今月(1月)23日、予定通り、福島地裁の子ども脱被ばく裁判で、長谷川克己さんの原告本人尋問をおこないました。
(長谷川克己さん)
以下は市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会の皆さんに述べたその感想です。
(感想の追記)
私は学生時代に道を誤って、司法試験の受験勉強に足を踏み入れ、毎年、不合格をくり返した挙句、20代のほぼ全部を牢獄にいるような気分で送る羽目になりました。その非人間的な長いトンネルを抜け出たとき、人間的なものを求めて、パブロ・カザロスが演奏したチェロの曲を初めて(もちろん別人の演奏で)生で聴き、岩波の講演会で作家の大江健三郎の話を生で聞いた。
しかし、今なお、私の脳裏に焼きついているのは、この岩波の講演会で大江と共に講演した鶴見俊輔だった。
この時、鶴見俊輔は、 中国文学者の竹内好のことを取り上げ、こう言った。
竹内の発想は普通の人と全然ちがう。普通だったら、
誰が間違わずに正しく生きたか?
だけを問う(それは明治以来の日本の学校教育の揺るぎない産物だから)。
が、しかし、竹内は、
このようなものから果して歴史を生きる活力が湧いてくるだろうか?
と問い直す。
むしろ、錯綜した現実に直面し、そこで、単純明快な原理から間違わず考えるのではなく、そこでむしろ身もだえしながら考える、考え続けることこそが大切なのではないか、と反論する。
この「身もだえの中で考えること」を「掙扎(そうさつ)」と竹内は呼んだ。「掙扎(そうさつ)」とは別名「あらがい」であり、言い換えれば抵抗ということだ。
当時、この「身もだえの中で考え続ける」という指摘がとても新鮮で、その後、ことあるたびに、この言葉が無意識にやって来て、おい、掙扎(そうさつ)しているか?と呼びかけてきた。
今回、長谷川さんの体験をつぶさに聞かせてもらった時、彼こそ「理不尽な中で、それに屈することなく、掙扎(そうさつ)する人」だと分かった。
だから、彼のような人が、理不尽な現実に対して退きもせず、追従もせず、掙扎(そうさつ)を生きる構えとしてきた魯迅、竹内好、鶴見俊輔の精神を受け継ぐ人だと分かった。
***************
以前、予告しました通り、昨日、福島地裁で子ども脱被ばく裁判の原告の本人尋問をやりました。
普段は原告番号で原告を呼んでいるのですが、法廷内で原告の名前を出しましたので、ここでも出します。郡山から静岡県富士宮市に家族避難した長谷川克己さんです。
◆長谷川さんの動画
【福島のいま】力強く生きたい~自主避難から1年
長谷川さんに初めてお会いしたのは、2012年夏に、文科省前でふくしま集団疎開裁判のアクションをやっていると、そこに来られて熱心に聴いていて、そのうち、岡田さんあたりが、良かったら喋りませんか、と勧めたら自らスピーチされました。
最初、彼を見た瞬間、「あっ、カミュだ」、その風貌がフランスの小説家カミュに似ていたからです。
そしたら、風貌だけでなく、二人を形容詞する言葉も似ていることに気がつきました。カミュは「不条理」、長谷川さんは「理不尽」。
以来、長谷川さんはひそかに「私のカミュ」になりました。
チェルトコフさんの本「チェルノブイリの犯罪」の中で、このカミュの言葉
「犯罪という猛烈な執念に対抗する術として、証言することへの執念のほか、この世に何があるだろうか」
に接した時、何という真実だろ、カミュはこういう言葉を吐く人間なんだ、と鮮烈な印象を受けました。
今回、「証言することへの執念」を私の前で実行してみせたのが、「私のカミュ」長谷川さんでした。
これまで、原発事故関連の裁判で、原告本人尋問のイメージは(それは偏見だと言われるかもしれませんが)、あらたまって新たな主張をするのではなく、既に原告の陳述書の中で述べられてきた事実の中から、再度強調したいと思う点を証言する、というイメージでした。
しかし、そのイメージがぐらつくようなショックを与えられた原告の本人尋問に出会いました。
それが昨年11月13日に、「今でも子どもを安全な場所に避難させたい」と証言したお母さんの姿に接した時でした(その報告と動画は->こちら)。
それは、このお母さんにとって原発事故直後の経験を証言することは、単に、過去のつらい出来事を訴えるというにとどまらない、
それは、今を生きる上で決定的に影響を及ぼす何かについて、必死になって語ろうとしていることに気がつかされたからです。
このお母さんにとって、311直後の経験は9年前の出来事ではなく、今まさに、今を生きる現在進行形の出来事なのだ。
これは一体どうしたことだろう?
なぜ、このようなことになるのだろうか。
それについて突き詰めてみたいという気持ちもあって、(本当は2月、3月の鈴木、山下尋問という天王山を控えているにも関わらず)このお母さんの証言のあと、長谷川さんの尋問の担当をやらせて欲しいと弁護団の中で手を挙げ、了承されました。
そしたら、連絡をした長谷川さんから、今回の証言を自分と家族のこれからの人生の新たなスタートにする積りで取り組みます、と返事がありました。
この間、2回ほどお会いして、カメラを回したまま計8時間ほど、気が向くまま、話が向くまま、思うとおりに語ってもらい、それを文字起しして、証言のシナリオを書き、一緒に手直しをしました。
それが完成したのが一昨日の夜中、福島に向かう電車の中で、完成稿を読み合わせして、本番を迎えました。
添付したのは、そのうち、長谷川さんから許可を得て、皆さんに紹介したものです(なので、転載禁の扱いでお願いします)。
添付した理由は、事前に、ストップウオッチで測定しながら質問-回答を自分で声を出して読み、ちょっと時間オーバーかもだが、これなら何とかやれると踏んだのに、いざ本番では裁判長に「時間を越えてますよ」と注意され、泣く泣く割愛せざるを得ない重要な質問と回答があったからです。
つらい過去を振り返る作業だった打合せを重ねる都度、不思議に元気になっていく長谷川さんを見ていて、
彼にとっても、今を生きるとは、自分にとってかけがいのない過去を反復すること、生涯、忘れようにも忘れられない体験を反復することなんだと気がつきました。
そして、彼が元気を取り戻していくと、よりリアルに事故直後の出来事が思い出され、なおかつ、彼の語る内容がますます精彩をはなっていくのを目の当たりにして、過去をリアルに再現するためには、今を生きる力に満ちていなければできないことにも気がつきました。
翻って、なぜ長谷川さんが、事故直後の過酷な過去を思い出すことによって、今を生きる力を授かったのかを考えさせられました。そして、それはこの時、絶体絶命の事態に直面して彼が死に物狂いで考え、悩み、決断し、行動したその時の生き方が、今なお、現在の自分のエリを正す鏡になっているからではないかと思いました。
だから、彼は、311直後の体験が9年後の今を生きる力の源泉であることを、今回の証言の準備の中で確信したのです。
その体験のひとつが、以前紹介した、3月12日の原発1号機の爆発の時でした。この爆発の映像をくり返し流すTVに、介護施設で勤務中だった長谷川さんが周りの職員に「とうとう、原発が爆発したぞ」と言ったら、相手はこう反応した。
「今それどころじゃないですよ。大変なんですから」
「あっちでトイレ、こっちでメシって、大変なんですから。原発が爆発したなんて、かまってられないすよ」
長谷川さんはこの言葉を聞き、ハッと思った--この人は「大小の区別がつかない」。あっ、ダメだ、これと足並みをそろえていたら、やられるぞ、危ないぞ、と。
9年後の今から振り返っても、このときの反応が過剰だったと思うことはほぼない。むしろ、あのとき、あそこで「危ない」と思わないのはおかしいと思う。それは知識だとか何とかではなくて、動物的勘の問題だ、と。
あとから知った言葉で予防原則、この当時、自分の中で予防原則が働いたんだと思う。それは、とにかく危ないものには近寄るな。危ないか危なくないか迷った時には、危ない方に寄せて物を考える。
ただし、それは別に特別なことでなくて、普段、仕事でも、普段生きていてもそうしている。予防原則を使っている。
それなのに、なんで、こういう大事故の時にだけ、みんな危くない方に寄っていこうとするのか!?と思った。
その違和感が強烈にあって、当時これが集団心理としてみんなの中で、おっかない形で働いているとすぐ分かったので、それに惑わされないようにしようということで、すごく敏感になった。
これに対し、私が彼に投げた質問は、
原発事故のような未曾有の事態に直面した時、恐怖の余り気が動転し、危険はないんだと自ら言い聞かせ、平常心を取り戻そうとした人もいるんじゃないか、それもまた「動物的勘」の1つではないでしょうか。
だとしたら、同じ「動物的勘」でも行動がそこから正反対の方向に分かれてしまう、この差はどこから来ると思います?
でした。
これに対し、彼の答えは--子どもがいたからです。もし子どもがいなかったら、ちがっていたと思います。
ここで私が教えられたことは、
未曾有の事態に直面した時でも予防原則を貫けるかどうかは動物的勘が働くかどうかによる、しかも、それがまちがった勘ではなく、「正しい」動物的勘が働くかどうかは、未来しかない「子どもに対する愛」があるかどうかによる。
そして、予防原則というのはチェルノブイリ法のエッセンスです。だから、ここで長谷川さんが証言したことはすべてチェルノブイリ法に当てはまります。
チェルノブイリ法日本版に至るため必要なのは知識ではなく、動物的勘、そして愛。
今を生きるとは、生涯忘れ得ぬ体験を反復すること、それがチェルノブイリ法日本版に至る道。
また、カミュの「不条理」に似て、長谷川さんの陳述書、意見陳述の原稿に一番登場する言葉は「理不尽」。
「このまま理不尽に屈するわけにはいかない」
「私にとっては理不尽の連続」
「自分の手が届かない時間に対しての責任というものを、私自身が放棄することは絶対にできない」「やはり、『この理不尽の中で屈して、お父さんは引き下がってしまった』ということを子どもたちに見せるわけにはいかないという思いで、今後も頑張ってきたい」
そこから私が思ったことは、
理不尽に屈せず、あらがうこと、そこから導かれるのがチェルノブイリ法日本版。
以上、今なお、原告本人尋問で初めて経験した感動の余燼覚めやらぬ中におります。
以下、長谷川さんの証言で示した証拠の一覧です。
陳述書
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear3/160925HasegawaStatement.doc
意見陳述の原稿
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear3/150623HasegawaOpinion.docx
山下俊一インタビュー記事・チェルノブイリ法日本版の会結成集会の長谷川さんの挨拶その他
山下俊一・鈴木眞一のセカンドオピニン禁止通知
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear3/kouC76YmadhitaSuzukiLetter.jpg
文科省20ミリシーベルト通知
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear3/kouB2Monkasyo20mSv.pdf
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2020年1月28日火曜日
【第36話】感想:福島県民ばかりか全国民が絶滅危惧種。チェルノブイリ法日本版にとって知識は足りてる。足りないのは人間的直感(動物的勘)
以下は、1月23日に福島地裁でおこなわれた子ども脱被ばく裁判の原告長谷川克己さんの本人尋問を前にして、市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会の皆さんに述べた感想です。
(長谷川克己さん)
*************
本年もよろしくお願いいたします。
昨年末から帰省した長男家族のチビどもに振り回される年末年始で、気がついたら米国によるイランの司令官殺害、その報復、その結果、ウクライナ旅客機の墜落、全員死亡という戦争、人災のニュースでした。
正月ボケの頭で「米国、ウクライナ旅客機の墜落はイランによるものという見方」という記事を読み、「えっ、今頃、2014年のウクライナの旅客機墜落の話をしているの?」と思ったほどです。
しかし、この事故は5年前のことではなくて、本当についさきほど墜落した事故だと知り、その3日後に「イラン一転 撃墜認める」という記事を読み、そこに、
反撃に備える厳戒態勢の中で、▽防空システムが巡航ミサイルと誤認し、軍事拠点まで十九キロに迫ると警告▽通信の不具合で操作員が上官と連絡できなかった▽十秒以内で決断しなければならず、独断で発射した。
とあるのを読み、「なに、これ?!、こんな戦争のさなかに、テヘランの空港で民間旅客機を飛ばしていたのか?」と信じられない思いでした。
そしたら、米軍の反撃が想定される中で飛行禁止区域が設定されなかった点について、イランのミサイル責任者が会見で「複数回封鎖を要請したが認められなかった」と述べた、という記事。
なんで予防原則を採用しなかったのか、と、チェルノブイリ法のエッセンスがまたしてもぜんぜん活かされなかった今回の人災の悲劇に腹立たしい思いを抑えられませんでした。
閑話休題。
福島地裁で審理中の子ども脱被ばく裁判、つい先日、次回の原告本人尋問のため、原告の長谷川克己さんと打合せをしました。
そのときの鮮烈な印象は、彼が普段の日常生活の中で思い出すことをしないし、極力、思い出さないようにしていると思われる9年近く前の原発事故直後の出来事を、まるで昨日のことのように鮮明に覚えていて、語ってくれたことでした。
その中の一節--311以後からの1週間の間、いつまた原発が爆発し、今度は大爆発を起こすかもしれない、その時には自分の身体は吹き飛んで、消えてなくなるんじゃないか、だから、朝、家から仕事に出かけるとき、これでもう家族と会えなくなるかもしれないという思いで職場(介護施設)に向かった、職場で人々と別れるときも、死ぬか生きるかという気持ちだったから、もう二度と会えないかもしれないが、命があったら必ずまたどこかで会おうねという気持ちで別れた。
(このとき、福島第一原発は故吉田所長に「2号機の深刻な不具合で、東日本壊滅を覚悟した」と言わしめるほどの大惨事直前まで行ったのでしたが)しかし、同時に彼が抱いた恐怖感は職場では必ずしも共有されず、共有できる人たちはむしろ少数派だった。
このときのことで彼が鮮明に覚えていることは、3月12日の1号機爆発の直後、爆発映像をくり返し流すテレビを見ながら、彼が主任の40歳男性職員に、「とうとう、原発が爆発したぞ」と言ったら、相手がこう言ったことでした。
「今それどころじゃばいですよ。大変なんですから」
確かに、余震が続き、3階建ての施設の2~3階にいた入居者を全員1階に移し、トイレだの食事だの、さながら野戦病院の様相を帯びていた当時だったので、その職員は、
「あっちでトイレ、こっちでメシって、大変なんですから。原発が爆発したなんて、かまってられないすよ」
と言ったのです。
しかし、長谷川さんはこの発言を聞き、ハッと思ったそうです--この人は「大小の区別がつかない」。あっ、ダメだ、これと足並みをそろえていたら、やられるぞ、危ないぞ、と。
ただし、長谷川さんは職場の現場責任者で、職員、入居者を置いて、自分と家族だけ逃げる訳には行かなかったので、「大小の区別をつけよう」と思っても実行できないわが身のジレンマに「なんだ、こりゃあ」と身を裂かれるような思いだった。
でも、「それはあなただけの過剰反応じゃないの?」と私から意地悪く尋ねた時、彼曰く、
「9年後の今から振り返っても、このときの反応が過剰だったと思うことはほぼない。むしろ、あのとき、あそこで「危ない」と思わないのはおかしいと思う。それは知識だとか何とかではなくて(彼はこの当時、安定ヨウ素剤のことも知らず、ヨードチンキと区別もできなかったという程度の人です)、人間的直感(動物的勘」の問題です」
動物的勘?
これについて彼は言う。
あとから知った言葉だけれど、この当時、自分の中で予防原則が働いたんだと思う。それは、とにかく危ないものには近寄るな。危ないか危なくないか迷った時には、危ない方に寄せて物を考える。
それは別に特別なことでも何でもなくて、普段、仕事でも、普段生きていてもそうじゃん。予防原則を使っている。
それなのに、なんで、こういう大事故の時にだけ、みんな危くない方に寄っていこうとするの!?と思った。
その違和感が強烈にあって、当時これが集団心理としてみんなの中で、おっかない形で働いているとすぐ分かったので、それに惑わされないようにしようということで、すごく敏感になった。
‥‥この話を聞かせてもらい、
311直後、福島県の人々は文字通り、絶滅危惧種として生きてきたことを改めて教えられました。
そして、その中にあって、この長谷川さんは、知識ではなく、動物的勘によって311原発事故の危機の中を予防原則で文字通り生きてきた人だと、だから、彼はチェルノブイリ法日本版の化身、生きたチェルノブイリ法日本版だと思いました。
先ごろのイラン危機でも、危険の中にいるにもかかわらず、予防原則が働かず、まんぜんと日常生活の延長線上で、戦争地区で民間航空機を発着させ、貴い生命を犠牲にした事故と同じだと感じました。
それは、知識の問題ではなくて、「危ないものには近寄らない」という動物的勘が働くか働かないかのちがい。
そして、それが働く人にとってチェルノブイリ法日本版は知識なしで、自明の原理原則。
それが働かない、「みんなで渡れば怖くない」というアンダーコントロールにある人はいくら勉強して知識を身につけても決してチェルノブイリ法日本版には辿り着かない、辿り着けない。
そして、長谷川さんがなぜ、これほど動物的直感に突き動かされて、数々の中傷、非難を浴びながらも無謀とも言える避難の行動をやりぬけたのか、その理由を尋ねたとき、彼はこう答えました--子どもがいたからです。もし子どもがいなかったら、ちがっていたと思います。
愛、妻と未来しかない我が子に対する愛、とりわけ、大人とちがい、原発事故に何の責任もない子どもに対する愛が彼の心の奥底から鋭い動物的直感を呼び覚ましたと知りました。
311当時、「みんなで渡れば怖くない」という集団心理にアンダーコントロールされ、貴い動物的勘が働かすことをしなかった多くの福島県民は絶滅危惧種にされた。
のみならず、そのあと「ただちに影響はない」にアンダーコントロールされ、貴い動物的勘を働かすことをしなかった私たち日本国民もまた絶滅危惧種にされている。
そこから抜け出す道は、知識ではなく、予防原則を身をもって行動することだという教えを、今回の打合せの中で、長谷川さんから授かりました。
この彼の証言を来週23日、福島地裁の法廷で行ないます。
(長谷川克己さん)
*************
本年もよろしくお願いいたします。
昨年末から帰省した長男家族のチビどもに振り回される年末年始で、気がついたら米国によるイランの司令官殺害、その報復、その結果、ウクライナ旅客機の墜落、全員死亡という戦争、人災のニュースでした。
正月ボケの頭で「米国、ウクライナ旅客機の墜落はイランによるものという見方」という記事を読み、「えっ、今頃、2014年のウクライナの旅客機墜落の話をしているの?」と思ったほどです。
しかし、この事故は5年前のことではなくて、本当についさきほど墜落した事故だと知り、その3日後に「イラン一転 撃墜認める」という記事を読み、そこに、
反撃に備える厳戒態勢の中で、▽防空システムが巡航ミサイルと誤認し、軍事拠点まで十九キロに迫ると警告▽通信の不具合で操作員が上官と連絡できなかった▽十秒以内で決断しなければならず、独断で発射した。
とあるのを読み、「なに、これ?!、こんな戦争のさなかに、テヘランの空港で民間旅客機を飛ばしていたのか?」と信じられない思いでした。
そしたら、米軍の反撃が想定される中で飛行禁止区域が設定されなかった点について、イランのミサイル責任者が会見で「複数回封鎖を要請したが認められなかった」と述べた、という記事。
なんで予防原則を採用しなかったのか、と、チェルノブイリ法のエッセンスがまたしてもぜんぜん活かされなかった今回の人災の悲劇に腹立たしい思いを抑えられませんでした。
閑話休題。
福島地裁で審理中の子ども脱被ばく裁判、つい先日、次回の原告本人尋問のため、原告の長谷川克己さんと打合せをしました。
そのときの鮮烈な印象は、彼が普段の日常生活の中で思い出すことをしないし、極力、思い出さないようにしていると思われる9年近く前の原発事故直後の出来事を、まるで昨日のことのように鮮明に覚えていて、語ってくれたことでした。
その中の一節--311以後からの1週間の間、いつまた原発が爆発し、今度は大爆発を起こすかもしれない、その時には自分の身体は吹き飛んで、消えてなくなるんじゃないか、だから、朝、家から仕事に出かけるとき、これでもう家族と会えなくなるかもしれないという思いで職場(介護施設)に向かった、職場で人々と別れるときも、死ぬか生きるかという気持ちだったから、もう二度と会えないかもしれないが、命があったら必ずまたどこかで会おうねという気持ちで別れた。
(このとき、福島第一原発は故吉田所長に「2号機の深刻な不具合で、東日本壊滅を覚悟した」と言わしめるほどの大惨事直前まで行ったのでしたが)しかし、同時に彼が抱いた恐怖感は職場では必ずしも共有されず、共有できる人たちはむしろ少数派だった。
このときのことで彼が鮮明に覚えていることは、3月12日の1号機爆発の直後、爆発映像をくり返し流すテレビを見ながら、彼が主任の40歳男性職員に、「とうとう、原発が爆発したぞ」と言ったら、相手がこう言ったことでした。
「今それどころじゃばいですよ。大変なんですから」
確かに、余震が続き、3階建ての施設の2~3階にいた入居者を全員1階に移し、トイレだの食事だの、さながら野戦病院の様相を帯びていた当時だったので、その職員は、
「あっちでトイレ、こっちでメシって、大変なんですから。原発が爆発したなんて、かまってられないすよ」
と言ったのです。
しかし、長谷川さんはこの発言を聞き、ハッと思ったそうです--この人は「大小の区別がつかない」。あっ、ダメだ、これと足並みをそろえていたら、やられるぞ、危ないぞ、と。
ただし、長谷川さんは職場の現場責任者で、職員、入居者を置いて、自分と家族だけ逃げる訳には行かなかったので、「大小の区別をつけよう」と思っても実行できないわが身のジレンマに「なんだ、こりゃあ」と身を裂かれるような思いだった。
でも、「それはあなただけの過剰反応じゃないの?」と私から意地悪く尋ねた時、彼曰く、
「9年後の今から振り返っても、このときの反応が過剰だったと思うことはほぼない。むしろ、あのとき、あそこで「危ない」と思わないのはおかしいと思う。それは知識だとか何とかではなくて(彼はこの当時、安定ヨウ素剤のことも知らず、ヨードチンキと区別もできなかったという程度の人です)、人間的直感(動物的勘」の問題です」
動物的勘?
これについて彼は言う。
あとから知った言葉だけれど、この当時、自分の中で予防原則が働いたんだと思う。それは、とにかく危ないものには近寄るな。危ないか危なくないか迷った時には、危ない方に寄せて物を考える。
それは別に特別なことでも何でもなくて、普段、仕事でも、普段生きていてもそうじゃん。予防原則を使っている。
それなのに、なんで、こういう大事故の時にだけ、みんな危くない方に寄っていこうとするの!?と思った。
その違和感が強烈にあって、当時これが集団心理としてみんなの中で、おっかない形で働いているとすぐ分かったので、それに惑わされないようにしようということで、すごく敏感になった。
‥‥この話を聞かせてもらい、
311直後、福島県の人々は文字通り、絶滅危惧種として生きてきたことを改めて教えられました。
そして、その中にあって、この長谷川さんは、知識ではなく、動物的勘によって311原発事故の危機の中を予防原則で文字通り生きてきた人だと、だから、彼はチェルノブイリ法日本版の化身、生きたチェルノブイリ法日本版だと思いました。
先ごろのイラン危機でも、危険の中にいるにもかかわらず、予防原則が働かず、まんぜんと日常生活の延長線上で、戦争地区で民間航空機を発着させ、貴い生命を犠牲にした事故と同じだと感じました。
それは、知識の問題ではなくて、「危ないものには近寄らない」という動物的勘が働くか働かないかのちがい。
そして、それが働く人にとってチェルノブイリ法日本版は知識なしで、自明の原理原則。
それが働かない、「みんなで渡れば怖くない」というアンダーコントロールにある人はいくら勉強して知識を身につけても決してチェルノブイリ法日本版には辿り着かない、辿り着けない。
そして、長谷川さんがなぜ、これほど動物的直感に突き動かされて、数々の中傷、非難を浴びながらも無謀とも言える避難の行動をやりぬけたのか、その理由を尋ねたとき、彼はこう答えました--子どもがいたからです。もし子どもがいなかったら、ちがっていたと思います。
愛、妻と未来しかない我が子に対する愛、とりわけ、大人とちがい、原発事故に何の責任もない子どもに対する愛が彼の心の奥底から鋭い動物的直感を呼び覚ましたと知りました。
311当時、「みんなで渡れば怖くない」という集団心理にアンダーコントロールされ、貴い動物的勘が働かすことをしなかった多くの福島県民は絶滅危惧種にされた。
のみならず、そのあと「ただちに影響はない」にアンダーコントロールされ、貴い動物的勘を働かすことをしなかった私たち日本国民もまた絶滅危惧種にされている。
そこから抜け出す道は、知識ではなく、予防原則を身をもって行動することだという教えを、今回の打合せの中で、長谷川さんから授かりました。
この彼の証言を来週23日、福島地裁の法廷で行ないます。
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