年をとってから、友人になるのはすこぶる難しい。お互い、年輪を重ねてしまって、若い頃のように無邪気に、無条件に共感することは困難だから。
しかし、年を取ればとるほど、日野原重明さんが105歳の最後の本の冒頭で言った次の言葉が身に沁みるようになる。
私はこれまでたくさん本を書いてきました。
たくさんの人を前に講演をしてきました。
本を書くとき、講演をするとき、私はなるべくたくさんの人に伝わりやすいようにと思い、言葉をつむいできました。
ですが今、いちばんしたいのは対話です。
私のもとに来てくれた、たった一人の人に、言葉を遺したい。(「生きていくあなたへ」はじめに、より)
私も一番したいことは対話だということにようやく、気がついた。それは建設的対話のことである。とはいえ、それは容易なことではない。ましてや年取ってからの対話と友情は困難極まる。だから、この新・老年(※)の鑑とも言うべき二人に出会えたことは半ば奇跡としか思えない。その二人とは高槻市の山本博樹さん(左側の人)、松本市の菅谷昭さん(右側の長老の人)。
(※)新老年とは何者か。それは次の意味である>つつしんで老年に告ぐ「老年よ、大志を抱け」
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菅谷さんとのことは書き出すときりがないので、ここでは山本さんについて。
一昨年9月に、大阪府高槻市でやったチェルノブイリ法日本版の学習会(?懇親会)で山本さんと会った時に記した感想を再掲する(詳細は後日、改めて解説)。
9月の高槻で、私は次のような話をした。
「生ける法」はどのようにして生まれるのか?
→それは、国家(議会や行政府)が制定するのではなく、社会生活の中で生まれるもの(市民が生成するもの)
それは、市民の意識に支えられ、市民の現実の行動を支配するものとして見出される。
それが「生ける法」。
その結果、私たちは「制定される法」と「生ける法」との二重権力状態の中にある
→立法もまた、議員が採決する議会と市民が生成する社会の二重権力状態となる。
この意味で、市民が生成する社会こそ法をリードする。
それに対し、山本さんの、教え子が「職務質問」を受けたお話は今まで聞いたことがないような鮮烈なものでした。また、その日の帰りしな、私に「生成法の話、面白かったで」という感想を聞かせていただき、ああ、そうなんだととても自信を授けて頂きました。その後、昨年3月11日に、兵庫県市川町のチェルノブイリ法日本版の学習会に参加され、市民が作る放射能測定システムの可能性を紹介したとき、これにどんな反応があるだろうかと内心一抹の不安の中で、山本さんが「これはええ」というリアクションに、そうだ!と確信を授けてもらいました。ありがとうございました!




