巷では、今また、福島の小児甲状腺がんと原発事故の被ばくとの関連性はない、甲状腺検査はやらなくていいといった話題が吹き荒れている。他方で、 昨年の日本学術会議の会員候補者6名を政府が理由も示さず任命拒否した人権侵害事件に象徴されるように、今日、学問の自由が事実上奪われ、研究者は隠れキリシタンに身分を陥れられている。上の問題に対しても、異論を表明できない。その結果、我々市民は何が正しいのか、2つの異なる見解を見比べて自ら検証する道すら奪われ、科学的知見を選択する権利を奪われている(科学的知見をめぐり独裁体制に置かれている)。
そこで、必ずしも一般市民にとって読みやすい文章ではないが、甲状腺検査の最大の茶番劇(※)ともいうべき経過観察問題と、 甲状腺がんと被ばくとの関連性を否定した福島県県民検討委員会の報告書について、子ども脱被ばく裁判で、昨年(2020年7月1日)に提出した最終準備書面の中から、該当部分を以下に引用する(ただし、以下の見出しに振られた番号は最終準備書面のそれとちがっている)。
(※) これがなぜ最大の茶番激かというと、甲状腺検査の二次検査で「経過観察」とされ、甲状腺がん発症の確率が最も高いグループの子どもは、2020年3月現在で最大で4,957人いるにもかかわらず、その中から発症した症例数を福島県は「調査(把握)していない」と称して、その人数を報告しない。その一方で、福島県は、把握し公表した症例の数だけから、被ばくとの関連性は否定するといった曲芸を大真面目に演じてみせた。裸の王様を笑う子どもの21世紀版である。しかし、これは世界の常識である国際人権法からみたら、甚大な健康被害の原因が福島原発事故の放射能にあることを隠蔽し、被害者の救済を放置することは、「その他の同様の性質を有する非人道的な行為であって、身体又は心身の健康に対して故意に重い苦痛を与え、又は重大な傷害を加えるもの」すなわち「人道に対する罪」に該当する犯罪行為である(「人道に対する罪」の詳細は->こちらの末尾◎参考)。
経過観察問題の顛末の詳細は->こちら
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第2部 国家賠償訴訟
1、経過観察中に発症した症例数の隠蔽問題
(1)、経過観察問題
いわゆる経過観察問題とは、県民健康調査の甲状腺検査の二次検査で「経過観察」とされた最大で4,957人(2020年3月現在)の子どもの中から、その後「悪性ないし悪性疑い」が発見されても被告県がその症例数を公表しないという情報隠蔽問題のことを言う。
(2)、経過観察問題と請求原因事実との関連性
国賠訴訟の原告らは、子どもたちに安定ヨウ素剤を服用させる機会を与えられることもなく、被告国や被告県の無為無策によって無用な被ばくをさせられてしまったことに心を痛めている。無用な被ばくによる健康影響は決して小児甲状腺がんに限られるものではないが、小児甲状腺がんがチェルノブイリ事故で被ばくによる住民の健康被害として認められた病気であることを踏まえれば、
福島県において「被ばくを原因とする小児甲状腺がんが発症しているか否か」は、その精神的苦痛に客観的根拠があるか否かを判断する上で極めて重要なメルクマールである。被ばくを原因とする小児甲状腺がんの発症が否定できるのであれば、原告らの精神的苦痛はひとまず杞憂であったと考えることができるかもしれないが、これが否定できないのであれば、自分の子どもが小児甲状腺がんその他被ばくを原因とする様々な疾患にり患するかもしれないという精神的苦痛を抱いていることについて、具体的な根拠があることになる。したがって、本件症例数は、本件国賠訴訟において、極めて重要な事実である。
ところが、経過観察中に発症した症例数が国民の前に公表されないため、本件症例数の正確な数が未公表のままであり、この点が「被ばくを原因とする小児甲状腺がんが発症しているか否か」の判断に重大な影響を及ぼしている。
(3)、問題の所在
経過観察問題について、被告県は「経過観察中に発症した症例数は把握していない」の一点張りである。だが、それは「コロナ災害の感染者数を把握していない」と言うにひとしい暴言である。被告県はいったい何を根拠に「経過観察中に発症した症例数」を把握する義務がないというのか、原告が詳細に、「被告県には経過観察中に発症した症例数を把握する義務がある」ことを主張立証したにもかかわらず、被告県は「その根拠を示す必要はない」として、本訴訟の最後まで、自身に義務がないことの根拠を黙したまま明らかにしなかった。
しかし、この不誠実・不可解な沈黙は、むしろ被告県に「経過観察中に発症した症例数はどんなことがあっても明らかに出来ない」というやむにやまれない事情が存在することを強力に推認させるものである。
もし福島原発事故による被ばくと小児甲状腺がんの関連性について真に確信があれば、被告県は、堂々と「経過観察中に発症した症例数」も含めた真実の本件症例数を公表し、それに基づいて疫学をはじめとする解析を行えばよい。しかし、現実にはそれをせず、わざわざ「経過観察中に発症した症例数」を抜いた不正確な公表症例数に基づいてこれらの解析を行っている。このような不正確であることが明々白々の症例数に基づいて行われる様々な解析は真っ当な検討に値しない空理空論であり、その結論を引き出すために行った作為的な操作と疑われても仕方ない。問題は、このような場合、被告県にはいかなる義務が発生するのか。そして、被告県が当該義務を履行しない場合、この義務違反に対しいかなる訴訟法上の効果を付与すべきかである。以下、順次、検討する。
(4)、被告県には「経過観察中に発症した症例数」を把握する義務がある
2017年8月8日、原告から「被告県は『経過観察中に発症した症例数』を把握する義務があると考えているのか」という問いに対し、被告県は「被告県に当該症例数を把握する義務はない」と回答した。
しかし、被告県に「経過観察中に発症した症例数」を把握する義務と公開する義務があることは、実体法上も訴訟法上からも明らかであることは原告原告準備書面(52)で詳述した通りであるが、今、その要点を再掲すると以下の通りである。
新型コロナ感染症の流行により一躍有名になった感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律〔以下、感染症法と略称〕は、国民の健康に重大な影響を及ぼす疾病である感染症について、行政機関(国と地方公共団体)に検査の実施と一定の情報の作成(収集及び分析)と公開を義務付けている(感染症法14条の2。同16条1項)。これに対し、福島原発事故まで、法はチェルノブイリ級の原発事故を想定しておらず、原発事故の被ばくによる健康被害について検査や対策を定めた立法、つまり感染症法に匹敵する法を制定していなかった。
しかし、想定外とはいえ、ひとたび福島原発事故が発生した以上、チェルノブイリ原発事故後に放射線による健康被害として認められた疾病である小児甲状腺がんについて、感染症法が行政機関(国と地方公共団体)に義務付けている検査の実施や情報の収集、分析及び公開と同等の義務を行政機関に負わせると解するのが信義誠実の原則に照らし当然かつ相当である。
従って、その後に被告県が排他的、独占的に甲状腺検査の実施主体と決定された以上、行政機関として被告県が甲状腺検査結果について情報の収集、分析及び公開の義務を負うのは当然である。
ましてや、小児甲状腺がんはウクライナ、ベラルーシの政府報告書で報告されたチェルノブイリ原発事故の被ばくによる様々な健康被害の指標ともいうべき、汚染地の住民の健康問題に重大な影響を及ぼす疾病である。この点、福島原発事故を経験した福島県民にとっても他人事ではなく、それゆえ福島県民が注視せずにはおれない甲状腺検査結果について、県民の命、健康を守ることがその重大な存在理由とされる被告県にとって、甲状腺検査結果の情報の収集、分析及び公開は最も根本的かつ重大な責務である。
そこから、次のことが導かれる。
第1に、甲状腺検査の対象である子どもたちのうち何名甲状腺がんが発症したかは甲状腺検査結果の最も基本的で「被ばくの影響」の有無を判断する上で最重要の情報である。従って、排他的、独占的に甲状腺検査の実施主体となった被告県が本症例数を収集する義務を追うのは当然である。従って、本症例数を収集するために「経過観察中に発症した症例数」を把握することもまた当然の義務である。
第2に、「福島県内で発生した小児甲状腺癌の DATA 集積を行い、その分子生物学的特性を明らかにすることは、低線量被ばくの健康への影響の有無を知る上で、きわめて重要な知見となる」という立場から県立医科大学鈴木眞一教授(以下、鈴木氏という)らが行った「症例データベース及び組織バンクを一元的に管理し、小児甲状腺がんの分子生物学的特性を解明する」研究は、本来、甲状腺検査結果の分析の最も重要な1つとして被告県に課せられた義務にほかならず、研究者らの個人的、任意の研究に委ねられるべきものではないことは言うまでもない。鈴木氏らの上記研究はすべからく、被告県が果すべき上記義務の一環として、被告県の管理下に置かれるべきものである。
(5)、被告県が「経過観察中に発症した症例数を把握しない」のは上記の収集義務に違反する
ところが、被告県は2017年3月、市民団体からの指摘を受けてこれまで公表した症例数には「経過観察中に発症した症例数」は含まれていないことを初めて認めた。のみならず「経過観察中に発症した症例数は把握していない」と開き直った。
しかし、(4)で前述した通り、県民の命、健康を守ることにその存在理由を有する被告県は、根本的かつ重大な責務として甲状腺検査結果の情報の収集の義務を負い、正確な本件発症数の把握のために「経過観察中に発症した症例数」を把握する義務を負う。
しかも経過観察問題が発覚して3ヵ月後の2017年6月の第27回検討委員会の席上、「追跡が困難である」という被告県の説明に対し、委員からも次の通り、厳しい批判が相ついだ。
「清水一雄委員
‥‥これからもっと増えると思いますね。転出する人はたくさんいるわけで、その中で検査しているうち、がんが見つかったという患者さんを把握できなかった場合に、発症した患者さんのがんの数をここで議論していても、ちゃんとした根拠のもとに議論ができなくなってしまうと。対応もどういうふうにしていいかということがわからなくなってしまって、いろいろなことが、問題が生じます。
‥‥もっともっとこれからわからないことが増えていくのではないかと思うんですね。せっかく福島県のために、不安の解消を目的とした「県民健康調査」検討委員会であるにもかかわらず、事実を知らないと何のためにやっているかわからないと僕は思うわけです。」(甲C151。43頁2行目以下)
「津金昌一郎 委員
‥‥おそらく福島県立医大の先生たちはこの症例(原告代理人注:経過観察中に甲状腺がんが発見された症例)を除外して論文は書かないと思うんですね。とても国際的、科学的な論文として受理されるとは、そこを抜かしてそんな論文は書けないと思うので、当然そこは把握するんだと思います。それは当然、我々とも共有していただきたいというふうには思います。」(同上43頁下から9行目以下)
「梅田珠実委員
私も津金先生がおっしゃっていることと同意見です。この保険診療の方に行ってしまうと、何かあたかも別ルートのようで、がんを発症しても全く把握されないというような、何か漏れがあるかのように思われるというのは、県民健康調査に携わっている先生方、とても一生懸命やっておられると思うので、そういうふうに思われるというのは、それに対してきちんと説明をしていないとすればゆゆしき事態じゃないかと。つまり、この県民健康調査の信頼性というか、県民の健康を見守っていくという目的からしても、信頼を得て、また受診率を、きちんと受診していただくということもありますし、また手術症例のデータがフィードバックされて、この県民健康調査のより質の向上ということにも役立っていくかと思いますので、機会を捉えて手術症例を統計として求めて報告していただくというのが重要だと思います‥‥」(同上44頁3行目以下)
従って、被告県の「経過観察中に発症した症例数は把握していない」とは、己に課せられた甲状腺検査結果について情報の収集及び公開という前記義務に違反し、福島原発事故後の小児甲状腺がん発症を憂慮する県民の不安の声に耳を背ける背信的行為というほかない。
(6)、本訴訟の審理で判明した事実
ところで、本訴訟の証拠調べの結果、被告県は実際には「経過観察中に発症した症例数」を把握していることが明らかとなった。把握していながら、これを把握する義務はないという主張を盾にして、この情報を隠蔽し公開してこなかったのである。その理由は以下に述べる通りである。
第1に、2013年12月にスタートした鈴木氏を研究責任者とした研究プロジェクト(以下、本研究プロジェクトという)の中で、18歳以下の甲状腺癌患者の手術・治療情報である「腫瘍径、年齢、リンパ節転移の有無、病理組織学的所見などの情報を一元的に管理する症例データベース(以下、本症例データベースという)を構築することが研究計画書に記載され、研究報告書に実際に構築されたことが報告されており、被告県も鈴木氏もこの事実を否定しなかった。そして、本研究プロジェクトの目的を《我々が福島県内で発生した小児甲状腺癌の DATA 集積を行い、その分子生物学的特性を明らかにすること》と掲げ、この目的を達成する手段・方法として《手術サンプルから、得られる genomic
DNA および cDNA 等を一元的に保管・管理するシステムを構築し、情報を発信することは我々の社会的な使命と考えている》と宣言する以上、この甲状腺癌患者の手術・治療情報を一元的に管理する本症例データベースの中に「経過観察中に発症した症例数」を含むのは言うまでもない。
従って、本研究プロジェクトで判明した「経過観察中に発症した症例数」を含む症例数が鈴木氏らから本研究プロジェクトを承認した福島県立医大に報告されることは言うまでもなく、そして、被告県から甲状腺検査を委託された福島県立医大が被告県にこの基本的かつ最重要の情報を報告することも言うまでもないからである。
第2に、2015年2月2日開催の第5回「甲状腺検査評価部会」において、経過観察中に悪性の結果が出た場合、どのように扱われるのか、という委員からの質問に対し、鈴木氏は《そういう症例があれば別枠で報告になると思います。経過観察中に発見された悪性腫瘍ということになると思います。》と回答しているからである。
ちなみに、鈴木氏は本訴訟の証人尋問で、2018年の自身の論文「検診発見での甲状腺がんの取り扱い
手術の適応」で手術症例126例の特徴を詳しい紹介をするにあたって、自身は症例データベースを使わずに、「ワークシートを作って自分たちで検討しております」と証言した。10年以上前ならともかく、数年前の時点でなお症例データベースを使用していないとはにわかに信じ難いが、仮にそうだとしても、上記ワークシートの作成目的及び記載される情報の本質も基本的に症例データベースと変わらない、すなわちその作成目的は甲状腺癌患者の手術・治療情報を一元的に管理するためであり、従って、上記ワークシートにおいても「経過観察中に発症した症例」情報が記載されるのは当然であり、従って、鈴木氏自身も上記ワークシートから「「経過観察中に発症した症例数」を把握していたことが推認されるのである。
(7)、被告県の義務違反に対する訴訟法上の効果
前記(4)で述べた通り、被告県には経過観察中に発症した症例数を把握及び公開する義務があり、前記(6)で述べた通り、被告県は実際に「経過観察中に発症した症例数」を把握していながら、上記義務を履行せず、上記症例数を原告らに開示しなかった。その結果、原告らは本件症例数の正確な数に基づいて「福島原発事故による被ばくと小児甲状腺がんの関連性」について統計的に分析することが不可能となり、その分析結果に基づき、被ばくを原因とする小児甲状腺がんの発症の有無について立証することも不可能になった。そこで、問題は、上記の被告県の義務違反により原告らの立証が妨げられた場合、いかなる訴訟法上の効果が付与されるべきかである。
この点、民訴法は協力義務のある証拠調べに対し、取調べを妨害する当事者に対し、裁判所は相手方の主張を真実と認めることができる旨を定める。これれを、民訴法学者の新堂幸司は「当事者間の公平をはかることを目的としたもので、裁判所の自由心証に対する一つの制約を成すと考えられる」と「信義則による自由心証の制約」と解する。従って、「裁判所は、すでに他の証拠や弁論の全趣旨から得られた自由心証の結果に対して、信義則の適用例として、その裁量で、妨害の態様、帰責の程度、妨害された証拠の重要度等から妨害に対するサンクションを勘案して、証明ありとみるかどうかを定めるべきである」とする。その上で、「この種の当事者間の信義則による自由心証の制約はとくに法定された場合に限らず、証拠方法全般について考慮されるべきである」という。
この「信義則による自由心証の制約」という立場に従えば、本件において、被告県は排他的、独占的に甲状腺検査を実施する機関であり、従って、甲状腺検査結果について情報の収集、分析及び公開の義務を負う立場にありながら、個人情報を含まない「経過観察中に発症した症例」情報の収集は困難ではないにも関わらずこの義務を果たさなかった。なおかつ「上記症例数を把握する義務がないことの根拠を明らかにされたい」という原告らの求めにも「その根拠を示す必要はない」と最後まで説明を拒んだ。他方、原告らにとって、「被ばくを原因とする小児甲状腺がんの発症の有無」の事実は本件国賠訴訟において極めて重要な事実であるにも関わらず、「経過観察中に発症した症例」情報が開示されないため、本件症例数に基づく統計的分析が不可能となり、上記事実の立証が不可能となった。
被告県のこの徹底した非開示の態度は「経過観察中に発症した症例数の開示は被告県にとって不利益な情報だろう」という経験則が適用されることを強く推認させるものである。そして、以上の事情を総合考慮したとき、当事者間の公平という民訴法の基本原理に照らし、信義則上、「被ばくを原因とする小児甲状腺がんの発症が認められる」と事実認定するのが相当である。
2、チェルノブイリ原発事故を踏まえた対策の必要性
(1)、問題の所在
ア、SARS、MERSのウイルス災害の教訓
新型コロナウイルス感染症の世界的流行の中、日本経済新聞が韓国及び台湾政府の模範的な対策を紹介し、日本政府に警鐘を鳴らした(4月20日付日本経済新聞)。なぜ韓国及び台湾政府が模範的なのか。それは彼らが過去のSARS、MERSのウイルス災害の経験から真摯に学び、必要な対策をすばやく立て、感染拡大防止に成功したからである。この態度は福島原発事故でも同様である。日本政府もまた、福島原発事故と唯一比肩し得るチェルノブイリ原発事故の経験から真摯に学び、教訓を引き出し必要な対策を立て被害拡大防止を成し遂げたかが問われる。その最大の問題がチェルノブイリ事故で被ばくによる住民の健康被害として認められた小児甲状腺がんに対し、被告国及び県が必要な対策を取り、被害拡大防止を成し遂げたかである。
イ、チェルノブイリ原発事故の教訓
①.ポーランドの教訓
例えば事故直後の安定ヨウ素剤の服用についてどうだったか。福島原発事故前、山下氏はこう述べた。《ポーランドにも、同じように放射性降下物が降り注ぎましたが、環境モニタリングの成果を生かし、安定ヨウ素剤、すなわち、あらかじめ甲状腺を放射性ヨウ素からブロックするヨウ素をすばやく飲ませたために、その後、小児甲状腺がんの発症はゼロです》《最後に、チェルノブイリの教訓を過去のものとすることなく、「転ばぬ先の杖」としての守りの科学の重要性を普段から認識する必要がある。》。事故前のこの山下発言のように、チェルノブイリ原発事故におけるポーランドの教訓から真摯に学び、日本でも事故直後に子どもたちにすばやく安定ヨウ素剤を服用させていれば、《小児甲状腺がんの発症はゼロ》になった可能性がある。
②.チェルノブイリ原発事故による小児甲状腺がん
事故後の対応も然りである。通常、年間百万人に1~2人と言われる小児甲状腺がんは、6年間の累計で約38万人で少なくとも272人(年間100万人あたりで119人)に達した。これは争う余地のない「多発」つまり多数の発症である。そこで問題はこの「多数の発症」の原因であるが、チェルノブイリ原発事故の経験から真摯に学ぶのであれば、チェルノブイリ事故当時、小児甲状腺がんの「多数の発症」の原因について「スクリーニングの効果」「潜伏期間が短すぎる」「対照群があいまい」など異論が出されたものの、最終的にチェルノブイリ原発事故の「被ばくの影響」と認められたという経緯があることから、福島原発事故もこれを教訓にして、「多数の発症」の原因の最有力の仮説として「原発事故の被ばくの影響」を考え、対策を立てるべきである。
ところが、被告県の県民健康調査・検討委員会は、甲状腺がんに関するチェルノブイリ原発事故の経験から真摯に学び、教訓を引き出すのではなく、ゼロからチェルノブイリ原発事故と同じ議論を蒸し返し、「多数の発症」の原因について「スクリーニングの効果」「潜伏期間が短すぎる」或いはチェルノブイリ原発事故との相違点のみを強調して、「被ばくの影響とは考えにくい」と否定的見解に固執してきた。
しかし、この態度はあたかも「福島原発事故は世界最初の原発過酷事故である」という前提に立つものであり、先行したチェルノブイリ原発事故という教訓を無視する非歴史的、非科学的、非論理的な態度である。先行のチェルノブイリ原発事故という歴史的教訓と向き合うのであれば、チェルノブイリで認められた「小児甲状腺がんは被ばくの影響によるものである」をここ福島でも最有力の仮説として前提にして当面必要な対策(事故直後であれば、安定ヨウ素剤の服用及びそれ以外の無用な被ばくを避けるために可能なあらゆる措置)を講じるべきであった。
以下、被告国及び県が、小児甲状腺がんについて、福島原発事故前の《チェルノブイリの教訓を過去のものとすることなく、「転ばぬ先の杖」としての守りの科学の重要性を普段から認識する必要がある。》という山下発言に従い「チェルノブイリ原発事故の経験から真摯に学び、教訓を引き出し必要な対策を立て被害拡大防止を成し遂げた」とは、いかに正反対の態度を取っていたかを具体的に明らかにする。
(2)、「スクリーニング効果論」「過剰診断論」による「被ばくの影響」否定論
ア、2つの「被ばくの影響」否定論
先行したチェルノブイリ原発事故の歴史的教訓の1つが「小児甲状腺がんは被ばくの影響によるものである」と認めたことであったのに対し、福島原発事故において、またしても蒸し返された異論が小児甲状腺がんの「多数の発症」は精度のあがった検査の効果であるという「スクリーニング効果論」及び手術の必要のない無害ながんを誤って有害ながんと診断・手術したものであるという「過剰診断論」だった。
イ、新型コロナ問題との対比
しかし、そもそもここには根本的な思い違いがあり、その思い違いは昨今の新型コロナ問題によって鮮明にされた。なぜなら、PCR検査で新型コロナ感染者が多数発見されたからといって、誰も新型コロナ発症の「原因」がPCR検査だとは思わない。PCR検査はコロナ発症の「発見手段」にすぎず、「原因」ではないことを了解しているからである。
ウ、スクリーニング効果論
ところで、(2)で示した本質は甲状腺検査でも変わらない。精度が向上した甲状腺検査で小児甲状腺がんが多数発見されたからといって、小児甲状腺がん発症の「原因」は甲状腺検査にないことは明らかである。甲状腺検査はがん発症の「発見手段」にすぎず、がん発症の「原因」ではないことは少し考えれば誰もが了解可能だからである。
そして、今ここで問われているのは、多数の小児甲状腺がんが「発症」した「原因」(原因物質や発症のメカニズム)であって、がん発症の「発見手段」のことではない。従って、この問いに対し、「スクリーニング効果論」で発症の「発見手段」を論じたところで空しいばかりである。
さらに、「スクリーニング効果論」とは、以前なら大人になってから発見される甲状腺がんが検査機器の精度の向上により検査によって発見されただけというものである。そうだとしたら、1巡目の検査でほぼ全ての甲状腺がんが発見されるはずである。ところが、現実には2巡目、3巡目、4巡目の検査でも引き続き多数の甲状腺がんが発見されている。この事態はもはやスクリーニング効果論では説明がつかない。
エ、過剰診断論
他方、「過剰診断論」とは、精度のあがった甲状腺検査の結果、発見された多数のがんに対して、手術の必要のない無害ながんを誤って有害ながんと診断・手術したとするもので、甲状腺検査の延長線上の問題である。従って、「過剰診断論」は小児甲状腺がん手術が多数実施された「理由」を明らかにするものであっても、がんが「発症」した「原因」(原因物質や発症のメカニズム)を明らかにするものではない。
従って、今ここで問われているがんが「発症」した「原因」に対し、「過剰診断論」でがん手術が多数実施された「理由」を論じたところで空虚である。
次の(3)で「過剰診断」の事実自体が否定されることを指摘するが、これを示すまでもなく、そもそもそのロジック自体が的外れなのである。
オ、小括
以上のようなトリックのごとき的外れの議論のせいで、多数の小児甲状腺がんの発症の「原因」として(暫定的であれ)「被ばくの影響」であることが特定されず、その結果、小児甲状腺がんで苦しむ子どもたちの救済が先送りされていることはこの上ないほど耐え難い不正義である。
(3)、「過剰診断」を否定した鈴木氏の正当性とその限界
他方、検査の結果、発見された小児甲状腺がんについて、手術の必要のない無害ながんを誤って有害ながんと診断・手術したという「過剰診断論」からの批判に対し、鈴木氏は本訴訟において「手術の必要がある(手術適応)と認められたものに手術した」とその理由を詳述して反論した。この鈴木氏の反論に対して山下氏は本訴訟でこれを支持し、また、鈴木氏の反論に対する再反論は本訴訟において提出されていない。
本訴訟に提出された証拠による限り、鈴木氏の前記主張には十分な根拠があり、正当と認められる。従って、甲状腺検査の結果、発見された多数のがんに対して、様々な理由から手術の必要があると判断して、手術を実施したものとされる。そこでようやく我々は、ここで問われている問題のより厳密な問いに辿り着いた――それは、甲状腺検査で発見された多くの小児甲状腺がんが無害ではなく、手術適応と認められた、すると、手術適応の小児甲状腺がんが福島で多数「発症」した「原因」はどこにあるか、である。
この点について、鈴木氏は一方で、ハーベスト効果論、スクリーニング効果論を原因として挙げ、他方で、チェルノブイリ事故との相違点のみを取り上げて、「被ばくの影響」という原因を否定した。前者が的外れな議論であることを2で前述した通りである。後者も、チェルノブイリ事故との比較をするのであれば「男女比」「リンパ節転移や肺転移の割合」などチェルノブイリ事故との重要な共通点も同時に取り上げるべきであるのに、これを無視するもので、恣意的な比較のそしりを免れない。
そして、何よりも特徴的なことは、「原因」がもし「被ばくの影響」でないとするならば、甲状腺の専門医である鈴木氏自身がこの「原因」について、積極的に仮説を提示する社会的な責任があるにもかかわらず、自ら一言も発言しないことである。
この点、小児甲状腺がん「発症」の「原因」解明に積極的だったのが山下氏である。彼は、小児甲状腺がんが多数「発症」した「原因」(原因物質)は農薬(硝酸性窒素など)にあるのではないかという仮説を立て、実証的な疫学調査を実施した。その結果、これを裏付ける統計的な成果は検出できなかった。しかし不成功に終わったとはいえこれは或る意味で、チェルノブイリ原発事故と同様に「被ばくの影響」と解するのが合理的であるという推論が、この検出不成功という結果を通じ、一層裏付けられたと評価することができる。
(4)、甲状腺検査の当初の見通しが明らかにしたこと
被告県はチェルノブイリ原発事故の教訓から、18歳以下の県民への甲状腺検査の実施自体は決定したものの、その内実はチェルノブイリ原発事故の教訓からは程遠いものであった。被告県から医大に委託された甲状腺検査の責任者であった鈴木氏は、検査開始(2011年10月)直後から甲状腺検査の見通しを次のように述べていた。
①.2011年8月、鈴木氏を主任研究者とする甲状腺検査に関する研究計画書の中で、「超音波検査で数%の甲状腺結節を認めることが予想されます。しかし、小児甲状腺がんは年間100万人あたり1,2人程度と極めて少なく、結節の大半は良性のものです」と記載していたこと。
②.甲状腺のガン化はゆっくり進行するので、のう胞や結節の判定でも2年後の次回検査で十分すぎるくらい時間的余裕があり、ご安心ください(2012年3月末)。「甲状腺の腫瘍はゆっくり進行するので、今後も慎重に診ていく必要があるが、しこりは良性と思われ、安心している」(2012年1月)
しかし、甲状腺検査が進む中、ほどなく以下の事態が進行し、上記の見通しが間違っていたことが判明した。
①.
甲状腺のがん化の速度が速い。1巡目の先行検査でA判定の子が次回2巡目の本格検査でがんと判定。
②.
甲状腺がんの子にリンパ節転移や肺転移の割合が多く、再手術が必要。
問題は、この見通しの間違いが何を意味するかである。それは第1に、鈴木氏の見通しが「被ばくの影響がない甲状腺がん」という仮説を念頭においたものであったことを意味する。第2に、この仮説がその後の検査結果の現実によって棄却され、その結果、その反対命題の「被ばくの影響による甲状腺がん」が正しいことが証明されたことを意味する。
しかし、チェルノブイリ原発事故の現実から学ぼうとしなかった鈴木氏をはじめ検討委員会及び被告県は、今度は福島原発事故後の甲状腺検査の現実からも学ぼうとせず、2つの原発事故の現実が意味する結果と向き合うこともできず、「被ばくの影響とは考えにくい」という己の仮説に固執し続けてきた。
(5)、多数の小児甲状腺がんが「発症」した「原因」について
ア、チェルノブイリ事故との共通点
福島原発事故後の甲状腺検査の結果について、がんの「男女比」「リンパ節転移や肺転移の割合」など重要な点でチェルノブイリ事故と共通する。
①.男女比
福島原発事故前、日本では20歳以下の甲状腺がんの男女比は1::4.8という報告があるが、原発事故後の福島県の甲状腺検査の先行検査では1::1.8、本格検査では1::1.2である(いずれも検討委員会資料)。他方、チェルノブイリ原発事故前、ベラルーシでは18歳以下の小児甲状腺がんの男女比は1::3.7だったが、原発事故後は1::1.8に低下した。
②.リンパ節転移と肺転移
一般に、甲状腺がんは進行が遅く、転移が少ないと考えられているが、チェルノブイリ原発事故後、ベラルーシでは1986~1997年の10年間に、小児甲状腺がんを発症した15歳未満の患者570人のうち半数以上の385人にリンパ節転移が、16.5%にあたる94人が肺転移が見られた。
これに対し、福島原発事故後の甲状腺検査では、検討委員会の中の第3回甲状腺検査評価部会において、委員から「スクリーニング効果による過剰診断が行われている可能性がある」という指摘に対して、鈴木氏は「とらなくても良いものはとっていない。手術しているケースは過剰治療ではない」と反論、手術しているケースは「臨床的に明らかに声がかすれる人、リンパ節転移など」で、放置できるものではないと説明した。これに対し、「リンパ節転移は何件あるのか」という委員の問いに対し、鈴木氏は「ここで、リンパ節転移の数は公表しない」と答えた。しかし、言うまでもなくリンパ節転移の症例数は個人情報ではなく、従って医師の守秘義務の対象に該当しない。それどころか、リンパ節転移の症例数は、福島原発事故後の福島県の小児甲状腺がんの原因解明にとって極めて重要な情報であり、第1、「経過観察」で前述した通り、甲状腺検査結果について情報の収集、分析及び公開の義務を負う被告県が県民に説明を果すべき重要情報の1つにほかならない。しかるに、被告県と鈴木氏は、本訴訟においても非公開及び証言拒絶という態度に固執し続けている。そのため、リンパ節転移の正確な症例数は秘匿されたままだが、少なくとも手術しているケースは「臨床的に明らかに声がかすれる人、リンパ節転移などがほとんど」であることから、リンパ節転移の症例は手術症例数の相当の割合にのぼると推測される。また、肺転移の症例数についても、鈴木氏は「守秘義務」を理由に明らかにしないが、これもリンパ節転移と同様、明らかな証言拒絶であり、説明責任の違反である。もし一般と同じ割合であればそう言えば済むだけのことなのに言わないこと、なおかつリンパ節転移の症例数が相当の割合にのぼると推測されることから、肺転移の症例の割合も一般より多いことが推測される。
イ、福島原発事故前からの甲状腺外科学会等の認識
鈴木氏が作成者(作成委員会の委員)を務めた「甲状腺腫瘍診療ガイドライン」の冒頭に、甲状腺がんの危険因子とりわけ小児の危険因子として、放射線被ばくを第1に記載していること。
ウ、小括
以上の通り、チェルノブイリ事故とがんの「男女比」「リンパ節転移や肺転移の割合」など重要な点でチェルノブイリ事故と共通すること、福島原発事故前から甲状腺外科学会等では、甲状腺がんとりわけ小児甲状腺がんの危険因子として、放射線被ばくを第1に掲げていることを考えれば、福島原発事故後に多数の小児甲状腺がんが「発症」した「原因」は福島原発事故による被ばくであると推測するのが現時点で最も合理的である。
(6)、2019年6月、被告県の検討委員会・評価部会の「被曝と甲状腺がんの関係性はない」との報告書の問題点
ア、問題の所在
2019年6月、検討委員会内に設置された甲状腺検査評価部会(以下、評価部会という)は、この間行ってきた、本格調査(検査2回目)で発見された甲状腺がんの症例数と放射線被ばくとの関連性の統計的解析について、「甲状腺検査本格検査(検査2回目)に発見された甲状腺がんと放射線被ばくの間の関連は認められない」という結論を出した(以下、この結論を「部会まとめ(案)」という)。翌7月、検討委員会は部会まとめ(案)を多数決により了承した。
上記統計的解析とは、被ばく線量と甲状腺がんの発見率という2つの量の関係を、一方で、甲状腺被ばく線量を県内59市町村ごとに推計して4つのグループに区分し、他方で、市町村ごとに甲状腺がんと診断された発見率を出し、この発見率が被ばく線量が最も低いグループ(20mGy以下)と、被ばく線量がより高いグループと比べてどれだけ違うかをオッズ比を使って比較した。そして、このオッズ比について被ばく線量が低い高いによって有意な差があるかどうかを分析疫学(統計学の統計的推測に対応)の見地から調べるために、ロジステッィク回帰分析を行い、区間推定である95%信頼区間を導き、有意性検定を行ったところ、「有意な差」は見出せなかったというものである。
しかし、前記統計的解析には、以下に述べる通り、その分析結果において統計解析の基本原則から逸脱したものであるばかりか、その分析過程においても、本来、排他的、独占的に甲状腺検査を実施する被告県が国民に対し負う甲状腺検査結果について情報の収集、分析及び公開の義務(具体的には評価部会の分析及び公開の義務)から大きく逸脱したもので、「甲状腺がんと放射線被ばくの間の関連性」を分析する上で極めて深刻な問題であると言わざるを得ない。
その結果、上記報告書には、前記1の経過観察問題と本質的に同一の問題がある。すなわち、評価部会において適切な統計解析が実施されていれば得られたであろう「福島原発事故による被ばくと小児甲状腺がんの関連性」についての知見が得られず、その分析結果に基づき、被ばくを原因とする小児甲状腺がんの発症の有無について立証することも不可能になった。そこで問題は、もしこのような被告県の組織である評価部会の不適切な統計解析により原告らの立証が妨げられた場合、いかなる訴訟法上の効果が付与されるべきかである。
イ、有意性検定で「有意な差」が見出せなかった場合の意味(検定の非対称性)
分析結果の問題の第1は、評価部会は有意性検定で「有意な差」が見出せなかった場合の統計学上の意味を正確に理解していないことにある。なぜなら、そもそも有意性検定とは以下のことを意味する。
(東京大学教養学部統計学教室編「統計学入門」237頁)
これによれば、上記の有意性検定において、被ばく線量が最も低いグループとそれ以外の被ばく線量がより高いグループとの間で、甲状腺がんと診断された発見率について「差がなかった、つまりオッズ比は1」と仮説を立て、オッズ比の検定をおこなったところ、オッズ比の区間推定に1が含まれてしまった、そのため「オッズ比は1、つまり差がなかった」は通常起こり得ない(5%以下の確率でしか起きない)結果だとしてこの仮説を棄却することができなくなった。しかし、そこから言えることは、「差はなかった」という仮説を棄却して「差がある」という対立仮説が正しいことが証明されなかっただけで、だからといって、「差はなかった」という仮説が正しいと積極的に支持されったわけではない。なぜなら、「差はなかった」ことについて、評価部会は積極的な吟味を何ひとつやっていないのだから。
以上から、評価部会のオッズ比の検定によって導かれた結論は「小児甲状腺がんと被ばくの間の関連は認められる」の証明に成功しなかっただけで、両者の関連は依然、不明のままにとどまる。そこで、
評価部会は、評価部会が説明責任を負う国民に対しに誤解を生む余地がないように、この結論を科学的に正確に表現する責任がある。にもかかわらず、評価部会は、
「 現時点において、‥‥甲状腺がんと被ばくとの関連は認められない」
と表記した。これを読む一般国民は文字通り、「小児甲状腺がんと被ばくの間の関連は認められない」ことが判明したかのように受け取るはずであり、いったい一般国民の誰がこの文を
「『小児甲状腺がんと被ばくの間の関連は認められる』証明に成功しなかっただけで、両者の関連は依然、不明のままだ」
と理解するだろうか。評価部会の表現は明らかに、報告書が引き出した科学的知見の結論「依然、被ばくと甲状腺がんの関係は不明である」を「被ばくと甲状腺がんは関係がない」と安全を振りまく表現に意図的に歪曲したものと言わざるを得ない。
ウ、LSS14報と同様の統計解析上の重大な欠陥
分析結果の問題の第2は、評価部会の統計解析には、第1、100mSv問題をめぐるLSS14報の統計解析上の重大な欠陥とその補正で指摘したのと同様の次の問題があることである。
①.「層別集計」による情報損失、検出力低下という問題
ア、もともと小児甲状腺がんのような発症率の低い疾病の場合、観測したコホートでの発症数も少なくなり、放射線との影響を検出しにくい。その上、対象者を被ばく時6~14歳と15歳以上の2つに区分して分析したため、区分しないときと比べサインプルサイズの減少により検定力が一層低下する。区分せずに全員で分析すべきである。
イ、また、対象者の被ばく量を4つのカテゴリーに区分したため、区分しないときと比べ情報の損失が生じ、検定力が一層低下する。線量を区分せずそのまま利用して分析すべきである。
②.「モデル選択」の不明
本格検査の分析では、線量と4つの説明変数を組み合わせ、その結果、4種類のモデルを仮説として候補にあがっている。分析結果としてこの4つのモデルについて、オッズ比と信頼区間が図示されているが、肝心の、このうちどのモデルが最もあてはまりのよいかという「モデル選択」が示されていない。しかも、LSS14報と異なり、モデル選択に着手したのかも不明である。複数のモデルを仮説として設定することは自由であるが、その場合には、どのモデルが観測データに最も当てはまりかを検証し、仮説の妥当性を検証する必要がある。この点で「モデル選択」をしなかった評価部会の分析は失当というほかない。
エ、分析結果の公表に必要な情報の非開示
分析過程の問題の第1は、評価部会は分析結果を公表するにあたって、推定結果のグラフが示されるだけで、点推定の値も区間推定の95%信頼区間の値も示されないことである。そればかりか、そもそも4つの各線量区分に対象者が何人おり、そのうち何人に甲状腺がんが見つかったのかといった基本的な情報すら与えられていない。
本来、評価部会は私的な任意の組織ではなく、原発事故後の甲状腺検査を排他的、独占的に実施し、その独占的地位ゆえに国民に対し、甲状腺検査結果について情報の収集、分析及び公開の義務を負う被告県が、甲状腺検査結果について分析及び分析結果を公開する義務を遂行するために、被告県の組織として発足させたものである。従って、もともと評価部会は国民に対し、甲状腺検査結果について実施した統計的解析を丁寧に説明する責任があり、とりわけ評価部会の分析の検証を欲する国民に対しては、それを可能ならしめるために必要な情報を、個人情報を匿名化した上で提供する責任がある。この点における評価部会の情報非開示の異様さは群を抜いている。
オ、分析過程における透明性の原則からの逸脱
エで前述した通り、もともと評価部会は甲状腺検査結果について分析及び分析結果を国民に公開する義務を遂行するために発足した被告県の組織である。従って、その分析に当たっては、分析の基本項目である、どのような分析方法を取るのが妥当か及び誰に分析を担当してもらうのが妥当かをめぐって、事前に公開の場で議論されるのが、この問題の重要性及び行政の透明性の原則に照らし当然である。
しかし、評価部会では事前に、どんな分析方法を取るのか、分析を誰に担当してもらうのか何一つ議論せず決定しないまま、2019年2月22日、第12回評価部会の席上、部会長より部会員に、のちに部会まとめ(案)の骨格となる資料1-2(甲C153)が、その作成の経緯及び作成者の説明は一言もないまま、いきなり提供された。
その後、4月の検討委員会の最後に、ジャ-ナリストから資料1-2の「信頼区間の計算ミスの可能性」について質問を受けた際、部会長は「次の部会の時に、またきっちりこの辺は見直したデータを出させていただきます」と説明責任を果たすかのような答弁をしたが、実際には6月3日第13回評価部会で、統計ソフトの入力ミスを理由にしたグラフ修正に関する資料1-3(甲C154)を提出したにとどまり、この修正資料を読んだところで、国民は依然、修正結果を自ら検証することはできない状態のままで根本的には何一つ変わっていない。
国民が評価部会に求めていることはただ単に科学的な分析であるが、科学的な分析とは、万人に対してその分析方法や条件が公開されており、実験であれば追試により実験の再現が可能であること、統計的推測であれば提示された分析方法や条件によってその推測の再現が可能であることを言う。この意味で、評価部会の「部会まとめ(案)」の作成は科学的な分析とはおよそ無縁であり、選ばれた小数の者にのみ授けられる秘教に堕しており、透明性の原則から根本的に逸脱している。
カ、小括
以上、前記エで述べた通り、評価部会を発足させた被告県は国民に対し、甲状腺検査結果について情報の分析及びその公開の義務を負いながら、前記イ~オで縷々述べた通り、現実に評価部会は、甲状腺検査結果について適切な分析を実施せず、なおかつその分析結果を国民に説明責任を果して報告することもしなかった。その結果、原告らは、適切な統計解析による分析結果を踏まえて、被ばくを原因とする小児甲状腺がんの発症の有無について立証することも不可能になった。そこで、問題は、上記の被告県の分析及び公開義務違反により原告らの立証が妨げられた場合、いかなる訴訟法上の効果が付与されるべきかである。
この点、基本的に前記1(7)の経過観察問題の場合と同様に解すべきである。その上、評価部会の上記統計解析における徹底した情報非開示の態度は「検査2回目に発見された甲状腺がんと放射線被ばくの間の関連性を統計的に解析した結果の開示は被告県にとって不利益な情報だろう」という経験則が適用されることを強く推認させるものである。従って、経過観察問題と同様、当事者間の公平という民訴法の基本原理に照らし、信義則上、「被ばくを原因とする小児甲状腺がんの発症が認められる」と事実認定するのが相当である。
以 上
二次検査で「経過観察」とされるグループは次の2つ、第1は穿刺細胞診をしなかったが「A1・A2相当」と判定された者以外のグループ、第2は穿刺細胞診をした結果「悪性疑い」と判定された者以外のグループである。この合計が「経過観察」とされた数であり、第31回及び第38回検討委員会並びに第15回評価部会で公表された資料によればその合計は4319+638=4,957名となる。なお、「A1・A2相当」以外の者には「他の甲状腺疾患」の者も含まれるとされるが、被告県がその数を公表しないため、「A1・A2相当」以外の者の数を第1の「経過観察」とされた数の最大値とした。以上の詳細はOurPlanetTVの2020年6月12日配信の記事「甲状腺がん疑い計240人〜福島県3巡目の31人解析へ」中の甲状腺がんの人数の表参照。