◎はじめに
この国は戦後の新憲法制定により、人権の保障された国に生まれ変わりました。
ところで、人権とは個人の尊厳に由来し、人が人として生まれながらにして持つ権利であり、誕生から死に至るまで、どんなことがあろうとも、どこにいようとも、一瞬たりとも途切れることなく、切れ目なく保障されるものです。
つまり、
原発事故が起きようが起きまいと人権は切れ目なく保障されるものであり、原発事故が発生したからといって、被災者は一瞬たりとも人権を喪失することもなければ、他方、国家も人権保障を実行する義務を一瞬たりとも免れることもありません。国家は途切れることなく、保障する義務を負い続ける、これが憲法の帰結です。
ところが、
2011年の福島原発事故が発生して以来、日本政府は、この当たり前の原点を忘れたかのように、被災者に対し政府の指示通りに行動せよ、さもなければ応急仮設住宅の無償提供といった恩恵も施しもないぞと言わんばかりに、(勧告・推奨という体裁を取り繕っているものの、その実質は)上からの指示命令で被災者を取り扱ってきました。そこには、「人権とは誕生から死に至るまでどんなことがあろうとも、どこにいようとも一瞬たりとも途切れることなく、切れ目なく保障されるもの」という原理は忘れ去られたかのようでした。それは、子ども被災者支援法の運用に端的に示されているように、被災者に恩恵を施すのも終了するのもすべて政府の腹ひとつ、政府の考え次第でどうにでもなることでした。
その結果、
被災者は、政府の都合で、一方的に、政府が被災者に差し出した恩恵や施しの終了を宣言され、避難者の居住についても、やっと辿り着いた避難場所から追い立てられるという目に遭ったのです。その端的なケースが、東京の国家公務員宿舎に避難先として辿り着いた避難者に対し、そこから出て行けと追出しの裁判をかけられた「避難者追出し裁判」です。
しかし、
これは避難者を人権の主体と認めず、政府の都合次第でいかようにも扱われる、人権侵害行為ではないか。それならば、追出しの裁判をかけられる前に、避難者自らが行政を被告にして、避難者を行政の都合で避難先から追出すことを決めた決定が人権(居住権)侵害であり違法であるという判断を求めて提訴することにしたのです。それが3月11日、11名の避難者による「住まいの権利裁判」の提訴です。
◎提訴・提訴後の報告集会の写真と動画
◆動画 UPLAN 原発事故避難者住まいの権利裁判提訴と提訴報告集会
◎奇々怪々の裁判
以下が、提訴した訴状と証拠一式です。
◆訴状 ->PDF
◆訴状の要旨 ->PDF
◆証拠一式の証拠説明書
甲A関係(応急仮設住宅供与の事実経緯) ->PDF
甲B関係(国際人権法) ->PDF
甲C関係(放射能の汚染状況、人体への影響等) ->PDF
訴状を見てあれっと思うのが、行政が起した「避難者追出し裁判」といい、避難者が起した「住まいの権利裁判」といい、避難者の追出す行政の主体が福島県だということです。
けれど、
東京東雲の国家公務員宿舎の持ち主は国であって、福島県ではありません。建物の持ち主でもない福島県がなぜ明渡せという裁判を起せるのか、誰が考えてもおかしい。
また、
東京東雲の国家公務員宿舎を避難者に提供したのは東京都であって、福島県ではありません。建物の提供者でもない福島県がなぜ明渡せという裁判を起せるのか、誰が考えてもおかしい。
その理由はこうです。
被災者の救済を具体的に決める行政の主体は、被災県の首長だと、本件なら福島県知事だと災害救助法で定めてある(3条)。
そして、
内堀福島県知事は2015年6月15日、2017年(平成29年)3月31日をもって区域外避難者に対する応急仮設住宅の供与を打切り、延長しないという重大な決断を下した(以下がその時の記者会見)。
日野行介「原発棄民」200頁より
つまり、2017年3月末をもって応急仮設住宅の無償提供を打ち切り、避難者を追出すと決めたのは福島県知事なんだから、福島県がその尻の始末もしろ、と。
◎今回の裁判のテーマ
そういう理屈であれば、この2015年6月15日の内堀福島県知事の決定こそ、そのあとの避難者追出し行為の原点となった諸悪の根源であるから、この「住まいの権利裁判」でも、この福島県知事決定の違法性を、それが決定されるプロセスのすべての局面にわたって、人権侵害など看過し難い誤りをおかしていないか、徹底的な事案解明を求めたい、これが訴状の内なる声です。
これを具体的に示すと、次の通りです。
◆世界の常識である国際人権法の自覚
311後でハッキリしたことの1つが、「世界の常識が日本の非常識」であり、「日本の常識が世界の非常識」だということです。その姿が「避難者追出し裁判」でも「住まいの権利裁判」でも反映しています。
だからこそ、
私たちはこの歪みをただし、「世界の常識が日本の常識」であり「日本の常識が世界の常識」となることをめざして、訴状の中で、福島県の避難者追出し行為は国際人権法が「国内避難民に認める居住権」という人権を侵害するもので、世界の常識からみたら到底通用するものではないことを正面から掲げました。
◆日本の非常識である行政裁量論の暴走のストップ
他方で、
これまで、行政はことあるたびに、自分たちの政策決定を、行政裁量(一定の範囲で行政庁に自由な判断を認め、その限りで違法とはならない)の適切な行使だと言って、正当化してきました。しかし、たとえ行政裁量を認める余地があるとしても、その判断が人権侵害など不適切な行使に及ぶ場合には、それは許されず、違法を免れないことは当然です。その点を明確にして、この裁判でも、裁量の名の下に、行政の横暴、独走を見過ごさないことを訴状のテーマに掲げました。
◆原発事故救済に関する全面的なノールール(無法状態)の抜本的解決
さらに、
311まで日本政府は原発事故の発生を想定していなかった。だから、原発事故が発生したあとの具体的な救済は何も定めていなかった。これが原発事故救済に関する全面的なノールール(無法状態)です。
実は、半世紀前にも同じ問題が起きました。それが公害です。この日本に深刻な公害が見舞った時、時の佐藤栄作自民党政権は、公害の救済に関する全面的な無法状態に対し、公害対策基本法から「経済の健全な発展との調和が図られるようにする」という調和条項を削り、命・健康の擁護を最優先とする姿勢に大転換する法改正を行い、さらに水質汚濁防止法の制定など公害問題に関する14の法令を矢継ぎ早に制定して、立法的に無法状態を解決しました(1970年の公害国会)。しかし、311後の日本政府は、半世紀前のこの教訓から学ばず、原発事故救済に関する全面的な無法状態に対し立法的な解決を図らず、野放しにした。今、そのツケが避難者の上から人権侵害と見舞っている。であれば、この裁判でも、この問題を取り上げざるを得ない。それが、立法的解決に代わる司法的解決です。
◆抜本的な司法的解決の導きの星は米沢が生んだ民法の神様「我妻栄」
立法的解決に代わる司法的解決というのは、
原発事故救済に関する無法という穴だらけの状態を法律の解釈によってその穴埋めをすることです。私たちにはそのためのモデルがあります。百年前、米沢が生んだわが国最高の法学者であり、民法の神様とうたわれ、長く民法学の中心的存在だった我妻栄が唱え、終生の課題とした法律解釈の次の方法論です。
「社会事情の著しき変遷に対し現時の新しい倫理観念に適合した法律の解釈はいかにして可能であるか」です(1926年「私法の方法論に関する一考察」)。
我妻の教えを本裁判に適用すると、
「原発事故という未曾有の大災害に対し、国際人権法に適合する法律(災害救助法等)の解釈はいかにして可能であるか」です。
この問題を訴状でも、我妻が取り組んだ法律解釈の方法論の原点に立ち戻り、「新しい酒は新しい革袋に盛れ」に従って、311が私たちに示した新しい酒(原発事故の救済)」に相応しい「新しい革袋(法解釈)」に盛ることを、この裁判の中心テーマにしたのです。
それが以下の訴状目次です。
目 次
第1、本件裁判の概要 3頁
第2、原発事故の救済に関する全面的な「法の欠缺」状態の発生
1、はじめに――原発事故救済に関する法律の再建の必要性―― 9頁
2、311までの法律の現状(災害救助法等のノールール) 10頁
3、311以後も災害救助法等の「法の欠缺」状態 11頁
4、小括――「法の欠缺」状態の解消を図る司法的解決―― 11頁
第3、311後の原発事故救済に関する法律の解釈の再構成
1、再構成のための「法解釈」の方法論 11頁
2、法律の対象となる「社会現象」の探求
(1)、はじめに 12頁
(2)、放射線被ばくによる健康被害の時間的影響について丸山真男の証言 13頁
(3)、チェルノブイリ事故による健康影響についての2つの証言 13頁
(4)、福島原発事故がもたらす放射能汚染及び健康被害の影響が時間的にも類例を見ないほど長期にわたり深刻なものであること 14頁
3、法律によって実現すべき「理想」(指導原理)の探求
(1)、国内法の理想(指導原理) 26頁
(2)、国際人権法の理想(指導原理)
ア、国際人権法の登場 27頁
イ、難民に関する国際人権法の理想(指導原理) 27頁
ウ、国際人権法に登場した居住権の理想(指導原理)
(ア)、居住権に関する国際人権法の沿革及び概要 28頁
(イ)、社会権規約に登場した国際人権法の理想(指導原理) 28頁
(ウ)、一般的意見第4に登場した国際人権法の理想(指導原理) 29頁
(エ)、一般的意見第7に登場した国際人権法の理想(指導原理) 31頁
(オ)、国内避難民に関する国際人権法の理想(指導原理) 33頁
(カ)、社会権規約委員会作成の「総括所見」に登場した国際人権法の理想(指導原理) 36頁
4、社会現象を法律の理想に従った「法律構成」の探求(総論)
(1)、序列論 38頁
(2)、条約の解釈の方法 38頁
(3)、上記(1)及び(2)の基本的立場の帰結 38頁
(4)、全面的な「法の欠缺」という本件に特有事情からの帰結 39頁
5、社会現象を法律の理想に従った「法律構成」の探求(各論1)
(1)、はじめに 42頁
(2)、住居への入居(アクセス) 42頁
(3)、入居した住居への継続的居住 42頁
(4)、入居した住居からの強制退去 42頁
6、社会現象を法律の理想に従った「法律構成」の探求(各論2)
(1)、はじめに 43頁
(2)、区域外避難者に対する住宅支援の提供及び打切りの法的枠組み 44頁
(3)、区域外避難者に対する住宅支援の打切りに関する法令の再構成
ア、区域外避難者に対する住宅支援の打ち切りに関する法令 45頁
イ、災害救助法施行令第3条第2項等の趣旨 46頁
ウ、災害救助法施行令第3条第2項等の再構成 47頁
(4)、小括 48頁
第4、被告の公務員による違法行為1(本件福島県知事決定)
1、はじめに 49頁
2、再構成された法令に基づく本件の検討 49頁
3、被告からの反論「原告らは現在も「国内避難民」か」 50頁
4、小括 51頁
第5、行政裁量論の概要
1、 はじめに――被告に残された反論の可能性―― 51頁
2、 311後に出現した新たな論点と行政裁量論者の重大な見落とし 51頁
3、行政裁量論の正しい吟味――2つの論点(①裁量の有無と②裁量の違法)の検討―― 52頁
第6、行政裁量論の第1の論点(裁量の有無)
1、 第1の論点「裁量の有無」の検討(一般論) 53頁
2、 第1の論点「裁量の有無」の検討(本件) 53頁
3、本件福島県知事決定の検討(法の趣旨に反し違法か否か) 54頁
第7、仮定主張:行政裁量論の第2の論点(裁量の逸脱濫用の有無)
1、第2の論点「裁量の逸脱濫用の有無」の検討(一般論)
(1)、はじめに 55頁
(2)、行政庁の「判断過程」 56頁
(3)、行政庁の「判断過程」の各局面における検討 57頁
2、第2の論点「裁量の逸脱濫用の有無」の検討(本件)
(1)、結論 59頁
(2)、理由(福島県知事の「判断過程」における看過し難い過誤) 63頁
3、小括 66頁
第8、被告の公務員による違法行為2(その他)
1、はじめに 66頁
2、「復興公営住宅」の避難先での建設のサボタージュ 66頁
3、県に住む親族に原告の立退きを求める行為に出たこと 68頁
4、小括 68頁
第9、精神的苦痛による損害 69頁
第10.結語 70頁