1、「世界の中の日本の裁判所」の際立った特徴
それは、これまで、日本の裁判所が世界の司法の常識である「国際人権法による人権保障」に対し極めて冷淡、無関心だったことである。
その典型が社会権規約に関して国内法への直接適用を否定した1989年3月2日の塩見事件最高裁判決である。この最高裁判決は社会権規約の法的性格について、社会権規約2条1項の「この規約の各締約国は、立法措置その他のすべての適当な方法によりこの規約において認められる権利の完全な実現を漸進的に達成するため、自国における利用可能な手段を最大限に用いることにより、個々に又は国際的な援助及び協力、特に、経済上及び技術上の援助及び協力を通じて、行動をとることを約束する。」という文言を根拠にして、そこから、塩見事件で問題となった社会権規約9条は法的な責任を定めたものではなく、権利の実現に向けて積極的に社会保障政策を推進すべき政治的責任を負うことを宣明したにとどまるという結論を引き出した。
しかし、これは端的に、1966年に社会権規約が採択された時に、権利概念が根本的に再構成されたという画期的変化とその意義を確認した一般的意見第3を見落とした最高裁(正確には事件を担当した調査官)の社会権規約2条1項に対する誤読だった。その結果、塩見事件最高裁判決のこの判断は誤りであり、誤判である。しかし、それがずうっとただされないまま来た。ただされないどころか、避難者追出し裁判において、原告福島県は、この誤まった判決を根拠にして、被告避難者が社会権規約11条1項に基づいて居住権をストレートに主張すること(すなわち直接適用を主張すること)はできないと声高に主張してきたのである。
しかし、被告避難者は、国際人権法専攻の青山学院大学申惠丰教授作成の意見書(>PDF)に基づき、福島県が拠り所にする塩見事件最高裁判決は、(上記の通り)端的に社会権規約2条1項に対する誤読であり、直接適用が認められるべきであると反論した(上告受理申立て理由書(1)第2、3、(2))
2、1.9最高裁判決の多数意見(PDF>こちら)
これに対し、多数意見は自ら一言も判断を示さなかった。なぜなら、最高裁は上告人の3点の上告理由に基づく上告受理申立てに対し、内掘決定の違法性と原告適格の2点についてだけ受理し、残る「国際人権法に基づく居住権」については受理しないと決定したからである(>上告受理決定書参照)
3、1.9最高裁判決の三浦少数意見(PDF>こちら)
これに対し、三浦少数意見は「国際人権法に基づく居住権」について、自ら次の通り判断を示した。
《本件事故の被災者の保護に関する関係法令の解釈適用については、社会権規約及び国内避難に関する指導原則の趣旨を踏まえてこれを行うことが相当である。》(14頁第2、1、(3))
これは画期的なことである。これまで、原発事故の救済について、具体的には避難者を含む原発事故の被災者の救済について、人権保障の観点から、避難者の居住権その他の人権について、居住権等の人権を定めた社会権規約及び国内避難に関する指導原則に基づいて保障されるべきであると明言したものは下級審判決でもなかったところ、いきなり最高裁判決(少数意見とはいえ)の中で、社会権規約の直接適用(法的責任)を否定した塩見事件最高裁判決と正反対の立場から表明されたからである。
公民権運動がアラバマ州のひとりの女性(ローザ・パークス)の行動から始まったように、人権の歴史はいつも少数者の声から始まる。最高裁が一歩前に出て、積極的に人権侵害に関する判決を書くときの判断基準とされている論拠(のひとつ)が1938年のアメリカ連邦最高裁判所のカロリーヌ判決のストーン判事の脚注4と言われるものだが、これもストーン判事個人が記した脚注が司法積極主義の論拠に至ったという「少数者の声」の典型である。
そこで本質的なことは誰が或いは何人が賛成して判決を書いたかではなく、 何が判決に書き込まれているかにある。
つまり、重要なことは多数意見として書かれたどうかにあるではなく、少数意見であろうが脚注であろうが、いかに正義にかなった普遍的な判断がそこに示されているかどうかであり、これこそが決め手になる。
この意味で重要なことは、三浦少数意見が、我々にどれだけ味方してくれたかと一喜一憂することではなく、彼の意見に、どのような意味で「いかに正義にかなった普遍的な判断が示されているか」を探り出し、そこから取り出した果実を、その時の最高裁判決限りの果実で終わりにするのではなく、人権侵害のゴミ屋敷と化した311後の日本社会を人権屋敷に再建するための最初の一歩の果実として、日々大切に育て上げていくことである。
その積りで、今回、原発事故の避難者等の人権(居住権等)について国際人権法がどのような意味を持つのかについての三浦少数意見の全文を引用する。
《第2 判示第3 (法令の解釈適用の誤り)について
1 国際約束等
(1) 経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(以下「社会権規約」という。)11条1項は、締約国に対し、 自己及びその家族のための相当な食糧、衣類及び住居を内容とする相当な生活水準についての並びに生活条件の不断の改善についての全ての者の権利を認め、この権利の実現を確保するために適当な措置をとることを義務付けている。
(2) 国内避難に関する指導原則 (E/CN. 4/1998/53/Add.2)は、国内避難民を保護するための重要な国際的枠組みと認識され、 その保護を増加させるための効果的な方策をとる旨の国際社会の決意が表明されているところ (2005年(平成17年) 世界サミット(国際連合首脳会合) 成果文書132項参照)、同指導原則は、 災害により避難を余儀なくされた者を含む国内避難民について、国内当局は、 国内避難民に保護及び人道的援助を提供する一義的な義務及び責任を有し、国内避難民は、これらの当局による保護及び人道的援助を要請し、及び受ける権利を有すること(原則3) 、国内避難民は、移動の自由及び居住地の選択の自由についての権利、自らの生命、安全、 自由若しくは健康が危険にさらされる可能性のある場所への強制的な帰還又は再定住から保護される権利、適切な生活水準に対する権利等を有すること (原則14、15、18)、権限のある当局は、状況に関係なく、 及び差別することなく、 国内避難民に対し最低限、基本的な避難所及び住居等を提供し、 これらの安全な利用を確保すること(原則18)、権限のある当局は、国内避難民が自らの意思で、安全に、尊厳を維持しつつ、自らの住居若しくは常居所地に帰還できるようにし、又は自らの意思で国内の別の場所に再定住できるようにする条件を整え、及びそのための手段を提供する、一義的な義務及び責任を有すること(原則28) 等を定めている。
(3) 本件事故の被災者の保護に関する関係法令の解釈適用については、社会権規約及び国内避難に関する指導原則の趣旨を踏まえてこれを行うことが相当である。》(13~14頁)
4、三浦少数意見の謎
もっとも、或る人は、ここで1つの疑問にぶつかる。それは、2で前述した通り、最高裁は上告受理申立てに対し、3点の上告理由のうち「内掘決定の違法性」と「原告適格」の2点についてだけ受理し、「国際人権法に基づく居住権」については受理しないと決定した。だとしたら、どうして三浦少数意見は受理しないと決定した「国際人権法に基づく居住権」について判断を下したのか。それは受理決定に反するのではないかと。
本裁判の受理決定の中身はその通りである。しかし、三浦少数意見の上記判断は上告理由「国際人権法に基づく居住権」に対する判断ではなく、「内掘決定の違法性」に対する判断の中でなされたものである。
なぜなら、上告人自身が、上告受理申立て理由書(1)において次の通り主張し、「内掘決定の違法性」を判断するにあたって、国際人権法により「法の欠缺」を補充する必要があると強調したからであり、
(1)、応急仮設住宅供与打切り問題は「現実の紛争事実に対して、法律から具体的な判断基準が直接引き出せない場合」すなわち「法の欠缺」状態にあること、
(2)、原発事故の救済に関して適用すべき「法律」が全面的な「法の欠缺」状態のままでは、原発事故の救済に関して実際に行われた行政裁量が、果して「法律」の枠内で行政庁に認められた適法な行政行為なのかを裁判所が判断するためには、当該法律の「欠缺の補充」が不可避となること、
(3)、そこで、上記「欠缺の補充」を実行するにあたって、「欠缺の補充の法理」の1つが 「法体系における序列論」である。つまり、法の欠缺が発生している当該法律の上位規範に着目して、「当該法律は上位規範に適合するように解釈される必要がある(上位規範適合解釈)」という法の基本原理を応用し、「当該『法の欠缺』部分は上位規範に基づいて、なおかつこれに適合するように当該欠缺部分が補充される必要がある」という方法で補充を実行することである。
(4)、その際、本件においては法律の上位規範として憲法よりむしろ国際人権法が重要である。なぜなら、最上位に位置する憲法に定められている社会権の規定は本件に適用するには今なお抽象的すぎるきらいがあるのに対し、他方で、国際人権法は過去の様々な人権問題への取組みの中から社会権の規定の内容を具体的に豊かにしてきて、本件に適用するに相応しい具体的な規定が豊富に盛り込まれているからである(50~57頁)。
上告人のこの主張に対し、三浦少数意見は
《(3) 本件事故の被災者の保護に関する関係法令の解釈適用については、社会権規約及び国内避難に関する指導原則の趣旨を踏まえてこれを行うことが相当である。》
と応答したからである。
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