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2021年4月23日金曜日

【第66話】4.19官邸前アクションでのスピーチ「いま私たちに必要なのは『被ばく正義』」(2021.4.19)

 以下は、4月19日、毎月の官邸前アクションで話した、子ども脱被ばく裁判3月1日一審判決に対するスピーチ「いま私たちに必要なのは『被ばく正義』」の動画と文字起しです。

 

 先月3月19日、ここで、3月1日判決が出た「子ども脱被ばく裁判」について感想を述べさせてもらいました。今日は、その後考えたことを話させていただきます。

  3・11の前代未聞の福島原発事故の後、いったい何が起きたのか、国や福島県が何をしようとしたのか、正直なところ当時の私たちには、その意味がはっきり分かりませんでした。  しかし、この3月1日の「子ども脱被ばく裁判」の判決は、国と福島県が何をしようとしたのか、まざまざと明らかにしてくれました。その事を今日お話ししたいと思います。

  実はこの判決の後に、支援者の方から、6年間頑張ってやって来たのに、こんなひどい判決を受けて、本当に報われませんねと同情されました。私はその方に「それは大きな勘違いです。全く同情されるようなことはありません」といいたいと思いました。なぜなら、先ほどもどなたかがいっていましたが、日本各地で避難者関連の訴訟は沢山ありますが、避難者の慰謝料の額をアップするかどうか争われていいます。しかし、この裁判は、補償ではないのです。3・11原発事故の後、国の県が子どもたちや県民に行った政策が法的にみておかしいのではないかと真正面から問い、その責任を追及する裁判であり、日本で初めてのみならず、世界でも初めての裁判なのです。この裁判においては、原告がかわいそうだから、少し慰謝料を水増ししてあげようとかといった生易しい判断をすることは許されず、国と福島県の責任を認めて断罪するのか、国、福島県の犯罪を、目をつぶって認めるのかという本当にシビアな赤裸々な判断が裁判所に求められたからです。裁判所にとっては、ここで、国や福島県の責任を認めることは自らの将来を棒に振る、冷や飯を食う状況になることであるから、裁判所が勇気をもってそのような判決は書くのはほとんど不可能だろう判断していましたから、敗訴は初めから覚悟していました。それでも、同じ敗けるにしても、今回の敗訴判決は私たちの主張を100%否定し、考えられる限りのあらゆる屁理屈を使って、国と福島県の政策をよしとしました。このような理不尽極まりない判決理由を書かないと国と福島県のとった政策を認める判決は書けないということをはっきりしめしました。それは、私たちの望む最高の判決だと私は思っています。 

   その最も輝かしい判決理由の一つが、子どもたちの学校の環境安全基準です、これは、50年前私達の先人が、当時の深刻な公害の中で、子どもたちの命、健康を守ろうと必死になって取り組んできました。ここ東京都においては、美濃部都政、東京都公害研究所の面々の尽力に依って、学校の安全基準は、生涯その有害物質を吸い込み、体内にいれても、10万人に1人、健康被害者が出るというまで基準を厳しくしました。ところが、今回の子ども脱被ばく裁判の判決は、ここ福島の子どもたちが、生涯放射性物質を浴びて、10万人中7千人が、がんで死んでも許されるという新しい基準値を国がとったことを容認しました。私たちの先人が、子どもの命と健康を守るために、10万人に1人しか病気が発症してはならないという基準を7000倍も緩める基準を正当であると書き込んだのが、3月1日の判決です。こんな言語道断な判決を絶対に許すわけにはいきません。3・11に何が起きたのか、ここにはっきり読み取ることが出来ます。私たちの安全基準は、放射能に関しては、従来の毒物の7000倍危険であっても我慢せよということです。こんなことを認めていいでしょうか。  日本は、放射性物質と放射性物質以外の有害物質の二つの安全基準があるのだ、矛盾しないとすり抜けようとする人がいます。

私には、思い至ることがあります。日本国憲法です。憲法は、悲惨な第2次戦争のあと、2度と戦禍をくり返さないよう、軍国主義から決別して、国民主権の民主主義国家を打ち立てました。しかしさまざまの理由から天皇制は存続しました。天皇制は日本国憲法が保障する法の上の平等に違反する差別的な制度です。しかしながら天皇制を温存させるにあたっては、明治憲法のような天皇主権であってはならない、天皇は日本国の単なる象徴にすぎない、宣旨行為などを行ったら、国民主権の憲法違反だということを明記して、ダブルスタンダードを認めたのです。これが本来のダブルスンダードの意味です。
 
今福島県の子ども達は、ベンゼン、有機水銀、ヒ素などの有害物質からは、10万人に1人以上の健康被害が起こってはならないという、従来のきびしい基準で守られていますが、福島に一番多く存在する放射能に対しては、7000倍も緩い健康被害を甘受せよという判断基準を押し付けられています。福島の子どもたちにとっては、従来の安全基準は無意味になったということです。日本国憲法において、ダブルスタンダートを認めるために、天皇制は国民主権を犯してはならないというもとに存在していることに比べてみれば、なぜ放射性物質能だけが、一人のうのうと7000倍も緩い基準で、福島の子ども達に浴びせられるのかまったく理由がありません。こんな理不尽なダブルスタンダード、20m㏜を認めることは断じて正義に反します。

  私は3年前に一人の少女の言葉を耳にしました。16歳のスエーデンのグレタ・トゥーンベリさんです。  彼女は各国の政府が環境に優しいとか、持続可能な経済発展とか口当たりのいい言葉を人々に振りまいて、環境問題に真剣に取り組んでいない現実に対して抗議の声を上げました。その時彼女の言った言葉が、クライメイト・ジャスティス、気候正義でした。環境問題において、世界の政府の人々に最も欠けているのが正義という問題です。彼女はそのことを真正面から主張して、私たちに必要なものは環境に関する正義だと訴え、その言葉は多くの若者の心を捉えました。

  3・11原発事故以後、政府は復興とかオリンピックとか、口当たりのいい言葉ばかりを言って、被ばくして健康を損なっている人々の問題を何一つまともな取り組みをしてこなかった。その意味で私たちに今本当に必要なこと、3・11後の日本に最も必要なことは、グレタさんが「気候正義」といったように、「被ばく正義」です。公害において作られた安全基準、10万人に1人の以上の健康被害を許さない基準が正義です。7000倍も緩い被ばく基準は不正義です。放射能物質の被ばくについても、10万人に1人以上の健康被害は許されないという基準を打ち立てることが私たちの正義です。  



 

2021年4月21日水曜日

【第65話】いまも子どもがあぶない。いま必要なのは「被ばく正義」(2021.4.20)

まつもと子ども留学基金理事 柳原敏夫

私は、2014年8月提訴した「子ども脱被ばく裁判」の弁護団に参加しています。311後、至る所で原発事故関連の裁判が起されましたが、それは主に原発事故で大変な目に遭ったからその精神的苦痛の賠償を求めた裁判でした。これに対し、子ども脱被ばく裁判がそれらの裁判と根本的にちがうのは、第1に、子どもにとって被ばくの危険性を正面から問うたこと、すなわち事故後の汚染地で教育を受けることは、憲法が保障した「安全な環境で教育を受ける権利」を侵害するものであり、即刻、子どもたちを被ばくの危険のない安全な環境で教育を実施することを福島県内の市町村に求めたこと、第2に、日本史上最悪の過酷事故を起こしておきながら、事故後に「事故を小さく見せること」しか眼中になく、子どもらに無用な被ばくをさせた日本政府と福島県の法的責任を真正面から問うた裁判だということです。チェルノブイリ事故でもこのような裁判はなく、それは世界で最初の裁判です。

今年3月1日、この世界で最初の裁判に対する一審判決の言渡しがありました。裁判長は事前に用意した判決要旨すら読み上げず、小声の早口で主文だけ読み上げ1分足らずでハヤテのように立ち去りました。中身は原告主張を100%退ける全面敗訴判決。その判決理由は一言で言って「理不尽の極み」でした。

その典型が7千倍の学校環境衛生基準でした。半世紀前、私達の先人は深刻な公害被害に対する真摯な反省から、公害で苦しむ子ども達の命・健康を守るため、それまでの経済最優先の立場から「人間の尊厳をすべての価値の最上位に置き、命、健康、環境保全を最優先に置く」立場に大転換し、世界最先端の安全基準を制定しました(公害対策基本法ほか)。その基準とは毒物に生涯晒された時10万人に1人健康被害発生でした。ところが、毒物のうち放射性物質は現在まで、学校環境衛生基準が定められておらず、法の穴があいたままでした。そこでこの穴に対し、裁判で、原告は放射性物質も他の毒物と同等の基準を適用すべきだと主張したのに判決はこれを真っ向から否定しました。生涯晒されると「10万人中7千人ががん死」を意味する年20ミリシーベルトで問題ないと判示しました。しかし、判決は、なぜ他の毒物と比較し、ひとり放射性物質だけ安全基準の7千倍の引き上げが正当化されるのか、その理由を一言も述べないままでした。というのは、もしこの引き上げを正当化しようとしたら、子どもというのは、本来、他の有害物資に比べ、放射能に対しては7千倍強い身体で出来ているんだと言うしかなかったからです。こんなことがあっていいものでしょうか。私は裁判官は頭が狂ったのではないかとすら思いました。これを「理不尽の極み」と呼ばずに、いったい何と呼んだらよいのでしょうか。

一事が万事この調子で貫かれた今回の判決。まさしくそれは、「放射能が危ないと思ったら、そう思った本人が自分で勝手に逃げればよい」という新自由主義に裏付けられた311後の日本社会を赤裸々に映し出した鏡、その結果、「弱きをくじき、強きを助け、正義と不正義があべこべになった」311後の弱肉強食の日本社会を鮮明に映し出した鏡です。

この鏡が無言のうちに私達に訴えることは「いまも子どもがあぶない!」。

この人権蹂躙の事態に、3年前、北欧の16歳の少女が「気候正義」と声を上げたように、私たちもまた「被ばく正義」という声を上げずにはおれない。





【第171話】最高裁にツバを吐かず、花を盛った避難者追出し裁判12.18最高裁要請行動&追加提出した上告の補充書と上告人らのメッセージ、ブックレット「わたしたちは見ている」(24.12.20)

1、これまでの経緯 2011年に福島県の強制避難区域外から東京東雲の国家公務員宿舎に避難した自主避難者ーーその人たちは国際法上「国内避難民」と呼ばれるーーに対して、2020年3月、福島県は彼らに提供した宿舎から出て行けと明渡しを求める裁判を起こした。通称、避難者追出し訴訟。 それ...