「坂本龍一 その可能性の中心(2023.4.6)」の追記。
本日(2023.4.9)の日経1面の春秋で、坂本龍一さんが亡くなる前に、明治神宮外苑の再開発について都知事に書簡を送ったことが紹介されていた。この記者は別に大した意図もなく、彼の行為を紹介したのかもしれない。しかし、もしこれを読んだ読者が、環境保護者としての坂本さんはすごいと、美談として受け取ったら、それは彼にとって不本意極まりないだろうと思った。
彼を初めて目の前で見た24年前のことが思い出されたからである。
20世紀末、彼は インディーズ系のアーティストが数多く参加する団体MAA(マルチメディア・アーティスト・アソシエーション)を立ち上げ、著作権を専門とする私もその末席に参加した。或る時、音楽著作権について考えるMAA主催のシンポジウムで、音楽著作権を管理するJASRAC(さながら農業のJAみたいな大御所の組織)の理事と文化庁の著作権課長と坂本さんの鼎談がやられた。席上、JASRACの秘密主義に憤慨しまくった坂本さんが、
「ぼくの著作権の使用状況に関するデータを見せてよ!」
と要求すると、JASRACの理事は、ははあっと平身低頭して
「はっ、坂本先生のリクエストでしたら、さっそくにでも」
といんぎん無礼に答えた。それを聞いた彼は即座に、
「なんで、坂本先生だからOKなんだよ。関係ねえだろ!」
と本気で切れた、そしたらJASRACの理事は、ますます頭を机にこすりつけて
「ははぁ」
と唸った。その時の彼は「こいつはなんにも分かっちゃいない」と言わんばかりに憤懣やるかたなく、怒り狂わんばかりだった。
このとき彼は、どんなアーティストでも差別せずに、市民(アーティスト)の自己統治を尊重する立場に立て、とJASRACの差別主義、権威主義に食ってかかったのだ。
こうした彼のひとつひとつの振る舞いは別に、著名人の振る舞いとして行われた訳ではなく、あくまでも、自然や音楽を愛するひとりの市民として、誰もがやるような行為に出たまでで、それが市民の自己統治としての本来の姿として行われた。
彼は生涯、市民立法の精神、市民の自己統治の精神、哲学を身をもって確信していた人だった。