「民主主義の永久革命」の民主主義から政治をいわば色抜きし削ぎ落とした「人権の永久革命」。


他方で、日本では人権が根付かないという積年の課題があることも承知していました。だから、このブックレットは「認識において、悲観主義」で書かれています。だが、私たちはその認識にとどまらない。そこから実行に踏み出す、「意志において、楽観主義」として、今回のブックレット編集という実践で「一寸先は闇」の経験をして、その闇の中から光と出会ったように。
 

そして、ささやかでもこの楽観主義の勝利を経験できたのは、ひとえに同じ編集者の小川晃弘さんのおかげです、そして、1年前、不幸にして先立った、私と同学年で私にとっての朋輩、坂本龍一の見えない激励のおかげです(>坂本龍一 その可能性の中心)。

その意味で、このブックレットは市民が自分たちの命、健康、暮しを誰かの手に委ねるのではなく、自分自身の手で統治するという「市民の自己統治」=自己実現(とりもなおさずそれが自己決定=人権の実現)、その可能性の中心を追求した書物です。それが「政治運動から人権運動へのシフト」「人権の永久革命」という意味です。                                                                (2024.5.2.柳原敏夫)                                                                  

 

 このブックレットは、 ここ数年間の本会正会員のメーリングリストや学習会での議論を編集して作成しました。中心となるメッセージは、原発事故の問題について、新しい解き方を提示したことだと思います。原発を推進する、原発に反対する、そんな二項対立を超えて、原発事故へのアプローチを、「人権」をキーワードに考えることを提案しています。「人権」というと、難しく考えてしまうかもしれませんが、このブックレットでは、「自分の命を守る権利」、そして「他の人の命も等しく守る権利」と、分かりやすく定義しています。新しい解法に興味のある方、このブックレットをぜひ手に取ってみてくだい。

                                     (2024.5.29 小川晃弘


目次 

はじめに

生き直す-原発事故後の社会を生き直す-             柳原 敏夫

コラム 一般市民が法令の定めを超えて被曝させられる謂れはない  小出 裕章


第1章:なぜ「チェルノブイリ法日本版」が必要なのでしょうか

「チェルノブイリ法」とは?

なぜ「日本版」が必要だと考えるのでしょうか

万が一の際、すべての人を救う救済法を作りたい

憲法9条と「チェルノブイリ法」

「チェルノブイリ法日本版」制定の目的は人権保障

コラム 「チェルノブイリ法日本版」を作っていきませんか?     わかな


第2章:「人権」を取り戻すための「チェルノブイリ法日本版」

放射能災害に対する対策は311前も後も完全に「ノールール」状態

被災者の「人権」を法に定めると国家に責任と義務が生じる

「人権」は一瞬たりとも途切れることがない

国際人権法・社会権規約を直接適用する

国際人権法にある「人民の自決の権利」

国際人権法が311後の日本社会を変える

コラム   ぼくが「チェルノブイリ法日本版」を希う理由      柴原 洋一 


第3章:私たちのビジョンー「チェルノブイリ法日本版」は日本社会に何をもたらすのか

理不尽に屈しない

自分のいのちの主人公になる

まず「逃げる」こと

<実践への手引き> 「市民放射能測定システム」の立ち上げ    大庭    有二

<実践への手引き> 安定ヨウ素剤を備えること            牛山    元美

市民参加型の公共事業を創設する

コラム 「チェルノブイリ法日本版」がないための苦しみ     遠藤   のぶ子


第4章:どう実現させるのかー市民立法を目指す

新しい酒(「チェルノブイリ法日本版」)は新しい革袋(市民立法)に盛れ

<実践への手引き>  署名を集める                               酒田   雅人

「市民が育てる『チェルノブイリ法日本版』の会」の結成

<実践への手引き> 仲間を見つける                              岡田   俊子

東京・杉並で始まった水爆禁止署名運動に学ぶ

「情報公開法」制定の経験に学ぶ

ICANの経験に学ぶ

「生ける法」―市民立法のエッセンス

コラム 希望として「チェルノブイリ法日本版」                         小川  晃弘

第5章:「命を守る未来の話」―ティティラットさんに聞く

あとがき                                           柳原  敏夫

「チェルノブイリ法日本版」条例案サンプル

編集にあたり

【第171話】最高裁にツバを吐かず、花を盛った避難者追出し裁判12.18最高裁要請行動&追加提出した上告の補充書と上告人らのメッセージ、ブックレット「わたしたちは見ている」(24.12.20)

1、これまでの経緯 2011年に福島県の強制避難区域外から東京東雲の国家公務員宿舎に避難した自主避難者ーーその人たちは国際法上「国内避難民」と呼ばれるーーに対して、2020年3月、福島県は彼らに提供した宿舎から出て行けと明渡しを求める裁判を起こした。通称、避難者追出し訴訟。 それ...