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2026年2月28日土曜日

【第182話】子ども脱被ばく裁判の振り返り(2):日本の法学界が世界の良識=国際人権と最も緊張を保った絶頂の時代は百年前だった(26.2.28)

さきほど、子ども脱被ばく裁判の振り返り(1)で、こう書いた。

大正期から戦中の末川らが弾圧されるまでの間が、日本が世界の良識=国際人権と最も緊張関係を保った時代でした。しかしその後、敗戦後の復興期を通じても、日本は世界の良識=国際人権から距離を置き、国内に引きこもる閉じた国となったのです。

 そのことを象徴するような1つのエピソードを紹介します。2013年秋、法学者をはじめとして法律関係者が読む雑誌「法学セミナー」の編集部から、「ふくしま集団疎開裁判」についての文の寄稿を依頼され、最後にこう書いた。

80年前、若き川島武宜は研究会で判例の報告をした際、末弘厳太郎から「そのようなばかばかしい判例評釈をするなど、もってのほかである。そんな判例研究するような人間は、法律学の勉強をやめてしまえ」、2回目の報告でも「おまえのは概念法学だ。稲というのは現実に植えつけた人間のものにならないはずはない。ドイツでそうでないなどと言ったって、そんなことは理由にならない。問題の実質をよく見ろ」とこっぴどく叱られました(「ある法学者の軌跡」66頁~)。 

末弘厳太郎が二審の決定を読んだら、裁判官に向かってこう言ったにちがいない。それは同時に全ての法律家に突きつけられた言葉です――おまえのは概念法学だ。子どもの命が危ないのに救済しなくてよいはずはない。原子力ムラではそう考えないと言ったって、そんなことは理由にならない。問題の実質をよく見ろ。そのようなばかばかしい理由づけをするなど、もってのほかである。そんなことをするような人間は法律家をやめてしまえ。

この文は法学者も含め、全ての法律家に向けて書いたものだった。だが、その後今日に至るまで、法学者からはひとりも何かリアクションはなかった。ちょうどそれは、80年前に絶頂を迎え、その後、国内に引きこもりしている日本の法学界の実情を示しているようだった。せっかく、百年ぶりに、世界の良識=国際人権と厳しい緊張関係を築く絶好のチャンスだったにも関わらず、そのチャンスすらものにすることが出来ずに、引きこもりの内部自然崩壊の道を突き進んでいる日本の法学界‥‥それとも、末弘厳太郎が「そんなことをするような人間は法律家をやめてしまえ」と喝破したように、本物の法学者は消えていなくなったのか本物の法学者はどこにいるのだ?

以下、 法学セミナー2014年2月号掲載の「ふくしま集団疎開裁判」について
(>全文PDF

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『命こそ宝』という正義を求めて

1、はじめに

福島原発事故は日本史上最悪の人災です。それは事故後私たちを襲ったのが大量の放射性物質だけでなく、大量のマインドコントロールされた情報だという意味で。それは「不幸を忘れたい」という私たちの弱味につけ込み、事故を限りなく小さく見せ、人々を来るべき惨劇の扉の中に閉じ込めるものでした。他方、原発事故は「目に見えず、臭いも痛みもせず、被害の医学的解明も不十分な理想的な毒」による人災です。この未知との遭遇のため、我々の五感には3.11後もその前と変わらず、これがどれほどの惨劇をもたらすか普通に考えても誰も分りません。生き延びるためには、この欺瞞を見破ることが不可欠でした。その唯一の手段が視差の中で考えること、つまり2つの異なる立場から観察・比較し、その結果がもたらす「強い視差(ずれ)」を吟味することだとカントは指摘しました。それがチェルノブイリ事故との対比、3.11後の国や専門家の発言と3.11前のそれとの対比、安全・安心を口にする国・福島県の要人とその家族の実際の行動との対比です。その対比から見えてきた「強い視差」が福島の真実を誰の目にも分かる形で明らかにしました。それを最も徹底しようとしたのが「ふくしま集団疎開裁判」です。

その結果はからずも明らかになったことは、今回の苛酷事故で、原子炉が崩壊するという異常事態が起きただけではなく、国の立法・行政の破綻(機能不全)に続き、司法も破綻するという異常事態でした。「人権の最後の砦」である司法は、事実認定で子どもらの命に由々しい事態の進行が懸念されると認めながら、結論で国の宝である子どもの命を救うことを放棄したからです。衝撃を受けた(日本を除く)世界の主要メディアはこの恐るべき矛盾判決を一斉に報道しました。以下はその報告です。

2、「ふくしま集団疎開裁判」(一審 福島地方裁判所郡山支部)

2011年6月24日、郡山の小中学生14人が郡山市を相手に、自分たちを年1ミリシーベルト以下の安全な環境で教育を実施して欲しいと求めたのが「ふくしま集団疎開裁判」(仮処分)です。憲法26条で、子ども達は安全な環境で教育を受ける権利を保障されており、単に3.11前と変わらぬ環境で教育を実施して欲しいと、大人より放射能の感受性が3~5倍高いにもかかわらず年1ミリシーベルトという大人の安全基準に合わせて、ごくつつましい希望を表明したものです。

裁判所は、半年後の審理の後、野田前総理の「冷温停止状態」宣言の同年12月16日、却下決定を下しました。要点は次の3点です。

①.低線量の内部被ばくの危険性を裏付けるチェルノブイリ事故との対比に関する債権者の主張・証拠をことごとく斥けたこと。

  決定は「個々の債権者らについて,その具体的な内部被ばくの有無及び程度は明らかにされていない」としてこれら全てを不採用。しかし、債権者がこれらの証拠を個々の債権者も含む郡山の子どもたち全員に妥当するとして提出していたことは今さら言うまでもありません。

②.申立ての趣旨を債権者の念押しを無視して読み替えること

当初、債務者の郡山市が「申立は郡山市の小中学生全員の疎開を求めるもので認められない」と誤解したので、債権者は「本申立て手続で求めるのはあくまでも14名の債権者の救済であって、郡山市の小中学生全員の救済ではない」と念押しました。にもかかわらず、決定は、再び「14名の申立は郡山市の全ての小中学生を有無を言わせず一律に疎開を求めるというものである」と申立を強引に読み替え、そこから「その要件は厳格に解する必要がある」という結論を引き出し、「債権者の生命身体に対する具体的に切迫した危険性があること」を要件としました。これは、本件で問題になる長期間の潜伏期を経て現われる晩発性障害で、子どもたちはガン・白血病等を発病しない限り避難を認めないという残忍酷薄な結果を意味します。

③.弁論主義に違反して、事実認定をしたこと。

決定は、「100ミリシーベルト未満の放射線量を受けた場合における晩発性障害の発生確率について実証的な裏付けがない」と事実認定し、いわゆる100ミリシーベルト問題が債権者の命に対する危険性の判断について重要な判断要素だとして、債権者らが通う学校の空間線量の値が年間100リシーベルト以上であることの証明はないとして申立を却下しました。

しかし、100ミリシーベルト問題は審理の中でいずれの当事者も一度も主張したことのない事実で、決定の中でいきなり登場したのです。

3、「ふくしま集団疎開裁判」(二審 仙台高等裁判所)

一審決定は、処分権主義、弁論主義、証拠裁判主義などの近代裁判の基本原則を否定して、14人の債権者及びこれと同様の危険な中にいる福島の子どもたち全員に向って「君たちは自己責任で避難しない限りどうなっても知らない」と宣言したもの、つまり巨大人災により歴史上初めて日本人を仕分けする宣言をした未曾有の人権侵害決定でした(直ちに仙台高裁に抗告)。

二審で、債権者が一審決定の誤りを詳細に明らかにした結果、二審決定は一審決定理由をすべて不採用。審理に1年4ヶ月かかり、その間、チェルノブイリ事故との対比に関する証拠を含め低線量の内部被ばくの危険性を証明する膨大な証拠(甲102~248)を提出しました。その結果、本年4月24日の決定で、債権者の事実主張を全面的に採用する次の事実認定がされました。

(1)、郡山市の子どもは低線量被ばくにより生命・健康に由々しい事態の進行が懸念される。
(2)
、除染技術の未開発、仮置場問題の未解決等により除染は十分な成果が得られていない。
(3)
、被ばくの危険を回避するためには、安全な他の地域に避難するしか手段がない。
(4)
、「集団疎開」が子どもたちの被ばくの危険を回避する1つの抜本的方策として教育行政上考慮すべき選択肢である。

しかし、主文は却下。子どもを安全な環境で教育する憲法上の義務を負う郡山市に、郡山市の子どもを安全な他の地域に避難させる義務はないとしました。しかし、どうやってこの結論を上記の事実認定から導いたのかです。何度読み返しても私には理解不能です。この裁判では子どもの命に衝突する価値はありません。天災でも子どもの命があぶないと事実認定されたら、直ちにその救済がされます。ましてや本件は人災で、子どもは遊んで原発を壊したのでも誘致に賛成したのでもなく、事故に百%責任がありません。純然たる被害者であるこどもの命が救済されない理由はどうやっても見つけることは不可能です。これは法律以前の人類普遍の原理です。この決定を読んだ米国の人権活動家のチョムスキーはこう表明しました。これは全ての法律家に向けられたものでもあります。

「裁判所が、健康への危険性を認識しながら、にもかかわらず、子どもたちを福島の地域から避難させようとする試みを阻んだことを知り、本当に驚いています。最も傷つきやすいもの、この場合、最も大切な財産である子どもたちをどのように扱うか以上に社会のモラルの水準を物語るものはありません。この残酷な判決が覆されることを強く希望し、信じます。」

80年前、若き川島武宜は研究会で判例の報告をした際、末弘厳太郎から「そのようなばかばかしい判例評釈をするなど、もってのほかである。そんな判例研究するような人間は、法律学の勉強をやめてしまえ」、2回目の報告でも「おまえのは概念法学だ。稲というのは現実に植えつけた人間のものにならないはずはない。ドイツでそうでないなどと言ったって、そんなことは理由にならない。問題の実質をよく見ろ」とこっぴどく叱られました(「ある法学者の軌跡」66頁~)。

末弘厳太郎が二審の決定を読んだら、裁判官に向かってこう言ったにちがいない。それは同時に全ての法律家に突きつけられた言葉です――おまえのは概念法学だ。子どもの命が危ないのに救済しなくてよいはずはない。原子力ムラではそう考えないと言ったって、そんなことは理由にならない。問題の実質をよく見ろ。そのようなばかばかしい理由づけをするなど、もってのほかである。そんなことをするような人間は法律家をやめてしまえ。

審決定んだチョムスキーはメジをせ「つきやすいもの、この場合最大切財産あるどもたちをどのようにうか以上のモラルの水準物語るものはありませんJ(集団疎開裁判のブログhttp://fukusima-sokai.blogspot.jp/) べました

どものることは人類普遍正義第一歩ですこの回復するまでそのみがやむことはありません未来私達にかかているのです未来次疎開裁判はまもなくスタートします

 

【第181話】子ども脱被ばく裁判の振り返り(1):日本の法学界が世界の良識=国際人権と最も緊張を保った絶頂の時代は百年前だった(26.2.28)

 今日、子ども脱被ばく裁判と「国際人権」との関係について、振り返りの文を書いた。
最初、個別の国際人権法の内容(自己決定権・健康への権利)について書こうと思ったけれど、検討していくうちに、もっと重大な内容を見落としていたことに気がついたので、それを書いた。それは、百年前、大正14年頃に絶頂を迎えた日本の法学界がその後、内向きの閉ざされた歴史を辿り、それが311以後の人権侵害のゴミ屋敷の日本社会の出現と深く関わっていることを示すものだった。
その検討の中で気がついたことがほかにもあったので、いくつかに分けてアップする(その(2)>こちら)。

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 What time is it ?――311後のゴミ屋敷を人権屋敷に再建するキーワード「国際人権」――

1、はじめに

この質問はチャップリンの映画「独裁者」の冒頭に出てくるセリフです。戦場で、兵士チャップリンが上官と雲の中を飛行中、いつの間に飛行機は宙返りとなり、この質問に彼が懐から懐中時計を取り出すと時計の鎖がとび上がってビックリするシーンです。そのシーンが示す通り、答えはあべこべの時代です。このあべこべが現代でも続いている。しかも現代はそのあべこべが前例のないくらい極端なまでに進んだ時代です。なぜなら、現代は311後=原発事故後の社会だからです。原発事故とは何か。それは人類が推し進めてきた科学技術の最先端で登場した、最先端の科学技術がもたらした最先端のカタストロフィー(大惨事)だった。つまり、原発事故は私たちの科学技術の栄華の成れの果ての姿です。その結果、311後の日本社会は原発事故の救済を全面的にネグレクト(放置)する人権侵害のゴミ屋敷となった。そこでは、原発事故を起こした加害者たちは救済者のつらをして、命の「復興」は言わず、「経済復興」と叫んで堂々と開き直り、命に危険にさらされた被害者は「助けて」という声すら上げられず、上げようものなら経済「復興」の妨害者として迫害される、あたかも密猟者が狩場の番人を、盗人が警察官を演じている。安全を振りまくニセ科学が科学とされ、危険を警鐘する科学がニセ科学扱いされる、狂気が正気とされ、正気が狂気扱いされるというあべこべが出現したからです。このあべこべをただすこと、それが311後の最大の法律問題となりました。それに挑戦したのがこの裁判です。その際のキーワードは世界の良識=国際人権でした。なぜなら、311後の日本は「世界の常識が日本の非常識、日本の常識が世界の非常識」の社会であり、日本社会のあべこべをただす力は世界の常識の中にしかないからです。但し、この意味は国内に引きこもる限り分からない。国外にさらされてみて初めて見えてくる。以下、国外に立ってみて見えてきたことを記したものです。

2、日本が世界の良識=国際人権と最も緊張関係を保った時代

それは大正14年(1925年)頃です。この年、民法の不法行為で従来の解釈を根底から覆す画期的な判決が出た。それが大学湯事件大審院判決で、不法行為が成立するのは民法に書かれた「権利」の侵害に限らない、「法律上保護される利益」も含まれると言い、社会生活の現実を踏まえて法律を再構成する態度に出たからです。この判決は当時、世界を席巻していた、法律を形式的、論理的に解釈すれば足りるとする従来の支配的な見解「概念法学」を根底から否定し、法律は何よりも第1に現実の社会生活に奉仕する「生きた法」でなくてはならないという「自由法論」=国際人権に深く影響を受けて書かれた判決でした。このあと、末川博、末弘厳太郎(彼については>こちら)らが法学界を「自由法論」で塗り替えていった。つまり、大正期から戦中の末川らが弾圧されるまでの間が、日本が世界の良識=国際人権と最も緊張関係を保った時代でした。しかしその後、敗戦後の復興期を通じても、日本は世界の良識=国際人権から距離を置き、国内に引きこもる閉じた国となったのです。

3、再び、世界の良識=国際人権との緊張関係が問われた時代

しかし、福島原発事故は21世紀の黒船として閉じた国=日本社会を震撼しました。日本の法体系は原発事故を想定しておらず、備えがなかったからです。つまり原発事故の救済について、日本の法体系は法の穴(法律用語で欠缺〔けんけつ〕)状態にあった。最初、それに最もうろたえたのは日本政府でした。福島県の子どもたちの集団避難が現実の問題となっていたからです。彼らはそれを阻止するために日本の法体系を血眼になって探したけれど、原災法も含めて使える法律が見つからなかった。そこで、苦の策として世界に出るしかなく、ICRPのお見舞い勧告を使って、文科省の20mSv通知を出した。この時、日本政府は、日本の法体系が「法の穴」状態にあり、その穴埋めを彼らが望む国際ルールとの関係の中でするほかないことを強烈に意識したのです。その次に、この難問に直面したのが文科省の20mSv通知に抵抗して、福島県の子どもたちの集団避難を求めた「ふくしま集団疎開裁判」でした。原告らもまた、日本政府と同様、日本の法体系の中に「彼らの集団避難」を裏付ける法律を見つけることが出来なかったからです。避難の権利を明文化したチェルノブイリ法があったけれども、条約ではないため、裁判の規範として使えなかった。3番目にこの難問に直面したのがこの裁判でした。ここでもまた、原告らは日本の法体系の中に「福島県の子どもたちが被ばくしないで教育を受けること」を裏付ける法律を見つけることが出来なかった。そこで手探りの中、無意識のうちに復活したのが社会生活の現実を踏まえて「生きた法」を発見するという百年前の「自由法論」だった。つまり、低線量内部被ばくの放射能による健康被害という現実を踏まえて、「生きた法」を再構成していったら、原告らの主張が認められるのは当然であるという論法でした。同時に、「法の穴」を埋める具体的な法理として、民間団体のICRPのお見舞い勧告ではなく、法律の上位規範である国際人権法として自己決定権と健康への権利が用いられるべきであったことは「法の欠缺――法律の危機――」で述べた通りです。

 

 

【第182話】子ども脱被ばく裁判の振り返り(2):日本の法学界が世界の良識=国際人権と最も緊張を保った絶頂の時代は百年前だった(26.2.28)

さきほど、 子ども脱被ばく裁判の振り返り(1) で、こう書いた。 大正期から戦中の末川らが弾圧されるまでの間が、 日本が世界の良識=国際人権と最も緊張関係を保った時代でした。しかしその後、 敗戦後の復興期を通じても、日本は世界の良識=国際人権から距離を置き、国内に引きこもる閉じた...