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2023年4月9日日曜日

【第104話】追悼・坂本龍一(追記)市民立法=市民の自己統治の大切さを誰よりも理解していた(2023.4.9)

         「坂本龍一 その可能性の中心(2023.4.6)」の追記。

 本日(2023.4.9)の日経1面の春秋で、坂本龍一さんが亡くなる前に、明治神宮外苑の再開発について都知事に書簡を送ったことが紹介されていた。この記者は別に大した意図もなく、彼の行為を紹介したのかもしれない。しかし、もしこれを読んだ読者が、環境保護者としての坂本さんはすごいと、美談として受け取ったら、それは彼にとって不本意極まりないだろうと思った。
彼を初めて目の前で見た24年前のことが思い出されたからである。

20世紀末、彼は インディーズ系のアーティストが数多く参加する団体MAA(マルチメディア・アーティスト・アソシエーション)を立ち上げ、著作権を専門とする私もその末席に参加した。或る時、音楽著作権について考えるMAA主催のシンポジウムで、音楽著作権を管理するJASRAC(さながら農業のJAみたいな大御所の組織)の理事と文化庁の著作権課長と坂本さんの鼎談がやられた。席上、JASRACの秘密主義に憤慨しまくった坂本さんが、
「ぼくの著作権の使用状況に関するデータを見せてよ!」
と要求すると、JASRACの理事は、ははあっと平身低頭して
「はっ、坂本先生のリクエストでしたら、さっそくにでも」
といんぎん無礼に答えた。それを聞いた彼は即座に、
「なんで、坂本先生だからOKなんだよ。関係ねえだろ!」
と本気で切れた、そしたらJASRACの理事は、ますます頭を机にこすりつけて
「ははぁ」
と唸った。その時の彼は「こいつはなんにも分かっちゃいない」と言わんばかりに憤懣やるかたなく、怒り狂わんばかりだった。

 このとき彼は、どんなアーティストでも差別せずに、市民(アーティスト)の自己統治を尊重する立場に立て、とJASRACの差別主義、権威主義に食ってかかったのだ。


こうした彼のひとつひとつの振る舞いは別に、著名人の振る舞いとして行われた訳ではなく、あくまでも、自然や音楽を愛するひとりの市民として、誰もがやるような行為に出たまでで、それが市民の自己統治としての本来の姿として行われた。

 彼は生涯、市民立法の精神、市民の自己統治の精神、哲学を身をもって確信していた人だった。

 

2023年4月8日土曜日

【第103話】自己決定権からみた山下俊一発言の人権侵害の意味(2023.4.7)

 2023年3月27日、仙台高裁で子ども脱被ばく裁判(このうち国と福島県を訴えた親子裁判)の第6回目の弁論が開かれ、そこで控訴審における控訴人の主張をまとめた書面(準備書面(12))を提出。以下はそのうちの第8、山下発言問題について、当日、代理人が陳述した要旨のラスト。

   山下俊一氏講演会(201年5月3日・福島県二本松市)


その要旨全文は->こちらまた、準備書面(12)は->こちら

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4、最後に、自己決定権からみた山下発言の人権侵害の意味について述べます。

自己決定権の意義については、第1、3「自己決定権」で前述した通りですが、この「個人に属する事柄について公権力の介入・干渉なしに各自が自律的に決定できる自由」とは実は全ての人権の大前提となるものないしはその不可欠の内容を構成するものです。なぜなら、古典的な自由権の代表格とされる表現の自由において、人は何を表現するかはもっぱら表現者自身の意思に委ねられ、表現者が決定することが大前提とされているからです、それは他の自由権も同様です。社会権においても、例えば生活保護は人が自らの意思で申請するかどうかを決定することが大前提とされており、労働基本権も労働者が組合を結成するかは労働者が自らの意思で決定することが大前提です。

このように、もともと自己決定権はそれ抜きには人権保障は具体化・現実化しない、人権の出発点となるものでしたが、近時、このような枠組みには収まり切れない新たな権利、すなわち「個人の人格的生存にとって必要不可欠な、自分の生き方を自分自身で選択する権利」として、従来の人権とは別個に、独自の権利として構成されるようになりました。

 本件において、県民の自己決定権は、福島原発事故という未曾有の原子力災害の危機に直面して、自らの生き方、それは生命・身体の安全を確保するためにいかなる行動を選択したらよいか、死ぬか生きるかを問われるほどの重大な岐路に立った人々の自己決定権というものがここで問題となったのです。

 言うまでもなく、放射能の素人である県民が原子力災害の危機においてこの自己決定権を適切に行使するためには放射能に関する正確な情報を入手することが必要不可欠でした。この必要不可欠の情報提供の責務を果すために放射線健康リスク管理アドバイザーとして登場した山下俊一氏です。しかし彼の発言により、県民は放射能に関する正確な情報を入手することができないばかりか、彼の不適切な情報を鵜呑みにし、惑わされた結果、多くの県民が被ばくについての警戒心を解いたため、多くの県民とりわけ子どもたちが無用な被ばくを強いられました。その結果、原子力災害の危機という一大事において、生命・身体の安全を確保するための自己決定権を適切に行使することがかなわず、この意味で、生涯悔やんでも悔やみきれないほどの自己決定権の侵害を余儀なくされたのです。山下発言は県民の貴い自己決定権を奪い、これを侵害したという点からも断じて許されないものなのです。

 

 

2023年4月6日木曜日

【第102話】坂本龍一 その可能性の中心(2023.4.6)

 私は彼と同学年だ。だから、彼がどんなに悔しかっただろうかと思う。
その彼は、私にとって文字通り、救世主であり、朋輩だった。

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私が初めて社会的な裁判に関わったのは2005年5月、新潟県上越市で、元農水省の研究機関が、日本で最初の遺伝子組換え稲の野外実験を、地元農民・市民の猛反対を押し切り強行しようとしたので、実験中止を求めて裁判に訴えた時だった。遺伝子組換え作物の危険性を正面から問う、日本で最初の裁判だった(禁断の科学裁判)。だから経験者もゼロ、先例もゼロ。バイオのバの字も知らない癖に、うかつにも「やります」と手を挙げたため、田植えまでの2週間までに訴状を作成することが私の至上命題となった。誰の目にも不可能は明らかだった。ところがその窮状を前にして救世主が現れた。それが坂本龍一さんだった。窮状を見かねた彼は
「よかったら知り合いの分子生物学者の方を紹介します」
と申し出てくれた。地獄で仏に会うとはこのことかと。その仏は当時駆け出しの福岡伸一さんだった。福岡さんの鮮やかな手ほどき、指導で、約束の田植え前に訴状を完成でき、裁判がスタートできた。これが私のライフワーク(バイオテクノロジー批判)のスタートを切れた瞬間だった。

そのとき、福岡さんは私を引き合わせた坂本さんに尋ねた。
「ところで、坂本さんと柳原さんとの接点はどこにあるのでしょうか?」

坂本さん曰く、

「さて、接点は、、、、接点は柄谷行人という人ですね~。」

 坂本さんと私が知り合ったのはそこからさかのぼること6年前。1999年の或る日、「著作権&リーガルクリエーター」という私のHPを見たといって坂本さんからいきなりメールが来た。そこには「プロフィールを拝見しました。かなり変わった経歴の方だと思いました」旨が書かれていた。私もまた、見も知らない人間にそんなメールを送りつける彼をかなり変わった人だと思った。

当時、私は自分の仕事に飽き飽きしていて、ベンゴシとかいった手垢にまみれた何のインパクトも励ましも与えない言葉に代えて、リーガルクリエーターといった別の言葉で自分の仕事を再定義しようと考えていた。奇しくも坂本さんも、アーティストという手垢にまみれた言葉に代えて、インディーズ、アソシエーション、協同組合といった別の言葉で自分の仕事を再定義しようと考えていた。

ちょうどその頃、思いがけない事態が発生した。それが雑誌「群像」99年4月号に載った柄谷行人「トランスクリティーク」最終章だった。それを読み、私は、それまでのように、著作権法の欺瞞性を単に笑うのではなく、著作権法が陥っている病理現象を根本的に克服する理論的かつ実践的な方向性を見出した。それが生産‐消費協同組合を中核とする、クリエーターに開かれた著作権システムの構築だった。

具体的には、当時、柄谷さんが提案した生産協同組合(著者と編集者たちのアソシエーション)をめざした出版社「批評空間社」の設立だった。私がその設立手続を担当し、坂本さんがその協同組合員として参加した。
ちょうどその頃、柄谷さんは「交換様式」という観点から新しい市民運動「ニュー・アソシエーショニスト・ムーブメント(NAM)」を提唱し、そこに坂本さんも参加。私も協同組合の法律部門の担当者として朽木水のペンネームで参加した。
その頃、坂本さんが朽木水が私だと知った時のことは今でも鮮明に覚えている。ビックリした彼はさっと手を差し出し、私の手をがっちり固く握りしめた。このときの彼の子どものようなはしゃぎようと手のぬくもり。

それは同志坂本龍一が私にくれた最高のプレゼントだった。

 追悼・坂本龍一(追記)市民立法=市民の自己統治の大切さを誰よりも理解していた(2023.4.9)

【第171話】最高裁にツバを吐かず、花を盛った避難者追出し裁判12.18最高裁要請行動&追加提出した上告の補充書と上告人らのメッセージ、ブックレット「わたしたちは見ている」(24.12.20)

1、これまでの経緯 2011年に福島県の強制避難区域外から東京東雲の国家公務員宿舎に避難した自主避難者ーーその人たちは国際法上「国内避難民」と呼ばれるーーに対して、2020年3月、福島県は彼らに提供した宿舎から出て行けと明渡しを求める裁判を起こした。通称、避難者追出し訴訟。 それ...